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2022年10月27日 (木)

「女川原発を救った平井弥之助」神話とは何だったのか

前回記事(リンク)では福島第一原発建設期の問題点を改めて見直した。

今後は1970年代中盤以降から事故直前に至る国の不作為を中心に検証を行っていくが、それは次回とし、今回は東北電力女川原発の計画・建設について改めて論じておく。そのことにより、福島第一国賠訴訟における問題を解くカギが見えてくるためである。勿論、各訴訟によって論争の経緯が異なるので、全部を取り込む必要は当然ない。必要な部分をチョイスすれば良い。

Youtube

出典:「概要と歴史(女川)」Youtube東北電力チャンネル(リンク

いま、Googleで女川原発について検索すると「女川原発 なぜ無事?」と検索数の多い質問が提示され、「女川発電所が助かった理由」(リンク)というOCEANGREENこと、小川雅生元東工大原子炉工学研究所所長のウェブサイトに誘導される。このサイトに限らないが、『「決められた基準」を超えて「企業の社会的責任」「企業倫理」を追求しつづけた平井氏の姿勢』が称揚されている。同様の解説は学者、技術者、経済評論家等が採用し無名のブロガーまで含めてネットに多数ある。学術論文や学会誌の巻頭文に組み込まれたものも多い。勿論新聞で記事にもなり、雑誌記事にもなり、本も出た。

更に、東北電力賞賛論の裏には「女川は例外的な事例であり、福島は出来てなくても仕方なかった」という主張が見え隠れしているものもあり、そのことをTwitter上の業界関係者が延々と論じたこともあった。

しかし、これらの話は前提から誤っているのである。

結論を述べると、次のようになる。

  • 東北電力は指針・民間規格通りの仕事をした。平井氏の貢献も通産省から依頼された民間規格の制定。基準や指針を超える点は全く無い。
  • 東北電力は社内で高い敷地高を決めてから、平井氏を招聘した(=発案者ではなかった)。
  • その敷地高も東電の手法を参考にサイト周辺の津波高から、15m以上必要であることは簡単に導けた。単純に女川地点の過去の津波高3mに対し、5倍の安全率を確保したものではない。
  • 1号機の時、古文書は「数量的に不明確」とされ、明治以降の記録が精度が高いとした(古文書偏重史観の誤り)
  • 当初案だと東日本大震災で浸水を招くものであり、高くするように住民からも助言されていたが、東北電力等はその事実に触れず、結果だけを宣伝した。
  • 平井氏は岩沼千貫神社の言い伝えを子供の頃から知っていた可能性もあるが、検証すると津波の脅威を勉強で再認識した可能性が高い。
  • 更にドライサイト(敷地高を確保すること)に固執するあまり、想定外への対策(建屋の水密化)について、後輩達に警告しようとしなかった。中部電力と比べてこの差は顕著である。
  • その上、平井氏より高い敷地高を提言した人もいた。
  • 平井氏の言行と生前の評判はどうだったのか・・・当ブログで解明

特に、指針や規格通りだったとなると、女川での国と東北電力の態度が一種の最低ラインとなり、福島での国と東電を見ていく上でとても重要になってくるので、これは前半に説明し、後半で平井伝説を検証していこう。

私も、かつて「東北電力の企業文化」という法令や指針に基づかない要素は否定したが、平井弥之助のリーダーシップは評価し、前回記事まではその影響力を一定程度見ていたが、今回の検証作業の結果、平井氏がいなくても東北電力は女川を15mの敷地に建設しただろうと考えを修正した。

本来なら数本の記事に分割すべきところを今回は1本にしている。安易に言われる「メディアは報じない」と違って、こうした観点での再検証は当ブログ位しかやっていない。通しで一気読みする必要も無いが、関心があればゆっくりしていって欲しい。

【1】指針と電気協会規格

本節は指針、規格、設置許可申請の仕組みを述べているので、面倒な方は飛ばして構わない。

前回記事はもっぱら民間規格のJEAG等を論じたが、ここで指針も含めて俯瞰しておく。

(1)安全設計審査指針とは

国の「発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針」(リンク)は1970年4月に制定された。これは簡単に述べると設置許可申請された原発の設計に問題が無いか、原子力委員会が審査する際の物差しである。

安全設計審査指針の本文は基本的に原則論しか述べておらず仕様規定的な要素は殆ど無い。その構成は2.1で準拠規格・基準、2.2で自然条件に対する設計上の考慮、2.3で耐震設計について述べており、いずれも「過去の記録を参照」することを要求していた。

当指針には実運用の便のため「解説」という文書が付随する(Level7,リンク)。全項目に説明が加えられている。

P9

2.2の解説を引用するが、過去何年、サイトから半径何キロといった仕様規定は無く、「過去の記録の信頼性を考慮のうえ、少くともこれを下まわらない過酷なものを選定して設計基礎とすることをいう」などと述べられているのみである。女川の設計担当者が課せられた第一の条件が、これであった。

設置許可申請との関連についてもここで簡単に説明しておく。設置許可申請の基本的な仕組みは「ごぞんじですか?原子炉設置(変更)許可申請書」(『専門図書館』2011年11月号、リンク)に基本的な構成が説明されているが、申請を受けた後の審査過程については意外に説明が少ない。なお、設置許可申請は当初より公開され、新規のものはこの時代だと300ページ程度。

原子力委員会が審査をしていた頃は、申請ごとに「〇〇原子力発電所〇号炉設置(変更)許可申請第〇〇部会」を設け、その審査の為に設置許可申請を補足する説明資料を電力会社に提出させるなどしていた。この部会資料は審査の透明化を目的に1975年に公開され、それまでの分が国会図書館に収められている。この中で、電力会社側は「安全審査指針に対する対応」という資料を準備し、指針の各条項に対してこういう基本設計をしていますよ、という説明を行うようになっていた。従って、指針に対する当時の公式の理解を知るためはこの資料を読めば良い。新規の場合分量は100項目程度で、計1000ページ前後。

私が女川1号機の設置許可申請、およびその参考資料を読んだ限りでは、安全審査指針と津波との関係を詳しく述べた部分は存在しないようだ。当時の詳細な説明資料が付くテーマと言えば、専らプラント解析、自然現象では地震である。

とは言え、女川神話でよく言われる「エピソード」、津波伝承を集め、中でも1611年慶長津波の際、宮城県南部の岩沼市、千貫神社に来襲した津波のことを平井氏が知っていたとの伝聞が決め手となった、みたいな話があるが、たった400年前の津波伝承なら当時でもその存在程度は認識していたことが設置許可申請と部会参考資料から分かる。東電福島でさえ、建設初期には過去400年の地震を調べているから、後続する女川がそうなるのは当たり前である。

その後、指針類にも仕様規定的性格のものとして耐震設計審査指針(旧耐震指針)が定められたが、それは1977年のことで、しかも津波に関する指針とはならかった。つまり指針類は曖昧で貧弱な内容のまま数年間を過ぎたが、その理由は制定を担当する原子力委員会の動力炉安全基準専門部会に余力が無く、活動がにぶりがちだったからであり、当時から意識はされていた(『原子力産業新聞』1975年2月27日3面)。また、この時期は別の記事で解説していくが、設置許可申請されたプラントの安全審査も能力的な制約が大きかった。

(2)日本電気協会規格JEAG4601-1970とは

前回記事でも取り上げたが、JEAG4601-1970は耐震設計の考え方を参照するためのものである。

通産省の依頼で作成され、1970年5月に電気協会内部の原子力専門委員会、7月に上位の電気技術基準調査委員会で承認され、10月に発行した。これら委員会には東北電力も含めて各社が委員を出しており、電気技術基準調査委員会の旧委員に平井氏も入っていた。

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1970年版は、付録としてIAEA勧告なる文章がついており、「特定地域の津波による最大海面上昇の高さは十分な歴史的記録がなければ予想できないであろう」と言及していた(前回記事で解説した通り)。平井氏はこの勧告を付録することを認めた一人、ということだ。

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再掲するが上記のようにJEAG4601-1970は安全設計審査指針より記述のレベルがやや詳細化している。

なお、前回記事で書き忘れていたが、本規格2.1「敷地選定とその評価」の文章をよく読むと「海岸線の形状に支配されることが大きく、過去の津波の被害からおおむね判明している」との一文が入っている。本規格付録のIAEA専門家会議勧告と一見反するようにも思えるが、2.2「地震活動度」には「この種の学術研究は今後も進歩すると思われるので常に漸進的な態度で検討することが望ましい」と記載されており、同勧告と軌を一にしていた。

(3)IAEA勧告とは

JEAG4601-1970の付録2に収録されたIAEA勧告は、どんな背景を持つ文書なのだろうか。

JEAGには、発行年次等の情報が書かれていなかった。しかし英称”IAEA PANEL ON ASEISMIC DESIGN AND TASTING OF NUCLEAR FACILITIES PANEL RECOMMENDATION”で検索したところ、IAEAサイトに保存されていた。TECHNICAL REPORT SERIES No.88のタイトルであった(リンク)。1967年6月12日から16日にかけて日本で開催され、翌1968年6月に出版したものである。

パネル参加者は、見る人が見れば、当時のそうそうたるメンバーであった。国内外の学者は言うに及ばず、海外勢はGE,エバスコ,WH,ベクテル等も人を出していた。人数の上では(地震国と言う特徴故か)国内メンバーが半数以上を占めていた。つまり、勧告の内容はこれら参加者の総意に基づくと解することが出来る。なお、平井弥之助、東電の小林健三郎等は入っていない。小林は福島原子力建設事務所に駐在だから、担当業務でもなく、物理的な距離感も現在よりあった。

私が注目したいのは、日本原電の秋野金次氏。耐震設計の専門家である。2014年のブログ記事(リンク)でも紹介したが『コンストラクション』1969年3月号(重化学工業通信社)にて、太平洋側ではM=8級の地震を想定しなければならないと述べるなど、現実的な観点を持っていた(当時はモーメントマグニチュードの概念が無いのでM8級とは最大クラスを意味する)。

【2】東北電力の行動は指針、規格の遵守に過ぎない

さて、女川1号機の計画過程を重ねて時系列に並べてみよう。

  • 1968年6月:IAEA勧告発行
  • 1968年7月:東北電力社内に海岸施設研究会を設置
  • 1970年4月:安全設計審査指針制定
  • 1970年6月:女川1号機設置許可申請
  • 1970年10月:JEAG4601‐1970制定
  • 1970年11月:女川1号機審査結果が報告される

このように、女川の計画と、IAEA勧告、指針、JEAGは同時期である。参照しない訳がなく、実際の仕事の結果もこれらに記載した通りの行為となっている。

【3】「女川の奇跡」で平井弥之助を称揚し始めた元通産官僚と東北電力OB

ここからは平井伝説に焦点を当てて行こう。

それにしても震災後突然始まった女川絡みの平井弥之助称揚には不思議な点がある。事故以前の記録や当人の手になる文章がまるで見当たらない。町田徹氏は電中研時代の所内報挨拶文を発掘しているが、設計や原子力について論じたものではない。

実際には平井氏の著述物は他にもあり、2011年時点でもCinii等を用いればすぐに分かった筈である。だが、そうしたものについては後回しとし、まずは神話を検証していこう。

経歴は「電力土木の歴史-第2編電力土木人物史 (その6)」(『土木史研究』18巻、1998年、リンク)に詳細なものが載っている。

大まかに述べると、1902年宮城県柴田町生まれ。柴田町は県南に位置し、内陸だが岩沼市に接し、千貫神社は近い。水難という観点では阿武隈川に接している点も見逃せない。新卒から一貫して電力業界で土木技術者として働き、日本発送電を経て電力9分割の際に東北電力に入社した。

1960年5月から1962年11月まで取締役副社長、1963年からは子会社の東北電気工事で取締役会長をこなしつつ、電力中央研究所(電中研)理事を振り出しに技術研究所所長などを務めた。東北電気工事は1971年に顧問に退き、電中研理事は1974年に退任、理事となった。1986年2月に死去した。

神話の下地として最も流通している説明は、東北電力で立地関連業務を担当経験のあったOBの大島達治氏によるもので、次の通りである。新聞雑誌の記事や書籍も沢山出たが、これより後で記述のレベルも浅い。

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2011年3月28日に「通産省出身の元水力課長」が平井氏の功績について発信(INとはインターネットだろうか?)。これに触発され、2011年6月には大島氏の手で「技術放談 結果責任を負う事業経営のあり方」という一文が書かれ、それが出回った。画像引用はしないが次の4ページには「法令に定める基準や指針を超えて」という一言について、大島氏が記者などに説明する際に特に強調するように要望した旨、記されている。

発言者の立場を踏まえると、この言葉は指針を定め、規格を制定した国、および東電の責任を巧みに回避させようと意図した、訴訟対策と受け取れるのだが、無理がある。

まず、安全設計審査指針(リンク)は先に見たように「過去の記録を参照」するように求めていた。神社の地域伝承は勿論過去の記録の一種である。それを参考にしたところで、指針など超える訳がない。また、大島氏は自分自身が立地業務に関わった経験があり、且つ技術士でもあるのだが、文章には「基準や指針」の具体例が全く無い。

一方、平井氏はJEAG4601-1970という「基準を決めた側の一人」でもある。「規格に自分の思想を反映させたのが偉い」ということなら分かるが、そのような褒め方をすると、「女川は基準を超えていた訳ではないので」東電の立場は益々無くなってしまう。

また、IAEA勧告発行の翌月に、社内に海岸施設研究会を設置しているのだが、勧告文と平井伝説を比較すると、歴史津波への独創的な思考は特に見当たらない。2011年以降に語られた(震災バイアスが入り込みやすい)伝承の方が誤っていると言える。

後になって、「IAEA勧告にも裏から助言していたんだよ」などとOBが言い出したところで裏が取れなければそれまでであり、取れたところで、自分で制定したルールを守ったという、平凡な話にすぎない。

なお上記に赤書きした通り、東電の原子力導入に関する時系列に明らかな誤りがある。

【4】規程・基準は「馬鹿でも出来る最大公約数」と述べた平井弥之助

ただ、大島氏が震災後に著した文章を読み返すと、興味深い点に気づく。

 

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例えば、大島氏自身は人脈を利用して入社し、11年世話になり、仲人までして貰ったそうである。遠くから見ていた後輩が人物評をしている訳ではないということ。率直に言ってバイアスはかかると思う。

また、上記の一文には「規程・基準は馬鹿でもやれる最大公約数」と訓育したとある。平井氏が制定に関与したJEAG4601-1970は「馬鹿でもやれる最大公約数」だったのである。

【5】平井氏が招聘される前から敷地高を高く検討

2011年9月13日に東北電力が原子力安全・保安院への説明資料として準備したスライドを見てみよう。

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よく見れば「社内での比較検討の結果(中略)15m程度が最適と考えた」後に社内委員会(海岸施設研究委員会)を設置したとある。

平井氏が発案したかのように述べる人もいるようだが、最初から社内の最適案は15mなのである。

ネットで読める『原子力委員会月報』1970年12月号に付録された審査結果(リンク)では敷地高は14mとなっており、最終的な敷地高15m(14.8m)より1m低いように見える。

しかし、私は設置許可申請本体も読んだのだが、これは造成した時の高さを示すものらしく、原子炉建屋は14.8m、タービン建屋は15mの敷地高を確保していた。

なお、女川1号機はそのまま進めば福島第一の4・5号機と同時期に運開を計画したが、漁業関係者を中心とした反対運動のため着工は10年程遅れた。この間、数回設置変更許可が提出されているが、敷地高に関しては最初から変わっていない。1978年7月の設置変更許可申請にて、放水の設計がトンネル排水路から水深の深い水中放流管に変わっているが、津波や高潮の関連では変更がない。従って海岸施設研究会の成果は、設置許可レベルでは放水方法以外に影響しなかったものと考えられる。詳細設計に相当する、工事認可申請(非公開資料)には載っているのだろう。

ただしこの間、外部電源の開閉所は耐震性の高いGISの時代に取って代わり、事故を回避出来た副次的要因となったことは、数年前のブログ記事で述べたとおりである。

【6】正確な記録と生きた証言に溢れていた明治三陸津波と昭和三陸津波

震災後に行われた平井伝説、社外からの女川PRの盲点は、貞観、慶長といった古い津波の記録にフォーカスをし過ぎていることにもある。

三陸の場合は近代以降も、貞観や慶長にも比肩する高さの津波を経験していた。常識に立ち返れば、こちらの方が記録が正確で出版もされており、加えて体験者から新証言が収集可能であり、記念碑も新しく残存率が高い。後述する、羽鳥徳太郎氏の近代以前の歴史津波を対象とした論文に比べても遥かに情報の密度・正確度が高い。

だから最初から東北電力も近代の津波記録を把握したし、証言も収集した。私は実際の設置許可申請とも比較したが、下記のスライドは要点がよくまとまっている。

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スライドでは女川付近は精々3mの旨黄色で枠囲いしてあり、設置許可申請を読んでも津波の検討部分は東北電力自らが上記の(軽んじるかのような)結語で締めている。

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だが、毎回完全に同じ波源となることは無いため、重要なのは(1)の文献調査である。

また、ここで着目すべきは先行する東電福島。津波想定を決めた時に、55km離れた小名浜の記録を参考にした。従って東電流の考え方をするならば、55km以内に高い津波の記録を探し、それを当てはめれば良い。

ここで東北電力は『験震時報第7巻第2号』を挙げた(気象庁、リンク)。国会図書館は『三陸沖強震及津浪報告. 昭和8年3月3日』のタイトルでデジタルコレクション(リンク)でインターネット公開しているが、内容は同じものである。

中を見ると1km前後の間隔で実に詳細に津波の高さを示しており、下記のような一覧表にまとまっている。また引用はしないが一覧表と対応した地図が口絵に掲載されている。

一覧表を見るとコマ番号95、P9の歌津村(現南三陸町)石浜の外洋で明治三陸の時14.3mと記載されており、確かに設置許可申請の通りである。女川原発からは北に35km程。なお、歌津村は全般的に高い値が多く、海岸の向きも女川原発と似ている。

他、桃生郡十五浜村の荒屋敷で10.0mとの記載がある。荒屋敷はコマ番号14の口絵地図に載っており雄勝湾と追波湾の間、現在の荒浜海水浴場である。女川原発からは北に15km程しか離れていない。

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明治三陸では38mを記録した岩手県南部の綾里湾が有名だが、湾の形状が完全なV字であることの他、女川原発からの距離が約78kmある。そこまで遠い地点を参照するかは議論が分かれるかも知れないが、35kmや15kmなら近い。

なお、中央気象台はコマ番号93-94、P5から6で「波の高さ」を定義しており、これらは痕跡高(遡上高)である。

こうした記録は、歴史津波など前提が不明瞭な場合は、津波高の定義、位置、情報を記録した時期などについて議論の対象になる。だが、原発に要求される敷地高はJEAGによれば(後年の言葉でいう)ドライサイト、場合によっては敷地高の足りない分は防潮堤を設けて守るドライサイトコンセプト、である。

ドライサイトは水が絶対に来ない高さを示すもので、女川は明らかにそれを目指した。その観点からは痕跡高は有力な情報源である。同じ地域で異なる高さの証言・記録があった場合でも、2~3m程度の小さな差であれば保守的に高い方を採用すればよいことは、簡単に導ける。明治三陸以降は干満についての情報も残っているだろう。

なお、設置許可申請には出てこないが『宮城県昭和震嘯誌』(宮城県、1935年)も見てみた。この本は県がまとめた災害記念誌である(参考、「第1章 津波の記録―明治三陸地震津波と昭和三陸沖地震―」『本の万華鏡 第8回 津波 ―記録と文学―』国立国会図書館、リンク)。県庁か図書館を回れば参照出来るものだ。

やはり、現南三陸町田ノ浦から歌津付近の外洋に面した海岸(女川原発から概ね35~37km)で11~12mの津波が記録されていた(北原糸子他「津波碑は生き続けているか-宮城県津波碑調査報告-」『災害復興研究』第4号、関西学院大学、2012年P27図2、PDFリンク)。

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モノクロスキャンで読み取り難いが他の記録の傾向と照らすと、表の左側が昭和三陸津波か。明治三陸と思しき右側は藏内、田ノ浦で12m、石濱、中由馬場で11mといった記載が確認出来る(括弧で括られた部分は浸水面積)。なお、幾つかの地点で『験震時報第7巻第2号』と値に相違がある。

なお、平井氏を称揚する解説の中には当初敷地高12mの案もあったという話も出ているが、時期が不明であり、上記から考えれば設置許可申請の前、更に言えば海岸施設研究委員会の設置前ではないかと思う。だが、これまで見たように、平井氏でなくても却下するのは当たり前と分かる。

【7】当時の一般向け三陸津波紹介

なお、最初の設置許可申請前後にあった一般向けの啓蒙についても触れておく。

(1)吉村昭『海の壁 : 三陸沿岸大津波』(中公新書、1970年7月、リンク

吉村昭氏は戦記ノンフィクション作家として1960~70年代に活躍した方である(下記画像はAmazonより。後年、文春文庫で再版)。

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元が新書だったことから分かる通り、吉村氏の著作は小説ではなくノンフィクションの色彩が濃い。

第二章「波高」という一節は測定法に関する考え方を示したもので、明治三陸の事例を記載。大量の記録から、宮城県では2ヵ所を引用し、内1ヵ所は歌津石浜の14.3mだった。参考文献欄には『三陸沖強震及津浪報告. 昭和8年3月3日』が載っていた。「まえがき」からすると脱稿は6月のようだが、出版の2ヵ月前に出た東北電力の設置許可申請は(勿論)載っていない。偶然だが、同じように情報収集すれば、吉村氏が作中で自認するように、専門家ではない一般人でも同じ文献に目をつける、という見事な実例を示している。

この本が直接社内の議論、および審査に影響したとすれば本章の「この数字がそのまま津波の高さを正確に伝えるものとは限らない」というくだりだろう。吉村氏は1ヵ月に渡って現地での証言収集を続けたため、場所によっては、中央気象台などの公式記録より証言から推定される津波が大幅に高いことに気づいた。それで15mの設定が動いたわけではないが、数値の正当化には益したと考える。敷地高を下げようとは思わないだろう。

結果責任に関する意識付けも同様。被害の惨状は端的に言って地獄絵図と、誰にでも分かるように書かれている。

勿論欠点もある。明治三陸について、吉村氏は殆ど存命者の証言を収集出来ていないが、先の東北電力の調査ではより多くの生存者から証言を得ていた。また、個人で調査した場所の海抜を容易に求めるのが難しい時代であったため(詳細な地形図と照らし合わせが必要)、証言者の居住地と実名を沿えてトレーサビリティの維持には気を配ってるが、高さは判然としない記述も多い。

(2)NHK番組『新日本紀行』

近年も再放送され、アーカイブ化を優先して行っている。NHKのサイトで調べてみたところ、1968年11月25日「宮古 久慈 ~北部陸中海岸~」(リンク)が放送され、田老の堤防について取り上げていた。少し後になるが1973年6月4日には「唐桑の七福神 ~宮城・気仙沼~」(リンク)も放送した。

新書や教養番組は、話の種として企業活動の中で持ち出すのに向いている。三陸を知らぬ者も多い電中研や電事連と言った場所で何か訓示する際にも、立派な素材となるものである。加えて、東北出身者に接さずとも、日本海側や内陸出身で三陸に疎くても、意識付けの機会になる。それにこの時代のテレビは世帯普及率がモノクロ・カラー合わせ100%程度。独占的な発信力を既に獲得しており、しかも1世帯で複数台設置・多チャンネル化時代の前であるので、実質的な視聴率は高かったと思われる。

書籍とテレビ番組から一つずつ例示したが、勿論調べれば雑誌や科学番組など他にも出てくるだろう。

こうした観点から見ても、平井氏や少数の土木技術者だけの手柄ということはまずありえず、誰がやってもそうなる、という状況だった。

そのためか、設置許可申請や部会参考資料を見ても、海岸施設研究委員会の名は出てこない。

【8】1970年代に歴史津波の知見を拡張したのは羽鳥徳太郎氏であり、東北電力ではない

当時の歴史津波への姿勢についても述べておく。

1号機の時点では、東北電力は独自の古文書、石碑調査を行った形跡が無い。海岸施設研究会で取り上げたことは伝えられているが、こんな大事なことにも関わらず記録が残っていないため、その水準が全く分からないのである。だから結局は、設置許可と参考資料と同程度と見なさざるを得ないだろう。

なお、古文書とはどれくらい前の文書を指すかだが、東北大名誉教授の平川新氏によれば、和紙に書かれた明治以前の文書のことをいう。洋紙に書かれた明治以降の書類で、歴史分析の対象となるものは近代文書などと呼ばれることが多い、とのこと。私の調べたところ、明治維新期の資料なども古文書扱いされているものがあるようだが、新政府が近代的な地方自治の体制を構築するには時間を要し、1888年群制の施行でその完成を見るようである(「文化財としての古文書, アーカイブズとしての歴史資料」『学術の動向』2019年9月号、リンク)。

明治三陸津波の記録は中央気象台がまとめていることから、古文書とは言わない。一般的なイメージとしても近世以前だと思う。

よく言及される『日本三大実録』に記された貞観津波の言い伝えだが、これは今でいう公式記念誌のようなもので、知名度は高く引用されて当たり前のものである。近年、歴史研究で新規性を認められるには、寺の過去帳を読み解くなどの調査を要するし、そこまで行かなくても先行の研究成果位は参照するものだ。「古文書を当たって」というのはそうした行為を指すが、ネット上では記念誌を読み返す程度の意味に化けてしまった。

東北電力の海岸施設研究会は1980年8月まで活動したが、この間、地域史料まで当たって歴史津波の記録を検証したのは、津波研究者の羽鳥徳太郎氏で、「三陸沖歴史津波の規模と推定波源域」(リンク)を『東京大學地震研究所彙報』50巻4号(1976年3月刊行)に投稿した。

よく言及される、1611年慶長津波の際に記録された、岩沼千貫神社の件も挙げられており、この頃の羽鳥氏は神社の手前まで達した津波高は6~8mと見込んでいた。

東北電力は福島事故後にまとめた資料で、2号機からこの記録を参照としているが、1号機建設に際しても着工前の論文なので参照は出来ただろう(下記は東北電力の説明資料に赤書きしたもの)。

2011913p7

8mの伝承だけなら小林論文のように10mでも良さそうに見えるが、実際に検討された案はどれも高い。より重視された明治以降の津波が決め手だったのだろうが、敢えて比べるなら、慶長津波の岩沼千貫神社は直線状の海岸に対して、牡鹿半島以北はリアス式海岸という地形上の違いがある。また、千貫神社は海岸から7km奥にあって俎上による減衰が見込まれるのに対し、原発サイトは海際である。

ただし、牡鹿半島の石巻湾ではなく太平洋に向いてる点は岩沼と共通しており、直線距離は約67kmだが南北方向のみだと32km程度になる。

この事例が敷地高の判断に影響を及ぼしたとすれば、明治三陸や昭和三陸では起こらなかった高さの津波が、宮城県南部の岩沼に押し寄せていたことだろう。この事実から、主たる波源域が必ずしも三陸以北とは限らない分かりやすい例、として数えることが出来、例えば「明治三陸地震がもう50km南にずれて発生していたら」といった、小規模な波源移動を現実的なリスクとして受け取れたのではないか。そうなれば、今までは3m前後の波しか記録の無い女川でも、今後は15km、35km北で起こったような10m以上の津波が来る、という予見を補強出来るのである。

まぁ100kmも200kmも波源を南に想定するならともかく、50km以下の波源のずれ程度は慶長津波を細かに調べなくても想定の範疇だったとは思うが。

なお、小林健三郎の場合、前回記事で引用した博士論文3章の記述を見直してもらえばわかる通り、「V字型およびU字型海岸は適地から除外」していたが、女川は候補地の一つとして海抜10mで設定した。比較的開けている方とは言え、ゆるやかなU字なのだが。東北電力の検討結果と比べると、日本第二の津波常襲地帯である高知出身の割には、やり方は稚拙そのものと言える。

以上は、私の推認であり、実際の検討過程は東北電力が最初に実施した比較検討の資料や、海岸施設研究会の議事録を公開しないと分からない。だが、1970年代の知見で合理的に15mの敷地高を導くことは常識レベルで可能であることは分かるだろう。

むしろ、女川では3mの記録しかないことを強調する東北電力と原子力委員会に疑問がある。16mや18mといった案が葬られた可能性についても、考えておくことは出来るだろう。

例えばスライドで引用した歌津町石浜の14.3mを東電方式でそのまま採用すると、潮位差を加味したら15mを上回る可能性は高そうだし、この時代のやり方だと5m以下の想定でも0.5~1m程度の余裕は加味していたので、16m程度は必要に見える。想定の10%掛けで余裕高を加算すると14.3+潮位差(0.5~1m前後はあるか?)+1.4程度でやはり16m台後半となる。「神話で語られる平井像」的に余裕を大きく取ると、20m前後が妥当ではないか。

【9】地元の声を拾った『積算資料』

証言についての検討をしてみよう。昭和三陸津波は1933年だから、最初に設置許可を提出した1970年だと37年しか経過していない。40代以上の中年なら昭和三陸の実体験があった計算。調査で役場に挨拶しに行くだけでも文書に載ってない「証言」を得られる可能性がある。明治三陸津波の場合は1896年なので経過年数は74年。当時の平均寿命は今より概ね10年程短いが、80代以上の古老なら経験している。

そのため東北電力は1969年12月「現地付近の地震被害調査」という聞き込みを行った。調査報告書は設置許可申請第68部会参考資料103として、原子力委員会にも提出された。担当したのは同社女川原子力調査所の社員であり、主目的は地震だったが、明治三陸津波についても聞き取りを行った。残念であるのは聞き込みの範囲が調査目的の関係で女川町周辺に限られたことだ。

なお、東北電力の説明に反し、敷地を高くするように求めたのは、住民だったという証言がある。

地元に住むお年寄りから、次のような話を伺った。

建設計画の説明会が開かれた際に、最初に住民に提示された計画案で女川原発は、今回大きな事故になった「東京電力福島第一発電所」と同じような海岸線の低い標高に計画されていたそうである。
これを聞いていたお年寄りの方から、
「あんた達は若いんだね。そんな場所は物を建てるところじゃないよ。」
という声がかかったそうである。
そしてそのお年寄りは
「あそこにしなさい。あそこの高台にしなきゃだめだよ!そんな低い場所は昔から波をかぶって来たところだよ!」
「昔から津波から逃げるときはあそこへいけ!あの高台ならば大丈夫といわれてきたんだよ。」
と高台を指差したそうである。

(中略)その後、東北電力はこの地域に伝わる言い伝えを検証、文献調査、現地調査、ボーリング調査などを行い、その結果お年寄りの言っていた通り、地域に伝わる「言い伝えは正しい」とし、女川原子力発電所の計画案を変更し、硬い岩盤が確認出来たその高台に原子力発電所の計画を変更したそうである。

2013-07-01
土屋 信行「教訓そして再生へ(1) 東日本大震災から学び伝えたいこと」
『積算資料』(けんせつPlaza、リンク
※公益財団法人 えどがわ環境財団 理事長

吉村昭氏のくだりでも言及したように、証言はしばしば公式記録を上回ることがあるので、齟齬が生じることに対し説明はつく。

問題は敷地高の決定と「説明会」の時期に矛盾があること。

女川町HPでは詳細な「原子力年表」(リンク)を掲載しているが、1972年7月11日「県、知事出席のもと、原発建設説明会を女川町で開催」とある。この時点では国が主催する公開ヒアリング制度は無かったので、独自に実施したのだろう。お年寄りの助言がなされたとすればこの説明会となる。ただ、1972年の説明会なら15mと説明している筈。

別の仮説を考えるとすれば、「説明会」の意味するものが違い、聞き取り過程で双方の理解に齟齬があった可能性である。町のHPに加えて三浦康「急がれる原子力発電所建設」(『政経東北』1978年2月号)も参照しつつ述べると1967年1月、東北電力は女川を立地候補に挙げ、1968年1月建設計画を発表した。翌月には予定地の地権者全員が立ち入り調査に同意し、同年末には漁協の同意を得て海象調査を開始した。漁協が一転して反対に回ったのは1969年6月以降のことで、以後約10年膠着状態となった。

この経緯でお年寄りが助言できたのは何時かを考えると、1968年頃に地震ではなく、用地買収や海象調査の担当者へ語ったのではないか。普通の公共事業などでも、地権者限定の立入調査・用地買収説明会は実施する。またそのような説明会の場以外にも、立入当日は地権者と打ち合わせする。「高台を指さす」のは地図ではなく屋外でそうした際のことであるようにも読める。そうであるなら12m案か、小林論文にあるような10m案などでも時系列上の矛盾点は無い。

なお『政経東北』は記事単位での両論併記が特徴で、1980年1月号の編集部になる記事では、漁協の反対運動に対して東北電力が「電力が不足してもいいのか」と「反対運動をしていると電気がつかなくなるぞ」とも取れる姿勢で火に油を注ぎ、漁協以外へも反対が拡大したと伝えている。供給義務からはあり得ないことだが、私の個人経験から言えば、そのような型通りの説明を繰り返す者は、住民に対して他に語るべき材料を持たないからそうする、と感じている。SNSの原発推進派達が全く同じ恫喝を日常的に繰り返しているのを見れば、「先輩」達が同じことをしたというのは信憑性の高そうな話である。

東北電力の担当者が居丈高になってしまったのは、「こんな感じです」と福島のパンフレットでも参考に配った結果「敷地高が低い」と反論され、代替案を持ってなかったからではないか?

