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2017年3月20日 (月)

【東電には】電源盤を2階に配置して建設された日本原電敦賀1号機【都合の悪い話】

30余り提訴されている福島第一原発事故訴訟の中で、2017年3月18日、前橋地裁での訴訟で判決が下された。賠償額については甚だ不満足な結果だったが、津波の予見・回避可能性については国と東電の過失を認める内容となっているそうで、何よりである。

これまで取材などの都合で当ブログでも全く触れてこなかったが、東電福島事故を語る際は余りにも当然の前提として処理されてきたことがある。今回の判決全文はまだ入手していないが、今後、前橋訴訟が高裁・最高裁に進んだり、他の訴訟が進展するにつれて、津波回避可能性を論じる上で、それなりの見解を示しておかないと困ると思われる。今回判決が出たことを機会に、明確にしておきたい。

それは、配電盤(電源盤)の置かれていた場所だ。

【電源喪失問題の検証は配電盤対策の検証に行き着く】

添田孝史『原発と大津波』終章「責任の在処」P182では、津波の予見の他にも「誰が、何時、どういう理由で、どんな意思決定をしたか」が十分には解明されていない問題を幾つか挙げており、「全電源喪失対策の不十分さ」もその一つである。

当記事はその問題を「配電盤水没を回避出来る可能性が生じたのは何時からなのか」、という観点から執筆した。だから予見可能性ではなく、回避可能性に関する記事である。

まずは今回の判決骨子から抜粋してみよう。

配電盤(電源盤)が水を被ったのは、良く知られているように大半が地下1階以下に設置されていたからである。この配電盤というのは、外部電源、非常用電源、移動電源車のどれから電力を引いてくる場合にも必ず必要な、一般家屋で言えばブレーカーのような機器である。

電源喪失問題の検証というと、よく挙げられるのは「電源喪失は30分以上続かない」という考え方が国の規制に書かれていたことだが、配電盤が水没しなければこの前提を満足出来た。また仮に「電源喪失は30分以上続く」と規制を改めて、移動電源車などを準備しても、配電盤が水没した場合には復旧までの時間が週単位となってしまう。私は、失敗学会津波対策研究会にて東電の技術系OBから「あの時は移動配電盤も向かわせたが早期復旧は出来なかった」と直接聞いている。他の原因はともかく、水没で配電盤が全滅するような事態は後段の対策を充実させても無力感しかない。それだけ、重要な設備ということだ。

Nissin_truckswgr_2013 トラック搭載型移動用スイッチギヤ(移動配電盤)パンフレット(日新電機、2013年)
※後述の高圧配電盤に相当する設備(関電向。移動用のためか容量は小さい)。東電OBによると福島第一には電源車の他にこのような移動配電盤も派遣されたという。

この問題への対応策は2通りある。

  • 配電盤室の換気口、ケーブルトレイ、扉などを防水工事する。
  • 配電盤を高い場所に移設若しくは増設する。

防水工事についてはその必要性は自明であり、新規性もない。なお、大林組は既設の建築物が水害ハザードマップなどで防災強化を迫られた場合にも適用できる「建物の水害に対する設計ガイドラインについて」という論文を2007年の技報に発表していた。地下室についても

特に危険性が大きいと考えられる場合においては,地下空間の用途及び規模を勘案し下記の措置をとる。

(1)浸水しないことを求められる建築物の場合は,地下室を設置しない。

(2)浸水させたくない居室や電気室等の設備は地下に設けない。

(3)やむを得ず,重要設備や機能を地下階に設置する場合は,浸水しにくい計画にする。具体的には,重要室への浸水の防止策,浸入水の排出策として,建築物の開口部は設定浸水高さ以上の高さに設ける。

と極々常識的な内容が記載されており、ここでも福島第一が上記(3)に対応する改造工事など、回避可能性を講じなかった結果、一般防災の水準以下であったことを示している。

私が検証の不足を感じているのは高い場所への設置である。

【配電盤を地下に配置した理由は耐震性だが、規制要件では無い】

配電盤の配置について、各事故調や検証本などを読んでも、何故地下1階に配置されているのか、についての説明はおざなりである。同じく地下に配置された非常用電源については事故直後、米国のハリケーン対策をそのまま真似たからだという証言が朝日新聞に載ったことがある(魚拓)。だが、色々と詳細情報が上がってくる内に、後述のように米国でも地上に配置する例が指摘されるなどしたためか、重要視はされなくなった。そもそも、ハリケーンに耐える建築物を作ることは、台風が毎年襲来する各地の街並みを見れば明らかなように、さほど難しいことではない。原発向けなら尚更。

