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2018年7月30日 (月)

【規制庁も原電も】東海第二のケーブルは大量の傷がついていた【把握せず】

運転開始から40年を迎える東海第二原発の再稼働問題だが、2018年5月2日、市民団体の申し入れにより、参議院会館にて第二回規制庁ヒアリングが行われた。

その際、市民団体側から明らかにされた重要な事実がある。東海第二原発は建設時にケーブルに大量の傷がついた、という指摘である。311後に限っても、日本原電が規制庁や茨城県に提出した資料は膨大なので遺漏はあるかも知れないが、この問題について自ら言及した文書は見かけた記憶が無い。

この件について更に調べたので取り上げる。

【1】ケーブル問題の分類

東海第二の問題に、ケーブルが挙げられているのは、関心を持っている方ならご存知のことかと思う。大きく分けると次のようになる。

  1. ケーブルの寿命は一般的には30年、特殊な個所に使用する原子力用でも40年であり、建設時のものは全て寿命が来ている。
  2. 建設時のケーブルは非難燃性(可燃性)であり、ケーブル火災や貰い火には脆弱である(同時期に難燃性ケーブルを採用可能だったのに、何もしなかった)。
  3. ケーブル布設時に大量の傷が付いている。
  4. 原電は再稼働に当たって立てた計画で、古いケーブルの交換は一部のみに留め、残りはケーブルトレイに防火シートを巻くだけの計画としている。

今回取り上げるのは、この内、建設時の布設に問題があり、大量の傷が付いているという話である。

【2】日立内部の記念資料に語られた布設時の失敗

傷の件はこれまで大っぴらには議論されてこなかった。古い資料に埋もれていたと言って良い。そこで、何時もなら古い『原子力学会誌』や『原子力工業』などをめくることになるが、そういったものは原稿の分量が少なく、中でもケーブルについて言及したものは今のところ見つけられなかった。

ところで、東海第二発電所の建設史・工事誌は原電が編纂したものと日立製作所が編纂したものの、少なくとも2種類が存在している。

このうち、ケーブルの傷が付いた過程について詳細に触れているのは、日立の編纂した『東海第二発電所建設記録』である。

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(改ページ) Nt2construction_record_no4p433 「第13章 電気計装」『東海第二発電所建設記録』P432-433

しかも、『東海第二発電所建設記録』に記録された傷の数でさえ、過少申告の可能性があるのだ。

日立OBが回顧談を持ちよって2009年に『日立原子力 創成期の仲間たち』という記念誌を頒布した。その中のあるOBが東海第二のケーブル布設について語っており、傷の数は3000ヶ所と書かれているのである。

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日立工事(現日立プラント建設)金田弘一「日立原子力 創成期の思い出」
『日立原子力 創成期の仲間たち』P463

【3】真の損傷個所は3000ヶ所以上の可能性も

私の推測では、真の傷の数は3000ヶ所でも済まないかも知れない。何故なら、上記の金田氏も述べているように、ケーブルトレイに布設後に破損個所を発見するのは難しいからだ。それに、補修せずにそのまま延焼防止剤を塗布してしまえば、傷を隠してしまうことは物理的には可能だろう。

『東海第二発電所建設記録』を読むと当時、設計のまずさから延焼防止剤を塗布した後にケーブル布設をやり直すことがよくあったことが分かる。そういう部位は、特に問題だろう。経年を経た物ではないとは言え、一度剥がした個所もあり、布設したケーブルの中には、そのままのルートで良しとされたり、別のトレイに載せ替えただけのものもあったのではないだろうか。その場合、剥離による損傷は容易に隠蔽出来る。

工期に余裕の無い中で、損傷個所を隠蔽する動機も生まれやすかったと思われる。現に、東海第二と福島第一6号機の建設工事にも参加した菊地洋一氏の『原発をつくった私が、原発に反対する理由』を読むと、配管工の間では不良施工や見えないリスクの隠蔽が横行していた。電設技術者は例外と言えるのだろうか。

なお、昭和電線の場合、関西電力との共同研究を経て経年固化した延焼防止剤の剥離剤を製品化したのは2001年のことである(「新製品紹介 延焼防止剤用剥離剤「ショウピールα」」『昭和電線レビュー』2002年No.1)。つまり、建設当時はそういう便利なものは無かった。

【4】発注者に黙って編纂?日立の記録を把握していない日本原電

なお、この話には余談がある。日立が建設記録の編纂を終えて発行したのは1978年11月だが、原電は当時、本社および発電所に設けた資料室(図書室)に収録していないのである。どうしてそれが分かるかと言うと、1970年代後半より社報に「資料室だより」というコーナーが設けられており、毎月の受入図書が掲載されていたからである。

なお、『日本原子力発電五十年史』(2008年10月)は社内外の広汎な文献を調査していることが巻末の参考文献一覧から分かるが、ここにも載っていない。

そのため、上記2図書の内容について原電にメールで問い合わせた際には、下記のように、情報提供への謝辞という形でしか返信が無かった。

送信日時: 2017年10月10日

岩見様

お問い合わせいただき、ありがとうございます。

関連書籍に関する情報をいただきまして、ありがとうございます。
貴重なご意見として承ります。

                                           日本原子力発電株式会社
                                                      地域共生・広報室

日本原電に限ったことではないが、電力会社はある意味親切でもあり、質問を投げると「~のように検討しています。」と自信を持って返信してくるのが通例である。このような返信は見たことが無い。

実務をやっていく上ではキングファイル等にまとめた設備管理の帳簿などを元にするだろうから、当時の原電担当者がそれらにきちんと記録をしていれば、日立の建設記録がなくても問題は無いが、反応を見ている限りでは、どうも把握すらしていないようである。

【5】当時の施工技術でも防止出来た

さて、当時の施工技術で布設時の傷を回避することは出来なかったのだろうか。次の理由から、可能だったと考えている。

  1. 『東海第二発電所建設記録』に前回サイトでの経験を反映できなかったと書かれている。つまり、ノウハウは存在しており、その水平展開に失敗した。また、『日立創成期 原子力の仲間たち』にも一旦ケーブル布設を中断して補修した後は、養生を厳重にするなどして傷がつかないようにした旨書かれている。
  2. 当時すでに延線工具の一部や入線潤滑剤が商品化されていた。つまり、工事業者にこれら設備を使用するように指示したり、社内で規定を採番・マニュアル化するべきだった。

1については、金田氏はその後の技術開発を自讃しているが、中味をよく読むと分離延線工法の成果は手間を減らしたことにあり、同工法以前に傷を付けずに布設出来なかった訳ではない。原子力プラントにおけるケーブルの布設は、分量こそ多いとはいえ、一般の建築物と同種の工事であり、担当する業者は原子力と兼業でやっている例が多く、慣れている筈だからである。

一方で原子力関係の技術書でケーブル布設に関する資料は限られており、過去のブログ記事で参照した『原子力発電所の計画設計・建設工事』(1979年)等にも傷を付けないためのノウハウの記載は無かった。

では、この程度のことも出来ていなかったのだろうか?勿論そんなことは無い。当時業者が用いていた手順書にも書いてあったが、やらなかっただけが真相だろう。

『東海第二発電所建設記録』の記述は上記の通りだが、『日立創成期 原子力の仲間たち』によれば、布設工事の再開後は養生したと書いているが、当たり前の予防措置に過ぎない。

なお、『日立プラント建設株式会社史1』(1979年)P224には火力発電所の3倍のケーブル布設量であり、工事計画や施工管理の上で、従来の経験では対応出来ない問題が多かったなどと書かれている。本当にそうなのかは疑問が残る。原発の建設は既に初体験ではないので何の説明にもなっていない。

東電子会社の関東電気工事が残した文献を読むと、上記の私の推測をある程度裏書することができる。

関電工は電設業者向け専門誌の『電気と工事』に度々技術記事を投稿していた。特に1976年は何回もケーブル布設に係わる投稿があり、特に11月号の「ケーブル延線作業の合理化と実務ポイント」は東海第二のケーブル布設最盛期に投稿された。ケーブルに傷を付けないための延線器具の使用法の他、布設時の注意点として「外観に損傷が無いか」「ケーブル相互の間隔は良いか」と明記しており、これを事前にコピーして現場に配布するだけでも以後の布設における損傷は防止できた筈である。

『関電工50年史』巻末の「主要実績工事」によれば同社は東海第二の電気設備電線管・ケーブル布設工事を日立プラント建設より11億4000万円で受注し、1973年11月から1978年8月まで従事したとなっている(運開と同時に電気メンテナンス工事も受注)。つまり、ケーブル布設の当事者である。

なお、関電工に先立ち中部電力も『電気と工事』1974年6月号に「金属管工事の基本作業」(電線管布設の記事)を投稿し、「電線は同時に入線すること」などと書いていた。電線を同時に入線しないと相互に擦れて傷が付くことが、現場のノウハウとして存在していたと思われる。

仮にそのようなノウハウを東海第二のケーブル布設に関わった全ての電設業者が知らなかったという、あり得ない仮定をしても、関電工の記事に書かれている通り、破損が無いか逐次確認していれば、3000ヶ所もの傷を作る前に、初期の布設時点で自分達のやり方に問題のあることに気づいた筈である。

筒井哲郎氏も自サイト『筒井新聞』の「原子力工学の対象範囲」で書いておられたが、原発建設工事の大半は一般産業施設の技術の範疇であり、それは先程書いたようにケーブル布設も同様である。原子力工学の参考書では頁数の制限もあり、省かれているのだろう。ダメ押しに化学プラントの仕様書の書式集なども調べたところ、1981年に発行された『プラント建設工事における標準仕様書』(IPC編)で例示すると、電気設備・工事の仕様だけで60ページ以上あり、布設時に傷を付けないようにするため、どのような設計・工事の配慮が必要なのか、一通りのことは書かれている。

例えば電線管については「金属管およびその付属品の内面および端口はなめらかにし、電線の被覆を損傷する恐れの無いものでなければならない。」「金属管内の電線は容易に引替えることが出来るように施設しなければならない。」などとある(同書P407)。

2は、特に分かり易い例として、入線潤滑剤を取り上げる。東海第二のケーブル布設工事には全く登場しないので、使用せずに布設されたと思われる。一方、『電気と工事』には電設業者向けの広告枠が毎号数十ページ確保されており、現代のネット通販サイトやメーカーカタログと同じような役割を果たしていた。これらを調べていくと、現在も使用されている延線工具の多くは1970年代末までに誕生していることが分かる。入線潤滑剤を日本で最初に発売したのはデンサン(商品名:デンサンウェット)で、同社Webサイトを見ると、1974年発売と書かれている。『電気と工事』をチェックしていくと広告は1976年まで登場しないが、当初の2年は一般には販売せず、大手業者限定だったのかも知れない。

1974年発売なら余裕だし、1976年からだったとしても、ケーブル布設の最盛期には間に合う計算である。

入線潤滑剤の特徴は可燃性ではないことなので、使用することによる副作用は考えにくいが、例えば布設後の延焼防止剤塗布工程に邪魔だったとしても、拭き取ってから延焼防止剤を塗布すれば良いだけだろう。ケーブルピットへ導入していく際の特定の角部と擦れないようにする等、使用箇所を限定しても効果は得られたはずである。なお、先ほど紹介した『プラント建設工事における標準仕様書』P407には入線潤滑剤の材質に関する制限規定が設けてあり、使用することが前提となっていたことが読み取れる。

【6】傷のついたケーブルを放置するとどうなるか。

最後に、ケーブルに傷が付くことによるリスクについて、電設業界や原子力業界がどのように認識しているかを、電気設備に代表的に使われているCVケーブルを例に示す。

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「電気設備のトラブル事例と劣化診断について」『電気技術者』2016年1月P24

上記第6表によると、ケーブル内部への水分の侵入など、他の劣化を促進する要因とされている。また、同第9図から分かるように、地絡火災等を助長する要因として認識されている。

また、この表には記載されていないが、損傷個所を補修したテープとケーブルシースは異なる材質であり、40年間の間に固形劣化などで隙間が生じている可能性を考えないといけないだろう。『東海第二発電所建設記録』に登場するハイボンテープとはブチルゴムを加硫せず自己融着テープとした商品名で、かつて日立化成からも発売されていた。他社の同等品の説明によれば、耐候性に優れ、40年以上の使用が可能とされるが、それでは限界は何年であるかの説明はないので、保証出来るのは40年までと解さざるを得ない。

原子力業界でも損傷したケーブルの問題は311前から承知済みで、一足先に劣化した海外のプラントを対象にした研究では次のように解説している。

元来の施工が悪く,発熱や周囲との摩擦等により劣化加速されたような施工不良が26件(28%)と多い.
原子力発電所におけるケーブル故障の傾向分析」『INSS JOURNAL』2007年P312

これらは、防火シートを巻くことでは解決出来ない問題である。『INSS JOURNAL』では劣化診断を海外よりまめに行うことで、未然防止していると分析しているが、いわゆる故障率曲線で寿命末期に現れる摩耗故障は、件数が急激に伸長するとされているし、劣化診断随時行って一部のケーブルのみ補修するやり方では結局つぎはぎだらけとなり、計画的な保全の考えには適さない。

また、以前から何度もブログで言及しているように、東海第二の電気室は1ヶ所に集約されており、2001年の台湾馬鞍山での電源喪失トラブルのように、一ヶ所でも発煙火災を起こすと部屋全体に煙が充満して人による操作などは全く不可能となるし、難燃化されていないケーブルは難燃化の後に普及したハロゲンフリー化(有害な煙を出さない)もされていないので、健全な電気機器の接点なども発煙によるススが付着して不良となってしまう恐れがある。

【7】まとめ

高浜1,2号機などもケーブルの寿命や非難燃性では同じ問題を抱えている。一般的な技術論文に加えて、三菱系の灰色文献(『MAPIの想い出』他数種類)をチェックしたが、今のところ布設時の稚拙な施工により大量の傷が生じたという記録は発見出来ていない。よって、ケーブルの傷問題は、現在廃炉となっていないプラントの中では、東海第二特有のリスクと言えるだろう。このリスクが規制庁に提出された各種評価に織り込まれているとは、とても思えない。やはり早急な廃炉しかないだろう。

2018年6月17日 (日)

電気火災の脅威を力説し旧式原発3基の不安全を証明した東電原発職員へぼ担当氏

前回まで2回に渡り、東京電力柏崎刈羽原発技術職員しての立場を傍目には分からないようにして、(法的にも怪しげな)ポジショントークを重ねるへぼ担当を晒してきた。

しかし、彼も技術者の1人として平均以上に勉強を続けてきたのは、一つの事実である。

京都大学大学院原子核工学専攻を修了し、東電時代には原子炉主任技術者免状やボイラ・タービン技術主任者を取得した。

※最終学歴は京都大学大学院ではありませんでした。KURが他大利用者を受入れていることを忘れていました。京都大学関係者にはお詫び申し上げます。

つまり、組織防衛バイアスが働いていない場合、その技術的見解の正確性は上がる。

このような観点から、今回の記事では彼を権威が認めた現役の電力・原子力技術者とみなし、以下に旧式原発の電気火災に対する危険性を示す。

実は、へぼ担当は火災に大きな関心を示しており、かなりの数のツイートが残っている。今回はそれらを私の判断で話題別に再編集した。

なお、ここで言う旧式原発とは大半のケーブルが難燃性ではないことを意味し、再稼働の申請に合格したものとして高浜1,2号機、申請中のものが東海第二原発である。これらの原発はケーブルも設計寿命を超過しており、その点では近年新築された一般の建物よりも劣っている。

難燃性ケーブルは塩化水素を主体とした有毒ガスの発生量が多く、炎上は抑制されても煙が燻り人体には有害、視界も遮る。また、接点が剥き出しの電気機器にも煤のようにこびり付くと動作不良を招く。

これを緩和する根本対策はハロゲンフリー/ノンハロゲンケーブルを採用することで、原子力の分野では難燃化に遅れて1980年代中盤以降徐々に導入が進んでいった。もちろん、ぞれ以前のプラントは問題である。

実はそのことは彼自身もよく承知しているのだ。

所変われば態度も変えるという姿勢は一貫している。

原発に使われていると口を閉ざすが太陽光発電に使われていると饒舌。安全の観点からは「お金をどぶに捨てるだけ」とのこと。さて、難燃ケーブルを採用していない原発は?

ケーブル火災は一旦火が付くと消化が困難だそうである。

電線管も例外ではない。また、ネズミはあらゆる電気設備事故の定番。防鼠パテなども売られているが、施工がいい加減だと抜け・漏れが生じる。

強電回路ではおなじみ、ナイフスイッチも視点を変えれば故障要素である。

40Wの回路は、照明などのアクセサリ電源はありふれている。最早反文明論者と見分けがつかぬほどの警戒振り。もちろん、間違ってはいない。

感電の恐れがあるので、安易に放水も出来ない。

どうしてそんなに電気火災に拘るかと言えば、実際に脅威だから。発生した時の被害がシャレにならない。

彼が紹介しているYoutubeの動画は必見。発電所の電気室もこれと似たような雰囲気であり、規模が大きい。

続いて自治体消防が電気火災に無知との指摘。へぼ担当は下記のように完全同意。

 

これは、へぼ担当自身が柏崎市や新潟県の消防を信用出来ないと宣言したに等しい発言である。もちろん、他のサイトにも当て嵌まるだろう。

つまり、既存の消火設備と自衛消防隊依存となるが、外野から見れば、自衛消防隊こそ消防のプロとは言えないのでは?との疑問が沸く。その疑念を彼等自身も抱いているのか、電力各社は訓練の回数を誇っているが、別の観点として『原子力戦争』(ちくま書房,1976年)で告発されたような、ボヤの隠蔽をチェックすることも出来ないことになる。

隣接配線に延焼すると地獄絵図だそうである。原発の場合、このリスクを軽減するためケーブルルートの系統分離が徹底されるが、初期原発の場合は電源室が一か所の部屋に集中配置されるなど、ケーブルトレイを分離した程度では根本解決にならない設計が多い。東海第二原発がその典型である。

古典的なブラウンズフェリー事故はもとより、新潟県中越沖地震での所外変圧器火災(2時間)など、3時間以上あるいはそれに迫る時間燃え続けた火災事例は原発でも散見される。

2017年2月に発生したアスクルの倉庫火災に関しても、へぼ担当は防火シャッターと難燃性について興味深い見解を披露している。

シャッターの動作はそれなりに奥が深いようだ。この日の彼のツイートはまだ続く。

難燃ケーブル=不燃ではない、という事実は用心深い技術者なら知っていることだが、それを東電の原発技術者が率直に認めているのが素晴らしい。彼がこのように率直に物を言えるのは、柏崎刈羽原発が難燃ケーブルを多用し、日本原電に比較すれば新規制基準への対応に大量の資金を投じてきたからだろう。要するに「俺の職場は別」という考えが根底にあるように思われる。

また、これらのシャッター設計のノウハウが、旧式原発の建屋やサイトバンカ、経年を経た発電所の倉庫などにもバックフィットされているのかも興味深い論点となり得るだろう。烏賀陽弘道氏により再評価された『近代消防』に寄稿した元消防官のような対抗専門家の登場が待たれる。

私はプロフィール欄にも述べているように元々は推進派であったところを311により反対に転じた者である。よって、基本的には全ての原子力発電所は廃止されるべきと考えるが、その中で技術的プライオリティが付くことは避けられないとも思っている。そういう意味からは、へぼ担当の技術的知見は参考になるのである。

2018年5月24日 (木)

【同時着工】東海第二と福島6号、難燃ケーブル採用で格差【IEEE Std 383】

1975年3月のブラウンズフェリー1号機火災事故の時点で、難燃性ケーブルの米国規格であるIEEE Std 383-1974が制定されており、米国の電線メーカーが製品化していたことは前回のブログ記事で紹介した。2013年以降、東海第二原発は火災防護問題で揺れている。建設時に、採用することは出来なかったのだろうか。

今回は当時のいきさつを再検証してみた。特に福島第一6号機と比較すると、非常に興味深い事実が明らかになった。

結論はシンプルで、「技術的にもコスト的にも工程的にも難燃性ケーブルの採用は可能で、内部告発による社会への警鐘もされていたが、不採用にした」という、どうしようもない失敗であることが分かった。

勿論、「一度布設してから引き換えていれば」という事ではなく、上流工程での決断が、違いを生んだという意味である。

それから40年後、ケーブルが経年を迎えているのに、一部しか交換しないと主張しているのが日本原電という企業である。これは最早「体質」と言っても良いのではないか。

以下、様々な史料に光を当てながら、論じて行こう。検証性を高めているので、実務寄りだが、専門誌記事並に長くなったことをお断りしておく。

【同時に計画した福島第一6号機では採用(しかも国産)】

私がこの事に気付いたのは、難燃ケーブルの採用状況を調べるために、ケーブルメーカー各社の社史を確認したためだ。

また、不勉強を痛感して日本の原発技術史を見直していたことも役に立った。言い方を変えると、推進派にせよ反対派にせよ、過去の話に関しては結構雑に書いているからである。特に概説本、啓蒙本は個別のプラントの来歴を調べる際、あまり役に立たない。

その一方、各プラント固有のリスクは、プラントを問わず共通に存在するリスクと共に、ある。

東海第二原発が福島第一と同じ沸騰水型(BWR)であることはよく知られている。だが、東海第二と福島第一6号機については、それ以上の共通点がある。BWRも開発された年代によって幾つかに分類出来るのだが、この2基はその詳細な形式も同じで、BWR-5というタイプに属している。

BWR-5はロングセラーで、新しいものでは2005年の東北電東通1号機がある。ロングセラーの飛行機や艦船がそうであるように、初期に建設したものと最後に建設されたものでは、マイナーチェンジの範疇に括って良いか疑問に思われるほどの変更があるのが常だ。しかし、東海第二と福島第一6号機を比べると完全な同世代である。

その理由は、東海第二を建設する際、導入コストを安価にするため、日本原電が東電に共同での導入を持ちかけたからである。そのあたりの経緯は東電から日本原電社長に転じた白澤富一郎の証言(例えば『さだめに棹さして : 電力六十年回顧録』)に詳しい。

だが、福島第一6号機は難燃性ケーブルを採用していた。実は、この事自体は311後、最初にケーブル問題を報じた新聞記事(「原発10基超 防火に不備」『毎日新聞』2013年1月1日)を確認しても分かることだった。この記事には「可燃性ケーブルを使った原発一覧表」が載っているが、福島第一6号機は含まれていないのだ(小川仙月氏講演PDFの49枚目にも転載)。

しかし、導入時の事情を知っていなければ、その意味に気付くことは困難だ。また、毎日新聞の問合せと同時期に公表された経済産業省の資料では、区分けの仕方が違っていることも誤読に拍車をかけた(虹屋弦巻さんが収録しているこちらの表。浜岡1,2号機は廃炉で除外されているが、福島第一1-4号機は爆発後も残ったまま。また、1977年の安全設計審査指針から着色している)。

というわけで、今回はそのいきさつを確認していく。

後述するIEEE 383-1974制定の前の、基本設計段階でのことだが、GETSCO極東支配人モーリス・D・ルート、日本GE社支配人コス・スフィカスは座談会で設計体制を次のように述べているのは興味深い(余談だが読者諸氏にとっても、GE関係者が仕事としてコメントしている姿を目にするのは非常に珍しいであろう)。仕様でも両者の差異が生じる余地は確かにあったと分かる。

ルート 今回、東海第二と福島6号の2つ注文をいただいて、まず第一に標準化という点で、エバスコやGEのデザインワークで、たとえばコントロールスケマティックとか、ワイヤリングデザインについては十分経済性が得られたと思うのです。しかし、ハードウェアについては、多少問題がありました。またこの2基を別々のサイトにおいたということで、必ずしも2基同時発注のメリットを完全に発揮できなかったということもあります。

ハードウェア標準化の問題につきましては、日本の場合アメリカと情況が違って、エバスコとGEが1人ずつのエンジニアを東芝のためにも、日立のためにも割り当てなければならなかったという問題もあります。今後総合的な経済性の追求については、やはり売り手も買い手も使用者も、どうやったら一番アドバンテージが得られるかと、一層検討してみる必要があるんではないかと思います。

(中略)今回のデザインワーク関係につきましては、エバスコ、GEではまず完全な一つのデザインを設計して、もう一つについてはそれをフォローしてつくるという方法をとったので、いわゆるエデュケーションという意味で、メリットがあったのではないかと思っています。ただしこれは金銭的なものでなく時間的なものですが。

(中略)

スフィカス
 別に、原電さんと東電さんが一緒になってやったことで、問題がたくさんあったとは思いません。原電さんはいくつかの点について、東電さんと違った意見をもっておられましたが、それほどの問題ではありませんでした。

一方、原電さん東電さんGEと三者の意見が違ったときは、どうしても三者が合意しなければなりませんでしたが、原電さんがいろいろ有効なサジェスチョンをしてくださって、原電さんと東電さんが最終的に意見が一致するということもありました。そういった面では、原電さんはGEをむしろHELPしてくださったと思っています。

新春座談会 東海第二発電所着工にあたって 」『日本原子力発電社報』1973年1月

ここで、耳慣れないテクニカルタームについて説明しておこう。コントロールスケマティックとは展開接続図とも訳され、機能・システムを表現した電気回路図面である。ワイヤリングデザインとは、スケマティックより下流工程の、実体的な電気配線図。使用するケーブルの電気的な機能からの選定も必要になってくる。例えば、ある計装にシールド線を使うかどうか等の判断などである(「第2編1.システム計画と表現法」『シーケンス制御用語辞典』電気書院 1983年6月)。

なお、難燃性にするかどうかは、スケマティクやワイヤリングデザインではなく、より上流の電気工事の仕様策定段階で決めるのが一般的ではないかと思われる。

福島第一6号機はGEが設計を請け負ったが、日本国内で出来る仕事は東芝が請け負った。よって、東芝グループ系の電線メーカー、昭和電線がケーブル納入の主体となった。社史には次のように書かれている。