平井称揚はこうした不都合な話を打ち消すには最適なのだろう。

【10】10年以上神話の連呼を続けた井上リサという人生

こういった事情を見るだけでも、時代背景も考えず古い津波の伝承ばかりを重視し、手柄を東北電力関係者、更には平井個人で独占するのは不誠実ではないだろうか。

例えば郷土の昔話を交えながら、何万回も平井氏の話をしたという井上リサという人がいる。何万回も言った割に、私が東北電力の広報担当者から勧められた町田徹『電力と震災』の平井氏を取材するくだりには井上リサ氏の名前は全く出てこず、ネットでは芸達者でも、東北電力を称賛する人にさえその声が轟いていないらしい。

細かな情報を知らずとも、東北電力が公表した2011年9月の資料を読めば神話のおかしさは分かること。実に、不憫に思ったものである。

ある時、次のような話を呟いた。

2021年、これを見かけて平井氏が浜岡にも絡んでいたことは文献にも残っていると別の方に教えたところ、程なくしてブロックされた。

 

井上さんは人生の一時期を賭けてPRに勤しんだのだろうが、碌に比較衡量もせずそういう行為にふけったのは失敗だったと思う。

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中部電力も東北電力と似た様な、海洋施設研究会を設けたが、建設記録に活動内容をまとめていた。

研究経過概要は後で引用した意味を説明するので、とりあえず無視して良い。委員として平井氏の他は、運輸省の港湾研究所所長や速水頌一郎元京大防災研究所所長の名が目を引く。特に前者を通じて知見を人的に入手するルートがある。そんなもの無くても火力発電所の頃から港湾との関りが深い電力会社ではあるが、「縦割り行政で通産省の顔ばかり見ていたので港湾の防災知見は存じ上げておりませんでした」はどうやったって通じないということである。鶴岡鶴吉氏は造船ドックの専門家で、土木工事と水門(ドックゲート)には明るかったかも知れない。

『電力と震災』に記された町田徹氏の取材からすると、東北電力の海岸施設研究委員会議事録は破棄されて残っていないようである。もしそうなら、大事な話をいとも簡単に捨ててしまうということであり、これまた信用の無い行為をしていたのだなとなる。

もっとも、私自身は破棄したとは思わない。実際は社内で閲覧許可のレベル分けをするのが常であり、「お客様の側に立つように」指導されている広報担当が見れる文書の中に、海岸施設研究会の議事録は無い、という意味であると思う。また仮に破棄なり最高機密なりであっても、中部電力のように、社内で作った記録に議事概要を載せている例もある。

なお、一般論として述べるが「地元の歴史に明るくなる」のを深い教養に基づくかのように言っていた方もおられたが、今は簡単だろう。インターネット上の自治体HPや史上の有名人を記念した公式サイトなどは幾らでもあるし、現地を訪問すれば県庁所在地他、拠点駅にはパンフレットが何十種類も置いてあり、観光案内所も設置されている。テレビのチャンネルに観光案内を載せているホテルも多い。各地の原発サイト周辺で観光旅行を企画している井上さんがどのような勉強法を取っているかは知らないけども、上記のものを活用すれば、短期間で一通りのことは言えるようになる。

【11】原子力に進出する前から建屋を水密化していた中部電力との「分かれ目」

なお私が聞いたところでは、中部電力は浜岡1号機建設の時から防水扉を設置し、想定外の津波にも備えていたのだが、これもまた、平井氏の助言よりも同社の直接的な体験が影響していると思う。何故なら、1959年の伊勢湾台風では同社の設備等にも大打撃を受け、以降、火力発電所では水密扉の設置を行ったからである。

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伊勢湾台風の犠牲者は約5000人。だから1995年に阪神大震災が起こるまでは戦後大災害の例として社会科の教科書にかなり強調して載っていた記憶がある。同時代人を含め、戦後から前世紀に教育受けた世代は概略同じじゃないかと思う。そこから着想すればある程度調べた時点で、予想出来るようにもなる。先のツイート時点では、私は上記文献は見ていなかった。

ここで注意べきは、平井氏も敷地高を高く取ることには注意を払ったようだが、建設後に想定が上昇した場合や、想定外の津波が押し寄せた場合の対策までは考えが及ばず、浜岡の対策を見てもそれを取り入れようとはしなかったことである。

敷地高確保への執着が筋金入りなのであろう。何故なら、伊勢湾台風の翌年、1960年5月にはチリ津波により東北電力八戸火力発電所が浸水したためである。同社初の火力であり、平井氏が軟弱地盤対策で大型ケーソンによる基礎の方針を決め、部下の大島氏に設計を任せた案件だった(「先輩に学ぶ(その3)彌翁眞徹居士 平井弥之助先生」『過去に生きるおとこ』2003年P26)。

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上記空撮の他、防災科学研究所でも海上保安庁が保管してた写真(リンク)を公開している(「災害写真館2/2 チリ地震津波50周年」防災科学研究所、リンク)。

被災時、平井氏は副社長の初仕事として、その他の一般社員はそれぞれの持ち場で被害状況の報告を眺めつつ、復旧計画の策定等に係わっていた筈。また、電事連での各種会議や日本発送電時代の人脈等による繋がりから、伊勢湾台風対策についての情報も合わせて共有することはしていただろう。自分の作品である火力発電所が津波で浸水したら、印象には残る。

チリ地震以前の被害記録と発電所敷地の海抜、チリ地震の被害についてはネット上にも信頼出来る記録がある。先に取り上げた『験震時報第7巻第2号』(気象庁、リンク)を見ると、1929年に周辺町村が合併して発足した八戸市は登場せず、合併前の鮫村で明治三陸の際3.0m、昭和三陸で2.1mとなっており、やや北方の市川村(1955年八戸市に編入され消滅)で3.0mと記録されていた。これに対し、埋立造成したと思しき土地に作られた八戸火力発電所は、高さ6.5mH.P(八戸港平均海面水位、T.Pこと東京湾平均海面水位で5.7m)の砂堤に囲まれた灰捨場があり、この土手を辛うじて浪がこしたという(八戸市総務部庶務課長佐々木正雄「チリ地震津波 八戸市」『津波デジタルライブラリィ』)。著名な津波工学者首藤信夫は世界初の発電所被災と述べ、浸水深は50cm程度と書いている(「1960年5月24日 チリ地震津波 その2」(過去の防災に学ぶ29)『ぼうさい』2010年7月号、内閣府)。なお、八戸港内の検潮儀記録は5.8mであった(チリ地震津浪 八戸市HP)。

まとめると、発電所着工前に3m程度の津波記録は参照出来た。それをしってのことか発電所の建設では5.7mの砂堤で囲ったが、チリ津波は八戸では5.8mと大きく、50cm程度の浸水深となった。

その結果、東北電力ではドライサイト思想の堅持となり、当記事で推定もしたが、何らかの考え方により建設地点の過去記録に余裕を見込むものとなった。東北電力と中部電力が原発建設に際して見せた差は、水密化に関する知見の有無ではなく、技術思想として各社が選んだことだったのである。

上記工事誌と東北電力の公開資料を突き合わせると、浜岡の海洋施設研究会と女川の海岸施設研究会を兼任していたのは平井氏の他、本間仁東洋大教授が確認出来るが、そうそう人材がいる訳でもないので他にも兼任者はいたものと考えられる。また、先行する浜岡を見学したり、ゼネコン、土木コンサルタントとして両方に係わる方も多くいただろう。しかし、以前も書いたが、東北電力が建屋の水密化を実施したのは福島事故後である。

なお、『中部電力火力発電史』P112には「伊勢湾台風級超大型台風の襲来による名古屋市内および近郊の浸水防止対策として、昭和39年に名古屋港高潮防波堤が築堤された」とある。

東レ名古屋工場も被災したが、実施した設備対策は「名古屋港に伊勢湾台風時の高潮を考慮した防潮堤が完備するまでの間」の対応として重要箇所の周囲に防水堤、その出入口には防水扉を設置する、建物を水密化する等の対策を取っていた(「伊勢湾台風による被審と事後の対策について」『安全工学』1992年4月、リンク)。

翻って『港湾』1960年8月号を読むと、チリ津波による東北の被害状況を報じた記事の隣に名古屋港周辺の臨海工業地帯港湾計画について述べた記事があり、これから拡張・造成を進めていく、という段階での伊勢湾台風による被災だった。そのため、計画では伊勢湾台風を教訓にした高潮対策として外防波堤の築造が挙げられていた。既にある火力発電所の水密化は、東レと同じく、そうした中長期の計画に先行して実施したのだろう。

福島事故後の全国の原発でも水密化が防潮堤に先行したが、それと同じことが半世紀前に起きていたのである。東電事故訴訟における発想可能性論議の観点からは、抑えておかなければならない。

【12】自ら海抜20mの原発計画図を作成していた大島達治氏

平井氏に戻るとダメ押しとなる出来事もある。私は2018年に東北電力が津波神話をつくるためについた嘘をブログ記事で暴いたが(リンク)、その時15m以上の敷地高を主張した人もいるのではないかという疑問を示した。

場所は異なるが、同じ三陸地方の候補地点にそれはあった。先の大島達治氏当人である。

実は、大島氏は2003年に『過去に生きるおとこ』という自伝を出版し、新潟火力の建設について平井弥之助を称賛していたが、女川敷地高設定の話は出していない。一方で1977年、自身が岩手県の三陸海岸沿いに原発立地を検討した際は、敷地高を20mに設定したことが記されていた。

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「三陸沿岸に適地はないと思いますよ」との返答が面白い。三陸の定義は幾つかあるが、狭いものでも南端は金華山。女川は外れないのだが。

上記文中からK地点は釜石を暗示しているように見えるが、歴代の釜石市長に菊池という人物はいない。一方、平林祐子氏は「「原発お断り」地点と反原発運動」(『大原社会問題研究所雑誌』2013年11月号、リンク)という、過去の立地計画を一覧した論文を投稿している。それによると岩手県には3ヶ所の候補地があったがKで始まる地点は無く、時期も1975年以前とのこと。よって正確な場所は分からなかったが、海抜20m程度は誰でも考えるということである。

大島氏の他にも似た対応を迫られたことはあったらしい。岩手支店の記念誌によると、東北電力は岩手県内の将来需要を賄うため北部火力地点計画として種市町に候補を選定し、1975年から立地業務を開始したが、地元の反対運動もあって1979年に計画を中止した。

しかし、将来需要と県の要望から1979年10月より岩手県沿岸全域を候補地とし、火力電源立地可能性調査を行った。大島氏に県職員が原発立地の話を打診した2年後のことだ。調査では電源の特性から石炭火力を選定し16地点を調査したが、発電所と灰捨用地が津波の影響を受けないことを前提とせざるを得ず、海面を埋め立てる場合は津波防潮堤により遮蔽されていることが条件であった。

調査の結果、候補地はいずれも灰捨用地の確保が困難等の理由から立地は困難と結論、1980年5月に報告し了承された。その際、知事から「将来的に原子力発電所の建設が課題になれば前向きに検討したい」との言葉があったという(『東北電力30年のあゆみ 岩手支店史』1982年3月P133-136)。

火力・原子力にまたがって電源立地の模索が行われ、地形的には津波を理由に火力が中止となったことは注目に値するだろう。その条件は、典型的なドライサイトコンセプトだったのである。

それに、岩手某所の20mは女川の15mより高く、どちらも三陸のリアス式海岸地帯にある。このエピソードもまた、平井氏の価値が言われているほどではないことを示す。

震災前から伝わっている新潟火力の基礎を深くした件についても、『過去に生きる男』の「電源一生・先輩に学ぶ」という一文では建設局長の平井氏が根入を12mにせよと言ったのに対して、決定案は3m足した15mとなり、新潟地震で流動化したのは10m付近だったという。よく読めばわかる通り、平井氏は最も余裕を与えた回答ではなかった。

こうした数々の点からも、大島氏の震災後の証言には注意を要するだろう。

【13】文献から浮かび上がる平井氏の姿

震災バイアスのかかったOB達の証言以外に、平井氏の人となりを知る手段は無いのかと言えば、実はある程度浮き彫りには出来る。最後にこのことを論じよう。

本節は、訴訟関係者から見れば必要性が低いが、人物史研究の点からは基礎となるものである。まぁボーナストラックだと思って読んで欲しい。

(1)「夢の仙台湾を語る」(『港湾』1960年10月号)

東北電力の副社長だった頃にこの座談会に出席した。掲載号自体が宮城県の工業開発を特集している。この年の5月にはチリ津波が来襲し、過去の大津波ほどではないが被害を出していた。座談会で平井は塩竃港の開発提案について説明し、社内でも研究したと述べているが、津波に関しては何も語っていない。他の出席者も同様である。

前年の伊勢湾台風と合わせ、海岸保全事業が急速に進められる契機となった時期であり、チリ津波以降は、津波対策事業に関する特別措置法も成立したため「そんなことは当たり前」であり、更に屋上屋をかけるような発言は控えられたのかも知れないが、そうした事情を汲んでも、人物像を考える材料にはなるだろう。

同じ号には日本港湾コンサルタント協会理事長の鮫島茂氏が「宮城県の港湾についての所感」という記事を寄せており、塩竃について「島や岬に囲まれて中が静謐で防波堤の設備も要らない。即ち天与の条件は上々」と述べ、気仙沼湾について「口元がくびれているから津波の被害も激しくはない。即ち天与の良地形」と評価していた。これは明治三陸、昭和三陸、チリ津波等に対しては正しい評価であったが、いずれも東日本大震災では港湾と市街地に浸水を生じている。

興味深いのは、同じ号に掲載された地震学者加藤愛雄氏による「津波の跡をたづねて」という記事である。加藤氏の記事は女川町を中心にめぐり、女川港の検潮所のデータや駅まで冠水した写真を掲載したものである。験潮データからは干潮時に5.4mの津波が押し寄せたことを示しており、干満差が0.6m程度のため、これが満潮時の場合だと6m程度の想定が必要であることを示していた。

原発は女川湾の外、南側に所在し、女川港からは6.5km程の距離。「地形的にはそのまま当てはめられない」というのが専門家の見立てだろうが、『港湾』を受け取った平井氏はこの記事からも、津波に関して再認識したのではないか。まぁ、発災時の報道や浸水した八戸火力の方が印象強いだろうけども。

(2)「電力中央研究所における発電土木関係研究の動向」(『発電水力』1967年11月号)

当時電中研で行っていた研究の紹介。読んで分かることは原子力土木関係が多く、福島第一専用港湾に関するものもあった。翌年にJEAG4601の作成に関与したり、東北電力の海岸施設研究委員会に呼ばれることになったのは、こうした研究を直接担当することはなくても理事として予習していたからだろう。だが、これらの研究に津波を強く意識したものはない。だから、津波に関して問われても、一般的な東北出身技術者以上のことは言えなかったように思う。

(3)「電力界の怪物紳士録」(『政経人』1969年8月号)

『政経人』とはかつて発行されていたエネルギー業界誌である。上記は取締役クラスの人物を多数論評したもので、経歴・業績に関する記述の正確さ、および社員から聞き取らないと書けないであろう差配ぶりから、一定の批判者が内部にいたことが分かる。『エネルギーフォーラム』は『電力新報』と名乗っていた頃から社内事情に関する記事が載るが、この雑誌も同じで実質的な文責は編集部と考えて良い(昭和時代の電気新聞では広告も見かけた)。SNSで電力関係者が「匿名で」生々しい悪口や政治主張を重ねるのは、こうした文化に影響されたものだ。

その中で「前人代的な平井弥之助」として1ページ程の論評をしており、ピークは日本発送電時代から1950年代の只見川開発に「子分」を連れて乗り込んだ頃だという。大島達治氏の文章で最初に引用した「結果責任を負う事業経営のあり方」を再読すると「一番弟子を任ずる私が」とあり、確かに子分を作るタイプではありそうだ。

特に、次の人物評が興味深い。

しかし、一方では押しつけがましい判断で処理してきたのを、いかにも判断力があるように見られていたにすぎない、というきびしい見方もある。言い方は悪いが、土木や出身だから無理ないにしても、親分、子分の関係が身辺に強く、お山の大将的な性格をもっている。電力界で、いまなお、このように前近代的な在り方を好む性格に、手厳しい批難の声があがっているが(中略)土方相手の仕事では、他人の真似られない特技を持っているというわけだ。

(中略)日発出身の平井は、副社長までやったが、東北電力の連中からみれば異邦人的な存在だった。(中略)しかし、元東北電力社長の内ヶ崎贇五郎が日発出だったことをからみれば(中略)やはり、平井自身のやり方が社内の肌に合わなかった、とけ込めなかったとみる方が正しいだろう。

(中略)鼻につくほど東北なまりが強く、言葉のやりとりが不充分で、それが東北人の特色である素朴さとつながらず、むしろマイナスになった。

日発時代の仲間は新生東北電力にあまり来ず、既存の社員達とは肌に合わなかったので、新入社員を薫陶したと考えると合点がいく。

電中研理事については閉職とも書いており、その辺は文系だなとも感じるが、「現場の親方向きで近代的センスが求められる経営者のウツワではなかった」などは当たってるのだろう。「近代的センスの経営者」が福島第一をどうしたか考えてみれば、平井氏を凡庸と見るようになった私でも「適材適所はあるだろう」とは思うが、事故の半世紀前だと、先を見通せる人はそういないだろう。

こうしてみてくると「結果責任を負う事業経営のあり方」に書かれていた大島氏ではない人による逸話「平井さんは女川に金を掛ける提案ばかり強調するので退任させられた」という話もまんざら嘘ではないように見える。予め最適とした15mを、海岸施設研究会は変更出来ていないし、その顔ぶれに平井派は居なかったのだろう。ひょっとしたら、議事録を残したがらない癖を良いことに「15mでは足りないかも知れない。もっと高く」という平井氏の提案を「金がかかる」ので没にするための委員会だったのではないか。

平井氏が一体どんな「金のかかる提案」をしていたのか、是非見てみたいものだ。

(4)「所感 情報管理技術に期待するもの」(『情報管理』1969年12月号、リンク

J-stageで読める著述物。技術情報の収集に苦労しており、電算化への期待が伝わってくる。実プラントに係わる委員まで務める中、情報の入手で苦労し、「金がかかる」予防的知見に基づいた設計の根拠づけに、日々苦労していたのかも知れない。21世紀の今は、SNSに匿名の愚痴用アカウントを作り、眉を顰めるような暴言を吐く関係者の装飾品として使われるようになったが、隔世の感がある。

(4)補足 新仙台火力への「指導」

情報収集関連で当時の話を一つ検証しておこう。大島氏の「結果責任を負う事業経営のあり方」によれば、「昭和45年新仙台火力の建設にあたり、仙台新港の入口にある火力を、貞観津波に備えて標高+10mの防波堤で護れ」と平井氏が指導し、電力だけそのような護岸に出来ないので発電所本館の壁面強化でお茶を濁したそうである。

この話も他の資料で検証する。かつて仙台湾塩釜港の開発について語った平井氏であるが、その後、現在の姿の原形となる仙台新港の計画が発表されたのは1962年10月のことであり、1964年8月原案通り決定。この際に防波堤の計画も模型実験を経て定められた(『貞山・北上・東名運河事典』管理人殿による。元は『みなとを拓いた四百年-仙台湾沿岸域の歴史-』1987年8月、運輸省第二港湾建設局塩釜港工事事務所からの引用、リンク)。

新仙台火力が埋立地の一角に用地を確保したのは1960年代後半のようで、1号機は1969年に着工、1971年運開。当時の発電所は、電源開発調整審議会をパスする必要があったのだが、その予定表を見ても1969年6月の着工となっていた。発電原価(送電端円/KWH)は2円70銭。同時期の東電鹿島3・4号2円29銭、中部電力渥美2号2円25銭、福島3号2円58銭など、他の太平洋岸火力・原子力と比べても高価だった(「記録的な電源開発の背後にある問題点」『エネルギーと公害』1969年6月5日)。1号機は共通で使用する付帯施設込みであるのかも知れないが、実験の裏付けも無く、発電原価を更に押し上げる提案は受け入れられなかったのだろう。

そもそも「指導」するには遅すぎる。本当に岩沼千貫神社の件が頭から離れなかったのであれば、模型実験をしていた6~7年前に話しておくべきこと。態度が変わったのは、女川の件で勉強し、且つ1970年に刊行された吉村氏の『海の壁:三陸海岸大津波』を読んだからではないかと考える(特に、公式記録と証言の食い違いのあたり)。

1970年だと本館は着工後で敷地高の変更は不可能。そのため、防波堤の強化を提言したのだろう。それ以前に積極的な対応を取った形跡は認められない。なお、補足的に述べるなら仙台港の調査を開始した1961年度より潮位は項目に入っていたが、国が港の奥に験潮所を設置し継続的に観測を開始したのは1970年の10月である(海岸昇降検知センター、リンク)。指導も片手落ちで、発想的には建物の水密化が入っても良さそうだがその記述は無く、東日本大震災では津波で内部まで浸水した。

(5)「土木技術者と電力界について」(『発電水力』1970年9月号)

各社の土木系出身の重鎮と開いた座談会であり、今のところ平井氏の技術観を最もよく伝えている。1970年は時期的にも注目すべきだ。

まず、関西電力の吉田氏が水力から原子力に転じた技術者達が配置設計で苦労していると水を向けると、平井氏は自己の職歴として若い頃に送変電系統の勉強をしてから他に転じたこと、水力に限らずオールマイティな能力が必要であること(大意)を語り、次のように述べた。

ダムだけの熟練技術者であるなどということは、私は非常におかしな話だと思い、腹の底では軽べつしたくなります。それでは、あなた、鉄塔を設計してごらんなさいといっても、送電線路の特性が解らないので狼狽するだけです。(中略)この点は水力土木屋さんによくよく考えてもらわなくてはならないことでしょう。そこで、水力発電土木を発電土木という表現にかりにしたとしますと、原子力だって、火力だって、鉄塔でも、基礎でも、水力発電土木より拡大されることになります。もともと熟練した水力発電土木屋は火力・原子力の土木部門、送変電線路でも何でも電気事業に関連する土木技術はすべて消化できるものなのです。ただ、例えば火力発電所の運転、送変電線の特性式は起りうる現象の経験がないため、水力発電土木技術の能力をうまく適用できないに過ぎないと思います。

ですから、それで有能な発電土木技術者に火力・原子力発電に関する土木的な施設の特性とその効用を充分説明をすれば先ほど吉田さんがおっしゃったとおりに、火力・原子力発電所と附属設備のレイアウトなど、よい計画設計ができるのです。

(中略)また、現在は技術の研究陣容ならびに請負者の陣容も整備されております。このような現状において、電力側の土木技術者は両者をうまく利用して、電力側の望む土木工事を完成せしめることが、これからの水力技術者のあるべき姿だと思っているのです(後略)

※引用者注。改行を追加。

やはり原典に当たるのはよい。良くも悪くも、どういう思考で女川に接したかが分かる。要はゼネラリスト的な人物であり、それ故に津波の問題にも妥当な気配りができ、蛸壺化した専門知識が「邪魔」をしなかったということ。下手に狭い部分だけ見識があると、あれこれ理由を思いついて経済性の面から敷地高を値切る恐れはあっただろう。女川1号機の設置許可申請の「せいぜい3m」を強調する文章には、審査側に危機感を持たせぬように配慮したものであり、その残滓がある。

これに関連して引用するが、例の大島氏は、あるエッセイでエリート主義を背景とした高木仁三郎への反感を記している。

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大島氏にとり、高木氏が著した「核施設と非常事態」のような警告論文は非常に鬱陶しく、見たくないものではあっただろう。

だが、この点は平井氏の教えから逸脱したものだった。平井氏は「調査研究のためには堂々とわからぬ点は遠近を問わず、学歴などを問題とせず、当時工夫または工手と呼んでいた熟練工にも頭を下げて教えを乞うた」(『発電水力』1970年9月号P72)と述べていたからである。「エリートだから問題を起こすはずがない、悪いのはバッシングするマスコミと原子力情報資料室だ」という辺りで、馬脚を現してしまった。色々述べてるが、このエッセイを見ていると前半の部分は何でバッシングを対置するのか意味が分からないし、結局エリート主義の縛りから自由にはなれなかったのではないか。これでは平井氏といえども、草葉の陰で怒り心頭だろう。

生前、言葉が少なかった理由もこの座談会で分かった。当人による意図的なものだ。先の説明に続けてこう述べている。

私はあまり経験談は言わないことにしているのです。経験を言うと、武功談になりがちですから、発達に邪魔となります。工事が完成したときは既に次の時代に入っているのですから、やったことは成るべく忘れて新しいことを考えなければなりません。

この点も、リタイア後に自伝や著書を刊行する大島氏とは異なっている。『政経人』に「言葉のやりとりが不充分」と書かれたことを気にしての弁解だったのだろう。確かに、若手の発想を頭ごなしに削ぐような経験談の押し付けは問題だろうが、自分の仕事に関する詳細を引き継ぐ点からは、それが業務工程に組み込まれて行った原子力には全く不向きであった。もし平井氏が記録主義者であれば、海岸施設研究会の資料も確実に残っただろう。

当時、ポランニーが暗黙知の概念を提唱して3年程過ぎていたが、それが野中郁次郎によって企業経営に取り込まれるのは後年のことだ。当時、こういう人物が上層部にいることは仕方なかった面もあるだろう。

この対談はかなりボリュームがあり、色々な話をしてるが、「水力出身なので水の怖さを知っていた」というような真偽不明のそれらしい説明を、次の発言と比較すると怪しいものだと分かる。何でも津波に結び付けるべきではないだろう。

土木屋の先輩にも罪があるんですよ。ということは、火力部門に行けば出世はもうとまったと判定していたわけです。

(中略)土質を扱うのは水力電気屋の分野じゃないんだ、こう言った人がおりますよ。会議のときに。そういうのを、あなた土質学知ってますかというと何にも知らない。私は岩盤しか扱わないんです。こう言います。そういうプライドを売ることもいいけれど、しかし、少なくともダムをやる人は、あらゆる分野のことを知らないでダムに手をつけたら、これは非常におかしなものですよ。

水主火従の時代、火力に従事する土木技術者はダム技術者より軽く見られていたようだ。しかし、ダムをやってても「岩盤しか知らない」などと蛸壺化した人の場合は、水の怖さについても中々津波という形に行きつかないだろう。また、福島第一のような初期プラントでは海水を原子炉建屋に導入したことで、漏水による腐食の問題や、地下水の漏れ出しが多く井戸を掘って水を排水しなければならなくなったなどの弊害が起きているが、岩盤の上に建屋を載せさえすれば良い、と考えて土質に無頓着であったのなら、そうなることは得心できる。