それでもハリケーン説は具体的な脅威を挙げているだけまだマシで、もっと酷いと「GEに任せたから」的な実に粗雑な説明も散見される(この件に限らず、「GEに任せたから」「GEは凄いから」と断りなく説明している文献は、その点に関しては地雷だと思った方が良い。証言を引用している場合、証言者のポジションなどを考えておく必要がある)。また、上層階に移設出来るかどうかも言及が無いか、留保無く可能としている。準備書面などの中にはネットにアップされている物もあるが、こういった文献の影響を大きく受けている。

この点について最も詳しく論じているのは意外なことに電事連と東電事故調である。つまり、東電と電事連は詳しく論じることで自らの正当性をアピールする目的がある。

電事連が提出したのは前回も紹介した「国内BWRプラントの非常用電源設備の配置について」(2011年8月23日)である。福島第一の非常用電源が地下に配置された経緯の解明のために提出された資料のため、記述の重点は非常用電源になっているが、図上で配電盤も確認することが出来る。以下、2013年の記事「東電事故調への疑問(第3回)」から再掲するが、地震対策が理由だったとしている。

東京電力のプラントの例では、BWRプラント導入初期の配置設計は、米国プラント配置を踏襲した設計がなされていた。ただし、地震に対する設計が米国と比較して厳しい条件となるため、多くは工学的安全施設の電源となる非常用DG等の配置においても岩着した基礎上に設置する方針とした。

また、電事連によれば、米本国の設計思想は次のようになっていた。

非常用DGや電気品はタービン建屋等に配置されているが、非常用DGは地下階に配置されている事例はなく、電気品の一部が地下階に配置されている事例があった。これは、米国では原子炉建屋を除き、設計条件として建屋基礎を深くして地下階を設ける構造とする必要がないためと考えられる。当時の米国プラントは、原子炉建屋は二次格納施設のみの単独建屋となっている。また、非常用DG、中央制御室等は個別の建屋、もしくはタービン建屋と一体とする配置としており、原子炉建屋以外に非常用DG、電気品を設置するのは、当時としては標準的な配置であった。また、非常用DGはタービン建屋の一部に配置されている設計事例もある。

東電事故調は2011年11月の中間報告で8月の電事連資料の記載を踏襲し、最終報告でもP30-31で同趣旨の説明を繰り返した。しかし、電事連、東電共に、福島第一1号機の最初の設置許可申請では、米国の設計思想がそのまま日本に提示されていたこと、「導入初期の配置設計」について具体的なサイト/ユニット名、年月を指定しないなど、言葉を濁している。彼等の報告書だけを読み比べても、読み手は閉じた思考から抜け出すのは困難である。

とは言え、電力は原発の配電盤に対して剛構造であること(共振周波数が20Hz以上)等、耐震性確保のため特殊な要求をしてきたことには留意しなければならない。そのため「一般のビルや工場の屋上にもキュービクルが置いてあるのだから大丈夫だ」という指摘に反論してくるのではないかと懸念している。勿論、一般のキュービクルで、東日本大震災後も機能しているものなど掃いて捨てる程あるだろうが。

黎明期から、原子炉に関係する配電盤は耐震区分上、Aクラスと呼ばれる最も厳しいカテゴリに区分されてきた。高層階では地震の揺れは大きくなるので重要な電気機器などを置きたがらない(後述)。ただし、置きたがらないというのは設計思想の一つに過ぎず、法規制に取り込まれて禁止とはなっていない。

【上層階に配電盤を設置しても問題無かったという暗黙の前提】

この点について、以前、失敗学会の津波対策研究会でコメントしたり、長年原発報道に係ってきたある報道記者と議論したことがある(津波対策研究会でのコメントはその時点で一部参加者から賛意を受けており、反論も無かった。同OBからは5,6号機敷地高決定の事情も聞いたが、報告書には敷地高の件のみ明記された)。いずれの議論でも、上層階に新しい配電盤室(の入った建屋)を増設することなどは、さして難しくなかったと結論している。その理由は、主に2点。

