カテゴリー「東京電力福島第一原子力発電所事故」の64件の記事

2018年11月10日 (土)

【おしどりマコ氏に加え】東電下請あさくら氏が晒したマンスプレイニング【あの妹まで】

あさくらめひかり氏(Twitterアカウント@arthurclaris氏、以下あさくら氏)は何故ネット上でPA(パブリックアクセプタンス、要は宣伝)に励むのだろうか。

Arthurclaris_1059097150036959232 ツイートURL:https://twitter.com/arthurclaris/status/1059097150036959232

冒頭で上記のようなツイートを固定する程の熱の入れようである。東電のかなり上位(一次位)の下請で働いているようだが、これほどの態度は関係者でもあまり一般的ではない。

【デマバスターとしてはセコい】

最近は2018年9月に立憲民主党から出馬を表明したおしどりマコ氏とその擁護者に反応して、日々上から目線でバトルを繰り広げている。

冒頭画像はその一例だが、下記のようなことも書いてる。

これらの反論ツイート、元を辿れば私のブログ記事「福島第一排気筒問題で一部作業員、偽科学関係者が振りまいた安全神話」という、おしどり氏の問題提起をフォローする目的で書いた記事にリンクしている。つまり、私のブログを確実に認知した筈なのに攻撃してこないのは、以前、私に社内資料自慢を晒されて恥ずかしいと思ってるとか、碌でもない理由なのだろう。

後、私のサイトも「放射線脆化で排気筒倒壊」とは書いてないのだが、ブログを紹介してくれる方やbotには多少言葉が拙くても感謝してるので、あさくら氏のやってることはその意味でも迷惑。

なお、「放射線劣化」と「マコ」を外して書き直したツイートには執筆時点で直の返信は無し。

妹様には感謝申し上げます。

【あのへぼ担当すら二の足を踏む筋悪な東電擁護】

論争から2年半経過したが、私の評価は基本的に変わらず、東電信者を信用していない。一例としては、あさくら氏は東電の目視検査を盲信し、何の懸念も表明しなかったが、1年後、東京新聞が新たな破断個所を報道した件について、沈黙していることがある。

正確には、この件以外を材料に非難ツイートするようになった。その前に礼の一つも述べたらどうか。

その後東電は、目視検査にドローンを投入し、破断個所が増えても耐震性は変わらないとの主張にシフトしたが、これも当てにならないと見るべきだろう。

何故なら、ドローンを使用したところで目視検査には限界があるからである。

煙突のエンジニアリング企業であるツカサテックのウェブサイトを改めて見てみる。

【鋼板製煙突】リンク

検査のランクはA~C型の3コースに分かれており、診断結果に確実性が持てるのは、厚さ計など各種検査機器を使用するC型だけとなっている。

【鉄塔支持型煙突】リンク

簡単な一次点検、詳細な二次点検に分かれ、一次点検では板厚は梯子、プラットホームを使用して、超音波板厚計により計測し、煙突内部のライニングも撮影する。一次点検で異常が見つかった場合は二次点検を実施。ゴンドラに人を乗せて板厚計、レンチ等の治具を用いる、となっている。

しかし、福島第一の排気筒は下部を中心に高線量部があるため、こういった検査は不可能だ。

原発の地震想定、基準地震動についての説明も同様で、「倒壊の危険があるから解体」と書いていないのも当然である。上記の事情を汲んだ霞が関文学と同種の、当たりさわりない表現に過ぎない。

強い言葉で否定して後から言い訳。これである。

なお、実は、一連の論争にて、お仲間から師匠格と目されているへぼ担当(アイコンはこちら)は、あさくら氏の主張を全く紹介していないし、自ら排気筒の件で弁明もしていない。

へぼ担当は腐っても技術者である。当然だろう。それだけあさくら氏の主張は筋が悪いのだ。

【排気筒問題は誰が議論してきたのか】

そんなことよりあさくら氏と排気筒の経緯を見ていて気付いたことがある。それは、相手が女性だとより攻撃的になるということ。いわゆる、マンスプレイニングである。

マンスプレイニングという単語は原子力や理工系で使用される語では無い。Wikipediaの説明をそのまま引くと、男を意味する「man」(マン)と解説を意味する「explain」(エクスプレイン)をかけ合わせたかばん語。一般的には「男性が、女性を見下ろすあるいは偉そうな感じで何かを解説すること」という意味である。

実は、排気筒の問題が議論されるようになったのは、おしどり氏の東洋経済記事が切っ掛けではない。以前から他の人達によって問題提起されていたことである。

著名な原発産業関係者・(元)技術者が排気筒問題に何時から参戦したのかを追ってみよう。

【2013年】

東電発表時に、ハッピー氏がこの問題に言及したのが嚆矢だろう。

そこにオノデキタこと小野俊一氏(元東電原子力部門技術社員)が続いた。

当時、ハッピー氏は福島第一で働く最も有名な原発作業員であり、小野氏もネット上では多くの耳目を集める存在だったから、あさくら氏が知らない筈はないのだが、彼が直接言及したツイートを発見することは出来なかった。(小野氏のツイートは拙いが、職歴等から判断すれば、セシウムのため人によるメンテが不可能という趣旨だと考える。)

【2014年】

化学プラント設計者の集まりである「プラント技術者の会」にて筒井哲郎氏がこの問題に対する技術提案を公開した。

IRID技術提案その1 1&2号機スタック転倒防止

筒井氏はTwitter上での知名度は低いかもしれないが、プラント技術者として半世紀にわたる経験を持っているばかりでなく、大変な勉強家でもあったため、311後の脱原子力運動で、技術問題を提起する中心人物の一人として活躍されている方である。

別に論争を煽るつもりは無いが、原発推進派の技術者にとって、反対派の技術者の方が論敵としての重要性は高いと考えるのが普通の相場観だと思う。しかし、この時もまた、あさくら氏は何ら言及も反論もしなかった。

なお、現在は東電がロボットとクレーンを用いた解体計画を策定したので、誰でも手軽にその内容を読み上げることができるが、当時、そのような便利な『台本』はPA師に与えられていなかった。

【2015年】

赤旗がこの問題を取り上げた。

福島第1原発 排気筒 耐用基準超えか専門家 腐食進み「危険な状態」倒壊なら放射性物質飛散も」『しんぶん赤旗』2015年2月20日(金)

この記事は直接は技術者の手になる訳ではないが、一般論として、日本共産党の情報収集力に一定の評価が与えられることも多いため、取り上げる。

上記のように、あさくら氏は赤旗を購読する家庭に育ち、現在も投票先は共産党と称している。後者は疑問だが、前者は人格形成上「親の思想に反発するというパターン」に合致するため、信頼性は高いと考える。そういう人は、赤旗電子版などの記事に目を通すものだ。

しかし、この時も彼は赤旗の排気筒記事に批判は加えなかった。

2018年11月に入ってからの言い訳。ブロックなどTwitter外から見ればどうということもない。何より、赤旗は政党機関紙ですがね。

【2016年】

おしどり氏が採り上げるとあさくら氏等は大騒ぎを始め、何かにつけて粘着するようになった。数が多いのでまとめのみ紹介する。

イチエフ排気筒の話 - Togetter

いや、2年半後の次のツイートだけは取り上げる。

支離滅裂。「悪くはなかった」なら今までの「おしどり氏に対する」誹謗は何だったんだろうね。

なお、東洋経済の記事を読むと、おしどり氏は広瀬隆氏からこの話を振られているのだが、解説をフォローした広瀬氏への批判はほぼ皆無だったことも付け加えておく。かつては社会現象までなった人物で、311後も活動されている方なのに。

また、Twitter上ではコロラド先生こと、工学博士で40年来の原子力業界ウォッチャーである牧田寛氏も参戦したが、あさくら氏は牧田氏にはあまり関心を示さず、おしどり氏への粘着を継続した。

おしどり氏への粘着の仕方も独特であった。彼女は複数の現場関係者の情報提供を受けていることは度々公言しており、それ故に公安も関心を示した。また、竜田一人を含めて、原発ライターや作業員の手記を見ても、東電の方針に反発する者の存在は何度も示されているが、あさくら氏はそうした支援者達には目もくれず、おしどり氏に異様な熱意を見せた。

なお2016年から2018年8月末まで2年半続いたバッシングは、全て彼女の政界進出宣言の前の出来事である。

この間、上杉隆が都知事選(2016年7月31日開票)に立候補したが、あさくら氏は上杉批判には、おしどり氏に対する程の労力を投じていないようだ。上杉氏に対する批判は立候補を表明する以前のツイートが目に付く(なお、私は上杉氏の活動には疑問を多く感じることを付け加えておく)。

「政治の場に上げるべきではない」は、後付の理由に過ぎなかった、という事も明白だろう。

【2018年】

11月、ネトウヨ兄のデマを正す妹bot (@demauyo_tadaimo) というTwitterアカウントがこの問題をテンプレート化して発信すると、真っ先に反応した。現在は、冒頭で紹介したように彼女への反論をツイートトップに固定している。なお、言うまでも無い事だが、ネトウヨ兄のデマを正す妹とはbotなのであり、作者が女性とは断定できない、筈である。にも拘らず反応した、という点に注目したい。

なお、原発問題全般において、彼が自発的に長期間攻撃している対象は、「反〇〇」(〇〇時事問題で変わる)といった大きな括りを除くと、あさくら氏に直接批判している人を除いて、余り数は多くない。

これを、マンスプレイニングと言わずして何と言うのだろう。

まとめると、あさくら氏はハッピー、小野俊一、筒井哲郎、牧田寛の各氏(それと私)のような男性技術者や原発作業員、赤旗の様な性別を感じさせないメディアの批判はスルーするが、おしどり氏や女性を模したbotには、技術者でなくても強い関心を示す人物である、ということだ。むしろ、技術者というハードルが無い相手だからこそ、お得意の東電エンブレムチューンで威圧出来ると考えたのだろう。

でも本物のエンブレムチューンがそうだったように、そういう態度はダサいよね。

【黙って廃炉作業してれば由】

以上が、この2年半で付け加わったあさくら氏の失敗だが、彼は最近、言動の横柄さで反感を買い、nagaya2013氏他数名のTwitterアカウントから猛烈な反撃を受ける結果となった。確かに馬鹿な奴だと思うが、東電の中枢や稼動中の原発で重要な職務に就いてる訳でもないので、私は勤務先や実名暴きまでしようとは思わない。なお、私は毎日新聞日野記者による復興庁参事官暴言ツイート暴露事件は、全面的に支持している。

ただ、あさくら氏が今後も突っ走り続けるのであれば、新たな攻撃者を呼び寄せることになり、以下のへぼ担当が辿ったものと全く同じ道を歩むだろうと警告しておく。

その時、東電は貴方を守るのだろうか。

18/12/7:牧田氏の指摘を反映し「30年」を「40年」とした(ちなみに、私自身は浜岡と電気の史料館、三菱重工みなとみらい技術館、港湾技研の津波実験見学、国会図書館初入館、電験初受験がいずれも2005年から2006年で、それ以前はウォッチと言える程のことは何もしていないからまだ13年である)。

2018年9月26日 (水)

【竜田一人】東電が決めたフクイチという愛称を穢れと罵る推進派【井上リサ】

最近福島第一原発の呼び方に関して、おかしな発言をみかけた。

「イチエフ」だってカタカナでは?

調べてみると前からそんなことを言っている。

井上リサさんは私設原発応援団として各地の原発周辺の小旅行を企画運営されているプロのPA師。今アカウント名を「— 井上リサ☆10.6柏崎刈羽紀行」にしてるみたいだけど、どうせならへぼ担当に事の顛末聞いてみたらどうだろうか?彼の最初の配属先は福島第二で、時期からすれば、後で紹介する小野俊一氏とは違い、リアルタイムに見聞していた筈なのでね。

こういった発言で思い当たる人物と言えば、竜田一人。代表作『イチエフ』の冒頭シーンのセリフ「1Fをフクイチなんて言う奴はまずまずここにはいない」である。まぁ後述のようにただのでまかせなのだが。

彼のツイートを読み進めていくと、フクイチという言葉が偉く気に食わないらしい。

彼等の様な怒れるPA屋(パブリックアクセプタンス、要は宣伝屋)達ばかりでなく、現役・元関係者にも変な固定観念が蔓延している。

・今日は俺たちの職場、"1F"に皆様をご案内しよう
・1Fは「いちえふ」と読む
・現場の人間 地元住民 皆がそう呼ぶ 1Fをフクイチなんて言う奴はまずまずここにはいない

 まさしくこのとおり。以前「フクイチ最高幹部の独白」と言った書物が出ましたが、現場の人間が自分たちのことを「フクイチ」と言うはずがないのです。一体なぜ、このような題名にしたのか(書かれている内容をよめば、確かに現場取材したことはわかりますが)私には理解できません。「いちえふ」「にえふ」と呼ぶのが、東電・地元の習わしです。この単語を間違って使っている人間は、100%現場の経験がないと断言してよろしい。

小野俊一「モーニング掲載「いちえふ」-元原発技術者としての目から」『院長の独り言』2013年10月22日

だそうである。

東京人が使うんだそうだ。

ところが、(残念ながら?)彼等の主張は誤りである。特に井上さん、「穢れ」とか安易に使うような話じゃない。

何故なら、「フクイチ」とは東電が1990年代から2000年代にかけて、地元向けPRで盛んに使用していた愛称だからである。

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論より証拠と言う感じでしょ。そのまんまのタイトルな広報誌があった。本店の社報ではここまで強調していないから、東京の言葉とは言いかねる。

次の画像も興味深い。

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『共進と共生 福島第一原子力発電所45年のあゆみ』P29

このように、地元住民への広報誌の他、1997年以降、毎年10月には発電所で『ふくいちふれあい感謝デー』なるお祭りもやっていた。ずっと住んでいる古株なら知っていると思うのだが、彼等は何をしていたのだろうか。

 

1993年には本店勤務となった小野俊一氏が1996年5月に初開催された『ふくいちふれあい感謝デー』を知らないのは無理もないことだ。

しかし、@mikunyoさんの場合は悪いが、ご尊父様の話をちゃんと聞いてたの?と言いたい。何せ、次の『政経東北』PR記事の最後の段を読むと、毎年4000人も来いてたそうだ。かなりの地元民が知っていることになる。

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『政経東北』1999年5月号

ちなみに2001年には物揚場で「ふくいちふれあいフィッシング」も開催している。参加者は以前ブログで採り上げた剥き出し海水ポンプを背にして悠々と釣りを楽しんだに違いない。

これは、浜通りの方らしさを感じるコメントですね。

どうしてこの方の印象に残らなかったのかということについては、発信する側の問題もあったと思う。上記のイベントは2002年に東電が例のトラブル隠しの不祥事を起こして社長引責辞任、全プラントが検査で停止したのをきっかけに何年か自粛された。他に2001年に911テロもあったが、その年の10月13日にはふれあい感謝デーを開催しており、警備強化は最大の理由とは思われない。ふれあい感謝デーは2007年10月に再開された。

なお、2010年には「ふくにファミリーデイ」なる職場参観も存在した。

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「ワーク・ライフ・バランス」を考えるきっかけづくり”家族の職場参観”『電気情報』2010年4月

今思い返せば、中越沖地震対応とバックチェックで東電全体としては多忙だったと思われる時期に、よく開けたとある意味感心する。また、「ふくにファミリーデイ」が企画されたのは311後賠償問題で矢面に立ち、女性問題で辞任した石崎芳行氏が所長だった時だ。元々優秀なPAを打てる人物として、ある意味評価もしていたが、職場参観などを見ていても、ネットでのリンチを伴った恫喝的なPAよりは健全で好感も持てる。

どちらの呼び方も正当性がある以上、何を選ぶかは好みの問題。職場としていた方には「イチエフ」が愛着があるのは分かる。

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ただ、自業自得で親しみを込めた「ふくいち」(「ふくに」)のPRがしぼみ、311でトドメを刺された一方、業務でしか使わない「イチエフ」(「ニエフ」)という無味乾燥な言葉だけが生き残ったとは言える。これはある意味、地域社会との関係を表象している。311以来、原発周辺は文字通り仕事関係の人ばかりで、暢気に祭りなど出来る風景は無い。

「フクイチ」批判者にはそれが見えていない。見えていないばかりでなく悪意の無い関係者・元関係者まで地域の記憶を改ざんしかかっているのは、とても興味深い現象だと思う。

私は、発電所の呼称に拘って現場感を演出しても仕方がないと思っている。そもそも、「イチエフ」という呼び方も、1974年以降に生まれたものである。何故なら、その年まで福島には原子力発電所は1ヶ所しかなく、今の福島第一原子力発電所は単に「福島原子力発電所」と呼ばれていたから。古い文献ではその名前で載ってるから、CINIIで試してみるといい。

それが福島第二の建設準備が本格化し、建設事務所を開くことになって第一、第二という名称に変更されたのである。以前の略号は、号機単位では「NF-1」(福島1号機)、「NF-2」(同2号機)という塩梅だった。1号機を建設していた頃まで戻ると原子炉建屋を指して「TEPCO-1」などとも呼ばれていた。地元紙が「大熊原発」と名付けてみたこともある。まぁ、どれも定着はしなかったが、人に歴史ありならぬ、原発に歴史ありである。

コロラド先生こと牧田寛氏が言及していた「原子力村」の件と言い、どうしてPA屋は自分等の業界で発明した単語を憎悪するのか。リニアに邁進する葛西敬之氏ですら、「国電と言う言葉を使う人の話は信用しません」なんて言ってるのを見たことが無い。

それにしても、たかだか言葉1つに思い込みで憎悪をたぎらせてる井上リサと竜田一人には「バーカw」と言っておきたい。特に竜田氏。代表作のマンガで最初のコマから間違えちゃって赤っ恥ですなぁ。今更直しようもないと思うけど。

2018年7月30日 (月)

【規制庁も原電も】東海第二のケーブルは大量の傷がついていた【把握せず】

運転開始から40年を迎える東海第二原発の再稼働問題だが、2018年5月2日、市民団体(再稼働阻止全国ネットワーク)の申し入れにより、参議院会館にて第二回規制庁ヒアリングが行われた。

その際、市民団体側から明らかにされた重要な事実がある。東海第二原発は建設時にケーブルに大量の傷がついた、という指摘である。311後に限っても、日本原電が規制庁や茨城県に提出した資料は膨大なので遺漏はあるかも知れないが、この問題について自ら言及した文書は見かけた記憶が無い。

この件について更に調べたので取り上げる。

【1】ケーブル問題の分類

東海第二の問題に、ケーブルが挙げられているのは、関心を持っている方ならご存知のことかと思う。大きく分けると次のようになる。

  1. ケーブルの寿命は一般的には30年、特殊な個所に使用する原子力用でも40年であり、建設時のものは全て寿命が来ている。
  2. 建設時のケーブルは非難燃性(可燃性)であり、ケーブル火災や貰い火には脆弱である(同時期に難燃性ケーブルを採用可能だったのに、何もしなかった)。
  3. ケーブル布設時に大量の傷が付いている。
  4. 原電は再稼働に当たって立てた計画で、古いケーブルの交換は一部のみに留め、残りはケーブルトレイに防火シートを巻くだけの計画としている。

今回取り上げるのは、この内、建設時の布設に問題があり、大量の傷が付いているという話である。

【2】日立内部の記念資料に語られた布設時の失敗

傷の件はこれまで大っぴらには議論されてこなかった。古い資料に埋もれていたと言って良い。そこで、何時もなら古い『原子力学会誌』や『原子力工業』などをめくることになるが、そういったものは原稿の分量が少なく、中でもケーブルについて言及したものは今のところ見つけられなかった。

ところで、東海第二発電所の建設史・工事誌は原電が編纂したものと日立製作所が編纂したものの、少なくとも2種類が存在している。

このうち、ケーブルの傷が付いた過程について詳細に触れているのは、日立の編纂した『東海第二発電所建設記録』である。

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(改ページ) Nt2construction_record_no4p433 「第13章 電気計装」『東海第二発電所建設記録』P432-433

しかも、『東海第二発電所建設記録』に記録された傷の数でさえ、過少申告の可能性があるのだ。

日立OBが回顧談を持ちよって2009年に『日立原子力 創成期の仲間たち』という記念誌を頒布した。その中のあるOBが東海第二のケーブル布設について語っており、傷の数は3000ヶ所と書かれているのである。

Hitachigensiryokusouseikip463

日立工事(現日立プラント建設)金田弘一「日立原子力 創成期の思い出」
『日立原子力 創成期の仲間たち』P463

【3】真の損傷個所は3000ヶ所以上の可能性も

私の推測では、真の傷の数は3000ヶ所でも済まないかも知れない。何故なら、上記の金田氏も述べているように、ケーブルトレイに布設後に破損個所を発見するのは難しいからだ。それに、補修せずにそのまま延焼防止剤を塗布してしまえば、傷を隠してしまうことは物理的には可能だろう。

『東海第二発電所建設記録』を読むと当時、設計のまずさから延焼防止剤を塗布した後にケーブル布設をやり直すことがよくあったことが分かる。そういう部位は、特に問題だろう。経年を経た物ではないとは言え、一度剥がした個所もあり、布設したケーブルの中には、そのままのルートで良しとされたり、別のトレイに載せ替えただけのものもあったのではないだろうか。その場合、剥離による損傷は容易に隠蔽出来る。

工期に余裕の無い中で、損傷個所を隠蔽する動機も生まれやすかったと思われる。現に、東海第二と福島第一6号機の建設工事にも参加した菊地洋一氏の『原発をつくった私が、原発に反対する理由』を読むと、配管工の間では不良施工や見えないリスクの隠蔽が横行していた。電設技術者は例外と言えるのだろうか。

なお、昭和電線の場合、関西電力との共同研究を経て経年固化した延焼防止剤の剥離剤を製品化したのは2001年のことである(「新製品紹介 延焼防止剤用剥離剤「ショウピールα」」『昭和電線レビュー』2002年No.1)。つまり、建設当時はそういう便利なものは無かった。

【4】発注者に黙って編纂?日立の記録を把握していない日本原電

なお、この話には余談がある。日立が建設記録の編纂を終えて発行したのは1978年11月だが、原電は当時、本社および発電所に設けた資料室(図書室)に収録していないのである。どうしてそれが分かるかと言うと、1970年代後半より社報に「資料室だより」というコーナーが設けられており、毎月の受入図書が掲載されていたからである。

なお、『日本原子力発電五十年史』(2008年10月)は社内外の広汎な文献を調査していることが巻末の参考文献一覧から分かるが、ここにも載っていない。

そのため、上記2図書の内容について原電にメールで問い合わせた際には、下記のように、情報提供への謝辞という形でしか返信が無かった。

送信日時: 2017年10月10日

岩見様

お問い合わせいただき、ありがとうございます。

関連書籍に関する情報をいただきまして、ありがとうございます。
貴重なご意見として承ります。

                                           日本原子力発電株式会社
                                                      地域共生・広報室

日本原電に限ったことではないが、電力会社はある意味親切でもあり、質問を投げると「~のように検討しています。」と自信を持って返信してくるのが通例である。このような返信は見たことが無い。

実務をやっていく上ではキングファイル等にまとめた設備管理の帳簿などを元にするだろうから、当時の原電担当者がそれらにきちんと記録をしていれば、日立の建設記録がなくても問題は無いが、反応を見ている限りでは、どうも把握すらしていないようである。

【5】当時の施工技術でも防止出来た

さて、当時の施工技術で布設時の傷を回避することは出来なかったのだろうか。次の理由から、可能だったと考えている。

  1. 『東海第二発電所建設記録』に前回サイトでの経験を反映できなかったと書かれている。つまり、ノウハウは存在しており、その水平展開に失敗した。また、『日立創成期 原子力の仲間たち』にも一旦ケーブル布設を中断して補修した後は、養生を厳重にするなどして傷がつかないようにした旨書かれている。
  2. 当時すでに延線工具の一部や入線潤滑剤が商品化されていた。つまり、工事業者にこれら設備を使用するように指示したり、社内で規定を採番・マニュアル化するべきだった。

1については、金田氏はその後の技術開発を自讃しているが、中味をよく読むと分離延線工法の成果は手間を減らしたことにあり、同工法以前に傷を付けずに布設出来なかった訳ではない。原子力プラントにおけるケーブルの布設は、分量こそ多いとはいえ、一般の建築物と同種の工事であり、担当する業者は原子力と兼業でやっている例が多く、慣れている筈だからである。

一方で原子力関係の技術書でケーブル布設に関する資料は限られており、過去のブログ記事で参照した『原子力発電所の計画設計・建設工事』(1979年)等にも傷を付けないためのノウハウの記載は無かった。

では、この程度のことも出来ていなかったのだろうか?勿論そんなことは無い。当時業者が用いていた手順書にも書いてあったが、やらなかっただけが真相だろう。

『東海第二発電所建設記録』の記述は上記の通りだが、『日立創成期 原子力の仲間たち』によれば、布設工事の再開後は養生したと書いているが、当たり前の予防措置に過ぎない。

なお、『日立プラント建設株式会社史1』(1979年)P224には火力発電所の3倍のケーブル布設量であり、工事計画や施工管理の上で、従来の経験では対応出来ない問題が多かったなどと書かれている。本当にそうなのかは疑問が残る。原発の建設は既に初体験ではないので何の説明にもなっていない。

東電子会社の関東電気工事が残した文献を読むと、上記の私の推測をある程度裏書することができる。

関電工は電設業者向け専門誌の『電気と工事』に度々技術記事を投稿していた。特に1976年は何回もケーブル布設に係わる投稿があり、特に11月号の「ケーブル延線作業の合理化と実務ポイント」は東海第二のケーブル布設最盛期に投稿された。ケーブルに傷を付けないための延線器具の使用法の他、布設時の注意点として「外観に損傷が無いか」「ケーブル相互の間隔は良いか」と明記しており、これを事前にコピーして現場に配布するだけでも以後の布設における損傷は防止できた筈である。