中には良いことも言っており、平井氏が発電土木という言葉を提案したのが切っ掛けで対談の終盤では電力土木という単語の創造に繋がり、ダム以外の電力土木設備についても取り上げる趣旨で、『発電水力』誌は『電力土木』誌に改名され、行元の協会名も1977年に電力土木技術協会に改まった。平井氏の本当の貢献は女川ではなく、後進に対し、視野を広げるための場を提供したことにあったと考える。

2022/11/1:古文書の定義を追記。

2022/11/2:八戸火力の設計経緯について追記。

2022/11/8:伊勢湾台風について東レの対策例を追記。

2024/3/13:八戸港周辺の過去津波被害、および八戸火力発電所のチリ津波被害について追記。

2021年5月12日 (水)

「原発の耐震性は住宅に比べると低い」という主張は何が誤っているのか

原発再稼働の問題では有名な話だが、2014年に大飯原発訴訟というのがあり、福井地裁で原告が勝訴した。

この時の判決を下した樋口英明裁判官が退官後に講演したり著書を出している。それを報じた新聞記事などが発信源となり、「原発の耐震性は住宅以下」という主張が出回るようになった。

樋口氏の著書は1回読み、判決文も読んだ。その上で言うが、上記の主張は科学的には不勉強のそしりを免れないし、それを「衝撃のデータ」などと鵜呑みにしたメディア関係者達にも問題がある。

まず新聞記事を読んでみよう。

大飯原発の裁判で原発の耐震性を争点にしました。私の自宅でも3千ガル(揺れの勢いを示す加速度の単位)以上で設計されているにもかかわらず、当時の大飯原発はそれをはるかに下回る700ガルでした。全く見当外れの耐震性です。2000年以降、700ガル以上の地震動をもたらした地震は全国で30回ありました。原発は平凡な地震にも耐えられないのです。

「私が原発を止めた理由」は? 三重出身の元裁判官出版 聞き手・大滝哲彰『朝日新聞』2021年3月5日

※下線は筆者

他にもある。

これは一般住宅と比べてどうなのか。樋口さんは「三井ホームの住宅の耐震設計は5115ガル、住友林業は3406ガル。実際に鉄板の上で住宅を揺さぶる実験をして、ここまで大丈夫でした。これに対して原発の基準は上げたところで、この程度。ハウスメーカーの耐震性よりもはるかに低い。

元裁判長が示した「原発の耐震性」衝撃のデータとは 川口雅浩・毎日新聞経済プレミア編集長 2021年4月28日

樋口氏はそう考えた経緯も明らかにしているようである。

1日で決めたそうだ。だから高裁でひっくり返されたのだろう。

私は、反原発論者の山本義隆氏を思い出した。駿台のパンフレットに物理講師で紹介された時は「分からなければうんうん唸って考えるしかないのよ」と釘を刺していたからである。

なお樋口氏は他に、東京新聞、週刊金曜日、プレイボーイ等、他のメディアからも取材を受けている。

この主張の間違いは、「比較する際は物差しを揃えられるか検討する」のを怠ったことである。また、地震を振幅のみで捉え、周期と継続時間を無視している。私の専門は建築ではないが本記事で解説を試みた。構成は【1】~【4】で主たる論点を示し、【5】【6】で結論を与え、【7】に想定問答を付けた。【2】は長くて理系向けの話なので、飛ばして貰っても構わない。

【1】波には周期がある。

まず、地震は波である以上、加速度振幅の他に周期で評価するものである。

私が高校生だった90年代、理系を選択すれば波を学んだ。その程度の基礎教養だ。グラフに記録された地震波を見たことのある人は多いだろう。以下に、東日本大震災と阪神大震災の加速度波形を示す(境有紀「地震動の強さとは」(地震工学会HP リンク)。縦軸に加速度、横軸が時間だ。

_fig1

波形は一見無秩序に見えるが、短い周期の波もあれば長い周期の波もある。個々の周期で振幅も異なる。それらを足し合わせると地震波になる。地震波には色々なパターンがあると言われるのは、その振幅と周期の組み合わせが違っているから。

Fig322_

出典:木下繁夫・大竹政和監修『強震動の基礎』(Webテキスト版)図3.2-2

一方で、物には固有の周期がある。建築物もそう。固有周期の波を受けると共振と言ってその大きさがどんどん増幅する。つまり、建物の固有周期は地震に弱い周期(卓越周期とも呼ぶ)と言い換えることが出来る。

原発の固有周期は0.1秒前後、住宅の固有周期は(実質的には)1秒前後であり、かなりずれている。一方が壊れた地震波なら他方も壊れるだろうと言えないのはそのためでもある。

それどころか、ハウスメーカー自らが単純なガル比較は意味が無いと説明している例がある(一条工務店 リンク)。

ハウスメーカーは自社のPRのため、なるべく大きな値を使いたい。大きな地震がある度その傾向は強まった。そうした著名メーカーをたしなめる「親切な」メーカーが登場するのは、当然と言えるだろう。

1

阪神大震災と東日本大震災を比較すると、前者の方が周期1秒付近での揺れは大きくなる。このことが阪神で住宅が大量に倒壊した理由である。

樋口氏はハウスメーカーが阪神大震災以降に行った努力に繰り返し言及している。しかし、東日本大震災では古い住宅も大量に被災したが、加速度の激しかった地域でも倒壊率は低い。それが上記一条工務店が掲げたグラフの意味するところである。1978年宮城県沖地震の経験から仙台市のように耐震化が熱心だったとの指摘もあるが、全国平均と極端な差は生じていない(震度6強で全壊「少」の理由に迫る、リンク)。

つまり、東日本大震災で古く、且つ耐震補強もしていないような住宅が倒壊しなかったのは、住宅メーカーの努力ではない。固有周期の違いのためであり、樋口氏の主張は片手落ちなのである。

なお阪神大震災だが、1981年に新耐震基準が施行され、それ以後に建てられたビルは被害が少なかった。マンションで例示すると、9割が軽微以下の被害で大破は0.3%に過ぎない(耐震基準(旧耐震VS新耐震)建物を考える・・・、リンク)。被害の大部分は旧耐震基準以前に建てられた木造家屋である(阪神・淡路から20年。耐震基準が明暗をわけた、リンク)。当時から一般のビル以上に設計地震力が高く、全サイトではないにせよ、近年は更なる耐震補強を施されるケースも目に付く原発建屋が、阪神大震災の揺れで半壊・倒壊するとは私にも思えない。

理論は、以下も参考にしてみると良い。

構造コラム第5回「固有周期と共振現象」2016/10/21 株式会社U’plan

冒頭に示した波形は加速度と時間しかないので周期ごとの大きさは分からない。しかし、上記コラムに登場する応答スペクトルに変換すると、周期ごとの加速度を求めて比較することが可能となる。それを【2】で説明する。

【2】地震波はスペクトルと継続時間で理解するもの。

地震波は複数の波のから構成されているので、スペクトルを理解する必要がある。また、継続時間も考慮の必要はある。原発訴訟にはよく出てくるが、氏の発信したものにその情報は無い。

このことを一段深く知ると、ガルだけが絶対的指標にならないことが理解出来るが、躓く人は多いのではないだろうか。そのためか、原子力規制庁なども住宅メーカーの件で質問を受けた際、説明は回避しているようだ。本節ではこれらの基本的な解説をする。長いので飛ばして【3】を読んでも構わない。

まずはスペクトルから。大学生が耐震設計を学ぶ際、こうした問題を理解するため耐震工学、振動工学と呼ばれる分野を学習する。そのテキストはネットにも多数アップされている。26年前の阪神大震災で記録された地震波(神戸海洋気象台)が頻繁に使われているので、数式は余り使わず、これで例えよう。同じ地震波から様々な表現がなされることが実感できるだろう。

よく「〇〇地震では□□の地点で▽▽ガルを記録した」とある。【1】で述べた横軸に時間、縦軸に加速度値をとったものである。時刻歴波形、加速度波、強震記録などとも呼ばれ、時間軸に着目した場合は時刻歴データ、地表で測ったものは地動加速度などとも呼ばれるが、物差し(軸)は全て同じ(構造物の動的弾性応答と応答スペクトル、リンク)。

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神戸海洋気象台の場合は818ガルだが、最大の振幅を読み取っている。体感的には最も分かりやすい地震波のグラフと言えるだろう。

なお、この加速度からは、周期の情報を読み取ることは不可能だ。様々な周期を持つ波の合成値だからである。よって「最大〇ガルを取る加速度波の固有周期は?」と問われたら、「単調な正弦波ではなく、様々な固有周期の波が沢山混じっている」と答える。

※地震観測のデータはEW(東西)、NS(南北)、UD(上下)の3軸それぞれ加速度波のグラフがあるが、簡単のため一つの軸だけ考える。

だが、固有周期との関係を考えると、「周期◎◎秒で▽▽ガル」と分かる方が便利である。

つまり、地震波を加速度と周期で表したグラフがあると良い。

【1】で述べたように地震波は様々な周期の波を重ね合わせたものなので、これを周期ごとに分解することが出来る。その数学的操作をフーリエ変換と呼び、作成されたグラフをフーリエスペクトルと言う。横軸には周期、縦軸は加速度の振幅が表記される。

神戸海洋気象台の818ガルを記録した加速度波のフーリエスペクトルを示す(兵庫県南部地震の地震動と応答スペクトル、リンク)。

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これを見ると、周期0.7秒で600ガル程の最大値を取っている。各周期を足し合わせれば、最大値818ガルの地震波となることは直感的にも理解し易いだろう。

だが、耐震設計者は地震波が構造物に及ぼす影響を知りたい。それも、簡単なグラフがあれば非常に便利。そこで、次のように考えた。

理系で大学に進学すると、基礎教育で振り子に強制振動を与えた際の振る舞いを微分方程式で表現することを習う。強制振動を地震波とすれば、その振り子の振る舞いを描くことが出来る。なお当然、振り子には固有周期がある。

次に、様々な周期の振り子を用意して地震波(加速度波形)に対する最大の応答(振れ)具合を並べる。これを加速度応答スペクトルと呼ぶ。言い換えると「その地震に対して建物がどのような応答をするか」を表したものである。

※フーリエスペクトルは多くの理系学部で学ぶが、応答スペクトルは専ら耐震関連分野で使われているようだ。

地震を怪獣のように例えるなら、怪獣の咆哮で色々な固有周期を持つ街の建物がどのように揺さぶられるかを示したもの、と言ってもよい。ある団地は激しく振られてしまうかも知れないし、別の商業ビルはそれほど影響は受けないかも知れない。怪獣映画と違うのは、ビルが壊れるシーンまでは映らないこと、即ち塑性崩壊や非線形領域の応答は計算できないことである。

全体の関係は以下のようになる(構造物の動的弾性応答と応答スペクトル、リンク)。

__20210512190001

グラフを見ると最大加速度を取る周期からは少し離れてるにも拘らず、周期0.5秒で2068ガルもの大きな値を示している。

元の818ガルの地震波からは直感的にはイメージ出来ないのではないだろうか。

しかし、ここが肝心なところだ。フーリエスペクトルは地震波そのものを別の物差し(軸)を使って表してるだけである。応答スペクトルは、物差しの変更に加えて、指し示してる物が違う。しつこいが「応答」とは「地震波に対する振り子の応答」である。

逆に言うと、フーリエスペクトルでは振り子(構造物)の応答は分からない。強制振動の話ではないから、振り子が計算式に表れない。だから建築耐震分野ではあまり使われないのだ。

少しだけ具体的な計算をしてこの点が分かるように説明する。加速度応答スペクトルの各周期の値を加速度波の最大値で割ったものの絶対値を応答倍率と呼ぶ。神戸海洋気象台の場合は周期0.5秒で2.5、周期1.5秒で1.0となる。

__20210509052001

即ち、神戸海洋気象台で観測された地震波では、周期0.5秒の建物の方が揺れるということだ。

こうして作成した加速度応答スペクトルはその使い方を知っておくのが有用だろう。例えば、グラフを見て応答値の大きな周期からは固有周期が離れるように建物を設計することが考えられる。

また、グラフを読み取るだけで各固有周期での揺れの最大値が分かり、地震波の時刻歴を気にする必要が無いので、静的な加速度のように扱え、部材に必要な強度を計算する上で便利である。神戸海洋気象台の例で田守伸一郎信州大教授が計算例を載せているので、参考にしてほしい(応答スペクトルを用いた構造物の応答解析、リンク)。

原発の場合は、建物を一つの塊(質点)とみなした場合の応答スペクトルではなく、多数の質点により構成されたモデルを考え、建屋の基礎に地震波を入力した際は、各階ごとに床の応答スペクトルを算出する。ここまでがゼネコンの仕事であり、重電メーカーは各階に据え付けられる機器・配管などへどの位の力がかかるのかを床応答スペクトルを参照して計算する。各機器・配管はそれぞれ固有周期が違うので、応答値によってかかる力も変わる。それを元に算出された力に耐えられるような取付金具や基礎ボルトを選定するようだ(参考、後藤政志「格納容器から見た原発の技術史」『福島事故に至る原子力開発史』P144-145)。

ここで漸く本題。基準地震動はこの加速度応答スペクトルのグラフで描画されるものなのである。電力会社がネットにアップしている資料を見てみると、必ず載っていた。中国電力島根原発の例を示す(リンク)。

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まず、同じグラフに沢山の地震記録や地震予測の加速度応答スペクトルを何本も描く。次に、その線の束の最も大きな値を包み込むように直線や曲線で結ぶ。これで基準地震動の加速度応答スペクトルは完成。なお、大きな値はコントロールポイント(基準地震動の線が絶対に通らなければならない点)、直線や曲線で結ぶことを包絡とも呼ぶ。

黒の直線と曲線で結んだものが基準地震動、不定形の波形が様々な地震予測の加速度応答スペクトルである。

では、基準地震動を加速度波のように横軸に時間、縦軸に加速度で表現することは可能だろうか。勿論可能である。数学的処理は割愛するが、「模擬地震波作成」と言うのがそれに当たる。

一般的な例としては、模擬地震波を作成したらその加速度応答スペクトルを求め、設計用に決めた加速度応答スペクトルに近い形状となっているかを算定、ずれている場合はフーリエ係数などを補正して新たな模擬地震波を作成し、その加速度応答スペクトルを求める、というサイクルを繰り返すようである(模擬地震波作成処理の考え方 WANtaro氏、リンク)。

加速度応答スペクトルは振り子の先に記録ペンを付け、軌跡を描くようなものだ。本当にペンが付いていれば最大応答値より下側は塗りつぶされる。そういうものだから時刻に関する情報は消える。例えれば写真で動物や乗り物を露光で撮るのに似てる。動物や乗り物が地震波に当たる。

逆に言えば、ある加速度応答スペクトルがあった時、それを描く模擬地震波の時刻歴波形(加速度波)は、無数に存在する(下記鉄道総研資料、リンク)。

※L2地震動は、一般建築の基準地震動に相当。

L2

極端な話、同じ加速度波を2回繰り返してもその地震波の加速度応答スペクトルは変わらない。

_fig1-_

だから、構造物の設計に適した波形を作成する。

原発の場合は日本電気協会規格であるJEAG4601で規定。1987年版では2章に掲載されている。

1418

出典:原子力規制庁(リンク

JEAG4601と上記文書「時刻歴波形の作成方法」などにより、包絡線の形状を決定、その中に模擬地震波が収まってることが分かるだろう。突出して大きな加速度は取っていないが、最大値と比べそん色ない振幅を取る時間が長めである。

また原発の場合、模擬地震波の最大加速度は、報道される基準地震動の値(加速度応答スペクトルの周期0.02秒)に合わせてあるようだ。先の島根原発の例を示す。一方で、そういうことをしない分野もある。

2

これまでの説明から明らかなように、加速度応答スペクトルと加速度波は、物差し(グラフの軸)も、見ている物も異なるので無理である。比較するなら、どちらかの表示形式に揃えるしかない。

であるから、上記のような模擬地震波(加速度)波であれば、住宅メーカーが振動台に入力する地震波と最大加速度を同じ図で比較することは出来る。

これで物差しも揃って、基準地震動の作り方も理解して、良かったと思うだろう。

私も最初はそう思ったのだが、本当にそれでいいの?と考えるようになった。このことを本節の最後に述べよう。

第一に、住宅メーカーが振動台で使っているのは自然の地震である。

高層ビルには建築基準法告示1461号で定義された加速度応答スペクトル(告示波)があり、他に道路やダムにもそれぞれ定められたものがあるが、住宅には無い。だから、分かり易いPRにもなる過去の地震波を使う。加速度最大値が特定の固有周期の加速度応答スペクトルに一致するように調整されてはいない。

そのような地震波と、基準地震動から包絡線で整形した模擬地震波とを最大加速度のみで比べることに、どの程度の意味があるかは疑問だ。原子力規制庁も福井県の主催した説明会で「比較は出来ないと」回答している(原子力発電所の審査に関する説明会(2月9日)開催後の追加質問に対する 原子力規制庁の回答 リンク 質問No.1と7が該当)。

第二に共振の事を考えると、建物や機器の固有周期付近の値が最も重要となる。固有周期から離れた周波数帯域では、既往の地震波が基準地震動を上回っていても、共振しないのでダメージを受けない、というのが一般的な理解である。1秒以上での加速度が大きく、原発の固有周期と離れている例は【1】の阪神大震災である。

一方、近年極短周期が卓越する地震が相次いで観測され、原発機器の固有周期に近い。これらは本記事最後の【想定質問11】で詳細説明したが、見かけ上大きな数値を示していても、ダメージへの寄与が高くなるとは限らない、と私は考える。

第三に、最大振幅の継続時間の問題がある。加速度応答スペクトルは時間情報が無いので、最大応答値が分かっても最大値付近を取る加速度の継続時間は分からない。これが、極短時間であれば、大加速度が作用しても殆どの構造物は破壊には至らないという考え方に繋がる。下記に模式図を示したが、K-NET築館波を使った住宅実大耐震実験の動画を見ると更に良く分かる。

K-NET築館波の下に仮想的な強震動(60-90秒の振幅を大きくしたもの)を示す。このような波が実在すれば、破壊力は大きくなる。

なお、近年強震動パルス(SPGA)という、加速度が大きな地震動が問題視されている。SPGAは振幅が大きくなることで周期特性の寄与は小さくなる(想定される継続時間は阪神大震災並みに短いようだが)。この地震波は分かり易く誇張したものだからSPGAより更に破壊力は大きいが、振幅の寄与が大であることは理解できるだろう。

初期の原発で採用された鋼製の格納容器、特にPWRのものについては安物の空き缶のように、その体積に比べて板厚が薄く、しかも上部に重量物があるので、SPGAなどには弱いとの指摘もある。

しかし、退官後の樋口氏はそのような主張を展開しているわけではなく、単に過去の地表観測をベースとしている。また、大飯3,4号機は鋼製格納容器ではなくプレストレストコンクリート製原子炉格納容器である。

_fig1_

なお、基準地震動も読み上げ方によっては人に異なった印象を与える。

加速度応答スペクトルのグラフに描かれた原発の基準地震動は0.02秒では最大値を取らず、0.1秒前後で最大値を取っていることが多い。主要な構造物の固有周期も最大値付近に集中している。

高知県の説明資料では伊方原発を例にしているが、650ガルとされる基準地震動は0.1秒では1600ガルとなる(リンク PDF6枚目)。

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※上図は横軸は周期だが、右上に向かう斜め線を加速度(応答スペクトル)、縦軸を速度(応答スペクトル)、左上に向かう斜め線を変位(応答スペクトル)として二次元のグラフで3つのパラメータを表現するために使われる3軸図(トリパタイト、Tripartite)と呼ばれるものである。本記事では加速度のみを議論するため、それ以外は無視している。詳しい解説は「pythonでトリパタイト(3軸図)を描く」(構造計画研究所、リンク)等を参照のこと。

大飯原発の場合、数年前まで採用されていた0.02秒で700ガルの基準地震動は、0.1秒付近で最大値2000ガルとなる。

樋口氏が犯した間違いの一つは住宅メーカーの誇張を真に受けたことでそれは次の【3】で説明する。だが、上記のような読み取り方も一つの誇張であるという点は似ている。

【3】計測位置(高さ)を揃えるためには明記が必要

地震加速度は、計測条件が揃っていなければ比較に意味が無い。

樋口氏が引用した三井ホームのWebサイトを確認すると5115ガルについて「※入力地振動の数値ではありません。実験時に振動台で計測された実測値です」(ママ)と書かれている。「地+振動」というタイプには苦笑いだが、これだけではよく分からない。最初、屋根で測ったのかと思った位だ。

住友林業の場合は現在PRしているBF工法について、下記の2通りの記述があるが、動画に加速度波が描画されていることから加振値と推定。技術文章の表現としてはNGである。

東日本大震災と同等の最大加速度2,699galの揺れはもちろん、その数値を大幅に上回る3,406galの揺れを記録しましたが(リンク

東日本大震災の最大加速度2,699galおよび、最大3,406galの揺れを加えてもなお(リンク

3406ガルの根拠は分からない住友林業にも問い合わせメールを出したが脱稿前に回答は無かった。

地震計(加速度強震計)のセンサ自体はそんなには大きくは無い。地震計メーカーのミツトヨが出してるカタログを読むと、20cm角位のサイズで、地下から最上階の何処にでも取付可能である(リンク)。当然屋根にも付けられるだろう。

三井ホームは「2016年7月11日・12日・13日 /国立研究開発法人 土木研究所」と試験場所を書いてあった。そこで土木研究所の振動台について調べたところ、水平方向について「最大加速度2Gで任意波形の加振」となっていた(リンク)。

 ※地震動は通常水平方向が垂直方向より大きい。振動台もそれに対応したものが殆どである。

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更に念の入ったことに「実際にはテーブル面で上記の数値を超える加速度等が計測されることもありますが、上記の数値を超える波形を入力することはできません。」とまで明記している(リンク)。

2G≒2000ガルである。それでは、5115ガルを計測した入力値はどうなっているのだろうか。

三井ホームに問い合わせたところ、2Gは100t搭載時に正弦波で加振した場合の1軸の能力であり、実験では(単調な正弦波ではなく)地震波を入力したので定格以上の加速度が計測されている。5115ガルは振動台表面での計測値との回答を頂いた。三井ホームはこの実験に関する論文投稿もしておらず、入力地震波は非公開とのことだった。

これでは、調べようがない。それに、3軸それぞれの最大加速度を示した時刻が同一だとしても、合成すればかなり大きな計測値を示す可能性はある。分かり易く2軸で例示すると、NS方向:3000ガル、EW方向:4000ガルの合成加速度はピタゴラスの定理から5000ガルとなる。

Ns4000ew30005000

この件について調査中、ある脱原発系のライターから「住宅メーカーは丁寧な説明をしている」と反論を受けた。だが、その説明はお粗末そのもの。白抜き部分もあるとはいえ、原子力規制庁に説明するため分厚い審査資料を用意する電力会社とは比べ物にならない。

なお、ハウスメーカーが耐震化に熱心となったのは、先に述べたように阪神大震災で旧耐震基準を中心に大被害が出たためである。そのため、木造住宅については2000年に建築基準法を改正し新・新耐震基準が施行されたが、2016年熊本地震で一部に倒壊するケースがあったので、熊本で得た地震波で実験をしているのである。つまり元々が脆弱過ぎたから改善に努力したのである。一方、鉄筋コンクリート建築についても設計改善などはされているが、耐震基準自体は1981年以来あまり大きな変更はない。

参考に、計測位置を示している数少ない例がミサワホームである。阪神大震災を参考に1000ガルを入力したところ、「屋根の部分では2,500~3,000ガルに達する加速度が加わっていた」とある(リンク)。入力に対する増幅率は3倍。上の階の方が大きく揺れるのは常識だが、それを裏付ける。だから計測位置の確認は重要なのである。

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本来はミサワホームのような記載が最低ラインであり、それを満たさないメーカーは、広告上問題がある。

更に、ベテランの住宅コンサルタントによると、実大実験には基礎がついてないことが多く、実際の建築では基礎との堅結状態が問題になるとのこと(本当に地震に強いハウスメーカー・工務店を選ぶ秘訣(U-hm株式会社)リンク)。そこが弱ければ揺れは大きくなるだろう。

また、振動台実験を行っている住宅は理想的な標準設計に基づく。実際の住宅は顧客のオーダーで壁の量と配置バランスが崩れることがあるし、店舗付き住宅や車庫付き住宅の場合は1階に巨大な開口部があり、脆弱となるが、そのような形状の実験はPRの対象外である。

他にも、建築技術者が住宅メーカーの耐震試験の問題点を指摘したブログなどもある。

※2018-11-22 ハウスメーカーの実大振動実験から各社の耐震性はわかるのか? (バッコ博士の構造塾)

【4】岩盤(第3紀層)と地表の地震動には差がある。

樋口氏は著書でこの点は紹介しているが、インタビュー記事などでは省略されているので当記事でも説明する。

一般の建物、特に住宅はどこにでも建てられているが、原発は岩盤(第3紀層)の上に建てられる。地表まで岩盤が露出していなければ敷地を掘り下げたり、岩盤まで建屋を埋め込む。文献によっては岩着とも呼ぶが同じ事である。

理由は、表層の柔らかい地盤より強固な岩盤に建設する方が揺れが小さくなるから(北海道電力の説明より下図引用 リンク)。

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これは「福島第一原発が30mの崖を10mに削って建てた」理由でもあった。地震の脅威が希薄な国々では岩盤まで掘り込まず建てているサイトもあり、岩着は日本に特徴的な考え方のようだ。福島事故後、知ってる人は増えたと思っていたが、Twitterでの反応を見ている限りは、そうではなかったのだろう。なお福島第一の場合、その差は2.5倍程度と建設時に言われていた。

実は、岩着思想の観点から樋口氏を批判したPowerpc970plus というアカウントの説明がTogetterにまとめられている(togetter.com/li/1678458)。ただし、【5】で示すように岩着だけでは反論になり得ないし、周期の話は私が次のようにヒントがてらガルのみ問題にすることに疑問を呈した後、急遽付け加えている。それも自らの言葉ではない。

なお「地表の3000」とは東日本大震災で築館にて観測された地表での強震観測記録(K-NET築館の2933ガル)を指す。

地震観測網として最もポピュラーなのはK-NET(Kyoshin Network:全国強震観測網)国立研究開発法人防災科学技術研究所(防災科研)が運用し全国に1000ヶ所設置されているが、計測高さは地表である(リンク)。なお地震波は0.02秒ごとに記録する(リンク)。

一方、基準地震動は地下の固い岩盤面(解放基盤表面)で地震の揺れを設定するものである。

解放基盤表面の深さはサイトによってまちまちである(具体的にはリンクの通り)。柏崎刈羽のように原子力発電所の地下階と100m以上かけ離れている場合もあり、そのようなサイトでは深さの違いを明記している(リンク)。

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東電作成の図(リンク)を見れば分かるように、岩盤には建っているが、岩盤と解放基盤表面は厳密には定義が異なることには注意が必要である。岩盤なら全て解放基盤表面として扱われる訳ではない。

なお、北海道の泊と西日本のサイトでは建屋の地下=解放基盤表面となっているケースが多い。この場合は上図の岩盤=解放基盤表面と見なして差支えは無い。

さて、樋口氏の本を買うべきでは無いとPowerPC970plusは主張する。しかし著書では「推進派の弁明」を批判する形で頁を割いていた。無知だとも書いているが、失当である。樋口氏が言及していない【1】~【3】の点を指摘するのが適切だったと考える。

何故Powerpc970plusは推進派から批判されないのか。それは以前から次から次へと論点をずらして粘着することが特徴のネット弁慶として知られているためだろう。実務家と思しき数名は【1】【2】を理解していたようだが、Powerpc970plusと揉めたくないのと、上記まとめが拡散されたのでノータッチにしたのだろう。【3】について言及していた関係者は見当たらない。

【5】福井地裁判決文はセーフだが、退官後の主張はアウト

裁判とは原告と被告が言い分(準備書面等)を出し合って裁判所に判断を仰ぐ仕組みである。よって、基本的に裁判官自身が何か独自に証拠を調べ出すことは無い(職権証拠調べの禁止)。精々提出を促すのが限界である。樋口氏もこの点を著書で言及している。

そこで判決文を読むと、【1】~【3】の点は元々俎上に上っていない。【4】についてのみ議論している。

「岩手内陸地震の際に地表で観測された4022ガルと同じ地震波が原発に来る」ことが趣旨の文章と解釈すれば、確かにNGである。

だが私には、岩手内陸は参考例に過ぎず、岩着効果だけでは「基準地震動以上の地震波が来ないことの証明は不可能」という論旨に読める(リンク 特にPDF45枚目および54~55枚目等)。 その証拠に、各地の原発で基準地震動以上の地震が来た例も挙げられている。

退官後、話を拡張して住宅との比較を行い、【1】~【3】の問題を抱え込んだのが、樋口氏と一連の報道の失敗なのである。

【6】原発と住宅を報道された数値だけで比較するのは無理

【2】で説明した通り、単位がガルでも、加速度波なら加速度波、加速度応答スペクトルなら加速度応答スペクトルで比較すべきである。

それが出来たとしても、【1】で述べたように住宅が破壊する固有周期は1秒前後だが、原発の固有周期は0.1秒前後ということもある。

ハウスメーカーは過去の有名な地震で記録された加速度波形を振動台テーブルから入力しているが、計測した加速度波形をK-NETやKiK-NET(防災科学研究所が日本全国に設置した地震観測網)のように公表してないので、その意味でも基準地震動との比較は不可能である。

また、高さ、地盤、基礎の有無等の条件も確認する必要はあるだろう。

そして、表現されている物の意味を理解し、誇張の型を学んでおくことだ。

例えば【2】で述べたように、加速度応答スペクトルから最大加速値のみ抜き出して比較すれば、基準地震動は2.5倍程度大きな値を取るし、模擬地震波の最大加速度は0.02秒での加速度応答スペクトル値と合うように調整されている。

住宅の地震動については【3】で述べたように屋根や2階での記録値は入力加振値の3倍程度まで増幅する。

私は第三者の個人だから持っている情報は限定される。現時点ではこれ以上のことは言えない。

ただし、樋口氏が問題提起していること、一部の訴訟で原告から疎明(説明)するように問いただされた以上、電力会社は彼等なりにきちんとした回答は出すべきである。

【7】想定質問

【想定質問1】

色々書いているが、基準地震動より大きな地震が来て原発に被害が出たらお前の説得力はゼロだ。

→今日取り上げたのはグラフや条件を読み誤ってる話が主。例えば活断層や地下構造の評価で基準地震動は大きく変わることが知られているが、その話はしていない。私も基準地震動より大きな地震や未経験の特性を持つ地震で原発に被害が出る可能性はあると考える。

なお、過去に原発の地震想定や耐震設計に疑問を呈するブログ記事は書いたが、それらは電気設備やケーブルラック等の脆弱さを論じたもの。建屋が倒壊するとは主張していない。これらは、更新や補強を行うことで現状の想定に追従することは可能である。

更に、私がよく参照する東海第二訴訟では圧力容器や格納容器に損傷を生じる旨の主張をしているが、それら構造物の耐震問題は準備書面が充実しているので当ブログで扱ってない。後藤政志氏が阪神大震災など過去の地震で鋼製の橋脚やタンクに座屈を生じたケースを挙げているが、例えば橋脚の場合は1971年以前の古い耐震基準で建設されたものが大きな損傷を受けた(神戸線三宮駅付近高架橋など、リンク)。同時代PWRの鋼製格納容器ならば技術水準が近いこともあり、同じ様な事は想定し得るのだろう。

【想定質問2】

普段原発を推進しているゼネコン技術者も何も言ってこないが。

→本当にそうなら、自社に住宅部門があり、会社や業界の悪口に繋がるので黙っているだけと考えられる。就業規則で自社の悪口を禁じている企業は多い。公共の利益を意識して問題提起すれば別だが、SNSで憂さ晴らしを目的に行っているケースでは、正体が明らかになると過去の書き込みからその種の悪口も露見してしまうのだ。

その他には、コミュニケーションスキルの不足で相手の立場に立った説明が出来ないとか、自分が苦労して勉強したので人に教えたくないと言った理由なのだろう。

勿論、応答スペクトルなどは説明が煩雑となり、比較の物差しを揃えることが難しいこともあるだろう。

【想定質問3】

・原発建屋はある程度地下に埋め込まれ、深さによっては揺れが半減する研究もある。実験した住宅に地下室は無い。お前は知ってるのか。

・原発建屋に大地震が来るとコンクリートに無数のヒビが入り、建設時の強度を維持できない。お前は知ってるのか。

→確かにそういう話はありますが(リンク)、今回の件から外れるので説明を省略した。

※他、関係無い話への話題逸らしも同じ回答とする。

【想定質問4】

Twitterでの説明と変わってるところがあるようだが。

→今回調べ直し、応答スペクトル関係など訂正したところはある。特に4月以前は少し違うことを言っていたかも知れないが、その場合は本記事を最終回答として欲しい。

【想定質問5】

住宅との比較を準備書面に出してしまった。黙っていてくれないか。

→貴方の訴訟団で検討すること。他所の訴訟を巻き添えにされる方が困る。

社会通念の一例として示したところもあるが、正確には「住宅業界が生み出した」社会通念と言うべきだろう。社会通念を言うなら【1】【3】程度は高校までに学習する内容で理解出来、浸透度合いは比べ物にならない。【2】に関してもそれを解説した大学生向け教科書では「分かるように書く」ことを目標にしており、「~が分かる本」といった参考書も含め無視は出来ないだろう。「社会通念上」と言う言葉を使い過ぎた反動から、今後訴訟の場でも「社会通念とは何か」についての議論が深まっていくのだろうが、よく考えて準備書面を出すべきである。

なお、原子力情報資料室をはじめ、以前から学習を重ねてきた脱原発運動家や団体は「固有周期」「応答スペクトル」が何か?は理解した上で、耐震問題の批判を行っている。それに学ばなかったことを猛省して貰いたいね。

【想定質問6】

もうこの主張にメディアで相乗りしてしまった。黙っていてくれないか。

→貴方の問題。何故複数の原発ウォッチャーが黙っていたのか、よく考えること。

【想定質問7】

もっともらしく応答スペクトルの話をしているが、お前は頭が悪いだろ。文系なのか?どこの大学を出たんだ?耐震設計の実務経験は?取得資格は?投稿論文は?