一点目は、50万Vといった特別高圧を扱う外部電源と異なり、配電盤の電圧は高くても6900Vで、関係機器のサイズが小さく、地震時に加わる衝撃も少ない傾向にある事だ。東日本大震災の時、外部電源は地震動で広汎な損傷が見られたが、配電盤類でそのような事象は殆ど聞いたことが無い。津波による被水があったプラントを除き、問題無く動作している(残念なことだが、伊東弁護士による批判はこうした点を十分に説明出来ていない)。

二点目は、福島事故後、最短のケースでは1~2年程の間に、固定式の非常用電源などが高台に増設されたが、その配電盤室の設置に特に大きな問題は出ていないためである。ああいった設備を急遽増設した時、使われる技術は既製のものばかりだから、それで良いということだろう。

【原発黎明期の配電盤の特徴】

では、1970年代の古い技術で製作された配電盤はどうなのだろうか。

調べてみると、まず盤自体が後年より嵩張ることが分かる。大きな物体程地震加速度による影響も大きくなるため、これは不利な材料だ。

後掲の『電気計算臨時増刊』の記述にもあるように、原発は多くの電気機器への電力供給を制御しているため、配電盤の数(面単位で数える)も多くなる。よって配電盤1・2面辺りのサイズを示すことが多いが、福島第一6号機、東海第二に採用した高圧配電盤の場合下記のように、2面当たり幅2m、奥行2.7m、高さ2.6mとなっている。

 

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配電盤メーカー技術者も当ブログを閲覧する可能性があると思われるので、専門的だが、他の仕様についても書いておく(興味ない向きは飛ばしてください)。

『富士技報』によると、メタクラと言ってることから分かるようにJEM 1153(1990年廃止、現JEM 1425相当。経緯はリンク参照)に沿った形式は屋内用自立形閉鎖型(G型)。TCBは極小油量遮断器の略語で、遮断電流定格は7.2kVで60.5kVAとあるから、後述の福島第二以降に大量生産されたVCB(真空遮断器)2段積みの63kVAと比べてもそん色のないスペックと言える。『国分工場史』1巻の記述などと合わせると、1970年代の高圧配電盤はTCBかMBB(磁気遮断器)が主流である。磁気遮断器の方は当時の国鉄工作局が編集した電気機関車のメンテナンスマニュアルでも載っており、耐震性の付加はさほど困難な技術ではないことも推測できる(船舶用なら地上並の大容量タイプも存在しているのだろう)。63kVAとなると配電盤でよくみられる水平引き出しを実現するため、台車の上に載せる方式が多い。この点が耐震性との両立にはマイナスとなるようだ。また、MBBの場合電流遮断のためアークシュートという部材が必要となり、筐体への地絡対策を考慮すると上下方向に相当の容積を食い、2段積みが難しかったのではないだろうか。

盤構造としては板材は3.2㎜の鋼板を使用し、前面扉は4.5㎜鋼板である。主梁はみぞ形鋼(100㎜X50㎜X6㎜)を使用し、必要個所に補強用の斜材を入れた。盤体は溶接構造としているが、溶接強度はそこまで必要ないと判断し、連続溶接は採用していない。

このような仕様により、建物の卓越周波数(5.5Hz,7.9Hz)および盤体の固有振動数(20Hz以上目標)において水平方向0.66G、垂直方向0.29Gの地震力(連続正弦波)に耐えることとされた。

「1100MWe原子力発電所用6900Vメタルクラッドスイッチギアの耐震設計」『富士時報』Vol.48,No.8 1975年 P2(クリックで拡大)

下記の日立国分工場史を読むと、福島第二に納入した高圧配電盤は、遮断器を2段積するなどによって所要面積を従来形の69%に縮小したと書いてある。昭和58年と言えば1983年で、事故の28年も前の話。当時、配電盤の技術革新が急速だったことを伺わせる。この事情は重電各社共同様で、『電気計算』の常連だった東芝も1980年9月号で縮小化傾向を取り上げた記事を投稿している。

Kokubu_2kan_p174175 「第13章 受変電設計器部 (1)メタクラ・キュービクル」『日立製作所国分工場史第二巻』株式会社日立製作所国分工場 1987年8月 P174-175(クリックで拡大)

また、実装されている各種の保護継電器が半導体化されていないため、後の時代の製品に比較すると耐震性で不利であることが70年代末の文献で既に指摘されている。

Denkikeisan197907p214215_2 徳光岩夫「原子力発電所の新しい保護継電技術」『電気計算 臨時増刊号 「これからの保護継電技術』 P214-215 1979年(クリックで拡大)