一方、1965年(昭和40年)、アメリカのピーチボトム原子力発電所建設中に起こったケーブル火災事例から、アメリカのメーカは難燃性ケーブルの開発及びその評価方法の提示を行うとともにその使用を推進した。このような背景のもとに、東京電力(株)福島第一原子力発電所6号機用ケーブルでは、アメリカのプラントメーカであるGE社から、IEEE383,323規格(いずれも1974年制定)に規定されているような、従来と異なる耐環境性と難燃性をもった信頼性の高いケーブルの開発が要求された。当社は東京芝浦電気(株)の協力により、約40種類の各種原子力用ケーブルを開発し、東京電力(株)の型式試験に合格して49年から53年(注:1974年から78年)の間に約1500kmのケーブルを納入した。

これらのケーブルに対する要求性能としては、ケーブルが燃焼源となり火災の伝播をしないことおよび機器の腐食と人命の危険防止などを考え有毒ガスまたは煙の発生が少ないことなどであった。また、ケーブルの構造上の特徴は、ケーブルを構成する絶縁体(EPゴム、架橋ポリエチレン)およびシース(クロロブレン、ビニル)のみならず、ジュート介在およびゴム引布抑えテープなどを難燃化し、さらにシース用ビニルは燃焼時の腐食性塩化水素ガス発生量を一般用ビニルの約3分の1としたノンコローシブルビニルとしたことなどである。これらのケーブルは、プラントの設計寿命40年間における通常運転時の性能と設計想定事故(冷却材喪失事故LOCA条件)に対する性能および万一の火災時にケーブルが延焼しない難燃性能を有する非常に高度なもので、BWR型、PWR型の両型式の原子力発電所において想定されるいかなる条件下においても、充分に性能を維持することが可能となり、現在の原子力発電所用ケーブルの基礎となっている。

この福島6号機の成果は、その後のBWR型のみならず、PWR型原子力発電所向けのケーブル納入実績となって結実し、さらに、これら原子力プラント用ケーブルの技術は一般のケーブル技術の向上にも役立ち、その応用は多岐にわたっている。たとえば、難燃化技術を応用して、火力発電所や製鉄所などの一般プラント用の低圧から高電圧に至る各種の難燃性ケーブルを開発し、数多くの使用例があるのを考えてみても、その意義は非常に大きい。

「第8章4 原子力・防災用ケーブルの開発」『昭和電線電纜50年史』1986年5月 P202

前回記事で紹介したように、東海第二のケーブル総延長は大体1500㎞と伝えられている。したがって、昭和電線は東海第二と構成の同じプラントに対して1社でほぼ全てのケーブルを納入したことになる。そして、後述のように福島第一6号機にケーブルを納入していたのは昭和電線だけではなかった。

なお、東京電力は福島第一6号機を建設した際、BWR-5を自社の標準化プラントにすると決めていた(『電気新聞』1979年10月25日1面)。実際、この後BWR-5は柏崎刈羽原発5号機まで10基に渡って建設され続けた。

【IEEE Std 383-1974制定と日本の規制への取り込み】

今更だが、原子力の世界でいう「難燃性ケーブル」とは何だろうか。

ネットで「難燃性ケーブル」を検索すると様々な製品のカタログがヒットするが、実際は鉄道用とか、消防法に基づく一般防災用(「耐火ケーブル」と言ってるのは大抵これだ)など、業界ごとに法規制があり、売られているケーブルも用途が決まっている。

原子力発電所で使用する難燃性ケーブルの定義は『発電用原子力設備に関する技術基準を定める省令の解釈について』という経済産業省の文書があり、311までは既設プラントは「延焼防止剤を塗布したケーブルがIEEE 383 (国内ではIEEE 383の国内版である電気学会技術報告(II部)第139号の垂直トレイ試験に合格していること)と書かれていた。

IEEE Std 383は歴史的には1974年版が有名である。内容を簡単に説明すると、試験対象のケーブルを何条か垂直に立てたトレイに布設した状態で下の方をバーナーであぶり、上の方に燃え広がっていく様子を20分観察する。基本的にはトレイのケーブルが全焼しないで火が消えていれば難燃性と認められる。なお、現在は2015年版が発行されている。

この規格はその他にもLOCA条件という基準があり、炉心溶融時の原発内部を模擬して放射線や高温の蒸気に一定の時間晒しても通電可能な性能を維持していることが要求される(この条件は、今回の記事では余り関わらない)。

以下、「原子力発電所用ケーブル開発の現状」(『日本原子力学会誌』1978年1月)も参考にしつつ、IEEE Std 383-1974制定から80年代頃までに日本の規制へ火災防護策の取り込みが完了するまでの時系列を示す。

  • 1974年4月:IEEE 323および383-1974が制定される
  • 1975年3月:ブラウンズフェリー1号機火災事故
  • 1975年12月:「発電所用原子炉施設に関する技術基準を定める省令」を改正し、原子炉施設内でのケーブルの延焼防止のため不燃または耐熱材料の使用を定める。
  • 1977年:安全設計審査指針の指針6に明記
  • 1978年11月:東海第二発電所運開
  • 1979年10月:福島第一6号機運開
  • 1980年:原子力安全委員会「発電用軽水型原子炉施設の火災防護に関する審査指針」を決定
  • 1986年:日本電気協会JEAG4607「火災防護指針」策定

一つ補足すると、上記原子力学会論文では、東京電力は福島第一3,4,5号機にてケーブル類の技術仕様書はIEEE Std 383-1974に準拠と記されているが、難燃性ケーブルを大量に用いているという意味ではないだろう。これらのプラントは『昭和電線電纜50年史』他の記述によれば、非難燃ケーブルを布設して完成している。実際には東海第二と同じく、1977年秋の5号機を皮切りに、延焼防止剤の塗布と一部ケーブルの難燃性への更新が実施された。

なお、延焼防止剤は1972年頃から一般に普及が始まったとされている(「有・無機の延焼防止塗料 住友電工」『電気新聞』1975年6月4日5面 に経緯記載)。

海外で最初に運転を開始したBWR-5は1984年の米ラサール原発1号機である。新設プラントへの難燃ケーブル適用はアメリカでも当たり前となっていた時期だ。

つまり、東海第二はBWR-5の中で唯一非難燃性ケーブルが大量に布設されたプラントと考えられる。

【元々、東海第二と福島第一6号機の建設スケジュールは同時期だった】

上記のような事実に対して、少し事情に詳しい読者は次のような疑問を抱くと思う。

東海第二の運転開始は1978年11月に対して、福島第一6号機の運転開始は1979年10月である。従って1年後に建設された福島第一6号機が難燃性ケーブルを採用出来、東海第二が採用出来なかったのは、寸手の差ではあっても、自然なのではないか。

私もそうだった。だから、この記事は最初、「何故火災問題の深刻さを受け止めず、東電とおなじ1979年まで延期しなかったのか」と問題提起するつもりだった(後でこの問題も扱うが)。

しかし、原発のような土木工事が常に予定通りに進行するものだろうか。

そういった観点から、もう一度最初から工程を見直してみよう。非常に興味深い事実が明らかになる。

まず、計画段階では東海第二と福島第一6号機は同時期の着工、運転開始を想定していた。

具体的に言うと、着工の前までの工程は完全に同一だった。原発は着工の前に基本設計を国(原子力委員会)に提出して設置許可を得なければならなかった。この設置許可は1971年12月に揃って提出された。その後、国側も設計に共通点が多いことから審査を同時に進め、1972年12月に揃って設置許可を答申した。

ネットですぐに過去記事が読める『原子力委員会月報』では雰囲気は分からないが、設置許可申請も下記のような感じだったのである。

昭和46年12月17日、電源開発調整審議会において東海第二発電所は、東電福島原子力発電所6号機増設とともに建設計画が決定され、これに基き同年12月21日両発電所は、内閣総理大臣あてに設置許可申請書を提出しました。

内閣総理大臣から諮問をうけた原子力委員会は下部機関である安全審査会に審査を委託し、昭和47年1月10日第98回原子炉安全専門審査会で、東海第二発電所を第84部会、福島6号機を第85部会で検討するとともに、両発電所は同型の原子炉であるため、炉関係については合同で審査をすることが決定されました。また両部会は通商産業省原子力発電顧問会と合同で審査を行なうことも決定されました。

(中略)11月7日第107回原子力安全専門審査会において福島6号機、伊方原子力発電所(四国電力)とならんで東海第二発電所の最終報告書がまとめられ「安全は十分確保される」との結論が出されました。

(中略)昭和47年12月23日正式に東海第二発電所の設置許可がおりました。

東海第二発電所設置許可おりる 」『日本原子力発電社報』1973年1月

日本原電が設置許可を得た1972年12月に作成した社内文書『東海第二発電所設備概要』「1.序」によると、この時点で着工は1972年、運転開始は1976年末を予定していた。

一方、福島第一6号機の場合、運転開始は1976年秋ごろを予定しており、東海第二よりも早期の運転開始を計画していた(「東電、GEと調印 福島原発主要機器の建設で」『日刊工業新聞』1972年12月16日11面)。

実際は設計遅延からどちらも着工が1973年春に遅れたが、その差は東海第二が4月、福島第一6号機が5月と僅か1ヶ月だったことが、両社のウェブサイトにある概要の情報からも分かる。

更に、初期には東海第二の工程の方が後になるように計画されていたとの証言もある。

東電は1990年代に部長~取締役級でリタイアした幹部達の回顧談をまとめた『東電自分史』というシリーズを刊行している(当時『電気情報』誌でPRするなど力を入れていたのだが、311後もライターや研究者からは、内容が些末だと思われたのか知らないがずっと無視され続けた)。

6号タービンはすでにSITEに納入されて長期保管の状態にありましたが、その後GEで設計変更により、最終段翼(L-0)最終段1段前の翼(L-1)を植え替える事になり新製品を送ってきまして、東芝の工場で植え替え工事を実施することになりました。

東海2号のタービンも条件は同じでしたが、東海2号の建設工程は最初F-6より半年遅れであったため、GEの工場ですでに植え替えが終わった後日本に送られてきていましたので、この件は解決済みでした。

中村良市「原子力発電開発の道程(2)」『東電自分史第V集』P65

なお契約について補足しておくと、電力各社とプラントメーカーが結んだ契約は、設計変更・追加(即ち仕様の変更・追加でもある)、見積価格条件などの細部を変更するため、数度に渡り変更されている。その中には東電が先行して変更契約した内容を、原電が参照して後追いの形で変更していたパターンもある(「第2章第3節 工事契約」『東海第二発電所の建設』日本原子力発電 1984年3月)。

後述のように、1974年まで、ほぼ同一の運開予定という状態は続いた。

【東電は6号機着工後に開発された難燃ケーブルを採用した】

このようにして両プラントは工事に入ったが、興味深いのは、IEEE 383-1974が発行されて間もない時期に、東電が福島第一6号機に採用を決め、昭和電線もその意向を受けてケーブル開発を進めていた事実が同社の技報で報告されていることだ(「原子力プラント用難燃ケーブルの開発」『昭和電線電纜レビュー』1974年12月 No3 P51)。

一般に、この時代の設置許可申請ではケーブルの仕様について細かく記載はしていない。設置許可申請は基本設計に相当し、詳細設計作業は工事が開始されてからも続く。よって、この当時、ケーブル仕様は詳細設計段階で決定することだったのだろう。だから東電は、着工後の1974年にIEEE規格が発行されても、難燃ケーブルを採用出来たのだ。

参考に、同時代の実務書からケーブル工事の手順を示す。

Nppplandesignconstruction_1979_p515

徳光岩夫「第4・29図 ケーブル工事の手順例」『原子力発電所の計画設計・建設工事』1979年P515

準拠規格の決定は上図の①④に相当する。⑤⑥のケーブル表のことを東海第二ではCCL(Cable Condit List)と呼んでいたようだ(この他布線表,Cable Wiring Listという呼び方もある)。日立自身は「ケーブルの手配、ケーブルトレー、ケーブルシャフト(ケーブル束が垂直移動するための床貫通部)、コンジット、ケーブル貫通部等の経路、布設量の適否の判定、ケーブル布設等電気工事の基本」と説明している(「第3章工程の更改 4 電気計装工事」『東海第二発電所建設記録 第3編 建設工事総論』P144)。

原子力機器というと、有名な平井憲夫氏の講演禄にあるような、「枯れた技術ばかり採用し、新技術が入らない」という批判がある。推進側も「実績と信頼性」をPRしたい時には枯れていることを売りにする。だが、福島第一6号機のケーブルについてはそうしたイメージに反していた。昭和電線が自主開発出来た理由は、74年中に規格が要求する試験設備(いわゆる垂直トレイ燃焼試験の設備)を工場に設けていたことも大きいだろう。

なお、日本の電線メーカーは難燃ケーブルの製品化で遅れていたことを前回記事で説明したが、ケーブルメーカー各社の社史を読むと、この時期になっても、米英の電線メーカーの技術を模倣する段階を脱していなかったことが分かる。

東電も難燃化には比較的積極性を見せ、1975年に社内基準を定めている(「電線路の難燃防火対策と動向」『電気学会研究会資料』電線・ケーブル研究会 1991年3月P6)。後年の津波問題で見せた問題先送りの姿勢とはかなり違った印象を受ける。

コラム
福島第一6号機がケーブルのIEEE規格対応を出来た理由はその外形的性質にもあると考える。

  • 地上建築物に使用するので、長さ当たりの質量が変わっても、航空機などに比べるとデリケートな管理が不要である
  • 難燃化とは材質を難燃性に変える事を意味しており、特に布設されるケーブルの主力である制御・計装ケーブルにとっては電流容量が多少変化したところで、元々mAオーダーの電流しか流しておらず、ケーブルの仕様の100分の1以下であることも珍しくはないため、設計条件が極端に厳しいということが無い
  • 仕上外径(被覆を含めた見かけの太さ)も殆ど変らない

なお、東海第二の日本側サブコントラクターだった日立も、日立電線が1974年中に試験設備を設け、難燃ケーブルの製品開発に着手している(『日高工場史』 日立電線 1979年)。

だが、発注者の日本原電にはこのような動きの形跡が全く見られない。

【6号機の難燃ケーブルを採用後、両プラントの建設工程が引き伸ばされた】

更に不思議なのは、IEEE 383-1974制定後、建設工程の大幅な引き伸ばしという「チャンス」があったのに活用しなかったことである。

着工前の運転開始予定は上述したが、着工が遅れたため、1974年時点では両プラントとも、既に工程を引き直していた。

東海第二の場合、電気新聞などにもコメントしていた運開予定は契約工程で1977年8月、日立の目標として1977年5月であった(「第1章 概要」『東海第二発電所建設記録 第3編 建設工事総論』P111、他)。

福島第一6号機の場合、運開予定は1977年10月であった(「原子力時代の躍動 東電、主役電源へ脱皮」『電気新聞』1974年8月15日4-5面)。

つまり、着工から1年経過しても、両プラントの運開予定は殆ど同じだった。

しかし1975年1~2月に再度引き直された工程により、両プラントには大きな差が付いた。

工程延長の理由は主としてオイルショック以降の総需要抑制策による急激な景況の悪化、電力需要の伸びの鈍化にあったが、東電・原電共にGE側分担の詳細設計の遅延や、プラントの狭隘さによる機器や配管の干渉等の修正個所を大量に抱え、工事も当初の予定に比べて大きく後れを出し、輸入機器などの納入も遅延していた。

かなり端折った形になるが、その様子を引用してみよう。まずはプラント全体工程の延期について。

東海第二発電所建設工事における前半のヤマ場は、75年2月、原電日立のトップ会談による工程更改に対する合意であったと考えている。オイルショック、EBASCO設計の大幅遅延等目標工程の遂行が不可能視され始めた74年春から約1年間、工程問題は揺れ続けた。

(中略)

我々がEBASCOの配管計画および応力解析の遅延を知らされたのは、73年9月28日のEBASCOエンジニアリング工程会議の席上であった。(中略)EBASCOオリジナルスケジュールに対し5.5~9.5ヶ月、原電の要求に対しても3.5~7.5ヶ月遅れるという状態で(中略)原電側もことの重大性を認め、直ちに、EBASCOに工程改善の要求を出し、10月5日その結果の説明があった。すなわちEBASCOに対しては、次のような要請を行った。
(1)人を米国内で集めて増強すること
(2)必要なら日本から応援を出す
(3)残業をすること
これに対して(1)はすでに遅すぎるとして(2)の必要はないが、(3)に対しては直ちに実行すると言ってきた。また、原電最高幹部からGEの最高幹部に働きかけるとともに、福島6号より実質的に東海第二を先行させるよう要請し、さらに原電から人を出し常駐させて督促する等の具体策を実行することにした。

(中略)

(74年)12月に入り(中略)東電の福島4号の運開14ヶ月繰り延べの正式申し入れがあった。

(中略)75年2月19日、原電吉岡常務(当時)と日立綿森常務(当時)のトップ会談が行われることになり、この機会を逃しては当分工程変更の突破口はないと考え(中略)打ち合わせにのぞんだ。以下、2月19日の会談内容を要約すれば資料のとおりである

資料

吉岡常務より
NT-2(注:東海第二を指す略号)の運開は77年5月15日を目標で努力してきたが(注:この時点で当初計画の76年末より半年遅延している)困難となった。(中略)原電としては納期を遅らせないことが絶対条件であり社運を賭している。

(中略)
日立側(ワ)より
日立としてギリギリは78.6.1運開の線である。しかしこれではあまりにも遅れすぎて原電の意志に沿わないと思われるので、さらに努力してみたい。一応の目標として77年末運開とし、これに向かっていかにしたら達成できるかよく検討してみたい。

「第3章 工程の更改」『東海第二発電所建設記録 第3編 建設工事総論』1978年11月

結局、日立の要求は受け入れられ、この時点で77年末運開が目標となった。しかし実際にはさらに一年ほど遅れることとなった。

東海第二の建設記録から分かることは、73年秋には東海第二を優先することがGEに要請されたこと、ケーブルの発注遅延は問題ではなかったことである。なお、GEからの回答はこの部分の記述に無い。中村良市氏が書いていた半年遅れからの挽回となると、随分な急変振りだ。

東電についても再び中村良市氏を引用しよう。

②工期の延長
需給の落ち込みにより、電源建設工事は軒並み工期を繰り延べる事になりました。忘れもしませんが正月15日(昭和50年1月15日)突然電源計画課長から呼び出しがあり5、4および6号を1年ないし1.5年工期を延長してもらいたいという事を通告され、その理由をるる説明されました。工程表を明日までに提出せよということになりその晩は徹夜で工程表を作る羽目になりました。その時決めた運開日がその後実際に運開した日であります。

(中略)6号機はPCVの据付が完了した段階ですが、大部分の機器は現場に到着しており、また、タービンなどGEよりの輸入機器も多く1年以上どうやって完璧な状態にして保管するか大問題になりました。

6号機建屋の近くに大々的な保管倉庫を作りGEの指導のもとに綿密な保管体制にはいりました。

工期延長はいろいろな事態を起こしましたが、一方、この頃から発生したSCCに対する対策、改造を実施することができた事など、良い面も多々ありました。また6号機は設計の遅れを取り戻すことができ、(中略)その後の安定運転に寄与することが出来たとおもっております。

中村良市「原子力発電開発の道程(2)」『東電自分史第V集』P63

東電は原電よりも更に工程を遅らせ、75年1月時点で79年の運開を予定していたことが分かる。正直ベースの工程と言えよう。

難燃ケーブル採用の観点から見ても、延期は都合が良かった筈である。プラントメーカーはCCL作成を腰を落ち着けて行うことが出来るようになるし、ケーブルメーカーはその間に量産体制を整えれば良いからだ。

そもそも、時系列を比較すれば分かるように、福島第一6号機より早期に運転開始を計画していたとしても、難燃ケーブルを購入出来ない当てが無かったとは言えないだろう。

【GEによる東海第二CCL作成遅延】

上記のような工程の元、電気配線設計の要、CCLはどうだったのだろうか。

本プラントでは、EBASCOがCCLを作成したのであるが、これが大幅におくれ、最終的に実際に使用できるCCLは当初の予定より2年も遅れてしまった。このため工事工程が大幅にずれ、RPV(注:原子炉圧力容器)耐圧前の突貫工事となり、さらに耐圧後にも大量の作業が持ち越され異常状態となった。図-18にCCL入手の変遷と、それに伴う工事計画の変遷を示す。以下本図に沿って具体的に述べる。(中略)

Nt2construction_record_no3p144fig18

(2) CCL入手の督促
CCLの入手の督促は. 原電を通し再三行ってきたが、'74年8月取水口行ケーブルのCCLが発行された以外は、大幅に遅れる状況となった。唯一の取水口行ケーブルのCCLも問題が多く、実用できぬものであった。'74年8月原電からEBASCOに対しCCL入手促進を行った結果、
a) NT-2のCCLはコンピューターで自動作成する。
b) EBASCOのCCL発行期日は、
  受電関係ケーブル'74年12月末
  他ケープル'75年3月末
であることが判明した。
'74年初めにCCLの早期入手を要請しておきながら8月に至り6-9か月も遅れとなったのである。この理由としては、EBASCOIこCombinationStructure構造に対する実績経験がないため、電気関係配置の基本的問題で設計変更が続発し、電気計画全般が影響を受けたのも一因であろうと推測される(注:電源室などが狭隘でレイアウトや布設ルートを見直した)。しかし、この時点でCCLの大幅遅延を大問題として原電トップまで上げなかったのは、我々の認識の甘かったこととして反省させられる。

(中略)最終的に実用可能までに仕上げたのは76年6月末である。

この処理に当たり、EBASCOはLiaison Engineerを1名サイトに常駐させた。

原電は、'75年12月に4名、'76年1月以降1名(一部パート)が本件の処理に当たられ、日立は'75年12月から'76年6月末までに、原電と合同で行ったチェックのみで、約700人日を投入した。

結局、当初のCCL入手要求期日から2年遅れて実用可能なCCLを得たことになった。

「第3章工程の更改 4 電気計装工事」『東海第二発電所建設記録 第3編 建設工事総論』1978年11月P144-146

1974年4月の規格発行時に難燃化を決定出来なかった原因はこれだろう。図がまざまざと設計者達の時間を空費したことを示している。当時はすぐケーブル製作にかかりたかったにも拘わらず、GEがCCLの納期と設計品質を守れず、日程関係の情報も散発的にしか流れて来なかったのである。また、日立も設計変更に電気技術者のリソースが割かれ、線種の更新には尻込みしたのだろう。

なお、先の昭和電線によると納入したケーブルは約40種とのことである。日立も難燃化対象の線種を一覧化し「CVの3芯はFR-CVの3芯に書き換え」といった読み替え表を作った上で、CCLを順次更新出来た筈である。図面管理上は線種の書き換えだけなので比較的単純な作業であり、如何に発電所の規模が大きいとはいえ、設計補助者をICC(茨城コピーサービス)辺りから動員すれば、1ヶ月程度の短期で可能だったのではないか。

【日立電線難燃ケーブル開発の状況】

運開延期という千載一遇のチャンスが巡ってきた1975年から76年にかけて、日立のケーブル開発・製品化の状況はどうだったのだろうか。

東海第二関連の資料は非売品を含めてプロの技術史研究者並に調査したのだが、難燃性ケーブルへの変更を検討したという記述すら見つからなかった。昭和電線の場合はGEからの要求があったとも言及されているが、それに相当する記述も無い。

311後に起こされた東海第二訴訟の準備書面(50)「東海第二原発のケーブルの老朽化問題について」では次のような説明をしている。

論文「原子力発電所用のケーブル開発」(「日立評論」1976年3月号)では、「近年、アメリカではプラント火災の経験から、グループとしてのケーブルの難燃性、特に火災を伝搬させないことについての要求が高まってきた」、「原子力発電所の設計上想定される事故の一つとしての冷却材喪失事故に対しても安全確保上の重要項目にケーブルが取り上げられ、品質認定の基準化の検討が行われてきた」としながらも、「我が国では、この新しい規格に従い、確実に試験を実施した例はまだない」としていた。

私は原告には入っていないが、興味深い点に注目していると思う。日立電線の言う「確実に試験をした例」とは、自社の試験設備ではなく、米国認定機関での試験を指している。

一言で言えば、随分控えめなPRという印象を受ける。

なお、『日高工場史』によれば、日立は東海第二と同年に運転を開始した浜岡2号機にも(一部だが)IEEE 383-1974準拠の難燃性ケーブルを納入していた。1975年12月なのでかなり早い。

また『日立評論』の記事から半年後、日立電線は原研と共同開発した制御系ケーブルを、米フランクリン研究所に送って火災・LOCA時の試験を依頼し合格した。「電線価格との問題はあるものの」今後は本ケーブルが使用されるものと期待している旨を当時の記事は伝えている(「冷却材喪失事故時試験 米民間試験に合格 日立電線 原発用600Vケーブル」『電気新聞』1976年10月13日5面)。

そう、日立電線も制御ケーブルを開発したが、高価になったというのだ。これが、PRを控えめにした理由の一つなのかも知れない。

恐らく、昭和電線のケーブルが米国認定機関の試験を受ける前から、東電の採用を前提に製品化されたことを考えると、『日立評論』の記述はLOCA条件の厳密さを意識した、差別化策であったように思われる。

なお、東電が70年代半ばに採用した難燃性ケーブルは、昭和電線のものだけではなかった。藤倉電線も1976年に東電の形式認定を受け、福島第一6号機用に難燃ケーブルを納入している(『フジクラ100年の歩み』1987年P145-146)。このように見てくると、少なくとも難燃性については、米国の認定機関の試験にパスするよりも、まずは電力会社の認定をパスことの方が大事であったようにも読める。

よって、東海第二に難燃性ケーブルを採用したければ、日立電線製ケーブルの製品化が遅れていたとしても、日本原電なりGEが鶴の一声で海外を含めた他社製のケーブルを買わせればよかっただけである。

【日本原電が難燃ケーブルを採用しなかった理由】

改めてまとめよう。一般論としては、次のような理由を候補として思い付くだろう。

  1. メーカーに電線の開発能力が無かった。
  2. 工期が延びる可能性があった。
  3. コストアップを嫌った。
  4. 火災対策にかける信念が東電より不足していた。

以下、これら4つの仮説の正否を検討してみる。

【1】

これまで述べた理由から否定出来る。

ただし、日立電線については、生産技術に難があった可能性がある。『東海第二発電所建設記録 第3編』「第13章 電気計装」によると、次のような製造不良があったからである。