→資格・経歴自慢が目的ではない。なお、理系大卒で専門は非建築系だが、本記事の調査で苦労したことは良い経験になった。フーリエスペクトルを経由したのも建築畑以外への配慮から(気象庁などに類する説明法 リンク)。

【想定質問8】

加速度の話ばかりで速度や変位の解説が無い。地震が来れば振られたものはスピードがつくし、元の位置からもずれる。速度や変位の応答スペクトルもある。加えて減衰定数の話も無い。式が殆ど無いので時刻歴応答解析も無ければニューマークのβ法による模擬地震波作成への話題展開も無い。不十分では。

→目的に沿わない事項は省略している。一般的な構造物は無論、鋼製の橋脚や格納容器の座屈にも大きな速度や変位が関係してくるが、その話はしなかった。樋口氏が加速度にのみ関心を持っていたことへの反論として速度や変位も大切だと説明しても良かったが、他の解説を優先した。

不足と思った知識は幾らでもネットに解説がある。好きなだけ勉強してください。

【想定質問9】

長文の癖に小難しい!!!お前は本当は頭が悪いんだろ。

→御免なさい。今後も精進します。テクニカルターム?それは覚えてくださいとしか。

【想定質問10】

ハウスメーカーに学ぶことは無いのか。

大地震が繰り返し襲来することを前提に実物モデルで何度も加振したことは見習うべきと考える。

ただし、本文に書いた通り、ハウスメーカー各社の情報開示は不十分で比較は困難である。私の知る限り、基本的な情報を論文等で開示しているのはミサワホームだけ。技報などで明らかにしているなら、広告ページに論文名位は明記はするべきだろう。

なお、ミサワホームも東日本大震災前の少し古い情報が主で、中越沖地震や熊本地震で観測された倒壊率の高い地震波で加振実績がないため、U-hm株式会社のような住宅コンサルタントからの評価は一段階低い(2021年5月現在)。

【想定質問11】

ハウスメーカーが引き合いに出す東日本大震災でのK-NET築館加速度波(最大2933ガル)の加速度応答スペクトルを確認したところ、短周期側で6000ガルを超え、グラフから上端がはみ出している。多くの原発の基準地震動よりも上の値であり、危険なのでは。

→グラフを正しく読めているようで何より。エイト日本技術開発がこの波について解説しているが周期0.24秒で13000ガルとのこと。

ただし、以下の2点からこの数値をそのまま評価には使えない。

(1)極端な増幅効果

これが記録されたK-NET築館の観測点をエイト日本技術開発が機材を持ち込んで確認した所、近くの文化会館駐車場と比べると1.5m程高い位置にあり、短周期の地震波が増幅されていることが分かっている。掲載されてるグラフはHz表記。周期0.25秒=4Hzなので、4Hz付近の比を見ると、概ね2倍程度、更に短周期側(高周波数側)では3倍以上増幅されている(東北地方太平洋沖地震の概要(地震と地震動)、リンク)。

Knet

なお、周囲の建物に被害は少なかった。同社による2008年の現地写真を見ると、かなり脆弱そうな住宅も目につく(K-NET築館(MYG004)、リンク)。

(2)一般に建築物は極短周期の波では壊れないこと

簡単な説明は気象庁にもある(リンク)。原発の場合共振周波数は0.1秒前後と比較的短周期だが、これはよく言われるように、分厚いコンクリート建築、機器は太いボルトで強固に取り付けているから(剛構造)。加えて、短周期成分且つ最大加速度の継続時間が短いと、一般建築でさえ影響は軽微になるのだろう。

直感的には(特に建築物には)正しいと考える。仮に築館波で原発を加振しても、多くのサイトでは停止操作を妨げるような損傷が発生するとは思えない。

鉄道総研によると杭基礎を有する構造物の場合、地盤の動きが拘束され、入射される地震動が低減される効果があり、築館波の場合でも極短周期で最大50%程度減少するとしている(「耐震設計の静的解析における入力損失効果の評価法の開発」で検索すると成果物PDFをダウンロード出来る、ここではサマリーのURLをリンク)。

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原子力安全推進協会は米国の基準を援用し、0.1秒以下の固有周期が影響することは実質的にないとしている(10Hzを超える地震動成分と機械設備の健全性に関する考察、リンク)。

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鉄道構造物では現状、短周期成分が卓越することを前提に耐震設計することとされており、その点は原子力安全推進協会の主張とは異なるが、【2】の後半で例示したように、最大加速度に近い状態で長い時間揺れないと、脅威にはならないと考える。

【余談】

SNS上の情報拡散で気づいた問題点だが、一見情報を広く収集しながら不都合な情報には拒絶反応を示す内田川崎なるアカウントを確認したところ、twilogに樋口氏の主張をたっぷりRTした跡が残っていた。彼と親しい著名な運動家達も碌に言及をしていない。彼等にこの件でチェック能力を期待することは出来ないことを付記しておく。

※21/6/8:【2】中心に説明を修文。

2017年3月 6日 (月)

【平日の3.11を】『君の名は。』ティーチイン(仙台)に行ってきた【祭日に投影】

新海監督が『君の名は。』のティーチインをするというので仙台駅前のTOHOシネマに行ってきた。今回はそのレポート。当然ネタバレ前提なので未見の方は気を付けてください。また、組紐、扉、月の満ち欠け、トンビ、光と影、神話等、様々なギミックが指摘されている作品ですが、当記事で重点を置くのは殆ど災害映画としての側面です。

※本業多忙につき通常のシリーズ記事が滞っていますが、3月11日までには仕上げたいと思っています。

久しく行っていなかったティーチインを実施した理由はただ一つ、3.11から6年、想定外のロングランが遂にアニバーサリー報道の跋扈する時期まで続いてしまったからだろう。

そして、私も誘惑を押さえ切れず(大仰かも知れないが)スベトラーナ・アレクシエービッチと同じ観察者の轍を踏んでしまった。それは恐らく監督達も同じ。東宝は営業データから細かく動向をチェックできるだろうが、空気感ばかりはその場にいないと分からない。被災地の人達はどう受容しているのだろう、という疑問は当然湧いてくる。

生まれてこの方アイドルのおっかけとは縁のない人生を歩んできたので、舞台挨拶付き上映会は初めてだ。入れ込んだ理由は、よく言われているような点で高く評価しているからだけれども、私の場合、一般的ではない要因が幾つかある。まずはそこから。

【『君の名は』に入れ込んだワケ】

○倫理問題

「現実の災害を玩具にして」という倫理問題が言われることがある。『風が吹くとき』など、起こる前にディストピアを提示する映画には大きな価値があった。後追いで作られた架空の原発事故を描いた映画監督が何か言っていたそうだが、訴状作りの役にも立たない。起こってしまった後にそういうアプローチは意味をなさず、うんざりするだけ。必要とされるものは追悼や内省を促す作品である。

もしも原発事故の責任を主題に据えるのであれば、実録ベース以外に道は無い。

○郷土映画

自分の体験とシンクロし易い、現代の要素がある作品でないと私は没入までは出来ない。歴史物、SFなどどれも好みだが、時代や国が大きく異なる場合、対象にホイホイと憑依することはこれまでも出来なかった。

新宿は、今は引っ越したけれども多感な10代の頃に過ごした街で、一時期は働く場でもあった。単純に郷土が出てくるのは嬉しいし、「東京だっていつ消えてしまうか分からない」という一言は、到底無視出来ない。

新海作品を特徴付ける美しい街の風景も、「今の東京を心象風景として刻み付ける」ようにも使われている。そういった監督の意図はとてもフィットした。

ただ、地元民視点から見ると、通学で電車依存となっている瀧の有り様はちょっと違和感がある。千代田区六番町から新宿駅近郊の高校までなら、晴れの日は徒歩か自転車だよ。その方が体力もつくし。都会育ちだから歩くのは慣れている、そういう逆説がある。

○瀧と同じことをしてきた

3.11以降「知り合いがいる訳でもないのに」津波想定や原発建設の(各事故調が無視した)経緯について徹底的にリサーチし、実質的にデータマンとしての役割を果たした。これは、クロニクルの各記事を御覧頂ければお分かりの通り。興味を持たれた方は少しでも目に止めていただけると有り難い。

だから、劇中で瀧が糸守について執拗に調べるシーンがなぁ。瀧の個人的な人探しとの違いはあるが、本質で重なるものもあるから、寓意として共感出来る。焦点を合わせてる部分が人の内心だからだろう。特に「何故心を締め付けられる?」という体験。東電や津波に関係しないのでアップしてないが、双葉郡各町の広報誌、特に2000年代のものを読むのは正直きつい。絵に描いたような幸せそうな住人、特に子供達の、基礎自治体目線ならではの、自然な笑顔が多数収められている。その後、キュウイの里も、桜並木も、個人的な縁を言えば松島の市街も全部駄目になったことを知っているとね(立ち入り禁止が解除になったエリアもあるにはあるが)。

果たして監督は、子供を意図的にカットに入れているのだろうか。

○趣味は部室

重い話が続いたが、廃部室もある種の郷愁を掻き立てる。学生時代、「趣味は部室です」と自己紹介するほど部室に入り浸っており、パソコン、アマチュア無線共手を染めた。90年代から2000年代前半に正にああいう感じで。スチール製のラックや作業台替わりの会議机、古いソファ。私の友人にも勅使河原のように、自室が部室的レイアウトになってしまった人が何人かいる。

なお、糸守の高校は高台にあり、電波環境は良好そうだ。アマチュア無線にあつらえ向きだろう。

【上映中に気づいたこと】

満員となった客席の雰囲気は東京に比べて違和感は無かった。もっともこの映画、普通の娯楽映画に比べると少し違っていることが多い。強いて言えばクラシックの演奏会と彼岸に寺社内で開放された談話室を合せたような感じ。

上映中は東京より真剣に見ている人が多かった。ギャグシーンで笑い声が殆ど聞こえてこない。もっとも、笑い声に関しては年が明けた頃から顕著になってきた現象で、リピーターが極めて多いことを示している。最近は初見のファミリー層が多数来館する休日昼下がり以外、笑い声を聞くことは殆ど無い。

以下、時系列順に感想を書く。パンフレット等で解説済みの話はほぼ外したつもり。ギミックに関連する人文系の知見だが、あまりマニアックなものには立ち入らない。試写会頼み?の『ユリイカ』や一見論評よりは地に足の着いた内容になったかと思う。

まず、この映画を民俗学・神話から読み解くにあたっても、監督が規定した表のテーマと裏のテーマで読みが変わってくる部分がある。三葉が弥都波能売神(みづはのめのかみ)からの引用に始まって、神話の男女逢瀬等々、表のテーマに係る解釈がネットでは殆ど。正直、設定として上手く当て嵌めた、以上の感動は無い。私が問題にするのは当然、裏テーマ。名前の話にしても「水神」と来れば津波絡みと読むしかない。

  • OP直前の「美しい眺めだった」。ティーチインの前から何となく思ってたことを思い出したので書いておく。彗星を題材にした理由の一つは、ネットでは九州の須賀神社絡みと言われているが、2つ目のテーマに沿った場合、異なる解釈が可能である。

    監督自身もどこかで言っていた気がするが、『日本書紀』などの神話を参照したものらしくネットでもそういった解釈がなされている。注意しなければならないのは、『日本書紀』はその後続刊が編纂され六国史と称されたこと。その最終巻『日本三代実録』になると神話的色彩は無くなり、現代の行政組織が発行する年史とほぼ変わらない事跡の羅列となる。そして『日本三代実録』の時代には貞観地震があり、冒頭の描写はその記述「光が見え隠れして昼間のように明るくなった」(現代語訳)に倣っていると思われることだ。なお、原文では「流光」と記される。

    表テーマは恋愛論的に解すると幻想となり、神話(国生み神話)との相性は良いとされる。しかし、裏テーマは神話というより事実を元にした寓話や実録との相性がある。ティアマト彗星がメソポタミアの海の神となっているのは当然裏テーマに沿っているが、その姿も地震に由来するということだ。

    なお、記述から分かるように貞観地震の発生時刻は夜。地震時の発光現象は幾つか目撃報告はあるが、予知の役には立たないとされ、まともな地震学者(と思われてきた人達)からはオカルト扱いされてきた、という事も本作の裏テーマに絡めるには良い材料である。恐らくこれが正解、というか災害映画としての意味になる。とは言え、当地自ら宣伝に回っているのでなければ、震災後何もしてこなかった映画ファンは須賀神社の聖地巡り程度に留めておくべきだろう。
  • なお、最初の特報CMは主に本シーンを素材にしているが、数あるCMでも台詞と音楽のテンポが最も整合している。
  • ティアマト彗星。10月2日、4日の方は「軌道が正しく描かれてない」などと言う批判に何故多くの人が飛びついたのかさっぱり分からない。全編通して地表との位置関係を考えれば「キャッチーだから」導入したとの公式発言通り、絵的にはビジュアル重視は明らか(TVニュースを見直すまで気付かないとは、何を見ていたんだろう)。むしろ適度に割り切っていて気持ちいい位だと思う。監督の認識がもう少し現実寄りにあることは、小説版の彗星描写(OPでレシプロ機並みの降下だったのが「秒速20㎞」など)から自明のことだ。
  • ニュースの模式図でもう一点。拡大図では地球、彗星、月の順に並び、作中の地表からの視点とは一致している。後半出てくる10月4日のニュースではピークが19時40分となっており、大体転ぶ時間に近い。
  • 胸の件、シーンとしてかなり配慮した跡も見られるが(ここで詳しく論じられている)、昔こんな深夜帯の萌えアニメみたいなことしてる人じゃなかったけどね。こっちだってそれ目的で来てる訳ではないし。
  • 旨そうな飯は精々50年代生まれまでの絵描きの専売と思っていたが、この朝食は美味しそうだ。良い物を見た。防災無線の個別受信機は意外にもここ2・3年で普及したものだそうで(リンク参照)、その辺りの取材もしっかりしている。
  • 登校する姉妹。オロナミンC風の広告がある階段で四葉はお米屋さんの話をしている(字幕版で分かる)。
  • テッシーからカフェと聞かされて目の色を変える二人。中京圏の喫茶店文化を知っているのだろう。北限は高山付近だから憧れもひとしおだ。自然な描写になっており実に上手い。
  • 瀧(三葉)達のカフェ巡り。ネットの一部でブルジョアとクレームが付いたが、下らない。そりゃ世の中苦学生もいるし、須賀神社周辺にもそういう学生向けのアパートはありましたよ(何十年も前の話だけど)。でもバイトしてる訳だし。小金を稼いで某高級焼き肉屋に行ったり、馬車道巡りしてる友人を身近で見てきたので、特に違和感は無いな。あの高級カフェが東京の全てでは無い位、日本で生活してたら誰でも分かる事だし。
  • レストランで奥寺に嫌がらせする山本(字幕版で分かる)。これもバイトで陥る窮地あるあるだな。私も昔、初日にこの手の揉め事に巻き込まれて、しかも被害者がお客だったのでクレーム貰ったんだよね。その後はそこそこの対応力付けたが。だから、バイト初日の三葉は、本当に凄い。
  • 導入部の締め、前前前世。107分しかない尺で、何故こんなに展開が速いのか。120分程度にしてアースバウンドに回したエピソードを映像化する道もあった筈である。最も直接的な理由は全体のテンポが乱れるからだろうが、他にも理由はあると考える。本作の表のテーマ、ボーイ・ミーツ・ガールだ。

    二人は互いを認識してから深い愛を確信するまで劇中1ヶ月しかかけてない。愛に限らず一般的に、他者と深い信頼関係を構築するには短過ぎる期間だ。それを解消したのが入れ替わり。身体感覚で互いの本音に触れるという、凡そ現実では不可能な行為の繰り返し。隠し事もほぼ不可能。だから、当人達すら意識しない内に、急速に距離を詰めることが出来た(アースバウンドでの入れ替わることなど不可能なテッシーの描写が良い対比となっている)。「リアルに」心理描写を考えるとそうなる。種々のギミックはあくまで装飾。だから導入部の展開を省略しても意味は通る。

    勿論、災害映画としては、「会えばすぐわかる」という、無くしたらPTSDレベルの信頼関係が、現実を反映するために必要だった。
  • バスケで飛んだり跳ねたりする三葉(瀧)。人の体なのだから余り無理はしない方がいいぞ。本気でバスケやってるとひざ痛めること位、中学時代バスケ部だった君なら知っているでしょう。
  • 御神体に奉納しに行く途中映る、送電線が2導体x4組の鉄塔。通常、送電線は3相交流が流れているので、3本で1回線を構成する。更に細いOPGW(架空地線)が塔頂に1本加わることもある。あの送電線にOPGWは無いので数が合わない。なお、この送電線はパンフレットVol.2表紙にも確認出来る。

    糸守変電所のモデルは新信濃周波数変換所の撤去済みの設備だそうだが、ロケハンした際に直流送電線もお遊びで入れたのか。ネットの電力設備オタクがこの送電線に興味を示さないのも謎である(なお3.11後、高山付近に新規に周波数変換所の設置が検討されている)。
  • 丸の内線の走行音がE231系以降の通勤型に置き換えられている件。エンドロールと東洋経済の記事を読むとJR東日本企画が参加しているので、それが理由だろう。裏テーマを考慮すると、登場する鉄道事業者で只のビジネスではなく社命・メセナとしての意味があったのはJR東日本だけ。
  • 最初の秋祭り。御神灯(神に供える灯火)が町の規模に比べて異常に多い。この御神灯は町長説得の失敗後も背景に登場し、停電で一斉に灯を消す。ティーチインで後述するイメージに沿った意味が与えられているのだろう。
  • 司、奥寺先輩と乗った東海道新幹線の3列シートが山側になっていると鉄道マニアがはしゃぎ、東洋経済の記事でもJR東海が絡んでいれば避けられたと示唆していたが、2冊目のパンフレットにある通り、現実の鉄道と意図的に違えている部分があり、総武緩行線でも四谷駅到着シーンは左右反転していたりする。3列シートの件も、表面的な理由は観客の視線移動にあり、裏の意味としては下り列車で3列シートが東京側を見て左になる位置、即ち東北新幹線の暗喩だろう。

    その傍証に、東京駅の乗り換え案内サイン(柱に貼られている大きなサイズのもの)で縦に2種のサインが並んでいるものは実際の東京駅では殆ど見かけない(こちらのブログにある程度)。写真展における「山陸」と同種の意図と考える。

    他にも海岸沿いに近い白砂青松の風景は映さず山、田園、トンネルを映すことで東北新幹線に近い印象を与えている。
  • 3発目が落下してひょうたん型になった新糸守湖を高校からのぞむ。新しい隕石の方が大きなクレーターを作っている(小説でも言及がある)。これは、M8.5程度と推測されている貞観地震に比較し、東日本大震災の方がM9と規模が大きいことに対応している。

    小学生向け図鑑などで、大地震の大きさを比較する時、震央を中心として円を地図上に描いたものがあった。監督の故郷の湖をモデルにしたことは明らかにされているが、大きさを違えたことに関しては図鑑からヒントを得たのだろう。

    なお、それまでは何気ないシーンでも雲が動いてることが多かったが、このシーンでの雲は静止画である。
  • 旅館での司と奥寺。ビールのロゴがSAKAKI?となっている。冒頭のカフェでテッシーが飲んでいたコーヒーはサントリーのBOSSと明記されていたのと対照的。様々な事情で本来の姿でコラボ出来なかった商材も多々あることを示している。
  • 口噛酒を飲んだ瀧はトリップし、二葉の死を目撃する。不治の病で死んでしまうことから、双葉郡を暗示しているのだと思う。アースバウンドでは生前の姿が描かれており、更なる現実の暗喩について思いを巡らせたこともあるが、これ以上は厳しいかな。一葉、四葉は語呂合わせだろうね。
  • 瀧がトリップ中に目にした三葉。小説だときちんとした口語文だが、映画は「ちょっと、東京行って来る」「ええ?」←参考文献は匿名掲示板ですかねぇ。
  • 作戦会議で後ろ頭を掻く。髪を切ったので地が出し易い。頭は後に面接でも掻く。前後するが肘で付いた後のあの笑い、パンフレットを読むと思い入れありそうなんだが「異界からの使者のように」と指導したのかね。
  • 小説版だと作戦会議で、瀧の内心として「生きていればどうにでもなる」との独白がある。確かに死んでしまうことに比べたら、また、東京の人間が発した言葉としては説得力がある。だが、実際の震災後、生き地獄と言って良い不遇に陥った被災者にとっては、素直に受け入れられる感情であるかは疑問だ。もっとも、それを扱うことはこの映画の範疇を超えてしまうのではあるが、私も多少は見聞してきた以上、言及しておく。瀧君は大人になったら是非そういうことも知ってほしい。
  • 町長の態度も現実の暗喩と気づく。自分の娘さえ馬鹿にして病人扱い。町長だけではなく小学生すら同じ態度を取る。社会が、3.11前に警鐘を鳴らした人達をどういう態度で相手していたかを多少なりとも知っていると、被災地を含めてかなり内省を促す表現。観客も東京より厳粛だった(気がする)。驕れる地方政治家には良い薬だろう。
  • 三葉(瀧)が思い浮かべる御神体は2016年の様子なので川は増水している。その後、1回目の死亡時から瀧の体に飛んできた三葉のシーンとなる。噛み口酒の小瓶が描かれていないミスもあるが、新糸守湖を臨む際、背景に映る川の増水は引いている。2013年10月2日から10月4日まで糸守で雨は降っていないので、片割れ時は両年共に、水が引いているのが正しい。ところが、片割れ時終了後のズームバックにて2013年に切り替わる際、川の水は増水したままになっている。ソフト化の際修正入るだろうか。
  • 美濃太田行きのローカル線。高山本線では2015年までキハ40が現役だったようだ。ひと昔前の地方を象徴する車両で、国鉄色に塗ってしまえば普遍性はより高まり、2013年の描写にはあつらえ向き。時期の問題も配慮があるのだな。東海道新幹線は海側が2列になっており、上記と併せて完全に反転。
  • 片割れ時。観客が感極まっているのは死者が蘇り、あるべき場所に魂を収めたことなのに、台詞上は三葉の方から「瀧君がいる」と言っている。ちょっとしたテクニックだが、場面の立体感を高め、二人の相手に対する心遣いが感じられる。夢灯篭の旋律を使用し作品の一貫性もある。いや待て。OP主題歌は当初案を差し替えて夢灯篭になったそうだが、この劇伴が先に生まれ、後から主旋律を取って作曲したのだろうか。音楽雑誌の特集記事でもその点を掘り下げた記述は無かったな。
  • なお、片割れ時のやり取りを瀧の視点から眺めた小説版では、監督が知ってか知らずか最近問題視されている「恋愛工学」を全否定してることも好評価ポイントだ。
  • 三葉につられて笑う瀧。正直変な笑いだと思っていたので、上白石氏がベタ褒めしていたのが不思議だった。よくあるスタジオの生声と録音の差かなと思っていたのだが、極音上映で聴くと神木氏の熱演が伝わってくる。
  • 「再演の日」になってキャラデザで気づいたこと。主人公二人は完全な美形としてはデザインしていないとどこかで読んだ。常時美形として描かれてるのは奥寺。三葉は瀧を「ちょっとイケメン」と形容した。それでも美形としての印象が強いのは「何かに真剣になっているシーン」での作画管理が厳格だから。そうやって顔に心を映し出したということ。逆に導入部のほのぼのシーンは記号を多用し全体的に緩い感じ。基本的な演出技術だろうけど実に上手い。
  • 自分の体に戻った三葉が夜の山道を全速で走り、停電してるのに皆が迷わず避難出来る理由。小説を読んだら彗星は月明かりより明るいと書かれていた。瀧は当然知っていた。だから停電のアイデアに同意出来たのだ。
  • サヤちん「完璧犯罪」、テッシー「ここからは冗談ではスマンで」(小説版)、「二人仲良く犯罪者」。電源を落とすことは「完璧な犯罪」であると言っている。現実では、変電所を含めて電源(これは発電所を指す業界用語でもある)を落としてしまった東電は、想定外だったとして法的な責任を認めていない。監督は毎日新聞のインタビューで「価値観訴える映画、作りたくない」と言っているが、大衆の正しい願望として、「非常用電源は役に立つ場面で機能すべき」という琴線を刺激したかったのではないだろうか。知れば知る程、現実の非常用電源の扱いは醜悪の一言に尽きるからね。
  • スーパーカブの後ろ側に見える送電線。良く見るとなんか弛度がおかしいな。東宝はちゃんと予算を当ててやれよ。それと、三葉はテッシーにつかまってはいても、胸は押し付けていない、監督自ら明かした、冒頭で胸を押し付けるサヤチンと対称的な描写。
  • 倒壊する糸守変電所の鉄塔。ところで、糸守はスタッフにより一部の場面で糸森に変えられている。つまり、糸森変電所が夜に爆破され、鉄塔が倒壊する。夜ノ森線へのメタファーだろうか。変電所なのに周波数変換所をモデルにしたのは「入替」にかけてるんだな。
  • 祭りの中、楽しそうに彗星を眺める村人たち。現実との対比で言うと、当時そこまで呑気では無かったため、観客はやや距離感を感じるシーンでもある。 何故なら、地震後はとるもとりあえず指定の避難所なり高台に向かっていたのが実際の被災地の姿だからだ。
    しかし、ここでカメラが映している人達は、避難し切れなかった、何らかの事情でしなかった人がモデルであって、
    生者たる被災者ではない。一連のシーンでのんびりしているのはそのためだ。
  • 劇中歌の歌詞は一見するとその場面で進行中の出来事とは無関係である。しかし、登場人物(専ら瀧。外から村にやってきた者としてキャラ作りされているため)の回想を歌っていると解すると全てが分かる。