『関電工50年史』巻末の「主要実績工事」によれば同社は東海第二の電気設備電線管・ケーブル布設工事を日立プラント建設より11億4000万円で受注し、1973年11月から1978年8月まで従事したとなっている(運開と同時に電気メンテナンス工事も受注)。つまり、ケーブル布設の当事者である。

なお、関電工に先立ち中部電力も『電気と工事』1974年6月号に「金属管工事の基本作業」(電線管布設の記事)を投稿し、「電線は同時に入線すること」などと書いていた。電線を同時に入線しないと相互に擦れて傷が付くことが、現場のノウハウとして存在していたと思われる。

仮にそのようなノウハウを東海第二のケーブル布設に関わった全ての電設業者が知らなかったという、あり得ない仮定をしても、関電工の記事に書かれている通り、破損が無いか逐次確認していれば、3000ヶ所もの傷を作る前に、初期の布設時点で自分達のやり方に問題のあることに気づいた筈である。

筒井哲郎氏も自サイト『筒井新聞』の「原子力工学の対象範囲」で書いておられたが、原発建設工事の大半は一般産業施設の技術の範疇であり、それは先程書いたようにケーブル布設も同様である。原子力工学の参考書では頁数の制限もあり、省かれているのだろう。ダメ押しに化学プラントの仕様書の書式集なども調べたところ、1981年に発行された『プラント建設工事における標準仕様書』(IPC編)で例示すると、電気設備・工事の仕様だけで60ページ以上あり、布設時に傷を付けないようにするため、どのような設計・工事の配慮が必要なのか、一通りのことは書かれている。

例えば電線管については「金属管およびその付属品の内面および端口はなめらかにし、電線の被覆を損傷する恐れの無いものでなければならない。」「金属管内の電線は容易に引替えることが出来るように施設しなければならない。」などとある(同書P407)。

2は、特に分かり易い例として、入線潤滑剤を取り上げる。東海第二のケーブル布設工事には全く登場しないので、使用せずに布設されたと思われる。一方、『電気と工事』には電設業者向けの広告枠が毎号数十ページ確保されており、現代のネット通販サイトやメーカーカタログと同じような役割を果たしていた。これらを調べていくと、現在も使用されている延線工具の多くは1970年代末までに誕生していることが分かる。入線潤滑剤を日本で最初に発売したのはデンサン(商品名:デンサンウェット)で、同社Webサイトを見ると、1974年発売と書かれている。『電気と工事』をチェックしていくと広告は1976年まで登場しないが、当初の2年は一般には販売せず、大手業者限定だったのかも知れない。

1974年発売なら余裕だし、1976年からだったとしても、ケーブル布設の最盛期には間に合う計算である。

入線潤滑剤の特徴は可燃性ではないことなので、使用することによる副作用は考えにくいが、例えば布設後の延焼防止剤塗布工程に邪魔だったとしても、拭き取ってから延焼防止剤を塗布すれば良いだけだろう。ケーブルピットへ導入していく際の特定の角部と擦れないようにする等、使用箇所を限定しても効果は得られたはずである。なお、先ほど紹介した『プラント建設工事における標準仕様書』P407には入線潤滑剤の材質に関する制限規定が設けてあり、使用することが前提となっていたことが読み取れる。

【6】傷のついたケーブルを放置するとどうなるか。

最後に、ケーブルに傷が付くことによるリスクについて、電設業界や原子力業界がどのように認識しているかを、電気設備に代表的に使われているCVケーブルを例に示す。

Denkigijutsusha201601p24
「電気設備のトラブル事例と劣化診断について」『電気技術者』2016年1月P24

上記第6表によると、ケーブル内部への水分の侵入など、他の劣化を促進する要因とされている。また、同第9図から分かるように、地絡火災等を助長する要因として認識されている。

また、この表には記載されていないが、損傷個所を補修したテープとケーブルシースは異なる材質であり、40年間の間に固形劣化などで隙間が生じている可能性を考えないといけないだろう。『東海第二発電所建設記録』に登場するハイボンテープとはブチルゴムを加硫せず自己融着テープとした商品名で、かつて日立化成からも発売されていた。他社の同等品の説明によれば、耐候性に優れ、40年以上の使用が可能とされるが、それでは限界は何年であるかの説明はないので、保証出来るのは40年までと解さざるを得ない。

原子力業界でも損傷したケーブルの問題は311前から承知済みで、一足先に劣化した海外のプラントを対象にした研究では次のように解説している。

元来の施工が悪く,発熱や周囲との摩擦等により劣化加速されたような施工不良が26件(28%)と多い.
原子力発電所におけるケーブル故障の傾向分析」『INSS JOURNAL』2007年P312

これらは、防火シートを巻くことでは解決出来ない問題である。『INSS JOURNAL』では劣化診断を海外よりまめに行うことで、未然防止していると分析しているが、いわゆる故障率曲線で寿命末期に現れる摩耗故障は、件数が急激に伸長するとされているし、劣化診断随時行って一部のケーブルのみ補修するやり方では結局つぎはぎだらけとなり、計画的な保全の考えには適さない。

また、以前から何度もブログで言及しているように、東海第二の電気室は1ヶ所に集約されており、2001年の台湾馬鞍山での電源喪失トラブルのように、一ヶ所でも発煙火災を起こすと部屋全体に煙が充満して人による操作などは全く不可能となるし、難燃化されていないケーブルは難燃化の後に普及したハロゲンフリー化(有害な煙を出さない)もされていないので、健全な電気機器の接点なども発煙によるススが付着して不良となってしまう恐れがある。

【7】まとめ

高浜1,2号機などもケーブルの寿命や非難燃性では同じ問題を抱えている。一般的な技術論文に加えて、三菱系の灰色文献(『MAPIの想い出』他数種類)をチェックしたが、今のところ布設時の稚拙な施工により大量の傷が生じたという記録は発見出来ていない。よって、ケーブルの傷問題は、現在廃炉となっていないプラントの中では、東海第二特有のリスクと言えるだろう。このリスクが規制庁に提出された各種評価に織り込まれているとは、とても思えない。やはり早急な廃炉しかないだろう。

【参考】

本文に記載した以外を含め、下記を参考にした。

※2018年8月26日、【参考】節追加。

2018年6月12日 (火)

東電柏崎刈羽原発技術職員へぼ担当が立場を明らかにせず呟いてきたこと

前回記事【世間に謝罪せず】「機微情報」を垂れ流した東電柏崎刈羽原発職員へぼ担当氏【妻にはDV】が衝撃的な内容だったためか、逆にリアリティが無いと思われているのか、余り関心は持たれていないようである。

しかし、へぼ担当なる社員が自分の立場を傍目に明らかにせず何を呟いていたかは、東電原発技術者の類型的な内心を探る(証明する)のにとても都合が良い。更生も期待出来ず、これ以上庇う理由も特に見当たらないためだ。

また、電力各社原子力部門の一般社員に、身近な事例として知って貰う意図もある。東電の旧経営陣3名は刑事裁判で責任を問われているが、一般社員は、雲上界の他人事だと思っていないだろうか。

今回の記事は、前回の概要分析で収録し切れなかった彼のツイートの中から、問題が大きいと思われるものを列挙した記録記事である。

もちろん、匿名での発言の自由はあるが、それはどちらかと言えば密室内の問題を明るみにするなど、権威勾配から個人を守るためにあるのであって、ステルスマーケティングのためではない。

それから、花角次期知事に投票した新潟県民に一言言いたいことがある。当ブログの記事で示した様な人物が、柏崎刈羽原発の運営、取分け技術分野の中核に関わっていたことが、最大の安全リスクと言えるだろう。貴方達は原発は利益を生むと考えたのかも知れないが、都合の悪いことは何でも隠し、匿名でさしたる根拠も無く仲間まで中傷するような職員を放置しておくのは、とてもリスキーなことである。

※池田候補に一票を入れた県民の方々は、お疲れさまでした。このような結果になり、とても残念ですが、貴方達の選択は正しかったと思っています。

以下、随時追加し更新する。

【人物像】

バブル景気は1991年2月までとされているので、実質1990年春の入学と思われる。

2012年9月のツイートは113番目の元素のニュース。上記から、学部時代の進学先が名古屋大であり、指導教官は仁科芳雄の息子である仁科浩二郎と分かる(『原子力がひらく世紀』編集に係わる。同書刊行は1998年だが、執筆に時間がかかって遅れた)。

上記から、大学院時代の指導教官も、理研コンツエルン草創期に縁の深い人物の息子である。柏崎市は理研グループの事業所が多い。

ガンダムWの放送期間は1995年4月から1年間であり、1996年春に大学院を修了、入社したと思われる(ずれても前後1年程度だろう)。オノデキタ氏の早期退職が1995年。彼は帳簿上はその補充要員とも言える。従って、前回提示の社内報は入社後の発行である。

20代で原子炉主任技術者を取得。従って下記の東電・東芝が作成した所員向け教育ビデオに大きな影響を受けた。リンクを辿って是非見て欲しい。

下記のツイートから分かる通り、中越沖地震を経験している。

再稼働に向け「頑張る」と抱負。

この記述からも、彼の自宅が刈羽村や周辺の自治体では無く、柏崎市と分かる(2015年5月に市役所の移転計画を表明)。

管理職では無い。東電で平社員を意味する「担当」の可能性もある。

【情報公開の否定】

情報公開を求められる側の陰口として記録。

【タウンミーティングで挑発してやる】

元々意図的な炎上の体質がある(もっとも、この点についてはTPO次第とも言えるが、好戦的な性格を示すものとして記録)。

更にその好戦性を見込まれ、敵対者を論破するように軍事板常見問題管理人の消印所沢から依頼を受けている。余談だが、私も色々な方とメールでやり取りはするが、「〇〇を論破してください」などと依頼するなど、思いもつかなかった。消印所沢って結構無責任だね。

【自称市民は信用しません】

当時すでに流行っていた「プロ市民」という単語が前提にあるのだろうが、市民に自称も他称も無いのは少し考えれば分かることだ。強いて言えば、選挙や納税の不正などで既に死亡した人を登録したり、他人に成りすましたりする事例は自称市民と言えるかもしれない。

もし気に入らない意見があれば「貴方達の意見には賛同しかねる」と返せばよい。それを拗らせて「選民」しているのはへぼ担当なのである。

そもそも文法とか言語学的に言えば「プロ市民」という単語でさえ、相手が「市民の一部」であることを前提とした概念である(自民党支持者辺りにとっては「煩わしい市民」ということだが、煩わしくても市民ではある)。へぼ担当の「自称市民」呼ばわりはそれより酷い。

【原発ジプシーの抹殺】

結局、311後に身元の管理が出来ないことも、ピンハネ福利厚生その他の問題も否定出来なくなった。ちなみに70年代に黒人の水中作業員が目立ったのは、米国においても職種と人種の偏在が完全には解消されていなかったことによると思われる。解消されていれば、水中作業員の成り手が黒人に集中することはありえない。また、へぼ担当は知らないだろうが、コダック、ベルサウス、コカコーラ、テスラ等、黒人差別の従業員集団訴訟は21世紀に入っても(性差別訴訟同様に)頻発している。それが米国社会である。

【平井憲夫氏は人権侵害】

「原発がどんなものか知って欲しい」の平井憲夫氏も完全に風説扱い。

当該は聞き書きのため、やや不正確な表現もあったが、311後、当人の手になる文書が再び世に出た際に、オーソドックスな原発批判以外の何物でもなかったことが判明した。また、多くの現場作業員により様々な形で問題行為が公にされたことで、平井氏の正しさを裏書きする結果となった。

2月24日は、更に会話を続けて失言している。

批判されているのは『白竜(原子力マフィア編)』。311後、『ヤクザと原発』その他により暴力団が入り込んでいること、身元確認が不十分なことが改めて証明される。そもそも、発電所で土方を見ていれば、筋者との境界があいまいなこと位察しが付くであろうに、よくもぬけぬけとヤクザへの蔑視を呟けたものだ。また、フクシマ50に代表されるように、彼等も修羅場で貢献したのだという、プラスの視点もありえるだろうに。

【被爆地反核団体への侮辱】

1960年代に一部の左翼議員が口にした「ソ連の核は良い核」を半世紀経っても全ての被爆者の主張として一般化している。むしろ、右派系の反核団体「核禁会議」を旧民社党経由で支えていた東電労組は民社党同様に「アメリカの核だけが良い核」であるかのように活動し、追随してきた。旧民社党がCIA工作の恩恵で誕生した経緯からすれば当然ではあるが。

【公害被害者への侮辱】

過去、あらゆる反公害運動が「補償金ビジネス」と中傷を浴びてきたが、へぼ担当は企業側の実践者として「歴史に学んでいる」1人である。もちろん、最初から公害を引き起こさなければそのような問題が発生しない(=ビジネスという理屈は成立しない)という、根本的な矛盾は理解の埒外にある。

霞ヶ関の人から頼み込まれて口裏合わせまがいのことも行ったことがあります】

この人の言うことは大体肝心なところでアウトである。特に311前の証言はそれが非常に多く、既に機微情報を流した以上、情報のやり取り、人脈形成、交渉方法の適切さに関する信頼は無い。本当にそれは「まがい」だったのか。

【騙される有権者も有権者】(東京電力柏崎刈羽原発社員談)

愚民主義はリベラル・左翼勢力にもいるだろうが、という指摘が聞こえてきそうである。それはその通り。だが生憎、著名なリベラル・左翼人士で愚民観を示している人達は、フリーの立場から発言している方も多い。会社の代弁者ではない。

【鳩山由紀夫批判】

311前、鳩山はCO2対策のため原発依存には自民党より積極的だった。「クズ」と批判しているのは普天間移設問題で自分が思い描く先軍政治に反し、県外移設を主張したから。twilogをチェックすると民主党、鳩山、菅への私怨のオンパレードだが、鳩山相手だとloopyという単語がとてもお気に入りだったようだ。身分隠して財界の代弁ご苦労様。

もっとも、彼のTLが民主社民共産への罵詈雑言に溢れているからと言って、これ以上政治家に対する批判ツイートを掘ることはしない。原子力政策など直接的関連の高い内容に限定する。

【受注者を顎でこき使う】

完全に居酒屋モードで気持ち良く本音を呟く。

普段どんな仕事の依頼の仕方をしているのか、労基に見て貰ったらいいのではないかな。

【子供手当は要らない→手当て+小児科寄越せ】

先の「タウンミーディング」にかける妄想でも言及していたが、彼は、子供が嫌いなのではないか。

ちなみに当時は独身。後年、経済DVをかます男の言葉である。所属先がどれ程の国富を費消したかは言うまでもない。そして少子化・貧困対策の結果も。

311後に給与3割減、私生活で結婚となった途端このザマである。よくいる、自分の世代、自分の階級しか見ようとしない臣民の一形態だな。

【知恵を付けるようなつもりは一切ありません。意見交換も一切意味がない】(東電社員談)

市民運動家の小林アツシ氏を前にしての発言。これ程愚かなコメントは無い。

自分から知恵を付けたら困る事実が存在する、と宣言しているようなものだからである。極端なことを言えば、この時点でへぼ担当が福島の津波対策延期について、情報を得ていてもおかしくないとすら推測出来る。

言い換えれば彼の天敵による次のコメントにも通じる。

【可哀想な教師ですね】

安全神話に疑問を呈す教師は「可哀想」。完全な組織防衛の論理。

【311直前の被曝観】

現在は、年20mSV以下という、311前なら建屋内での作業に従事する一部の労働者のみ係わりのあった線量を基準にして帰還政策が進められている。当時の推進派の姿勢と比べると隔世の感がある。また、被曝安全論に主張者自らが絡め取られていったことは巷間推測されているが、彼はその証明となり得るだろう。

【311後、節電に絡めてテレビ局を揶揄】

24時間テレビの偽善性は左派を含めて指摘され続けているが、原発プロパガンダに年数百億も消費した挙句、事故を起こしたために夏の節電要求が厳しくなったのである。民放にケチをつける資格があるとはとても思えない。本当に不思議だが、私が東電社員なら、身分を隠してもこんなことをツイートしようとは思わない。例え匿名であっても「番組への批判は承知していますが、節電のPRは正しいと思います」位のことは言うだろう。彼の心の闇は深い。

【311後、都民に代わって火力発電所を要求】

311直後のエネルギー論議では、脱原発による電源の穴埋めを火力発電の増設に頼ろうという流れが存在した。上記はその頃の書き込み。政策論としては理解できるが、事故を起こした当事者が身分を隠して「提言」することではない。もしどうしても必要を感じていても、「わが社には投資する余力が無いので都の助力をお願いします」と言うべきだろう。

それにしても東電社員が「都が他県にお願いすべき」とよくもぬけぬけ言えたものである。被災者から消費地の責任を追及する場面での発言ならいざ知らず、「お願いすべきか検討する」のは都民や知事であってお前等ではない。

【国会事故調は読む価値なし】

311の後、幾つかの事故調が立ち上がったのはまだ記憶に新しいが、彼は自社の事故調と政府事故調のヨイショをRTしつつ、次のようにコメントしている。

比較的知名度の劣る学会事故調をPRしているのは、自分がロビー活動をしているからである。添田孝史『原発と大津波』(岩波新書)で指摘された、「専門家は電力と学会の顔を使い分けているのではないか」という疑惑への一つの回答がこれである。

なお、津波への備えに関する最も有益な情報を発掘したのが国会事故調の調査員だった添田孝史氏であり、各種訴訟で東電は全敗に近い結果となっていること、訴訟提出資料と証言により、政府事故調は多くの重要情報が委員に上げられていなかったと判明したこと、原子力学会事故調は重要な証言は関係者に迷惑がかかるとして非公表とされたことを付記しておく。

【「ブーメランだ!」】

朝日新聞は原発事故を起こしていないので、上記の理屈は無理がある。また、「わが社」ではなく、他人事のように「東電」と呟かなければならない辺り、彼の溜飲が下がる日は来ないであろう。

このような発言こそブーメランでは?311後、ことに2014年以降、この人が東電社内で何の課題を解決したのか聞いてみたい。

【九州電力やらせメール事件の反省なし】

この人物は、九州電力がやらせ動員を行って謝罪に追い込まれた事実を上記のように認知している。

なお、言うまでも無く原発推進の意見を言う自由はあるべきだが、それは他者の批判を受けないことを意味する物ではない。一つ、情報を追加すると、例の経済DV騒動の際に公開されたツイートによれば、家族からのお願いを「中傷だ」と訴えた実績があるとされる。

【すり寄ってくる共産党女性議員が気持ち悪い】

 

発端はこれのRT。体力のある若者なのだから、思想信条を抜きにすれば「素晴らしい人材」であるだろうよ。大体、私が自民党側にいた頃から「人殺しの訓練」であることは世界の軍隊共通の了解事項だったのだが、冷戦終結から四半世紀も経って何が気に入らないのか分からない。現在のテロ対策でも「警察は犯人逮捕のため生け捕りを考慮するが、自衛隊は射殺前提」と指摘されるではないか。

しかし、そこはへぼ担当、アクロバティックな反応に至る。

 

 

だったら、「思い付きと打算で派兵することにしたからあとは適当に野たれ死ね」とでも言えばいいのだろうか。それに近いことをしたのは戦闘地域を非戦闘地域だと詭弁を弄した小泉政権だけどね。

【難民受け入れ「必死だな」】

シリア難民問題が顕在化した頃、次のような暴言を吐いていた。

日本がそれなりの数の難民を受け入れているのであれば、まだ理解も出来る。しかし、実際は極めて消極的であり、加えて入管職員が人種差別者集団であることは抗議者達の粘り強い活動によって近年知られつつある。それにしても、「必死だな」とはね。何様?と言ってやりたくなる。まぁ勤め先に相応しい、殿様の態度だな。

もし本当に自信があるなら、欧州の原発関係者との会合の機会か、海外から日本に関心を持って来日してきた人達(マライメントさんとか)に是非「貴国の難民政策は必死ですねw」と揶揄ってみてほしい。親ナチを秘めている者なら賛同してくれるだろう。

【新入社員をネットで誹謗】

それが新人だろ。つくづく馬鹿だね。しかもネットでよく書けるものだ。

そして時が経ち・・・

彼は、この頃家庭も潰してしまったのだが、反省は皆無。そして、新人君も結局育てられず、使い潰していたっということ。それにしても発電所の仕事で「修士論文の意義」なんか聞いてどうするんだ?

【学歴への固執+職場の高学歴同僚を誹謗】

へぼ担当を観察していて笑いが止まらないのが学歴への異常な執着である。

なるほど。東電にはそんな高学歴のクズがいるのですか。そう言えば私も1人思い当たる節がありましてねぇ。何と同僚の学歴に執着してネットで誹謗を重ねているんですよ。

ゆとり世代が嫌いな様だ(カリキュラムのためであり、当人の責任ではない筈だが)。

真面目なコメントに戻ると、東電大卒幹部の体質を知るのに貴重な証言。

私ならそんな職場の話を無闇にネットでしないけど。ま、選民意識の方は有権者も有権者だから仕方ないかもね(笑)。非常勤君は晒し者にされて御愁傷様。

更に、自分自身が、過去指導教官からも学歴偏重を指導されていたことが分かる。

そもそも、「学歴自慢を慎め」などと指導教官に「徹底」される学生は少ないのではないだろうか。何故なら、まともな感覚の持ち主ならそんな小中学生レベルの忠告をする必要が無いからである。私の場合も、東大程目立つ偏差値の大学ではないが、指導された記憶は無い。

既にお察しの方もおられるかと思うが、へぼ担当のtwilogを「学歴」で検索すると非常に多くのツイートがヒットする。当人が学歴を気にしている何よりの証明である。

本心では学歴に囚われていることを無意識に告白。東大だろうがIBリーグだろうが学歴マウンティングは恥ずかしいだけ。

その癖の背景を考えてみた。相手も高学歴だと、自分の学歴でマウントは出来ないね。これ以上は書かないが、お仲間や元妻からも自身の学歴自慢を指摘されていることは示しておく。

【「馬鹿は黙ってろ」事件を黙殺し被害者振る】

お仲間の軍事ブロガー(Yahoo記事オーサー)JSFによる「馬鹿は黙ってろ」事件についてコメントするのが先であろう。

【瀬戸内寂聴に対して「クズはクズ」】

幾ら気に入らなくてもこの時点で様々な所業を重ねているモラハラオヤジが「クズはクズ」とは何の冗談だろうか。しかも、日弁連は謝罪している。

【失敗したものは触れない方が良い】

原子力どころかサンシャイン計画(1980年代の新エネルギー計画。)一つまともに直視できない。

ちなみに天敵は日常的に言及している。次に失敗したくなければこれは普通の姿勢。

一事が万事だろうな。

【人脈と情報ルート】

そのNHK記者がTwitterの件を知ったら記事にしてくれるのだろうか。

恩師達は、Twitterの件を知ってるのだろうか。『混相流』にでも先輩の声投稿したら?学会事故調で熱流動部会長だった片岡勲氏とか、これ知ったらどうなるんだろうね。後、気液二相流がへぼ担当の研究分野だった訳だが、その大家である有富正憲氏も「爆破弁」発言の1人。気液二相流の解析すると何か祟りでもあるのだろうか。

家族を通じた非公式の機微情報ルートとして記録。

「旧知の共産党員」がいる。どうやってお友達になったのだろう。

【民主党代議士を通じてレイシズム批判の足を引っ張る】

また、以下の「旧知の民主党代議士」を通じてロビー活動をしている。一口に旧民主党と言っても、色々な立場の代議士が居る。へぼ担当の立場に最も近いのはゼンセン系労組が推薦する組織内候補。選挙の際は労働組合を回り、街宣は申し訳程度で終わらせる人達である。彼が支援するのがそういう候補かは分からないが、言行を見ているだけでも「ああ、そういうことですか」という感じ。

レイシストをしばき隊関係者と親密な関係にあった有田議員についても「苦言を呈した」そうです。民主党の動きが時々鈍かった理由が良く分かりますね。当時極右達が暴れていたのは新宿や川崎など大都市であり、現地に住んでもいない者が、彼等を間接的に支援していたことになる。

なお、彼の会話の相手であるCol_AYABE、通称アヤベ大佐は、成人式でナチのコスプレをして顰蹙を買ったり、海兵隊の広報の仕事を請け負いながら、共産党が入手した米軍の作戦計画をネット上で赤旗記者にねだって提供して貰ったりと色々な話題に絶えない方です。

事業仕分けを憎んでいるそうです。民社協会かね。今なら国民民主党かな?