1976年11月初旬ごろCCNケープル(架橋ポリエチレン絶縁クロロプレンシース制御ケープル) の一部に、心線の絶縁体同士が粘着を生じているものがあると判明、その後の調査で、 絶縁厚などに規格外れのものが発見きれるなどがあったため最終的には粘着の発生したケープルは全数交換した。

原因はCCNケーブルの製造法にあり、PCV内に使用するケーブルについては,型式テストおよびLOCA時のテストを行うこととなっており その条件は低温加硫(100℃x 8時間加硫)方式でこれらのテストを行い承認されていた。ところが実際の製造では、低温加硫で8時間も行うより中混加硫なら160℃X5分で済むとの判断から無断で中温加硫としてしまい、粘着を生じた。

このような品質事故を起こしたにも拘らず、翌年『電気と工事』1977年8月号では懇意にしている大学教授が難燃化などの防災技術に関心を持っていることを知って日高工場を訪問した際は、技術開発の成果のみをPRし、「企業が失敗に遭遇した時どう向き合うか」という視点は皆無だった。

Denkitokoji197708p71

日立電線自身が編纂した『日高工場史』にも当事故は記載がないが、このような行為は、疑うことを知らない傲岸な技術者を生むことになる(研究家目線では、記念史を利用する醍醐味はこういう所にあるとも言えるが)。

【2】

これまでに述べた内容で否定出来る。色々書いたが、最も重要な要因は東電が採用を決めたのは工期を延長する前だったこと。その時点で両プラントの運開予定は殆ど変わらなかったこと、工期はケーブル以外の要因で伸ばされた性格がより強いことである。特に日本原電より1年遅く変えられた東電はそうだろう。

なお、東海第二にて、延焼防止剤の塗布は1977年7月~11月に施工された。ただし、難燃ケーブルを布設していた場合は、塗布が必要な範囲は大幅に減少し、5ヶ月も要さなかったと思われる。つまり、CCLの更新とケーブル製作に時間を要したとしても、延焼防止剤塗布の工程が短縮されることで、ある程度は取り返せた筈だ。

コラム
産業用のケーブルを(海外)調達した経験から述べると、まとめ買いで半年かかることは今でも珍しくない。当時の技術書には布設の3ヶ月前には発注すべきと書かれている(徳光岩夫『原子力発電所の計画設計・建設工事』 電気書院 1979年P520)。『東海第二発電所建設記録 第3編』P145によれば8ヶ月である。

逆に、余り前に発注して保管することも好ましくない。10年以上前の話になるが、ある通信ケーブルを買い置きして3年後に使用していいか聞いたところ、先輩の技術者に「腐って特性が悪くなっているからダメだ」と言われたことがある。そういう意味からすると、建屋がほぼ出来上がってきた段階でケーブルを発注すればいいのだから、それまでに製品化出来れば良いということになる。

【3】

次の記述から否定出来る。

難燃性ケーブルとしては、従来よりシリコンゴムやその他フッ素系樹脂を用いたケーブルなどがあるが、これらは耐熱性であり、かつ難燃性が高い反面、経済的には高価であることから所内ケーブルすべてに対して採用するには適していない。このことからわれわれは絶縁体としてUL規格、CSA規格の難燃性試験に合格する難燃架橋PEおよび難燃EPゴムを用い、シース材料としては燃焼時に発生するHCLを少なくし、かつ難燃性を高めたノンコローシブPVCを使用したケーブルを開発し、各種難燃性試験を行ない良い結果を得た。

(中略)この種の電線は経済性の点でも特に不利益がないことから難燃性を要求する一般分野の利用にも最適なものである。

「原子力プラント用難燃ケーブルの開発」『昭和電線電纜レビュー』1974年12月 No3 P62

昭和電線は1974年時点で新開発した難燃ケーブルはコストで問題が無い旨を述べている。上述の、1976年『電気新聞』記事の日立製制御ケーブルとは対照的だ。

ただし、一般論として、日本原電がコストを非常に気にしていたことは当時の社報からも読み取れる。そのような思考(気分)から安全性について大した考慮もせずに不採用にした可能性は否定しない。

原子力発電所の建設についてお金の面でもう一つ重要なことは建設期間が長いということです。「金は天下の廻りもの」といわれるとおり、回転してくれないことにはどうにもなりません。この点原子力発電所の建設は資金を寝かせるということでも右総代といえるでしょう。具体的な一例を東海第二についてあげてみましょう。

東海第二の工事費1880億円のうち1460億円はこれ全て借金です。仮に運開が一ヵ月遅れるとしますと、その頃は全ての支払がほぼ終わっていますから、年利8%で計算しても1460億円X8%X1/12で約10億の金利が余計にかかります。しかもここで大切なことはその分に見合う電気料金がその時に入ってこないということです。逆に運開していれば、運開直後ということで利用率50%としても1100MWX97%X24HX30日X50%で月4億KWHの電気を売ることが出来ます。5円/KWHとしても20億円です。金利との出入りだけでも差引一ヵ月30億円もの違いが生じてきます。ですから建設期間を「一日でも短くしてほしい」というのが私達資金調達に携わる者の願望です。

経理部経理課「東海第二発電所工事資金調達にあたって 」『日本原子力発電社報』1975年9月P6

また、日立電線が供給できない場合、他社製ケーブルを調達するといった手段は、供給出来ないメーカーにとっては失注である。その意味では、日立に対する発注維持が難燃化より優先された可能性はある。

その仮説を補強する証拠として、オイルショック以降は総需要抑制により、原発メーカーも電線メーカーも青息吐息であったことが挙げられる。前者の事情は「苦難の原発メーカー 運開延期で操業悪化」(『電気新聞』1975年5月23日4面)、後者の事情は「切実さ増す電線業界 不況脱出、秋か来春」(『電気新聞』1975年6月23日3面)といった記事や各社の社史で確認出来る。

なお、当ブログ記事「初期BWRターンキー契約の本当の問題点~原電敦賀1号契約を中心に~(2)」で触れた通り、ケーブル難燃化が焦眉となる10年前の1967年に和訳された『米国における電力設備の建設工事』では「他の製造者からの構成部品がターンキー契約によって製造され、購買されたものよりも望ましいことがある。」と予見されている。東海第二はターンキー契約ではないが、以前のプラント建設での契約文の特徴を随所に引き継いでいることは原電自身が認めている。

つまり、企業系列に拘り過ぎることの弊害は、とっくに指摘されていた。

【4】

これについては疑いなく断定できる。本物の熱意があれば、まだ上流工程段階だった1974年中にケーブルの変更を決断すれば良いだけだ。また、その結果として仮に工期が延びてしまうとしても、本物の熱意とは毎月10億円の追い銭よりも、例えば武谷三男が『原子力発電』(岩波新書、1976年2月)で白日の下に晒した『大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算』(国家予算に匹敵するオーダー)を天秤にかけるような態度を指すからである。

なお、工期が延びたとしても、金利を除けば半年までは問題は生じない。1970年代末の予備率はさほど高くはなかったが、電事連によれば、9電力会社合計で夏季最大電力が冬季電力を上回るようになったのは1968年以降のことである。従って、現実的なネックは1979年のピーク需要に間に合わせることであるから、運開が1978年11月から半年程度遅延しても夏には間に合ったということだ(よく運開前の発電量を当てにすることがあるが、試運転は停止リスクがあり、本当の意味で当てになる戦力とは言えない)。

運開延期による供給予備不安を払拭出来ないのであれば、工期再設定時、オイルショックで繰り延べされたLNG火力の建設を再開して調整すれば良かっただけのことだ。

【小括-40年後にふり返って-】

建設から40年近い時が過ぎ、日本原電は東海第二の再稼動に当たって、コストの増加を嫌ってケーブルその他で様々な対策費を削っている。その度合いは外部電源などにも見られるように、同業他社に比べても激しい内容である。原発を維持したいと考える人達も、「延焼防止剤や防火シートがあるから大丈夫」などと奇妙な屁理屈(それで大丈夫なら難燃性ケーブルの開発自体がそもそも不要になる)を振り回したりしないで、原電が40年前と同じ愚行を繰り返そうとしている事実を直視してはどうだろうか。

【一般社会からの批判も無視】

このような工程変更を経て、1975年12月、東海第二はいよいよケーブル布設の準備を完了し、電気室・6.9kV受電関係を皮切りに、当初計画の6ヶ月を遥かに上回る、1年半以上の期間をかけて布設を行った。

その間、日本原電は1976年頃、国内のインシデントと一般社会からの警告も無視している。

ケチのつき始めは、大きなレベルで言えば、むつ事故以来高まっていた推進と規制の分離に即座に対応出来ず、原子力安全委員会の設置でお茶を濁してしまったこと。1月の国会でも共産不破氏から性急な開発への批判があったが、三木首相は規制強化を約束するのみで、内閣自体も秋に降ろされてしまった。

具体的なレベルの言及となると、今では原発批判の古典となった『原子力戦争』とこれまでの出来事が対比出来る。

「『展望』連載のドキュメント・ノベル、面白く拝見いたしました。ところで、(注:1976年)四月上旬の夕刻、東京電力福島第一原子力発電所二号炉で起きた火災事故のことをご存知でしょうか。正確に申し上げますと、初旬とは、二日、午後七時半頃。場所は、二号炉建屋内の(中略)メタクラと呼んでいる電気室。メタクラには何本もの太い電気ケーブルがあるのですが、燃えたのは直径10センチのケーブル三本で、中に約一五百本の導線が走っているのです。この火災は五十本の消火器で消しとめられ、その後、三交替による二十四時間突貫作業での修理がおこなわれ、終了するまでに四日間かかっています。もちろん会社は火災事故のことは秘密裏に処理し、消防署への連絡も禁じました。

この処理の方法は、”公開”の原則に反するのはもちろん、日本の原子力産業の発展のためにもはなはだ感心できません。何でも秘密にしてしまう姿勢が、国民の疑惑をなおのことエスカレートさせ、原発開発をいっそう遅滞させる原因になるに違いないからです。それ以上に、私がこの事故を看過できないのは、去年、一九七五年三月二十二日に、世界最大の規模を誇るアメリカのブラウンズ・フェリーの原子力発電所で、やはりケーブル火災が起こり、(中略)防火対策がまるでなされていないことを露呈したものでした。」

「美浜一号炉燃料棒事故の疑惑 田原総一朗の報告」『原子力戦争』ちくま文庫版 P310

このくだりは小説仕立てではなく、完全なドキュメントとして書かれている。田原氏に告発の手紙が届いたのは4月21日だったが、5月12日には毎日新聞その他で「ボヤだった」として(渋々)公表されている。

『原子力戦争』を読んだことがある人は分かると思うが、原発批判の他に、味方陣営同士・告発者とジャーナリズム間での疑心暗鬼が随所に描かれている。田原氏もこの事故よりも題名の通り、美浜の事故の方に関心を向けてしまい、その評価は軽いものだった。

40年経って東海第二に関する記録と時系列を合わせることで、この告発の価値が浮かび上がる。『原子力戦争』は1976年6月に刊行されたが、例え東電が同業他社に情報隠しをしていたとしても、この事故が世間一般レベルでも問題視されたことを原電も日立もGEの日本支社も皆、知り得たということだ。何故なら反対運動の動向を監視する目的もあり、こういった原発批判本は会社として(総務・企画部が)必ず購入するものだからである。新聞報道のスクラップも同様だ(普通はファイルするし、私は、東電がスクラップしたファイルの現物を目にしたこともある)。個人的に関心を持って購入した社員達もいるだろう。

にもかかわらず、原電は東電に追従すらせず、東海第二のケーブル仕様を変更しなかった。理由は『東海第二発電所建設記録』「第4編第13章電気計装」に掲載の工程と比較すればはっきりしている。上述のように、既に布設工事に入っていたからである。特に1976年8月以降、1年余りの間、全系統で布設の華僑を迎えていた。今更世論を気にして線種を変更・再手配する余裕は無かった、といったところだろう。

このチャンスをフイにしたことが、告発者の警告通り、その後の原電の隠蔽体質・ケーブル問題に大きく影響していることは2018年の今、改めて指摘すべきことだろう。古い資料を活用したければ、このように工夫を加えれば良い。

【採られるべきだった対策とは】

とは言え、原電や日立だけを責めれば済む、という訳でもない。

【早期に、正直ベースの工程を報告する】

設計の遅延という内部的な要因には、GEの納期遅れ、設計品質の低下が係わっていることが多く指摘されている。日本側文献が情報源の大半を占めているからかもしれないが、中村良市氏は過去のGEと比較してもレベルが低下していると嘆きを残している。

一般論として、そういう状況が主要アクターのどこかに発生することは避けられない。従って、そういう状況に陥った場合には、プロジェクト完遂(この場合運開)までの、正直ベースの見通しと課題を早期に立てるべきだろう。そうすれば、他のアクターもその予定を前提に策を講じていく。福島第一6号機はそれを行ったおかげで、ケーブルに限らず、様々な設計の見直し・改善を盛り込めたとされる。

一方『東海第二発電所建設記録』を読むと、IEEE 383-1974が制定された時期、納期遅れの情報は小出しとなっていた。

【共同研究する】
電力会社は1970年代より重要な技術課題は会社の枠を超えて関連メーカーにも呼びかけ、『電力共通研究』(略称:共研)として取り組む習慣があった。過去に実施された共研のリストはネットで公開されていないようだが、年に1つか2つしか取り上げない、という類のものではなかったと記憶している。

しかし、現状で1970年代にケーブルの難燃化が共研にリストアップされたという情報は入手出来なかった。あれば、電力の建設記録や電線メーカー各社の社史に記述される筈だが、規格対応は各社ばらばらに動いている。後に電気学会が研究会を作ったが、報告が発表されるようになったのは1970年代末で、そこでの知見が福島第一6号機向けケーブルに間に合ったかは怪しい。

この様なやり方は資本主義的には正しいのだろうが、重大な事故に直結する安全技術の導入には不適当な手法である。もし共研の対象にしていれば、より互換性の高い標準ケーブルを複数のメーカーで生産することで、二重三重の開発コスト負担を避けることが出来たと考える。そういった開発方法は国鉄や電電公社など、官公需系ではしばしば見られるものだ。ケーブルメーカー各社の社史を読んでいても、他分野ではあった。

『財界地獄耳』(東京スポーツ新聞社 1981年3月)では日立製作所の苦境について、『週刊東洋経済』1980年新春特大号を参考にしながら解説している。それによると、日立・東芝共原子力部門の収益は長らく赤字で、1980年頃に漸く期間損益で黒字に転換したのだという(勿論、本書が出る前からメーカーの損益に関する情報は業界紙でも断片的には示されていた)。私は原子力部門ではないとは言え、メーカー側技術者であることを断った上で書くが、収益が長らく赤字だった理由の一つは、電力が負担すべき開発コストから逃げていたのではないかという疑問も沸く。

【国策なら、安全投資は国で助成する】
また、国費による支援の貧弱さについても当時から指摘されていた。一般向けの代表例は田原総一郎『生存への契約』(文藝春秋)で、難燃ケーブルの開発完了後の1981年に出版されている。同書では技術開発に手厚い支援を行った西ドイツの事例を提示していた。恐らく、原産会議の誰かが、「このままでは日本の原子力技術の自立・優位性獲得に支障する」と危機感を持ち、田原に取材協力したのではないだろうか。

一般向けが1981年とするなら、業界向けの刊行物での問題提起は当然それより速かった。特に、傍流系統のメディアを読み返すと意外な程の的確さに驚かされる。

例えば『原子力界』というB5版で毎号20頁程度しか無い刊行物があるが、第8号(1976年8月)には、「日本の工業技術開発力は高くない」というタブーの存在や、原発推進と称して電力会社を煽動しながら寄生し、集金活動を行う児玉誉士夫的な人物が批判的に言及されている。まるでアゴラ系を想起させる内容だが、それが出来なかった事例に東海第二のケーブル問題も連なったということだ。

【規制は、経過措置を安易に認めないようにする】
1970年代、日本の規制機関は配管材料などには非常に注意を払っていたが、火災防護については(結果として)いまいちだった。当然反省すべきことである。

日本の規制が期待出来ないと外圧に頼らざるを得ない。ただ、前回述べた事情から「アメリカの規制の方が優れていた」とは言えなさそうである。

関連することだが、以前、敦賀1号機のターンキー契約について調査した時、US Licensable条項について触れた。米国の規制機関がGE製の原子炉に対して安全上追加を要求した設備は、着工後であっても、敦賀にも無料で設置するという条項である。

NRCが発行したRegulatory Guide 1.20,Fire Protection Guidelines for Nuclear Power Plants(June 1977)では建設中プラントに対して日本同様、難燃性ケーブルの採用を義務付けなかった。東海第二にUS Licensable条項の有無を示す資料は見つけられていないが、あったとしても、有効な手にはならなそうだし、だからこその現状だろう。とても残念だ。

東海第二に直接かかわるところで言えば、1975年5月、原子力委員会による「原子力発電所周辺の線量目標値」の決定によって、ALAP(As Low As Practicable,後年のALARA)対策としてシステムの追加・改良を行った件は、規制運用の歴史事例として注目に値する(「8.2.3 新技術の開発・適用」『日立工場七十五年史』1985年12月P388)。

ただし、BWR-5のラサール1号機が1984年の運開である事実と照らすと、経過措置の運用は日本より厳しかった可能性もある。経営の論理による工期短縮要求は同じでも、米国の場合は供給予備率が常時20~30%あるため、余り追い込まれない環境で建設できたことは影響しているだろう。日米ともに言えるのは、最初が肝心であり、経過措置を無闇に認めるべきではなかっただろうということだ。

【参考】

本文に記載した以外を含め、下記を参考にした。

  • 「原子力プラント用難燃ケーブルの開発」『昭和電線電纜レビュー』1974年12月 No3
  • 「第8章4 原子力・防災用ケーブルの開発」『昭和電線電纜50年史』1986年5月
  • 「第2章」「第5章第1節 絶縁線(その1)」『日高工場史』1979年9月
  • 「ケーブル配線の防火区画貫通部の防火措置工法」『電気と工事』1977年5月
  • 「「電線・ケーブル製造工場」見学記」『電気と工事』1977年8月
  • 「II 3. 原子力分野への展開」『フジクラ100年の歩み』1987年12月
  • 「電線路の難燃防火対策と動向」『電気学会研究会資料』電線・ケーブル研究会 1991年3月
  • 「第2章 新事業部の分離独立」『住友電工百年史』1999年2月
  • 「1.序」『東海第二発電所設備概要』1972年12月
  • 「東海第二発電所設置許可おりる」『日本原子力発電社報』1973年1月
  • 「新春座談会 東海第二発電所着工にあたって」『日本原子力発電社報』1973年1月
  • 「東海第二発電所工事資金調達にあたって」『日本原子力発電社報』1975年9月
  • 「第3章 工程の更改」「第13章 電気計装」『東海第二発電所建設記録 第3編 建設工事総論』日立製作所 1978年11月
  • 「第2章第3節 工事契約」『東海第二発電所の建設』日本原子力発電 1984年3月
  • 中村良市「原子力発電開発の道程(2)」『東電自分史第V集』1995年11月
  • 「8.2.3 新技術の開発・適用」『日立工場七十五年史』1985年12月
  • 「原子力発電所用ケーブル開発の現状」『日本原子力学会誌』1978年1月
  • 「4.2.4 ケーブル工事」『原子力発電所の計画設計・建設工事』1979年
  • 「美浜一号炉燃料棒事故の疑惑 田原総一朗の報告」『原子力戦争』ちくま文庫版(原著1976年6月)
  • 「日立製作所」『財界地獄耳』東京スポーツ新聞社 1981年3月
  • 福島第一原子力発電所の沿革(東京電力)
  • 東海第二発電所(日本原子力発電)
  • 燃え上がる可能性のある原発が10数機・・毎日新聞のお年玉 [原子力規制委員会、指針・基準]」『畑のたより、環境・核篇』2013年1月6日
  • 東海第二原発のケーブルの老朽化問題について」『東海第二訴訟準備書面(50)』2017年7月

※2018年5月25日深夜~26日深夜:タイトル変更、本文校正。内容追加。
※2018年5月28日深夜:1974年時点での運開予定追記。
※2018年5月31日【4】、記事末尾に供給予備率に関する記述を補足、一般社会の批判に三木内閣の件追記。

2018年5月 6日 (日)

その後のブラウンズフェリー原発1号機~再稼働への道程~

東海第二のような非難燃性ケーブルで施工された1970年代の原発の規制を考えるにあたって、ブラウンズフェリー原発1号機の事例は注意を払う価値があるように思われる。

既に様々な資料で紹介されている通り、1975年3月22日、稼働2年目の新鋭機だったブラウンズフェリー1号機で、蝋燭の火を発火源とするケーブル室の火災事故が起き、原子力発電所の防火対策を大幅に見直される契機となった。

だが、その後のブラウンズフェリー1号機の顛末については、日本では断片的なニュースの継ぎ接ぎであり、よく知られていないと言って良い。彼等は何をどこまで教訓化していったのだろうか。

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ブラウンズフェリー1~3号機(TIMES FREE PRESS

実は、1号機は22年の運転休止を経て2007年に再稼働を果たした。2017年、国会でも参考としてその名前が挙がっている。以下、私が収集した資料の中からそれぞれの時代の同機の状況、およびNRCや所有者であるTVA等の動向について、時系列順に書き下してみた。

また、当時の難燃ケーブル製品化状況を踏まえ、東海第二問題を考えるための教訓を抽出したい。

【着工から火災事故修理まで】

TVA(日本で言えば電源開発のような、元は水力中心の国策会社)が本機の炉形選定、見積徴収などの検討を始めたのは1965年のことだ。その後10ヶ月の審査を経た後1967年5月に建設許可発行され、87ヶ月の建設期間を経て1974年に運転開始した(「軽水炉原子力発電所のコスト解析(米国)」『海外電力』1979年3月号P47)。東海第二に比べると4年程古いプラントで、時期的には福島第一2号機とほぼ同じである。そして翌1975年に火災事故を起こして運転を停止した。

1970年代末の電設関係専門誌には、ブラウンズフェリー事故を意識している例が少なからず見られる。

それは、1973年11月の大洋デパート火災などに代表されるように、国内においては高度成長によるビル建築の急速な普及の反面、一般防災対策においても防火対策の不備が問題視され、海外先進国でも似たような事情があったからである。そのため、ケーブルの延焼防止策、電気機器の不燃化を法改正等で規定する流れは、原子力発電所に限ったことではなかったのだ。

この火災の後でNRCは事故の究明と対策に立ち上がった。その結果、改善勧告および火災復旧計画が作られた。改善勧告には火災の直接原因と経過およびその遠因となった工事の不備と設計の欠陥を詳しく調べ、改善対策に参考になる事項を説明している。これらによると両方の文書に延焼防止塗料としてフレイムマスチックを使用することを指定した。これらからわかるとおり海外では自由諸国および共産圏を含めて電線ケーブル延焼防止塗料が広く使われている。

加藤義正「延焼を防ぐ屋内電路のレイアウトと改造」『電気計算』1979年6月P200

※大成建設 建築設計部

このように、事故直後に提示された防火対策はアスベストを含有するフレイムマスチックという延焼防止剤をケーブルトレイに塗布することであった。

NRCは本機事故以降、火災防護の基本的考え方として、火災を発生させないこと、発生した火災を速やかに検知し消火すること、火災による損傷の規模を最小限に抑えることという、深層防護の考え方が取り入れた。各要件はNRCの主管部署の技術見解書(Branch Technical  Position  APCSB9.5-1)として1976年5月1日に発行され、その後に正式な規制(10CFR50.48及び10CFR  Appendix  R)として1981年2月17日に施行された。1号機は下記のように1976年9月24日に系統に復帰(運転再開)した(『平成27年度発電用原子炉等利用環境調査(原子力発電所の継続的な安全性向上のための動向調査)』日本エネルギー経済研究所 2016年3月P27-28)。

当時の原子力技術専門誌が注目したのはRegulatory Guide 1.20,Fire Protection Guidelines for Nuclear Power Plants(June 1977)の発行であった。この中で、既設プラントは延焼防止剤を塗布する旨定められていた。難燃ケーブルの使用するように明記したのは新設プラントに限定された(「原子力発電所におけるケーブルの延焼防止対策」『FAPIG』1979年7月号)。

一方、本機の修理については、IEA(Institute for analysis)がEPRI(米電力中央研究所)の委託により実施した、「原発長寿命化における技術的可能性の調査」に載っている。概要を和訳した『海外電力』記事から引用しよう。

電気ケーブルの劣化はケーブルメーカー、基準制定機関(例えばIEEE,NRC,ANSI)およびEPRIや国立研究所のような研究機関を含む多くの機関にとって、興味のあるテーマである。原子力級のケーブルはほとんどの場合、加速劣化後のLOCA時においても、十分な性能を保てることが試験によって確かめられており、またこの性能が40年の運転期間中にわたり十分維持されるとされている。しかし加速試験の根拠となるアルへニスの理論(引用者注:アレニウス?)は非常に疑問視されており、このことは現在のEPRIの電気ケーブルに関する研究の大きな動機となっている。EPRIの計画では原子炉建屋に置いたケーブルの試験片を、定期的に取り出し人工的に加速劣化させた試験片と比較することにしている。

必ずしも典型的な例とはいえないが、アラバマ州TVAのブラウンズフェリー原子力発電所でおこったケーブルトレイの火災では、大規模なケーブルの取り替えを必要とし、ユニット(注:号機に相当する表現)全体のケーブルの約30%を交換した。このケーブルの取り替えには約18か月の期間と約1億ドルの費用を要した。

原子力発電プラントで使用するケーブルの耐用期間は、加速劣化試験をベースにして約40年である。しかし、これより長い寿命を持つケーブルを開発しようという動きは現在のところほとんどないため、より長い寿命をもつケーブルの商業ベースの開発、試験、および現存するケーブルが40年以上の寿命をもっていることの立証等は、原子力産業界で対応しなければならない状況にある。このため新しいプラントの設計に当たっては、特に温度が高く、高放射線下でもケーブルの交換が簡単にでき、また魔モニターおよび試験のためのケーブルの設置も容易にできるような設備側の配慮がなされるべきである。