    スパークルの場合、「遂に時は来た。昨日までは序章の序章で」は作戦の開始に合わせているが、実際には「再演の日」にやってきたことを思い返して語っている。
    停電の直前は「自分が電車の中などで、日頃三葉をどう思っていたか」を瀧が回想する視点。デート失敗後、糸守の絵を描いているシーンに対応し、台詞は無かった所である。敢えて台詞を消すことで、スパークルでの回想に説得力を持たせている。
  • また、人間開花版だったと思うが、フルで聞くとあの叫びには愛だけではなく慟哭も含意していることが分かる。MVとして再編集された映像からも明らかである。
  • 町が停電していく様子を空から見る。画面右上に炎上する変電所が確認できる。
  • 鳴り響く警報。あの日私は現場にはいなかった。だが「トラウマになるから辞めろ」と言われつつ、実態解明のため何百回も津波襲来時の動画を見てきた。だから、あのシーンは直ぐに分かることだったが、西日本を中心にその再現だと素で分からない方もいるようである。そういう映像から目を逸らす人達も沢山おり、既に「忘れられ」始めているのかも知れない。だからここに敢えて書き残す。
  • 「知るかアホ。これはお前が始めたことや。」と叱咤するテッシ―。そう。この場面に限っては、表のテーマ「ボーイ・ミーツ・ガール」は個人的事情として封印され、裏テーマが完全な主役に躍り出るのだ(三葉は冒頭で愚痴を言っていた割には町の人達を見捨てずによく頑張ってはいる)。
  • 「こんな田舎でテロなんかあらすけ」と言ってるのは防災課の職員。宮水俊樹の前でおろつくのは防災課長である(字幕版で分かる)。
  • 彗星が落下し爆発する。高校上空から1~2秒程度の描写だが、空を見ると雲がドーナッツ状に変形している。市原悦子氏が広島、長崎を髣髴させるとコメントされており、「製作陣は流石にそこまでは意識していないでしょ」と思っていたが、あの核実験のような雲の広がり方を目にしての感想だったとしたら、絵的にそういう面はあるかも知れない。
  • ネットで議論となった話の中に、「作戦の首謀者3人はどうして逮捕されなかったか」というものがある。役場は事情を把握しているので、物証(変電所)が消し飛んでいても3人の間だけでの隠蔽は困難である。また、瀧が読んでいるネットニュースのように、写真も撮られてしまっている。

    恐らく、覚悟を決めた三葉にキーがある。つまり、彼女は隠そうとしたのではなく、目が座ったまま「爆破したのは私たち。避難してもらうためにやったの」と俊樹に告げたのだろう。あのシーンは典型的な父殺しだが、事態の本質を明瞭に告げることで、俊樹には娘の意志を尊重し、庇護する動機が生まれる。そうして、役場を巻き込んで隠蔽してしまったと考えるのが実は最も筋が通っていると思うのだが。

    監督は2冊目のパンフレットで瀧は異界の食べ物を食べて三葉になっていったと書いているが、三葉も瀧的になっていった面はあると考えるのが自然だろう。その意味でも三葉が決断力ある人物として振舞ったことは想像に難くない。
  • 瀧が就活で着ているリクルートスーツは本当に似合ってないのが素晴らしい。一方、就職後に着ている背広は板についたものだ。流石、実質的な勝負服になっただけのことはある。
  • 夕暮れ時に奥寺と瀧が眺める風景。防衛省の通信塔が印象的だが、あれ、近くで見ると結構塗装が劣化してるんだよね。塗りなおさなくても大丈夫なのかな。
  • 糸守の人々のその後。花屋の男に牛丼を食べる女。「ジェンダーをテーマにしないと決めた」と言う監督の自己認識が作品の随所に反映されている。実のところ「入れ替わりで性格が変化する」という設定を当然視している辺り、監督の無意識なジェンダー観が垣間見えて興味深い。2冊目のパンフレットにあった言葉を補うなら、思考の性差を先天的(=肉体に宿る)物と考えていないことが良く分かる。宮崎駿、引退撤回したそうだが、早逝した弟子にも抜かれていた貴方が、今から追いつくのはもう無理だな。それは罰だよ。
  • 先に、二葉=双葉郡の暗喩と書いた。最終的に糸守町の住人は助かるが、町が壊滅(一部は消滅)し、自治体として機能不全となる未来は変えられなかったことが、エンディングの上京した若者達から見て取れる。観客は結構分かっているが、あのシーンはそういう悲しみもある。監督だかRADWIMPSは「先の見えない不安な時代」と言っていたけどね。だからこそ「もう少しだけでいい」「何でもないや」という所に繋がる。
  • エンディングのボーイ・ミーツ・ガール。インテリから集客目当てと批判されたが、元の興収目標20億なのに監督が可哀想だ。生き残ることで出会いの機会に繋がるという災害映画との表裏一体の関係からすると、あれしか無かったと思う。素晴らしいのはこの二人が再度出会うことで、監督がパンフレットで言った「後は想像の範疇」に東京組と糸守組の大円団が射程内に入ること。貴樹に見せつけてやったれw
  • しかしながら、最低でも勤続4年目以降と思しき三葉はともかく、瀧はようやく見つけた就職先に振り落とされないように通ってる筈が、朝から仕事サボってデートか(西村智道風)。彼、試用期間中だよね。あの涙って「やっちまったのかー俺は」的ニュアンスかねw 5分後の醜態が見たくして溜まらない。
  • スタッフロール、英字幕版の時はいたく簡略だったが、北米公開の際は全訳した方が良い。余韻を楽しんでもらうべきだ。
  • ようやく幕が上がった。これだけやってオリンピックや現代の皇室のような、人を分断するワードを作中で一切使っていないのも大したものである。

【ティーチイン】

上映が終わり、満場の拍手で監督を迎えてティーチインが始まった。

「県外から来た人手挙げてください」は面白かった。3分の1位だろうか。安易に首都圏と考えてしまいそうになるが、東北地方は高速と新幹線が整備されるにつれて、各県間の移動が定着していったという話を読んだ記憶が蘇ってきた。行楽客は当て嵌まりそうだ。新幹線の場合、福島から20分で仙台に着いてしまう。県外からの来客も主力は東北地方の人達ではないだろうか。後述の質疑でも1人は青森から来たと言っていた。

リピート率も手を挙げて確認。4分の3位だろうか(なお最高は405回の方)。

なお、世代は広汎に分布、というか30代以降がとても目立つ。この件については公開初期にカップルを憎悪?していた「意識の高い人達」の評を信用してはならないw

動員数に話が及ぶ。2016年は邦画当たり年と言われたが、海外展開で期待できる戦略商品は本作だけ。監督はそのような意図は無かったとしつつも、多くの人に届く映画を作りたいという思いは持っていたそうだ。興味深いのは、神社周りの描写以外は、普遍的な日本の生活風景を紹介する構成にもなっていること。(社会問題の指摘はともかく)まだまだ変な日本の描写は散見されるからなぁ。改善に繋がれば嬉しいね。お互い。

【準備していた質問】

質疑応答では20名程が挙手。30分では時間的に厳しく、7~8名程で終わってしまった。製作中の苦労話、次回作のこと、趣味嗜好のこと、などなど。糸守町の中学校について、この日まで誰も設定を練っていなかったというのは、面白い検討抜けだった。

国内の観客動員を九州の人口と比べたり、自身の実家の小海町の人口を例示したり、監督は計数にも明るいようだ。小説にあった「電車に一両100人詰めて」等の表現は語呂と雰囲気重視なのだろう(通勤電車の定員は座席が50~60人程度、立席を含め140~150人。150%の乗車率なら210~225人となる。中央緩行線は朝でも空いてるが)。

なお、私は次のような質問を用意していた。

名取が放送をかける前「私、本当にやるん?」と三葉に向かって迷いを見せ、その後覚悟を決めて実行しますが、教師達に止められます。それは劇中での必然性があっての行動と結果であることは勿論ですが、見ているのは我々観客です。なので、ずっと疑問に思っていました。「本当に演るん?」て誰に向けて言ったのかなぁ、と。最初は観客だと思いました。警報からの一連の流れはそれまでの稲村の火からややスイッチし、3.11の明瞭なオマージュだと我々は知っています。でも、良く考えると我々が答える質問ではないですよね。

だから、映画館に足を運ぶことが永遠に出来なくなった人達の御霊に向けて、「宜しいでしょうか」と尋ねたのかなと。

実際の出来事をモチーフにフィクションを作ることはどなたでもやることですが、中にはこれはどうかと思うような使われ方もある。監督の場合は、一連の言行から受ける印象として、それをやったら相手がどう受け止めるか、考えて行動する方とお見受けしました。このように考えると、最後の一押しをするのは神職でもある「本物の三葉」でなければならないし、名取は「お姉ちゃん」を演じる訳ではありません。そして、町長や教師達が「普通の大人」としての役割を示すために「誰が喋っている」と止めに入り、「何てことしてくれたんや」と叱責して、放送のシーンが終わる。そうすることによりお会いしたことのない御霊への礼と謝意に代えて、お帰り頂く。祭り、つまり祭礼の中で起こった出来事(芝居)として眺めるとストンと腑に落ちる。そういうメッセージを込めているのでしょうか。もしそうであったとしたならば、演者の方達も了解済みで収録されたのでしょうか。

映画館への道中色々考えたが、仙台という土地柄、と客層を予想し上記に決めた。隕石とラスムッセン報告について尋ねるよりはマシだったと思う。もっとも、指名されたとして、最後まで淡々と話せたかどうかは、正直自信が無い。なお、小説版ではこの日を「再演」と位置付けている。テッシーが「ここからは冗談ではスマンで」と言っているのは既に紹介した通り。

【震災は平日に起きたのに、彗星は何故祭りの日なのか】

私が言いたいのは「この映画は大津波を石碑や神社仏閣で示すことで伝承した事実がモチーフ」「夢のお告げを受けた少女が人々を災害から救う」という既にリリース済みの「裏話」ではない。そんな話をここで繰り返しても今更意味は無い。また「劇中では三葉が生き返ったから再演なのは当たり前」ということでもない。

監督はあるインタビューで「全身全霊で作りあげた」と語っていたが、恐らく映画を使って本気で慰霊する気だったのだろう、という事だ。

一般的なストーリー解説では「彗星が落ちたから宮水神社で祭りを行なって伝承するようになったという設定」と理解されている。

コラム
飛騨に近い美濃地方で輪中を設けている地域では、水害のあった日を祭礼の日に指定し、水神を祭る例も見られる。和歌山県広川町の津波祭りは伝統としては浅いが、あの「稲村の火」を伝える。大津波で犠牲になった人々の霊を慰め、稲の束に火を放ち、この悲劇が二度と起こらないように堤防を築き上げた浜口梧陵の遺徳をしのぶとともに、住民の津波災害に対する啓発につながっているという。

だが、これだけでは3.11映画としてのモチーフを説明するには不十分だ。例えば、2011年3月11日は只の平日(金曜日)。祭りなど無かった。だから、入れ替わりの設定などを導入したとしても、事実に倣えば、普通の日に落とすことになる筈だし、伝承が話の過程で明らかになれば十分。祭りの日に災禍を合せることまでは必要ない。ところが、この映画では曜日はモチーフと揃えているが、わざわざ祭りの(ハレの)日としている。更に言えば、震災は月日までは予報されていなかったが、彗星(と祭り)は月日まで予告され、作中で大衆は心待ちにしているのである。寓話化としては「祭りを楽しみに待つ大衆」は余計なのだ。

実は、慰霊という指摘も既に一部のサイトではなされている。それでは、慰霊という行為は誰に対して行うのだろうか。

当然、生き残った者が死者に対して行うのである。

だが、慰霊に言及している一部サイトも、基本的には生者を観衆として無意識に想定している。

しかし、私はこの映画が招待している者には、死者も含まれていると考える。というより、彼等こそ、本当の招待者ではないのだろうか。

宗教的儀式の詳細は良く知らないが、「祭り」をWikipediaで引くと「祭祀は、神社神道の根幹をなすものである。神霊をその場に招き、饗応し、慰め、人間への加護を願うものである。さまざまな儀礼・秘儀が伴うこともある。」とある。つまり、サヤちん(の演者)がある種のイタコ(これも東北は有名)として神霊を招くためには、祭りの日という設定が必須。それは人為による再演だから、「予告するもの」なのだろう。誰もいない神楽殿が開かれたままになっているのも、トラ・トラ・トラではないが、何かを暗に示しているのでは。

本格的な巫女が主役となるのも上述の一般的ストーリー解説で理解されているが、それだけなら設定過剰だろう。映画の形式をとった祭礼なので、巫女(神職)でないとダメなのだろう。もし津波のモチーフ借用に留まるなら、若い頃の宮水俊樹のような、学者など一般人による謎解きという筋書きだけでも、十分成立する。

なお、監督や主要スタッフのインタビューを幾つも読んだが、彼等が災害映画としての文脈を語る時は、生者を慰めるための話しかしてこなかった。しかし、目に映るもの、話の構成に対する素朴な疑問を整理してみると、死者に向けて語っている側面は否定出来ない。監督は広い層に作品のことを知ってもらいたかったとのことだが、よく知らない内からアニメで慰霊を公言すれば、どんな反応が返って来るか。それを予想して語らなかったのだろう。

死者に往年の人格を認め、映画館に招く気だったとして、饗応や生者への加護はともかく、どうすれば肝心の慰めになるのか。作品を観賞して台詞を言霊とし、魂にあるべき避難誘導を経験させ、未練を断ち切っていただくことは勿論だろう。東北の身代わりとして招魂に使った宮水(糸守)を祭礼の後に焼くのも自然な解釈と言える。だが、監督が見せたかったものは心を揺さぶられている生者、すなわち観客の姿だろうか。それが最も無難かつ合理的な結論に思える。

私は霊性の存在は信じていないつもりだし宗教活動も不熱心で万事形式だけだが、親族の位牌の前で一言二言話かける位はやっているし、理由も無く黄昏時に墓参りをしようとは思わない。そういう人なら結構いる。原理主義ではなく、そういう人達への映画だ。

多少は調べ物もしたが、Web上にこの問いへの答えが既にあるのかは分からない。或いは一葉婆さんが小説で語ったように、安易なテキスト化は憚られているのかも知れない。公開初期も、動員数の割に本作の反響が伝わってくるペースが全体的に遅いと言われていたから。祈念の場と感じた観客はそうなる。

従って現時点では数ある解釈論の一つに過ぎないのだが、補強材料はある。演者のインタビューで、ビデオコンテと台本見ただけで涙流してたと読んだが、音楽も書き込まれた背景も無いのに、想像力だけで本当に感涙できるかな、と。演者の人達というのは、一般の人に比べて場の想像力が高い傾向にあるから、以心伝心で了解という事もありえるが。

ただし、上記の疑問に対して、監督の思考を伺えるお答えが全く無かった訳ではない。

「幸せになりなさい」が村上春樹のオマージュではないかとの指摘があったそうだ。だが、監督に製作中そういう意識は無く、公開後に指摘されて気付き、自然に身に付いたものとして受け入れたというような話をされていた。

また、特に印象に残ったのは、自分がその場で決めたこと、あるいは逆に人に指摘されて譲ったことを後から眺めてみると、内心ではその選択が正しいと思っていたからではないか、と述懐されていたことだ。

これらの話から、半ば無意識に作品にある種の性格を付与していることが分かる。

結局、3.11絡みの話は出なかった。このタイミングで公開初期以来久々の、恐らく上映期間中最後となるティーチインを開いたことが全てと、皆了解していたからだろう。

という訳で、行ってみるものだなと感じた一日でした。

あと、片割れ時に入室してきた若い女性二人組、後で「イオンシネマ名取にもいましたね」って監督に言われてたねw イオンシネマ名取からの移動時間考えても遅すぎです。前でガサゴソされると興を削ぐんでもう少し考えてほしかったな。せめて旅館のシーンまでに来れないものか。金曜までの疲れが残っていたために東北大での取材を諦め、17時37分の下りやまびこで到着して最前列最短経路で即ダッシュ、前宣伝終了直後の41分頃に入室した私が言うのもなんだが。

【追記】監督のツイートなどにもあるように一区切りしたいという事で、3月末で公開終了を予定との映画館も現れ始めたようだ。つまり、映画通り夏にスタートして桜の季節に終わりを迎えることになる。凄いなぁ。

参考文献:小説版2冊、パンフレット2冊。および『ユリイカ』、ネットメディア上のインタビューなど。特に、17年1月1日のハフィントンポストのものはかなり踏み込んでいる。『女性自身』や『東洋経済』の記事も興味深い。個人の感想では「追悼の儀式としての「君の名は。」」(映画.com)が最も私の意見に近い感想だった。

当記事を執筆後、3月11日にはTBSにて『君の名は。』の真実を放映、同時期、銀座松屋で『君の名は。』展が3/20まで開催されていた。当記事の考察・論評部分にこれらの情報は反映していない。実は、TBSの放送では入れ替わりを導入した意味として「貴方だったらどう行動したか」というメッセージだと明かしている。この言葉を聞いて、それは読み切れなかったと思ったものだ。私も洞察力をもっと磨かなければならない。また何故、瀧が中の上レベルの生活水準なのかも得心した。それは東京に住む監督が自らに課した小さな罰なのだ。

また、『公式ビジュアルガイド』は最も製作意図を丁寧に追った文献だと分かってはいたが、記事執筆後、ある種の答え合せを兼ねて松屋で購入するまで未見だったことを付記しておく。

17年4月3日追記。なお、防災無線が鳴っていなかった件もTBSの放送後に初めて知った。当ブログ執筆時には知らなかったし、知っていたとしても関連付けて推測出来たかは疑わしい(“閖上の悲劇”の原因に「新事実」も 名取市、防災無線メーカーへの厳しい指摘が並んだ検証委報告案の全容)。

17年5月9日追記。本論を余りに飛躍していると見る向きもあろうが、東北学院大が取り組んでいる一連の社会学研究『霊性の震災学』等を参照すれば、まずまず妥当な内容と了解いただけると思う。

17年5月14日追記。下記2つを参考サイトに追加。M Sato(※名前を誤記し抗議を受けたので訂正)伊藤氏の主張に同意するものではない。あるインタビューで都市と星などSFを例示した監督は無意識にそのフレームを拝借した可能性はあるだろうが、彗星の人格性を前面に出したとしても、本作の2つのテーマからはずれ、それを強調することに、物語上の意味も、監督が意図していた社会的意義も無い。付言すればエンドロールのスペシャルサンクスに海外SF作家の名は無い。ただし描写の観察力は優れている。

伊藤弘了「恋する彗星――映画『君の名は。』を「線の主題」で読み解く」2017年1月23日

M Sato「映画「君の名は。」考察メモ 第2版」 2017年5月14日

17年5月21日追記。彗星のテーマ性の部分を見直し、加筆。

上野誠「映画『君の名は。』と『万葉集』

18年1月25日。慰霊に係わる文章手直し。

2017年2月15日 (水)

日本原電が一般向けには説明しない東海第二電源喪失対策先送りの過去

川澄敏雄さんが盛んにツイートしている通り、震災後の相次ぐ初期原発の廃炉によって、東海第二発電所はいつの間にか最後に残った1970年代運転開始のBWRとなってしまった。

しかも、元原発設計者の渡辺敦雄氏が指摘するように、BWR-5はMARKII格納容器を採用しており、炉心溶融時に溶け落ちた燃料が直接サプレッションプールの水に触れる可能性が高く、固有安全の面から見ると水蒸気爆発のリスクがMARKIより高いと指摘されている。

この問題の他にも浜岡3号機計画時の公開ヒアリング記録に残っているのだが、MARKIIはMARKIに比べて建屋の重心が高く、定性的には耐震性でやや劣ることが、以前から明らかになっている(故に、中部電力は炉形は新しくしてもMARKIを4号機まで採用し続けた)。

また、原発から30㎞圏内の人口が100万を超えており、シビアアクシデントが現実のものとなって以降は都市近接型の原発とみなされている。そのため、実効性のある避難計画はどれ程法制度を充実させても作成することが出来ない。にも拘わらず、茨城県知事を支える政財界は目先の利権を目当てにした再稼働に傾斜している。また、日本原子力発電(日本原電)も敦賀2号機が活断層問題で規制側からすら見放されつつある中、東海第二の再稼働の可能性を否定しないことで、手持ちの原発を残そうとしている。

以上が、東海第二原発を巡る概況だが、当ブログとしては、福島事故と一般的な原発再稼働問題に隠れて見逃されてきた、東海第二のような古いプラント固有のリスクについて、その経緯を明らかにし、日本原電と茨城県の先送り体質上、再稼働に正当性が見いだせないことを論じていきたいと考える。

今回は、東日本大震災発生以前の経緯を中心として、電源喪失リスクの中でも交流電源喪失リスクに着目し、日本原電の態度が、同業と比較しても長期に渡って消極的であったことを示す。直流電源を論じないのは、他社とさほど差が無いからだ。

簡単な復習だが、交流電源喪失を引き起こさないためには、次の供給手段のいずれかが生きていなければならない。

  1. 発電した電力を所内に供給:スクラム時や冷温停止時には使えない。
  2. 外部電源(送電線~所内開閉所)から電力を貰う:冷温停止時は通常この方法である。
  3. 非常用電源を起動する:外部電源からトラブル等で電力が貰えない時はこの方法である。更に、非常用電源は建屋に定置している場合と、震災後原発にも配備された移動電源車の2パターンに分かれる。

以前から指摘を続けている外部電源の耐震化の先送りは2に係わる問題で、今回は3に係わる非常用電源増設(原子炉を冷温停止に導ける大容量のもの)を実施しなかった件についても述べる。

【1】外部電源

【1-1】寿命25年、安全率1倍が前提だった日本電気協会の耐震設計指針

これは前の記事「寿命25年、安全率1倍が前提だった「変電所等における電気設備の耐震設計指針」(JEAG5003)」で述べた。初期原発の外部電源および一次変電所は25年以内に耐震強化の改修・更新工事を必要としていたことが分かる。東電福島第一も、日本原電東海第二も本来はその流れを受け入れるべきだった。

【1-2】1996年に開閉所の更新に言及

『東海発電所三十年の記録』という、日本原電が社員にのみ配布した分厚い記念誌がある(自治体図書館どころか原研にも寄贈されていないようだ)。既に廃炉になった東海第一とも通称される炭酸ガス炉(GCR)を対象にしたもので、PAについて、たった1ページしか割いていない。本来あるべきだった原子力本の在り方がどういうものかよく分かる。ところで、同書は、東海第二に関連する事項についても興味深い記述が存在している。

Tokai30nenkirokup0410 「東海発電所の保守管理 1.主要電源設備(2)屋外開閉所設備」『東海発電所三十年の記録』(1997年)

154kV系は元々東海発電所用で、廃炉になった後はガス開閉装置(GIS)へ更新した上で、東海第二の予備電源として活用することが計画されていた。しかし、以前の記事「原電東海第二は開閉機器更新の実施未定」でも触れたが、実際には遮断器だけが耐震性の高いガス式に更新された。

原子力関係で1点質問させていただきます。

御社では敦賀1号、東海第二など日本の原子力開発初期に建設されたプラントがあります。これらの外部電源は建設時いずれも気中開閉式(ABB)の機器を使用しておりガス開閉装置(GIS)ではなかったようです。

http://www.nsr.go.jp/archive/nisa/shingikai/800/28/001/1-3-1.pdf

一方上記旧保安院の報告ではABB系の機器は耐震性が脆弱とのことで、GISへの更新を推奨しています。

御社の原発の開閉所、また最初に接続する一次変電所にてGISへの更新は実施していますでしょうか。

【当社発電所の開閉所設備について(現在)】

■東海第二発電所
 ・154kV‐気中(ガス遮断器)
 ・275kV‐気中(空気遮断器)
  今後、ガス絶縁開閉装置に変更予定
(中略)

なお、当社は卸電気事業者のため、送電線は所有しておりません。一次変電所については他社の設備となりますので、お答えしかねます。

(2014年11月18日:日本原子力発電回答メール)

開閉設備一式(断路器、変成器、避雷器などを含む)の耐震化には遮断器のガス化だけでは十分ではなく、GISへの更新が不可欠である。

なお、開閉設備更新計画は、記念誌に合わせたリップサービスではない。同書の座談会で30周年時点の電気補修課長小栗第一郎氏は次のようにコメントしているからだ。

小栗‐運開以降の保守の考え方としては、当初は、予防保全を設備、機器の点検周期を決めて、それに従い点検を実施していた。
10年目以降20年ぐらいまでは、設備重要度を考慮し実施した。
20年目以降は、取替計画や経済性を考慮するようになり、診断技術を導入して先取りをした点検に移っていった。
(注:昭和)60年代に入って、将来のプラントの停止を考慮しかつ劣化の状況を見て、今後の点検、取替計画を策定するように移っていった。こうして現在のような考え方に近づいてきた。

座談会
東海発電所 安全安定運転 30年の歴史 「過去、現在、未来」東海発電所を語る 」『東海発電所三十年の記録』(1997年)

これまで私は、「日本原電は東日本大震災を見てから九州電力などが外部電源の耐震強化を進めていたにも関わらず、3年半以上設備更新を放置したと」理解していた。しかしどうやら、悪質なことに震災の15年前に遡って、1996年に設備更新の必要性を認識していたということが分かる。

小栗氏の言う「経済性」は、他社と異なる判断を下す決め手となったのだろう。それは、一体どういうものだったのだろうか。本書発行の2年後、JCO事故が東海村で発生し、日本原電もINESレベル4を間近で体験することになる。シビアアクシデントの恐ろしさを想起させるには十分だったと思われるが、それにもかかわらず当初の計画が縮小された。

一つの可能性としては、日本原電単体の「経済性」ではなく、子会社化を図った東電原発の「経済性」に支障したというシナリオが考えられる。東電はある時期から日本原電の株式を25%以上保有し、子会社とした。その経緯はWeb上では北村俊郎「巨大組織は何故大事故を起こすのか(10)」(2015.9.24 日本エネルギー会議)で説明されている。

【1-3】台湾第3原子力(馬鞍山)電源喪失事故(2001年3月)の教訓化

福島事故前に教訓化出来たチャンスとして良く取り上げられるのが仏ルブレイエ原発の洪水による電源喪失危機(1999年)である。ただし、この事故の教訓は想定外の浸水を防止するという観点から指摘されているのであって、外部電源の耐震性への問題提起としては、有力な内容と考えられていない。

主要4事故調の内、民間事故調はこの他の海外原発事故事例として、2001年に発生した台湾第3原子力(馬鞍山)での電源喪失事故に触れている。この問題もまた耐震性の観点から指摘されたものではないが、外部電源を含めた全交流電源の信頼性を見直すきっかけとなり、結果として耐震性の問題に影響を与えた可能性がある。

どういう事故なのか。

台湾の馬鞍山原子力発電所で起きたSBO(注:交流電源喪失)については原子力安全委員会等において議論がなされている。

このケースではまず、塩分を含んだ海からの濃霧による絶縁劣化により2回線ある外部電源がどちらも停止した。外部電源喪失後、本来の設計上は、2系統ある非常用ディーゼル発電機が起動する筈だったが、1つは分電盤の地絡(電気装置等と大地との間の絶縁が低下し、電気的接続が生じること)により、残る一つはディーゼル発電機の起動自体に失敗し、SBOに至った。しかし、直流電源は利用可能であったため、SBOに至った直後から補助給水系等によって炉心冷却が可能であったほか、同発電所では上記2系統のほかにもう一つ非常用ディーゼル発電機を2基で共有する形で用意しており、これを系統の一つに接続することで、約2時間でSBOを解消することができた。

(中略)台湾の事例から、発電機や外部電源系そのものが正常であっても、電源母線や電源盤の損傷によってSBOに至りうるということを、教訓として学んでおくべきであった。原子力安全委員会ではこの事例について検討が行われているが、委員からの指摘に、当時の保安院の説明者は「大体BWRの場合終局で少なくとも8時間ぐらい。それから、PWRの場合はある処置を前提にすれば5時間ぐらいはその状態での維持が可能でございますので、その間の外部電源の復旧。日本の場合大体送電系統の停電というのは30分ぐらいというような実績がございます。それから、先ほども申し上げましたD/Gの補修とかそういったものを考えて十分な余裕があるというふうな認識ではございます」と回答している。それ以上の議論は行われず、結果的に本格的な教訓は得られなかった。

「第3部 歴史的・構造的要因の分析 第7章 福島原発事故にかかわる原子力安全規制の課題」『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』 2012年3月 P277-278

一部で悪名高い東大教授の岡本孝司氏も本件を取り上げたが「日本の安全性向上に反映されたか不明」とした。氏の手になる追跡調査は見つからなかった。

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岡本孝司(東京大学)「福島第一原子力発電所事故の教訓」日本機械学会HP 2011年11月28日

民間事故調、岡本氏とも触れていないが、日本と台湾は民間レベルで「日台原子力安全セミナー」を毎年開催してきた。芸能人や文化人を呼んだ一般向けの宣伝用ではなく、プロ相手の実務会合である。2002年(第16回)では馬鞍山事故を受けて電源喪失が主要なテーマとなった。そして、日本原電からも講演者が一名参加し、パネル討論にも登壇していた(武藤直人、当時日本原子力発電発電管理室プラント運営管理グループマネージャー(副部長))。

保安院の説明は当時のAM策(過酷事故対策のこと)で新味は無い。しかし、セミナーでは武藤氏とは別の講演者から興味深い事実が提示されていた。過去20年の間に国に報告された非常用ディーゼルトラブルを集計したところ、1回辺りの平均ダウン時間が100時間を超える発電所が3ヶ所存在し、日本の全原発の平均を取っても60時間だと言うのである(「中島知正(原子力発電技術機構)「日本における外部要因による計画外原子炉停止及び非常用ディーゼル発電機トラブルの統計分析について」)。

要するに、外部電源が喪失した状態でディーゼル発電機が一度故障すると、平均を取っても再起動に2.5日から4日かかり、BWRで標準となっていた8時間現状を維持する体制では、持たないという事を意味していた。