【投資目的のフォローは「うっかりインサイダー」防止のため原則×】

へぼ担当のTwitterトップには長年次の文言がある。

Hebotanto_20180613top

「投資目的のフォローは「うっかりインサイダー」防止のため原則×。」とのこと。

それでは次のツイートを見てみよう。

Yahooニュースオーサーで星海社から新書を出しているdragoner氏とへぼ担当は旧知の間柄。立教大は赤っ恥だなぁ。

先行者自慢をした後に先行者利益について語ったり、投資家としての判断に言及したり。他にも専門従事者としての知識を元に警告してきたり迂闊なことを過去には言っていたようである。そういうのを「インサイダー」っていうんじゃね?見えない所で何の情報交換してるの君たち。

【不祥事への感想】

冷静で中立的と言うより、自覚が無いだけなのではないかと思わせるのが、このタイプの出来事を認識していること。口調が慇懃でありさえすれば事足れりというものではない。

まぁ俺から見ればこの人はぱよちん久保田の比ではない「逸材」だけどな。俺?いやぁ、とてもじゃないけどこの人には及びませんよ。

知事選を目前に、園児に特定の政治家の似顔絵を描かせた保育士の処分。もちろん間違った行為だが、へぼ担当は自分の勤務先を明記していただろうか。他人の不祥事にはコバンザメのように食いつく姿勢はつくづく呆れてしまう。

【守秘義務無視して暴露本執筆中】

まぁどうせ「日本の電力マンは頑張ってるんだ」みたいな叫びを打ち明け話で装飾しただけだろうが。

鍵もかかってないTwitterは万人が閲覧出来てるけどな。後、しれっと他人に重責負わすあたりが突き抜けてる。とっても。一つ言っておきたいのは、暴露本てのは、出版してから暴露するもんなんだぞ。天敵のツイート通りのボケをかましてどうする。

ずーっと一覧してきて思ったのだが、真面目にこの人、福島原発事故の原因を作っているのでは。そう思わざるを得ない。

2018年6月 2日 (土)

【世間に謝罪せず】「機微情報」を垂れ流した東電柏崎刈羽原発職員へぼ担当氏【妻にはDV】

前の米山知事が不祥事を起こして辞任したため、新潟県知事選挙が行われている。争点は柏崎刈羽原発の再稼動ということで、与野党の決戦場と位置付けされている。

そこで思い出したことがある。ハンドルネーム、へぼ担当と名乗っている原発業界人のことだ。現在は主にツイッターにhebotantoで登録し、活動している。

彼は、どういう人物かというと、原発業界で仕事をしていて、反原発を嫌ってきた。それにとどまらず、「正しい原発の知識とはどういうものか」を啓蒙するため、ネットで活動していたのである。まぁ、今では珍しくも無い他人の揚げ足を取って喜んでいる「お理工」とか「軍事クラスタ」とかもっと直截に「ネット右翼」と呼ばれるような人である。

苦々しく思っているのは私だけではないようで、311後、何か横柄なツイートを繰り返すたびに突っ込みを受けている。代表的なのは軍事ライター文谷数重氏のブログ「隅田金属日誌」だろう。

この件が心底どうしようもないのは、彼が90年代にある大学の(京都大学は誤りでした)大学院を修了後、東京電力に技術系幹部社員候補として入社し、長年にわたって柏崎刈羽原発で勤務し、原子炉運転の資格を取って運転員としての勤務経験を有し、ボイラ・タービン主任技術者(一言で言えば発電所位しか使い道が無いが難しい資格)を取得した、ある意味王道を行く原子力業界人であること、そして一連の書き込みを会社に一切知られることが無く、或いは職場の黙認の上で行ってきたことだろう。

何も私が興信所の人を雇って調べたことではなく、以前から仄めかしていたことである。

熊取=熊取実験所であり各大学の原子力工学科位しか関わりが無い。

次もその一例。

保有資格も公開(BT=ボイラ・タービン主任技術者)。

もっとも、本物のPh.Dからは次のようにコメントされている。下記の事故は、彼の所掌だったのだろうか。

これから述べていく理由から、現在は影響力も低下してきたが、過去、その言動はツイッターの原発推進派を煽り立て、宣伝活動として機能していた。彼は、重電・インフラ系の技術者やマニアの内心まで浸透したネット史上有数のステルスマーケティング師(PA師)でもある。また当人の原子力への執着も信仰と言えるレベルに達していた。一連の言動を見直して思ったが、利益相反という言葉すら生易しいものに思える。

批判者達から「柏崎刈羽君」などと揶揄される中、敢えて直球のブログ記事を書いて来なかったが、今回は、彼の原発問題での言動で致命的だったと思われる点を挙げることにした。内容を要約すると記事タイトルの通りとなる。

【1】安全神話を宣伝する。

彼がああなってしまった原因は東電にもある。入社前後の頃、東電は会社として次のような活動を推進していた。

今から見ればこれは「忘れられた誓い」のようなものである(関連まとめはこちら)。

Toden199607pa

社内報記事を読むと分かるのだが、「知識が無くても自分の言葉で原発を推進しよう」と東電は煽ったのである。へぼ担当以前、ネット時代の初期に柏崎刈羽原発に勤務する職員が私的に「EYEFIE原子力発電所」という宣伝サイトをつくったことがあったが、これも会社としての態度が根幹にあった。

結果、彼はお気に入りの軍事評論家ブログへの出入り、mixiでの情報発信などを経て宣伝活動に勤しみ、311前に次のような安全神話を公言した。

ぶっちゃけたお話し,陸上にある原子力発電所(PWR)の場合,大洪水でも起こらない限り,浸水の恐れは無視できますが(ただし,地震による津波影響など評価して問題ないことは確認済み)

軍事板常見問題より

もう一つ挙げよう。

幾ら実務的に細かな知識を喋っても、根本がダメという典型的な例だろう。実際に海水を注入した時点では、全てが後手に回り、大量の未帰還区域を生み出したからである。

原発作業員の問題も彼の前では反原発のタカり行為として無かったことに・・・

原爆被災者も次のように侮辱している。

 

 

火の出る玩具や原発を御神体にしている人間が良く言えるものだ。

ただ、ある意味では業界が宣伝用に準備する「偉い人」達と違って、忌憚の無い本音を呟いているとは思うが、それが宣伝と性悪な軍事マニアや自称リアリストの主張をコピーしたものでしかないというのは、驚くべきことである。

なお、Yahooニュースに登録している軍事ブロガーJSFが311の晩に福島第一の状態を危惧する人達へ「馬鹿は黙っていろ」と罵声を吐いたことはネット論壇では知られているが、へぼ担当は長年彼の技術アドバイザー的ポジションにいたことを付記しておく。

【2】311後、7年まともに世間へ謝罪していない

よく、ネットで一度投稿した発言を削除して炎上することがある。しかし、へぼ担当の場合、福島事故の数日後、被災者に「ご高配を」とツイートした程度で、過去の自身の原発推進の言動に一切の責任を取っていない。実際、記事を書く前にtwilogで再確認したが、やはりそういった発言を見つけることは出来なかった。先の「馬鹿は黙ってろ事件」も存在自体を黙殺した。

その一方で、大は原子力政策から小事は日用品の出来栄えに至るまで、あらゆる物事に注文を付け続けた。

一度投稿した情報は是非はともかくとして、消すことは出来る。しかし、謝罪していないのだから、これを捏造することは出来ない。

それどころか、彼が2011年頃まで出入りしていた軍事マニア達のインナーサークル「軍事板常見問題」のmixiコミュニティでは「自分だってすべてを知っている訳ではありません」と言い訳していたのだ。東電本体に技術系幹部になることを期待して雇用された実務家の言う事ではない。なお、へぼ担当はmixiに存在した原子力コミュニティでも中越沖地震の頃は「冷静で中立的な啓蒙活動」をしていたが、311後、同じようなことをしていた日立の原発技術者等と共に、一斉に姿を消した。

311後にへぼ担当の陥った最大の失敗である。

東電の失敗を糊塗するために、彼は同業他社への「擁護」を手掛けるようになったことがわかる(私が関電の原子力部門社員だったら、まず東電社員に謝罪を要求すると思うが、そういう思考から目を逸らさせるのがミソ)。

その割に民主党、朝日新聞への謝罪要求などは目ざとく行っている。

自分は責任を取るつもりはないが、蓮舫(ツイート中のR4=レンフォー)には責任を取れと言う。

もちろん思想偏見に加え、ちゃっかり組織防衛するためである。こんなこと東電社員が書いても逆効果でしかないけどね。

実は、これは批判対象の朝日ばかりでなく東電にも言える。よく謝罪会見などを行うが、賠償金の支払いや法的責任を拒否して訴訟になっている問題と、彼の姿勢は軌を一にする。

東電ではジャーナリストはあしらって口封じするものらしい。2015年になって良く言えるなという感想を持つのと同時に、貴重な証言でもあると思う。本音としてはありふれてるが、思っている当人が表立って書くことではないからだ。

これが例えば池田信夫だったら私はここまでは書かない。彼が如何なる言説を弄そうとも、実務担当者ではないからだ。間接的な責任はあっても直接的な責任は無い。

余りに壮絶だったため、ネット右翼の多い技術者や軍事マニアですら、311以降の姿勢で彼に関しては距離を置くスタンスに変わった者達が続出した程だ。勿論、軍事ブロガーJSFや「軍事板常見問題」管理人の消印所沢のように、庇い建てて口を閉ざしている者もいる。また、彼の知識を目当てに積極的にRTしている推進派の著名人もいる。

へぼ担当は世間に対し、東電原子力社員として、謝罪するべきだろう。ああそうだ、彼が大好きな日本政府の当時の代表にも「この度は当社の事故で御手を煩わせることとなり、大変申し訳ありませんでした。」とでも詫びてはどうかな。

以上のように、彼にとって民主党(政権)、菅直人、鳩山由紀夫などは日頃から憎悪の対象でしかないが、大衆もまた同様である。311直後の数年、エネルギー政策のパブリックコメントを集めた時には下記の通り。

ゴミノイズだそうである。人種・性差別を問うコメントではない筈だが・・・
※最近問題になったが、もしパブコメに「外国人を殺せ」という『ご意見』が1000人から届いたとしたら、人権思想を理解しないゴミノイズと見なされるが、上記は違うということだ。

更に言えば、自身のプロファイルについても原発業界に詳しい人間だけにわかるような仄めかししかしておらず、それでいて原発にはしがみついているのだから、無様だなとしか言いようも無い物である。

【3】経済DVがばれてもTwitterは平常進行

なお、上述のように自身を目立たぬようにする労力も、彼が事故後に始めた結婚生活を経済DVにより数年で破たんさせ、被害者が彼の所業を告発したことで、無駄となった。

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Hebowifetwitterstatus91663141569703(現在は削除済み。)

既に結婚生活は終わったことであり、かつては詳細情報も存在したが、それらを語るつもりは無い。だが、被害者の妻もオタク系の趣味を持っており、以前はへぼ担当がネットで作り上げた交友関係と重なる場所で情報発信をしていたが、原発やミリタリーの『お仲間達』は表立っては咎める姿勢を見せなかったことだけ書いておく。

まぁ、お仲間の家庭内事情も似たような物なのかも知れない。ネット廃人やネット右翼で人間関係を破綻させた人物は珍しくないからである。彼女も政治的なスタンスは夫と余り変わらぬ人物なのでそういう点は冷たい目線で眺めざるを得ない。だが一方で、私はフェミニストという訳でもないのではあるが、この件については彼女に同情する。経済的には裸同然で家から脱出していたからだ。

それにしても、この件も、ばれてからもツイッターで何の謝罪も言い分も無く、それまでと変わらぬ技術談義を平常進行していること自体が異様且つ異質であると、私は思う。

【4】機微情報をツイートする

正直、【1】【2】【3】だけなら、今時のどうしようもないクズ技術者だなという感想しかないのだが、へぼ担当は驚くべき行動に出ていた。

原発業界で社内・セキュリティ上の機密に属する内容を機微情報という。

私は、日本の原発業界に批判的だが、情報公開についてはアメリカに次ぐか部分的にはそれ以上に公開している面もあることを高く評価している。OBやOGでTVタレント的に活動していない人達も積極的に発言しているのは一面の事実である。特に大雑把でよい概要的な情報についてはそうだ。この事をある原子力ウォッチャーに話したところ「アメリカは訴訟社会でNDA(秘密保持契約)が厳密だから無理ですよ」と即答していたのを思い出す。

さて、2010年秋から冬にかけて、へぼ担当は盛んに機微情報の取り扱いについてツイートしていた。要は、「僕ちんは啓蒙活動も活き活きした内情も伝えていくけど、テロリストが喜ぶから出すなと言われてるヤバい情報は出しません」という宣言だ。

しかし、彼はその後、やらかしていた。

311で自尊心をへし折られ、鬱屈していたからかもしれない。

原発がどれだけの航空機衝突に耐えられるか、日本の電力会社も規制庁も、公表はしていない。私も以前ブログで話題にしたが、それは公表している国があり、その情報から個人的に推定した物だ。

80年代は日本の原発もF-1戦闘機を想定して解析をしていたことを仄めかすばかりでなく、F-2の解析はその結果に言及している。なおF-1は国産機であり、他国のデータは流用出来ない。結果を知っているのだから、彼の妄想ではなく、東電の社内情報を参照したものである。「バカは黙ってろ」で悪名を轟かせたJSFを引用しての吐露であるところがどうしようもない。他の東電社員からすれば「バカは黙ってろ」と言いたいところだろう。

さて、東電に裏を取っても彼のアカウントを黙って停止させるだけでお茶を濁されると困るので、日本原電に質問した。へぼ担当はJAPC(日本原電の英称)の研修にも参加した旨、以前ツイートしていたからである。

日本原子力発電
広報ご担当者様

岩見と申します。

最近、同業他社の原発に勤務していると称する方が「航空自衛隊が保有する特定の機種の戦闘機が建屋に衝突した場合の評価は既に行っている。近年F-2戦闘機についても追加評価を行った」という趣旨のコメントをネット上に書き込んでいるのを見かけました。

その種の評価は、御社のサイトでなされているとは聞いたことが無いので、新規性基準に移行してから、また規制制度が変わったのかと一旦は驚いたものです。

念のため、規制庁の審査会合のHPを再度見てみましたが、従来各サイトで行われている通り、建屋近隣に墜落した際に燃料が火災を起こした時の評価に留まっていました。

現状では、そのような情報は下記の様に、JAEA等が研究のため特定のサイトを模擬しない形で行った公開研究しかないと思いますが、その認識で間違いはありませんでしょうか。
http://csed.sakura.ne.jp/wp-content/uploads/2016/09/PL2L04.pdf

2017年10月2日

本件について少し、補足します。

先のツイート事例は某電力会社に勤務する社員ですが、御社グループやその親会社の場合、特定の機種の航空機が建屋に衝突した場合の解析評価は結果をツイートしても御咎めは無い程度の機微情報なのでしょうか。

2017年10月2日 12:45

岩見 様

いつもお問い合わせいただきありがとございます。

「航空自衛隊が保有する特定の機種の戦闘機が建屋に衝突した場合の評価」のお問い合わせについては、核物質防護の観点から評価の有無に関してもお答えは控えさせていただきます。

ご了承願います。

日本原子力発電株式会社
地域共生・広報室

2017年11月2日 12:28

2017年秋当時、航空技術者の平岡公夫氏は、出しても良いのに秘密されているスペックについて疑問をツイートしていた。そういう考え方はあると思う。個人的に機微情報が表に出されても仕方ないと思われる事例は、例えば談合・データの書き換え・内部での問題提起の握り潰しなどの不正行為であるとか、青山繫晴のように、今更表に出回っている情報を重大な機密呼ばわりする間抜けな行為などであろう。

では、今回のへぼ担当の行為はそれらに当て嵌まるだろうかと言えば、当て嵌まらない。ただの知識自慢に過ぎない。

業界ではこういう人物はインサイダーと言い、主に入社後原発へのスタンスを変更した人物が想定されているようだが、実際にはうっかり日米会談の機密を喋った元防衛大臣のように、推進者が自滅するパターンを良く見かける。ある意味では、火を付けて存在意義をアピールする消防署員や点数稼ぎに犯罪をでっち上げてばれる警察官と似たようなものだ。竜田一人の『イチエフ』でも「うっかりマンガに商業機密を描かれると困る」と苦情があったそうだが、これも類似パターンであろう。モリカケの役人もそうだ。

【5】 「TLでは流せない話」をするため上京を計画し、311直後に実行する。

へぼ担当の場合、以前から守秘義務違反の兆候はあったようだ。

まず、一つ言えることは、彼ほど日頃から技術の詳細をツイートする人物に取って、「TLでは話せない情報」など無意味な定義に過ぎないということである。大抵のことは話しまくっているのだから、顔を突き合わせたところで、それ以上の秘匿性の高い話が許される訳では無い。従って、「TLでは流せない話=守秘義務のかかっている話」しか残っていないと判断出来る。

※TL:タイムライン。ここではツイッター用語でツイートによる会話全体を指す。要するに表立って話せること=TLに放流出来る話である。

311は金曜日だったので、ツイートの翌週に開催を計画していたとしても中止になったはずである。もし311が無ければ、この時点で小泉悠、石川潤一等に機微情報が流出した可能性もある。また、へぼ担当と軍事クラスタ系ライターの特徴から、メールなどのルートも疑わざるを得ない。

実際、311でいったん計画は中断したものの、11年6月には「秘密会合」が実現している。

「秘密会合」と呟く愚かさはともかく(『遥かなる星』へのオマージュ?)、上記のツイートから都内での宿泊場所に戻るまで半日かかっている。貸会議室でも使えば大抵のことが出来る。

へぼ担当は「情報はギブアンドテイク」との信条がある。この面子であれば、交換した情報は原発事故対応を土産話に、ロシア関連の軍事情勢、核査察ネタだろうか。もう1人原子力関係者が参加しており、さぞ盛り上がったことだろう。

この方の区分けで行けば、ネット上でミリタリーマニアや科学オタクが集まって形成された軍事クラスタは、全て趣味の対象にしているし、日常的な言行がすでにそれである。秘密会合も正に(3)そのものだろう。

技術談義の中心にいたので、ネット上の付き合いも似たような人物が多い。311の時英語で安全神話を垂れ流したf_Zebra、へぼ担当と同じく業界人の森雪、Shimpei、電気新聞で紹介された原子力魔法少女今井智大、軍事マニア繋がりでヤフーニュースオーサーのJSF、dragoner、憑かれた隠棲等である。上記の会話もそうだが、第3者からは読めないDMやメールで何の情報を渡していたのかは分からない。彼らと交友関係を持つ事にはリスクがあるので、近づこうとは思わなかった。

仮に私がへぼ担当と同じ立場・思想でネット活動をしていたら、さほど重要でもない「内部情報」を餌に彼等を釣り上げ、会社の目から見て来歴のはっきりしないオタクの個人情報を収集した上、会社の意に反する態度を示した時点で、これまで与えた情報の重さを強調するなど、DMで恫喝となだめを繰り返してコントロール下に置く、だろうか。まぁ、dragonerの方も本名を知っていれば別の意味で機微情報を取得したことにはなるが。

自衛隊に勤務している彼の弟についても、同様である。2010年の時点でへぼ担当に宿営地周辺の戦闘について情報を与えており、その結果のツイートであろう。何せ「実体験」と堂々と書いている。思えばこれは、日報問題の機微情報垂れ流しも同然であった(弟は弟で、日報の隠蔽にも加担していても不思議ではない)。

上記のように「部下を生きて返す」というツイートを彼は繰り返しているのを見ても当時の心情がよく分かる。意地の悪い読みをすれば、武人の家系である彼の一族は旧軍スタイルそのままに「部下以外の命は保証の限りではない」のだろう(戦争中期以降は味方も大量に見殺しにしたが)。一般論として、自己の功名心に向き合うこともせず、命に関して奇妙な結束を示す人間が国家に寄生すると、戦地で問題を引き起こす遠因になりそうだ(米国でヒットした『ローン・サバイバー』という映画は、正にこうした問題の実話がベース)。

そして弟は、バーターとして核関連の機微情報、それも幕僚監部辺りからの照会では定形文で返答されるような「内情」「特定の政策要求を通すためのキーマンに関する情報」などを入手していても全く不思議はないわけである。マスコミ嫌い、人脈好きの真意もそこにあるように思える。

今思えば、こういった連中が、日本人による原潜・核保有を問題提起した『沈黙の艦隊』にリアリティを付与するかのような議論をしていたのは、危険な兆候である。

一時期、私のことを彼との直接的な関係が無いのに批判していると「軍事板常見問題」管理人の消印所沢などが問題視していたが、無意味な機微情報の共有なら御免蒙るといったところだ。そういう話は映画や小説の中だけで御腹一杯だからである。

表面的には場の空気を支配したくて溜まらない「冷静で中立的な人物」の書き込みだが、元海保職員の右翼、sengoku38氏とおなじですよね、この人がやろうとしていること。

実は東電の社員はKEDOに出向している。従って内輪向けの技報などにレポートが載れば彼の立場では読めるし、場合によっては直接会話も交わせるだろう。

以前、そういうポジションをいいことに、ある大学の化学研究者で原子力ウォッチャーをしていた人(当時は推進派であった)に、核実験や査察の技術詳細で「原発専門誌に書いてある情報をチェックしている程度で調子に乗るな」的な暴言を吐いていた。専門誌にも載っていないのなら、どうやって同じ土俵で議論するのかは示そうとしなかった。表に出せない内部情報を笠に着た最低の態度であると同時に、何か東電に不都合な失態でもあったのかという疑念も沸く。

【最後に】

技術的には色々と細かい話は出来るだろうし、私も普段のブログはそう言った内容である。しかし、原発を実際に動かす人間の本性についても目を向けてから、再稼動の是非を決めることも、大切ではないだろうか。

私は、彼のような人物を放任してきた東京電力の姿を見て、一層信用が出来なくなった。現在は、休職中とのことで、そういう人物を復職させて原子炉の運転に就けるのは制度上は可能だが、明らかに抜け穴だろう。彼は自信家の割には抜けが見られ、自分の失敗には向き合おうとせず、そのエゴイズムのために心身不調となった。「車の運転に向いてない人」というのはいるものだが、彼は「原子炉の運転に全く向いてない人」だと思う。

肝心な事故対応時に重要なスイッチを押し忘れ、しかも嘘で塗り固める位のことは残念だが想定せざるを得ない。さらに言ってしまえば車ならまだしも相手は原子炉。ストレンジ博士的なリスクも考慮しなければならない。

それをやって滅ぶのは柏崎市のそれも金亡者達だけにして欲しいと思っている。また、彼のような極右的偏見は既に社会病理のレベルに達しているとも言われる。彼以外にも、本音が金目であるとか、何時まで経っても上から目線が抜けないなどの原発所員は(2011年の豚骨ベース事件などからも)地元で働いていれば勘付くものだろうし、その行き着く先も想像がつくというものだ。

※2018年6月7日、KEDO、中東派遣関連で追記。

※2018年7月1日、秘密会合を証明するツイートが見つかったので、【4】の後半を【5】に分割。

2018年4月29日 (日)

女川原発安全神話を守るため嘘をつく東北電力、再稼働の資格はあるのか

2014年8月に「-東北電力の企業文化は特別か-日本海中部地震津波では能代火力造成地で多数の犠牲者」という記事を書いた。

ネットで反反原発と揶揄されている、只の原発推進な方々が飛びつきまくり、ある種の界隈では飽きるほど流されているにもかかわらず、さも「マスコミには流れない真実の話」として、次のようなものがある。

東電福島原発が想定外の津波で事故を起こしたからと言って、原発そのものを全否定するべきだろうか。お隣の東北電力は女川原発を建設する時に、平井弥之助という重鎮が、古代から津波災害の伝承が被災地の神社に残っていることを知っており、言い伝えを元に敷地の高さを15mにするよう主張した。そのため東日本大震災で津波が襲った時も、間一髪で女川原発は助かった。平井弥之助のような精神が息づく東北電力のような企業文化なら、原発を再稼働しても良いのではないだろうか。

いい話だとは思うが、寓話臭が強く、その前提は正しいのか疑問を持っていた。そこで先のブログ記事で過去の事実を色々並べてみた訳だが、企業文化ではなく、平井氏個人のリーダーシップによるところが大きいと結論した。

それから4年近くの月日が流れ、勝俣恒久ら事故前の経営幹部3名を相手取って行われている刑事裁判で、驚くべき資料と証言が飛び出した。

福島事故前に、女川原発を対象に東北電力が行った津波シミュレーションには、同原発を水没させる15m以上の大津波を起こすとの計算結果が含まれていたのである。ここ数日、各社のトーンは異なるが、マスコミでもニュースで流れ始めたので、ご存知の方もいるかも知れない。以下、裁判を傍聴した添田氏のツイートから、当記事に関連する部分のみ抜粋する。

(中略。なお耐震BCとは耐震バックチェックの略。古い原発を後の知見で見直すこと)

しかし、そこは結果を出した東北電力のこと。脱原発派でも、「事故前にそんなシミュレーションをしているなんて誰も思いもしなかったのだし、聞かれなかったら東北電力だって答えないでしょ。今更裁判の証言で分かったからといって、責めることは出来ないよね」と思われる方もいるだろうと思う。

甘い。そういう忖度は止めよう。女川原発の神話を聞かされた時点で、完全に術中に嵌ってる。特に一般的なジャーナリズム関係者。すぐ脊髄反射的に話題逸らししたり、だから駄目なのだ。

【ただの情報隠しではなく、嘘】

この件は東北電力に取り、単なる情報隠しではない。嘘である。提示した資料が改ざんでされているのでなければ。

そこまで書くのは、2014年4月に下記の質問の回答を東北電力から得ていたからである。以下、本件に関する分抜粋する。回答文の着色部に注目して欲しい。

日付: 2014年4月10日 18:41
件名: 【東北電力】弊社HPへのお問い合わせへのご回答について

岩見 浩造 さま

3/16(日)にいただきました岩見さまからのご質問につきまして,それぞれ下記のとおりご回答いたします。

【問】東京電力は東日本大震災前に津波に対する社内外からの厳しい想定を複数回指摘されていたにも関わらず,様々な理由により津波対策を遅らせ事故に至った旨,各方面より指摘されています。御社において類似の経緯で不採用とした津波想定・対策がありましたらご回答願います。