「原子力プラントの長寿命化への展望(アメリカ)」『海外電力』1986年5月P33-34

なお、連邦動力委員会(FPC)に提出されたデータによれば1号機の建設費は1976年換算で1065[MWe]X421.63[ドル/kWe]X1000=449,035,950ドル=4.5億ドルである(「軽水炉原子力発電所のコスト解析(米国)」『海外電力』1979年3月号P47)。この計算からは、当時の1億ドルは建設費の5分の1近い相当な額であると見込まれる。もっとも『エネルギーレビュー』1991年7月号P48には1号機は建設費10億ドルとの情報も書かれている(初号機特有の、付帯施設込みの価格だろうか)。

ただし、上記の記事だけでは具体的な延長は分からない。難燃か非難燃かも不明だ。ただし、火災が起きた事情や焼損区域は配線工事のやり直しという点で新設みたいなものであるから、難燃ケーブルが使われたのではないかと推測する。

米国メーカーは事故前に難燃ケーブルを製品化か】

なお、1970年代中盤時点で難燃ケーブルは製品化されていた。

その理由は、1975年の本機事故以前より、小規模なケーブル火災は米国の原発でもたびたび発生していたから。後述の『昭和電線電纜レビュー』記事によると、特に1965年のビーチボトム原発での火災が開発促進の契機になり、原子力発電所用ケーブルの規格としてIEEE Std 383-1974の制定がなされた。それに合格することで難燃性を保証することが可能になった。なお、規格上の寿命は40年と、一般的な原子力プラント寿命に整合している。勿論、こうした規格は重複する内容で別の団体が制定するのが日常茶判事で、当時もANSIやJISなどで類似の動きはあった。また、それぞれの規格改訂もあるので、今の目で見て難燃性と言えるかは保証の限りではないが、何の考慮もしていないケーブルに比べれば大違いであろうことは、誰でも分かる。

原子力用難燃ケーブルを、最初に製品化したのは米国メーカーであった。初期の報道で確認したのは「原発用ケーブルを試作 日立電線原研高崎 今後、対米輸出に期待」(『電気新聞』1975年2月5日5面)。アナコンダ(Anaconda Wire and Cable Company)、オコナルト(Okonite Company)、セロ、レイケム等は日本メーカーに先立ってIEEE Std 383-1974に合格していると考えられていたという。セロは確認できなかったが、残り3社は(当然かもしれないが)米国メーカーであった。各社は電気協会に電線カタログを送ったのだろう。

日本では米国に続く形で昭和電線、古河電工、続いて日立電線などが実用化し1970年代後半積極的に論文を投稿していた。技報で最初期のものは「原子力プラント用難燃ケ-ブルの開発」(『昭和電線電纜レビュ-』1974年12月)。他に「米国型原子力発電所(BWR,PWR)用ケーブルの燃焼性」『FAPIG』1976年8月号では同規格での燃焼試験をパスした製品のラインナップを目的としている。「難燃ケーブル「ダンフレーム」」『古河電工時報』1977年1月も同趣旨の記事である。両誌でのケーブル火災対策に関する技術紹介はこの後数年間高頻度で続いている。

住友や藤倉は殆ど調べ切れていないが多少の時期の違いを除けば大同小異であろう。

ここでは本機の来歴に係わる所を述べるため、日本メーカーのケーブル難燃化対応が遅れた経緯などは別に記事を設けて述べたい。

【ケーブル交換範囲が3割に留まった背景】

上述のように、最初の再稼働に当たって、本機のケーブル交換範囲は3割に限定された。直接的な要因を書いた文献は未発見だが、背景要因としてはTVA、NRCの双方に理由があったと思われる。

原子力発電所の設計と建設は、以前に比較して大幅に複雑化している。すなわち、設計に必要な種々の解析が複雑化し、政府等へ提出する資料等も大幅に増えると共に、解析等の精度の向上が要求され、更にもっとも厄介な問題として規則等の頻繁な変更等がある。そのため、原子力発電所の設計に要するマンパワーは増える一方で、石炭炊き火力発電所と比較しても相当多くのマンパワーが必要になっている。

すなわち、1973/1974年(運開時点)で、原子力は石炭火力の倍のマンパワーが設計に必要であったが、これがセコイヤ(注:1981年)、ベルフォンテと進むにつれ、さらに増えている。

(中略)ここで当然「このようなコスト高を導くような、規則等の増加は、コスト的に正当化されるのだろうか」という単純な質問にぶつかる。例えばセコイヤ原子力発電所をとってみても、その設計と建設に必要なマンパワーの予測は、予測を行なう毎に増加しており、特にTMI事故後の増加は異常とさえ言えよう。

「TVA原子力発電所-建設の現状と提言-」『アトム』1982年4月P47

他にも資本費のかかるプラントを建設しているということは、一般論として財務体質の悪化は避けられない。こういう状況では現状復旧的な計画とせざるを得なかったと思う。

もう一つの理由は、NRCが発足から10年程の間、バックフィット規制の厳格な運用を怠っていたからである。

最近、90年代までのNRCの実情を記したレポートをいくつか入手した。作成者が明記されていないが、東電や電事連はワシントンに事務所を持っていることが知られている。恐らくそのスタッフが現地情報を要約したかレポートを翻訳した物であろう。

1970年代にNRCは10CFR50.109「バックフィッティング」を承認した。この趣旨は原子力発電プラントの新しい要件を国民の安全を十分に高めたもの(リスク重点規制)に制限することだった。「バックフィット」とは電力会社により要件の増加をもたらすような既存規制を新しくまたは修正した規制、あるいはその新解釈をさす。

NRCは何年もかけ、リスクの重点の姿勢にバックフィッティングを重ね補う方針や手順をいろいろと制定してきた。しかし1985年のNRC調査で、実際にはNRCはバックフィット規則を基本的に無視してきたことが結論づけられた。バックフィット規則はその後さらに明確にされるため改訂された。

「合衆国原子力発電所におけるリスク・ベース規制」1995年4月 P6

その後TMI事故が1979年に発生し、その際にも被水や熱影響等で機能しなかったケーブルがあったことが問題視されたが、本機は停止されなかった。この時期は、非難燃ケーブルを多用した防火対策の不十分な原発でも運転を許可していた。日本の規制当局と同じく、鈍かったのである。

【運転休止】

しかし、1985年3月に本機は3号機と共に運転休止に追い込まれた。後年、運転再開を報じた原産新聞の記事によると、1984~85年にかけて、格納容器漏洩率試験の不合格、原子炉水位計装に関する問題など、安全上の問題が次々に指摘されたことが決め手であったという。2号機は先年の8月に停止していたから、以降本所の全号機は数年に渡り稼働しなかった。

【閑話休題-NRCと産業界の対立-】

経産省が実施している動向調査などを読んでいても、NRCと産業界の安全とコストを巡っての駆け引きに関する記述は結構書かれているものである。

先の『アトム』記事でTVAは航空産業に品質管理手法を学ぶと主張していたが1988年にフォード・米国日産出身のラニヨン総裁が就任すると、2000年代の電力需要の伸びを期待し、原子力推進の姿勢を前面に出し、NRC対応の許認可対応の他、PAも重点施策となった(「米TVAラニヨン総裁は強調する」『エネルギーレビュー』1991年6月)。

この間、本所は6年かけて13億ドルを投じて改修を続けた。2号機は1991年に運転再開を認められたが、反対派からはNRCは火災防止基準を免除するための甘い解釈をしたなどと批判されていた。なおこの時点で3号機は1995年の再開予定であり、実際とさほどの違いは無かったが、1号機は1999年と実際に比較しかなり楽観的な工程が建てられていることも特徴である(「ブラウンズフェリー原発の操業再開へ」『エネルギーレビュー』1991年7月)。

米国の原子力界が最も落ち込んでいたこの時期、TVAは同国唯一の原発推進事業者として(助成こそ受けていないものの)国策の一端を担うことを自負していた。TVAは本機に限らずセコイヤやワッツバーでも長期の運転停止・建設中止からの再開に漕ぎ着けることになるが、このタイムスケールの感覚は、日本のダム業界関係者にも通じる執拗さを見て取ることが出来る。

運転休止から10年後の話だが、次の実例も入手したので紹介しよう。

『停止時及び低出力運転リスク 米国産業並びに規制サイドの見解』(1995年4月)には停止中の安全余裕を増加させるためNRCが規則化を図った際、米原子力産業界が反対したことが記されている。ここで言う安全余裕とは、停止している際でも2台ある非常用発電機を同時に分解点検してはいけませんよ、1台は生かしておくようにとか、溶接作業を伴なう場合は定められた養生や仮囲いをせよといったものをイメージして貰えればよい。中には恒久的な設備を求められることもあるが、この場合は点検の段取りの変更などで済む物ばかりで、NRCも追加のコストは少ないかゼロと主張していたが、産業界は古いデータに基づく規則化であり、定検期間が伸びるなどコストがかかると反対した。

提案規則の番号まで載っていたが、NRCのHPで10CFRをチェック(※)すると当該番号には全く別の規定が書かれていた。バックフィットの件とは異なり、結局NRCが押し切られたようだ。

※NRC Library > Document Collections > NRC Regulations (10 CFR) > Part 50—Domestic Licensing of Production and Utilization Facilities

表面的な米原子力業界擁護を国内に持ち込む論調には注意すべきだろう。特にNRCが産業界に押し切られているケースについてはもっと掘り起こしが求められる。

【大規模改修と再稼働】

転機は拡大基調を続けた電力需要と、原子力ルネッサンスの到来であった。TVAは1号機の運転再開スケジュールおよびコスト評価を実施。2002年5月、1号機の運転再開を決定し、18億ドルを投じて、同機の大規模な改修工事に着手した。当時のレートを単純に1ドル100円とすれば、1800億円の巨費を投じたわけだ。原産新聞も「規模としては新規建設にも匹敵するもの」と伝えており、エンジニアリングおよび技術サービスをベクテル・パワー社が、改修作業をストーン&ウェブスター社等が担当した。

2006年5月には1号機の2033年8月までの運転期間延長(20年延長)が、2007年3月には115万5,000kWへの出力増強(5万7,000kW増)が、NRCより認可された。出力増強はこればかりではなく、2004年6月、1~3号機の128万kWへの出力増強(各12万5,000kW増)を申請した。

そして2007年5月に再稼動したのである。

原産新聞だけでは情報が少なすぎるので更に調べた。ケーブル関係は機械学会の報告によれば次のようになっている。

内容は難燃性ケーブルの採用、ケーブル貫通部への防火シールの施工の他、延焼防止塗料の塗布も採用されている。安全に関係するところは、50%以上、EQ(Environmental Qualification,耐環境性能検証。NRCによる解説リンク)は全て、Paper Work(品質管理文書)が無いものは全て交換し、ケーブルの分離(トレイン毎)も行っている。

機械学会報告では交換したケーブルの延長は100万フィートとなっている。これは海外の専門メディアNEIの記事にある200マイルとほぼ合致する。メートル法では320㎞となる。ただしべクテル社のプレスリリースでは150マイルと若干少なめの値となっている(べクテル分担分と解するべきだろう)。

海外の文献を見ても、ケーブルを難燃化した背景は専ら防火対策との絡みと思われるが、経年劣化対策の先取りとして更新した面もあると思われる。

高経年化に当たって劣化予測を研究していた1990年代、海外でも概略次のような問題が知られていた。

原子力発電所の寿命延長を阻害する可能性があるために解決されなければならない技術問題として次の5つが特定され、これらの問題を解決するための研究活動が各国あるいは国際協力の下で推し進められている。

(1)原子炉圧力容器の照射脆化問題
(2)炉内構造物の粒界応力腐食割れ(IGSCC)
(3)クラス1配管の疲労問題
(4)電気ケーブルの環境性能検定(EQ)問題
(5)格納容器の接近不可能な個所の腐食問題およびコンクリート構造物の劣化問題

(中略)(3)、(4)および(5)の問題の対象である配管、電気機器(電気ケーブル)および格納容器は構造的にパッシブなものであることから、多くの場合、総合的な検査が行えず補正補修に頼っている状況にある。疲労による金属材料劣化は電気機器の経年劣化に比べはるかに研究の進んでいる分野である(中略)一方、電気機器に関しては、性能検定試験で用いられた人口劣化手法の不確実性や異なるメーカーによって製造された製品の違いのために性能検定そのものに問題のあることが指摘されている。

矢川元基「原子力プラントの高経年化対策‐格納容器を中心に‐」『第28回原子力発電に関する特別セミナー』1997年2月 原子力安全研究協会 P68-6
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1990年代当時、劣化予測技術が金属材料に比べて遅れており、製品仕様によって異なることもネックだったのであれば、予防交換してしまうのが手っ取り早く安全を確保出来るのは簡単に予想出来ることだ。

【その他の改修】

勿論、本機に加えられた改修はそれだけではない。2000年代前半までに実施された各種の安全強化策が本機にも適用されたようだ。18億ドルという改修費はそれらを織り込んでのものである。

311後NEIが公表した資料によると、主な改修として同型のBWRには下記が施されていたという。

Major Modifications and Upgrades to U.S.Boiling Water Reactors with Mark I Containment Systems.

1.  Added spare diesel generat or and portable water pump – 2002
  (予備ディーゼル発電機および可搬式ポンプの追加)
  ※『アメリカから見た福島原発事故―原因追究』 ETV特集 2011年8月14日によれば
ディーゼル発電機は水密化されている。
2.  Added containment vent – 1992
  (格納容器ベント)
  ※:米国でも規制要求ではなく、311後追加するか議論が紛糾している(『海外電力』2013年5月)。
3.  More batteries in event of station blackout – 1988
  (全電源喪失時に備えた蓄電池の追加)
4.  Strengthened torus – 1980
  (圧力抑制プールトーラスの強化)
5.  Control room reconfiguration – 1980
  (制御室の再構成) 
6.  Back‐up safety systems separated – 1979
  (予備の安全系の分離)

”U.S. Nuclear Power Plants Reconfirming Safety, Response Programs in Light of Japan Situation”NEI April 2011 P3

この内、311前に東電が実施していた事項は1の内ディーゼル発電機増設、2、4、5である。6はちょっと分かりかねる。東海第二の場合はHPCS用ディーゼル発電機を予備としてカウントしたため1は無い。

1については『諸外国における規制制度改善に係わる動向調査・分析』(日本エヌ・ユー・エス,2012年)P2.1-8によれば追加されたディーゼル発電機による全電源喪失耐久時間は最も長いプラントでも8時間とのことであり(本機は不明)、現在の日本の設備構成と比較すると不安の残る時間であった。もっとも、当時の米原発は事前に予想が可能な気象災害の場合、可搬型の非常用発電機をレンタルしていた。可搬型であることはともかく、地震津波に備えるためのレンタルは予知が不可能である以上、非現実的である。

5の制御室の再構成はTMI事故のヒューマンエラー対策だろう。東電の場合も30年史に記載している。画像で比較してみよう。

まず、UCSのブログに載っている1970年代の1号機制御室を示す。

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Dave Lochbaum, director, Nuclear Safety Project ”Fission Stories #16: Candle in the Wind”UCS October 19, 2010

次に、再稼働の際、ブッシュ大統領が訪問した時の写真がホワイトハウスのウェブサイトに載っていたので示す。

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President George W. Bush tours the control room at Browns Ferry Nuclear Plant Thursday, June 21, 2007, in Athens, Ala. White House photo by Chris Greenberg

中央に原子炉操作盤を配し、その両脇に弓状に補機盤を置く配置はこの世代のGE系BWRに共通するものだが、福島第一で見たような、第一世代制御盤のコア表示を撤去しモニタに置き換えたものに比べると趣は異なる。コアは撤去されていないが、チャートレコーダ (記録計)に代わって計測用途と思われる小型モニタを使用したペーパーレス記録計が横一列に配され(保守性は良さそうだ)、別途モニタも増設、第二世代制御盤に近づいた印象を受ける。補機盤のスイッチ類も統一された規格に沿ってるのか、綺麗に色分けされている。一時期地震対策として東北電で自慢の種に喧伝された、取手も追加されている。日本のBWRで実施された改修よりは規模が大きいかも知れない。

いずれにせよ、311前に国内BWRで改修されていた内容+増設蓄電池、可搬式ポンプ、ディーゼル発電機室水密化工事が加わっている。ただし、これまで収集した資料では電源室や建屋全体にわたる水密化なのかは分からない。2011年の竜巻報道の際のコメントを読む限りでは、敷地高を超える洪水に建屋ごと水密化しているとも解せる(第46回「米国でも福島第一1号機と同型炉で「外部電源喪失」事象-巨大竜巻が送電線を破壊」『ベンチャーエンタープライズセンター』2011年5月2日)。

このような曖昧さが残っているのは、現地記者や日本側インタビュアーの能力に原因がある。公表されたリリースを鵜呑みにする人がいるが、それは間違いだろう。

逆に、ブラウンズフェリーで行っていないが東海第二で検討を要する事項は耐震補強、津波対策、航空機衝突対策等である。ブラウンズフェリーはプレート境界に位置しておらず、この差は仕方ない。しかし、建設時は近隣に旅客機や空軍機の飛行場も見当たらないので仕方なかったにせよ、その後、自ら世界中に敵を生み出し、911を経験した国の航空機衝突対策が殆どなされていないように見えるのは奇異である。なお、建屋の上部に青く塗装された膨らみが見えるが、ansnuclearcafeの沿革に載っている古い写真から、元からあるものと分かる(もし何がしかのハード的改造を実施しているなら、是非改修見積もりの参考にすべきだろう)。

【固有の設計欠陥】

上述の改修によっても除去出来ない固有の設計欠陥がこの発電所にはある。建物としては3機の原子炉を一体の建物に収めていることだ。誰か指摘しなかったのだろうか。

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Browns Ferry Nuclear Plant” National archives at Atlanta

オイスタークリーク計画発表後の第二次原子力ブームにて、GEはマークI型の格納容器を使用した原発を大量に受注したが、一部にこういった二コイチみたいなプラントがある。代表的なケースはインドのタラプール原発で、日本とは福島第一1号機の試験時、GEが同所の当直長を指導者として派遣した縁がある(『共生と共進-地域とともに-福島第一原子力発電所45年のあゆみ』P134)。

本所の場合、格納容器まで半一体化しているタラプールよりはマシだが、建屋への水素漏洩時に3機まとめて吹き飛ばされるリスクや、1機が爆発した際に隣接機が近すぎて巻き添えになるリスクを負っており、本質安全上とても危険であると思う。

なお、空撮から判定しただけではあるが、米国内にはツインプラントで一体化した建屋に収納されていると思われるプラントとして下記があり、全てBWRである。

  • ドレスデン2,3
  • クアド・シティーズ1,2
  • ラサール1,2
  • サスケハナ1,2

なお、3機で一体収納されているのはブラウンズフェリーのみ。なお日本国内では廃炉になった浜岡1,2が比較的近接していたが建屋としては別個であり、二次格納容器たる外壁は共用していない(米リムリック1,2は浜岡1,2を渡り用の建物で連結したような姿である)。

どの原発も二次格納容器たる外壁を共用しているのか、それぞれ別個に仕切っているかは興味のあるところだ。ブラウンズフェリーの建屋平面図は見つけられなかったが、上の写真からは共用しているように見える。

当時競争相手だった火力発電所の本館設計で、このようにボイラを並べる配置に見覚えがある。設計スタッフも足りなかったろうから、火力から横滑りしたのかも知れない。

また、冒頭の写真に写っている、京都タワーの根元と似た形状の、排気筒らしき建築物も共用設計だろう。福島第一4号機で起こった逆流対策も良く検討しないとまずいということだ。武井満夫『原子力発電の経済』(東洋経済新報社,1967年)他、本所を資本費の安価な例として挙げる文献は幾つか見たが、そのからくりの一端はこの構造にある。

土地が幾らでも確保出来る北米の田舎で、このような設計を許容してしまったGE,TVA,AECの見識は大いに疑問だ。例え徹底した空調分離が図られていても、余りに近すぎるため、爆発した際の隣接号機への被害は福島第一とは比べ物にならなくなることを想定しなければならない。

推進派視点から一番予防的な解決策は爆発した場合両端の号機に影響する2号機を閉鎖し、系統除染後、圧力抑制プール、安全系ポンプ等を、残りの2機のバックアップにすることだったと思う。それをしないで他の点でNRCが「規制に厳しく」当たり、米国でPRAが多用される背景は、こうした欠陥設計(特にGE-BWR)の救済策なのではないか。

【避難計画の成立性】

5層の深層防護を事業者に求める米国らしさを感じたのは、TVAのウェブサイトに避難ルートが載っているところである。日本では避難計画は電力会社の責任ではなく、自治体に任されている。

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Browns Ferry Emergency Planning Zone Sectors”TVA(Website)

発電所から15㎞程北東にアセンズというライムストーン郡庁の街があり、テネシー川を挟んで南東に10㎞弱のところにディケーターというモーガン郡庁の街がある。北側のライムストーン郡は2010年国勢調査82782人、モーガン群は111064人である。その他はGoogleMAPを見る限り、日本のUPZに相当する半径30km内は農地となっている。本機が建設中だった1970年の国勢調査ではライムストーン郡41699人、モーガン群77306人であった。想定事故の規模にもよるが、福島第一と同レベルの事態を前提とした場合、双葉郡と同程度を考えておけばよく、避難計画の成立性については東海第二と比べ物にならないと思われる。

なお、風土の差は原発事故の前では些細な事だと認識しておくべきだろう。例えばアーニー・ガンダーセン氏は著書で、アメリカなら車に荷物を積んで逃げたら終わりだと謙遜していた。確かに家具は家に付随する習慣があるようだが、思い出の品や収集物はあろうし、人間関係のリセットが何も影響しない訳が無いからである。

【東海第二のケーブル布設状況】

ここからは東海第二との比較を中心に見ていこう。なお、原電は100ページ以上の詳細資料を提示しているが、TVAの相当資料は見つけられなかったので、比較は概略レベルに限られ、それも不完全なことをお断りしておく。

『茨城新聞』2017年7月21日によれば、「安全機能を持つ設備につながるケーブルは長さが約400キロあり、約80キロは既に難燃ケーブルを使用。残り約320キロのうち新たに約120キロを難燃ケーブルに交換し、残り約200キロは防火シート工法での対応を想定している」という。

なお、建設当時の情報だが、ケーブル延長は下記のような内訳となっており、大半が制御計測ケーブルとなっている。材質による区分は分からないが、当時は全て非難燃性ケーブルであったと思われる。

岩越(※注)-最後に、余談かも知れませんが、従来どんな記録にもないような数字を披露しておきます。

原子炉建屋の総重量は、機器配管 水なども含めて28万t。タービン建屋の総重量が16万t。機器別の重量として、原子炉圧力容器が、約800t、原子炉格納容器が1500t、タービン発電機が3600t、復水器が1200t。配管関係が全部で5000t、これを口径100㎜の管に換算すると長さが260km、それからバルブの数が計装用の小型バルブを除いて、6000個、配線関係で動力ケーブルが200㎞、制御計測ケーブルが1300㎞、主なモーターの台数が6500台という記録になります。

本社-誠に珍しい記録ですね。本日は試運転中のお忙しい中を、長時間にわたりまして、大変貴重な話を頂き、ありがとうございました。

注:岩越米助。東海建設所副所長

「座談会 BWR-MRKII-5 1,100,000kW 世界最新・最大容量 東海第2発電所で」『電気現場技術』1978年5月P35

東海第二の4年前に運転開始したブラウンズフェリー1号機のケーブル総延長は、情報を得ることができなかったが、「原子力発電所用ケーブルの開発」(『日立評論』1976年3月号)によると、一般論として1000㎞とありこれ以下とは思われない。逆に最大長は東海第二を超えることは無いと推測する。時代が下るにしたがって原発のシステムは複雑化する傾向にあるためだ。

【ケーブル取替延長はブラウンズフェリーより短い】

2002年から2007年の改修工事と、東海第二の新規制基準対応のための審査資料を比較すると、難燃性ケーブル取替延長はブラウンズフェリー1号機の320㎞に対して東海第二は120㎞に過ぎないことが分かる。既に難燃化済みの80㎞を加えても200㎞。これに対してブラウンズフェリーはケーブル室のやり直しを中心に事故直後に布設し直した分が全て非難燃性とすると、重複が無ければ320㎞+総延長の3割が難燃化済と推定される。

原電は、相当に甘い基準で東海第二のケーブル取替を計画していることが伺える。非難燃で残っている安全系ケーブル320㎞は、偶然にもブラウンズフェリーで取替たケーブルの総延長と等しい。同じ規模の工事を計画すれば全て難燃ケーブル化を達成できる。また、そのような工事が技術的に可能であることもブラウンズフェリーの事例は示唆している。

なお、原電も内部的にはブラウンズフェリーの事例を詳細調査したものと思われる。

【出力向上も織り込み済みだったブラウンズフェリー】

ケーブル問題から外れるのでこれまで触れていなかった出力増強だが、東海第二でも2007年度から5%向上させるための工事を順次実施してきており、その根拠には高経年化対策として設備保全・更新によって発電所の一層の安全性・信頼性向上を行なってきたことが根拠として挙げられていた(「当社東海第二発電所 出力向上計画に関する報道について」日本原子力発電 2008年12月1日)。

ただし、先行例のブラウンズフェリーの場合、WH社との受注競争およびTVAでの検討などを経て、出力向上の可能性を織り込んで計画されたという事実を踏まえておく必要がある。『原子力発電の経済』P35には「GE側は、BWRの設計出力から10%高い1098MWを保証定格出力とすることからはじめて、バルブの全開でこれより5%方高い1152MWを示し、さらに給水加熱器の一部をバイパスさせることで8%方高い1188MWが期待できると提案してきた」、またP37に「TVAは(中略)実際運転を通じて、BWRの出力がさらに5~10%の幅で拡張されるものと期待している」と記述されている。

灰色文献を含めて様々な資料を見てきたが、東海第二でそのような出力向上が計画時から織り込まれていたという情報は読んだことが無い。311前の時点で追加投資額が巨費が見込まれたことから、原電は電力各社の先陣を切る形で、投資額の捻出をしたかったものと考えられる。