この事実を提示した講演者の中島氏は当時の通例に従って、外部電源が故障する確率と非常用電源が全て故障する確率を掛け算し、それが10^-7(/年)以下のため、「台湾の第3原子力発電所で発生したような事象は、日本では確率的に発生する恐れは殆ど無い」と結論した。

このような事実もAM策を検討した90年代初頭には情報としては上がっており、中島氏の論法もその繰り返しに過ぎない。ただ、少数の特定の委員会内部だけで読むレポートでは無く、日本原電の講演者を含む安全セミナーにおいて「電源喪失は無い」という神話の根拠が深いレベルで説明されたのは、ポイントだろう。

興味深いのはパネル討論で中島氏が台湾の事故のようなケースを考慮せずに確率計算したため、「非常に保守的な評価となってしまった」と反省の弁を述べていることだ。

また、パネル討論でコメンテーター役が設定されており、三菱重工の米沢隆氏が務めていた。恐らく、彼のコメントと思われるが、次のように教訓を述べている部分も注目される。

長時間(注:ここでは30分以上を指す)の電源喪失事故に関しては、日本では確率的安全評価(PSA)によって原子力発電所は送電系統の信頼性が高いため全電源喪失事故は炉心損傷リスクの主要寄与因子でないことが示されているが、長時間の全電源喪失事故対応も考慮したAM策が整備され、その中で、交流電源回復手段として隣接ユニットの非常用電源を利用してバックアップする方策(号機間電源融通)が準備されている。

台湾では、長時間の全電源喪失事故発生を想定しそのための十分なAM策と必要な設備対策がとられていた。従って、台湾の全電源喪失事故事象教訓に照らし、深層防護の観点から現状の日本のAM策の更なる改善要否について検討することが望ましいと考えられる。

台湾第3(馬鞍山)原子力発電所全電源喪失事故:原因と今後の課題

東電福島第一は「AM策の更なる改善」として2000年代に追加の電源喪失対策をしなかった。日本の原発全体を概観した先行文献でも、東電の右に倣えだったように説明されている。東日本大震災以前、日本のAM策は内的事象(機器の故障)のみを対象とし、外部事象(災害、テロ等)への対策は建設当時施された内容から進化していなかった。台湾は馬鞍山当時から内的事象も外部事象も想定し、塩害は外部事象に分類されたらしい。

【1-4】PWR各社は相次いで外部電源を更新

しかし、私は先行文献の「日本は行政指導の元、横並びで外部事象への対策を強化しなかった」という見方に異論がある。

電力各社の原発外部電源-関電美浜・原電東海第二は開閉機器更新の実施未定-」で外部電源の耐震性が低い原発の更新状況を各社に質問した。BWR各社については1997年に島根1号機でGIS更新の先進例があった後は、浜岡1・2号機が廃止された以外大きな動きは無く、台湾の事故後のGIS更新も無かった。一方、PWR各社を見ると、台湾の事故の後、外部電源を更新した社が存在する。

  • 関電高浜:福島事故前にGISに更新(2001年以降かは不明、経年からは可能性高)
  • 四電伊方:1号機、2号機ともGISに更新(2004~2005年)
  • 九電玄海:1号機、2号機ともGISに更新(2008~2009年)

三菱のGIS開発研究の初期に書かれた『電力機器の耐震設計方法に関する基礎的研究』(1971年)という大論文がある。引用はしないが同論文を読むと、国内外で発生した大地震と電力設備の被害を詳しく調べるなど、当初よりGISを実用化すれば地震対策へ大きな効果を見込めるものとして、重視していたことが分かる。そのような技術的思考が後輩技術者に受け継がれていたとすれば、台湾の事故を後押しにGISへの更新提案を行っていても不思議ではない。実際、2000年代後半に入ると日立、東芝、日新など変電機器メーカーも相次いで更新提案を強化し、それを社史や技報でPRしていった。

なお、GISの特徴として耐震性の高さの他、主要機器が密閉されているので塩害に強い点が挙げられる。一般論としては、台湾の事故を受けて提案する対策として最適だった。もっとも、東海第二の主要な外部電源である275kV回線の開閉所は耐震性の低い空気式(ABB)ながら塩害対策のため屋内収容されていたので、【1-2】で紹介した154kV回線(屋外設置)の更新の場合のみ、塩害対策上のメリットがある。

電源喪失対策は、後で議論するように非常用発電機の増設も指し手の一つとしてある。しかし、1990年代に東電福島第一で増設を実施した際は、設置変更許可申請を行っている。これを前例とすると、定置式の非常用電源の増設は表立った動きとならざるを得ず、地元の刺激を無意味なまでに恐れていたらしい電力各社にとって政治的に好ましい施策では無かったようだ。

なお、設置変更許可を要しない移動電源車の常置策は、何故か採用されなかった。私が直接当事者から聞いたところによると、1990年代にAM策を検討した時、メーカーサイドから電事連に提案はしたそうだが、葬られた経緯は不明だ。規制側(当時はエネ庁)の資料には一言も触れられてない。

このように見てくると、経年を理由にした外部電源の更新は、外的事象による電源喪失への対策として、絶妙な位置にあったのかも知れない。

だが東電と、(東電の子会社化が進んでいたらしい)日本原電は、そのような更新を先送りし続けた。

【2】非常用電源

【2-1】隣接原子炉から電源融通が不可能な東海第二

ここで、【1-1】~【1-4】で議論してきた外部電源から目を転じ、非常用電源について概観する。非常用電源は事故時対応の本命であり、初期の原発でも定置式が最低2台あり、1台トラブルを起こしても、もう1台で冷温停止まで導けるだけの容量を付与している。これがその後、何の強化も無かったのか、という疑問のある方もいるだろう。福島事故前の経緯をきちんと調べると分かる事だが、1990年代にAM策として非常用電源も強化された。

どういう内容だろうか。

一つのサイトに原子炉が複数ある場合、福島のように共倒れになってしまう危険がよく指摘される。しかし、上記セミナーからの引用にもあるように、非常用電源が各原子炉に設置されていることを利用すれば多重性と限定的な多様性を付与出来るため、隣接原子炉の非常用電源から電源を融通出来るようにするAM策が1990年代に実施された。

Nsc_senmon_shidai_gensi_kentou_gens 軽水型原子力発電所におけるアクシデントマネジメントの整備について 検討報告書資源エネルギー庁199410P12 (archive.orgで閲覧可能)

1998年に東海発電所が廃止されてから、東海第二は単独立地のプラントとなったため、「隣接ユニットの非常用電源を利用」することは出来なかった(上記資料に東海第二が挙がっているのは、94年の時点で、東海発電所の廃止が見えていたからだろう)。

Amhpcsdgtepcovideo_2 「IIIアクシデントマネジメント策」『アクシデントマネジメント』東京電力、東芝、東芝アドバンストシステム(リンク

 

福島事故前に製作された東電の所員向け教育ビデオにおける電源融通の様子。隣接プラントの無い東海第二では、このような模式図は成立しない。

このような「欠点」を持つサイトは当時北陸電志賀1号機(後に東北電東通1号機)などがあり、いずれもBWR-5であった。国はBWR-5が通常の非常用電源2台の他にHPCS(高圧注水系)専用の非常用電源を1台設置してあったことに目を付け、HCPS用非常用電源を通常の非常用電源としても利用出来るように結線することで、号機間融通策の代替措置とみなした。

しかし、この代替措置は矛盾している。福島第二や柏崎刈羽のBWR-5は隣接プラントを持っているが、自プラントにHPCS用の非常用電源も持っている。もし、代替措置で十分なのであれば、これらのプラントでもHPCS用に結線するだけで事は足り、経費は節減される。隣接プラントから電源融通のタイラインを引いてくる必要は無い。

逆に言えば、隣接機からの融通が第一とされたのは、このAM策を考案した人達の頭の中で、自プラントの外から引いてくることに、物理的な系統分離(セパレーション・クライテリア)という意義を見出していたからだろう。

2017/2/20追記。NUREG-1150で解析対象となったプラントを見ると隣接機からの電源融通はBWR-4に、HPCS用非常用電源からの融通はBWR-6に採用事例があった。当時は米国でもこういった融通策が水平展開されていなかったようで、日本側はこれらを真似てAM策に取り込んだのだろう。

そういうことだ。

単独立地プラントの場合、本来は別棟に残留熱除去系(RHR、駆動に大電力を要し、最終ヒートシンク~崩壊熱を海に逃がすこと~に不可欠な系統)を動かせる大容量非常用発電機(最低でも5000kW程度は必要)の増設が必要だった筈である。この方法は複数立地の福島第一だけが採用し、5・6号機を破局から救うことにも役立った。しかし、単独立地プラントでの採用例は皆無だった。

それでも、他の単独立地プラントは、外部電源が新しいGISなので耐震性は高い。そのため、上記セミナーの掛け算の理で考えれば、発電所全体で見た所内電源の信頼性は高くなる。しかし、東海第二はそうではなく、【1】で述べたように外部電源の信頼性も低い。

日本原子力発電との質疑」でも書いたことだが、原電に施策の根拠を問いかけると、国の規制に従った技術的説明は回答するが、どういう議論をしたかについては「社内の意思決定に関する情報等については、回答を差し控えさせていただきます。」と拒否される。日本原電は、2016年秋に地元で20回程説明会を繰り返したが、そういう会社である。

前掲の『東海発電所三十年の記録 運転管理資料編』によると、東海発電所の場合、保安運営委員会を2週間に1回程度の割で開催しており、AM策は「東海発電所アクシデントマネジメント検討結果について」(第234回、1995年8月7日)で討議された。事情は東海第二でも同様だったと思われるが、BWRの場合、資源エネルギー庁の資料は1994年に作成されているので、保安運営委員会の開催はもっと前だったのかも知れない。基本方針は日本原電本社で決めたのかも知れないが、こういった議事録の開示は必要である。

なお、配電盤、非常用電源、HPCS用非常用電源は原子炉建屋の外周に並んで配置されている。

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「第1.2-2図 建屋内平面配置図(地階部分)」『東海第二発電所設備概要』1972年

日台セミナーの台湾側事故報告(日本語訳で配布)によると、非常用電源を現場に行って手動で再起動した際、スイッチギヤ室(配電盤室)で焼損した遮断器から発したものなのか、「現場は煙が充満しており操作がかなり困難であった」と記載されている。このことは、発端となるトラブルを内的事象に限定しても、火災や内部溢水を想定し?、煙に巻かれにくい隣接機からの融通を考えたAM策考案者の正しさを証明している。

したがって、日本原電はこのセミナーの後、別棟に大容量非常用電源を新設するべきだった。しかし、実際にはチャンスを全く生かしていない。

結局、別棟に新たな大容量非常用電源が設置されることとなったのは、福島事故の後であった。

【3】そして、東海第二の電源喪失対策は次々先送りされた

【1-1】~【1-4】、【2-1】と福島第一で取られた対策を踏まえて東海第二を観察すると、非常に奇妙な特徴がある。福島事故前20年ほどの日本原電は他社に比較して、東海第二での電源喪失対策に消極的なのである。

最初は、人と環境の条件は有利だった。【1-2】で見たように意欲はあり、【1-3】で見たように当事者を交えて生の知見を得る幸運に恵まれていたからである。

しかし、外部電源の更新は154kVの遮断器のガス化に留まり、【2-1】で見たように東電のような非常用電源の増設も行わなかった。

2007年の中越沖地震後に東電が免震重要棟の設置を決めると、日本原電も親会社に倣って同様の設備を建設し、小容量(500kW)のガスタービン発電機が屋上に設置されることとなった。このガスタービン発電機は震災に間に合い、仮設ケーブルを原子炉建屋に引いて補助的に運用された(「地震・津波被災を乗り越えた東海第二発電所」『エネルギーレビュー』2013年1月)。

仮設ケーブルということは、本来そう言う使い方を織り込んで設置した物ではないのだろうが、土壇場になって最小限の交流電源喪失対策が奏功したとは言える。例の津波対策同様に評価すべきことではある。しかし長期的な観察結果からは、電源喪失対策に対する日本原電の態度は、ある意味東電以上に原発を運転する事業者としての資質を疑わせる行動が散見される。

なお、日本原電はプラントの安全投資をサボる反面、PR施設東海テラパークを拠点に女性や子供への蔑視思想を根底に置いた啓蒙活動を、他社同様熱心に推進した。「げんでんスマイルフェア」や小中学生をターゲットにした「げんでんe学びクラブ」などが該当する。無駄な活動に費やす余力は持ち合わせていた。

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「日本原子力発電が開催した「げんでんスマイルフェア」」『電気情報』2006年1月(冒頭リンク

一般的に日本の原発は安全とリスクのバランスに欠けているが、日本原電は追加の電源喪失対策を外部電源は20年以上、非常用電源も台湾の事故から10年近くも放置した。無能な原発推進者や司法関係者によくある思考として、結果オーライという発想があるが、このような適切な設備投資の感覚を喪失している事業者に、老朽原発の運転を任せて良いとはとても思えない。

2017年2月12日 (日)

寿命25年、安全率1倍が前提だった「変電所等における電気設備の耐震設計指針」(JEAG5003)

【前書き】

地震で壊れた福島原発の外部電源-各事故調は国内原発の事前予防策を取上げず」から3本外部電源の問題を書いてから2年以上経過してしまった。それらの記事では、他社が福島事故前から外部電源を更新して耐震強化を図る中、日本原電東海第二、東京電力福島第二については福島事故を経ても脆弱なまま放置されていたことを批判した。

これら2つのサイトは炉形だけを見ても、固有安全性で劣るBWR‐5である。それにも関わらず、再稼働を期待する勢力によって未だに廃炉に至っていないこと、また、東電については司直の場で法的責任を否定し続けている問題がある。そこで今回は、この2年で解明した事実について、外部電源や新福島変電所のような一次変電所に適用される設計指針「変電所等における電気設備の耐震設計指針」(JEAG5003)を対象に、その問題を論じる。

東日本大震災で被災した変電設備を巡っては、「N-1基準」-送変電設備は1ヶ所の故障に対してバックアップが取れていれば良いという考え方(ただし影響が大きな場合はN-2も考慮)-を盾に「今回の震災はN-10であった」などと東電を擁護する向きがある(石川和男「「電力システム改革」を改革すべし!(その2)」『アゴラ』2013年07月18日)。しかし、N-1基準を肯定したとしても、なお問題提起するべき内容があることを知ってほしいと思っている。

【本文】

以前にも述べたことだが、1978年の宮城県沖地震では、仙台変電所(275kV回線あり)のように大きく損傷を受けた所があり、事故後電中研を交えて原因を調査し、1980年に変電設備の耐震設計指針(JEAG5003-1980)を日本電気協会から発行した。

地震動で倒壊した福島第一の外部電源設備はJAEG5003制定前の設置だったが、指針の内容は一応クリアしていた。倒壊した原因の一つは空気式(ABB)は概してガス式(GCB,GIS)より耐震性能が劣るからだと旧原子力安全・保安院は説明した。私見だが、開閉所を設置している高台などは、原子炉建屋に比べて地震動が大きかったことも理由だろう。

(参考)原子力発電所 開閉所遮断器の型式及び設置年
○今般の震災において、原子力発電所施設内の開閉所において設備の損壊等が発生した福島第一原子力発電所の大熊線1号線及び2号線はいずれも1978年に設置されたABB形式(気中遮断器(空気))であった(※1)。

※これらの開閉所は、JEAG5003-1980制定(1980年)より前に製造しているものの、福島第一1号機及び2号機の耐震性能については、開発段階から先行して動的評価を取り入れており、JEAGの要求性能を有している。

○(社)電気協同研究会による遮断器の耐震性能調査によると、タンク型遮断器(ガス絶縁開閉装置 (GIS)等)は、がいし型遮断器(気中遮断器(ABB等)等)に比べて耐震性能が高いとの結果が得られている。

○そのため、福島第一原子力発電所の遮断器が損傷した原因は、相対的に耐震性能が低いと考えられるABB形式の遮断器にあった可能性があり、今後、遮断器をABB形式からGIS形式に交換していくことが望ましい。一方、同発電所の大熊線4号は1973年設置のABB形式であっても損壊していないこと等(スライド22、23)から、今回損壊した遮断器等の解析による詳細評価の結果を踏まえ、更に検討していくことが必要。

原子力発電所の外部電源に係る状況について」原子力安全・保安院 2011年10月24日(WARPリンク

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私も、JEAG5003の2010年改訂版を参照した。256ページもある、本と言って良い厚さである。最初精読した時は特に不審な内容は見当らなかった。ところが最近、制定当時の技術的根拠を電中研の地盤耐震部が解説した専門誌の記事などを読み比べて、驚いたことが3つあった。

(1)開閉装置の寿命は25年を前提にした指針

一点目は、指針の対象となる開閉装置の設備寿命は25年と考えられていたことである。JEAG5003は確かに参考資料として河角マップの75年地震期待値を載せているのだが、その根拠として、設備寿命25年の3倍の期間を想定すれば十分であるとの考えに拠って定められたことまでは書かれていなかった。

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塩見哲(電力中央研究所土木技術研究所地盤耐震部)「新しい動的設計を図解する」『電気計算』1981年6月P40

通常、設備の寿命を見込むには、その部材の劣化特性やフィールドに設置された設備の実態調査を踏まえて決められる。開閉設備の場合は、基板やリレーと言った電気電子部品から、筐体の板金や碍子に至る部材の劣化状況や、メーカーの納入仕様書を見ることになるだろう。しかし、当指針を読むと部材の劣化状況とは別に、指針が想定した耐震性能によって自動的に25年という上限が定められることが分かる。中国電力を皮切りに、東電、日本原電以外の各社が続々と外部電源を耐震性の高いGISに置き換えていったのは、単なる劣化判定や保守部品の入手難ばかりでなく、この指針の根拠に自ら気づいたか、メーカーに提示されていたからだろう。

原発の基準地震動に比べればJEAG5003の考え方は遥かに緩い内容と思われるが、そのことを横においても、次のような問題点を指摘できる。

●河角マップが古すぎて役に立たない
福島原発1号機建設期に指摘された地震想定の問題点」でも指摘したが、河角マップは1950年代初頭に作られた地震期待値図であり、各地の期待震度が低すぎる。1960年代末にはより期待震度を厳しくした後藤マップが出現し、その後も幾つかの研究機関が類似の震度期待地図を発表、現在では地震調査推進研究本部(推本)のデータを元にした地震動予測図が最新の期待地図となっている。ロバート・ゲラー氏は東日本大震災や熊本地震を例に、推本データによる地震動予測図も「外れマップ」として批判しているが、河角マップに比較すれば厳しい内容のため、予防的には河角マップよりはマシと言える。なお、河角マップは一般建築物の耐震基準にも参照されてきたため、その問題点は2016年熊本地震でも批判された。

●25年規定を明文化していない指針を制定する行為は、モラルハザード
25年を経過したら更新するか、25年以上使用する設備は、75年期待値図を使用してはならないように、JEAG5003に明文化するべきであった。

河角マップは75年期待値図の他、100年期待値図と200年期待値図が存在し、それらの震度期待値は75年期待値図より大きい。このことは最低でも経年25年~33年の設備は100年期待値図、経年33年~66年の設備は200年期待値図を使用すべきであったことを教えている。考え方としてはそのような方向で解釈すべき指針であり、実態を反映せず明記を怠り続けた指針制定の委員会には、大きな責任が生じる。

なお、1978年に設置された福島第一1・2号機用の外部電源は、2011年時点で経年33年であり、GISに更新工事中だった3号機用以外は34年目以降の使用を前提としていた。従って、例えCクラス扱いであっても、事実上河角マップの200年期待値図を最低でも前提にする必要があり、地震学の発展を考慮すれば、更に厳しい内容が要求されるのが筋だった、ということである。

JEAG5003の問題だから、新福島変電所にも、東海第二の開閉所にも、東海第二と接続する東電側の一次変電所にも上記の問題は当てはまる。しかし、1990年代に寿命40年超を迎える原発の高経年(老朽)運用が可能であるか研究された際、主に原子炉周りの機器の寿命評価ばかりに視点が集中し(意図的に寿命評価をパスし易い機器のみフォーカスされた可能性もあると思うが)、外部電源の設計指針の問題は、公開の報告書では全く取り上げられなかった。

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徳光岩夫「原子力発電所は何年くらい安全運転が可能か」『電気計算』1999年7月P35
※幾つかのステップを経て高経年化対策が検討されたことが分かる。しかし、当時の文献を見てもJEAG5003の中味を議論した形跡は見当たらない。

(2)JEAG5003が前提とする地震動は震度6

先ほどの『電気計算』1981年6月号記事を読めばわかるように、JEAG5003が想定した震度は当時の階級で6に過ぎない。加速度で言えば250~400Galに相当するとされるが、後年震度が体感から地震計のデータを利用した算出法に改められ、震度6であっても400Gal以上の揺れを与えることは珍しくなくなった。なお、リアルタイムで震度7が計測されたのは1995年の阪神大震災が初めてで、2007年には新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発でも記録された。上述のようにJEAG5003は2010年に改訂されているが、このような事実を取り入れて、指針を改めることが無かったのは、到底許されることではない。

(3)想定地震力に対する安全率は東電社内規定に合わせて1倍

JEAG5003では、がいし形機器への設計地震力を「0.3G共振正弦3波」(Gは重力加速度で約300Gal相当)と規定している。

しかし、この値はJEAG5003制定以前に東京電力が社内規定で定めていた内容を色々な計算で肉付けしオーソライズしたものと考えられる。東電が社内向けに編纂した『変電技術史』には次のような経緯が書かれている。

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「第11章第1節変電所設計5.防災・安全及び環境対策」『変電技術史』東京電力1995年P557

上記のとおり、東電の社内規定では、この設計地震力は安全率との掛け算で表現されており、その安全率は1倍であった。JEAG5003の何処を見ても、地震波の入力位置(高い位置の方が振れが大きい等)による増幅率は明示されているが、安全率1を掛けた値であることは明示されていない。これが、旧原子力安全・保安院が東電の説明を受けて書いた文言「開発段階から先行して動的評価を取り入れており、JEAGの要求性能を有している」の実態だった。

加えて、1977年度に大学の研究者が東芝と共同で研究した空気式遮断器(ABB)の耐震性に関する博士論文を読むと、安全率を2倍に取っている電力会社も存在していたことが分かる。

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藤本滋(慶應義塾大大学院工学研究科)「第1章 序論」『大電力用空気しゃ断器の地震応答解析』1978年3月P1-2

電力業界は変電機器の耐震設計について社内でどのような考え方を取っているのか(JAEG5003準拠で済ませるのか、更に厳しい値を設けるか)、分かり易く纏めてネットに公開していないが、上記藤本氏の論文によると注釈(4)の「電力会社の耐震設計について(アンケート調査結果)」(中部電力社内資料1968年8月)が存在している。新しい資料ではないが、経緯解明には役立つだろう。

また、宮城県沖地震の調査でも、電気事業連合会は『変電設備耐震特別委員会報告書』(1979年)をまとめてJAEG5003制定の際に、影響力を行使していた。従って、『原発と大津波』に示されたように、津波評価技術において土木学会をオーソライズの舞台として使ったのと同様、いや先んじて、変電機器の耐震指針制定でも、実際の作者は日本電気協会ではなく、東電であった。

以上の3点から、初期原発の外部電源および一次変電所は25年以内に耐震強化の改修・更新工事を必要としていたことが分かる。東電福島第一も、日本原電東海第二も本来はその流れを受け入れるべきだった。

なお、今回取り上げた文献の内、『電気計算』1981年6月号は変電機器の耐震設計特集となっており、塩見氏の他にも投稿記事がある。その中には、非常に少ない可能性とは言え、JEAGで想定した以上の地震が起こる可能性はあると認めた上で、耐震向上、復旧対策に「各電力会社は万全を図っている」と豪語しているものがある(百足武雄(東北電力工務部)「地震におけるがいし形機器の被害」『電気計算』1981年6月P52)。細かいことだが「万全」とは、ゼロリスク論に容易に繋がる言葉でもあり、注意が必要だ。

また、藤本論文は第5章、第6章(まとめ)にて、共振正弦3波を用いることの妥当性も検証し、特定の条件下においては実際の地震動に対して十分安全側ではなく、実際の地震波を用いた解析の必要性を結論している。

更に、『変電技術史』では水害対策として、1989年以降毎年変電所周辺環境の変化(河川改修や冠水状況など)をチェックすることとした(P564)、「重要変電所における重大事故時の処置」を制定した(P686)などと、これまでの事故報告で未踏の事実が書かれている。

しかし、今回の記事ではそれらの詳細については不明な部分もあり、省略した。勿論、偉そうな態度で電力会社への愛の言葉を垂れ流すインターネット上の自称関係者達は誰一人、こういった具体的な内容に言及していない。

2018年5月26日追記。

本記事は当ブログの中でも特に電力関係のアクセスが多い。よって、次の補足を載せておくことは有用と考える。

『地震応答解析と実例』(土木学会耐震工学委員会編集小委員会編 1973年1月)の電力施設編には、東電が500kV変電機器の仕様を決定するため、地震応答解析を利用した事例が載っている。それによると関東ローム層の地表面を想定した模擬地震波を300Galとし、その安全率2倍として設計した結果、共振正弦3波0.3gを使用したとなっている。本文をよく読むと模擬地震波に相当する共振正弦3波は0.2~0.25gであったとされており、模擬地震波に対する安全率と共振正弦3波0.3gに対する安全率の問題は異なっていることに注意すべきであろう。

2017年1月 3日 (火)

瀬川深氏の『君の名は。』批判に見る名誉白人風味の皮相性

普段政治的な不満を代弁している人であっても、全ての面に同意するとは限らない。よくあることだ。

その一例が海外から日本の欠点なるものを親切に指摘する、名誉白人達である。確かに彼等の指摘する社会問題は野党支持者を中心に国内でも深刻だと考えられており、それを打開するために努力は必要である。共感出来る主張は多い。

だが、私が時たま思い出すのは、警察予備隊の創設に関わった米軍人フランク・コワルスキーの言「アメリカに心酔し、アメリカ人の気に入ろうとする日本人からは、いつも遠ざかるようにした」である(『日本再軍備』P139)。旧軍将校や一部自衛隊幹部などを指している。彼等は表向き日米友好プロパガンダに乗りながら、実際は戦中の失敗をさして省りみることも無く「日本のシビリアンコントロールは只の内務軍閥」と不平不満を言い続け、軍国主義の復活を夢想してきたからだ。

鏡のような存在を見ていても思い当たることがある。例えば、日本スゴイ番組に登場し、耳触りの良い甘言を弄する石平やケントギルバート。彼等はよく「模範的日本人像」を示すことがあるが、元々日本に住んでいる人達がそれを字義通り受け取っているとはとても思えないときがある。「心の綺麗な欧米人」をすぐ暗示する名誉白人達も、この裏返しのような存在である。

瀬川深氏は積極的に意見を発信している人士の1人だが、そういったものを感じることがあるので、(直接の面識はないのであるが)今回『君の名は。』を例に書き出してみた。

監督でさえ公開間もなく公式に認めざるを得なくなった本作の裏テーマ、震災映画としての性格を全く理解していないことが伺える。以前感想をアップした時にも述べたが、『君の名は。』は時間を遡ってリプレイしている。科学の限界を超えており、未来でも実現しそうにない魔法の技術。現実には無理だと認めたのと同じなのである。道理に基づき、筋の通った住民避難では意味が無いということだ。何故ならば、この映画はそれがかなわなかった2万人を意識した作品だからである。

ついでに言えば「なんか年寄りが曖昧に語っている昔話」は、市原悦子が声を当てた祖母の事なのだろうが、壁画と大火のくだりから分かるように典型的災害伝承をモデルにしている。現実に津波伝承は災害研究で重要視されており、そこから学んで大津波を回避した実例もある。嘲笑する態度はあの東電と全く同じ姿勢と言えるだろう。

後はツイートの時系列順に沿うが、何だかなあ。

私は小林よしのりの差別主義を批判する者だが、10数年前彼の漫画に晒された辺見庸氏のことを思い出した。彼はNews23にて「左翼に興味を持ってくれない民草」を小馬鹿にしながら、その民草が熱狂しているワイドショーは「自分も面白い」と自白してしまったのだ。まぁ、洋画厨や海外ニュース厨のゴシップ根性との相性を見ていれば、当然の本音ではある。

瀬川氏のひるね姫の件も正にそれではないのかね。

そもそも、邦画の予告批判自体、虚偽に近い誇張である。2016年秋~冬にかけて10回は映画館に行ったが、予告がかかっていた邦画を思い出すと、「何者」「闇金ウシジマくん」「土竜の唄」「本能寺ホテル」「相棒」などだった。恋愛物に限っても「僕の妻と結婚してください」「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」等高校生が主役ではない作品も混じっている。

17/8/20追記。『シャーマンキング』って作品の恐山アンナというキャラクターらしい。『君の名は。』の三葉や奥寺よりずっと年下の風体にしか見えないが。日頃、少女のようなキャラクターが出てきただけでポリコレ的発言を呟く行為との整合性は無い上、少女が好きだから女子高生批判出来たというオチですか。呆れてしまう。

そういえば、関連してこんな評もあった。

こういった表現を眺めていると、『君の名は。』は女子高生ばかり出てくる作品に見えるが、実際には主人公格の三葉と脇役で登場する友達、名取早耶香の二人だけ。また、「ギャルゲー的描写」は確かにあるが、恋愛映画にもかかわらずべクデルテストは結果としてパスする。何故なら、女性同士の会話の大部分は宮水家および早耶香との間で行われ、男性以外の内容も多いからである。なお、男性の話題であっても「悪名を残した繭五郎の言い伝え」のような恋愛性と無縁な例もある。

フェミニストを気にしての物かは分からない。だが、果たして邦画やシネコンで流している内容を誇張してまで、必要なことなのか。

『シン・ゴジラ』はプロパガンダとして使われるリスクを承知の上で官僚に協力を求めて製作された。動員数は注目すべきだろうが、単に現実の政府のデタラメと対比すれば虚構性を指摘することは簡単であり、情の面でもあの上から目線のために『君の名は。』やジブリ作品ほどの膾炙・浸透は果たせていない。