※老婆心から申し上げますが,再稼動を目標とする立場から見たとしても,類似例があれば早期に公表して膿を出すことが,危機回避には有効かと思います。

⇒ 当社においては,類似の経緯で不採用とした津波想定・対策はございません。
以下のとおり,適宜,最新知見を反映した津波評価及び必要な対策を採用してきております。
・ 当社原子力発電所では,建設時に既往津波に関する文献調査,学識経験者の議論等を踏まえ,十分な敷地高さに発電所施設を設置するとともに,その時点での最新知見を踏まえ,都度,津波に対する安全性を確認しております。
・ 例えば,女川においては,1号機設置許可申請(1970年代)時に津波高さ3m(文献と聞き取り調査)としていた評価を,2・3号設置許可申請(1980年代ならびに1990年代)には津波高9.1m(数値シミュレーション)とし,津波への耐性を高めるため法面防護工を設置しております。
・  また,2002年に出版された土木学会手法により津波高さを13.6mと評価し,その後,潮位計にバックアップ装置を設置しておりますが,これにより,東北地方太平洋沖地震でも潮位を観測できております。津波監視に対する面でも対策が生かされたものと考えております。
・ これら検討,対策により,女川,東通原子力発電所ともに,東北地方太平洋沖地震により発生した津波においても,津波高さは,重要施設が設定された敷地高さ(女川:沈下後13.8m,東通:13.0m)を超えず,発電所※は安全に停止し,過酷事故の回避に繋がったものと考えております。
※東通原子力発電所については,地震発生時は第4回定期検査中だったため,運転を停止しておりました。
・  なお,東北地方太平洋沖地震後も,津波に対する更なる安全性対策として,防潮堤,防潮壁を設置しております。
・  以上,これまでの津波評価と対策の経緯をご説明しましたが,今後も最新知見を取り入れた評価,対策を実施し,発電所の安全に万全を期す所存であります。

【問】東日本大震災前後,再稼動に向け海抜29mまで防潮堤を作るそうですが,想定津波を大きくした理由を回答願います。

⇒当社はこれまでも(中略)回答に示しますとおり,その時点での最新知見を踏まえ,都度,津波に対する安全性を確認してきております。
・東北地方太平洋沖地震後も同様に検討を進め,東北地方太平洋沖地震等の最新の科学的・技術的知見や新規制基準に対する議論の動向を踏まえながら,安全最優先の観点から極めて厳しい条件(※)の下で津波高さを評価したところ,防潮堤に到達する津波の最大遡上水位が23mとなったものです。
・この評価により現在の防潮堤を上回ることとなりましたので,発電所の安全性をより一層高め,地域のみなさまにご安心いただくため,防潮堤の更なるかさ上げ工事を実施しているところであります。

・なお,現時点において,万が一,この規模の津波が発生したとしても,東北地方太平洋沖地震後に実施した緊急安全対策により発電所の安全性を損なうものではないと評価しております。
※東日本大震災などの知見をふまえ,複数の地震津波を想定し,局所的な大きな滑りがいずれの場所でも発生すると仮定するなど,極めて厳しい条件のもとで複数の数値シミュレーションを実施しています。

【問】質問というより要望となりますが,今後の事故対策リリースでは対策に際して不採用の提案を比較表を交え掲載頂きたく御願いします(そのようなリリースを実施済みであればご紹介下さい)。

⇒東京電力福島第一原子力発電所の事故につきましては,福島にお住まいのお客さまをはじめ,多方面に大きな影響を与えることとなり,当社といたしましても,同じ電気事業者として極めて深刻な事態と受け止めております。
今後の原子力発電の活用にあたりましては,これまで以上に安全確保を徹底していくことが,なによりも重要であるとの考えのもと,安全対策に取り組んでおります。
事故対策については,これまでもご説明してまいりましたとおり,新規制基準への対応など世界最高水準の安全を目指し,さまざまな対策を実施・検討しております。
対策の内容や実施状況については,地域のみなさまにわかりやすい情報提供が必要と考えており,ホームページでも公開しております。
こちらについては,発電所ごとに一覧表の形でお知らせをしております。


参考:女川原子力発電所安全対策実施状況
http://www.tohoku-epco.co.jp/electr/genshi/safety/safety/plan_onagawa.html


岩見さまからいただいた件につきましては,貴重なご意見として承り,
社内の関係各所で共有化させていただきたいと考えております。


以上

---------------
東北電力株式会社
広報・地域交流部

「当社においては,類似の経緯で不採用とした津波想定・対策はございません。」と東北電力は嘘をついた。私がこういう質問をしているのは、メディアがしないからである。今まで女川について書かれた記事を、全てではないがそれなりに見てきたけれども、このような質問の形跡があったものは、記憶にない。

なお、18m,22mといった計算結果は専門誌『電力土木』2012年11月号「女川原子力発電所における津波の評価および対策」などにおいても(当然だが)一言も触れられていなかった。

それどころか震災を乗り切ったことで、次のような文言さえみられた。

女川原子力発電所では、1号機計画時から、津波に対する安全性について種々検討し、余裕のある敷地高さとするなどの対策を講じ、2号機以降においても、時々の最新の知見を反映した調査・検討や必要な対策を講じてきた。

菅野剛(※1),大内一男(※2),平田一穂(※3)「女川原子力発電所における津波の評価および対策」『電力土木』2012年11月P20
※1:東北電力土木建築部 火力原子力土木グループ
※2:日本原燃(前 東北電力土木建築部 火力原子力土木グループ)
※3:東北電力土木建築部 副長

もう一つ挙げる。

女川原子力発電所が冷温停止に至った主な原因としては、第一に、敷地が津波最大高さよりも高かったこと、第二に、非常用ディーゼル発電機(DG)と外部電源が使用可能であったことである。前記に加え、適切な準備(例えば、耐震裕度向上工事、津波高さ予測評価の適宜実施、および火災や外部電源喪失に対する継続的な訓練等)が功を奏したと考えている。

渡部孝男(※1),小保内秋芳(※2)「地震・津波被災を乗り越えた女川原子力発電所」『エネルギーレビュー』2013年1月P7
※1:東北電力株式会社取締役原子力部長(前女川原子力発電所長)
※2:東北電力株式会社原子力部副部長(前女川原子力発電所 原子炉主任技術者)

これらの文章はいずれも、最新の知見を反映して対策をしたとなっている。だが18mや22mの津波では、敷地高を超える津波への対策が必要となるが、それをしていない。だから嘘だということになる。それも上は原発所長経験のある取締役から下は広報部社員まで一丸となっての所業である。

これだけ原発と大津波が問題になっている中でついて良い「些細な嘘」とは到底言えない。誰なのか、東北電力は嘘をつくように指示した責任者の名を明らかにする義務がある。

【敷地高を超えたら、海水ポンプは全滅し、非常用発電機は止まっていた】

実際は回答文の通り、対策をして安全が確保されたと認めたのは震災後であった。震災前、水密扉などの浸水対策は一部にしか行われていなかった。だからこそ、主要建屋の水密化工事が対策目標となったのである(『エネルギーレビュー』2013年1月号P8~9等)。

なお、上記とは別の機会に実施した質問への回答で、海水ポンプ類もまた、浸水対策をしていなかったことを知った。

日付: 2014年2月24日 21:48
件名: 【東北電力】弊社HPへのお問い合わせへのご回答について

岩見 浩造さま

東北電力でございます。

弊社ホームページにお問い合わせいただきましたご質問について,
添付しております資料により,ご回答させていただきます。
(データ容量の関係上,PDFにて送付いたします。)

弊社からの返信がこのような遅い時間となってしまい,申し訳ございませんでした。

(中略)

【問】「女川1号機運開後~東日本大震災発生」の間において、追加した津波対策があれば御教示下さい。例えば2000年代に原子力発電所の津波評価を見直し、想定津波は13.6mに引き上げられています。敷地高以下とは言え、標高高でのマージンは削られる結果となった筈です。

⇒(中略)

■海水ポンプ室のピット化
 女川原子力発電所では、除熱に用いる海水をくみ上げるポンプを、海面に近い港湾部に設置するのではなく、14.8mの敷地に海水ポンプ室(1,2号機)あるいは海水熱交換器建屋(3号機)と呼ばれる構造物を構築しており、
津波が敷地高を乗り越えないと水が入り込まない構造にしています。このため、東日本大震災では、13mの津波が来襲しましたが、敷地高を乗り越えて海水ポンプが冠水することはありませんでした。(後略)

以上

---------------
東北電力株式会社
広報・地域交流部

つまり、津波が敷地高を乗り越えると水が入り込む構造だった。

原発推進派によれば、平井弥之助は防災上の結果責任を重視し、そのためには法で規定された以上の対策を厭わない信念があったとされている。それが事実であるとしても、現代の東北電力に継承する者はいないということが、問い合わせ回答からも良く分かる。

常々指摘されているように、原発事故のリスクは津波だけではない。航空機衝突のように震災後も放置されたままの課題もある。対応可能なリスクでさえも対応しない行動パターンは反原発運動からよく指摘されるが、その信ぴょう性はいよいよ高まったと言える。

東北電力のような会社が原子力発電所を再稼働する資格があるのか?、とてもあるとは言えないだろう。私の差し伸べた手すら払うような人達なのだから。

【新たな疑問:平井氏は本当に最もリスクを高く見ていたのか】

今回の事態を受けて思い至ったことがある。平井氏自身はどこまで信用出来るのだろうか。会社組織として同じパターンで行動してきたならば、15mと決まった時点でそれ以上の高さの案は隠す筈だからである。工事誌の類が存在していても、不誠実な者が書けばその部分は省略される。

勿論彼は東電福島第一の敷地高を決めた小林健三郎などよりは信頼のおける人物である。しかし、小林氏の論文(過去記事参照)を見れば分かるが、15m程度の敷地高は70年当時循環水ポンプの経済設計が可能だった限界の高さでもあり、製作限界に合わせ込んで決定しているようにも見える。小林論文以外にも当時のポンプ関係の文献はかなり調査したが、ほぼ同様の感触を抱いた。

女川1号機は、原子力としても、専用港湾の建設としても当社初であった。また、敷地高さについては、社内での比較検討で15m程度を最適と考えていたが、発電所が立地する三陸沿岸は、古くから大きな津波による被害を受けてきた地域であることから、津波に対する安全性等について専門家の意見が必要であると考え「海岸施設研究委員会」を設置した。委員会の構成は、本間仁東洋大学教授・東京大学名誉教授を委員長として、土木工学や地球物理学等の専門家により構成(計9名)した(設置期間:1968.7~1980.8)。「明治三陸津波や昭和三陸津波よりも震源が南にある地震、例えば貞観や慶長等の地震による津波の波高はもっと大きくなることもあろう」といった議論のほか、当時の津波高さの経験式や、当時の研究論文などについても議論された結果、「敷地高によって津波対策とする」こと、「敷地高さは15m程度でよい」と集約され、この結果を踏まえ、主要建屋1階の高さと屋外重要土木構造物の地上高さを15.0m、敷地高さを14.8mと社内決定した。

菅野剛,大内一男,平田一穂「女川原子力発電所における津波の評価および対策」『電力土木』2012年11月P16

上記の文言は「集約」となっている。15mより低い値もあれば、より高い値を提示した者がいたのではないだろうか。

当然と言うべきか、この種の社内委員会の議事資料を東北電力は公開していない。町田徹『電力と震災』P251には、広報・地域交流部長相澤敏也の応対を受けた際、「議事録など確かな資料は残っていない」と書かれている。官界を上回る原子力業界の文書への執着を知る私にとって、その説明自体が非常に疑わしいが。

なお町田氏は平井氏について「処遇は恵まれなかった」と書いているが、すぐに裏は取れなかったそうである。当たり前だろう。部長止まりで関連会社に出向ならともかく、平井氏は只見川開発および新潟火力建設で多大な貢献が認められ、副社長として退任した人物である。町田氏は無意識に社長や経団連の重鎮クラスに収まる事を「処遇」の最低ラインに引いているのだろうが、成功者と見做すのが普通の感覚である。社内での技術論では、大きな権威を持っていたと考える方が自然なのだ。

むしろ、ここから見えてくる彼の隠れた欠陥は「大事なことを文書に残さない傾向にある人」、と言う姿だ。これは同じ種類の仕事を担当して失敗した小林健三郎が、文書を残すという点については別格に高く評価出来ることとの対比で明瞭になる。勿論、平井氏の後進が文書隠しに走ったために、そう見えている影響は考えなければならないが。

もし平井氏の主張、15mより厳しい津波を想定した人物がいたとすれば、それは社内の非主流派に属していたり、社外の識者なのだろう。今後検証が待たれる。

2018年3月11日 (日)

海からの原発テロを煽った青山繁晴氏は津波問題を隠した東電の加担者である

311からちょうど7年の歳月が過ぎた。

このブログを立ち上げてから、私も色々な問題点を明らかにしてきた。

東電福島第一の津波想定問題については特にブログ記事を多く書いてきた。40年運転した末の事故だから、それだけ問題を回避するチャンスも多くあったということを示してきたつもりだ。

これらの回避できるチャンスは大きく二つに分けることが出来る。一つは防災対策としての面。いわゆる津波想定を厳しくする機会が幾らでもあったという類の議論である。現在東電や国を相手取って行われている各種の裁判でも主流の問題である。

もう一つは、2016年から当ブログでも扱っている「テロ対策が防災対策の阻害要因になった」という事実関係からの追及である。下記がそれだ。

テロ対策を言い訳に反対派を追い出して爆発した福島第一原発

共謀罪の根底にある差別思想は必ず福島事故のような惨事を誘発する

2本の記事を書いて残った宿題は、「テロ対策」を助長したキーマンを殆ど掘り出せていないことである。防災対策の先送りをした戦犯達については、個人の責任特定が進んでいるのと対照的だ。

そのような中、事実上推進派のジャーナリスト石井孝明氏がテロ対策の貢献者として、ある人物を明記しているのを偶々目にした。

原発にミサイル? テロ? 対策は行われている」石井孝明(経済・環境ジャーナリスト) 2017.9.21(日本エネルギー会議HP)

その人物の名は青山繁晴。青山氏は元共同通信の記者で、1997年に同社を退職。911テロの少し前からセキュリティ関連の言論活動を始めた。一般にはチャンネル桜やDHC提供のTV番組や関西の報道番組に出演している右翼的なおじさんとして知られている。

以下、青山氏の言行を再検証してみたが、控えめに見ても防災情報隠しの機運をつくった加担者と言わざるを得ない。

【共同通信時代、安全神話に加担する】

青山氏は共同通信時代にチェルノブイリ安全神話を垂れ流し、福島事故後も正当化していた。

わたしは、かつて共同通信の政治部記者となる前に、大阪支社の経済部にいた時期があり、エネルギー担当記者としてチェルノブイリ原発事故に遭遇した。その際に「日本の原子炉は、チェルノブイリのようなひどいヒューマン・エラーがあっても自動停止するから、安全性は高い」という記事を書いた。この記事は今、再検証してみても誤報ではない。

「テロ標的の筆頭となる日本」『VOICE』2011年7月P172-173

誤報ではないが、解説記事なら説明は不十分だ。「チェルノブイリとは違う」という点を強調し、遂には原発事故について考えてはならないという下らない信念を抱く「専門家」を多数養成したのが日本の原子力業界である(当ブログ記事「【書評】松野 元『原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために』」参照)。過酷事故=チェルノブイリ限定、という奇妙なPRの片棒を担いだ数多の報道の一つにすぎず、この書きぶりは如何にも甘い。

なお、青山氏より踏み込んだ報道記事の実例として「原発過酷事故対策は安全か」(『朝日新聞』1994年2月17日朝刊4面)を挙げておく。タイトルからも推察できる通り、軽水炉の基本的な問題点を政治面も含めて要領よくまとめたものである。

【セキュリティ関連の経歴】

ただし、彼のセキュリティ関連の経歴は、論壇誌に寄稿するだけの評論家とは違って「本物」である。ここでいう「本物」とは彼の能力のことではなく、結果責任を問われるという意味だ。有識者委員だけで下記の通り(さらに詳細な経歴はリンク先など)。

    総合資源エネルギー調査会専門委員(経済産業省)
    海上保安庁政策アドバイザー
    原子力委員会原子力防護専門部会(技術検討ワーキング・グループ 核セキュリティ)専門委員(内閣府)
    国家安全保障会議の創設に関する有識者会議メンバー(内閣官房)
    日本原子力研究開発機構改革本部メンバー(文部科学省)
    消防庁第27次消防審議会委員(総務省)
    NHK海外情報発信強化に関する検討会会員(総務省)
    北近畿エネルギーセキュリティ・インフラ整備研究会 委員(京都府・兵庫県)

他に、旧防衛庁・自衛隊・警察等の上級職員や幹部を対象とした各教育研究機関で講義を受け持っている。また、共同通信を1997年に退職した後、数年間三菱総研に在職してノウハウを身に付け、2000年代よりシンクタンク「独立総合研究所」を旗揚げ、代議士になるまで10数年社長職にあった。

2001年の911テロ直後にはテリー伊藤との対談形式で『お笑い日本の防衛戦略【テロ対策機密情報】』という一般書を出している。巻末の帯に、防衛庁内の若手にかなりの心酔者を得ていると書かれている。彼は虚言も多く指摘されるが、近年の階層を問わない社会の右傾化を眺める限り、事実だったのだろう。

【テロリスクの例示に「海からの侵入者」を選択する】

テロ対策を言い訳に反対派を追い出して爆発した福島第一原発」でも2000年代のテロ対策強化については書いたが、中でも青山氏の提言・推進したテロ対策は重大な失敗だった。それは、海からのテロリスクを強調したからである。

テリー 日本の原発の現実を、本当は何よりも早く聞きたいな。

青山 「秘」に属するところは、いっさい言えません。しかし(中略)基本的なコンセプト(防護思想)の問題から考えてみましょう。

原発には冷却のために取水口と放水口があるわけです。原発は、海水で冷やして、温排水を流してということを永遠に繰り返しているわけです。(中略)平均的な原発で言うと、取水口、水を取り入れるほうはちゃんとカメラもあって、警備員もそれなりに配置していることが多い。なぜかというと、流れにのってサーっと来ちゃうかもしれない、という発想ですね。ところが、放水口のほうは、激流が流れ出ているから入ってこられるはずがないということで、カメラもなければ、監視員もいないのが普通です。ところが、さっきの(注:漂着してニュースになった)工作船とと一緒に水中スクーターが発見されてるんですよ。放水口の水流ぐらいは十分突破できる水中スクーターを現に日本の警察が捕獲しているのに、「ここは安全だ」と誰もいないし、何も防ぐものがなにのです。私があるところでそれを指摘して、せめてカメラぐらい置かなきゃいけない、と言ったら、「いや、たとえこの放水口をさかのぼっていっても、トンネルの向こうにあるのは巨大な壁で人間が登れるはずがない」と言うんですよ。私は、「そこまで言うなら、その壁も警察の方は見てますよね」って聞いたら、「見てる」って言うから、それ以上は言いませんでした。

ここで日本人が希望がもてると思ったのは、途中で保安主任が「ちょっと待ってくれ。やっぱり私、ひっかかるので、見てもらいます」って言ったんです。結構煩雑な手続きをして、私を中に入れたわけです。で、見たら、彼が絶対登れない壁というのは、トンネルから出てきたところに10メートルのコンクリートの壁があるだけなんです。これはそれこそお笑いの話で、あのコンクリートよりもはるかに硬い岩にアイゼンが食い込むでしょう。どこの登山用品店でも売ってる。しかもオーバーハングになってるところを行くんですから。こんな、ただの真っ直ぐのコンクリート壁ですから、北朝鮮特殊部隊だったら大体1分30秒ぐらいで上がってくるんじゃないかと言いました。

「第1章 いまそこにある日本の危機」『お笑い日本の防衛戦略【テロ対策機密情報】』P59-60(2001年)

ここで注目して欲しいのは、見学に至るまでの手続きだ。部外者が見るとすれば、誰であっても、同じ手続きになる。また、電力の言う「絶対」が相場通り、とてもいい加減な根拠しかないことも分かる。青山氏の描写は、一定の評価には値する。

だが、青山氏は最終的には電力と当局の本質的な欠陥を後押しすることになった。

テロリストに機密を知られたくないのなら、そのようなテロの脅威を煽ることは自殺行為である。しかも、警備する側も青山氏の余計な啓蒙のために、他の設備以上に気を使うことになってしまう。

しかし、海からの侵入者という想定は便利な公開情報として定着し、下記のように別の媒体にも連鎖している。後に検証する原子力委員会防護専門部会でも例示に使われている。

日本の原発は海水を高温蒸気の復水など冷却用に使うため、すべて臨海に設置されている。効率がいい反面、海からの侵入には弱いと言う弱点がある。とりわけ日本海側の原発にとって、そのリスクは大きい。最近ではこうした面への配慮も始まり、巡視艇による周辺海上の警備や潜水による進入探知のための監視も始まっているが、想定される北朝鮮などの訓練された工作員に対してどこまで有効かは疑問である。海上からの侵入阻止は、日本の原発にとって緊急の課題だ。

「しのび寄る「原発テロ」への備えは万全か」『THEMIS』2004年11月P91

もっとも、青山氏の想定には独創性が殆ど無い。

かわぐちかいじ『メドゥーサ』が1994年完結、小林源文『第2次朝鮮戦争―ユギオII』が1996年、麻生幾『宣戦布告』が1998年。青山氏の論はこれらの延長にあり、多少のディティールを追加しただけである。

【2000年代前半の原発テロ対策の法制化】

勿論、テロ対策の責任すべてを青山氏が負っているわけではない。制度的な流れも見ておこう。

法制的には2004年の国民保護法制定に際して海外からの原発テロに対し、行政が計画を定めるように求められ、青山氏も同法の制定に際して内閣府などが主催した「国民保護フォーラム」で講演している。

原子力の法規制にテロが位置付けられたのは2005年の原子炉等規制法の改正で、設計基礎脅威(デザイン・ベース・スレット,DBT。この位のテロリストまでは守れるようにしよう、という目安)の設定や必要な防護措置、具体的には防護区域などを設定することが定められた。

このような流れの中で、原子力安全・保安院は「核物質防護強化に関する原子力事業者への指導強化」「「核物質防護対策室」の新設」を実施した。警察庁はDBTの設定に際して脅威の情報を収集し、それを基に、関係省庁が集まって連携をして決めている(以上、原子力委員会防護専門部会準備会合議事、資料より)。

テロ対策強化は一見すれば良いことに思える。何故これが失敗だったのか。それは次の節を見ていくと理解出来る。

【右翼にとっても都合が悪すぎた市民団体からの指摘】

さて、福島県の共産党元県議伊東達也氏が中心となっていた市民団体は、2005年に次のような申し入れを行っていた。

原発の安全性を求める福島県連絡会の早川篤雄代表、伊東達也代表委員は5月10日、東京電力の福島第二原発を訪れ、つぎの「申し入れ」を行いました。

(1) チリ津波級の引き潮のとき、第一原発の全機で、炉内の崩壊熱を除去するための機器冷却用海水設備が機能しないこと、及び冷却材喪失事故用施設の多くが機能しないことが判明しました。(中略)

これまで住民運動の苛酷事故未然防止の要求を受けて、浜岡原発1号・2号機では3号機増設時に海水を別途取水するバイパス管(岩盤中に連携トンネル)を取り付け、女川原発の1~3号機では、取水口のある湾内を十メートル掘り下げて、機器冷却用水確保の対策を実施しています。
東電はこうした例にも謙虚に学び、早急に抜本的な対策をとるよう、強く求めるものです。

(2) 高潮のときに、第二原発の44台の海水ポンプが水没することも判明しています。
  想定される最大の高潮のときに、第一原発6号機の海水ポンプ14台が20㌢水没し、第二原発は1号機と2号機(各々11台ずつの22台の海水ポンプ)が90㌢水没し、3号機と4号機(同じく22台)が、100㌢水没することになります。
そこで東電は第一原発の6号機については土木学会が発表した直後の定期検査にあわせて密かに20㌢のかさ上げ工事をしました。
  しかし、第二原発の海水ポンプは「水密性を有する建物内に設置されているので安全性に問題はない」として、今日まで何の手も打っていません。
  
これに対し私たちは再三、海水ポンプ建屋を見せてもらいたいと申し入れをしましたが、テロ対策上見せられないという態度をとり続けています。
  これは、テロ対策を理由にした「悪乗り」としか言いようがないものであり、黙過することのできないことです。

  2002年に発覚したあまりにもひどい事故隠し、改ざん事件を経て、二度とこうしたことを繰り返さない、
今後は包み隠さず情報公開に努めると県民に約束したのは、いったいなんだったのかといわざるを得ません。わたしたちは強く抗議し、また、海水ポンプ建屋を公開するとともに、抜本的な対策をとるよう求めるものです。

チリ津波級の引き潮、高潮時に耐えられない 東電福島原発の抜本的対策を求める申し入れ」原発の安全性を求める福島県連絡会代表 早川篤雄 2005年5月10日(PDF

海水ポンプは原子炉で発生した熱を海に逃がすために重要な施設である。また、非常用ディーゼル発電機の多くは船舶用エンジンの転用なので、海水ポンプを介して冷却している。そして、テロ対策は防災対策のための見学申し入れともろにバッティングしていた。

青山氏が描いた見学手続きと比較すると、市民団体から申し入れがあった時、応対した東電原発の保安主任は希望の持てない人材であり、福島県警も同様の失敗をしたことが分かる。

なお、福島第二の海水ポンプが置かれていた建屋(海水熱交換器建屋)は原子炉建屋より低い位置にあったので、311の際には結局浸水し、多数の海水ポンプが機能を失った。水密対策をしているという説明は方便だったのだ。