出力向上の際に問題になるのはプラントの各部位にかかる熱的負荷。計算を全てやり直し、裕度や容量が不足する機械部品は交換する計画だったのだろう。一方、経理的視点からは、期待出来る増加収入に応じ、ケーブル等の更新範囲を策定していたのではないだろうか。もしそうであるとするならば、原電は相当以前からケーブル劣化や弱点についての詳細情報も把握していたことが予想できる。

脱原発側の視点からは、格納容器の内容積や圧力抑制プールの水量を変えられるわけではないので、後藤政志氏などが格納容器の本質安全性を示す指標として挙げている、出力当たりの容積や水量は減少するし、熱的負荷もこれまでよりきつくなる。当然潜在的危険性は増すので、老朽プラントに採って良い施策とは思われない。

ブラウンズフェリーの場合、特別な事情がある事に加え、米国がそういうリスクも許容する国であることは良く認識しておかなければならない。

【ケーブル問題で望ましい規制対応の姿】

ブラウンズフェリー1号機も、全てのケーブルを難燃化しているわけではない。そこには、日本の規制庁と同方向の甘さがあるのだろう。他の件も合わせると、NRCの有り様は過剰評価されてると感じる。

原子力プラント設計の基本的考え方や配管・圧力容器の強度については、日本の旧通産省の基準を満たすだけではなく、NRCの前身であるAECが発行した原発の設計基準(GDC)やASMEなどの基準を満たすことも求められた。このような考え方を防火対策にも適用すべきであると考える。つまり、米NRCの火災基準を最低限遵守すべき原則とし、規制庁が保安院・JNES時代の知見を踏まえて更に付け加えるべき基準や引き上げるべき閾値などの知見を有していれば、それらを規制対象に加えるスタイルが望ましい。「世界最高の安全」を達成するには少なくともNRCよりは厳しくなければならず、原理的にもそういった制度運用しかあり得ないだろう。

東海第二の場合その他にも下記の課題

  • 電源室(スイッチギヤ室)および非常用ディーゼル発電機室の配置設計の不備
  • 電源盤(メタクラ、パワーセンタ、モーターコントロールセンタ等)の耐震要求レベルの引き上げ

の問題も抱えており、これらを一括して解決するには、大胆なリレイアウトしか方策は無く、その際にケーブル類を一括して再布設すれば、1990年代以降のBWRと比較しても遜色の無い難燃化を達成出来ると思われる。どうせケーブルを変えてしまうならこの際、制御室も東通1に準じた第2・第3世代形に更新した方が、運転員への負担も軽減でき、長年の宿題となっていたTMI事故対策を完全な形で取ることも可能だ。第一世代制御盤に施されたTMI対策(ヒューマンエラー対策)は以後の世代に比較すれば不完全なものなのである。

まずは、そのような条件の元にプラント改修した場合のコスト見積もりを徴収し、経理的基礎について審議すべきではないだろうか。勿論、見積もり条件には地震津波テロ等でのバックフィットも取り入れるものとする。大都市近接、自然災害リスクは、ブラウンズフェリーとは比べ物にならないからである。それだけやって、初めてまともな審査が成立するものと考える。

311の教訓を反映して日本の原発は特定重大事故等対処施設を設けることになったが、5年の猶予期間が与えられ、その間は無くても再稼動が可能な制度となっている。だが、ブラウンズフェリー1号機が22年ぶりに再稼動した際、安全対策に関して、そのような猶予措置があったという記述は見当たらない。その点も教訓となり得るだろう。

また、TVAの事例から国策色が色濃い東電や原電は、10年越しレベルの再稼動であっても、政権が変わらない限り相当執着してくると、(厳しい)展望を持っておく必要がある。

【参考リンク】

次の資料を参考にした。他に、文中にのみ明記した資料もある。

以下は本記事に直接参照していないが、参考として挙げる。

別の観点から研究することになった際には、活用して欲しい。

2017年2月22日 (水)

東海第二の非常用電源配置はBWR-5の中でも最悪だった

前回記事「日本原電が一般向けには説明しない東海第二電源喪失対策先送りの過去
」のため資料を見直していて気付いたことがある。

福島事故の直後、福島第一の非常用電源が地下に配置された経緯の解明のために、電気事業連合会が国に資料を提出した(「国内BWRプラントの非常用電源設備の配置について」2011年8月23日)。

この資料にはBWR-5の先行建設事例と後続建設事例の非常用電源配置が載っている。東海第二と同じく、原子炉建屋の周りに非常用電源の収まった部屋を配した複合建屋方式である。

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「図5 BWRプラント(先行建設サイト)の主要な安全設備等の配置例」(電気事業連合会)

上図中で議論の対象にするのはR/Bの記号で示してある原子炉建屋。T/Bはタービン建屋、C/Bはコントロール建屋だが、今回の議論には関係しない。

M/Cとは6900V用電源盤、P/Cとは480V用電源盤のこと(電源盤という単語は余りテクニカルタームとしては一般的ではない気がする。配電盤とか、メタクラ、パワーセンターなど色々な呼称や分類があるが、事故後広く使われてるので当記事では電源盤と呼ぶ)。

電源盤と非常用電源は交互に連担して配置されており、電源盤は3ヶ所に分散している。非常用電源は2台が隣同士の部屋となっている部分がある。また、電源盤は平面配置だけが工夫されてるばかりでなく、非常用電源を据え付けている階より1階上に配置されている。

20110823tsiryo311fig6bwr5kouki
「図6 BWRプラント(後続建設サイト)の主要な安全設備等の配置例」(電気事業連合会)

電源盤と非常用電源は大きく分けて2分割されており、連担した配置から更に物理的分離が徹底されている。また、電源盤だけでなく、非常用電源も3ヶ所に分散し、非常用電源同士で隣同士の部屋となっている個所は無くなった。

さて、再度日本原電東海第二の配置を見てみよう。

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「第1.2-2図 建屋内平面配置図(地階部分)」『東海第二発電所設備概要』1972年

電源盤、非常用電源がそれぞれ、原子炉建屋の外周に連担して配置されている。しかもすべて同じ階にある。そればかりでなく、電源盤は1つの部屋に集中配置され、系統別の仕切り壁すら存在していない。このような配置では、スイッチギア室(電源盤の部屋)がやられてしまった場合非常用電源が生きていても即電源喪失に陥る危険な設計である。なお、非常用電源自体もディーゼル機関のため火元足りえるが、非常用発電機機械室の中には、隣の非常用発電機機械室の階段を使わないと上の階から降りて来ることが出来ないものがあるように見える(細部不鮮明のため留保はしておくが)。アクセスルートや防火対策に注意を払っていたのか疑問である。

原子力の歴史を紐解くとGE社はとてつもない技術力を持っているように思われているが、重要な動力源を分散する発想は隣接分野では昔から見られるものである(例えば軍艦の動力源のシフト配置。アクセスルートに関しては、例えばサイドリッツがどう建造されたのかなど、この時代の小学生向け図鑑にも載っている)。それが出来てないのだから、GEも設計思想レベルでは日本と大差無い面が多々ありそうだ。後続プラントを設計した技術者達は東海第二の危険性を良く分かっていたから配置を改めたのだろうが、福島事故後、そのことを積極的に告白しているとは思えない。臭い物には蓋、ということだろうか。

建屋レベルでのプロットプランを解説した文献は『原子力発電所の計画設計・建設工事』以来複数あるが、建屋内の具体的なレイアウトを比較した論文や書籍は未見である。設置許可申請には樹木状の電気系統図(物理配置を反映していないシステム図的なもの)と、建屋内の大まかな配置の両方が載っているが、文献でよく引用されるのは前者が多いように感じる。

東海第二は運開当時、世界最初のBWR-5であると盛んに喧伝された。その後、難燃ケーブルを使用せず延焼防止剤を塗布して火災対策をしていることが問題視された。1970年代としては標準的な対応だったが、数年後に完成した原子力プラントは火災対策のための製品開発の結果、ようやく幅広くラインナップされはじめた難燃ケーブルを採用していたので、差が付いてしまったのである。この問題に加えて、電源盤室が1ヶ所に集中しているため、余計に火災リスクを大きなものとしている。

福島事故後、各原発では過酷事故に備えるため非常用電源を最低1系統分別棟に新設することとなったが、東海第二の場合、元の非常用電源の設計のまずさを考えると、電源盤と非常用電源の分散を考え、他の原発より多くの新設が必要と考える。

それにしても、こんな素人の考えたようなレイアウトを都市近郊の原発でよく認可したなと思う。ただただ呆然とするしかない。やはり廃炉が順当だろう。

2017年2月15日 (水)

日本原電が一般向けには説明しない東海第二電源喪失対策先送りの過去

川澄敏雄さんが盛んにツイートしている通り、震災後の相次ぐ初期原発の廃炉によって、東海第二発電所はいつの間にか最後に残った1970年代運転開始のBWRとなってしまった。

しかも、元原発設計者の渡辺敦雄氏が指摘するように、BWR-5はMARKII格納容器を採用しており、炉心溶融時に溶け落ちた燃料が直接サプレッションプールの水に触れる可能性が高く、固有安全の面から見ると水蒸気爆発のリスクがMARKIより高いと指摘されている。

この問題の他にも浜岡3号機計画時の公開ヒアリング記録に残っているのだが、MARKIIはMARKIに比べて建屋の重心が高く、定性的には耐震性でやや劣ることが、以前から明らかになっている(故に、中部電力は炉形は新しくしてもMARKIを4号機まで採用し続けた)。

また、原発から30㎞圏内の人口が100万を超えており、シビアアクシデントが現実のものとなって以降は都市近接型の原発とみなされている。そのため、実効性のある避難計画はどれ程法制度を充実させても作成することが出来ない。にも拘わらず、茨城県知事を支える政財界は目先の利権を目当てにした再稼働に傾斜している。また、日本原子力発電(日本原電)も敦賀2号機が活断層問題で規制側からすら見放されつつある中、東海第二の再稼働の可能性を否定しないことで、手持ちの原発を残そうとしている。

以上が、東海第二原発を巡る概況だが、当ブログとしては、福島事故と一般的な原発再稼働問題に隠れて見逃されてきた、東海第二のような古いプラント固有のリスクについて、その経緯を明らかにし、日本原電と茨城県の先送り体質上、再稼働に正当性が見いだせないことを論じていきたいと考える。

今回は、東日本大震災発生以前の経緯を中心として、電源喪失リスクの中でも交流電源喪失リスクに着目し、日本原電の態度が、同業と比較しても長期に渡って消極的であったことを示す。直流電源を論じないのは、他社とさほど差が無いからだ。

簡単な復習だが、交流電源喪失を引き起こさないためには、次の供給手段のいずれかが生きていなければならない。

  1. 発電した電力を所内に供給:スクラム時や冷温停止時には使えない。
  2. 外部電源(送電線~所内開閉所)から電力を貰う:冷温停止時は通常この方法である。
  3. 非常用電源を起動する:外部電源からトラブル等で電力が貰えない時はこの方法である。更に、非常用電源は建屋に定置している場合と、震災後原発にも配備された移動電源車の2パターンに分かれる。

以前から指摘を続けている外部電源の耐震化の先送りは2に係わる問題で、今回は3に係わる非常用電源増設(原子炉を冷温停止に導ける大容量のもの)を実施しなかった件についても述べる。

【1】外部電源

【1-1】寿命25年、安全率1倍が前提だった日本電気協会の耐震設計指針

これは前の記事「寿命25年、安全率1倍が前提だった「変電所等における電気設備の耐震設計指針」(JEAG5003)」で述べた。初期原発の外部電源および一次変電所は25年以内に耐震強化の改修・更新工事を必要としていたことが分かる。東電福島第一も、日本原電東海第二も本来はその流れを受け入れるべきだった。

【1-2】1996年に開閉所の更新に言及

『東海発電所三十年の記録』という、日本原電が社員にのみ配布した分厚い記念誌がある(自治体図書館どころか原研にも寄贈されていないようだ)。既に廃炉になった東海第一とも通称される炭酸ガス炉(GCR)を対象にしたもので、PAについて、たった1ページしか割いていない。本来あるべきだった原子力本の在り方がどういうものかよく分かる。ところで、同書は、東海第二に関連する事項についても興味深い記述が存在している。

Tokai30nenkirokup0410 「東海発電所の保守管理 1.主要電源設備(2)屋外開閉所設備」『東海発電所三十年の記録』(1997年)

154kV系は元々東海発電所用で、廃炉になった後はガス開閉装置(GIS)へ更新した上で、東海第二の予備電源として活用することが計画されていた。しかし、以前の記事「原電東海第二は開閉機器更新の実施未定」でも触れたが、実際には遮断器だけが耐震性の高いガス式に更新された。

原子力関係で1点質問させていただきます。

御社では敦賀1号、東海第二など日本の原子力開発初期に建設されたプラントがあります。これらの外部電源は建設時いずれも気中開閉式(ABB)の機器を使用しておりガス開閉装置(GIS)ではなかったようです。

http://www.nsr.go.jp/archive/nisa/shingikai/800/28/001/1-3-1.pdf

一方上記旧保安院の報告ではABB系の機器は耐震性が脆弱とのことで、GISへの更新を推奨しています。

御社の原発の開閉所、また最初に接続する一次変電所にてGISへの更新は実施していますでしょうか。

【当社発電所の開閉所設備について(現在)】

■東海第二発電所
 ・154kV‐気中(ガス遮断器)
 ・275kV‐気中(空気遮断器)
  今後、ガス絶縁開閉装置に変更予定
(中略)

なお、当社は卸電気事業者のため、送電線は所有しておりません。一次変電所については他社の設備となりますので、お答えしかねます。

(2014年11月18日:日本原子力発電回答メール)

開閉設備一式(断路器、変成器、避雷器などを含む)の耐震化には遮断器のガス化だけでは十分ではなく、GISへの更新が不可欠である。

なお、開閉設備更新計画は、記念誌に合わせたリップサービスではない。同書の座談会で30周年時点の電気補修課長小栗第一郎氏は次のようにコメントしているからだ。

小栗‐運開以降の保守の考え方としては、当初は、予防保全を設備、機器の点検周期を決めて、それに従い点検を実施していた。
10年目以降20年ぐらいまでは、設備重要度を考慮し実施した。
20年目以降は、取替計画や経済性を考慮するようになり、診断技術を導入して先取りをした点検に移っていった。
(注:昭和)60年代に入って、将来のプラントの停止を考慮しかつ劣化の状況を見て、今後の点検、取替計画を策定するように移っていった。こうして現在のような考え方に近づいてきた。

座談会
東海発電所 安全安定運転 30年の歴史 「過去、現在、未来」東海発電所を語る 」『東海発電所三十年の記録』(1997年)

これまで私は、「日本原電は東日本大震災を見てから九州電力などが外部電源の耐震強化を進めていたにも関わらず、3年半以上設備更新を放置したと」理解していた。しかしどうやら、悪質なことに震災の15年前に遡って、1996年に設備更新の必要性を認識していたということが分かる。

小栗氏の言う「経済性」は、他社と異なる判断を下す決め手となったのだろう。それは、一体どういうものだったのだろうか。本書発行の2年後、JCO事故が東海村で発生し、日本原電もINESレベル4を間近で体験することになる。シビアアクシデントの恐ろしさを想起させるには十分だったと思われるが、それにもかかわらず当初の計画が縮小された。

一つの可能性としては、日本原電単体の「経済性」ではなく、子会社化を図った東電原発の「経済性」に支障したというシナリオが考えられる。東電はある時期から日本原電の株式を25%以上保有し、子会社とした。その経緯はWeb上では北村俊郎「巨大組織は何故大事故を起こすのか(10)」(2015.9.24 日本エネルギー会議)で説明されている。

【1-3】台湾第3原子力(馬鞍山)電源喪失事故(2001年3月)の教訓化

福島事故前に教訓化出来たチャンスとして良く取り上げられるのが仏ルブレイエ原発の洪水による電源喪失危機(1999年)である。ただし、この事故の教訓は想定外の浸水を防止するという観点から指摘されているのであって、外部電源の耐震性への問題提起としては、有力な内容と考えられていない。

主要4事故調の内、民間事故調はこの他の海外原発事故事例として、2001年に発生した台湾第3原子力(馬鞍山)での電源喪失事故に触れている。この問題もまた耐震性の観点から指摘されたものではないが、外部電源を含めた全交流電源の信頼性を見直すきっかけとなり、結果として耐震性の問題に影響を与えた可能性がある。

どういう事故なのか。

台湾の馬鞍山原子力発電所で起きたSBO(注:交流電源喪失)については原子力安全委員会等において議論がなされている。

このケースではまず、塩分を含んだ海からの濃霧による絶縁劣化により2回線ある外部電源がどちらも停止した。外部電源喪失後、本来の設計上は、2系統ある非常用ディーゼル発電機が起動する筈だったが、1つは分電盤の地絡(電気装置等と大地との間の絶縁が低下し、電気的接続が生じること)により、残る一つはディーゼル発電機の起動自体に失敗し、SBOに至った。しかし、直流電源は利用可能であったため、SBOに至った直後から補助給水系等によって炉心冷却が可能であったほか、同発電所では上記2系統のほかにもう一つ非常用ディーゼル発電機を2基で共有する形で用意しており、これを系統の一つに接続することで、約2時間でSBOを解消することができた。

(中略)台湾の事例から、発電機や外部電源系そのものが正常であっても、電源母線や電源盤の損傷によってSBOに至りうるということを、教訓として学んでおくべきであった。原子力安全委員会ではこの事例について検討が行われているが、委員からの指摘に、当時の保安院の説明者は「大体BWRの場合終局で少なくとも8時間ぐらい。それから、PWRの場合はある処置を前提にすれば5時間ぐらいはその状態での維持が可能でございますので、その間の外部電源の復旧。日本の場合大体送電系統の停電というのは30分ぐらいというような実績がございます。それから、先ほども申し上げましたD/Gの補修とかそういったものを考えて十分な余裕があるというふうな認識ではございます」と回答している。それ以上の議論は行われず、結果的に本格的な教訓は得られなかった。

「第3部 歴史的・構造的要因の分析 第7章 福島原発事故にかかわる原子力安全規制の課題」『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』 2012年3月 P277-278

一部で悪名高い東大教授の岡本孝司氏も本件を取り上げたが「日本の安全性向上に反映されたか不明」とした。氏の手になる追跡調査は見つからなかった。

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岡本孝司(東京大学)「福島第一原子力発電所事故の教訓」日本機械学会HP 2011年11月28日

民間事故調、岡本氏とも触れていないが、日本と台湾は民間レベルで「日台原子力安全セミナー」を毎年開催してきた。芸能人や文化人を呼んだ一般向けの宣伝用ではなく、プロ相手の実務会合である。2002年(第16回)では馬鞍山事故を受けて電源喪失が主要なテーマとなった。そして、日本原電からも講演者が一名参加し、パネル討論にも登壇していた(武藤直人、当時日本原子力発電発電管理室プラント運営管理グループマネージャー(副部長))。

保安院の説明は当時のAM策(過酷事故対策のこと)で新味は無い。しかし、セミナーでは武藤氏とは別の講演者から興味深い事実が提示されていた。過去20年の間に国に報告された非常用ディーゼルトラブルを集計したところ、1回辺りの平均ダウン時間が100時間を超える発電所が3ヶ所存在し、日本の全原発の平均を取っても60時間だと言うのである(「中島知正(原子力発電技術機構)「日本における外部要因による計画外原子炉停止及び非常用ディーゼル発電機トラブルの統計分析について」)。

要するに、外部電源が喪失した状態でディーゼル発電機が一度故障すると、平均を取っても再起動に2.5日から4日かかり、BWRで標準となっていた8時間現状を維持する体制では、持たないという事を意味していた。

この事実を提示した講演者の中島氏は当時の通例に従って、外部電源が故障する確率と非常用電源が全て故障する確率を掛け算し、それが10^-7(/年)以下のため、「台湾の第3原子力発電所で発生したような事象は、日本では確率的に発生する恐れは殆ど無い」と結論した。

このような事実もAM策を検討した90年代初頭には情報としては上がっており、中島氏の論法もその繰り返しに過ぎない。ただ、少数の特定の委員会内部だけで読むレポートでは無く、日本原電の講演者を含む安全セミナーにおいて「電源喪失は無い」という神話の根拠が深いレベルで説明されたのは、ポイントだろう。

興味深いのはパネル討論で中島氏が台湾の事故のようなケースを考慮せずに確率計算したため、「非常に保守的な評価となってしまった」と反省の弁を述べていることだ。

また、パネル討論でコメンテーター役が設定されており、三菱重工の米沢隆氏が務めていた。恐らく、彼のコメントと思われるが、次のように教訓を述べている部分も注目される。

長時間(注:ここでは30分以上を指す)の電源喪失事故に関しては、日本では確率的安全評価(PSA)によって原子力発電所は送電系統の信頼性が高いため全電源喪失事故は炉心損傷リスクの主要寄与因子でないことが示されているが、長時間の全電源喪失事故対応も考慮したAM策が整備され、その中で、交流電源回復手段として隣接ユニットの非常用電源を利用してバックアップする方策(号機間電源融通)が準備されている。

台湾では、長時間の全電源喪失事故発生を想定しそのための十分なAM策と必要な設備対策がとられていた。従って、台湾の全電源喪失事故事象教訓に照らし、深層防護の観点から現状の日本のAM策の更なる改善要否について検討することが望ましいと考えられる。

台湾第3(馬鞍山)原子力発電所全電源喪失事故:原因と今後の課題

東電福島第一は「AM策の更なる改善」として2000年代に追加の電源喪失対策をしなかった。日本の原発全体を概観した先行文献でも、東電の右に倣えだったように説明されている。東日本大震災以前、日本のAM策は内的事象(機器の故障)のみを対象とし、外部事象(災害、テロ等)への対策は建設当時施された内容から進化していなかった。台湾は馬鞍山当時から内的事象も外部事象も想定し、塩害は外部事象に分類されたらしい。

【1-4】PWR各社は相次いで外部電源を更新

しかし、私は先行文献の「日本は行政指導の元、横並びで外部事象への対策を強化しなかった」という見方に異論がある。

電力各社の原発外部電源-関電美浜・原電東海第二は開閉機器更新の実施未定-」で外部電源の耐震性が低い原発の更新状況を各社に質問した。BWR各社については1997年に島根1号機でGIS更新の先進例があった後は、浜岡1・2号機が廃止された以外大きな動きは無く、台湾の事故後のGIS更新も無かった。一方、PWR各社を見ると、台湾の事故の後、外部電源を更新した社が存在する。

  • 関電高浜:福島事故前にGISに更新(2001年以降かは不明、経年からは可能性高)
  • 四電伊方:1号機、2号機ともGISに更新(2004~2005年)
  • 九電玄海:1号機、2号機ともGISに更新(2008~2009年)

三菱のGIS開発研究の初期に書かれた『電力機器の耐震設計方法に関する基礎的研究』(1971年)という大論文がある。引用はしないが同論文を読むと、国内外で発生した大地震と電力設備の被害を詳しく調べるなど、当初よりGISを実用化すれば地震対策へ大きな効果を見込めるものとして、重視していたことが分かる。そのような技術的思考が後輩技術者に受け継がれていたとすれば、台湾の事故を後押しにGISへの更新提案を行っていても不思議ではない。実際、2000年代後半に入ると日立、東芝、日新など変電機器メーカーも相次いで更新提案を強化し、それを社史や技報でPRしていった。

なお、GISの特徴として耐震性の高さの他、主要機器が密閉されているので塩害に強い点が挙げられる。一般論としては、台湾の事故を受けて提案する対策として最適だった。もっとも、東海第二の主要な外部電源である275kV回線の開閉所は耐震性の低い空気式(ABB)ながら塩害対策のため屋内収容されていたので、【1-2】で紹介した154kV回線(屋外設置)の更新の場合のみ、塩害対策上のメリットがある。

電源喪失対策は、後で議論するように非常用発電機の増設も指し手の一つとしてある。しかし、1990年代に東電福島第一で増設を実施した際は、設置変更許可申請を行っている。これを前例とすると、定置式の非常用電源の増設は表立った動きとならざるを得ず、地元の刺激を無意味なまでに恐れていたらしい電力各社にとって政治的に好ましい施策では無かったようだ。

なお、設置変更許可を要しない移動電源車の常置策は、何故か採用されなかった。私が直接当事者から聞いたところによると、1990年代にAM策を検討した時、メーカーサイドから電事連に提案はしたそうだが、葬られた経緯は不明だ。規制側(当時はエネ庁)の資料には一言も触れられてない。

このように見てくると、経年を理由にした外部電源の更新は、外的事象による電源喪失への対策として、絶妙な位置にあったのかも知れない。

だが東電と、(東電の子会社化が進んでいたらしい)日本原電は、そのような更新を先送りし続けた。

【2】非常用電源

【2-1】隣接原子炉から電源融通が不可能な東海第二

ここで、【1-1】~【1-4】で議論してきた外部電源から目を転じ、非常用電源について概観する。非常用電源は事故時対応の本命であり、初期の原発でも定置式が最低2台あり、1台トラブルを起こしても、もう1台で冷温停止まで導けるだけの容量を付与している。これがその後、何の強化も無かったのか、という疑問のある方もいるだろう。福島事故前の経緯をきちんと調べると分かる事だが、1990年代にAM策として非常用電源も強化された。

どういう内容だろうか。

一つのサイトに原子炉が複数ある場合、福島のように共倒れになってしまう危険がよく指摘される。しかし、上記セミナーからの引用にもあるように、非常用電源が各原子炉に設置されていることを利用すれば多重性と限定的な多様性を付与出来るため、隣接原子炉の非常用電源から電源を融通出来るようにするAM策が1990年代に実施された。

Nsc_senmon_shidai_gensi_kentou_gens 軽水型原子力発電所におけるアクシデントマネジメントの整備について 検討報告書資源エネルギー庁199410P12 (archive.orgで閲覧可能)

1998年に東海発電所が廃止されてから、東海第二は単独立地のプラントとなったため、「隣接ユニットの非常用電源を利用」することは出来なかった(上記資料に東海第二が挙がっているのは、94年の時点で、東海発電所の廃止が見えていたからだろう)。