そういった古い配電盤が、高い場所、例えば福島第一、福島第二では事例の無かった2階より上への設置は出来たと言えるのか、ということだ。

勿論、外部電源の時と同様、古い配電盤に対して予防更新した実績はあり、福島第一もその機会を利用する手はあった。下記『国分ものづくり半世紀』他、東芝レビュー2010年12月号でもそういった記事がある。

Kokubu50nen_p149 「第3章 スイッチギヤ」『国分ものづくり半世紀』 日立製作所 2007年P149

余談だが、2014年度には原発用として水平3G(3000Gal)鉛直2G(2000Gal)の高圧配電盤が製造されている(「2014年度の技術成果と展望」『富士電機技報』Vol.88,No.2 2015年 P113)。富士電機はこの耐震仕様を従来の3倍の大きさとしている。恐らく、こういった仕様を東日本大震災前に求められていなかっただけで、仕様として与えられれば2000年代に高台増設用等の用途で製作することは可能だったと思われる。

話を戻すと、法廷では、規制の在り方などを議論する場合がよくある。前橋判決もその一つだ。そういう官僚的制度論の中では以前から参照すべき事例があるに越したことは無い。

【日本原電敦賀1号機は2階に配置】

以前某古書店で見かけた『敦賀発電所設備の解説』(リンク)という本にその答えはあった。冒頭に「発電所配置」(リンク)が載っている。同配置から、2階部分を引き延ばして赤字で注釈した図を下に示す。これもクリックで拡大するのでよく確認して欲しい。手書きで読み難い部分もあるが、周囲の関係と大きさから赤字のように書かれている。余談となるので図示はしないが非常用ディーゼル発電機は1階に配置されており、電事連~東電事故調の記述とだいぶ異なる印象を受ける筈だ。

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「1.1 全体配置 図1.2.2敦賀発電所平面図」『敦賀発電所 設備の解説』P7 1972年4月
※何故かPNGが掲載出来ないので上記はGIFである。PNG版はリンクのみ貼る。

以前の記事でも触れたように、スイッチギヤとは配電盤(電源盤)のことで、言葉の関係は次のようになる。

  • 6900Vスイッチギヤ=メタクラ=(高圧)配電盤
  • 480Vスイッチギヤ=パワーセンター=(低圧)配電盤

なお、標高(海面からの高さ)で見ると同じ1階、2階といっても、敦賀の方が福島第一より低い位置にある。しかし、耐震性の規格などを論じる場合、普通、標高では見ない。先にも述べたが、建物の上層階では揺れが大きくなるので、電気機器などは地上からの高さが問題となる。例えば、1階で200Galに耐えるように決めている場合、2階では300Galとか400Galなど、一定の倍率を掛けた値を仕様にする。しかも、国会事故調が報告書で敦賀と福島第一を比較した時指摘したのだが、敦賀の方が建設時に要求されていた耐震性(地震動)は大きかった。よって、福島第一より大きな地震動を前提に2階に設置されたという事が分かり、福島第一で配電盤を2階に設置することは極めて容易だったということになる。

【欺瞞的回答は東電子会社故か】

さて、念のため日本原電に質問してみたところ、次のような回答を得た。

質問(2016年11月3日)

廃止となった敦賀発電所1号機ですが、下記の電気設備は福島と異なり、地上階に配置されていたようです。
 ・非常用ディーゼル発電機:1階

 ・6900Vスイッチギヤ(メタクラ、高圧配電盤とも呼称):2階
 ・480Vスイッチギヤ(パワーセンター、低圧配電盤とも呼称):2階

 ・モーター制御盤(モーターコントロールセンタ):1階
 ・
バッテリー(直流用蓄電池):2階
 ・HPCI用ディーゼルエンジン:1階
 ・HPCIポンプ:1階

上記の高さに配置されていると解して良いでしょうか。

下記も2階に配置されているのか高さを御回答ください。
・バイタル電源(AC240Vもしくは120V、計装用)
・原子炉保護系電源(120V M-Gセット)

回答(2016年11月16日)

ご質問いただきました敦賀1号機に係る設備の配置・高さ等につきましては、これまで公表しておらず、原子炉設置許可申請書等にも記載はありません。現在も一般に公表している内容ではないことから、本質問への回答は差し控えさせていただきます。