福島第一の海水ポンプに至っては、以前紹介した空撮の通り、剥き出しだ。

Toudensekkei30nenp88

『東電設計三十年の歩み』1991年7月P88。赤で囲った場所に海水ポンプが密集配置されている。

【内部を見せるのは反対運動のせいと主張しながら、細部を説明する】

しかも、青山氏の問題認識は決定的に内向き志向だった。

青山 原発テロ対策のもう一つの問題点は、日本の原発は世界の原発の中でも一番内部を見せる原発なんです。

テリー それはなぜですか。

青山 
反対運動を気にしているからです。テリーさんもテレビで見たことあると思いますが、どこの原発でも、原子炉の上にまで人を入らせるでしょう。原子炉の上に立って、「この下が原子炉です。この下で原子力がいま燃えています。これぐらい安全です。」って解説までしてくれる。そのまわりのコンクリートは、確かにある評論家がテレビで言ってたように、飛行機が当たっても簡単には貫通しません。ジャンボ機が来たらほんとはだめだろうけども、普通の戦闘機ぐらいなら大丈夫だと私も思います。ところが、実際に現場で上を見上げたら、天井は普通の天井だとわかります。そうでないと重たくて構造が持たないんです。日本は地震国ですから、危なくて天井を厚く、重くはできません。これはすべての原発でそうですし、公開している現場でも誰でも見ることができますから、私も話ができます。そうすると、天井に人が取りついて、そこを開けるのは、小さな爆薬でいい。しかも、その下には使用済み燃料を入れてるプールの水が露出してる。だから、天井に取りついて、小さい穴をあけて、そこから爆弾を落とすだけで、落としたやつは死ぬけれども、そこから出た死の灰が日本中をかけめぐるわけです。評論家は自分の目で上を見上げて、この天井はどういう構造かとチェックしてない。しかし、工作員やテロリストは、見学者としてやってきて、それを見ます。

テリー 
ということは、別に北朝鮮の特殊部隊やアルカイダである必要はないよね。俺たちでも小さな爆薬を持っていけば、穴があいちゃうわけだ。

「第2章 いまそこにある原発の危機」『お笑い日本の防衛戦略【テロ対策機密情報】』P102-103(2001年)

確かに911テロが起きるまで、日本の原発見学は普通の工場見学と大差のない、開かれたものだった。青山氏が活動を本格化させる前から、東電はこの種の運動に対し、屈折した感情を持っていたが、もし、伊東達也氏等が2000年に見学を希望していれば許可したかも知れない。

青山氏が見学した原発だが、条件に当て嵌まるものはBWRだろう。即ち、下の階に使用済み燃料プールと原子炉(圧力容器)がある構造で、且つ、「ただの普通の天井」があるというとBWRのオペフロである。PWRの格納容器の天井は厚いので、彼の説明とは矛盾するし、使用済み燃料プールを収めた建屋は格納容器の外だからだ。東電の原発だったのかも知れない。青山氏は事故直後に福島第一の吉田所長を尋ねているが、東電とどのような関係にあったか懇切丁寧に説明すべきだろう。

独立総研は、同書のような問題意識でもって大量のレポートを納入したのだろうが、それは海水ポンプ津波対策の欠陥を隠す結果にしかつながらなかったのである。

市民団体に海水ポンプを見せていれば、正面から批判を受け、津波対策を迫られたのは明らかだ。だが、青山氏には「質問する人は工作員だから見学させてはいけない」との思い込みがあったのではないか。

一方で、テリー伊藤氏は早速「俺たちでも」と指摘している。このことは、本質的に思想が無関係なものとして、警備方法を考えなければならないことを示していた(ネットによくいる、気の振れた自己中心的で破滅主義のミリタリーマニアを見ればすぐわかることでもある)。

なお、「津波対策は学者や技術者達がしっかりしていれば、彼等に任せておけばよいこと」などと反論したい方がいるかも知れない。しかし、彼等がちっとも自分達のなすべきことをしなかったことは、添田孝史『原発と大津波』『東電原発裁判』や当ブログの様々な記事で論証済みである。

【電力会社を庇い、情報公開を否定する】

青山氏の原発テロの警鐘に関する主張を読んで気が付いたことがある。よく見ると政府(警察・自衛隊・経済産業省)は批判することもあるが、電力会社には基本的に文句を付けないのだ。

青山 原子力や放射能を扱う限りは警備については別枠で考えなければいけません。

 これはむしろお願いのようなものですけれども、テリーさんにこの機会によく記憶して頂きたいのは、ある政府高官、いまはもうOBになりましたが、この人が私に言った言葉は、橋本内閣のときに電力会社側と原発テロについても話し合ったと。ところが実は政府のほうの印象として残ったのは、その元高官の言葉をそのまま引用すれば、「電力会社は本当のことを言わない。電力会社の言うことを聞いていたら、原発というのは無限に安全であって、槍が降ろうが空爆されようが、もう絶対に放射能は漏れないのだと言うから、もう勝手にせいとなった」ということでした。

テリー ははぁ。そのとき青山さんはどういう反応をしたんですか。

青山 私は、「この責任を電力会社に負わせて”嘘つきだ”というのは間違いでしょう」と言いました。だって政府に本当のことを言って何かしてくれるでしょうか?橋本内閣が動いたでしょうか?むしろ変な形でマスメディアにリークされるのがオチでしょう。

テリー なるほど。たしかにそういう見方はできますよね。それでは青山さんはどうしろと?

青山 ですから発想の転換をしてほしいのは、警備に関してはすべてを国民に公開する必要はありません。むしろしてはいけない。これは機密事項です。私はマスメディアにいたからこそ、それをきちんとお話しできると思います。でも日本では一部のマスメディアをはじめとして、原子力発電に対しては、先入観に凝り固まった攻撃がなされるわけですから、どんどん情報公開しなければいけないということばかりが先行していて、もう新聞を読むだけでも相当なマル秘の情報を中国や北朝鮮は入手できます。しかもその公開情報に基づいてさらに非合法のスパイ活動も行っているわけですから、彼らの持っている情報は非常に細かくてディティールに踏み込んでいて、しかも正確であると考えなければならない。

「第2章 いまそこにある原発の危機」『お笑い日本の防衛戦略【テロ対策機密情報】』P108-109(2001年)

詳述は別の記事等に譲るが、安全神話を垂れ流したは事実である。青山氏の凄いのは、嘘をついていることを知った上で庇う所で、もう徹底している。また、情報公開まで否定している。同書の出版された2001年は旧原子力安全・保安院が発足した年で、情報公開が進んだ筈だったが、大津波の想定を軒並み葬った経緯は福島事故まで隠され続けた。そのため、国会事故調でも「規制の虜」論として批判された。

青山氏の電力会社擁護の矛盾を更に一つ指摘すると、東電や関電は1980年代に世界最高水準の航空機衝突耐性を持つ西ドイツの原発建屋の設計を取り入れようとして、結局諦めたことがある。そのため日本の原発建屋の壁厚はドイツの3分の2しかない(当ブログ関係記事)。青山氏は戦闘機の突入程度なら大丈夫だと主張しているが、それは比較的軽量な退役済みの機体に対しての話である。2000年代の主張として見ても適切ではない。

【「IAEAの基準」以下だった福島第一の海水ポンプ】

青山氏は『VOICE』2005年10月号にも2ページの記事を投稿しており、MP5短機関銃を装備した武装警官を各原発に常駐させたことで、物的なセキュリティ能力は世界最先端になったと書いている。

しかし、この寄稿にも彼の間違いを見つけることが出来る。

原子炉とその建屋は、IAEAの基準により分厚いコンクリートによって覆われているから、特殊部隊の火力でも破壊するには時間を要する。その時間は原発によって異なる。これをシミュレーションなどによってきちんと計っておき、破壊されない時間内に、軍の部隊が原発に到着できる態勢をとっておくことが現実には有効だからだ。

「日本の原発は無防備か」『VOICE』2005年10月号

建屋で覆われている場合、メリットは防災上もあり、窓を無くし、換気口を上部に誘導したり、出入り口を防水扉に替えてしまえばかなり強固な津波対策が簡単に取れる。原子炉建屋をそのように作っている事例は福島事故の前からあり、浜岡原発などは広報記事で自慢していた。敷地を超えて津波がやってきても最低限のことはしていますよ、という訳だ。

しかし、海水ポンプは原子炉建屋から数十m離れて海岸沿いにある。建屋で覆わず剥き出しで置いてある原発も多い。その典型が福島第一で、以前は見学で簡単に確認出来た。青山氏の言うようなIAEAの基準が作られ始めたのは1970年代後半からだが、この原発は、その前に建設され、そのままの状態で放置されていた。

こんなことは20人余りのスタッフを擁する独立総合研究所で受託した各種調査報告を見直すだけでも確認出来た筈だし(出来ないようなセキュリティレポートなら、価値は無い)、彼が視察した時点でも分かる話だったのではないだろうか。

【原子力委員会専門委員に就任し、それまでの成果を自讃する】

独立総合研究所のウェブページの説明(リンク)によると政府が警備を強化したのは2004年12月であるという。市民団体の申し入れより前である。わざわざ明記すると言うことは、彼の心酔者が取り入れたという側面があるのだろう。

もっと明白な証拠もある。彼は、2006年12月には原子力委員会(原子力防護専門部会)専門委員に就任した。専門部会の議事(一部は議事要旨)は公開されている(リンク)。その準備会合の時に、武装警官の常駐を決めた時のいきさつを自讃している。

青山 9・11同時多発テロがあってから、日本は世界で唯一全サイトに24時間武装機動隊が常駐している国になっているわけです。世界で日本だけです。最初それを決めるときに、私ども独立総合研究所も政府機関といろいろ協議をしたのです。その協議のなかで、機動隊が武装して、しかも拳銃ではなくて、MP5という機関銃まで持って守らねばいけないような危ない施設なのかという声が地元から出ないか、それが心配だという議論が、事業者はもちろんのこと、政府機関からも多数出たわけです。ところが、実際に行ってみると、反対運動が高まるどころか、むしろ地域にきちっと説明がなされて地域の理解が深まった面がある。

原子力防護専門部会準備会合 議事 2006年12月27日

だが、彼の弁とは異なりテロ対策を悪乗りとして異議は唱えられていた。彼は市民団体が見学できなかったことについて結果責任がある(なお、この議事で青山氏以外に反対運動に言及した者はいない)。

更に呆れるのは、安全規制とシナジー効果があると当局共々思っていたことだ。

青山 資料第2号の3ページに「安全規制と防護とのシナジー効果」とありますね。それはそのとおり、僕もシナジー効果が必ずあると思っているし、それから川上委員のおっしゃった「今まで日本は安全に随分努力してきたのだから、それに例えばテロ対策のようなものも加えていく」という考え方で賛成です。

原子力防護専門部会準備会合 議事 2006年12月27日

実際にはこの時点で既に真逆の事態が進行中だった。

なお、専門委員の任命は内閣総理大臣安倍晋三だった。なお、共同通信では政治部記者だったため、青山氏は安倍晋三とは安倍晋太郎の秘書時代からの付き合いだと言う。2009年のTV番組によると、食事する仲のようだ(リンク)。その後を見ても安倍友、飯友の類と言って過言ではないだろう。

安倍晋三といえば、第一次安倍内閣時の共産党吉井秀勝氏との答弁で述べた「全電源喪失否定発言」が知られるが、テロ対策を強調して市民団体を軽んじた経緯にも安倍が責任者として背景にいることが分かる。むしろ、彼の思想による弊害としては、こちらが本質的と言えるだろう。

また、青山氏は専門委員としてメルトダウンの脅威に対策するように説いて回ったと、原発事故の後になって何度も言っている。はだしのゲンの鮫島某とは違って恐らく事実の一端は示していると思われるが、任命者が電源喪失しないと国会で見栄を切ったことについては今回の資料収集では何も出てこなかった。

【事故直後、脱原発デモより先に『立ち上がれ日本』で菅政権を誹謗する】

青山氏は事故直後の2011年3月20日に、政党『立ち上がれ日本』の集会で「菅政権は恥を知れ!最低・最悪の震災・原子力対応」などと積極的に政争の具として講演を行った。

これはよく右派が批判する最初の大規模脱原発デモ(素人の乱主催。2011年4月10日)より早く、また、電力関係者が参加していると述べていた。また、この講演で菅直人の福島第一訪問を批判しているが、翌月に自らが訪問するなど、ある種の模倣的行動に出た。

【事故直後、津波が原因ではないと主張し目を逸らそうとする】

青山氏は2011年4月に吉田所長を訪ねた。5月13日には、その経験を元に参議院予算委員会に呼ばれてこんなことを言っている。

原子炉建屋は実は津波の直撃を受けた段階ではまだしっかりしていた。

勿論、これは後の事故調査報告で否定され、3ヶ月後に2008年の15.7m社内想定が報じられた。

彼は何でこんなことを言ったのか。

情報が無ければ色々な仮説は立てるものだが、当時から推進派も「原因は津波」が主流の意見であった。だから彼も「実は」と切り出した。

市民から「大津波の想定」について、文句が出ていることを電力を通じて聞いており、警備上の理由から情報公開すべきではないとコメントしたのだろうか。正直、その程度の会話なら私的なメールや会食でも伝えられる。

そこまで直接的ではなくても、懇意にしている電力の思考を忖度して先回りした可能性もある。

【メルトダウンの脅威が非公開情報だったと主張する】

青山氏は次のような奇妙な主張を行っている。ネットに残っている彼が出演したTV番組の書き起こしも大同小異である。

今までは「開示できない非公開情報」であり、今となっては非公開の意味が全く失われた情報がある。

それはこの情報だ。(中略)「原子炉が自動停止しても、その後に冷却が止まれば、原子炉の中の核生成物が出す崩壊熱によって、数時間でメルトダウンが始まる。テロリストがその弱点を知ったうえで冷却を止めてしまえば、極めて重大な事態となる」

「テロ標的の筆頭となる日本」『VOICE』2011年7月P172

まず、非公開という主張がそもそも嘘と言って良い。

崩壊熱のリスクは、福島事故前でもネット、或いはその辺の図書館や大型書店の原発棚で手に入る程度の情報に過ぎなかった。何冊も出ていた原発震災警鐘本も基本的なメルトダウンに至る原理に大差はない。これは、事故前から原発反対派が様々な警鐘を行っていたことや、3月11日の晩に、各方面からメルトダウンの可能性がコメントされたことからも明らかである。

しかし、青山氏と同レベル以下の思い込みの激しい人物が集まると、メルトダウンに対しての理解がデタラメとなっていった経緯について納得は行く。いわゆる右派軍事ブロガーJSFによる「馬鹿は黙ってろ」事件や、大阪大学教授菊池誠による「メルトダウンではないだす」発言などである。

電力業界の安全神話の他に戦犯がいるとすれば、青山氏のようなセキュリティを売り物にする人物による中途半端な情報の垂れ流しが原因だろう。JSFのような軍事オタクは後者の情報を又聞きで記憶していた可能性が高い。

勿論、セキュリティ方面で出回っていたデタラメは、彼だけが原因では無い。次に示す読売新聞社の月刊誌『テーミス』の記事は、より「馬鹿はだまってろ理論」で知られるJSFの主張に酷似している。

原発自爆テロは、一見容易にみえて、実は核物質奪取以上に実行可能性は低いといわれる。原発の大半は核分裂の暴走が起きないよう三重四重の防護措置が組まれており、しかも「すべての反応が安全サイドに動くよう設計されている」(原発関係者)からだ。運転員自身が意図的に暴走を図っても、原子炉はいうことを効かない仕組みになっている。(中略)現在、世界の主流となっている加圧水型(PWR)や沸騰水型(BWR)では、核分裂の暴走は理論的にも起きないようになっている。

原子炉そのものを破壊しようとするのも無理な話だ。圧力容器、格納容器は数十センチメートルの更迭、1メートル以上のコンクリート壁などで出来ており、テロリストが入手可能な爆弾、ミサイルでは到底、破壊は不可能だからだ。日本の原発は9.11テロやジェット戦闘機の衝突に対しても原子炉に致命的な損傷が起きないような強度設計がされている。

「しのび寄る「原発テロ」への備えは万全か」『THEMIS』2004年11月P90

JSFや菊池誠等が撒いたデマの検証作業は岩波に投稿するような階層の物書きからは「下らない事」と思われていたようで、『科学者に委ねてはいけないこと』に収録された影浦峡氏の表現に典型的に表れている(私もある市民団体の幹部に「捨て置けばいい」と言われたことがある)。勿論、彼等の典型的な甘さであり、2015年頃以降から、原発以外の分野でも様々な右派のフェイクニュース叩き本を出さざるを得なくなった。少しずつでもいいから、こういう作業は進めるべきである。

【青山氏の主張は何が間違っているのか】

大体以下にまとめられる。

  • 勉強すれば分かる程度の事実は書名タイトルにあるような「機密」ではない。
  • 機密ではない以上、彼の本は売名のためのビジネス目的である。
  • ビジネス以外に目的があるとすれば、純粋なテロ対策の警鐘ではなく政治活動である。実際、安倍晋三等と親しく、再三の自民党からの打診をOKして政治家となった。
  • 反対派の指摘は真摯に受け入れ、TV番組や雑誌記事で積極的に紹介するべきだった。
  • 当然のことながら、テロ対策・防災対策の不備は原発反対運動のせいではない。何故なら所有と運営の主体が電力だから、理屈としても実務としても成立しない。過去に当ブログで論じた通りである。
  • 情報公開を狭めれば社会からの批判に目を背け、原子力政策を誤り、防災対策も疎かになると理解していない。その根本は日頃からのリベラル・左翼批判に見られる「反対派の主張は誤ってなければならない」という偏見にある。
  • 「テロ対策を警鐘したが、電力がそれを受け入れなかった」から福島事故が起き、責任を感じているそうだが、理屈としては通らない。青山氏の負うべき責任は左翼批判とテロ対策を煽った結果、東電がそれを方便とし、反対派に津波に無防備な海水ポンプを見せなかったことにある。またそのような電力の態度に気付きながら庇ったのは青山氏である。

【本当に取るべきだった解決策とは】

このように書いてくると、テロ対策と防災対策は両立しないかのようにも思えてくるが、もちろんそんなことは無い。

なお、私も原発が核物質の巨大貯蔵庫でありセキュリティリスクが高いことは了解しているので、現状に準じた警備は必要と考える。311後は、陸自幹部OBによる問題提起があることも知っている(矢野義昭「今の自衛隊、警察では原発を守れない」2011年6月10日)。一般的にネット右翼は藁人形論法や「無防備主義」などのレッテルを貼ってくるので、予め書いておく。

似た事情は立地自治体の市民団体にもあり、防災訓練や対策の強化の申し入れは以前から新聞の地方面でも報じられていた。例えば『朝日新聞』2002年2月9日朝刊島根1面等)。

海水ポンプや取水路・放水路がテロに脆弱ならば、土木工事を伴なう改造を施せばよかっただけのことだ。例えば、福島第一の場合は、建屋を作って覆うとか、非常用海水ポンプとその建屋を増設するべきだった。きちんと水密化すれば防災上の耐久性は見違えるほど向上しただろうし、建屋の壁を厚くしたり、装甲を仕込むことによって、携帯火器で抜けないものにすれば物理的な防護度は格段に向上する。

もし、そのような工事が不可能ならば、テロ対策と防災対策は両立出来ないことになる。つまり、テロ対策上も、装甲された建屋で覆わないのであれば、武装警官達が防衛に失敗すれば簡単に破壊されてしまう。その状態で永遠に放置される。

そんな施設には存在価値が全くない。出来ないと分かった時点で運転を中止すべきだっただろう。

以上の2方策のいずれかしか、事故前に推進者が選ぶ道は無かったと思う。

事故後、原子力委員会防護専門部会はサブテーマとして「福島第一原子力発電所事故を踏まえた核セキュリティ上の課題と対応」を議論したが、公開された議事録を読む限り、市民団体の見学拒否に関する反省は一切していない。津波や避難の問題では法的責任こそ認めないものの、何らかの反省の意思は責任者達から示されているが、こいつ等にはそれすらも無い。

なお青山氏もやるべきことがある。「森友学園頑張ってくださいねー♪」動画など、原発以外の案件でも様々な味噌を付けていることを批判されているが、当ブログとしては過去の歪んだテロ対策に加担した責任を取って、代議士を辞め、言論・講演活動の内容を大幅に見直すべきだと結んでおく。

※文中、評判の確認と訓話的な意味でツイートを引用した。

2018.3.18:原子力委員会防護専門部会議事、資料の検証結果を追記、反映。

2018年2月 1日 (木)

福島第一の敷地高を決めた東電小林健三郎とはどのような人物だったのか

東電の、今で言う総合職で、最後は取締役待遇クラスまで上り詰めた小林健三郎と言う技術系幹部が、福島第一の敷地高決定の中核にいたことは下記のブログ記事で明らかにしてきた。

東電事故調が伝えない事実-津波に対する考え方を整理出来なかった小林健三郎- 2014.05.06

津波記録が容易に入手出来ても敷地高に反映する気の無かった東電原子力開発本部副本部長小林健三郎 2014.06.23

その小林健三郎は、実態の良く見えない人物だったが、実は311の10年前に亡くなっており、この度同氏の追悼文集を入手した。

私が公共性の高い事項としてつまびらかにしたいのは原子力発電に係った観点からの彼の人間性と技術観である。それ以外のことは特に明らかにする意味も無い。

なお、追悼文集について史料批判的見地から予め述べておくと、故人のプラス面を結晶化するために書かれたものであるというバイアスがかかってはいるが、私的な場での見解は本音で語られていることが多いと考えられる。

【1】高知に生まれ、旧制高校卒業まで生活する。

小林健三郎は、1912年(大正元年)12月8日、高知県で生まれた。以降市内旧制城東中学、旧制高知高校(現:高知大学)を卒業するまで地元で生活した。ナンバースクールには行かなかったということになるが、普通の旧制高校でも勉強が出来る者は帝大に合格するだろう。

実は、一番驚いたのがこの件だった。何故かと言えば、彼は後年博士論文「わが国における原子力発電所の立地に関する土木工学的研究」(1971)で、全国の原発適地を調査した時、高知県の沿岸部も含め、太平洋岸に原発を建てるなら、湾奥を避ければ敷地高(海抜)10mもあれば十分だという趣旨のことを書いていたからである。

これは、高知で生まれ育ったなら、あり得ない記述である。

実は、私の親族にも戦後、1960年代に高知高校(旧制とは別の私立高校)を卒業するまで高知で暮らしていた人がいる。その人に小林論文の話をしたところ、同じ反応であり、特に須崎の辺りは特に津波が高くなる場所なのは地元では常識、そもそも文献だけでなく古老が言い伝えてきた筈だとの答えを貰った。その後、311以前の地震・津波に関する文献を色々調べてみたが、やはり湾奥でなくても宝永津波のような10mを超す記録が残っており、元地元民だった親族の相場観を裏付けるものだった。

高知は三陸に次ぐ津波常襲地帯であり、歴史津波の記録は理科年表にさえ一部が載っている。それらを読めば、上代まで遡るまでも無く、記録は幾らでもあるのだ。神社仏閣に津波碑も残っている。

それどころか、1920年代位までは、古老自身が津波の体験者であった可能性もある。当時、高知に大津波をもたらした最も新しい記録は安政南海地震(1854年)だからだ。旧制高校に通えるような良家の子供であったと思われる小林少年は、古老から生の体験談を聞かなかったのだろうか。

和歌山では安政の津波を元に例の「稲村の火」で祭事化まで図って伝承していることと比較すると、この差は余りに大きい。

よって、小林健三郎は自らの博士論文で意識的に虚偽の記載をしたと言えるのである。

【2】京都帝国大学土木工学科を卒業する。

1935年3月、小林健三郎は京都帝国大学土木工学科を卒業した。後年、博士論文を提出したのも京都大学であり、親族を京都に連れて行っては当時の思い出話をしたのだと言う。

この時、同窓だったのが黒井俊治という土木技術者で、彼も電力土木、特にダム関係に進んだものらしく、ciniiでは関係論文がヒットする。

後輩だったのが小林料と言う人物で、東電でも原子力立地や送電線建設において小林健三郎と一緒に仕事をした。そのため『京大土木百年人物誌』という記念誌にて簡単な経歴紹介をしている。また、小林健三郎の死後に『「生真面目」でいいじゃないか』という自身の半生を振り返った著書を出している。

【3】神戸市役所での勤務を経て海軍施設部に徴用される。

最初の就職は神戸市役所だったのだが、6年経った1941年5月、国民徴用令に基づき、海軍に徴用された。施設部時代は、宮崎に飛行場を建設し、後に特攻隊の出撃基地として使われたとのことで、年を取ってから旅行している。1945年3月技術少佐に任官する。

また、1945年8月6日には江田島におり、原爆投下直後の広島に部隊を率いて救援活動に向かったと書かれている。

戦後の小林は、当時一般的だった陸軍悪玉、海軍善玉論を引用し、総括していたようだ。「陸軍は、まっすぐしか物事を見る事しかできないが、海軍は世界の情勢を常に知る事を訓練されていたので柔軟性があった」などと言っていた。まぁ、自分がいた組織への贔屓目と論壇での総括の受け売りだろう。特に平成期以降、ネット右翼に媚を売ってるパフォーマー以外は、陸軍も海軍も悪玉だったというのが常識的な相場観である。

【4】東電に入社してからの経歴

戦後は、運輸省に短期間在職した後、建設会社小林組、次いで協同建設を立ち上げ取締役社長となるが、事業は軌道に乗らず解散に追い込まれる。だが、この時広島に本社を置く発光建設の創業者と知己(元々京大土木→徴用令で海軍施設という経歴も一緒だった)になり、その息子宮内輝司が追悼文を寄せている。発光建設は海洋土木が専門で原発港湾の防波堤なども整備してきた実績のある企業だ。

その後、石原藤次郎京大教授(防災工学、水理学)の推薦で中途入社したのが東電で、1953年2月のことだった。日本発送電が九分割されたのが1951年5月だから、1年9ヶ月しか経っていない。

東電に入社した後は、基本的には千葉県市川の自宅から通った。なお、晩年までこの地で過ごしている。

1950年代の仕事の一つには横須賀火力の立地調査があり、リタイア後に再訪している。

1959年7月には早川水力建設所長となる。

1960年2月には本店に呼び戻され建設部土木課長となる。この頃、小林より6年早く大学を卒業し(東大)、日本発送電より更に前の東邦電力時代から生え抜きである田中直治郎は、工務部長としてTAP(東電社内の原発研究プロジェクト)に参加していた。小林健三郎がどうだったかは分からない。だが、田原総一郎『ドキュメント東京電力』の第一部によると、建設部長代理時代、原子力発電準備委員会のメンバーになっていた。原子力発電準備委員会は本店に設けられた組織で、1964年12月に発足している。少なくともこの頃には原発との付き合いが始まったことになる。