Amhpcsdgtepcovideo_2 「IIIアクシデントマネジメント策」『アクシデントマネジメント』東京電力、東芝、東芝アドバンストシステム(リンク

 

福島事故前に製作された東電の所員向け教育ビデオにおける電源融通の様子。隣接プラントの無い東海第二では、このような模式図は成立しない。

このような「欠点」を持つサイトは当時北陸電志賀1号機(後に東北電東通1号機)などがあり、いずれもBWR-5であった。国はBWR-5が通常の非常用電源2台の他にHPCS(高圧注水系)専用の非常用電源を1台設置してあったことに目を付け、HCPS用非常用電源を通常の非常用電源としても利用出来るように結線することで、号機間融通策の代替措置とみなした。

しかし、この代替措置は矛盾している。福島第二や柏崎刈羽のBWR-5は隣接プラントを持っているが、自プラントにHPCS用の非常用電源も持っている。もし、代替措置で十分なのであれば、これらのプラントでもHPCS用に結線するだけで事は足り、経費は節減される。隣接プラントから電源融通のタイラインを引いてくる必要は無い。

逆に言えば、隣接機からの融通が第一とされたのは、このAM策を考案した人達の頭の中で、自プラントの外から引いてくることに、物理的な系統分離(セパレーション・クライテリア)という意義を見出していたからだろう。

2017/2/20追記。NUREG-1150で解析対象となったプラントを見ると隣接機からの電源融通はBWR-4に、HPCS用非常用電源からの融通はBWR-6に採用事例があった。当時は米国でもこういった融通策が水平展開されていなかったようで、日本側はこれらを真似てAM策に取り込んだのだろう。

そういうことだ。

単独立地プラントの場合、本来は別棟に残留熱除去系(RHR、駆動に大電力を要し、最終ヒートシンク~崩壊熱を海に逃がすこと~に不可欠な系統)を動かせる大容量非常用発電機(最低でも5000kW程度は必要)の増設が必要だった筈である。この方法は複数立地の福島第一だけが採用し、5・6号機を破局から救うことにも役立った。しかし、単独立地プラントでの採用例は皆無だった。

それでも、他の単独立地プラントは、外部電源が新しいGISなので耐震性は高い。そのため、上記セミナーの掛け算の理で考えれば、発電所全体で見た所内電源の信頼性は高くなる。しかし、東海第二はそうではなく、【1】で述べたように外部電源の信頼性も低い。

日本原子力発電との質疑」でも書いたことだが、原電に施策の根拠を問いかけると、国の規制に従った技術的説明は回答するが、どういう議論をしたかについては「社内の意思決定に関する情報等については、回答を差し控えさせていただきます。」と拒否される。日本原電は、2016年秋に地元で20回程説明会を繰り返したが、そういう会社である。

前掲の『東海発電所三十年の記録 運転管理資料編』によると、東海発電所の場合、保安運営委員会を2週間に1回程度の割で開催しており、AM策は「東海発電所アクシデントマネジメント検討結果について」(第234回、1995年8月7日)で討議された。事情は東海第二でも同様だったと思われるが、BWRの場合、資源エネルギー庁の資料は1994年に作成されているので、保安運営委員会の開催はもっと前だったのかも知れない。基本方針は日本原電本社で決めたのかも知れないが、こういった議事録の開示は必要である。

なお、配電盤、非常用電源、HPCS用非常用電源は原子炉建屋の外周に並んで配置されている。

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「第1.2-2図 建屋内平面配置図(地階部分)」『東海第二発電所設備概要』1972年

日台セミナーの台湾側事故報告(日本語訳で配布)によると、非常用電源を現場に行って手動で再起動した際、スイッチギヤ室(配電盤室)で焼損した遮断器から発したものなのか、「現場は煙が充満しており操作がかなり困難であった」と記載されている。このことは、発端となるトラブルを内的事象に限定しても、火災や内部溢水を想定し?、煙に巻かれにくい隣接機からの融通を考えたAM策考案者の正しさを証明している。

したがって、日本原電はこのセミナーの後、別棟に大容量非常用電源を新設するべきだった。しかし、実際にはチャンスを全く生かしていない。

結局、別棟に新たな大容量非常用電源が設置されることとなったのは、福島事故の後であった。

【3】そして、東海第二の電源喪失対策は次々先送りされた

【1-1】~【1-4】、【2-1】と福島第一で取られた対策を踏まえて東海第二を観察すると、非常に奇妙な特徴がある。福島事故前20年ほどの日本原電は他社に比較して、東海第二での電源喪失対策に消極的なのである。

最初は、人と環境の条件は有利だった。【1-2】で見たように意欲はあり、【1-3】で見たように当事者を交えて生の知見を得る幸運に恵まれていたからである。

しかし、外部電源の更新は154kVの遮断器のガス化に留まり、【2-1】で見たように東電のような非常用電源の増設も行わなかった。

2007年の中越沖地震後に東電が免震重要棟の設置を決めると、日本原電も親会社に倣って同様の設備を建設し、小容量(500kW)のガスタービン発電機が屋上に設置されることとなった。このガスタービン発電機は震災に間に合い、仮設ケーブルを原子炉建屋に引いて補助的に運用された(「地震・津波被災を乗り越えた東海第二発電所」『エネルギーレビュー』2013年1月)。

仮設ケーブルということは、本来そう言う使い方を織り込んで設置した物ではないのだろうが、土壇場になって最小限の交流電源喪失対策が奏功したとは言える。例の津波対策同様に評価すべきことではある。しかし長期的な観察結果からは、電源喪失対策に対する日本原電の態度は、ある意味東電以上に原発を運転する事業者としての資質を疑わせる行動が散見される。

なお、日本原電はプラントの安全投資をサボる反面、PR施設東海テラパークを拠点に女性や子供への蔑視思想を根底に置いた啓蒙活動を、他社同様熱心に推進した。「げんでんスマイルフェア」や小中学生をターゲットにした「げんでんe学びクラブ」などが該当する。無駄な活動に費やす余力は持ち合わせていた。

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「日本原子力発電が開催した「げんでんスマイルフェア」」『電気情報』2006年1月(冒頭リンク

一般的に日本の原発は安全とリスクのバランスに欠けているが、日本原電は追加の電源喪失対策を外部電源は20年以上、非常用電源も台湾の事故から10年近くも放置した。無能な原発推進者や司法関係者によくある思考として、結果オーライという発想があるが、このような適切な設備投資の感覚を喪失している事業者に、老朽原発の運転を任せて良いとはとても思えない。

2017年2月12日 (日)

寿命25年、安全率1倍が前提だった「変電所等における電気設備の耐震設計指針」(JEAG5003)

【前書き】

地震で壊れた福島原発の外部電源-各事故調は国内原発の事前予防策を取上げず」から3本外部電源の問題を書いてから2年以上経過してしまった。それらの記事では、他社が福島事故前から外部電源を更新して耐震強化を図る中、日本原電東海第二、東京電力福島第二については福島事故を経ても脆弱なまま放置されていたことを批判した。

これら2つのサイトは炉形だけを見ても、固有安全性で劣るBWR‐5である。それにも関わらず、再稼働を期待する勢力によって未だに廃炉に至っていないこと、また、東電については司直の場で法的責任を否定し続けている問題がある。そこで今回は、この2年で解明した事実について、外部電源や新福島変電所のような一次変電所に適用される設計指針「変電所等における電気設備の耐震設計指針」(JEAG5003)を対象に、その問題を論じる。

東日本大震災で被災した変電設備を巡っては、「N-1基準」-送変電設備は1ヶ所の故障に対してバックアップが取れていれば良いという考え方(ただし影響が大きな場合はN-2も考慮)-を盾に「今回の震災はN-10であった」などと東電を擁護する向きがある(石川和男「「電力システム改革」を改革すべし!(その2)」『アゴラ』2013年07月18日)。しかし、N-1基準を肯定したとしても、なお問題提起するべき内容があることを知ってほしいと思っている。

【本文】

以前にも述べたことだが、1978年の宮城県沖地震では、仙台変電所(275kV回線あり)のように大きく損傷を受けた所があり、事故後電中研を交えて原因を調査し、1980年に変電設備の耐震設計指針(JEAG5003-1980)を日本電気協会から発行した。

地震動で倒壊した福島第一の外部電源設備はJAEG5003制定前の設置だったが、指針の内容は一応クリアしていた。倒壊した原因の一つは空気式(ABB)は概してガス式(GCB,GIS)より耐震性能が劣るからだと旧原子力安全・保安院は説明した。私見だが、開閉所を設置している高台などは、原子炉建屋に比べて地震動が大きかったことも理由だろう。

(参考)原子力発電所 開閉所遮断器の型式及び設置年
○今般の震災において、原子力発電所施設内の開閉所において設備の損壊等が発生した福島第一原子力発電所の大熊線1号線及び2号線はいずれも1978年に設置されたABB形式(気中遮断器(空気))であった(※1)。

※これらの開閉所は、JEAG5003-1980制定(1980年)より前に製造しているものの、福島第一1号機及び2号機の耐震性能については、開発段階から先行して動的評価を取り入れており、JEAGの要求性能を有している。

○(社)電気協同研究会による遮断器の耐震性能調査によると、タンク型遮断器(ガス絶縁開閉装置 (GIS)等)は、がいし型遮断器(気中遮断器(ABB等)等)に比べて耐震性能が高いとの結果が得られている。

○そのため、福島第一原子力発電所の遮断器が損傷した原因は、相対的に耐震性能が低いと考えられるABB形式の遮断器にあった可能性があり、今後、遮断器をABB形式からGIS形式に交換していくことが望ましい。一方、同発電所の大熊線4号は1973年設置のABB形式であっても損壊していないこと等(スライド22、23)から、今回損壊した遮断器等の解析による詳細評価の結果を踏まえ、更に検討していくことが必要。

原子力発電所の外部電源に係る状況について」原子力安全・保安院 2011年10月24日(WARPリンク

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私も、JEAG5003の2010年改訂版を参照した。256ページもある、本と言って良い厚さである。最初精読した時は特に不審な内容は見当らなかった。ところが最近、制定当時の技術的根拠を電中研の地盤耐震部が解説した専門誌の記事などを読み比べて、驚いたことが3つあった。

(1)開閉装置の寿命は25年を前提にした指針

一点目は、指針の対象となる開閉装置の設備寿命は25年と考えられていたことである。JEAG5003は確かに参考資料として河角マップの75年地震期待値を載せているのだが、その根拠として、設備寿命25年の3倍の期間を想定すれば十分であるとの考えに拠って定められたことまでは書かれていなかった。

Denkikeisan198106p40

塩見哲(電力中央研究所土木技術研究所地盤耐震部)「新しい動的設計を図解する」『電気計算』1981年6月P40

通常、設備の寿命を見込むには、その部材の劣化特性やフィールドに設置された設備の実態調査を踏まえて決められる。開閉設備の場合は、基板やリレーと言った電気電子部品から、筐体の板金や碍子に至る部材の劣化状況や、メーカーの納入仕様書を見ることになるだろう。しかし、当指針を読むと部材の劣化状況とは別に、指針が想定した耐震性能によって自動的に25年という上限が定められることが分かる。中国電力を皮切りに、東電、日本原電以外の各社が続々と外部電源を耐震性の高いGISに置き換えていったのは、単なる劣化判定や保守部品の入手難ばかりでなく、この指針の根拠に自ら気づいたか、メーカーに提示されていたからだろう。

原発の基準地震動に比べればJEAG5003の考え方は遥かに緩い内容と思われるが、そのことを横においても、次のような問題点を指摘できる。

●河角マップが古すぎて役に立たない
福島原発1号機建設期に指摘された地震想定の問題点」でも指摘したが、河角マップは1950年代初頭に作られた地震期待値図であり、各地の期待震度が低すぎる。1960年代末にはより期待震度を厳しくした後藤マップが出現し、その後も幾つかの研究機関が類似の震度期待地図を発表、現在では地震調査推進研究本部(推本)のデータを元にした地震動予測図が最新の期待地図となっている。ロバート・ゲラー氏は東日本大震災や熊本地震を例に、推本データによる地震動予測図も「外れマップ」として批判しているが、河角マップに比較すれば厳しい内容のため、予防的には河角マップよりはマシと言える。なお、河角マップは一般建築物の耐震基準にも参照されてきたため、その問題点は2016年熊本地震でも批判された。

●25年規定を明文化していない指針を制定する行為は、モラルハザード
25年を経過したら更新するか、25年以上使用する設備は、75年期待値図を使用してはならないように、JEAG5003に明文化するべきであった。

河角マップは75年期待値図の他、100年期待値図と200年期待値図が存在し、それらの震度期待値は75年期待値図より大きい。このことは最低でも経年25年~33年の設備は100年期待値図、経年33年~66年の設備は200年期待値図を使用すべきであったことを教えている。考え方としてはそのような方向で解釈すべき指針であり、実態を反映せず明記を怠り続けた指針制定の委員会には、大きな責任が生じる。

なお、1978年に設置された福島第一1・2号機用の外部電源は、2011年時点で経年33年であり、GISに更新工事中だった3号機用以外は34年目以降の使用を前提としていた。従って、例えCクラス扱いであっても、事実上河角マップの200年期待値図を最低でも前提にする必要があり、地震学の発展を考慮すれば、更に厳しい内容が要求されるのが筋だった、ということである。

JEAG5003の問題だから、新福島変電所にも、東海第二の開閉所にも、東海第二と接続する東電側の一次変電所にも上記の問題は当てはまる。しかし、1990年代に寿命40年超を迎える原発の高経年(老朽)運用が可能であるか研究された際、主に原子炉周りの機器の寿命評価ばかりに視点が集中し(意図的に寿命評価をパスし易い機器のみフォーカスされた可能性もあると思うが)、外部電源の設計指針の問題は、公開の報告書では全く取り上げられなかった。

Denkikeisan199907p35

徳光岩夫「原子力発電所は何年くらい安全運転が可能か」『電気計算』1999年7月P35
※幾つかのステップを経て高経年化対策が検討されたことが分かる。しかし、当時の文献を見てもJEAG5003の中味を議論した形跡は見当たらない。

(2)JEAG5003が前提とする地震動は震度6

先ほどの『電気計算』1981年6月号記事を読めばわかるように、JEAG5003が想定した震度は当時の階級で6に過ぎない。加速度で言えば250~400Galに相当するとされるが、後年震度が体感から地震計のデータを利用した算出法に改められ、震度6であっても400Gal以上の揺れを与えることは珍しくなくなった。なお、リアルタイムで震度7が計測されたのは1995年の阪神大震災が初めてで、2007年には新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発でも記録された。上述のようにJEAG5003は2010年に改訂されているが、このような事実を取り入れて、指針を改めることが無かったのは、到底許されることではない。

(3)想定地震力に対する安全率は東電社内規定に合わせて1倍

JEAG5003では、がいし形機器への設計地震力を「0.3G共振正弦3波」(Gは重力加速度で約300Gal相当)と規定している。

しかし、この値はJEAG5003制定以前に東京電力が社内規定で定めていた内容を色々な計算で肉付けしオーソライズしたものと考えられる。東電が社内向けに編纂した『変電技術史』には次のような経緯が書かれている。

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「第11章第1節変電所設計5.防災・安全及び環境対策」『変電技術史』東京電力1995年P557

上記のとおり、東電の社内規定では、この設計地震力は安全率との掛け算で表現されており、その安全率は1倍であった。JEAG5003の何処を見ても、地震波の入力位置(高い位置の方が振れが大きい等)による増幅率は明示されているが、安全率1を掛けた値であることは明示されていない。これが、旧原子力安全・保安院が東電の説明を受けて書いた文言「開発段階から先行して動的評価を取り入れており、JEAGの要求性能を有している」の実態だった。

加えて、1977年度に大学の研究者が東芝と共同で研究した空気式遮断器(ABB)の耐震性に関する博士論文を読むと、安全率を2倍に取っている電力会社も存在していたことが分かる。

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藤本滋(慶應義塾大大学院工学研究科)「第1章 序論」『大電力用空気しゃ断器の地震応答解析』1978年3月P1-2

電力業界は変電機器の耐震設計について社内でどのような考え方を取っているのか(JAEG5003準拠で済ませるのか、更に厳しい値を設けるか)、分かり易く纏めてネットに公開していないが、上記藤本氏の論文によると注釈(4)の「電力会社の耐震設計について(アンケート調査結果)」(中部電力社内資料1968年8月)が存在している。新しい資料ではないが、経緯解明には役立つだろう。

また、宮城県沖地震の調査でも、電気事業連合会は『変電設備耐震特別委員会報告書』(1979年)をまとめてJAEG5003制定の際に、影響力を行使していた。従って、『原発と大津波』に示されたように、津波評価技術において土木学会をオーソライズの舞台として使ったのと同様、いや先んじて、変電機器の耐震指針制定でも、実際の作者は日本電気協会ではなく、東電であった。

以上の3点から、初期原発の外部電源および一次変電所は25年以内に耐震強化の改修・更新工事を必要としていたことが分かる。東電福島第一も、日本原電東海第二も本来はその流れを受け入れるべきだった。

なお、今回取り上げた文献の内、『電気計算』1981年6月号は変電機器の耐震設計特集となっており、塩見氏の他にも投稿記事がある。その中には、非常に少ない可能性とは言え、JEAGで想定した以上の地震が起こる可能性はあると認めた上で、耐震向上、復旧対策に「各電力会社は万全を図っている」と豪語しているものがある(百足武雄(東北電力工務部)「地震におけるがいし形機器の被害」『電気計算』1981年6月P52)。細かいことだが「万全」とは、ゼロリスク論に容易に繋がる言葉でもあり、注意が必要だ。

また、藤本論文は第5章、第6章(まとめ)にて、共振正弦3波を用いることの妥当性も検証し、特定の条件下においては実際の地震動に対して十分安全側ではなく、実際の地震波を用いた解析の必要性を結論している。

更に、『変電技術史』では水害対策として、1989年以降毎年変電所周辺環境の変化(河川改修や冠水状況など)をチェックすることとした(P564)、「重要変電所における重大事故時の処置」を制定した(P686)などと、これまでの事故報告で未踏の事実が書かれている。

しかし、今回の記事ではそれらの詳細については不明な部分もあり、省略した。勿論、偉そうな態度で電力会社への愛の言葉を垂れ流すインターネット上の自称関係者達は誰一人、こういった具体的な内容に言及していない。

2018年5月26日追記。

本記事は当ブログの中でも特に電力関係のアクセスが多い。よって、次の補足を載せておくことは有用と考える。

『地震応答解析と実例』(土木学会耐震工学委員会編集小委員会編 1973年1月)の電力施設編には、東電が500kV変電機器の仕様を決定するため、地震応答解析を利用した事例が載っている。それによると関東ローム層の地表面を想定した模擬地震波を300Galとし、その安全率2倍として設計した結果、共振正弦3波0.3gを使用したとなっている。本文をよく読むと模擬地震波に相当する共振正弦3波は0.2~0.25gであったとされており、模擬地震波に対する安全率と共振正弦3波0.3gに対する安全率の問題は異なっていることに注意すべきであろう。

2016年10月19日 (水)

東電新座地中送電線火災と老朽OFケーブルQ&A集

2016年10月12日、東京電力新座変電所の地中送電線が経年劣化により出火し、58万件に達する大規模停電が発生した。

東電の発表では火元は洞道(地下トンネル)に敷設されていたOFケーブルで、設置から35年が経過しているという。詳細な事故検証を行うため、東電は「新座洞道火災事故検証委員会」を設置した。

今回は私がこの事故について調査した結果を示す。インフラの老朽化問題に関心のある方は是非参照して頂ければと考える。また、原発でも部分的に使用している個所があるのでそのことも取り上げる。長い記事だが、有益な史料紹介になる筈だ。

事実関係は正確を心掛けているが、詳細報告が東電等からなされた時点で「的外れ」になる事項も出てくるとは思う。例えば本記事公開時点で、私は事故を起こしたケーブルの種類を防災トラフに入ったOFケーブルと考えているが、実際は違うかも知れない。なお、本記事では砂埋OFケーブル、POFケーブルについても特別高圧での使用実績が多く敷設から年月が経過しているため予防的な意図で説明した。

なお、当ブログの他の記事も同様だが、下記は私個人の目から見た論評であって、特定のメーカーや電設業界等のロビー活動として行っている主張ではないことも付言しておく。

【OFケーブルって何?】
Oil Filledケーブルの略。導体の周囲を油に浸した紙によって絶縁しているためこの名称となっている。大学生向け電気工学の教科書では必ず載っているので、日頃から仕事にしている専門家でなくとも、少しこの分野を勉強した人達は皆目にした記憶がある筈である。インターネット上でも断面図などが多く公開されているが、下記の記事が歴史的概要を掴むのに良いだろう。

【OFケーブルは1種類しかないの?】
下位のカテゴリで数種類に分かれる。

導入初期から60年代位まで敷設されたのは鉛被OFケーブル。今回事故を起こした275kV用としては、70年代以降の主力であるアルミ被OFケーブル(OFAZV)、砂埋OFケーブル、POF(Pipe type Oil Filled cable)ケーブルが使用される。

今回、どのOFケーブルか特定に手間取ったが、当該送電線は「電力ケーブルのトラフ内間接水冷方式」を採用しているため、開発時に書かれた論文記載の仕様から、十中八九アルミ被OFケーブルと思われる。

砂埋OFケーブルは「トラフ内砂埋布設ケーブルの曲線部における挙動」(『日立評論』1971年4月)に断面図が掲載されている。北武蔵野線や城北線のものと類似しているが、別物。トラフにケーブルを収め、空隙に砂を充填している。

POFは『電力ケーブル技術発展の系統化調査』によると、絶縁体に油浸絶縁紙を用いた線心3条を金属被を被覆せず鋼管に収納し、絶縁油を加圧充填した構造である。

なお、上記「III. 超高圧低損失OFケーブル」には今回事故を起こした城北線では一部の管路区で低損失絶縁紙としてSIOLAP,PPLP(組成は同記事参照)を採用したと書かれている。その時限りの特殊仕様になったまま、放置されていないかも確認が必要だろう。

【トラフって何?】

トラフ(Trough)とはケーブルを収納する管路資材のこと。ケーブル保護の目的で使われる。後述するが、城北線・北武蔵野線には密閉型防災トラフ(Fire Resistance Trough)というものが採用されている。

地中送電線が本格的に建設され始めた当初は、上述のように砂埋トラフが使用されていたが、次の欠点があった。

  • ケーブルの熱伸縮対策にスネーク布設(蛇のように数mの波長で~~~形にくねらせて布設する方式)が一般化した結果、砂埋によりスネーク効果が低減されている
  • 砂の熱抵抗が大きい
  • 良質の川砂が必要だが、資源確保が困難となった(新幹線トンネルのコールドジョイントで話題になった、西日本のコンクリート構造物で川砂の代わりに海砂を使用していた問題と同根だろう)。

このため、1972年より東電と古河電工は砂埋無しの防災トラフを研究開発し、275kV用まで実用化した(「密閉型防災トラフ」『古河電工時報』1977年1月

東京電力は1976年頃には密閉型防災トラフを標準防災トラフに指定済みだった。詳細に関しては(リンク )を参照して欲しいが、概略下記のようになる。

  • 材質:不飽和ポリエステル樹脂
  • 碍子繊維:コンテニアスストランドマット、ロービングクロス
  • 酸素指数:47%(一言で言えば燃えやすさ。通常26%以上で難燃性とされる)

また、特徴として、酸素の供給を極力押さえているため地絡時のアークによるケーブル着火を数秒間で消火でき、かつトラフの難燃性を向上させたため外部火災に対しても十分対処できる、とされていた。

1970年代はJIS,IEC,IEEE等で難燃性試験規格の基本が確立された時期でもある。今回の結果に比べて随分差があるように見えるので、きちんとした検証が出るか注目したいところである。

また、当時のJIS K 6911に基づき燃焼速度試験を実施した結果によると、砂埋トラフの火災脆弱性は密閉型防災トラフより高い事が分かる。つまり、老朽トラフとしては、あれでもかなりマシな方だったということだ。だから、更新が後回しにされたのかも知れない。

なお、現在の電力ケーブル用FRP製防災トラフはACGマテックスのウェブサイトに掲載がある。耐水、耐火性、内部燃焼に対する自己消化性を謳う。ただしフジプレコンは、FRP製では燃えてしまうとアピールする。今回の火災でケーブルを収納していたトラフの材質が気になるところだ。

難燃性とは「燃えにくい」ですが「燃えない」訳ではありません。(中略)
FRP(樹脂・プラスティック)は燃えます!
石油製品ですから当然です。耐燃性とか難燃性とか自消性とかなんとか言いますが熱が加わわり続ければ燃えます。(中略)コンクリートまたは陶磁器などの燃えない素材を用いたケーブルトラフを使用することをお薦めします。

ケーブルトラフに求められるものは? 」フジプレコン株式会社 2015年1月26日

【OFケーブルに使われている液体は油だけなの?】
水を用いた数種類の強制冷却方式が実用化されている。北武蔵野線の場合、ケーブルをトラフに収め、トラフに冷却水の配管を通して冷やす「トラフ内間接水冷方式」を採用している。

地中送電と言えば、いつも送電容量が問題になるが、地中線で使うアルミ被OFケーブルは架空線用の鋼心耐熱アルミ合金撚り線などと構造や機能が本質的に違う。例えば架空線が地上と適切な間隔をとり、空気そのものを絶縁体に出来るのに対し、洞道という密室の中に収められるケーブルの方は導体を特別の絶縁物でおおい、電気的に絶縁しなければならない。つまり、電気の流れる裸線に絶縁油をひたした絶縁紙などを何重にも巻きつける。電圧が高くなれば絶縁物も余分に必要になり、北武蔵野線練馬線で使う二十七万五千VのOFケーブルなどは絶縁紙の厚さが2センチにも達するほど。しかし、実はこれが地中送電のジレンマでもある。

「ケーブルに電気が流れると、導体の電気抵抗によって熱が発生するが、電気的に良い絶縁物も熱に対しては厚着をしている格好となり、熱の放散を妨げてしまう。送電容量が制限される一つの要因だ」(小杉欣之助・送変電建設本部地中線建設課長)。