ご期待に添えず誠に申し訳ございませんが、ご理解の程よろしくお願いいたします。

表に出ていないという回答自体が嘘であるのは勿論だが、仮に、過去に公表していなかったとしても、東日本大震災で被災した原発の配電盤の設置階はその後の調査で公表されている。差支えのある情報とは思えない。しかも既に廃止済みだ。典型的隠蔽体質と言えるだろう。

回答メールが言及している設置許可申請も現在は簡単に閲覧出来る。その他『日本原子力発電社報』に載った軽微な改造も可能な限り見直ししたが、建設時の配電盤配置が変更された形跡はない。そのまま40年に渡って運転されたということだ。

従って、クロニクルで紹介した1970年代~1990年代の各ターニングポイントにおいても、回避可能性に注力していれば、技術的問題も法規制上の問題も無く、福島第一の配電盤を高所(2階)に配置できた。

【結論】

もし私が準備書面を書く立場にあったならば、配電盤の配置について次のような一文を加えるだろう。

東電は電事連が保安院に提出した資料の記述を引き継ぐ形で、配電盤が地下1階や1階に配置されている理由を正当化することに終始したが、実際には同じBWR原発である日本原電敦賀1号機で2階に配置していたことを隠していた。日本原電敦賀1号機は福島第一1号機より1年先行して建設され、その後東電は日本原電を子会社化していた。従って実際には、大津波の可能性に気づいた時点で何時でも、配電盤を2階の高さに配置することが出来た筈である。回避可能性のハードルは極めて低く、最新の技術でなくても配置を改めることは可能だった。事故後の保身のための情報隠しに走り裁判を長期化させたことは原告が受けた不利益に大きく影響したと言うことが出来る。

当記事として主張したいことはまぁ、上述の通りだ。勿論、子会社となって東電を守るために唯々諾々と隠蔽工作に付き合う日本原電の体質についても、言うまでもなく問題外である。

2017年2月22日 (水)

東海第二の非常用電源配置はBWR-5の中でも最悪だった

前回記事「日本原電が一般向けには説明しない東海第二電源喪失対策先送りの過去
」のため資料を見直していて気付いたことがある。

福島事故の直後、福島第一の非常用電源が地下に配置された経緯の解明のために、電気事業連合会が国に資料を提出した(「国内BWRプラントの非常用電源設備の配置について」2011年8月23日)。

この資料にはBWR-5の先行建設事例と後続建設事例の非常用電源配置が載っている。東海第二と同じく、原子炉建屋の周りに非常用電源の収まった部屋を配した複合建屋方式である。

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「図5 BWRプラント(先行建設サイト)の主要な安全設備等の配置例」(電気事業連合会)

上図中で議論の対象にするのはR/Bの記号で示してある原子炉建屋。T/Bはタービン建屋、C/Bはコントロール建屋だが、今回の議論には関係しない。

M/Cとは6900V用電源盤、P/Cとは480V用電源盤のこと(電源盤という単語は余りテクニカルタームとしては一般的ではない気がする。配電盤とか、メタクラ、パワーセンターなど色々な呼称や分類があるが、事故後広く使われてるので当記事では電源盤と呼ぶ)。

電源盤と非常用電源は交互に連担して配置されており、電源盤は3ヶ所に分散している。非常用電源は2台が隣同士の部屋となっている部分がある。また、電源盤は平面配置だけが工夫されてるばかりでなく、非常用電源を据え付けている階より1階上に配置されている。

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「図6 BWRプラント(後続建設サイト)の主要な安全設備等の配置例」(電気事業連合会)

電源盤と非常用電源は大きく分けて2分割されており、連担した配置から更に物理的分離が徹底されている。また、電源盤だけでなく、非常用電源も3ヶ所に分散し、非常用電源同士で隣同士の部屋となっている個所は無くなった。

さて、再度日本原電東海第二の配置を見てみよう。

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「第1.2-2図 建屋内平面配置図(地階部分)」『東海第二発電所設備概要』1972年