1965年12月には原子力部長代理となる。

なお、後に原子力開発の生き証人としてよく引き合いに出される豊田正敏は1945年に東大卒、福島第一所長や副社長の経歴がある池亀亮はその更に数年後に大学を卒業しており、小林健三郎とは10年以上の世代の違いがある。

さて、1967年1月には原子力開発本部副本部長福島原子力建設所(駐在)となる。しかし、福島第一1号機の設置許可申請は1966年7月、敷地高が正式に決まったのはその時だ。今まで敷地高決定の中心にいた、という書き方をしてきたが、この時期に社内でどのような動きがあり、小林健三郎がその中で何を何時決めていったのかは明らかではない。

1970年5月、取締役就任。電源立地と公害問題を総括する環境総合本部副本部長となる。福島第一の後も、広野町への火力立地(後年の広野火力発電所)を提案するなどの功績がある。

1971年7月には取締役公害総本部副本部長となる。また、同年2月に提出していた博士論文が認められ、工学博士となる。

1977年6月には常務取締役送変電建設本部長となる。下郷線などのルート選定のため、自ら各地を視察して回った。

1980年3月には日本原燃サービス(現、日本原燃)設立に伴い、同社副社長となる。

1984年6月には日本原燃サービス社長となり、六ヶ所村再処理施設の基本計画に係わる。

1987年6月には日本原燃サービス顧問となる。

1989年7月には東電の顧問となる。

1997年4月には、脳梗塞で倒れ東電病院に搬送される。倒れる少し前までは、東電の土木OB会にも積極的に顔を出していた。

2001年7月14日、東電病院にて召天。

飛行場建設と聞いてピンときたことがある。福島第一の敷地は陸軍の飛行場跡地を利用しているという事実だ。

『原子力発電所と地域社会』(日本原子力産業会議)、『東京電力三十年史』他、専門誌記事等を読み返しても、元々飛行場だったことに触発されたという記述は無く、この種の重要施設に相応の事前調査の末に決定した旨が書かれている。しかし、小林の個人的経験として、飛行場建設は身体感覚で染みついていた筈である。そして、土木から見た飛行場適地とは、平坦で広大な用地が確保出来る地形となる。この特徴は原子力発電所の適地に求められる条件の一部と共通する。

なお『歴史群像』で太平洋戦争期の研究記事を多数投稿している古峰文三氏は次のように述べている。

 

もっとも、福島第一は、圧力容器を始めとする長尺重量物の輸送、及び冷却水取水の都合から敷地高10mとなり、その造成工事には膨大な機械力が投入された。規模は戦時中の飛行場建設とは比較にならない。

ただ、1964年の用地買収後に公表された最初期の構想では、出力は一回り小振りの35万kW級だった。なお、東電による現地の詳細調査は用地買収後で、小林が準備委員会委員となった時期と重なる。この調査で、初めて造成規模の巨大さを数値化したのだろう。

よって、用地買収前に構想していた出力、そして造成規模は更に小さかったと思われる。傍証として、中部電力が1959年に検討した『186MW沸騰水型原子力発電所の検討』という資料のモデルプラントは、海抜25m前後の海岸丘陵地帯への建設を想定しているが、掘削土量は『土木技術』1967年9月号に報告された福島の120万立方メートルに比べ、僅か17万立方メートルに過ぎない。

恐らく1960年代前半の東電は、現実の福島第一ほど広範囲の掘削造成は考えずに買収を決断したのではないか。そして、その判断に小林の体験が反映されていたのではないだろうか。勿論、この推測の当否は今後の資料発掘次第なのだが。

東電時代は土木が専門だったこともあり、鹿島、飛島、間、熊谷、奥村などの各社トップとの付き合いも多かった。プライベートに仕事は持ち込まなかったが、「特定の人の派閥には属さない方がいいよ」と漏らすこともあった。

なお、原子力を専門とする職位についてから僅か7年で博士論文を提出した動機は書かれていなかった。元常務取締役の野澤清志、元東電常勤顧問の小林料といった当時の同僚、部下もその辺の事情は明らかにしていない。原子力部長代理になる前から火力立地での経験に加えて原発の勉強をしていたのかも知れないが、それにしても、上級管理職相当の仕事をしながら6年で博士論文は尋常ではないという印象を、私は持つ。そのこと自体は、「凄い」の一言である。

また、大学研究者的な目線で、博士論文を書くと言う行為の意味を考えると、自分の仕事に最終的な責任を引き受けたということでもある。生前、他者の助言で書けた旨常々言っていたそうだが、それは誠実さの表れであって、敷地高決定や適地選定の責任を誰かのせいにはしていない。

小林論文の査読者は主査が高橋幹二、他に彼に東電を紹介した石原藤次郎と、海岸工学が専門の岩垣雄一であった(京大リポジトリ)。通常、原発の設計に責任を持つのは電力会社/メーカー、および規制側だが、福島第一(および同じ思想で建設された福島第二)の場合、その敷地高の根拠が論文になったという特性上、この3名も歴史的評価に晒されねばならない。

特に、藤原藤次郎は逸話の多い人物である。『科学研究費の基礎知識: 文部省の制度・運営・審查を複眼でみる』などを読むと、伊勢湾台風を契機に特定研究(災害科学)研究の予算を継続的に確保し、京都大学防災研究所の発展に尽力した一面を持つ。この時代の文部省科学研究費特定研究(災害科学)研究報告集録には津波研究に触れたものがあり、丁度藤原が防災研究所の所長だった頃である(同1963年版目次参照)。

その反面、小林論文執筆の頃、土木学会会長を努めたり(1968~1969年)、 天皇と呼ばれて多数の門徒を育成した(日本リスク研究学会 2007 Newsletter No.2 [Volume.20] October)。防災のため学閥拡充が必要になると教え子を就職先から何人も大学に呼び戻した(ダムインタビュー(60)中川博次先生に聞く。 藤原より5年後輩の小林に声がかかったかは不明だが、若手には多かった)。他、学長選挙に立候補して落選するなどした。石原のリスク観については十分解明できていないが、土木学会会長、或いは業界の天皇と呼ばれる人物の弊害を考えると、余り明るい見通しは抱けないと思う。

【5】地質学への造詣

孫の1人には小学校の頃鉱石図鑑を買い与え、大学生でも持っていないような重厚な出来栄えのため、その孫が成人してからも難解で読めない程の水準だったとされている。

彼の地質学に対する拘りが良く分かる。また、60歳近くになって書いた先の博士論文は相当思い入れがあったものらしく、その様子は各人の追悼文からも伝わってくる。

【6】木川田一隆を礼賛する。

個人としてキリスト教を信仰するに至ったこと(後述)以外では、俗世の人士として木川田一隆を尊敬し、影響を受けていた。年の離れた親族にプライベートで何度も語っており、木川田が亡くなってからも墓が近かったので度々お参りしていたというから、事実だろう。

原子力の技術者達の技術観や人生観を知るために、後の我々が参照する資料は何と言っても社外の専門誌に投稿した論文が多く、それらは経営者に対する所感を語る場ではない。取締役クラスの技術者になると業界誌での対談機会も出てくるが、そこで語られる言葉は「よそ行き」の言葉であることは留意しておかなければならない。特に、木川田が現役の際は、部下がそのような場で反旗を公然と示すことはまずない。従って、この証言にはとても価値があるのだ。

電力業界や財界での「木川田信仰」は彼が死んだ後ではなく、生きている頃から存在していたようで、電気新聞などの業界誌では通常よりワンランク上の持ち上げ方をされていることが多い。その批判として代表的な物は斎藤貴男『「東京電力」研究 排除の系譜』である。要旨としては、結局は社の事業に忠実なロボットを量産するための方便でしかなかったというものと理解している。

私が入手した資料の中に、東電学園高校が2000年代に閉校した時に発行した記念誌がある。そこに書かれているカリキュラムが、平日は1~8限まで詰め込む徹底振りで、しかも寮制が基本だった。また、半世紀の歴史の中で卒業生は数万人いるが、女子は最後の数年に採用した100名に満たない。確かにロボット製造の場で(しかもミソジニーとも親和性あり)だったのではないか?と言う疑問が沸いてくる。

その木川田を尊敬する小林健三郎が、ある親族が新社会人となる際に教え諭したことの中には、「社命には私情を挟まず従いなさい」という一文があった。他のことは誰でも納得出来るような訓戒だったので、違和感を感じた。

確かに、東電や原子力業界を批判する文脈でも「利益相反」への批判は「私情を挟まず」に通じる物がある。しかし、ここでいう私情には「異論」も含まれるのではないか。社命が社会正義に反していた時にどうすればよいか、という視点がすっぽり抜け落ちているのは、木川田礼賛のマイナス面ではないかと感じるのである。

【7】20年以上教会に通った後に、受洗する。

私がこの点について注目するのは、キリスト教への関心が丁度博士論文を書いた頃に起こったからである。先に、ある親族が入信し、小林健三郎当人もその後、20年以上日曜日の礼拝を始めとして、背広姿で教会に通い続けたものの、入信は1987年まで躊躇い「私は仮免だから」と周囲に謙遜していたのだと言う。

従って、葬儀はキリスト教式に執り行われた。

さて、大規模な不祥事や事件、戦争などが終わった後の感慨としてよく次のようなことが言われる。

一神教には戒律があり、神と契約している者は嘘に対して疑問を持つことが多い。よって彼等は周囲の態度で物事を決めるのではなく、自主的に(或いは神に照らして)その行いに間違いが無いかを考えようとする。

牧師が出てくることから小林が入信したのはプロテスタント系なのだが、カトリックだとよく罪の告白を教会で行うなどの場面を(創作とは言え)ドラマなどで見かける。

では、小林健三郎は自らが誇りにしていた博士論文兼会社として行った原発適地の選定レポートにおいて犯した間違いを、告白しただろうか。

明らかに公にしていない。追悼文集にもそのような話は出てこない。

実社会とは基本的に嘘がつきものなのは、洋の東西を問わないが、原子力は特に問題のある嘘が多いことで知られる産業である。小林は原発建設の他にも、日本原燃サービス社長として、再処理施設の基本構想を取りまとめる仕事に参加したが、身を引いた後、積極的に真相を語ることはしなかった。

一口にキリスト教信者と言っても信仰のあり様は人それぞれである。だからこそ、他宗教(無宗教)を含めた優劣を問うことはしない。ただし、彼の場合、信仰は東電や日本の原子力発電が幾つも重ねた虚飾を剥ぐ力にはならなかったのである。

なお、追悼挨拶の代表は同じ教会で知り合った元千葉県知事、川上紀一であった。彼もまた、知事時代の末期に5000万円の政治献金を受ける代わりに便宜を図るとの念書を書いたスキャンダルを起こして辞任した人物である。もっとも、彼は自分が念書を書いたことは認めて知事を辞職したのではあるが。

追悼文集であるから、教会関係者の彼に対する態度は生前の善行・勤行に対する礼賛に満ちている。中には町の開発に係る問題が起こった時、知己を辿って某鉄道会社の元重役を相談相手に紹介したこともあるのだと言う。だが、それらは東電社員としての生き様とは切れた世界での話だ。本当に善行だったとしても、東電での活動とはリンクしない。

はっきり言ってしまえば、彼等のような経済的上流階級のキリスト教信仰は、得てして、自らの悪行を誤魔化すための手段でしか無かったのではないだろうか。吉田昌郎氏の般若信教信仰が、東電本店時代、津波対策を先送りした不作為に、何の役にも立たなかったように。

原発事故に宗教観を持ち出して説明する言説には元々疑問を持っていたが、この件ではっきりしたような気がする。事故を防止するハードとして五重の壁やECCSがある一方で、特定の宗教観や思想にそれが求められることもある。しかし、どのような宗教・思想をもってしても、何時も「作動」するとは限らないということである。

【8】晩年、原子力発電を推進したことが正しかったのか、悩む。

往時は京大土木工学科の同窓生を福島第一原発に招いて案内するなど、彼は自分が敷地高を決めた原発に自信を持っていたようだ。

しかし親族によると、晩年は原子力を推進したことが日本や人類にとって正しかったのか疑問を持っていたのだと言う。そしてメモ帳に次の日経社説を切り抜いて取っていた。

環境の世紀を迎えるにあたって私たちはさまざまな観点から環境問題を取り上げ、対策を提案してきた。(中略)環境問題の原点は、人類が自然界の一員であることを自覚し、自然を征服することで作り上げた文明のあり方を問い直し、見直すことから始まる。言い換えれば自然の破壊・開発を持って文明としてきた人類の歴史を、自然との共生・調和の方向に作り変えていくことに他ならない。人間中心主義とも言える自然観、文明観を転換し、宇宙船地球号の一員として自らを律し、その知恵と能力を自然との共存共栄のために使うことでなければならない。(中略)自然の本質を理解し自然界の法則を探る科学は、その思考構造において、宇宙の創造主である唯一絶対の神の存在を信じるキリスト教のそれと似ている。唯一存在である神のへの帰依は、真理の探究を使命とする科学の誕生を用意したと言える。(後略)

「自然との共生、新しい文明を-環境の世紀への提案-」『日本経済新聞』1995年5月29日

なお、1980年代に東電会長を務めた平岩外四は小林健三郎が亡くなったことについて話に上った際、「あの時代の原子力は良かったですね」との言葉を残したと言う。

電力業界で自分のした仕事を博士論文にまとめる取締役クラスの幹部は非常に珍しい。その意味では小林健三郎は今で言う情報公開性についてフェアな視点を持っていたのだろうが、逆に言えば、小林健三郎自身に不安があったからこそ、敢えて世に問うたのではないだろうか。原発適地の選定のレポートなど、自分の築き上げた地位にしがみ付く「普通の電力幹部」は絶対に博士論文になどしないからである(柴野徹『原発のある風景』参照のこと)。それが1980年代とか1990年代になってから、不安が確信に変わってきたのではないだろうか。

もしそうであるならば、日本原燃の社長を引いたのちに、何の発言もしなかったのは、失敗である。最低でも、後輩の、例えば1990年代当時50代から60代初頭位だった現役幹部達を相手に「あの研究は古い知見だから」などと警鐘を鳴らす位の事は、するべきだった。そうすれば、ボールは東電や電事連或いは官庁に投げられ、後輩も「実績ある諸先輩への忖度」の縛りから解放される。

実例もある。東北電の技術者平井弥之助氏が女川原発の敷地高を15mにするように強行に進言したのは今では調べれば分かる話だが、氏は1961年に東北電力を退職し、OBの立場で設計検討に助言している。また、平井氏は中部電力浜岡原発建設に際しても設計の研究会委員に参加している(『浜岡原子力発電所1号機建設工事誌』1976年5月)。このためか、浜岡原発は海水ポンプこそ福島第一のように剥き出しだが、原子炉建屋は1号機から防水扉を有していた(中部電力問い合わせメールへの回答)。

小林健三郎は「青臭い若造の正論」に耳を傾けることもあったという。しかしその位の事は、社会的に高位を得た年配者にはよくある話。私の個人的な経験でも、東電原子力部門の幹部級のOBは、リタイア後、業界団体で工学部の学生と討論をしたり、秘密裏に反対派と議論を交わすなどの行為にふけっていたが、彼自身が原子力に対する考え方を翻して反対派に加わったという話は、ついぞ聞いたことが無い。故に、こうした挿話も歴史的観点からは批判的に見なければならない。

【9】残された未解明の課題

色々あるとは思うが、敷地高に際して一つ宿題を残しておく。小林健三郎は自己の研究で女川地点の敷地高もまた10mとしているが、彼が福島第一の敷地高を決めた数年後、平井弥之助がOBの立場から女川に関与している。これが時系列である。お互いの判断や技術観が、どのように映っていたのかは実に興味深い。

2017年12月11日 (月)

【今こそ皆で】東京電力が隠蔽した津波安全神話のパンフレット【宣伝しまくろう】

原発の分野では宣伝・広告のことをPA(パブリックアクセプタンス)と称し、多額の予算を費やして多くの奇妙な広報が行われてきた。

この問題については既に本間龍『電通と原発報道』『原発プロパガンダ』、早川タダノリ『原発ユートピア日本』、或いは朝日新聞が出版した幾つかの福島原発事故本で様々な検証が進められている。

だが、多くの読者、そして各種訴訟当事者にとって本質的な疑問であるのは、直球の原発安全神話、中でも津波や電源喪失に対する安全神話を断言したものである。

原発宣伝の作り手は巧妙であるため、パンフレットのような紙に残るものでは、間接的なアプローチによる安全神話の浸透が多用されてきた。

  • 有利な点のみを語り、不利な点を伝えない
  • テクノロジー、空撮、女優、ポンチ絵などをバックにイメージを前面に押し出す

などの方法である。意外にも「事故は絶対に起きません」「津波が来ても大丈夫」と断言したものは余り数が多くない(それでも放射能、地震に関しては福島事故前から関心が高かったので、直接的な断言も多く見られる)。

今回、東京電力が行った津波安全神話の広告が発掘されたので、ここに紹介する(下記画像は敢えて3MBで掲載)。

Tepcogenshiryokuhatsuden198905p1920

『げんしりょくはつでん』P19-20東京電力営業部サービス課 1989年5月

ただし、上記ページだけでは東電とは分からないので表紙も載せる。恐らく小学生用だったのだろう。

よく見ると、文章と絵がちぐはぐである。敷地を高くしているのに津波がそれを超えようとしている。とてもまともな監修者がチェックしたとは思えない代物だ。こんなデタラメ説明をしていたのなら、福島第一が敷地を超える津波で水没したのも納得である。

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次に目次を示す。

Tepcogenshiryokuhatsuden198905p1p2

我々の受け止め方、使い方だが、まずは、東電による津波安全神話の存在を広く知ってもらうため、ツイッターなどで拡散して頂ければと思う。元が宣伝用の冊子なので、ある意味向いている。特に、未だに原発推進を説く業界人のツイートにリプを返す形でぶら下げるのはとても効果的だろう。目障りなツイートの減少も期待出来る。

【補論:東電の津波PAに何故そこまで拘るのか】

以下は、過去の経緯や訴訟に関心を持っている方向けに書いたものである。パンフレットの醜悪さは見れば分かるだろうから、運動家が特に無理して読む必要はない。ただし、これまで原発問題について書かれた書籍では扱いの薄い、津波とPAについて主軸にしていることだけ予め述べておく。一言で言えば、菊池健、宅間正夫、竹内均といった80年代以前に東電が用意したPA師達によって、今日の地獄に至る道は「丁寧な説明」によって舗装されたのである。

宣伝用パンフレットによる、原発の津波安全神話は、次のものが知られていた。

文部科学省:「わくわく原子力ランド」(2010年、関連togetter

福島県:アトムふくしま1990年11月号他

したがって、国や県に対しては原発広告の面からも直球の批判を加えることが出来た。だが、意外にも東京電力については、自社のHPに記載されていた簡単な案内以外に、津波に言及した宣伝は発見されていなかった。

何故発見されなかったかと言うと、福島事故後、業界をあげて消して回ったからである。

その後事故の深刻さが明らかになると共に、原発プロパガンダに手を染めていた企業や団体は脱兎のごとく証拠隠滅に走った。原子力ムラ関連団体はそれまでHPに所狭しと掲載していた原発CMや新聞広告、ポスターの類を一斉削除したのだ。

事故以前、東電のHP上には様々な原発推進広告が掲載されていたが一斉に消去され、二〇〇六年から新聞や雑誌広告と連動させてHP上でも展開していた漫画によるエネルギー啓蒙企画「東田研に聞け エネルギーと向き合おう(弘兼憲史)」もいち早く三月末には削除した(中略)。

さらに原発プロパガンダの総本山である電事連さえ、原発に批判的な記事をあげつらって反論していた「でんきの情報広場」の過去記事を全て削除した。NUMOも、過去の新聞広告やCMの記録をHPから全部削除した。そして、資源エネルギー庁も、HPに掲載していた子ども向けアニメ「すすめ!原子力時代」などを削除した。また、二〇一〇年から大量の原発広告を出稿した東芝も、自社HPの広告ライブラリーから原発に関連する広告画像をすべて削除した。

(中略)カネに魂を売って安易に作り続けてきた作品群は、カネの切れ目が縁の切れ目とばかり、あっさり闇に葬られた。

本間龍「証拠隠滅に躍起になったプロパガンディスト」『原発プロパガンダ』第4章 岩波新書 2016年4月

本間氏が書いている通り、東電や電事連は、宣伝を消して回った。用心深く事に当たっていたから、津波安全神話を作らなかったのではない。これは推測だが、むしろイメージ広告が主体の紙メディア掲載済みのものは囮として活用し、より問題ある上記のようなタイプの宣伝を最優先で削除していたことさえ私は疑っている。特に東電の場合、東京レコードマネジメントという自社グループ専門の文書管理子会社を持っていることは、注目されても良いと思う。

最近、ネットの質問サイトでも事故前の宣伝の酷さを知らない人が「安全神話なんて本当にあったのですか」などと書き込んでいるのを何回か見かけたが、困ったことだと感じている。添田孝史氏の最新刊『東電原発裁判』でも、福島県の計画している原発事故の展示施設が、いずれも過去の安全神話に切り込む姿勢に消極的という報告がある。

そこで、民間の収集家の出番となるが、こういったパンフレット類は一過性のものであり、「史料」として認知されにくい。大量に消費されていてもほぼ100%近くは捨てられる。ことに原発反対派の場合、有害図書としてすぐに捨ててしまう向きも多かったのではないだろうか。時が経つと、こういった証拠の品は有用なのだが(だから原子力「情報資料」室は推進派以外にも嫌っている人がいたのだろう)。

なお、存在自体がそのまま訴訟に繋がり得る広報は、私が収集した中でも、黎明期から次のようなものがある。

【事例1:菊池健(福島民報、1976年)】

この時は、新聞社が女性向けセミナーを主催し、サービス・ホール(第一原発併設の展示施設)に連れて行った。サービスホールで案内したのは館長の菊地健氏。その様子を1面使って報告した、今で言うPR記事が載った。そこで決定的な一言が記録された。

地震にも大丈夫

発電所などの施設は、太平洋に面した標高三十五メートルの台地を標高十メートルまで掘削し、主要な建物はすべて耐震設計。わが国は地震が多いだけに不測の天災が気になるところだが、菊池さんは「施設は丈夫な岩盤の上に鉄筋を縦横に組んでいるから、関東大地震の三倍の地震が起きてもビクともしませんよ。」と胸を張る。また、津波にしても延長二千八百メートルの防波堤が大抵の大波をシャットアウトしてしまうという。

新しいエネルギー原子力 民報女性社会科教室」『福島民報』1976年11月9日6面

津波シミュレーション、堆積物調査の技術が無かったとは言え、開口部のある防波堤でシャットアウトとは随分といい加減なPR振りである。あの防波堤は外海の一発大波や暴風時の高潮には効果があるが、津波防波堤としての機能は(公開された仕様には)規定されていない。しかも津波警報が発令された際は昔から4m盤は無論のこと、10m盤からも退避するのが習わしであり、緊急時のマニュアルにも取り込まれていた。

【事例2:宅間正夫(政経人、1982年)】

これは外部電源喪失の問題なので津波とは異なるが、PAとしては殆ど存在していないので、挙げておく。それは『政経人』という、『電気新聞』のような業界誌にしか広告を出さない、電力業界向け月刊経済誌に載っていた。インターネット普及前の日本には、こういう一見怪しい提灯雑誌だが、妙に業界の内情にも詳しい定期刊行物が結構存在したのである。そこに、1970年代原子力部門で設計・建設を担当したある東電技術系幹部社員の言葉が載った。

一ヵ所にまとまって建っていれば、港湾や道路の他に共同で使えるものはたくさんある。(中略)送電ももちろん、発電所の中に変電所をつくり、まとめて一気に送っている。ただ、この送電線が事故や地震などでいっぺんにやられないかという心配があると 思うが、今の技術から言って、変電所や送電線は一寸した地震には十分耐えられるし、故障しても直ちに保護装置でその波及を防ぐといった設計になっている。 これは原発に限らず電源が集中的に固まっているところの送電設備や変電設備は、「保護システム」が非常に高度に出来ているので、いっぺんに全部やられると いうことはほとんどありえない。

東電・原子力発電の現況-卓越した実績を元に着々計画進行」『政経人』1982年10月号P84

彼については2014年の記事で取り上げているが、その後、2017年に書いた記事で、1982年当時でさえそのような考え方が誤りであったことを示した。しかし宅間は、東電OBとして、2000年代に原子力産業協会の副会長、原子力学会会長まで上り詰めた。

【事例3:日米規制当局の警告を無視(1989年、福島民報)】

1980年代、深刻な原発事故が相次いだことを受けて、シビアアクシデント対策が議論されるようになった。この時に東電が示した消極性は事故の遠因としてこれまでも色々な文献で言及されているが、事後証言と文章表現的には巧妙に書かれている公式文書に頼った、曖昧な表現に終始している。しかし、米NRC(原子力規制委員会)がベントが確実に出来るように改造するよう勧告を出した時、東電は次のようにコメントしていた。

現時点で対策不要 東京電力の話
今回の米国の動向については十分承知していた。日本の原子力発電所では事故発生防止を最優先に安全性が高められており、現実に炉心溶融など起こるとは考えられない。現時点では、そのような事故の影響を緩和する対策を講じる必要はないと考えている。