したがって、地中送電では電気的問題、熱の問題、施工や運開にともなう機械的な問題に十分対処して、かつこれらの要素をうまく緩和させることのできるケーブルがあればいいわけだが、ひと筋縄ではいかない。どんなに金をかけようと、地下でどんなに大きいスペースを使おうと、構わないのなら別だが、そんなことは現実に望むべくもない。

そこで、いまは送電容量アップの一方策として水や油などを使ってケーブルで発生する熱を奪いながら電流を余分に流そうという、強制冷却方式が推進されている。

北武蔵野練馬線でも継ぎ目のない水冷管を使ってケーブルを冷やす方法をとった。「設備に若干費用がかかるが、送電容量は三〇%程度アップする。十万KW程度の送電線を一本つくったのと同じことだ(東京北工事事務所・関亦民夫次長)。

しばしば指摘されるようだが、地中線工事は決して安上がりではないかもしれない。たとえ話として、架空線の十倍かかる、などといわれたものだ。しかし、比較が悪い。前述したように架空線とケーブルはまるで違う。それに、鉄塔という”点”の支持物に電線を張る架空送電線に対し、地中の方はケーブルの容器ともいうべき洞道そのものを”線”状に連続してつくらなければならないし、ルートや工期も外部要因で大きな制約を受ける。(以下略)

「都心の動脈 建設進む地中送電線(7)」電気新聞1980年2月18日6面

『電力ケーブル技術発展の系統化調査』P139に断面図が引用されている。

Kahakuchousa080_cable_fig5_3 今回事故を起こした城北線で初採用した新技術だったためか、東電社報にも登場していた。

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出典:「スペース利用効率の向上をめざして~流通設備の効率化と技術開発~」『東電社報』1982年3月P10

ケーブルメーカーは古河電工で関連技報記事が2本ある。

  • 「電力ケーブルのトラフ内間接水冷方式の開発」『古河電工時報』 第61号(1977)
  • 「洞道内トラフ間接水冷の建設例」古河電工時報 第71 号(1981)

なお、「第7章 ケーブル•母線」(『電氣學會雜誌』Vol. 99 (1979) No. 5 P 443-449)によれば、トラフ間接水冷方式は1973年から開発を開始、1979年に完了。利点は下記などがある。

  1. ケーブルからの熱流を集中部分で効率良く奪うことができる
  2. 各種ケーブルが一緒に布設される洞道内で主要幹線(275kV線)のみを重点的に冷却できる

上の断面図には記載無いが、水冷管の材質は可とう性や電気誘導面から高密度ポリエチレンである。ケーブルは俵積みしている。なお、上図では冷却管が浮いているように見えるが、クリートで数m毎に固定されているのはケーブルと同様である。『古河電工時報』の試験モデル・計算例(リンク )をみると、スペック的には275kV 導体断面積1x1,000~1,800mm^2、最大電流1400Aを考えている。
※16/12/21追記 実用化された城北線では最大電流1600Aとなるなど、細部のスペックは更なる検討を経ていることを確認した。

やや気になるのは、通常0.5Mpaで通水されている水冷管をより高圧で運用する際、金属テープを巻いて補強されていたらしいことだ。金属テープを使用すると、ケーブルに流れる電流により誘導電圧が発生する。このため渦電流損失や水冷管の接続作業あるいは端末作業時には誘導対策が必要となる。この問題を解決しようとした1998年出願の特許「電力ケーブルの冷却装置」にその記載がある。高圧で運用するのは、高低差が大きい場合や冷却区間が長い場合とのことだ。

【OFケーブルの設計寿命は何年なの?】
154kVアルミ被OFケーブルの例だが、30年との記述がある(「アルミ被OFケーブルの劣化評価に基づく改修時期の検討」『電気学会資料 電線・ケーブル研究会』2007年)。同論文では、劣化評価を行うことで最長で60年までの使用を視野に入れていた。

一方で、沖縄電力の資料では、OFケーブルについて最長で40年の使用を前提に設備投資計画を立てている。

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設備投資計画について」沖縄電力 2015年9月10日

【特別高圧用OFケーブルの弱点はどこにあるの?】

アルミ被を含めたOFケーブル一般については「OFケーブルの絶縁体劣化現象の解明」(『SEIテクニカルレビュー』2014年7月)から抜粋すると下記のようになる。

  • 負荷変動に伴うケーブルの熱挙動により金属被に発生する機械的疲労。改修時期判定も機械的疲労=金属被歪みの評価による。
    ※ただし、2007年の研究「アルミ被OFケーブルの劣化評価に基づく改修時期の検討」では事前診断を充実させることで良好と評価された状態のケーブルは最大60年の使用に耐えるとしていた。東電がこの評価法を導入して35年目の運用に至った可能性は考えられる。
  • 振動・熱収縮によるケーブル本体や接続部の損傷・変形。
  • コアずれ。POFケーブルで述べるが、アルミ被OFケーブルでも発生する。
  • 絶縁紙の紙巻きギャップの広がりによる絶縁耐力の低下。
  • 絶縁紙の炭化およびワックス化。
  • 油中への不純物混入による絶縁耐力低下。静電誘接の上昇。

この他、シロアリによる外皮破損というトラブルもある。

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設備投資計画について」沖縄電力 2015年9月10日

劣化監視としては油量計確認や油中ガス分析を定期的に実施しているが、次のような盲点が指摘されている。

OFケーブルの劣化はかなり緩やかと考えられてきたが、調査の結果、条件によっては劣化が進行する可能性があることがわかった。(中略)欠陥部に局所的にガスが蓄積されている可能性があり、その場合には欠陥部の油を直接採油できておらず劣化の進展を必ずしも把握できるとは言えないとされる。(中略)X線調査によるコアずれ診断や部分放電測定などの診断を組合せ、保守管理するとともに、計画的な更新も必要と考えられる

OFケーブルの絶縁体劣化現象の解明」(『SEIテクニカルレビュー』2014年7月

後述する保守合理化手法であるアセットマネジメントが日本の電力業界でまともに議論されるようになって10年、『SEIテクニカルレビュー』掲載論文の発表から2年、東電は新しい知見に基づき従来のアセットマネジメントを修正することが出来たのだろうか。

その他のOFケーブルについては『電気学会資料 電線・ケーブル研究会』に2007年報告された東京電力の研究記事「経年ケーブル設備の診断・取替によるアセットマネジメントの一事例について」「地中送電線路の劣化と設備更新」を主たる参考として、まとめた。

砂埋OFケーブルは次のような故障を起こす。

  • 経年と共にケーブルの発生熱により乾燥し、g値(土壌固有熱抵抗)が上昇して、送電容量が低下する。
  • 砂のg値の上昇に伴いケーブルの熱挙動が大きくなり、砂埋トラフを破損させた事例がある。
  • ケーブルの砂埋ピット部において、ケーブル撤去工事のドラム巻き取り時にケーブル防食層が亀裂を生じた事例がある。高負荷運転により砂のg値が上昇したことが起因している可能性あり。
  • 砂の成分と砂の含有水分を起因とし、砂埋トラフ中のアルミクリートが腐食した事例がある。

POFケーブルの故障には次のようなものがある。

  • ケーブルのコア移動による接続部での絶縁破壊。導入当初のPOFケーブルはケーブルコアを固定する設計を採用していなかったため、敷設個所の傾斜や、波乗り現象と言った要因により、ケーブルコアが移動する。このことで、接続部において補強絶縁体等が接続部内部に接触し、最悪の場合絶縁破壊を引き起こす可能性がある。
    ※このため、ケーブルコアの移動量は管理対象となっており、管理値を超えた物は改修工事を実施している。
  • 防食の劣化。POFケーブルの防食層は当初コールタールエポキシが採用され、その後ポリエチレンに移行した。海外では特にコールタールエポキシ樹脂の防食層を採用したPOFで、防食層劣化から生じる鋼管腐食・漏油トラブルの事例がある。また、防食層の他に、外部電源装置や流電陽極を接続し鋼管の電位を負極性に保つ電気防食により、二重の対策を取っているが、気中敷設部や、直埋敷設部で外傷等により防食層と鋼管の密着性が悪化した個所などで、電気防食が効かず腐食が長期間で進展する可能性がある。

16/10/29追加【絶縁油を分析すれば寿命を評価出来たのでは?】

アセチレン、或いはCO2-COなどの油中ガス分析はOFケーブルの状態監視方法として定番のため、「アルミ被OFケーブルの劣化評価に基づく改修時期の検討」(2007年)においても指摘はされている。ただし、同論文は油中ガス分析を積極的に研究した内容ではない。90年代以前、油中ガス分析や部分放電測定(後述)など絶縁油分析によるOFケーブルの寿命評価は簡単に出来るものではなく、電力研究者達もそれを認識していた。

(1)油中ガス分析
変圧器分野では1970年代に実用化された(最近の油中ガス分析による油入変圧器の故障 と経年劣化の診断技術」『電気学会論文誌D(産業応用部門誌)』Vol. 107 (1987) No. 9 P 1137-1144)。問題は、分析対象の形状や運転条件により判断基準を一律化出来ないことであり、『新版 電気機器絶縁の実際』(初版1981年、新版1988年)でも「この方法はOFケーブルの保守管理に適用することも試みられているが、ケーブルの長さが長くなると可燃性ガスの薄められ方が大きくなるので、実用化はまだ先だろう」(新版、P31)と記されていた。つまり、城北・武蔵野線建設時には劣化や余寿命評価を行う方法としては使えなかったらしい。1994年の「電力機器の絶縁余寿命推定法の現状」(電気学会論文誌A(基礎・材料・共通部門誌)Vol. 114 (1994) No. 12 P 845-852)でも「比較的実用レベルに近い絶縁余寿命推定法が開発されている」のはCVケーブルとされている。

(2)部分放電
絶縁油の分析方法はガスの他コロナ-電力業界では油中で発生しているコロナは部分放電(PD)と称するようだ-がある。過去においては「電力設備の診断技術」(『電気学会論文誌B(電力・エネルギー部門誌)』Vol. 112 (1992) No. 7 P 550-553)で「油中ガス分析で は困難な急激な絶縁性能劣化の診断のため,油中コロナ測定」の有用性が指摘されており、変圧器などでは実用化された(「イオン測定器、コロナ探知機」 コムシステム株式会社)。OFケーブルへの適用は1960年代に試みられていた(「OFケーブルのコロナ放電特性について」)。

2014年の『SEIテクニカルレビュー』掲載の上記論文(ネット公開)は今回の事態を予想したものとして週刊朝日など一般誌も注目している。だが、フィールドで30年使用したOFケーブルの入手は2000年代でも可能であり、先の「アルミ被OFケーブルの劣化評価に基づく改修時期の検討」(2007年)でカバーできなかった分野を補う部分放電の研究を2000年代に立ち上げ、『SEIテクニカルレビュー』での成果を数年早く得ることが出来たのではないかと考える。しかも、次回記事で述べるように、柏崎刈羽原発で撤去したOFケーブルの中には25年程度の経年のものもあり、500kV用ですら経年を経たサンプルの入手は可能だった。

よって、2000年代後半の劣化診断技術開発現場でどのような予算配分・研究者間の権力勾配があったのかは興味がある。

【OFケーブルが事故を起こした場合の影響は予想されていたの?】
下記のようになる。58万件でも30分で復旧出来れば「中程度」になると思っていたのだろうか。まぁ、今回の275kV線は超高圧設備だから、影響は大だろう。

アルミ被OFケーブルはトラブル頻度は比較的少なく、影響は中程度。

砂埋OFケーブルはトラブル頻度がある程度大きく、また超高圧設備の割合が大きいため影響も大きい。

地中送電線路の劣化と設備更新」『電気学会資料 電線・ケーブル研究会』2007年P35

東電は同様にPOFで事故が起きた際の問題については次のように課題を示していた。

  • トラブル頻度は少ないが万一の時に事故復旧が難しい。影響が極めて大きい。
  • 漏油事故時に、大漏油となる可能性があり、社会的影響が大きい。また、微小漏油の場合には、漏油警報による発見が遅れる可能性があり、その間かなりの絶縁油が環境に排出される懸念がある。
  • 工事量が少ないため、ケーブルメーカーの設計・製造・施工能力、及び電力会社の設計・工事技術の維持警鐘が難しい。

また、POFの設備更新に際しては、充填油を循環・冷却することで大きな送電容量を得ており、設備更新のためには同等の送電容量を確保することが必要で、技術面、ルート確保面から課題となっていた。

【火災を起こした地中送電線の同世代は都内にどのくらいあるの?】
275kVのOFケーブルは少なくとも430㎞以上建設されている。なお、報道発表で1000㎞という数字が挙げられていたのは、90年代位までは地中送電線の増設が盛んだった結果だと、私は考えている。

高度成長期以降、首都圏の電力需要は激増していった。しかし都内の発電所で賄える電力は1970年代末でも20%程に過ぎず、現在では更に低い。一方で、人口密度が高く、地価が高騰して架空送電線を建設する用地は取得が困難だった。そこで東京電力は郊外では従来通り架空送電線によるネットワークを建設するものの、23区内とその周辺では、基幹系統に使用する特別高圧送電線を地中にトンネルを掘る形で増強していくこととした。

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出典:「安定した系統をつくる 系統計画の概要」『東電社報』1979年10月P17

これを東京電力は「基幹系統13ルート計画」と称し、盛んに宣伝した。架空送電線と比較すると、冷却にネックがあり、1回線辺り数分の1の容量しか持たないため(当初25万kW/回線、その後系統構成を充実させ1980年代初頭で45万kW/回線)、多数のルートが設けられた。

傘下の工事会社である関電工も地下トンネルでの作業をイメージした広告を盛んに打っていた。

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出典:電気新聞1978年11月29日広告欄(クリックで拡大)

1979年某日の電気新聞に、「13ルート計画」の進捗状況が載っているので下記にまとめてみた。採用ケーブルは『電力ケーブル技術発展の系統化調査』による。

竣工済
江東変電所~城南変電所 1973年10月 OF
城南変電所~新宿変電所~北多摩変電所 1973年10月 POF
京北変電所~豊島変電所 1977年5月
豊島変電所~池上変電所 1979年5月
荘田開閉所~世田谷変電所 1979年5月
工事中
京浜変電所~潮田変電所~池上変電所

北武蔵野変電所(1979年5月新座変電所として運開)~豊島変電所 1980年5月竣工予定 OF(城北線)
北武蔵野変電所~練馬変電所~九段変電所 1980年5月竣工予定(北武蔵野線)
城東~日本橋線

計画完成:約30%、工事中を含めると70% 1980年代前半に80%完成予定

上記13ルート計画の延長は約430㎞。これ等の路線は事故を起こしたものと同世代のOFケーブルで建設された。2016年現在全く交換していないと仮定すると35年以上の経年に達したケーブルが殆どで、最長は43年経過している(154kVまで対象に含めると、上記「III. 超高圧低損失OFケーブル」に1966年南太田線で採用との記述がある)。報道によれば、完全に放置している訳では無く、防火シートによる火災対策やケーブルの更新工事なども段階的に進めているとされている。

なお、OFケーブルの後継に、絶縁油の循環を必要としないCVケーブルがある。275kV用のCVケーブルは1980年頃には開発を完了していた(『電氣學會雜誌』Vol. 104 (1984) No. 11 P 944-947)。しかし、吸湿対策等の改良を経て、長距離送電でCVケーブルを初採用したのは1989年の東電南池上線である(「電力を支える先端技術 下 電力の輸送と供給 大きく進歩した送電技術 」『電気学会誌』Vol. 116 (1996) No. 10 P 651-653)。

なお、1970年代、東京電力は全国の地中送電線工事の大半を手掛けていた(電気新聞1980年2月8日6面に当時の状況の証言が載っている)。

【事故の起きた城北・北武蔵野線に、固有の特徴はあるの?】
地下水が多い。当時の電気新聞に見学記事が載っている。

東京工事事務所の城東日本橋線が洞道工事なら、東京北工事事務所の北武蔵野練馬線などは、いまケーブル工事の最盛期だ。すでに洞道のほうは昨年末に完成し、ケーブル引き入れやケーブル接続作業に取り組んでいるところ。予定通りの仕上がりだが、洞道工事は一筋縄にはいかなかった。ルート周辺が地下水の豊富な地域で現場に湧水が多いためだ。当然、工事に支障のないよう止水するとともに、住宅用の井戸水を枯渇させないよう対策を講じなければならない。

一つは地盤改良といわれる薬液の注入。地山の崩れや湧水を防ぐ場合、工法面で解決できない時に採用する苦肉の策だ。水ガラスを注入して掘削現場周辺の地盤を固めるやり方である。むろん、地質に悪影響を与えないよう薬液は建設省”認可”のものを使うし、事前・事後に近辺の井戸の水質検査も念入りに行なう。この薬液注入、思ったより手間がかかるし、一ヶ所の現場で億単位の経費も必要とか。

とにかく水の多いところ。それだけ地下水量に恵まれているわけで井戸水を利用する家が多い。練馬地区では約三〇%が井戸を飲料水に使っているほど。したがって、ケーソン工法を採用するなどして工事による井戸の枯渇や水質変化がないよう、万全を期した」(東京北工事事務所土木課・鈴木慶三課長、青島忠男副長)。

井戸の枯渇もあるが、湧水が多いと現場作業は難航をきわめる。たとえば練馬変電所に隣接した三井建設施工の練馬九段線。初期発進のせいもあるが、切り羽の部分では水が吹き出している感じだ。湧水量は毎秒約一トン。切り羽でピックやショベルで手掘りしている作業員は土砂と泥水でどろんこのありさま。水分は塵埃を防ぐ役目もするが、始末が悪い。湧水を放っておいたら洞道内が水びだしになるから、六トンのポンプ三台でいったん汲み上げる。「手間がかかるが、沈殿槽を通して土砂をおとし、下水などへ流すようにしている。泥水のまま流したら、周囲へ迷惑をかけてしまう」(鳶谷研三三井建設作業所長)。

こんな現場では通常でも湿度が八〇~九〇%。夏になると九〇%を超え、不快指数はぐんと高まる。地下の深いところは一年を通じて寒暑のきびしさが極端に出ないものだが、湿度が高いのは疲労感を増長させがちだ(以下略)。

都心の動脈 建設進む地中送電線(5)」電気新聞1980年2月15日6面

新座でも事情は大差無いようで、湧水を「新座の元気 森透水」としてペットボトルで売っているほどである。勿論、長期にわたる防食管理の点からは条件が悪いということになる。湿度環境が悪いと状態監視機器の作動にも支障するかも知れない(ただし、平時の湿環境データは持っている筈である)。

【アスベストは地中送電線に使われているの?】
報道の通り法規制前の建設なので使用されている。なお報道とは別に既存資料を見直したところ、ケーブルを収納する構造物が幾つかのタイプに分かれていることが分かった。この中で、洞道(ケーブルダクト)ではないが、電気管路と呼ばれる方式の中に、石綿セメント管を使用した物がある。

Denkishinbun19790921p3kanae

出典:電気新聞1979年9月21日広告欄より

石綿セメント管は1孔1条の単心ケーブルに使用され、電気管路の構成上、洞道と異なり、人が立ち入って見ることは出来ない。一定の距離を開けてマンホールを配置し、そこを起点に作業する(『火力・原子力発電所土木構造物の設計増補改訂版』1995年P972)。

改修工事や解体工事の他、火災の際には得てして高温になることは珍しくないため、セメントと言えども石綿が飛散するかも知れない(セメントに関して私は知識を殆ど持っていないが)。

【福島原発事故後の東電叩きのせいで更新出来なかったという話は本当?】
2つの理由から事実ではない。

まず、近年の東電の収支状況は報道発表等の通り、大幅な黒字である。多くの人に指摘されている通り、廃炉費用の負担で税金の支援を受けながら、このような過大利益を計上することは社会倫理的に許されない。仮に、半期で1000億の利益を計上していたとすると、その利益額を500億に抑制し、経年を超過した設備の更新に500億を投じるといった選択肢は当然あり得たからである。

次に、設計寿命を超えた設備の使用は電力業界全体で見られる傾向だった。背景は失われた20年と、2000年前後の電力自由化である。

近年低成長あるいはゼロ成長と言われる経済情勢を迎え、増容量のための交換を行う機会が少なくなったことから、一旦設置された機器を寿命ギリギリまで使用する傾向が現れている。この傾向は10年以上前から指摘されているが、電力自由化に伴うコストダウンへの要請と相乗し、ますます現実的な事態として捉えられている(P31)。

電気設備の最適診断周期に関する基礎検討」『電気学会研究会資料 電力技術研究会』 2007年

上記を背景に2000年代後半盛んに議論されたのはアセットマネジメントという概念である。

地中送電線路の劣化と設備更新」を参考に私なりの説明を行うと、経年を超えた設備を直ちに更新して行った場合、短期間に集中整備された設備の更新は短期間に集中することになる。このため、随時劣化診断を行って、比較的良好な状態にあると判断した設備の更新は後回しにするといった施策がアセットマネジメントの名の元に推奨されていた。

この施策のメリットには、専門技術者を常に一定数プールし、技術を絶やさない効果がある。特別高圧OFケーブルの敷設も専門的技術を要する工事の1つなので、一概に否定するべきではないだろう。ただし、アセットマネジメントには設計寿命以上に設備を限界まで酷使することで、コストを低廉に抑制する目的もあるため、工事量の平準化を考慮しても、毎年の更新工事量を適正な量まで増やすなどして早期に更新を完了すべきだったものと思われる。

今回、記録は残せなかったもののYahooニュースのコメント欄でも業界団体資料を情報交換しながら「素人は黙っていろ」というような書き込みが多数あった。インフラ業全般に電力業界の宣伝を鵜呑みにすることで生まれた独特の蔑視感情が膾炙していると考える。それがこのような作り話の根にあるのだろう。

【電力業界は更新投資について、外国から学んでいないの?】
学んでいるが、真剣に取り組まなかった期間が少なくとも4年ある。

下記の論文はガス絶縁遮断器を例示した内容だが、前提となる設備環境の記述にそれが現れている。

日本よりもさらに経年の進んだ設備を多数抱えるヨーロッパにおいて検討が先行しており、CIGRE(国際大電力会議)を始め、関連する分野の国際会議においておおむね2000年前後から議論が活発化している(P2)。

国内の動きで注目されたものとしては、2007年11月28日に開催された電気協同研究会主催の研究討論会をあげることができる。同様の討論会としては2003年にライフサイクルマネージメントが議題とされているが
、このときは必ずしも欧米のアセットマネジメント導入の動きに追随するわけではなく、日本独自の事情を考慮した対応をすべきとの意見が大勢であった(が、国際規格化の動向などを考えると内向きの対応だけではいけないとの意見も出された)。その4年後となる2007年の討論会では、いかにしてアセットマネジメント技術を導入するか検討し、他産業の先行例にも学ぶという姿勢に変わってきた(P3)。

電力流通設備の維持・更新計画策定支援プログラムの開発(Ⅱ)」電力中央研究所 研究報告書(H07013) 2008年7月

論文で問題になっているアセットマネジメントは保守を系統だてて行うことにより、無駄な保守費(重複など)を削減する意味もある。従って失われた10年を経過した2003年時点で日本独特の国内事情を挙げることには無理がある。

【一般向けに地中送電線の更新を課題と示していた電力会社はあるの?】
中国電力は研究記事ではなく、一般人向けのサイトでそのように述べていた。

Chugokuden2013csrp6_2安定供給に向けて ~送配電部門の取り組み~」『2013エネルギアグループCSR 報告書』中国電力

中国電力の記述では、架空送電線よりも地中送電線の方が優先順位が上になっている。

16/10/29【2021年までに防火シートを巻く予定だったので無為無策では無い?】

16/12/21追記本問を発展させた後日記事を執筆しています。

Togetter_com_li_1039761_comment OFケーブル他備忘-Togetter 当該ツイート(その1その2)。

極めて疑わしい。防火シートを地中送電施設の要注意個所に巻く対策は2000年の雑誌に既に載っていたから。

(2)難燃性・不燃性電力ケーブルの採用
CVケーブルの採用、ケーブルシース・介在物に難燃性を付加、ピットへの砂の充填、
難燃材料(防火シート)のケーブルへの巻き付け、塗布、OFケーブルを用いる場合は密閉型防災トラフ内への収納などを実施する。

「地下式変電所の変圧器,遮断器,開閉器等の電気工作物に対する火災対策に関するキーポイント」『電気計算』2000年8月P32

なお、OFケーブルでも接続部は一般部と構造が異なることも留意すべきだろう。従って、ここでも考えるべきはメンテナンス費の不当な削減で2021年まで伸びていたのではないか、という疑問である。へぼ担当は放水など他の問題には既知の知識と書いてあるが、防火シートについてはわざわざ事故から12日も経過してから追記したのに、既知の対策と書いていないので、改めて指摘した次第。ま、彼は何時も身内弁護しか垂れ流しておらず、今回もその一環に過ぎないのでしょう。

【OFケーブルは他にどこで使われているの?】

【OFケーブルは原子力発電所でも使われているの?】

【原発のOFケーブルはどの位の長さなの?】

【情報は公開すべきではないという自民党議員の談話は正しいの?】

いずれも【柏崎刈羽に】原発とOFケーブル火災リスク【大量敷設】に移転。

16/10/22:全般見直し

16/10/23:原発関係を【柏崎刈羽に】原発とOFケーブル火災リスク【大量敷設】に移転。

2014年12月28日 (日)

電力各社の原発外部電源-関電美浜・原電東海第二は開閉機器更新の実施未定-

当記事は「地震で壊れた福島原発の外部電源-各事故調は国内原発の事前予防策を取上げず」の続編である。

前回記事まとめ:発電所の外部電源(開閉所)にはABB(空気遮断器)やGIS(ガス開閉装置)などの形式があり、福島第一では耐震性に劣るABBを使っていた為地震で破壊されてしまった。GISはABBより耐震性に優れ、1980年代半ばより主流となっている。