『君の名は。』に分かり易いプロパガンダは無いが、話の構成を震災責任を免責したい勢力に利用される可能性は警戒すべきだろう。

上記は要するに「何で怪獣は東京ばかり襲うの」「ガンダムなんて非現実的」と同じような指摘である。ハリウッド映画にも「宇宙の音」「見えるレーザー砲弾」があり、低予算ミニシアター系も不条理な筋書き・誤魔化しは幾らでもあるのですがねぇ。

家族観が狭量である。まず、一葉婆によれば宮水家は政治と距離を置いてきたため、町長選では政治力というより、箔付けとして利用したことが伺える。次に、政治家は世襲が多いが「世襲でなければ絶対ダメ」と言う程ではない。初当選した市町村長を見ていれば、大半が男性であるにも関わらず頻繁に姓が変わっていることからも、分かることだ(もちろん、私に世襲・男系を推奨する意図はない)。

また、家庭生活の乱れどころか、前科者さえ政治家にはありがちでホームラン級とは到底言えないだろう。バツ1で首相になった例もあるというのに、違法ですらないバツ1未満の別居に対する偏見は不愉快ですらある。

本質は候補者が建前と本音を使い分け、それまでの利権システムを温存する意思を持っていることだろう。『君の名は。』は冒頭でそれを明示している。

無用に登場人物を増やすのは話の焦点がボケる。話に絡んでこないのに、瀧が片親であることに理由付けが必要なのだろうか。私も東京っ子だったが80年代時点で、当人が深刻なメンタルに陥ってる訳でもない状況で、そんなこと詮索するような空気は小学校のクラスですら希薄だった。2010年代なら尚更。大方離婚だろうが珍しくも無い。日頃リベラル的な発言の多い方のレビューなので驚いている。

なお、震災映画の側面からは、両親が揃っていない家庭を前提にすることも必要だったのではないかと解する事も出来る(例:「ふくしまノート」第35話-「避難離婚」が増えてるってホントですか?)。

「じゃらんとかるるぶのグラビアみたい」なのは遠景の時である。映画は日常風景の描写が主体。雑然とした古民家の和室や学校もそうだし「カフェは無いのにスナックは2件もある」ような田舎のどこが「じゃらんとかるるぶのグラビアみたい」なのだろうか。

日常描写主体なのは震災映画として「地方にありふれている=東北にもある物」を示す必要があったからだろう。要はファーストフード化する地方とか、昭和期の評論でしばしば見かけた「どこの県庁所在地に行っても駅前が似ている」という視点と同じようなものだ。

 

瀬川氏によれば二十歳を過ぎた仕事を持っている、3年年の差カップルの存在が整合性を破たんさせるらしい。正に叩きのための因縁。

世の中にはクラシックも騒音扱いする者がいるが、上記も自分が理解できない音楽は全て騒音と見なす人間が一定数存在する、という一例。物凄い音量で流れていたかのようだが、実際は只のJ-POP系挿入歌である。加えて疑問なのは歌詞が映画の内容とリンクしていることがそこまで珍しいのだろうか。

それにしても、小説家が他人のヒット小説の映画版にこれでもかと唾を投げつける姿は実に見苦しい(映画が主で小説は従なのは周知だが、世に出た順は逆なので、後書きを踏まえつつこのように表現している)思い込み過多なのもここまで来るとちょっと。

『君の名は。』が最近のディズニー作品程PC等を意識しているとは思わない。本来は興行収入目標15億の作品であり、ギャルゲー臭は過去の作品のようなニッチ向けの名残と思われる。作品が万人向けとして受容される中では、弱点になり得るだろう。しかし、言外の目的があるか知らんが、欠点を「発明」してまで叩き続けていると、結局は自身に返ってくるだろうことは警告しておく。

2016年12月 4日 (日)

過去のブログ記事を一覧化して原発クロニクルを作りました

当ブログを立ち上げてから、原発問題の検証を中心に様々な試論を展開してきた。

立場はどうであれ、原発に関心を持つ方に読んでもらえればとの考えで始めたことだが、大分数が増えてきたので、一覧記事を作ることにした。プロフィールにも当記事のリンクを貼っている。

津波想定・地震想定の問題はおおむね時系列順としている。市販の広く流通している解説本や幾つか立てられた事故調の説明をなぞるだけという記事作りに陥らないよう、心掛けた。そのため、殆ど知られることのなかった原発の新たな姿を明らかにすることが出来たと自負している。

【敦賀原発】

【ターンキー契約】
初期BWRターンキー契約の本当の問題点~原電敦賀1号契約を中心に~(1)2016.11.6

初期BWRターンキー契約の本当の問題点~原電敦賀1号契約を中心に~(2)2016.11.11

【福島第一原発】

【津波想定】

東電事故調への疑問 2013.08.06

東電事故調への疑問(第2回) 2013.08.06

東電事故調への疑問(第3回) 2013.08.06

東電事故調への疑問(第4回) 2013.08.06

東電事故調が伝えない事実-津波に対する考え方を整理出来なかった小林健三郎- 2014.05.06

津波記録が容易に入手出来ても敷地高に反映する気の無かった東電原子力開発本部副本部長小林健三郎 2014.06.23

福島第一の敷地高を決めた東電小林健三郎とはどのような人物だったのか 2018.02.01

【事故検証は】東電資料より10年も早かった1983年の福島沖津波シミュレーション(前編)【やり直せ】 2015.03.03

【文献は】東電資料より10年も早かった1983年の福島沖津波シミュレーション(後編)【公開せよ】 2015.03.03

【貞観再現】先行研究を取り入れ明治三陸津波を南に移設した宮城県の津波想定調査(1986~88年)【東電動かず】 2015.7.30

中央防災会議の想定は社会にどのような影響を与えるのか-津波対策を強化していった火力発電所の例- 2015.4.11

福島原発沖日本海溝での地震津波を前提​にGPS波浪計を設置していた国土交通省 2015.02.22

日本学術会議で関村直人等が行った津波検証の問題点-特に福島県2007年津波想定について- 2017.11.20

日本原子力技術協会が2007年に提起した想定外津波対策-社外からの予見可能性は具体的でなくても良い- 2015.3.14

アメリカにあったMw9.3の津波シミュレーション-「Mw9.0を想定出来なかった」という言葉の背景- 2015.8.26

【地震想定】

福島原発1号機建設期に指摘された地震想定の問題点-原研大弾圧を横目に- 2014.10.06

あり得た第三の選択肢-500Galの仕様も検討したのに実際は値切られた福島第一原発1号機 2014.05.04

【設計指針】
小林健三郎が選んだ「原子力適地」-中部電力浜岡原発などは除外- 2014.05.07

福島第一原発の審査で外された「仮想事故」-予見可能性からの検討- 2014.04.29

長時間の電源喪失を無視した思想的背景-福島第一を審査した内田秀雄の場合- 2014.04.29

寿命25年、安全率1倍が前提だった「変電所等における電気設備の耐震設計指針」(JEAG5003) 2017.2.12

【非常用電源】
非常用発電機が水没した新潟地震を無視する日本の原子力産業 2014.08.30

福島第一と台湾金山原子力は事故前から姉妹交流-奈良林直氏の海外視察レポートでは経緯に触れず、津波対策だけ宣伝 2014.09.05

【外部電源】
地震で壊れた福島原発の外部電源-各事故調は国内原発の事前予防策を取上げず 2014.11.15

電力各社の原発外部電源-関電美浜・原電東海第二は開閉機器更新の実施未定- 2014.12.28

開閉機器メーカーの活動実態-各事故調が食い込まなかった津波対応、更新提案、カルテル- 2014.12.28

【炉心流量】

元東電木村俊雄氏が提起した炉心流量問題を考える 2019.8.18

【配電盤】

【東電には】電源盤を2階に配置して建設された日本原電敦賀1号機【都合の悪い話】 2017.3.20

【回避可能性】

【和製ブラウンズフェリー事故】北電火発が経験した浸水火災【再稼働に一石】 2019.1.19

【原発プロパガンダと情報公開】
テロ対策を言い訳に反対派を追い出して爆発した福島第一原発 2016.5.8

【今こそ皆で】東京電力が隠蔽した津波安全神話のパンフレット【宣伝しまくろう】 2017.12.11

チェック機能を放棄していた福島県の外郭団体が発行元である、「原子力かべ新聞」の問題点 2014.01.02

「”自分の言葉”で語ろうよ」の掛け声からは程遠かった電力マン向け「原子力一口解答集」による受答えのマニュアル化 2014.01.04

【美味しんぼ】井戸川氏を喜々として反原発の見本扱いする反反原発達の間抜けさ【鼻血】 2014.05.12

震災当日、原発について暴言を吐いていたのはJSFだけだったのか-f_zebra氏編-2013.8.14

吉田調書をスクープした朝日新聞を叩いてるオタク共は『海上護衛戦』に墨でも引いて読んでろ 2014.06.02

吉田調書をスクープした朝日新聞を叩く門田隆将氏の問題点 2014.06.09

門田隆将氏が描く東電撤退問題での歴史修正主義的態度 2014.06.23

津波対策を切り捨てた吉田所長が菅直人に「発言する権利があるんですか」-産経報道で判明、佐藤賢了を髣髴- 2014.08.19

 

【4号機水素爆発】
東京電力は非常用ガス処理をどのように考えてから福島第一原発を建設したか 2014.05.01

福島第一3・4号機水素爆発にまつわるこぼれ話①②③ 2014.05.04

福島第一3・4号機水素爆発にまつわるこぼれ話④⑤⑥-舶来技術はどれほど信用できるのか- 2014.05.04

水素が逆流して爆発した4号機の対策に無関心な東電事故調と推進派専門家達 2014.04.28

貰い事故で原子炉を1基失ったのに「安全性を損なうものではない」と匿名で意見する電力会社の「信用」 2014.05.06

 

【7・8号機増設】
福島第一原発7・8号増設に関し数百件リツイートされている「反対派のせいで建替え出来なかった」というデマ 2013.11.20

「反対派のせいで建替え出来なかった」「対策出来なかった」というデマ 第2回 2013.12.04

【付録】「事故は反対派のせい」を信じて「正義」の側に立とうとした反・反原発な人達 2013.12.24

 

【下請問題】
【竜田一人に】下請多重構造の解消策は東電社員が直接作業すること【惑わされるな】2016.3.3

 

【社会的影響】
311の寓話としては『シン・ゴジラ』より『君の名は。』が上 2016.9.19

【平日の3.11を】『君の名は。』ティーチイン(仙台)に行ってきた【祭日に投影】 2017.3.6

 

【東海第二原発】
茨城県の「要請」は明記せず日本原電の対応を「自主」「独自」と喧伝する危うさ(追記あり) 2014.3.31

東海第二発電所の津波対応をめぐる日本原子力発電との質疑 2014.4.23

日本原電が一般向けには説明しない東海第二電源喪失対策先送りの過去 2017.2.15

東海第二の非常用電源配置はBWR-5の中でも最悪だった 2017.2.22

東海第二の配管ルート、冷却装置配置、ケーブルルートはBWR-5の中で最悪だった 2020.1.30

その後のブラウンズフェリー原発1号機~再稼働への道程~ 2018.5

【同時着工】東海第二と福島6号、難燃ケーブル採用で格差【IEEE Std 383】 2018.5

【規制庁も原電も】東海第二のケーブルは大量の傷がついていた【把握せず】 2017.7.30

【笹子トンネルと同じ】東海第二原発で大量に使われたケミカルアンカーの問題点【後年は使用禁止】 2020.1.7

不十分な東海第二原発の天井耐震化-単独立地ではより重要となる- 2020.2.12

【女川原発】
-東北電力の企業文化は特別か-日本海中部地震津波では能代火力造成地で多数の犠牲者 2014.08.11

女川原発安全神話を守るため嘘をつく東北電力、再稼働の資格はあるのか 2018.4.29

【大飯発電所】
古書店で入手した三菱の週報を読み解く-原発事故対策を中心に- 2014.12.09

 

【OFケーブル】
東電新座地中送電線火災と老朽OFケーブルQ&A集 2016.10.19

【柏崎刈羽に】原発とOFケーブル火災リスク【大量敷設の実績】(追記あり) 2016.10.23

【30年前から】東電老朽OFケーブル火災で勝手な広報を行ったへぼ担当氏【ほったらかし?】 2016.11.28

 

【関係者のモラル】

「社員だけが非公開の内部情報にアクセス」と自慢するあさくらトンコツ氏の見栄 2017.02.10

【おしどりマコ氏に加え】東電下請あさくら氏が晒したマンスプレイニング【あの妹まで】  2018.11.10

【世間に謝罪せず】「機微情報」を垂れ流した東電柏崎刈羽原発職員へぼ担当氏【問題発言連発】 2018.6.2

東電柏崎刈羽原発技術職員へぼ担当が立場を明らかにせず呟いてきたこと 2018.6.12

へぼ担当の正体が判明したため、東京電力柏崎刈羽原子力発電所に抗議した 2019.4.3

木村俊雄氏の文春記事に書かれた「炉心専門家」を嘲笑する人達 2019.8.17

【デマ拡散】
「日本の原発は高度経済成長を支えた」という誇大宣伝が1000件以上RTされる

「日本で原発が動き出したのはオイルショック後」と放言するPolaris_sky氏

福島第一排気筒問題で一部作業員、偽科学関係者が振りまいた安全神話 2016.2.24

【竜田一人】東電が決めたフクイチという愛称を穢れと罵る推進派【井上リサ】 2018.9.26

【マスメディア論】
報道ヘリは爆音の主役だったのか~阪神大震災の自衛隊員証言(ソース:ryoko174さん)への疑問(追記あり) 2015.01.22

烏賀陽炎上事件を再検証する~原発被災地住民がよそ者を取り囲んだ事例~ 2016.4.30

烏賀陽炎上事件を再検証する2~謝礼を要求する守銭奴を炙り出した事例~ 2016.5.5

 

 

2015年8月26日 (水)

アメリカにあったMw9.3の津波シミュレーション-「Mw9.0を想定出来なかった」という言葉の背景-

【要約】

「東北地方太平洋沖でMw9.0の地震は想定出来なかった」-これは実務家のみならず、日本の地震学界で当然の前提とされてきた。震災直後には新書まで発売され、地震学会は2011年秋のシンポジウム「地震学の今を問う」で事実上敗北宣言している。

この流れに便乗し、責任回避のため「Mw9.0」や「M9」を宣伝する向きがある。それに対し「大事なのはマグニチュードでは無く津波の高さ」と反論してきたのが添田孝史氏など責任を追及する人達である。私もそう思う。

しかし、アメリカには想定例があった。今回の記事では視点を変えてMw9.0が本当に想定できなかったと言えるのか、その主張の背景を検証したい。新説を豊富にキープ出来るだけの研究環境が、我が国には本当にあるだろうか。

【本文】

今、地震学者等の検証の仕方を振り返ると、情報源を追えるようになっているかが気になった。後に初代原子力規制委員長代理となる島崎邦彦氏は「比較沈み込み学」により下記の思い込みが形成されていたと説明している。

1980年には,沈み込む海洋プレートの年代が若く,プレートの移動速度が速い沈み込み帯で,M9クラスの地震が起こるとの説が発表され,注目を集めた。当時知られていた超巨大地震や巨大地震のマグニチュードを,二つのパラメターでほぼ説明できたからである(中略)。
ただしプレートの移動速度については,移動速度の遅い海溝で2004年スマトラ沖地震M9.1が発生するに至って,疑問が生じていた。
島崎邦彦「超巨大地震,貞観の地震と長期評価」『科学』2011年5月号

この箇所には肝心の「疑問を提起した論文」の出典が無い。もっとも、島崎氏の論文は全体では14個の出典が明記されており丁寧な部類である。また、島崎氏自身が1994年に投稿した論文を自己参照していないが、私は先駆的事例だと思う。概略を引用する。

例として日本海溝やアリューシャン海溝に沿う沈み込み帯を考えてみよう。これらのプレート境界に沿って、プレート間の相対運動は連続的に変化している。(一方で)ある程度十分長い期間をとれば、プレート境界に沿って、変位量は一定とならなければならない(中略)。
(特定区間の)プレート境界で「固有地震」が限りなく繰り返し発生すれば、プレート境界に沿う変位量一定の条件が満たされなくなってしまう。条件を満たすためには、「固有地震」の変位量が小さい部分(変位が不足している部分)での変位が必要となる。変位の不足がどのように解消されるかは(中略)次の場合が考えられる。

  1. 「固有地震」一サイクルの間に非震性のイベントによって滑りが起き、変位の不足が解消される
  2. 「固有地震」一サイクルの間に、小地震が多数発生し、変位の不足が地震時変位の累積によって解消される
  3. 「固有地震」一サイクルの間には解消せず、数サイクル後に地震性and/or非震性の滑りによって解消される

この最後の場合が、超津波地震発生の原因となる。

島崎邦彦「バリア破壊による津波地震の発生」『月刊地球』1994年2月号

海溝型地震の模式図を思い出せば分かるように、「プレート境界」では片方のプレートが下に潜っていくため「沈み込み帯」と呼ばれている。一口に日本海溝と言っても三陸沖のように地震の記録が多い(滑り量の多い)場所と福島沖のように地震が少なく「地震空白域」と思われていた場所があるが、例えば1000年など長い期間をとれば、どこでも滑りの総量は等しくなければならないというのが島崎氏の主張であろう。

地震学者の松澤暢氏は震災後に書いた論考で次のように述べている。

津波があまりに巨大であったために、海溝近くで分岐断層が動いたと考えた研究者が多かったが、海底地殻変動のデータ解析により、プレート境界が少なくとも50m程度は滑ったことが明らかになった。
(注:分岐断層とプレート境界は別の物として区別している)
この巨大な滑りは地震学者に大きな衝撃を与えた。プレート間の相対速度は年間8cm程度なので、単純計算でも600年分程度以上の滑り遅れを解消したことになり、そんなに長期に渡って、東北地方のプレート境界が滑り遅れを蓄積できるということが予想外であったからである。

(中略)我々が犯した大きな過ちは
(1)プレート境界の強度が弱いように見えたことからM9の地震は起こせないものと判断したこと
(2)100年の測地測量のデータからプレート境界で大きな歪エネルギーは蓄積されていないと判断したこと
(3)すべり遅れの大きな領域が海溝近くに存在するとは考えなかったこと
が挙げられる。
松澤暢「2011年東北地方太平洋沖地震が与えた衝撃」平成23年度 海洋情報部研究成果発表会予稿集 海上保安庁

私は地震学の素人だが、(2)(3)は島崎氏の仮説に相当するように見える。問題は、松澤氏も、震災前に疑問を呈した人を紹介していないことである。他の方の論考はもっと雑なものもある。引用はしないが、例えば地震学者の尾池和夫氏が業界専門誌『電気評論』2012年7月号に投稿した記事は、総論とは言え引用文献が一つもない。

なお、島崎氏が指摘した「非震性の滑り」はその後「ゆっくり滑り」と名付けられ、日本の地震学者の少なからぬ数が日本海溝で超巨大地震が起きない理由に考えたようだ。ただし、加藤愛太郎氏は巨大地震で解消される可能性に言及していた論文を紹介している。地球物理学寄りの媒体だからなのかも知れないが、誠実な姿勢と言えるだろう。

もし,太平洋プレートの沈み込みにより生じる全ての滑り遅れが地震で解放されるのならば,過去50年以内に発生したM7~8の地震時滑りの合計は,長期間で平均をとれば9 cm/年に相当する量にならなければならない。しかしながら,その値は2~3 cm/年とかなり小さく,地震による滑り遅れの解放率(サイスミック・カップリング率)が低いことが以前から指摘されていた(中略)。

太平洋プレート境界面上のサイスミック・カップリング率が低いという観測事実について,非地震性滑りによって説明できるのではないかと,多くの研究者が考えるようになった。一方,非地震性滑りだけでなく,巨大地震,巨大な津波地震等によって解放されるという主張も唱えられていた(Kanamori et al., 2006)。

加藤愛太郎「2011年東北地方太平洋沖地震の特徴について」『地球化学』46号 2012年

ジャーナリストには先駆的研究を発掘してきた人もいる。しかし、次の記事は研究者や学会が自発的に委託して書かれたものではないだろう。

東日本大震災が発生する4年前、「地震予知連絡会会報第78巻(2007年8月)」に、古本教授は、「東海から琉球にかけての超巨大地震の可能性」と題する論文を発表している。

(中略)論文を重視しなければならないのは、2007年時点において、「地震予知連絡会会報」という権威のあるメディアで、「日本付近で言えば、ここで取り上げる 西南日本から琉球にかけての地域はもちろん、東北日本弧や千島弧、場合によっては伊豆─小笠原弧ですら対象とすべき」としていた事実である。すなわち、東日本大震災の発生可能性を指摘していた、とも受け取れる。

細野透「南海トラフ巨大地震を上回る「最悪の地震」とは何か」『日経BPnet』 2012年10月3日

米国出身の地震学者ロバート・ゲラー氏は震災直後、次のように述べ、英語の出典を複数挙げている。

過去100年間で、沈み込み帯におけるマグニチュード9以上の地震は5回発生している。この事実は、沈み込み帯の地震の最大規模は、その地質学的条件にあまり依存しないことを示唆している(中略)。

1960年代(中略)多くの国において、大地震の長期予測を行うために、地震活動度とプレートテクトニクスを結びつける研究が進められた。(中略)しばらくの間大きな地震が発生していない「地震空白域」では大地震の発生が差し迫っている、という仮定である。しかし、この地震空白域仮説は実証されなかった。何万年もしくはそれ以上の時間スケールにおいて、地震や非地震の総すべり量とプレート間の相対運動の量は一致しなければならない。しかし、現在では、このプロセスは、定期的でも周期的でもないことが判明しており、3月11日の地震はこれを確認させるものであった。

日本の地震学、改革の時」Nature 472, 407–409 (2011年4月28日号)

島崎氏等と異なり「特定の部分で一定のサイクルの固有地震が起こる」という仮説自体を否定している。

実は、海外にはMw9クラスの津波地震を想定していた例がある。想定を行ったのは米海洋大気局(NOAA)。2004年のスマトラ沖地震(Mw9.3)によるインド洋大津波を受け、日本同様津波研究に以前よりも力を入れるようになった。海外の研究機関の中では日本の研究者にも良く知られており、人材交流もあるようだ。

元々、米国の津波警報は太平洋上の自国領や信託統治地域、友好国への津波襲来に備えて発達してきた。スマトラ沖地震後は、2006年のオアフ島パールハーバーを皮切りに、2008年のマウイ島カフルイ、2010年にはハワイ島ヒロから見た遠地津波の影響を調べるため、最大でMw9.3の波源モデルを太平洋岸18ヶ所に配置してシミュレーションを実施した。

私は、論文で挙がっている出典全てを読破する英語力は持たないが、海溝の地質条件に囚われない配置は、ロバート・ゲラー氏が挙げていたような議論を根拠としたのかも知れない。

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2006年の論文より最悪ケースの想定を説明した部分を抜粋

そして、想定した波源の一つが東北地方太平洋沖だった。2010年の論文では波源位置の詳細も添付されている。研究者が求めれば、詳細情報は2006年に入手可能だっただろうが、この波源を使って本州沿岸の津波高を求めようと考えた研究者はいなかった(但し、内々に試算した可能性までは否定出来ない)。

下記に論文タイトルを示す。

Tang, L., C. Chamberlin, E. Tolkova, M. Spillane, V.V. Titov, E.N. Bernard, and H.O. Mofjeld (2006): Assessment of potential tsunami impact for Pearl Harbor, Hawaii. NOAA Tech. Memo. OAR PMEL.

Tang, L., C. Chamberlin, and V.V. Titov (2008): Developing tsunami forecast inundation models for Hawaii: Procedures and testing. NOAA Tech. Memo. OAR PMEL-141, 46 pp. [PDF]

Tang, L., V.V. Titov, and C.D. Chamberlin (2010): A Tsunami Forecast Model for Hilo, Hawaii. NOAA OAR Special Report, PMEL Tsunami Forecast Series: Vol. 1, 94 pp.

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2010年の論文添付図を元にNOAAが設定した波源に朱色で着色。震源域はざっと東北地方太平洋沖地震の2倍はある。参考に2008年の論文に掲載された諸元を示す。

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コラム
NOAAの津波シミュレーションでは、各波源はMw7.5、100X50kmの格子状の大きさを持つすべり量1mの基準断層(unit source)を変化させて表現する。上記表中では基準断層をTSF(tsunami source function)と称している。領域をそのままマグニチュードを1(32倍)大きいMw8.5とするには、すべり量を約32倍の大きさ(31.55m)に取る。領域面積を大きくとるには、unit sourceの枚数を増加させる。上記日本海溝の場合、KISZと呼ばれる沈み込み帯(subduction zone)に配置したsources No. 22~31行のA,B列を波源に取っており、すべり量は基準断層の29倍(29m)である(元論文ではKISZ AB22T31と表現し、KIS zoneのAB22 to 31を意味している。格子の採番は研究により異なっているらしく、2006年の研究ではKISZはKKSZとなっている。)。

基準断層など、NOAAの津波シミュレーションシステムの詳細は下記論文を参照のこと。引用しないが特にPDF20枚目、38枚目に注意。一例では太平洋岸4か所でMw7.5,8.0,8.5,9.0の津波を発生させてハワイ島ヒロでの波を計算している。日本では東北大の今村文彦教授と共同研究している研究者、阿部郁男氏が論文中でこの予測システムを紹介したことがあり、津波工学者には知られていたようだ。

Gica, E., M. Spillane, V.V. Titov, C. Chamberlin, and J.C. Newman (2008): Development of the forecast propagation database for NOAA's Short-term Inundation Forecast for Tsunamis (SIFT). NOAA Tech. Memo. OAR PMEL-139, 89 pp. [PDF]

参考に2014年、NOAAが行った東北地方太平洋地震を解析した波源モデルを示す。

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Wei, Y., A.V. Newman, G.P. Hayes, V.V. Titov, and L. Tang (2014): Tsunami forecast by joint inversion of real-time tsunami waveforms and seismic or GPS data: application to the Tohoku 2011 tsunami. Pure and Appl. Geophys., 171(12), doi: 10.1007/s00024-014-0777-z, 3281-3305.
図中1~6の番号を振られた色の付いた格子が解析により求められた波源である。全ての格子が想定域内になっていることが分かる。

スマトラ沖後の日本研究者の動きと比較してみよう。津波工学者の越村俊一氏等のように、震源と同じスンダ海溝沿いのプレート境界で津波想定を行った例はあった。

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インド洋における巨大地震津波災害ポテンシャルの評価」海岸工学論文集Vol. 52 (2005) P 1416-1420

上図(1)(2)の間にスマトラ沖の波源(震源域)が存在している。越村氏らは「インド洋全体の津波災害ポテンシャルを評価するために、スンダ海溝沿いで発生しうるM9クラスの巨大地震を想定し、4通りの津波波源(発生シナリオ)を設定」したと述べている。「津波災害ポテンシャルを評価」はNOAAの研究に通じる目的だ。しかし、この波源を他の海溝に移設して解析しようとはしなかった。しかも本文を読めばわかる通り紙数制限のため十分な説明が出来ておらず、NOAAとはページ数に一桁の差がある(その後「巨大津波の広域災害評価」を発表しているが分量に大差はない)。

また、秋田大の松富英夫教授は『地質と調査』2005年2月号で地震研究推進本部の長期評価を再検証するよう求めている。しかし、日本海溝の長期評価更新案が出来たのは7年も後、震災の直前だった。しかも電力業界からの干渉を受けた(「電力業界が地震リスク評価に干渉した4つの事例」)。

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コラム
過去のブログ記事でも述べたように、地震研究推進本部は2002年に日本海溝沿いのどこでもMw8.2の津波地震が起こり得るとの長期評価を公表している。これに対し、「起こらない」と決めてかかったのが中央防災会議であり、東電であった。土木学会は学者に対して行ったアンケートで「起こらない」が少数派であることを把握していたが、東電に異を唱えることはなかった。ただし、土木学会もMw9のアンケートはしていないようだ。

原発反対派の中でもスマトラ沖に刺激され津波に関心を持った例はある。東井怜氏や共産党の吉井英勝氏などであるが、当記事では名のみ紹介に留める。

一つ言えるのはNOAAは、日本の主流派とは逆の道を辿っていたということだ。

ここからは震災後の振り返りで、先駆的事例の提示に何故消極的だったのかを考える。時間のある方はもう少し私の駄文にお付き合いして欲しい。

まず「後から一部の先駆的事例を取り上げても、世間は責任回避と受け取る。」といった理由が考えられる。

次に考えられるのは、細々とした材料に拘るあまり「予見出来なかった」と決めてかかることだ。一例は地震学者の瀬野徹三氏である。

McCaffrey (2008)はどの沈み込み帯でも同じようにM9の巨大地震を起こしうるとし,比較沈み込み学を否定した.
しかしMcCaffreyの考えは,グーテンベルグ-リヒター則でも固有地震説でも,琉球など大地震を起こさない弧をすべて合わせた長大な地域でM9の地震がこれまで起こってこなかったことから否定される.一方,比較沈み込み学が成り立っていても東北 日本沖の地震の起こり方が常識として受け入れられていた場合,それを乗り越えることは不可能に近い.仮に先入観なしに判断を行える立場にいたとしても,貞観の津波堆積物やバックスリップの分布からM9というランク付けを行うことは容易でない.

瀬野徹三「プレート学から巨大地震はどう理解されるか?」2011年6月25日

(予防的に?)Mw9を仮定した例があるのだから、ナイーブに過ぎる見解だろう。

また、「対応する意味が無い」と決め付けたケースもあると思われる。次の論文は震災後に書かれたものだが、Mw10以上の地震に関してはそうした心情が読み取れる。ここではMw9に係わる部分だけ引用しよう。

たとえば,M9が起こった場合の地震動や津波のシミュレーションが十分になされて,その結果が広く伝えられていれば,今回の地震の際にも,より早く,より正しい津波警報が出せたはずである(中略)極めて荒い概算ではあるが,M9の先験的発生間隔としては500~1000年くらいを考えてベイズ推定を行えばよいと考えられる.