予め断っておくが、ベントすべきかどうか自体は無条件で賛成すべき見解ではない。ベントにより地元は汚染されるためである。したがって、この記事にある資源エネルギー庁のコメントは当時の回答としてはまずまずである。同じ東電のコメントを載せた、福島民友ではエネ庁の見解が「基礎的な勉強中の段階」と完全な否定ではないことも伝えている。東電がおかしいのは、理由としてリスクではなく完璧な安全神話を持ってきていることである。インターネット時代以前のPAはそれなりに巧妙に書かれているものだが、このコメントはそうした巧妙さとは無縁で、東電技術陣の傲岸な態度がありありと刻印されているので、価値があるのだ。

その後、1990年代になって日本の原発は確実にベントすることを目的とした改造を実施し、福島事故の際はベントすることが目標となった。

このように、傲岸不遜な態度については、ストレートニュースなどの形でメディアにも記録されてきた。今回の発見で欠けていた重要なピースが嵌ったと言える。

【第二次行動計画(1989年)で強化された原発PA】

このパンフレットが作られた1989年とはどういう年だったのか。

当時電力業界の営業・広報関係者および記者クラブ関係者、代議士事務所をターゲットにして書かれたと思われる『開く見える動くいま東京電力』(マスコミ研究会、国会通信社刊 1990年)という1冊の本がある。何故か国会図書館には納本されていないのだが、当時の東電の経営戦略の概要が解説されていて非常に興味深い。

その内容をそのまま引用するとブログ記事がさらに長くなってしまうので、簡単にまとめるが、私にとって意外だったのは、当時東電原発広報が何故、前のめりになったに関しては、どうも2つの理由がある事だった。

(1)チェルノブイリ/福島第二3号機事故/地震予知対策

既報の幾つかの研究に触れられているように、事故、取分けチェルノブイリ事故(1986年)による反原子力運動の高まった時、業界内では巻き返しが必要と説かれた。こういう事故が起こるとまともな感覚ならその技術を使うことを躊躇ったり、他の危険性などが無いか用心深く点検するようになるものだが、欠陥を矮小化する動きが必ず現れる。

同書に先立って1989年に出版された『21世紀の主役宣言 いま東京電力がおもしろい』第7章によると、通産省は省内に「原子力広報本部」を設け、電事連(当時の会長は東電社長だった那須翔)も組織替えで1988年4月より「原子力PA企画本部」を設置した上、各社の広報担当常務会でこれをバックアップすることとした。

また、『開く見える動くいま東京電力』第9章などによると、1989年7月、東京電力は全社的な経営戦略として「第二次行動計画」を策定していた。平岩外四を会長に据え、那須の下で、原子力PA活動は重点課題の一つと目された。それまで企画部の中の広報課に過ぎなかったPA担当の部署は第二次行動計画を機に、広報部として独立し、スタッフも拡充された。

危機を背景に「弁の立つ」人間が太鼓を叩いて予算取り、と言う訳だ。

特に東電の場合、1989年1月に福島第二3号機で再循環ポンプ事故を起こしており、この対応にもナーバスとなっていた。このため第二次行動計画に先立つ1989年4月の人事で、福島駐在のPA担当を設置し、菊地健・送変電建設部長が就いた。同書では福島に原発を続々建設していた時期に「地元対策で奔走した」と紹介されている(実際、手元の1981年の人事記録には立地総合推進本部 第二立地部(原発などの電力設備の用地取得などを担当)に就いているのが確認出来る)。だが、ここでは上述の通り、1976年にサービスホールの館長として語った津波PAが新聞に掲載された「実績」に注目したい。東電では、津波安全神話を騙る人物が昇進したのである。

なお、上記【事例3】で取り上げたベントの記事は、菊池健の異動後の出来事である。記事を読むと、共同田崎特派員と署名されている。つまり、米国駐在の共同通信田崎記者が書いた記事の配信を載せている。しかし、過去記事データベースで検索すると、福島の2紙だけがこのコメントを掲載しており、通産/エネ庁のコメントは各紙各様の表現となっている。よって、コメントは東電本店ではなく、後述する福島PA担当の「作品」の可能性がある。

もっとも、1980年代末時点では地方紙で過去記事データベースを導入していないところも多かったので、河北新報、新潟日報、茨城新聞、静岡新聞、北國新聞、西日本新聞など他のBWR型原発のある地元紙が導入済だったのかを原紙や縮刷版を含めて確認しないと、確実なことは言えない。福島民報はデータベース導入前だったようで、縮刷版で確認した。また、「田崎記者が東電ワシントン事務所に確認したが、配信記事では福島2紙以外が削った」という可能性もある。

チェルノブイリ事故や福島第二再循環ポンプ事故は今でも文献を紐解けば載っている「鉄板ネタ」である(特に前者は)。だが、当時の東電にとっては、面倒な事態に成長し得る種がもう一つあった。

福島県内の総合月刊誌『政経東北』1989年2月号に「福島県沖に”地震の巣が・・・県の震災応急対策は万全か”」という8頁に渡る特集記事が載ったのである。記事によると、1987年春にM6クラスの地震が5回続いたことを受け、1987年5月、地震予知連が「極端に大きなものは発生しないであろうが、M6-7クラスはあり得る。津波が発生することもあり得る」と見解を発表していた。それから2年後に、『政経東北』はこの件を蒸し返して福島県を歴史的には大地震のあった場所などと危機を煽った。

『政経東北』記事では原発震災への言及はされていない。以前、反原発運動に長年従事している東井怜氏から伺ったことだが、昔は、反原発陣営の中でも地震や津波を軽く見る人がかなりいたらしい。なお、地震学者の石橋克彦氏が阪神大震災からの想像で「原発震災」を提唱したのは1997年のことだから、89年時点ではまだ提唱は無かった。

地震の危機を煽った3ヶ月後、『政経東北』1989年5月号に再循環ポンプ事故を起こしていない福島第一所長の石井敬二へのインタビュー記事が掲載された。彼はそこで、安全対策の定番トークに加えて津波に言及した。

津波対策ですが、過去の記録から想定される最大水位上昇を考慮して、敷地の高さは十分高くしてあります。

安全優先の発電所運営を推進 石井敬二・東京電力福島第一原子力発電所所長に聞く 」『政経東北』1989年5月号

丁度、今回紹介した小学生向けのパンフレットが製作された時期と被っている。今見なおすと、部門を超えての連動企画を立て、年代とメディア別にPAしていたのだろう。

東電が建設時に、重要な海水ポンプを配置している4m盤と原子炉建屋のある10m盤の位置付け整理出来なかったことは以前のブログ記事で指摘した。後述のように、89年時点では既に4m盤の安全は保証出来ない状態だったのだが、社内でどう整理していたかは未だに良く分かっていない。東電が技報などの開示を拒否しているからである。

さて、1989年6月には(この分野に関心のある向きには有名な)加納時男原子力本部副本部長が取締役に選任された。この人事で、当時すでに社内でも専門性を盾に、他部門から隔絶し始めていた原子力本部から加納氏を取り立て、タテ割りの弊害に意識革命をもたらすというのが名目だった(今の目線で見ると、原子力本部の方に意識革命が必要なら、何故その中から取り立てるのかは理解に苦しむが)。そして『原発プロパガンダ』でも指摘されているように、バブル期以降、広報予算は更に潤沢となったのである。

加納が業界誌に応じたインタビューでは「成功例」も述べられている。『電気情報』1989年3月号によると、彼が「朝まで生テレビ」に出演する度に電話での反響があり、名前を名乗ってかけてきた人とは話をするようにしていた。話を交わしたある女性は、加納が出演を繰り返す度にスタンスに揺らぎが生じ、3回目の出演後に遂に「転向」を表明したという。これは恐らく事実だろう。そのような「成果」が無ければPAに自信は持てないからだ。今でこそバカバカしく見えるのは確かだが、彼等の宣撫能力まで過小評価をしてはいけない。

(2)電力需要の過大見積もり

バブル時代の好景気は電力需要を想定以上に伸ばし、1987年に総合エネルギー調査会が出した長期エネルギー需給見通しを上回った。この結果、需給見通しは修正を迫られ、1990年に修正した新しい見通しでは、2010年までに原発40基を新規に稼動し、電力需要の4割以上を原発で賄う計画だった。一方で、電力会社は装置産業のため膨大な設備投資を迫られ、財務体質は悪化していた。正に、総括原価制様様だった。

しかしこのような姿勢は安全のための、直ぐには儲けに繋がらない投資を尻込みさせる動機を生むものでもあったと考える。そこで、津波のような原発建設後に厳しく評価されるようになったリスクには、広告で乗り切った方が安く上がるというマインドが働いたのだろう。

(3)1989年当時の福島第一は2011年当時より更に脆弱

勿論、津波対策が只の宣伝紙切れとはとんだお笑い草だ。

過去に色々書いたが(関連記事)、1980年代時点で福島沖の津波シミュレーションは公表されたものがあり、潮位を考慮すると最低でも6m程度の高さに備えなければならないことは明白であった。東電はその問題に対して最初のネグレクトを行い、後に電力業界と癒着する津波工学者、首藤信夫は『電力土木』1988年11月号で関係者に問題提起(リンク)を行っている状況であった。

また、宮城県は防災計画の参考のため県南でこれまで起きたことの無い津波を想定した(関連記事)。続いて東北電力が仙台平野で貞観津波の痕跡を探すため、堆積物調査に着手、当時建設中だった女川2号機では、津波シミュレーションを採り入れ、1号機の時採用した3mという津波想定を9mに引き上げた。福島第一1号機(1971年運転開始)で採用した小名浜港でのチリ津波実績値3mを、15年以上後の福島第二4号機(1987年運転開始)まで10基に渡って踏襲した東京電力とは雲泥の差であった。

なお、1989年当時、福島第一には空冷の非常用発電機は無く、既存の非常用発電機は全て海水冷却に頼っていた(空冷の非常用発電機は1990年代末に増設完了)。津波が4m盤を超えてディーゼル冷却海水系ポンプが水没すれば、非常用の交流電源は全滅である。3.11後の訴訟で10m盤を超える津波が焦点になっている理由の一つは、空冷の非常用発電機なら10m以下の津波に対しては安全性を確保できる、という前提があるからだろう。

また、1987年の福島県沖地震では新福島変電所で一部機器の破損があった。それ以上の規模の地震が来れば変電設備の全滅(=外部電源喪失)は容易に想定出来た。東電は1983年の神奈川県西部地震の時には変電設備全体の更新を進めたが、1987年の福島沖地震の時は、原子力が重要だと認識していたにもかかわらず、碍子を取り換える程度の対応に留まった(『変電技術史』11章P558-559、1995年)。誰がこの決定に関わっているかはまだ解明していないが、菊池の前職は送変電建設部長である。

よって、1980年代末に算定会が考えていたようなM8.2程度の地震が起きれば、碌に追加対策もしていない福島第一は、全交流電源喪失により2011年の事故と同様の事態に至ったと考えられる。1980年代に想定された10m以下の津波を、今再検討する意義はここにある。

【地震予知批判者が安全神話を説いていた皮肉】

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このパンフレットの監修者として竹内均の名がクレジットされている。まぁ、今後は原発安全神話の戦犯として記憶されることになろう。

彼は、プレートテクトニクス理論を提唱したことで知られ、過去に起きた記録が碌に見つからなかった頃から、福島沖で海溝型津波地震が予想されていたのも、この理論が大元にある。そう言う意味では、彼の存在抜きに津波想定が発展することは無かった。

それが一体何故こんな結果を招いたのか。一つ言えるのは、竹内は、地震予知批判者達が語ってこなかった、矛盾を象徴する存在だったからである。

さて、1990年代より東京大学の地球物理学者ロバート・ゲラー氏は地震予知利権を度々批判してきた。311の後その頻度は更に高まり、予知批判者と言えばまず彼の名が上がるようになった。

実は、竹内は予知批判の先輩格に当たる人物である。

この間、むろん批判者がいなかったわけではない。例えば、故・竹内均・東京大学理学部教授は、痛烈に予知研究を批判したが、その批判は特に世論に影響を与えることはなかった。竹内氏は、政府の方針を建議する測地審議会の委員ではなかったため、政策決定プロセスへの影響も皆無だった。

ロバート・ゲラー『日本人は知らない「地震予知」の正体』双葉社 2011年8月 P152

ロバート・ゲラー氏が同書で竹内に触れた個所はここだけだが、説明としては片手落ちである。何故なら、竹内は原発論争を長年ウォッチしてきた人にとっては有名な推進派の学者であり、1981年に東大を退官して以降は科学啓蒙雑誌『ニュートン』編集長として論陣を張ったからだ。テレビなど他のマスメディアへの露出も積極的にこなしていた。彼に心酔する「専門家」が書いたと思われるWikipediaの紀伝体風の記事によれば、テレビ出演回数は2000回を超えると言う。「世論に影響を与えることは無かった」とは到底思えない。

竹内均の投稿実績をciniiで確認してみる。1978年に成立した大震法と相前後して、1970年代末に『月刊自由民主』(自民党の機関誌。現在は完全な広報誌だが、当時は同時代の論壇誌と同程度の内容的なボリュームがあった)で毎月連載を持っていたことが確認出来る。一線の研究者として専ら研究誌に投稿していたのは1970年代前半頃までであり、『月刊自由民主』での連載開始の頃から、あからさまに政治に近付いて行ったようだ。

彼が地震予知利権に批判的でいられたのは、自民党と建設業界・海洋資源開発などの別の利権で繋がりを持っていたからだと考えられる。

幸か不幸か、損害保険算定会などを舞台に1980年代から表立って行われるようになった、福島沖の津波シミュレーションは、どちらかと言うと「予知利権」がもたらした「成果」でもあった。竹内にとって、全く面白くなかっただろう。

東電営業部はそこに目を付けて起用したのだと思われる。たかだかM7クラスとは言え、福島での地震を警戒するよう発表したのも予知連だったから、その点でも竹内は適任だった。更に言えば、歴史地震的な見地に立っていた『政経東北』の方が、予知連より更にまともだったのだが、名義貸し同然であっても、学者の名前さえ出しておけば、素人マスメディアの扇動記事など簡単に「論破」出来た。

しかし、出来上がったのは、傍から見れば単なる津波安全神話を刷り込むパンフレットに過ぎなかった。

竹内個人の問題は、どうも津波の脅威をあまり理解していなかった節がある所だ。「大地震は起こるか」(『コンクリート工学』1980年3月号)で彼は、大地震の揺れに東京のような大都市が襲われた場合の損害に比べれば、東海地震による被害など取るに足らないと述べた上、当時のコンクリート建築の水準を称賛していたからである。前者の主張は、原子力関係者にとってはとても都合の良いものではあった。原発は大都市から離れた地点に立地していたからである。

後者の主張も、現状肯定を意味する上で、ゼネコンを筆頭とする建設業界関係者には都合の良いものであった。そもそも、建築関係者には有名な宮城県沖地震による耐震基準の引き上げが行われたのが1981年であり、当時の目線で見ても、強引な現状肯定論と言わざるを得ない。そのメッキが完全に剥がれたのは、阪神大震災であった。要するに彼は、地震の揺れにおいても、過小評価に迎合した戦犯の1人であったのだろう。

なお、『コンクリート工学』は建設業界の技術専門誌で一般人向けの啓蒙誌ではない。竹内はそういう場になると、臆面も無く愚民観を披露しているのが分かる。その根拠が都市住民が日照権を望むからと言うのも、よく分からない理屈である。日照権が確保されている都市とは、密集建築が無く防火帯が確保されていることを意味するのだから、竹内は地頭が悪い。単に再開発と称したペンシルビルを乱立させたいデベロッパーの代弁をしているのが透けて見える。実際、80年代に東京で行われたのは、そういうミニ開発だからである。左右中道を問わず、啓蒙に熱心な人物にありがちなことだが、こういった二面性を含め、全く同情の余地は無いだろう。

無能評論家、これが竹内に相応しい肩書である。

17/12/13:89年の政経東北記事2本の件を追記。

2017年11月20日 (月)

日本学術会議で関村直人等が行った津波検証の問題点-特に福島県2007年津波想定について-

当記事は「福島原発沖日本海溝での地震津波を前提​にGPS波浪計を設置していた国土交通省」の続編と捉えて欲しい。国土交通省と福島県が一体どのような津波対策を取ったのかについて、日本学術会議の検証に反論する形で分かったことをまとめたものである。

携帯よりはPCでの閲覧を薦めるが、読めない訳では無い。

全体は【1】~【4】に分かれるが、中でも【2】は日本学術会議批判に留まらず、福島県が2007年に公表した津波想定について再考を行い、東電はもとより、福島県(そして省庁と閣僚)の過ちについて論じている。原発事故を主眼としてはいるが、2万名近くの死者、行方不明者を出した津波災害を検証する上でも、参考になれば幸いである。

【1】『原発と大津波』を無視する日本学術会議の「検証」

最近、日本の国立アカデミーで内閣府の機関でもある日本学術会議の中で、次のような検証作業が行われたことを知った。

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福島第一原子力発電所事故以前の津波高さに関する検討経緯-想定津波高さと東電の対応の推移-(日本学術会議、2017年8月1日)

 

参考資料 福島第一原子力発電所事故発生以前の津波高さに関する検討経緯(日本学術会議、2017年8月1日)

検証結果の趣旨は「東電は事前に分からなかったのだから津波想定で失敗したのは仕方がない」というもののようだ。

検証作業は18回に渡って行われたそうで、検討に当たった委員会は下記のメンバーである。

委員長 松岡 猛  (宇都宮大学)
幹事  澤田 隆  (元日本工学会事務局長)
委員 矢川 元基 (原子力安全研究協会会長)
    関村 直人 (東京大学)
    柘植 綾夫 (科学技術国際交流センター会長)
    成合 英樹 (筑波大学名誉教授)
    白鳥 正樹 (横浜国立大学名誉教授)
    宮野 廣  (法政大学)
    吉田 至孝 (福井大学、原子力安全システム研究所)
    亀田 弘行 (京都大学名誉教授)

学術団体の元締めにも拘らず、津波工学者はおろか、地震学者すら入っていない。一方で、爆破弁発言で醜態を晒した関村直人が参加している(なお、爆破弁発言の検証は無い)。また、福島原発事故の前から諸外国の過酷事故対策を知りながら、原発宣伝を優先するように策動していた原子力安全研究協会が名を連ねている(同協会の犯した罪についてはいずれ機会を見て書くことになるだろう)。

本文と参考文献一覧を見たが、添田孝史『原発と大津波 警告を葬った人々』や海渡雄一他『朝日新聞「吉田調書報道」は誤報ではない: 隠された原発情報との闘い』などの新資料を提示した文献は軒並み無視されている。

一方で、「話題」スライドが存在している。

残念だが、東日本大震災の後に津波研究を行った者達が発表した論文は震災津波の解析や今後の研究技術のあり方などに関するものが大半で、福島第一の津波想定を検証するような論文は見かけた記憶が無い。また、数少ないそうした論文があったとしても、日本学術会議が指摘するような「話題」が提起されたことも無いだろう。彼等が「話題はあくまで学術会議内でのことを指すのだ」と言い張るのでなければ、それらは、各地の訴訟や添田孝史氏、共同通信の鎮目記者等が提供したものである。

都合の悪い文献を無視すれば、東電や国に有利な結論に導くことは簡単だ。では何故、今更こんな検証を行ったのだろうか。恐らく、組織の名前を使ってオーソライズすることを狙っている。場合によっては第3者の検証事例の一環として、反論材料として訴訟で提示したかったのだろう。控訴審投入用の予備隊といったところか。

だが、重要な指摘を無視して行う反証に価値は無い。ついでに言えば、日本学術会議は初期のJEAG、小林論文、損害保険算定会から、国交省(=国家自身)が行った津波想定も軒並み無視している。大きな間違いの一つはここにある。

【2】福島県2007年想定について再考する

ただし、当記事はここで終わらない。日本学術会議が取り上げた資料の見方にも、問題のあるものが潜んでいる。例えば、福島県が行った2007年の津波想定が、東電の最新の津波想定より低いと評価した事実が証拠の一つとして書かれている。今回はこの福島県の津波想定について一度考えてみたい。

【2-1】これまで認識されてきた経緯

日本学術会議の検証結果では次のように書かれている。

Scjgojp1708011slide9 東京電力は、自治体が評価した防災上の津波計算結果を把握し、対策が不要であることを確認していた。

福島第一原子力発電所事故以前の津波高さに関する検討経緯-想定津波高さと東電の対応の推移-(日本学術会議、2017年8月1日)PDF9枚目

日本学術会議が元にしたと思しき、東電事故調の記述は次のようになっている。

Toden_jikocho_p19tsunamihyoka

福島原子力事故調査報告書』東京電力2012年6月20日P19より。赤枠(筆者)の部分が2007年福島県想定。直前の文章では

平成19年6月、福島県の防災上の津波計算結果を入手し、福島県が想定した津波高さが当社の津波評価結果を上回らないことを確認した。

と記載されている。

政府事故調も大体同じである(『政府事故調中間報告(本文編)』2011年12月P394)。

この点については、私を含めて誰も異を唱えてこなかった。異を唱える場合は、他の津波想定を隠していただろとか、そういう文句の付け方だった。

だがこれは私を含め、そもそも福島県が何故2007年に津波想定を行ったのかについて、検証してこなかったからだ。そして、福島県自身も検証したという話は聞かない(茨城、宮城、岩手では東日本大震災の対応をまとめた記録を刊行した際、曲がりなりにも事前の津波想定について検証作業が行われた)。隠蔽で有名な集団だから、無くても特に驚きはしないが。

【2-2】スマトラ沖後、国交省の提言通りに津波想定の実施を決めた福島県

話は、2004年12月のスマトラ沖地震によるインド洋大津波から始まる。この災害は日本の防災関係者に大きな影響を与えた。学者達が議論してきた地質構造の細かな相違は、防災行政上は特に議論にもならず、同じような津波が日本近海の海溝型地震で起こったらどうなるかに関心が向けられた。

国土交通省はスマトラ沖の教訓化を急ぎ「津波対策検討委員会」を発足、2005年3月に提言をまとめ、その中で「概ね5年以内に可能な施策」を盛り込んだ。当ブログで既にふれた閘門管理システムやGPS波浪計の整備もそうした施策だが、住民が避難する際に役立てることを目的としたハザードマップも、次のように決められた。

重要沿岸域のすべての市町村で津波ハザードマップが策定できるよう、津波浸水想定区域図を作成、公表。

津波対策検討委員会 提言 2005年3月

福島県沿岸は全て重要沿岸域に包含された。1999年に地方分権一括法が制定され、以後、国と自治体は対等関係と規定されたが、これは指導だ(一概に有害とは言えない)。

日本学術会議の検証は政府事故調報告を重視しているようだ。その政府事故調は中央防災会議の「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会報告」(2006年1月)を受け、福島県が調査を行ったと述べ、国土交通省の役割に言及していない(『政府事故調中間報告本文』P392)。

しかし、福島県議会の議事録を見ると、2005年3月に自民党杉山純一県議がスマトラ沖を引く形で「浸水予測図の作成率も、避難対象地域の指定率もともに約3分の1、避難場所は6割の市町村が指定しているが、そこまでのルートを決めているのは2割」などと日本の状況を問題提起した。県庁の職員は佐藤栄佐久知事(当時)に次のような答弁を用意している。

県といたしましては、昨年末のスマトラ島沖地震による津波を大きな教訓と受けとめ、沿岸市町に対して計画策定の指針を示し、地域住民自身が計画づくりに参画し、津波浸水予定地域や避難対象地域の設定などを内容とした避難計画を早急に作成するよう要請したところであり、今後とも、関係機関連携のもとに、迅速かつ適切な避難対策を実施できるよう、沿岸市町を積極的に支援してまいる考えであります。

平成17年2月 定例会-03月03日-一般質問及び質疑

津波対策検討委員会提言は2週間後の3月16日。与党が行う、典型的予定調和型答弁である。

なお、ネット上の情報としては県のHPがある。現在は削除されているが、当時次のように案内していた(この他、国土交通省東北地方整備局 東北地方水災害予報センターには今でも津波浸水想定区域図へのリンクが残っている)。

福島県では、平成18年度から平成19年度にかけて、県内の沿岸市町が作成する津波ハザードマップや津波避難計画の作成支援を目的として、津波想定調査を実施し、津波浸水想定区域図を作成するとともに、津波による被害想定を行いました。
福島県津波想定調査(福島県HP、アーカイブ

県の調査が2006年度に実施されたのは、自治体の場合、通年で4回定例の議会を開催するが、秋から冬にかけて行われる3回目の定例会(3定)までに来年度の予算案を作成するので、2005年度に間に合わなかったからである。また、「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会報告」を読んで初めて調査することを思い立ったとしたら、2006年度に予算が執行できるはずがない。参考文献以上の意味は無いのである。

従って、政府事故調の福島県の津波想定に関する説明は間違い(虚偽)である。日本学術会議の委員はそれを見抜けなかったのだろう。

なお国交省、内閣府、農林水産省は2004年3月に「津波・高潮ハザードマップマニュアル」を作成し、各自治体に送付していた(リリース)。この中で「津波想定の結果をハザードマップに反映」という流れが出来上がっており、スマトラ沖の後もその方針を踏襲したことが津波対策検討委員会の記録類から読み取れる。

以上が福島県の調査(正式名称:福島県津波浸水想定区域図等調査(2006年度))が行われた背景である。上記の事情から作業分担は次のようになった。

  • 津波浸水想定区域図:県で作成
  • ハザードマップ:各自治体で作成

コラム
なお、スマトラ沖がきっかけとなり、国土交通省の方針に従って津波想定を行ったのは茨城県も同様である(当方も2014年3月に茨城県に照会して確認済み)。一方、津波常襲地帯として知られていた宮城などは99年度の津波浸水予測図に対応して先に動いていたから、スマトラ沖の前に県レベルでの津波想定は作成していた。