今回もこの問題に焦点を当てる。

【桜井淳氏の間違い-電力会社による違いはある-】

ところで、原研出身の技術評論家、桜井淳氏はテーマによっては自己の経験とオリジナリティある調査に基づいた鋭い指摘を行うが、逆に的外れな指摘も目立つ。

近著では、次のような言葉が気になった。

4 吉岡斉発言の虚構性

吉岡斉さん(九州大学教授、科学技術政策専攻)は、民間事故調査委員会の聞き取りに対し、「東電の安全対策は他社と比べて最低ラインでやっている」(福島原発事故独立検証委員会「調査・検証報告書」三一八頁)と指摘していますが、事故後の印象を主観的に表現しているだけで、客観性は、まったくありません。

なぜかと言えば、日本の原子力は、具体的には、九電力会社による原子力発電では、電気事業連合会(電事連)を中心とし、「横並び主義」を貫徹しているからです。ですから、特定の電力会社がよくて、特定の電力会社が悪いということは、絶対にありません。もし、悪いのであれば、全部悪いのです。

日本「原子力ムラ」惨状記』(2014年)P207-208

同書は他書に無い新事実を含む意欲的な内容でもあるが、この点では桜井氏の認識は間違いで、吉岡氏のコメントは事実を反映したものである。今回は以前の記事の続編として、外部電源を例に各社の対応に差があることを示し、併せて原発事故から3年半の間にまともな対策を行わなかった原電東海第二のような「悪しき例」を紹介する。

私は、電力会社による性格の差を認めた上で、脱原発を進めていくような考え方が採られるべきだと思う。簡単に言えば、旧ソ連のような極端に危険性の高い原発を運転する例は論外として、ある程度の対策を施したとしても、僅かな残余のリスクが大きな社会的損失に繋がるから、原子力は廃止するべきであるとか、九電力の安全対策の質にはばらつきがあり、いい加減な認識でお茶を濁す不穏分子が主導する会社は確率論的にゼロに出来ないといった認識である。

桜井氏のような「皆が悪かった」という議論は過去の戦争・事故でもしばしば見られたが、責任にはウェイトがあるので使わない方が良い。実際には利害関係者や要路の責任を免責する根拠に使われることが多いからである。余談だが武田徹も同種の屁理屈を弄する上に、桜井氏より悪質なのは証言者の多くを匿名化していることで、ルポタージュとしての価値が殆ど無い。気分だけを高揚させる駄本と言ってよい。

さて、外部電源の耐震問題に入る前に事故前から、耐震全般の姿勢に差があったことを示す。下記の日経産業新聞記事である。

特に現在の耐震指針(注:1978年制定のものを指す)策ができる前に作られ、東海地震時の危険性が絶えず指摘されていた浜岡1、2号機は〇八年三月まで運転を止めて補強する計画。珠洲原発(石川県珠洲市)の計画凍結や浜岡5号機の運転開始で、財務と電力供給の両面で見通しが得られたことなどを理由にしている。

東京電力のある幹部は「発電を三年近く止めたうえ百億円単位の資金を投じるのは電力自由化が進む今、大変な経営判断だと思う」と評価。その一方で「当社は原発の基数が多いし、耐震には十分な余裕があるから…」と言葉を濁す。

「原発安全再構築<上> 耐震指針見直し リスクの算出巡り迷走」『日経産業新聞』2005年2月15日8面

次の記事は続報的な位置にあり、更に詳しい。

急ぐべきか、急がざるべきか―。新潟県中越沖地震で被災した柏崎刈羽原発の耐震補強工事を巡り、東京電力はそんなハムレットの心境に陥るかもしれない。想定を上回る揺れを受けた同原発は、国が昨年改訂した新耐震指針に基づく耐震性評価が先決。ただ、その結果待ちでは工事着手は遅くなる。「まず補強ありき」で臨んだ中部電力浜岡原発方式も時間短縮の手法として浮上するが、電力業界の「盟主」としての立場が東電の判断を難しくしている。

(中略:中越沖地震による柏崎刈羽停止で)赤字転落の可能性すら出てきた東電と、温暖化ガス削減計画に暗雲が立ち込める政府。(中略)運転再開までのオーソドックスな手順はこうだ。まず耐震性再評価を通じ、各原発ごとに設計の基準となる地震動を改めて策定。その地震動に耐えられるよう必要なら補強工事をする。

想定外の揺れに見舞われた柏崎刈羽は何らかの補強工事は不回避。地元住民の不安を考慮し、補強が終わるまで再稼働の合意が得られない可能性も高い。そうなれば運転再開がいつになるのか見当もつかない。

そこで考えられる「変化球」が「浜岡方式」。東海地震の想定震源域上にある浜岡は指針改訂前の〇五年、いち早く工事に着手。もともと岩盤上で六百ガルを前提にしていた耐震性を、千ガルでも耐え得るよう補強に取り組む。

浜岡の場合、新指針に沿う基準地震動は八百ガルで千ガルあれば十分なことも確認済み。あらかじめ大幅なのりしろを見込んだ分、工事費がかさむが、東電にとっても耐震評価の結果を待って工事に着手するより、運転再開には近道と言える。

(中略)先月二十日の記者会見で浜岡方式を選択する可能性を示唆した勝俣社長の胸中を、ある東電幹部は「言い方は悪いが、カネに糸目をつける気はない」と代弁する。

ただ中部電と東電では置かれた状況が違う。

例えば実効性。浜岡は工事のためには運転停止せず、定期検査時に計画的に工事を進めてきた。同社にとって唯一の原発であり、全面停止すれば経営に致命傷となるという判断からだが、すでに停止している柏崎刈羽にはこの利点はない。

想定する地震動も課題だ。(中略)起こりえないはずの地震が起きてしまった柏崎刈羽の場合は「仮に千ガルでやりますと言っても、それで十分かと言われると反論できない」(東電役員)

何よりも中部電と東電の影響力の違いがある。「業界の三男坊」の中部電と違い、盟主・東電が補強工事に見切り発車すれば、それが業界標準となる。「糸目はつけない」投資は、他の地方電力には重くのしかかる。

「東電の立場を考慮すれば、説明責任を果たせないような拙速な補強は避けるべき」。ある東電の技術系OBは浜岡方式への追従を「急がば回れ」と戒める。

高橋徹「原発耐震補強 迷う東電」『日経産業新聞』2007年8月21日32面

このブログでは何時も書いていることだが、良い情報源は自分の立場と反対のものでも使い倒すことが大切である。日経産業新聞の記事は高橋徹記者の正しい問題意識も感じられる。民間事故調は他の事故調と同じく資料を軽んじ後取り証言ばかり採用する傾向があったので、吉岡斉氏に対しても聞き取りだけで終わらせてしまった。桜井氏の指摘は誤っているが、事故調に疑問を感じたことまでは誤っているとは言えない。

なお、日経産業新聞の記事に不足していたのは東電が引き伸ばし戦術を採ることで却って経費を浪費し、他の対策を後手に回す心理的な背景になったこと、財務状況や業界での立ち位置と無関係に災害はやって来ることなどのマイナス面に触れていない事である。「内輪の盟主論」と東電OBの戒めとの間に関連性も見いだせない。しかし、これ以上は今回のテーマから外れるのでこれ以上の突っ込みは止めておく。

問題提起だけではただのケチ付けとなってしまうので好例も示すが、薬師寺克行氏は政治家のオーラルヒストリーへの参加に当たって当人から証言を引き出すだけではなく、新聞の過去記事検索で事実関係の整合性をチェックしていた。各事故調に欠けていたのはこのような裏取の姿勢であり、脚注での補足などはもっと充実していた方が良かった。どうせPDFファイルやHTMLならクリック一つで本文と注を行き来出来るのだから。

畑村の方法を悪用して責任の所在を曖昧にした政府事故調を除く各事故調は、上記のような「時制上」決定的なソースを採用しなかったことで東電の責任論に踏み込めなかった。今後の責任論争に当たっては是非参考にして欲しい。

【各原発サイトのGIS採用状況】

会社間の相違はあることは再認識した。さて、対象を外部電源に絞った場合については実は、どこの事故調も調べ切れていない。各事故調の構成はどれも似たところがあり、地震対策や津波対策については事故前の経緯がそれなりに時系列化されている。しかし、福島事故で露呈した全ての問題点に対して事故前の経緯が書かれている訳ではない。単に科学的な因果関係の記述に留まっている場合も多い。外部電源もその一つであることは前回記事で触れ、予防更新の事例が各事故調では掬い上げられていない事実を再発見した。

この傾向は現在でも継続しており「福島第一原子力発電所事故に対する 前兆事象の検討」(『JAEA-Review 2014-031』)でも各事故調・初期2年程のメディア報道で報告された事象の取りまとめレベルに留まっている。確かに、予防更新は前兆事象とはいい難く、著者の渡邉憲夫氏も今後の可能性に含みは持たせているが、同論文の主題である「学ぶべきであった教訓や知見」という点からは、当ブログのようなアプローチも有用だろう。

ここで、新たな疑問が沸いてくる。一つは、事故前にABBを採用していた原発はどの程度予防更新されていたのか、ということ。もう一つは、仮に事故時点でABBのままだった場合、この3年半余りでどの程度の改善が見られたのか、ということである。

さて、事故前の開閉所について簡単に確認しておこう。下記は『火力・原子力発電所土木構造物の設計(増補改訂版)』(1995年)に掲載された、当時比較的経年の若い発電所の開閉設備一覧である。

前回記事でABBに拘った東電が柏崎刈羽以降はGISに移行したことを示したが、この表を見ても分かる通り、1980年代後半以降の新設炉は全電力がGISに移行していると考えられる。

Karyokugensiryokudoboku1995kaihei 「表20-4-1 開閉所の所要面積(実績)」『火力原子力発電所土木構造物の設計(増補改訂版)』1995年P975

上表は一部サイトのみを抽出しており不完全なのが玉に傷だが、この時点でGIS設備を採用していなかった原子力プラントは下記と分かる。

・中部電力:浜岡(275kV回線)
・北陸電力:志賀1号機
・中国電力:島根1号機
・九州電力:玄海1,2号機
・日本原子力発電:東海第二

一方、北海道電力泊発電所、東北電力女川原子力発電所、関西電力大飯発電所、九州電力川内原子力発電所は1号機からGIS化されている。

また、前回ブログ記事を読めば分かるように、東京電力は福島第一、福島第二の275kV,500kV全回線がGIS化されないまま東日本大震災に至ったが、柏崎刈羽原子力発電所は全回線GIS化されている。

1995年以降のサイト条件の変化は主に3つある。
・1995年時点で存在していなかった東通原子力発電所が加わったこと
・各サイトで増設機が運開しその外部電源設備も増設されたこと。例えば、浜岡5号機の増設に伴い、第二浜岡幹線(500kV2回線)が増設された。
・浜岡1,2号機の廃炉。これにより同サイトからABBの開閉所は無くなった。

【電力各社の旧式開閉設備更新状況を聞いてみた】

さて、震災直後2011年、旧原子力安全・保安院は開閉設備の再評価を命じたため、各社は関連するリリースを出している。しかし、予防更新についての情報は無い。

上表でGIS化されていなかったプラントを中心として、現在の状況を探るため、各社に次のような質問メールを送付し、回答を得た(強調は筆者)。

【北陸電力】

1)
御社の場合、志賀1号機が新設時GISではなかったと思います
(過去の『電力土木』文献による)。
http://www.rikuden.co.jp/press/attach/12092802.pdf
上記を読むと志賀1号機を含めGISとなっているようですが、予防更新
されたのでしょうか。
出来ましたら更新時期を含め回答ください。

【回答】
過去の『電力土木』文献は確認できませんでしたが、
志賀1号機は、運転開始時からGISを使用しています。
志賀2号機も同様に、運転開始時からGISを使用しています。

2)変圧器もブッシングなどが弱点ですが、耐震性強化の更新または
改造を東日本大震災前に講じておられたでしょうか。

【回答】
志賀原子力発電所の変圧器については,建設時より日本電気協会
「変電所等にける電気設備の耐震設計指針」に基づき設計,製作
しており,必要な耐震性を有しています。

(2014年12月3日:北陸電力回答メール)

【関西電力】

1)建設時、美浜・高浜がABB/GCBのいずれを採用していたのか御回答お願いします。

【回答】
美浜発電所・・・1~3号機全て、気中(ガス)。
高浜発電所・・・1,2号機は、気中(ガス)、3,4号機はGIS。

2)下記のリリースによると東日本大震災直後にもかかわらず高浜は全機、美浜3号機がGISとなっています。
http://www.kepco.co.jp/corporate/pr/2012/__icsFiles/afieldfile/2012/02/17/0217_4j_02.pdf

東日本大震災発生前、予防更新でGISに替わっていたのでしょうか。
出来ましたら更新時期を含め回答ください。

【回答】
美浜発電所・・・東日本大震災発生前後に、GISに更新している部位もございます。
高浜発電所・・・東日本大震災発生前に、GISに更新しております。
大飯発電所・・・建設時よりGIS設備となっております。

3)美浜はGCBが残っているようですが、GIS更新計画がありましたらご回答願います。
【回答】
申し訳ございませんが、今後の設備計画につきましてはお答えいたしかねます。
(2014年12月10日:関西電力回答メール)

【中国電力】

GISに関して、政府、国会、原子力学会、東電等の事故調から聞き取りなどはありましたでしょうか。

→事故調査委員会は,福島第一原子力発電所の事故の原因や再発防止策を低減するために設置されたものと認識していることから,ご質問の趣旨が分かりかねますが,当社としてはこれらの報告書も含め,新たな知見が反映された新規制基準をクリアするだけでなく,さらなる安全性向上に取り組んでまいります。

(2014年11月17日:中国電力回答メール)

【四国電力】(2017年2月13日追記)

福島第一原発事故とその対策についてお聞きします。

外部電源が破壊された一因としてGIS化されていなかったことが保安院に指摘されて
います。
一方で、同業他社では1990年代の予防保全時にABBから更新したところがあります。

さて、御社では伊方1、2号機が比較的早期に建設されたと思います。

これらの開閉設備は当初からGISだったのでしょうか。そうではなくABB等であった
場合、予防更新されたのでしょうか。出来ましたら更新時期を含め回答ください。

【回答】
伊方発電所1,2号機のGIS化前の遮断器は、GCBでしたが、
設備の予防保全的な観点から、
1号機については、22回定期検査時(H16.9~H17.3)、
2号機については、17回定期検査時(H16.4~H16.8)に
GISに更新しております。

(2015年2月13日:四国電力回答メール)

【九州電力】

福島第一原発事故とその対策についてお聞きします。

外部電源が破壊された一因としてGIS化されていなかったことが保安院に指摘されています。一方で、同業他社では1990年代の予防保全時にABBから更新したところがあります。

1)御社の場合、玄海1,2号機が新設時GISではなかったと思います(過去の『電力土木』文献による)。

http://www.kyuden.co.jp/library/pdf/nuclear/nuclear_notice120928.pdf

上記を読むと玄海1,2号機はGISとなっていますが、予防更新されたのでしょうか。出来ましたら更新時期を含め回答ください。

2)変圧器もブッシングなどが弱点ですが、耐震性強化の更新または改造を東日本大震災前に講じておられたでしょうか。

【回答】
(1)について
玄海1,2号機の220kVの開閉所については、1号機が平成21年度に、2号機が平成20年度にGISへの更新が完了しています。

また、1,2号機で共用としている66kVの開閉所についても、平成21年度にGISへの更新が完了しています。これは、保守用部品の調達が難しくなること、設備の信頼性向上の観点から予防保全更新を行ったものです。

なお、66kVの開閉所については、外部電源の信頼性確保対策として実施した予備変圧器の高台設置にあわせて、平成25年度に新たなGISへの更新が完了しています。

(2)について

変圧器等の電気設備につきましては、従来よりJEAG5003「変電所等における電気設備の耐震設計指針」に基づく耐震設計をしております。

なお、平成19年7月16日に発生した新潟県中越沖地震に伴う柏崎刈羽原子力発電所3号機の変圧器火災が発生した事象では、変圧器の基礎部の沈下による油漏れが原因であったため、玄海の変圧器の基礎構造を調査し、沈下等を起こしにくい構造であることを確認しています。

(2014年12月8日:九州電力回答メール)

【日本原子力発電】

原子力関係で1点質問させていただきます。

御社では敦賀1号、東海第二など日本の原子力開発初期に建設されたプラントがあります。これらの外部電源は建設時いずれも気中開閉式(ABB)の機器を使用しておりガス開閉装置(GIS)ではなかったようです。

http://www.nsr.go.jp/archive/nisa/shingikai/800/28/001/1-3-1.pdf

一方上記旧保安院の報告ではABB系の機器は耐震性が脆弱とのことで、GISへの更新を推奨しています。

御社の原発の開閉所、また最初に接続する一次変電所にてGISへの更新は実施していますでしょうか。

【当社発電所の開閉所設備について(現在)】

■東海第二発電所
 ・154kV‐気中(ガス遮断器)
 ・275kV‐気中(空気遮断器)
  今後、ガス絶縁開閉装置に変更予定
■敦賀発電所1号機
  ・77kV‐気中(ガス遮断器)
■敦賀発電所1,2号機
  ・275kV‐気中(ガス遮断器)/ガス絶縁開閉装置
■敦賀発電所2号機
  ・500kV‐ガス絶縁開閉装置

なお、当社は卸電気事業者のため、送電線は所有しておりません。一次変電所については他社の設備となりますので、お答えしかねます。

(2014年11月18日:日本原子力発電回答メール)


御回答有難うございます。追加質問で申し訳ありません。

2)東海第二のGIS化は再稼働とも絡むと思われますが、何年度位までに実施するか予定は立っていますでしょうか。

3)敦賀サイトはGIS/GCB化されているようですが、東日本大震災前に自主的・予防的に更新された物でしょうか。

分かりましたら更新された時期などもご回答いただきたくお願いします。

【回答】
2.東海第二発電所においては、今後ガス絶縁開閉装置を設置する予定です。

3.敦賀発電所2号機のガス絶縁開閉装置は運開時に設置しています。また、敦賀発電所1号機の気中(ガス遮断器)については、2004年度に設置しています。(自主的・予防的に更新)

(2014年11月26日:日本原子力発電回答メール)

各社の担当者にはこの場にてお礼申し上げます。

他の問題も検証しなければならないので(というより、多くの人達は他の問題に主たる関心を抱いている)、開閉機器が改善されたからと言って再稼働のお墨付きにはならないが、震災前にGISへ予防更新を行った関西電力、中国電力、九州電力は率直に評価出来る。特に、九州電力の対応は意外なことにベストである。やらせメール事件という失敗がプラスに働いたのだろうか。一方、更新を怠っているサイトについては再稼働を考える上で大きな制約として立ちはだかる。関西電力美浜、日本原子力発電東海第二の2サイトは老朽化も進んでおり、益々不利な条件となる上、更新計画についての具体的回答が無い。既に福島事故から3年半以上の時が経過している。教訓を活かした九州電力との差は著しい。

取分け、東海第二の対応が極めて不可解である。同サイトは日本で唯一、大都市圏に近接した原発である。しかも外部電源は女川などより軽微な地震動で損害を受けている。それにもかかわらず、電源喪失対策としては堤防を嵩上げし、非常電源を強化することばかりに意識が集中している。精々震度5か6程度の揺れでクリフエッジを超えてしまう状態を放置している同社の姿勢は「狂っている」と評しても過言ではない。

今回の記事で終わりにする予定だったが、外部電源(変電機器、開閉機器)はもう1回「開閉機器メーカーの活動実態-各事故調が食い込まなかった更新提案、津波対応、カルテル-」で取り上げる。

2014年4月23日 (水)

東海第二発電所の津波対応をめぐる日本原子力発電との質疑

本記事は茨城県の「要請」は明記せず日本原電の対応を「自主」「独自」と喧伝する危うさの続編である。

2014年4月22日、日本原子力発電は「新規制基準適合性確認審査申請に関する自治体への事前説明資料」を公表し、マスコミ各社も報道している。

九州電力やらせメール事件前までは、上記資料の「これまでの評価・主な対策」にも劣る弥縫策で再稼働を検討していたのだからぞっとする。もし、終戦前後の東南海、南海地震のように、東日本大震災に連動して関東以南でも大規模な津波地震が発生していたらどうするつもりだったのか。

ともあれ、世間全般の懐疑的な空気が奏功?してか、漸くある程度実効性の担保された幅のある対策メニューが示された。私は前回安全対策を一覧化した以前の模式図からを示してこう書いた。

Tokaidai2_image ※日本原子力発電ウェブサイトより前回記事執筆時点の模式図を引用

『日立評論』2013年12月号で提案されたような再結合器の増設がない。
浜岡において計画されている可搬型窒素ガス発生装置によるベント設備の水素爆発対策がない
③同様に人口密度で劣る浜岡ですら計画している敷地外への放射性物質の拡散抑制対策(放水砲の配備)が無い

今回、上記3点について再評価すると建屋内の再結合器設置と放水対策は明記されている。問題は「規制要求内容」に対応した対策のみ列挙されているように読めることだ。例えば、航空機衝突に関しては規制側も従来通り確率論に逃げ込み具体策を提示していない。私はそれを他サイトの審査状況を読んで知った。この発表にも航空機衝突に関しての記述は無い。土地勘と専門的見識を兼ね備えている筈なのに、自発性は期待すべくもない。

折角のリリースなので、今回の参考に供するべく、日本原電とのメールについても今回関係の深い個所を紹介しよう。

Q:茨城県の津波調査を踏まえて津波対策を強化した際の工事について予告した震災前のプレスリリース/専門誌論文などはありましたら回答願います。

A:津波対策(海水ポンプエリアの防護壁)について、事前予告したプレスリリース等はございません。

Q:茨城県の津波調査結果をその他の想定より重視した根拠についてご回答をお願いします。技術マターでは無く、トップの経営判断・県や社外からの要求等であればその旨回答願います。

A:東海第二発電所では、茨城県の津波評価を参考に、震災前から津波対策の強化を実施してまいりました。詳細については当社ホームページにて紹介しております。
■http://www.japc.co.jp/tohoku/tokai/pdf/setsumeikai_siryou.pdf(11/39参照)
なお、東海第二発電所における現在の津波評価については、昨年7月に施工された新規制基準を踏まえ、評価中です。

Q:福島第一原発では90年代に空冷式のD/G(ディーゼル発電機)を増設しています。津波対策の強化としてこういった他の方法もあり得る訳ですが、当時、社内で防潮壁強化の他に提案はありましたでしょうか。

A:社内の意思決定に関する情報等については、回答を差し控えさせていただきます。

Q:原産新聞等によると2002年に国内の全原発はシビアアクシデント対策を完了しています。2003年~2011年3月10日までの間で御社として追加したSA対策があれば時期を踏まえてご回答ください。

A:2003年~2011年3月10日までの間で、当社が追加したシビアアクシデント対策はございませんが、当社で は福島第一原子力発電所の事故を踏まえ、発電所における安全対策を一層強化しております。今後も新しい知見に基づき、発電所の安全性・信頼性を一層向上し てまいります。
以上、2014年3月3日メール回答より)

Q:ご紹介を頂きました資料に今後の安全対策について詳しく述べられていましたが、水素爆発対策として原子炉建屋内に再結合装置は検討されましたでしょうか。

A:社内の意思決定に関する情報等については、回答を差し控えさせていただきます。なお、東海第二発電所では、福島第一原子力発電所の事故を踏まえたシビアアクシデント対策として、原子炉建屋に水素ベント装置を設置しております。
2014年3月5日メール回答より)

Q:(異なる経緯を書いた資料2つを示す説明をした後)「2007年10月の県からの要請」と「土木部からの提案」はどちらが先でしょうか。
Q:県から評価結果を伝えられる前の時点で、御社独自に嵩上げの動きをしていて既に公表している情報があれば、御教示ください。

A:東海第二発電所における海水ポンプエリアの防護壁の設置経緯は、次の通りです。


茨城県は、2007年10月に「本県沿岸における津波浸水想定区域図等」を公表しました。これを受け、当社は、茨城県から関連データ(波源のモデルなど)を提供いただき、解析を実施して津波高さ(標高5.72m)を設定し、自主保安の観点から防護壁(標高6.11m)の設置工事を行いました。

当時の茨城県との細かなやり取りは記録に残っていませんが、情報を提供して頂いたことが当社の安全対策に繋がっております。なお、海水ポンプエリアの防護壁の設置について、事前公表した資料等はございません。
(2014年3月28日メール回答より、太字強調は当方による)

以後、3月31日に当ブログで茨城県の「要請」は明記せず日本原電の対応を「自主」「独自」と喧伝する危うさを公開。

相変わらず、県からの要請は全く触れられていなかったことが分かる。ひとつ疑問なのは、県担当者と異なり、原電担当者は記憶に残っていないかのような不自然な回答であることだ。複数年にまたがり、予算まで支出しているのに、おかしな話である。私のような第3者から見ても、茨城新聞の記事のように、県の要請がキーであったと考える方が妥当だろう。少なくとも、県の認識を伏せてレポートするような姿勢は誠実な検証とは言いかねる。

また、福島原発事故は異なる津波想定の内どれを重視するかという課題に失敗して発生した。従って「重視した根拠」を尋ねてたのだが、まともな回答になっていない。なお、22日、地元2市村長は連名で申し入れを行ったとのこと。そこにはこうある。

事業者として説明責任を果たすよう、申請前に住民および住民の代表である議会への情報提供を行うこと。また、情報提供に当たっては、福島原発との比較をするなど、工夫して住民に分かりやすいものとすること。

私は上記の表現はややずれた感を抱く。テクニカルタームがあっても、質問に対応した回答さえ出してくれればよい。また、私は偶々だが福島原発との比較も入れていた。今後、先のような不誠実な回答はしないようにして欲しい。現状では、収入源の無い日本原子力発電に取って、最も必要性の薄い部署はPAしか頭に無い広報部門と言える。

4/28追記:東京新聞は23日朝刊で「東海第二 審査の資料、一転公開 自治体指摘受け」と報じている。記事では「山田修東海村長は「一定の評価はできる」とコメントする一方で「あれだけ『出せない』と拒んでいたのに急にオープンになったという感じだ」と原電の姿勢を疑問視した。」とある。出そうとしなかった姿勢は当方でも上記の通り確認済みだが、何が公開に踏み切らせたのだろうか。まぁ不誠実な態度は指摘しておくべきだろう。

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