(中略)本稿で述べたのは,最大規模の地震についての極めて荒い推定にすぎない.学問的には極めて稚拙なレベルの話であり,通常,学会等での検討の俎上に載せられるような話ではない.ましてやM10が必ず起こると主張しているものではない.しかし,このような検討を無意識のうちに避けてきたことが東北地方太平洋沖地震の被害を大きくしてしまった原因の一つであったという反省のもと,あえて述べさせていただいた.

松澤 暢「最大地震について」『地震予知連絡会会報』89号 2013年3月

Mw10やMw11の地震は国家や文明の存続すら怪しいという点で破局噴火に似ている。しかし、Mw9の場合はそこまでの被害には至らず社会は持続する。巨大さや低頻度に囚われず、対応が必要なグレーゾーンの領域だったのではないか。その種の災害に対して学問的精緻さをどのレベルで設定するかが問題とも考えられる。

勿論利益相反行動の結果と言う考え方もある。地震学は活断層カッター問題津波想定問題予知利権問題が示しているように、動機には不自由しない。地球物理学者の島村英紀氏は震災直後から次のように述べている。

今回の大震災でも、(中略)福島原子力発電所の原発震災についても、「想定外の大きさの地震と津波に襲われた、人災を超えるもの」という心理に日本人を誘導しようとしている企てが透けて見える。

(中略)気象庁が発表したマグニチュード9というのは、気象庁がそもそも「マグニチュードのものさし」を勝手に変えてしまったから、こんな「前代未聞」の数字になったものだ。

いままで気象庁が長年(中略)使われてきた「気象庁マグニチュード」だと、いくら大きくても8.3か8.4どまり。それを私たち学者しか使っていなかった別のマグニチュード、「モーメント・マグニチュード」のスケールで「9.0」として発表したのである。

すべてのことを「想定外」に持っていこうという企み(あるいは高級な心理作戦)の一環なのではないだろうか。

島村英紀「あとがき 追記1」『地震列島との共生』

上記のどの理由であるにしても、日本の学界でよく見られる検証の仕方は不親切だと感じる。

コラム
検証方法で参考になるのは福島原発事故における政府事故調の例だ。福島事故で想定外として扱われた事実の一つに、建屋内の水素ガスが爆発した件がある。従来は格納容器内に水素ガスが溜まることは想定されていたものの、建屋内に漏れ出すことは考えていなかったという。しかし、政府事故調は(やや消極的であるものの)、アメリカで建屋内の水素爆発を想定した論文が2本執筆されていたことを指摘している。Mw9の件も、そうした事例紹介は必要だろう。

またNOAAの研究を読むと、事故後盛んに紹介された海外の津波対策事例も疑問が沸く。良く挙げられたのはカリフォルニア州ディアブロキャニオン原発と台湾金山原発。しかし、「Mw9の津波地震はどこのプレート境界でも発生し得る」との前提に立つならば、これらの原発の津波地震想定も書き換えられなければならない。その場合、当地のハザード曲線(下図右)も変わることになる。

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佐藤 暁『原子力規制のグローバルな状況と日本』原子力情報資料室主催 2014年4月18日

「海外の優秀な原発」は今後の想定に耐えられるのか。よく「日本は原子力技術で世界に貢献を」といった声を聞くが、福島事故の教訓を水平展開するならば、その一つは津波について各国の過小評価バイアスを検証することだろう。

私は滞米経験どころか上述のように英語も不得手だが、最後に、日本と米国の研究環境の違いについても述べる。著者の一人は恐らく中国系で女性である。日本で通説に背く論を提示した場合、不利益を被る業界から人種・性別バイアスによる口撃が米国より強くかかるかも知れない。逆に国策に沿っている場合、実力無視で小保方氏のように祭り上げる可能性もある。そのようなリスクに思い至ったのは、日本の電力業界が女性を「宣伝PA師」として「活用」し、型に嵌った知識ばかりを植え付けた前例があるからだ。その結果、役立たずを量産し、米国に約40年遅れて漸く初の女性運転員を養成する有様だった。その結果、宣伝・PA業界は女性が多くを占めることになったにも関わらず、自浄作用が希薄となった。例えば、下記に出てくる津田和俊と酋長仮免中なる2人の人物は、原発や被曝の問題で政府の方針に反対する「非科学的な」女性アカウントを見つけては、嫌がらせを繰り返している。

持論を押し付けるために、「手篭め」と恫喝するのが、原子力PAである。したがって、もし津波工学を修めるだけの優秀な女性が日本に留学したとしても、どれだけの人がアイデアを論文で問うまでに至るのかは、疑問がある。

15/8/28:ロバート・ゲラー氏の部分を加筆、その他全般修正。
15/8/30:分かりにくい部分の表現を改めた。
15/9/8:加藤愛太郎氏の論文を紹介。
16/5/2:末尾の表現修正。

2015年7月30日 (木)

【貞観再現】先行研究を取り入れ明治三陸津波を南に移設した宮城県の津波想定調査(1986~88年)【東電動かず】

※15/8/2:記事タイトル修正。拡散願います。

以前、損害保険料率算定会の津波研究(1983年)を紹介したが(前編後編)、今回はこの研究を実際の場に応用した例を紹介し、1980年代の東電が無想定のままであったことについて、問題提起したい。

添田孝史氏は『原発と大津波』冒頭で次のように述べている。

「津波についての新発見」→「原発の安全性検討」→「必要な対策を進める」→「安全が確保できたか第三者がチェック」という安全確保の基本となる手順は、事故の四〇年前に原発が建設されて以降、一度も回されていなかった。

結論から述べると、1980年代に想定への取り込みを行っていれば、2002年に実施された津波対策(第3者に値する者よるチェックは無かったが)は10年以上前倒しで実施することが出来、一度ならず二度以上このサイクルを回すことが可能だった。失敗学的見地からも、「時期遅れと不徹底」の視点は重要であり、ある意味「時期遅れ」だから「不徹底」をカバーすることが出来なかったと言える。以下、詳細について述べていく。

実は、津波シミュレーションをいち早く実際の施策に取り入れた例が東北地方にある。1986年から1988年にかけて津波想定調査を実施した宮城県である。監修はあの東北大の首藤信夫、算定会の研究を参考にしたものだった。

しかも、そのモデルの決め方は2000年代の中央防災会議などに比較して、的確な予防原則に立っていたと言える。貞観津波、慶長津波を前提に県南の被害を考慮し、モデルそのものは記録がより多く残っている明治三陸津波の波源を宮城~福島北部沖に配置したらどうなるか、としたものである。

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『宮城県津波被害想定調査に関する報告書』(1988)P33

これは、算定会モデルで取り上げたMYモデルそのものだ。

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なお、文中で出てくる相田(1977)のモデルとは、相田勇「三陸の古い津波のシミュレーション」(1977)を指す。日本で最も早期に計算された津波シミュレーションだが、そこで明治三陸津波の規模はMw8.4とされていた。つまり、宮城県の波源モデルはそれと同等の規模ということだ。

もちろん、宮城県はこの計算結果を元に、各地域において津波防災のためどのような対応が必要なのかを想定調査報告書の後半で書いている。ハード的には避難先になり得る建築物の整備や石油タンクなどの防護、ソフト的には地域ごとの浸水高を示し、ハザードマップの原形として活用を促している。

宮城県民にとって災難だったのは、2004年に更新された新しい津波想定(宮城県第三次地震被害想定報告書 第五章)ではこの波源モデルが削除されてしまい、県南の津波想定が甘くなってしまったことだ。これには下記ツイートの事情にも関連している可能性が高いが、本記事では参考として提示するにとどめる。意欲のあるジャーナリスト諸氏に、一般防災における不作為もどんどん追及していただきたい。

本題に戻ると、電力業界が表立って津波シミュレーションに関心を示し始めたのも1980年代である(1990年代の七省庁手引きからではない)。宮城県が津波想定調査を始めたのとほぼ同時期、関西電力と電力中央研究所は日本海側の津波評価を目的にシミュレーションを導入、その概要を専門誌『電力土木』1986年1月号に発表していた。報告記事は特定の港湾に焦点を当てて解析するスタイルを取り、「十分な再現性を持つ」(P83,85)「十分に実績値を再現している」(P85)といった強気のコメントが並ぶ。当時、彼等がシミュレーションをどのような目線で見ていたかがありありと伝わってくる。

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「数値解析による津波予測手法の開発」『電力土木』1986年1月号

ここまで状況が揃っていて、東電が手を付けない合理的理由は無かったと考えるのが自然だろう。予見可能性の点から言えば、宮城県と同じことをすればよいだけの話だったのだ。

コラム
なお、東北電力は宮城県が津波想定を進めていた同時期に、女川2号機の設置許可申請のため、独自に津波想定を行っていた。この想定は「女川原子力発電所における津波評価・対策の経緯について」という東北電力の資料で確認出来る。こちらも元は相田勇「三陸の古い津波のシミュレーション」(1977)を参考にしている。私の質問に対して東北電力は相田氏の研究をそのまま引用するのではなく、地形データを用意して自前でシミュレーションした旨を回答している。

宮城県の想定では女川原発は4.8mの津波高となっている。計算では算定会研究同様に海面変動のみ考慮し潮位を無視しているから、朔望平均潮位 を加算すると6.2mになるが、東北電が行った自社のシミュレーションでの値、9.1m(海面変動7.7m)には及ばない。差が生じたのは、東北電は女川原発に最も厳しくなるような波源モデルとしてKC-3と呼ばれる慶長津波のモデルを採用しており、場所はMYや宮城県のモデルより北に位置しているからである。一方で東電は、福島第二の設置許可申請でも小名浜のチリ津波想定を踏襲している。日本原電は東海第二の防潮壁を新設したが、設置許可はおろかプレスリリース一つしていないことは2014年4月の記事で書いた通り。やはり、知見の取り込みという点で、東北電力の対応は全く異なっている。

ただし、宮城県が80年代に実施した津波想定には問題がひとつある。計算結果のバラつきを考慮していないことである。

少し調べれば分かるが、津波シミュレーションは大まかな傾向は掴めるものの、その精度はあまり高いものではない。添田孝史氏が首藤・今村等津波研究者達の共通的見解として述べている「余裕倍半分」もそこから来ている。下記は首藤氏が1990年代に書いたものだが、参考に紹介する。途中の計算が分からない人は最後の2行だけ読んでほしい。結論が書かれている。

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出典:「量的津波予報検討会の開催について」資料5

相田のK、χは、既往津波を模擬した際の「実績値/計算値」を比較する際に使われる。過去に発生したことが無いが海底の断層などから発生が予想される計算も、方法自体は既往津波と変わらないから、似たような確かさになることが予想されるというわけだ。

首藤氏は目的により使い方を考えろということも述べている。一般防災なら不確かさを見込まず、計算結果をそのままそのまま使っても良いかも知れない。しかし、より保守性を重く見る原発防災の場合は、余裕掛けを行わなけれならない。地震動では「建築基準法3倍」規定などでこうした考え方が活かされてるが現象面からは津波の方が必要性が高い。

何故ならば、津波の場合、構造的な限界値を超えた場合の機能維持の余裕はほぼゼロだから。水が入ってはいけない部位に水が入ったらどうなるか、誰でもわかる話である。地震は想定より多少大きくても壊れないかも知れないが、被水は違う。

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出典:もっかい事故調オープンセミナー「原発と大津波 警告を葬った人々」発表資料P62(リンク

ネットの一部ではこうした事情を全く理解すること無く当方の算定会記事を批判しているひまわりのような者がいる(ちなみに彼は東北電力が潮位を考慮していることすら理解していない。前回取り上げた中央防災会議も同様なのだが)。だが、「津波高4.56m以上は来ないから4.6mで万全だ」「4.56mに満潮位を加えたら事足りる」といった考え方は極めて危険なのだ。

実は、宮城県想定調査の冒頭には次のような一文が掲げられている。既往最大論への警鐘は算定会研究の考え方を引き継いだものであり、首藤氏の本来の考え方とも一致している。

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また、政府事故調が作成した首藤調書に出てくる「『電力土木』での警鐘」は1988年11月号での話で宮城県での想定調査と同時期である。宮城県ですら備えていた津波防災に、東電が鈍いままであったことへの、焦りがあったのではないか。

Denryokudoboku198811p11首藤信夫「津波」『電力土木』1988年11月号P11より

このように見てくると、シミュレーションによらないもう一つの方法、堆積物調査を併用しながら東北電力が女川原発周辺の津波研究を見直したのはごく自然な流れであり、貞観津波や慶長津波に着目し、再評価する発想は独創的ではなかったことも分かる。もちろん、そのような方向に研究を進めていく方が好ましい。

仮に東電が1980年代に津波想定を改めたとすれば、算定会研究を参照したと考えられる。前回記事で述べたように、算定会FKモデルでは大熊の波高(海面変動)は4.56m、潮位や不確かさを考慮しても8m程度の想定が現実的なラインであり、1980年代にこれ以上大きな津波を考えるには、宮城県同様に規模をMw8.4にする必要があっただろう。

ただし、津波高が10m以下でも遡上高は10m以上になり得ることは留意しなければならない。

上記画像は東京新聞等の報道でも見ることが出来るが、8mの津波が来た際の浸水を表している。1980年代に遡上高をシミュレーションすることは難しかったろうが、「遡上高」という概念は当時から存在している。

一方で東電は算定会の研究から2002年までの間、津波対策と呼べる施策を行わなかった。非常用DGは海水冷却方式で、そのポンプは4m盤にある。従って4m盤のポンプが死んだらDGは止まる。しかし、首藤調書によれば『電力土木』寄稿後「強く反発を受け、以来、1995(H7)年に通産省の原発の設置許認可をやる安全審査技術顧問になるまで電力会社からは嫌われていた。」とあり、無駄に時間を空費したのが実態だったようだ。

問題がひとまず前進したのは、設計基準を超える事態、つまりシビアアクシデント対策の一環で、1998年に空冷DGを備えた共用建屋が完成した時だが、この建屋を計画した1993年の設置変更許可申請を読んでも津波対策の文字は出てこない。従って5,6号機の空冷DGは結果として役立ったに過ぎない。

これは、対策の元になるPSA(確率論的安全評価)対象が機器の故障など、内的事象に限定されていたからである。

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資源エネルギー庁『軽水型原子力発電所におけるアクシデントマネジメントの整備について検討報告書』1994年10月P15

DGの増設については上記資源エネルギー庁レポートのP12,P36-37などでその意義が説明されているが、大津波などの外的事象をカバーすることは考慮していない。だから、蓄電池と配電盤は共用建屋でも地下室に配置されたのだろう。そして10m以上の津波で全滅した(下図参照。浸水状況を示す「福島第一原子力発電所共用プール建屋防水対策について」も参照)。

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運用補助共用建屋地下1F,1F平面図『福島第一1号炉  原子炉設置許可申請書(完本)』2002年4月より プラント技術者の会様取得資料

宮城県は一般防災を考慮していればそれで一定の責務を果たしたとも見做し得る。だから、宮城県の失敗は不確実性に関する議論を省略してしまったことと、2004年の新想定で貞観の考慮を深める方向に行かず、中央防災会議同様に考えることを辞めてしまったことである。女川町はもっとひどく、チリ津波想定から最後まで脱却できなかったらしい(「女川町を襲った大津波の証言」の各種報道より)。宮城沿岸を巡る旅に「女川歴史民俗紀行」と名付けている御仁には申し訳ないが、女川湾は明治まで殆ど見向きもされない場所だったそうだから、貞観の記録が無くても仕方ない。

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宮城県土木部港湾課「地方港湾の歴史を探る(女川港)」『港湾』1975年7月P37

一方、東電事故調報告書のP17には建設時のチリ津波想定の件について、「設置許可申請書に記載されているこの津波高さについては、現在でも変更されていない。」と記されている。女川町の失敗は、東電の失敗にも一脈通じることが分かる。これらに比較し、1980年代の宮城県想定の先進性は歴然としており、東電福島の問題のみならず、一般防災の津波想定経緯を解明する上でも、重要な意味を持っていると言える。

2015年4月11日 (土)

中央防災会議の想定は社会にどのような影響を与えるのか-津波対策を強化していった火力発電所の例-

今般、私のちょっとしたひらめきによる史料発見と添田孝史氏の尽力により、2つの津波想定が開示された。追跡調査頂いた添田氏にはお礼申し上げます。

1999年3月に、国土庁と日本気象協会がまとめていた福島第一原発の津波浸水予測図

平成16年度東北地方の港湾における津波対策基礎調査報告書(2005年3月)】(関連記事はこちら

以前にも紹介したが、添田氏が指摘するように、中央防災会議(内閣府運営)は地震研究推進本部(文部科学運営)の長期評価を否定してしまい、東電の津波対策不作為を助長した。2004年のことだ。

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出典:もっかい事故調オープンセミナー「原発と大津波 警告を葬った人々」発表資料P49(リンク

しかし、今回開示された想定は中央防災会議の所掌していた津波想定と社会的な意義が近接しており(どちらも一般防災、かつ政策に直接影響する。国土庁の想定に至っては内閣府防災担当の前身組織)、それだけに中央防災会議が下した判断が未知の知見などによるものではなく、東電同様、組織的サボタージュによる結果であることを裏付けるものとなった。

良く、原発PA宣伝師の言い分として「東電を責めるなら同様に津波不作為を起こした国や自治体の不作為を責めなければならない。」といったトリッキーな言説を目にする。

例えば、添田孝史著『原発と大津波』のAmazonレビューにて星1つをつけている津波防災関係者と思しき人物も上記のようなレトリックを弄している(震災前から津波防災関連書をレビューしていることと「その文面」から容易に推測出来る。)。

不思議なのは、津波防災関係者がそのように考えているのであれば自らそのような行為を行うべきだが、全く何もしていないところ。何時も通り面白科学の解説に留まり組織事故の面は軽んじる。

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Amazon『原発と大津波 警告を葬った人々』レビューより

このトリックの仕掛けは一般防災行政や自治体を責めたところで原子力行政や東電の不作為が軽減される訳ではない、という点から目を逸らす事にある(他にもM9の強調、予防原則の否定など定番ネタが見られる)。だが、逆に言えば一般防災に不作為が存在していれば、相応の追及が必要なのは事実である。その典型が七十七銀行や大川小学校の問題だろう。しかし、彼等原発推進派は往々にして極端な親権力であり、口先だけで一般防災の不作為も追及することは無い。調べれば結局原発の津波防災に跳ね返ってくるような「新事実」が露見することを恐れているのかも知れない。上記の例のように、申し訳程度に一言二言が関の山である。

しかし、私は最近、中央防災会議の不作為に関して意思決定に対する説得力ある評価が可能なことに気付いた。今回は、こうした点に着眼し、一般防災と原子力防災の両面に問題提起を行ってみたい。

原発と津波を巡る筋論としてこれまで責任を追及する立場からなされてきた主張は「原電東海や東北電女川のように、中央防災会議に囚われず、低頻度の巨大災害も独自に対策に取り入れていくのがあるべき姿だった」(それが出来ないなら廃炉にすべきだった)というものだろう。

しかし、自主性が期待できない東電のような事業者の場合、法学上の扱いはともかく、実際的な面からは社外から警告して対策を強制する(断れない環境を作る)ことも、一つの解決策だったことは明白である。

実は、中央防災会議の想定を前提に、津波対策を強化した電力会社の例がある。それは四国電力橘湾発電所で、原発ではない。日本海溝沿いに位置してもいない。そのためか、これまであまり注目されては来なかった。だが、組織の動きを比較する上では材料足りえる。

Tachibana01橘火力港湾サービス (株)」(四国電力HPより。なお護岸は奥村組画像)が施工)
なお、電源開発も隣接して火力発電所を保有している。

橘湾は東電の小林健三郎氏によって原発立地点候補地に挙げられたこともあるが、1990年代末に徳島県の旗振りで埋立・開発を進めるにあたり、津波想定が見直されている。なお、造成工事の完了は1997年で発電所の開所は2000年である。その経緯を土木学会論文集から抜粋してみよう。

現在は, チリ津波を設計対象偏差として, 橘湾内の大潟漁港海岸, 橘港海岸, 福井川河口, 後戸漁港海岸の各々海岸保全施設(一部河川管理施設)に関して,DL+4.6mの一律高さで整備が完了している.しかし, 文献調査(表一1)や当時の再現シミュレーション結果(図一2)を見るとおり,チリ津波よりも南海道津波の方が規模が大きく, 地元住民のヒアリングにおいても, 「津波といえば南海道」ということであった。

橘湾の開発に当り徳島県は港湾計画の一部変更が必要であった. 港湾計画は運輸大臣の定める「基本方針」に適合しなければならない(港湾法第3条). 「基本方針」の第4条の1には「港湾施設を海岸保全施設と有機的連携を図りつつ整備し, 国土, 人命及び財産を十分に防護すること. また港湾施設の整備に当たっては, 国土保全上の見地から周辺海域及び沿岸への影響について十分配慮すること.」 と述べられている. そこで, 埋立による津波の沿岸への応答を予測し, 設計対象津波を南海道津波へ変更することを目的に, 徳島県「橘湾津波検討委員会」が設置され, 委員に学識経験者,運輸省及び法律上の各管理者, 並びに電気事業者が選任され, 検討されることになった.

(中略)対象津波を変更したこと, 並びに埋立に伴って津波の応答特性が変化することなどから, さらに対策が必要となった.

(中略)この断面図のように, シミュレーションにより得られた必要防護高さまで海岸保全施設を嵩上する必要がある.津波による自然災害は, 台風に伴う災害に比較して低頻度巨大災害である.また, その地域の災害に対する切迫度が未解明であること, 対策工を行うに当たっては, 地域の経済活動や土地利用の形態,そこに住んでいる人々の生活, 限られた財源等々, 制約条件が多く存在するが, 関係者に理解を得られるよう努力していかなければならない.

橘湾の津波対策について」『土木学会論文集』Vol. 1997 (1997) No. 565 P 129-138

この論文は造成工事の完了後に出ているので昭和南海対応のため追加対策が必要だったのだろう。嵩上げされた堤防の高さは最大でも1mとは言え、法的な課題を指摘しつつ、対象津波をチリから昭和南海地震に変更していたのである(もっとも、この時対象津波を当地の歴史津波としては小振りな、昭和南海津波に選定した判断には疑問が残るが)。

注目すべき点は、橘湾発電所が311前に取った津波対策はこれで終わりでは無かったことだ。対策強化のきっかけは中央防災会議が2003年12月に「東南海・南海地震対策大綱」を決定したことである。中央防災会議は昭和南海を参考にせず、大規模な歴史津波(1707年宝永津波)を参考としていた。

○津波の高さ分布
宝永地震の津波の高さ分布に、安政東海地震の紀伊半島以東の津波の高さ分布と、安政南海地震の紀伊半島以西の津波の高さ分布をそれぞれ重ねる。この際、各地震発生時の潮位を減じて、それぞれの津波の高さを補正し、同一地点で津波の高さの資料が複数ある場合は、最大値をその地点の津波の高さとする。

(※著者注:分布図は省略。イメージを掴むため最悪ケースの津波高を引用)

Chuobosai200312nankaitsunami

東南海、南海地震に関する報告」中央防災会議 2003年12月(図表編はこちら

四国電力の対応は素早かった。「東南海・南海地震に対する当社の対策について」(2004年9月21日)というプレスリリースによると、2004年3月には委員会を立ち上げている。そして、浸水予測もやり直し、送電網(変電所の嵩上げを含む)を中心に20億円の津波対策費を計上したという。

防災科学技術研究所には橘湾発電所の被害想定が載っている。

四国電力の行った東南海・南海地震による各火力発電所の被害想定結果を表7に示す。その結果、坂出発電所だけが運転継続可能であり、他の発電所は自動停止に陥ることが予測された。

津波被害について、橘湾発電所と阿南発電所では、1階部分が水没する結果となった。阪神淡路大震災での関西電力・神戸製鋼の発電所被害や、芸世地震での西条発電所の被害状況を参考にした結果、四国内の発電所では、ボイラーと電気集塵機が一部破損されるという予測となった。また、阿南石油火力発電所では、地盤の一部液状化が予測される。

3.5.1.2.A-5  発電所・工場・プラント向け防災システムの開発・ 研究」(高度即時的地震情報伝達網実用化プロジェクト 、平成17年度成果報告書)防災科学技術研究所(総括成果報告書はこちら

※防災科学研究所は2003年から5ヶ年で「高度即時的地震情報伝達網実用化プロジェクト」を行っており、四国電力は緊急地震速報の活用で協力していた。

このため、四国電力は2004年から2008年の5ヵ年計画を立て、発電所の津波対策の強化を図った。

東南海・南海地震に対する四国電力(株)の対応】
○ 四国において発生を考慮すべき想定地震として、東南海・南海地震について中央防災会議の想定を基に設備被害の想定と対策等を立案
○ 国、自治体等の動きを受け、設備対策等のハードをはじめ、防災・復旧、広報といったソフト面を含めた総合的な対策を実施
平成16~20年の約5カ年でハード・ソフトの両面から実施する対策:
ハード面
[被害軽減対策]
津波による浸水防止対策
(防潮ゲートの設置/主要機器の一部嵩上げ  他)
②緊急地震速報の利用
[早期復旧対策]
③衛生通信設備の追加配備
ソフト面 ④防災計画の整備と防災訓練の実施
四国電力(株)橘湾発電所における 対話事例」 於  徳島県阿南市 環境省

宝永地震は以前から既往最大津波を引き起こしたことで知られ、100~150年間隔で発生している南海地震の中でも極めて大きい。つまり、宝永クラスに限れば、その発生頻度は低くなる。それでも、四国電力は津波ゲートや機器嵩上げの対策を取り、「その時」に備えたのである。

なお、機器嵩上げ等の対策については防災科学研究所で一段詳しく補足されている。

i) 津波による被害防止
地震による被害防止とあわせ、津波による水没防止が重要な課題である。1階面に設置されている補機・制御盤が水没すると想定されるので、防潮扉の設置・移設・基礎かさ上げにより対応する。現状は、気象庁の津波警報により避難・対策開始(人・船)しているが、将来的には、緊急地震速報を活用できることが期待される。

3.5.1.2.A-5  発電所・工場・プラント向け防災システムの開発・ 研究」(高度即時的地震情報伝達網実用化プロジェクト 、平成17年度成果報告書)防災科学技術研究所(総括成果報告書はこちら

以上が「中央防災会議が従来より厳しい津波想定を示した場合に電力会社が示す反応」の例である。

もし、中央防災会議が地震研究推進本部の長期評価を取り入れ、福島沖の日本海溝沿いにM8級の津波地震を想定していたならば、仙台以南の南東北の津波防災も大幅なテコ入れがなされたのは自明だろう。社会に与える影響は大きく、単なる案山子団体とは違っていたことが良く分かる。島崎邦彦氏は『科学』記事で、福島沖日本海溝の津波地震を中央防災会議事務局の官僚に潰されたことに後悔の念をにじませたが、改めて当然の実感だと思う。

勿論、311後の巨大災害リスク見直しの流れの中で、橘湾の津波想定も再評価され、朝日新聞には警鐘を鳴らす記事が載った(「阿南の火力発電所、対策上回る浸水も 南海トラフ想定で」『朝日新聞』2013年2月7日18時33分)。だから311前の対策を以って、四国電力の南海地震への備えが完璧だったなどと主張するつもりはない。橘湾もまた311を横目で経験し、更なる対策強化に走っている。

最後に原発と津波対策の点から述べておく。

「中央防災会議が長期評価を取り入れていれば・・・」←誰でも思いつく仮定である。だが、その有効性(権威性)を示す材料として、四国電力橘湾の例は実に興味深い。東電も四国電力と同様の対応を決断した可能性は極めて高いと評価できる。公企業に取って行政の権威には(表向きは)従わなければならないからである。それが判っているからこそ、面倒な裏工作を重ねて「規制の虜」を作り上げるのだろう。権威が無ければ体面を取り繕う必要は一切なく、地元民や負け組外郭団体にそうしてきたように、虫けらのように踏み潰してしまえば良い。彼等はそう考える。

一方で視点を変えると、東北電、原電に続き四電も「海溝上の津波地震」に備えていたことが明白となった。火力発電所にすら新しい津波知見を取り込む四国電力、一般防災より厳しい水準を要求される原発に何もしない東京電力。中央防災会議が正反対の態度を示した事情はあると言っても、チリ津波→昭和南海→宝永地震という一連の脱却過程を眺めると、自主性にも違いが認められる。

橘湾発電所の建設期と同時期の東電と言えば、1983年の算定会シミュレーションに始まり、1997年の七省庁手引きや福島県による津波調査等の指摘(後2者は『原発と大津波』を参照のこと)により、チリ津波レベルからの脱却を必要としていたにも拘らず、2002年まで引き伸ばす怠惰振りを既に発揮していた。実に対照的である。それは311を経て、決定的な差をもたらした。

「そもそも、姿勢が火力発電所以下の原発防災って何だよ・・・」普通ならそう思う。東電は例の申し訳程度のモーター嵩上げ以外、碌な回避可能策を講じてない。中央防災会議が誘発したとは言え、冒頭に示したものを含め、きっかけは幾らでもあったのが実態である。やはり東電には法廷の場でも責任を課す、それがあるべき司直の姿ではないだろうか。

【追記】2015/4/12
建設期にはヒアリングを行い、環境省主催の対話でも津波対策の質疑に分からないことは分からない旨回答しているのは好感が持てる。地元団体の要望に聞く耳を貸さなかった東電(『原発と大津波』P107-109参照)との落差はもちろんのこと、東北電力のやり方よりも進んでいると言える。東北電力は社内に地元出身者を多数抱え込むことにより地域のリスクを吸い上げて難を乗り切ったが、敷地高の引き上げを強硬に主張したのは平井氏唯一人だった。住民へのヒアリングで意見を吸ったという言い伝えはまだ見ていない。橘湾の場合も同様に、四電、徳島県なら「地元出身者」を標榜することはできただろう。問題は松山出身の人や吉野川流域出身の人でも「地元出身者」扱いすると、阿南沿岸という限られた地域のリスクは吸いきれない可能性があることだ。これを補うにはヒアリングで得た知見を取り込むことが大切となる。

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