【2-3】推本予測を元に想定を求められたのに何故か推本予測を捨てた福島県

【2-3-1】中央防災会議と地震調査研究推進本部

ところが、福島県はここで間違いを犯した。調査報告をまとめるにあたって、中央防災会議の資料のみを参考に想定地震を決定したのである。その結果、福島県沖での海溝地震は想定から除去されてしまった。

当時、中央防災会議の見解だけを参考にすると何故不味かったのか、改めて振り返って見よう。

東電原発訴訟を追っている人は御存知の通り、2000年の省庁再編以降、国の津波想定を扱う防災組織は大きく分けて2つあると認識されていた。

  • 中央防災会議:1960年の伊勢湾台風を契機に設立。政府の防災方針を決める。内閣府運営。
  • 地震研究推進本部(推本):1995年の阪神大震災後設立。地震の研究観測を集約して防災に反映させる。文部科学省運営。

福島第一原発の沖合を含む日本海溝沿いでマグニチュード8クラスの津波地震が30年以内に20%程度の確率で発生すると予測したのは推本で、2002年7月のことである。推本の地震でシミュレーションを作ると、東北地方太平洋沖地震津波を予告するような津波高さが得られる。推本はMw8.2とMw9に比べれば小振りな地震を想定していたから、一つの地震で大津波が発生する海岸線の範囲は狭い。しかし、推本はMw8.2が日本海溝の何処でも起き得るとしたので、東北地方太平洋岸はどこでも高い津波が起き得ると予想したに等しかったのだ。

しかし、中央防災会議は2004年2月に開いた専門調査会会合で推本予測を対象外とする旨を決定したのである。その2年後にまとめたのが先の「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会報告」であった。

Mokkaijikocho20150124soetap49_2
出典:もっかい事故調オープンセミナー「原発と大津波 警告を葬った人々」発表資料P49(リンク

福島県津波浸水想定区域図等調査に戻る。正確に述べると推本予測は、調査報告書概要版(修正版)のP5,P8で、過去の地震や最近の地殻の動きを紹介するために引用されているのだが、報告書最後の「7.参考文献一覧」からは削除され、中央防災会議の方がクレジットされているのとは対照的である。したがって、調査を発注した県と受注した国際航業が忘れていた訳では無い。明確な意図を持って想定地震から除去している。なお、私が入手した報告書の表紙にはタイトルに「概要版」とあり、右上に「修正版」と書かれているので、修正前の版や詳細版にはそのあたりの事情が書かれているのかも知れない。

【2-3-2】 使われ続けた推本予測

ところが、福島県が推本予測を無視するのは論理矛盾であった。まず、津波・高潮ハザードマップマニュアルは、後述のように現用文書として扱われ続けており、次のように推本予測も考慮するように書かれていたからである。前月の中央防災会議専門調査会との整合も取っていない。

Mlitgojpkowanhazard_shiryou2slide_2 津波・高潮ハザードマップマニュアル(案)」国土交通省津波・高潮ハザードマップ研究会事務局(2003年12月)  PDF14枚目

更に決定的材料として「津波対策検討委員会」が重要沿岸域に東北地方太平洋岸を含めたのは、推本予測を意識したからであった。そう意識させたのは次の図を作成した国土交通省河川局であった。

Mlitgojptsunamisiryo1_050206slide8説明資料1 我が国における津波被害と防災認識」津波対策検討委員会(2005年2月6日配布)PDF8枚目(綺麗なものは提言発表時の閣僚懇談会資料にある。)

「津波対策検討委員会が推本予測を捨てなかったこと」は極めて重要である。2004年に中央防災会議が推本予測を「捨てた後」の出来事であり、自治体の防災行政に直接の影響を与えたからである。言い換えるならば、中央防災会議(内閣府)が捨てた推本予測を、国土交通省はもう一度拾い、3番目のプレイヤーとして躍り出たのだ。この決断のために裏で御膳立てした官僚は激賞されて良い。原発事故と言う観点からは、それ程価値のある決断と言える。

【2-3-3】災害対策基本法制に見る運用上の矛盾

災害対策基本法によれば、中央防災会議が作成した防災基本計画に基づき、省庁(指定行政機関)は防災業務計画を作り、自治体は地域防災計画を作る。ちなみに、「七省庁手引き」は地域防災計画のための資料である。それでは、この提言は国交省の防災業務計画に反映されたのだろうか。平成18年度版(2006年)を参照してみる。

第2編「震災対策編」には「津波災害に対するハザードマップ等を作成し、危険箇所、避難地、避難路の周知を図るものとする。この場合、地方公共団体に技術的助言を行うものとする。」とある。

第14編 「その他の災害に共通する対策編」には研究成果を直ちに反映する旨記載されている。第15編「地域防災計画の作成の基準」にも提言の施策が反映されている。

一方、新旧対照表を見ると、第2編第6章「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震防災対策推進計画」が追加されたことが目を引く。中央防災会議は「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会報告」を現実の施策に反映するため、2月に大綱を制定、2006年3月には「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震防災対策推進基本計画」を作成した。それに応じて、国土交通省の防災業務計画に反映したものである。ここにも「津波災害に対するハザードマップ等を作成し、危険箇所、避難地、避難路の周知を図るものとする。この場合、地方公共団体に技術的助言を行うものとする。」との文言が登場する。第6章の方は専門調査会の想定に行き着くのだろう。

国土交通省の担当者がこの文言通りに、県に対して中央防災会議の想定のみを「技術的助言」した可能性はある。勿論、県や国際航業自らが調査開始後そう考えた可能性もある。

では、中央防災会議の想定はどこの災害対策の現場でもプライオリティが高いように整合していたのだろうか。答えは、NOである。

  • 【理由1】国交省の一連の動きに対し、中央防災会議が公式に(或いは表立って)他組織の想定を使わないように「指導」「助言」した記録は見つかっていない。(ただし、推本(文科省)に対しては別である。『原発と大津波』P68-70によると、推本の長期評価に対してはファックスを通じて「誤差があるので、使用上注意してほしい」旨の連絡を報道機関にも送っていたとされる。裏では長期予測自体に懸念を表明している)

  • 【理由2】福島県による調査後の2008年12月、中央防災会議は「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震の地震防災戦略」をまとめたが、P11、P25に登場する「津波ハザードマップの作成支援」には「七省庁手引き」と変わらず、多数の省庁が関与し、中央防災会議を所管する内閣府と国土交通省の名前が並ぶ。「津波ハザードマップ作成マニュアル」(「津波・高潮ハザードマップマニュアル」の誤記)を使って、市町村のハザードマップの作成支援をすると称しているのも同じである。自治体としては同じ問題で複数の官庁から見解が来ることになるだろうし、内閣府は自ら否定した推本予測を掲載したマニュアルで、何の支援を行うつもりだったのだろうか。福島県と同質の矛盾がここにある。

  • 【理由3】福島県の津波想定調査予算は、時系列上、中央防災会議の想定を前提にしようがなかった。中央防災会議の想定が専門調査会報告と言う形で外に出るのは2006年だからである。更に、茨城県が行ったように、中央防災会議の想定を墨守しなくても、罰則は無かった。

  • 【理由4】中央防災会議自体が結局は推本予測に依存していた例として、国土交通省のGPS波浪計の件があることだ。「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震の地震防災戦略」にはGPS波浪計も含まれ、「沖合波浪情報の分析・提供」を通じ防災体制の強化に資する旨記載されているのである。以前当ブログで書いた通り、GPS波浪計は推本予測を更に拡大する形で日本海溝での津波地震を前提に予算執行されたものである。また、この防災戦略には「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震の調査観測研究」という項目があるが、GPS波浪計や国土交通省は関係していない。GPS波浪計が研究設備では無く、実用的な設備と見做されていたことが分かる。結局は、各省庁施策の寄せ集めの感はある。

以上が、福島県が津波シミュレーションを行っても10m以上の水位が得られなかった原因の一つ目である。推本の言う通り福島沖に波源を置いてシミュレーションすると原発前面に10m以上の大津波が来ることは、東電自身がこの数年後に秘密裏に計算していた(事故後の報道で判明)。

したがって、福島県津波浸水想定区域図等調査(2006年度)は、津波対策検討委員会提言の要求を満たさない、欠陥調査であり、行政不作為である。震災による福島県内での直接的な死者・行方不明者は約1900名でほぼ全て津波によるが、推本予測を入れてハザードマップに反映していれば助かった人達も沢山いる筈である。これ程の悪影響をもたらした行政不作為が長年にわたり見落とされてきたのは極めて問題である。

災害対策基本法制の問題点は「地域防災計画にみる防災行政の課題」という2005年の論文で既に指摘されている。例えば、広域対応の防災計画を作っても、既存の計画に微修正を加えるケースが報告されている。その意味では、不整合は当然の結果である。被害想定の政治性も同様である。小さな津波しかもたらさない中央防災会議想定の方が社会的安心感には繋がるであろうことも、この論文が雄弁に予告している。想定には法的な効果が無いから議会の審議も経ないという指摘も重要だ。国と地方の序列化、市民排除にも言及がある。電力と言う組織が運用する原発はともかく、「七省庁手引き」本来の目的である、地域防災計画への寄与が中途半端に終わったのも頷ける。

ただし、起きてしまった災害に対して国家は責任を負うのも事実であり、今般の様に10万人位であれば、財政的にも賠償金の支払いは可能な範疇である。そのような矛盾の清算すら拒否するようでは、国家による防災には存在価値が無い。

【2-4】東電の福島県津波想定ミス解釈~そのまま当てはめてはいけない~

とは言え、福島県は津波想定を行い、報告書にまとめた。次に問うべきは、その結果を入手した東電の過ちである。

それを示す前に言葉の問題を述べる。役所は金と責任が絡むとき、言葉の使い方を揃える。スマトラ沖の後国交省が「津波浸水想定区域図」という単語を使いだしてから、関係する事業ではこの単語が使われた。

東日本大震災以降、これらの津波浸水想定区域図とハザードマップは順次更新されていったが、この単語で検索した結果、一部の自治体のデータはネット上に残っていた。まず、先程の福島県HPを見てみよう。

Preffukushimajpsaigaigtsunamisoutei

また、実際の津波は、これ以上の高さになることも考えられます。地震が発生したら、まず避難しましょう。
福島県津波想定調査(福島県HP、アーカイブ

次に、相馬市のハザードマップが残っていたので見てみよう。

Citysomahazard_map_a3_2_3 この地図は、福島県が平成19 年7 月に発表した、「津波浸水想定区域図等調査」の結果に基づいて作成したもので、予想浸水域を表示しています。
 
あくまで「想定の津波」によるものですので、到達しない場合、または、想定を越えて津波が押し寄せることも考えられます。
津波ハザードマップ 原釜・尾浜地区」相馬市2008年3月(魚拓

これが、福島県の津波想定の正しい受け取り方である。

このような一言が付け加えられている理由は、津波想定には不確実性が伴うので、「津波・高潮ハザードマップマニュアル」でその対応策を書いてあったからであろう(下記引用の他、同マニュアル4章で詳しく議論されているが、想定水位=最高の高さではない、という考え方は一貫している)。

津波・高潮ハザードマップに供する浸水予測区域の設定に際しては、現在の最先端の技術水準において、一般的に表 3.2.1に示す項目の条件設定が必要となる。

(中略)なお、設定以外の条件についてのマップへの記載は、紙媒体のハザードマップの限界を超えているが、最悪の場合に備えて対応できるよう、緩衝領域(バッファ)の設定や(4.4(3)参照)
想定を超える災害発生の危険性をマップ上に記載する等により対応する。

津波・高潮ハザードマップマニュアル(案)」国土交通省津波・高潮ハザードマップ研究会事務局  PDF45枚目

報告書本文、参考文献共に文書名として「津波・高潮ハザードマップマニュアル」は明記されていないが、報告書P52にハザードマップ作成担当者向けの説明として、

想定地震以外の地震による津波や条件が異なるときなど、シミュレーション結果と実際に来襲する津波が異なることを以下のように明記した。

「地震の震源が想定より陸地に近かったり、想定を超える津波が来襲するなど、条件が異なる場合には、ここで示した時間より早く津波が来襲したり、遡上高が高くなったり、浸水範囲が広がる可能性があります。」

と、上記記述に類する注意文のサンプルが例示されている。そのような報告書の書かれ方は、「津波・高潮ハザードマップマニュアル」と完全に整合する。

従って、県の想定水位が原発の津波想定より低いことを示したところで、原発の安全を保証する材料にはならない。何の意味も無い行為である。東電本体は元より、東電設計およびシーマス、ユニック等は津波想定のプロ集団であり、このようなミスは仕方無いでは済まされない。

ミス解釈の責任が、説明を行った福島県にあるのかは分からないが、少なくとも東電グループにあることは疑いない。各訴訟の準備書面を全て把握できていないが、この瑕疵もこれまで見逃されていたのではないか。

コラム
なお、東電も福島県も黙っているが、福島県津波浸水想定区域図等調査(2006年度)報告書概要版(修正版)のP13,41,53によれば中央防災会議,日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会資料提供のデータにより、
明治三陸の規模はMw8.6と設定している。時系列的にはこれまでの印象と異なる風景が見えてくる。

東電は2007年6月に上記の波源で追試を行ったが、その翌月に中越沖地震が発生して柏崎刈羽原発が被災した。その結果、社内組織改正で中越沖地震対策センターを設け、センターの土木調査グループは各原発の地震随伴事象である津波についても見直しを行い、2008年3月に、明治三陸の波源を福島沖に仮置きして海溝地震をシミュレーションし、各種報道で有名になった15.7mの津波高を得た。しかし、この社内試算では明治三陸の規模をMw8.3と半分以下に縮小した。Mw8.6の件を忘れる筈もない時期で、極めて悪質だが、何故か誰も指摘していない、ということである。

Scj_go_jp_170801_1slide4 中央防災会議においてもデータが不足する貞観津波や地震本部の見解については取り入れられなかった。

Scj_go_jp_170801_1slide7 地震本部は、中央防災会議や自治体などの防災機関に対して、どこまでその使命を発揮できたのか。

日本学術会議は推本を批判するため、中央防災会議を根拠にしているが、都合が悪ければ中央防災会議の波源モデルも無視するのが東電の態度である。むしろ、東電に加え、中央防災会議をも庇いたてる、この検証態度の裏にある思考は何か。『原発と大津波』でも中央防災会議の内情については完全には解明されていないので、実に興味深い。

なお、後述の「津波災害予測マニュアル」P44には、Mwが0.3大きくなると、津波の高さは2倍となる旨の記述がある。

一方、福島県津波浸水想定区域図等調査報告書概要版では、津波の高さは遡上高のみ示されており、明治三陸タイプが最も大きく、福島第一に近い下記の2地点で次のような結果となっている。

双葉町:前田川河口6.2m
大熊町:熊川河口6.7m

従って、東電の5mという水位(遡上高ではないと思われる)はまずまず妥当な追試と言えるだろう。数値面からも、安全率による割増は確認できない。

【2-5】省庁間連携と自治体の事後チェックを怠った国にも責任はある。

なお国交省は、着想と提言は良かったが、他省庁との連携(経産省の説得)、自治体の施策チェックと言う点では、失敗した。興味深いことに、検討委員会では素案を提示した後の意見で次のようなものがあった。

意見  38
例えば、「国土交通大臣は、すみやかに、この提言に盛り込まれた事項その他必要な事項を関係地方公共団体等に示すとともに、関係地方公共団体等で講じた措置または講じようとする措置の報告を求め、これらを集約し、分かりやすい形で国民に提供すること」といった文言を追記。

説明資料3 委員から頂いたご意見」 第3回 検討委員会(2005年3月16日)PDF6枚目

その結果、提言の最後には次のような文言が盛り込まれた。

また、地震防災対策の一環として、そのフォローが必要であるとともに、各省庁が横断的に講じるべき津波防災対策の施策で、さらに検討を要するものは、省庁連携の下に、専門的知見をもって推進すべきである。

この提言が歴史的価値を持つに至るかどうかは、行政のみならず国民及び各界各層の取組み次第である。国土交通省は、速やかに、この提言に盛り込まれた事項に関し、直接関係する事項を可能なものから実行していくことはもちろん、関連事項を関係地方公共団体等に示すと共に、関係地方公共団体等で講じた措置または講じようとする措置の報告を求め、これを集約し、分かりやすい形で国民に提供すべきである。

津波対策検討委員会 提言 2005年3月 PDF14枚目

青字の2点は明らかに未達であり、国の責任が認められる。他省庁のとの連携に関しては、歴史に残る安全神話を答弁した第一次安倍政権が、本来は経産省に連携すべしと命じるべきだったのかも知れない。それ以上の解明は、ジャーナリスト・研究者・当事者・官僚が共に取り組むべき課題である。

【2-6】割増しのヒントはあったのか

さて、それでは想定結果の何倍を提示すれば良かったのか。「津波・高潮ハザードマップマニュアル」はその答えを明示していない。下記のように浸水予測区域の外側にバッファ(緩衝空間)を設けるように指示しているが、具体的な数値は無い。割り増し比率は自治体に任されている。先の相馬市の場合は、バッファの明示は無い(避難場所の選定に当たって何らかの基準として用いられた可能性はある)。

Mlitgojpkowanhazard_shiryou2slide73 津波・高潮ハザードマップマニュアル(案)」国土交通省津波・高潮ハザードマップ研究会事務局  PDF73枚目

ただし、数値的根拠について公開文献でも参照材料はあった。以前紹介した気象庁による津波予報、および国土庁による津波浸水予測データベース作成の際、次のように述べている。このデータベースは2000年代以降のハザードマップに繋がる基礎資料として作成されたものなので、関連性は高いと言える。

「新しい津波予報」のイメージを図2に示します。一つの目安として、もしも海岸から避難する場合には、予想高さの2倍以上の高さの場所に避難すれば、危険率は1%未満にまで小さくなるはずです。

日本地震学会広報誌『なるふる』12号(1999年3月)PDF5枚目

津波予報と津波浸水予測は同じ幹「太平洋沿岸部地震津波防災計画手法調査 報告書」(いわゆる七省庁手引き)から分かれた2つの枝であり、不確実性についても首藤伸夫が七省庁手引き別冊の「津波災害予測マニュアル」で理論化している。統計的厳密性に拘るなら、「津波災害予測マニュアル」を熟読して導けばよいが、簡略化のために、上記『なるふる』を参考に2倍の数値を当て嵌めて原発防災を考えたとしても、それはそれで1つの見識となる(『原発と大津波』読者であれば、原子力発電所の津波評価技術で安全率1倍となった経緯を御存知だろうが、そこにも通じる話)。

『なるふる』の1%以下という指摘を単純に当てはめると、IAEAが推奨する10万炉年に一度の炉心損傷確率を達成するためには、最低でも想定の2倍の津波が来ても安全な必要があった。1000年に一度の大津波で防護されている水位を超える確率が1%の場合、(1/1000)X(1/100)=1/100000となるからである。実際には、東日本クラスの津波は500年程度とのしてきもあったりするので、1000年に一度との論は現在では楽観的だが。

福島県の調査で用いた波源を使った追試では、福島第一、第二共5m程度だとされているので、『なるふる』で推奨の倍率2を掛けると10m以上となる。即ち10m盤上の構築物でも、1階にあるような開口部は何らかの対策が求められる。

なお、『なるふる』が指摘する津波予報と同じデータベースを使用している国土庁津波浸水予測図の場合、福島第一の前面は8mであり、遡上は10m盤に達していることが既に知られている。ここに倍率2を掛けると、東電が行うべきだった津波対策は16mとなる。

更に、2002年の『原子力発電所の津波評価技術』で得た数値6.1mに倍率2を掛けると約12mとなる。ただし、これは既に『原発と大津波』第2章で言及済みである。

【3】「話題」スライドの情報源についての疑問

話を日本学術会議に戻す。

彼等が唯一有効性を認めた原子力技術協会の提言だが、震災後誰も省みる人が居なかったところ、身内からの警鐘だが(組織自体が業界で傍流扱いだったためか)無視されたものとして、私がブログで再評価したものである。彼等にとっては、業界人が自ら指摘したことがとても大切なのだろう。

その傍証に、原子力技術協会が『エネルギーレビュー』2006年7月号で発表した米ウォーターフロード原発3号機の事例は全く参照されていない。基本的には提言の内容に沿った記事だが、カトリーナ来襲の3日前、パッケージ型の非常電源をレンタルして据え付けたことは、日本語文献ではこの記事しか触れていない。言うまでもなく、最短で可能な電源対策の一環として、再評価すべき内容である。

もし2011年3月7日の「お打合せ」での結論(福島沖での大津波を想定する)を吉田所長が聞いており、且つ、『エネルギーレビュー』の記事を所長や彼の部下が覚えていたら、恒久的な津波対策が完了するまで、同じようなことをやれば済むからだ(社有の電源車を配置変更したり非常電源をレンタルする)。これはブログを書いた直後に見つけていたが、別の機会を見て記事で紹介することはしていなかったものだ。

【4】何も理解していないことが分かるスライド

次のスライドの説明は意味不明である。それも1枚に3ヶ所。

【4-1】場所を限定すると最も高い津波高が得られる?

Scj_go_jp_170801_1slide5_2 狭い範囲を対象として最大津波高さを予測した方がより大きな値が算出されるはず

福島第一原子力発電所事故以前の津波高さに関する検討経緯-想定津波高さと東電の対応の推移-(日本学術会議、2017年8月1日)PDF5枚目

次の東電事故調の模式図を見て欲しい。本当にそれが導けると考えたのか。

Toudenjikochoslide39福島原子力事故調査報告書』東京電力2012年6月20日P18より。

日本学術会議の書いていることは逆である。一つの地震津波をシミュレーションする時は、津波高を計算する海岸の範囲を予め設定するが、その範囲を広く(長く)した方が、狭い範囲よりも高い津波高の地点を得ることが出来る。例えば、福島沖のケースで言えば、発電所の前後1㎞だけ計算するのではなく、南北100㎞とか福島県内の海岸全域などに対象を広げれば、「西暦何年の××地震を模擬したこのシミュレーションでは福島第二の方が高い」とか「あのケースでは相馬が最も高い」となる。逆に、福島第一での高さだけを計算すれば、求められる高さは福島第一のものだけしかなく、他の地点と比較のしようが無い。東電事故調の模式図で例示するなら、右の黒矢印の近くにある想定が、図中の海岸の範囲では最も大きな水位を与えている(赤の設計津波より僅かに高い)。

添田氏がツイートしていた千葉訴訟における「震源事件」に通じるものを感じる。

このような過ちを避ける方法の一つは、『原発と大津波』の冒頭に書かれている、55㎞遠方の地点(小名浜港)の津波観測データを持ってきたという建設時のエピソードの意味を良く考え抜くことである(仮に55㎞南ではなく100㎞程北の宮城県の値を持って来れば最初から高い想定値が得られる。理論的にはあり得る方法)。

【4-2】報告書に出てこない文献を参照したと主張

ついでに言えば、先のスライド、「津波災害予測マニュアル(1999年とあるが1997年)」を福島県が参照したように書いている。だが、福島県津波浸水想定区域図等調査(2006年度)報告書概要版(修正版)の「7.参考文献一覧」には七省庁手引きを挙げているが、その別冊である「津波災害予測マニュアル」は載っていない。また、本文に文書名として直接書き込まれてもいない。七省庁手引き自体も、前半で既往津波の被害を一覧化した際に引用されているだけである。津波の水位計算法は実用レベルでは何時も大体同じ理論が使われているので、出所が「津波災害予測マニュアル」かどうかは断定できない。スライドには証言を取ったという記述も無い。

「津波災害予測マニュアル」は計算結果の信頼性の問題を厳密に論じているので、本当に参照しているなら、本文P52で「想定以上」などという曖昧な表現をするだけでは無く、正確な統計的意味が説明されていた筈である。

それは結局想定水位を鵜呑みにしてはならず、原発の場合は何らかの安全率が必要という結論に帰着する。厳しいことを言えば、数学的には発生可能性と安全率だけが異なるに過ぎず、本質的に原発と区別する意味も無い。それが理解できていればこのようなスライドになる筈がない。

【4-3】福島県の津波想定が大きくなるのは合理的?

学術会議の資料からは、何故合理的なのかがさっぱり読み取れない。上述のように福島県の津波想定に関する部分は調査不足だったし、前の文章ともつながりが見出せない。

事実関係から言えば、福島県と茨城県では想定していた地震が別のもの(茨城県は延宝地震を含む)だから、比較不能である。仮に、推本予測のことを言っているとしても、「どの領域でもM8クラス」と書いているのであって、福島県が高くなる合理的根拠は無い。

強いて言えば、東日本大震災では、茨城より福島の方が概して津波高が大きかったと言うだけのことである。しかし、プレートテクトニクス理論から言えば、茨城沖を主たる波源とする津波地震が起きても全く不思議ではない。

【4-4】恥の上塗り集団

ここまで書いてきて思ったが、日本学術会議は単なる誤植と言うより、何も理解していないのではないか。というか、ほんのりやばい感じしかない。

関村や原子力関連団体は、只、福島事故の恥を上塗りしただけである。大方、事務局に3流役人でも当てがい、現政権へ忖度した結果だろうが、只でさえ凋落傾向にある日本の学術団体の権威を一層貶めるだけの結果に終わった。唯一救いがあるかも知れないのは、こんなレベルの低い検証作業にまともな人材は回さないという、面従腹背な役人の雰囲気も僅かに感じられるところ位、だろうか。

リベラル左翼でも学術団体の声明などに依存した主張を見かけるが、何でも忖度で簡単に信用を失うのが現代の世であることは、他山の石として、覚えておきたいところである。

17/11/22:全文適宜修正し、意味の繋がりを明瞭にする。

17/11/23:中央防災会議「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会報告」を国土交通省、日本学術会議や政府事故調がどう扱ったかを追記。

17/11/28:【理由1】に追記。

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