電源盤、非常用電源がそれぞれ、原子炉建屋の外周に連担して配置されている。しかもすべて同じ階にある。そればかりでなく、電源盤は1つの部屋に集中配置され、系統別の仕切り壁すら存在していない。このような配置では、スイッチギア室(電源盤の部屋)がやられてしまった場合非常用電源が生きていても即電源喪失に陥る危険な設計である。なお、非常用電源自体もディーゼル機関のため火元足りえるが、非常用発電機機械室の中には、隣の非常用発電機機械室の階段を使わないと上の階から降りて来ることが出来ないものがあるように見える(細部不鮮明のため留保はしておくが)。アクセスルートや防火対策に注意を払っていたのか疑問である。

原子力の歴史を紐解くとGE社はとてつもない技術力を持っているように思われているが、重要な動力源を分散する発想は隣接分野では昔から見られるものである(例えば軍艦の動力源のシフト配置。アクセスルートに関しては、例えばサイドリッツがどう建造されたのかなど、この時代の小学生向け図鑑にも載っている)。それが出来てないのだから、GEも設計思想レベルでは日本と大差無い面が多々ありそうだ。後続プラントを設計した技術者達は東海第二の危険性を良く分かっていたから配置を改めたのだろうが、福島事故後、そのことを積極的に告白しているとは思えない。臭い物には蓋、ということだろうか。

建屋レベルでのプロットプランを解説した文献は『原子力発電所の計画設計・建設工事』以来複数あるが、建屋内の具体的なレイアウトを比較した論文や書籍は未見である。設置許可申請には樹木状の電気系統図(物理配置を反映していないシステム図的なもの)と、建屋内の大まかな配置の両方が載っているが、文献でよく引用されるのは前者が多いように感じる。

東海第二は運開当時、世界最初のBWR-5であると盛んに喧伝された。その後、難燃ケーブルを使用せず延焼防止剤を塗布して火災対策をしていることが問題視された。1970年代としては標準的な対応だったが、数年後に完成した原子力プラントは火災対策のための製品開発の結果、ようやく幅広くラインナップされはじめた難燃ケーブルを採用していたので、差が付いてしまったのである。この問題に加えて、電源盤室が1ヶ所に集中しているため、余計に火災リスクを大きなものとしている。

福島事故後、各原発では過酷事故に備えるため非常用電源を最低1系統分別棟に新設することとなったが、東海第二の場合、元の非常用電源の設計のまずさを考えると、電源盤と非常用電源の分散を考え、他の原発より多くの新設が必要と考える。

それにしても、こんな素人の考えたようなレイアウトを都市近郊の原発でよく認可したなと思う。ただただ呆然とするしかない。やはり廃炉が順当だろう。

2017年2月15日 (水)

日本原電が一般向けには説明しない東海第二電源喪失対策先送りの過去

川澄敏雄さんが盛んにツイートしている通り、震災後の相次ぐ初期原発の廃炉によって、東海第二発電所はいつの間にか最後に残った1970年代運転開始のBWRとなってしまった。

しかも、元原発設計者の渡辺敦雄氏が指摘するように、BWR-5はMARKII格納容器を採用しており、炉心溶融時に溶け落ちた燃料が直接サプレッションプールの水に触れる可能性が高く、固有安全の面から見ると水蒸気爆発のリスクがMARKIより高いと指摘されている。

この問題の他にも浜岡3号機計画時の公開ヒアリング記録に残っているのだが、MARKIIはMARKIに比べて建屋の重心が高く、定性的には耐震性でやや劣ることが、以前から明らかになっている(故に、中部電力は炉形は新しくしてもMARKIを4号機まで採用し続けた)。

また、原発から30㎞圏内の人口が100万を超えており、シビアアクシデントが現実のものとなって以降は都市近接型の原発とみなされている。そのため、実効性のある避難計画はどれ程法制度を充実させても作成することが出来ない。にも拘わらず、茨城県知事を支える政財界は目先の利権を目当てにした再稼働に傾斜している。また、日本原子力発電(日本原電)も敦賀2号機が活断層問題で規制側からすら見放されつつある中、東海第二の再稼働の可能性を否定しないことで、手持ちの原発を残そうとしている。

以上が、東海第二原発を巡る概況だが、当ブログとしては、福島事故と一般的な原発再稼働問題に隠れて見逃されてきた、東海第二のような古いプラント固有のリスクについて、その経緯を明らかにし、日本原電と茨城県の先送り体質上、再稼働に正当性が見いだせないことを論じていきたいと考える。

今回は、東日本大震災発生以前の経緯を中心として、電源喪失リスクの中でも交流電源喪失リスクに着目し、日本原電の態度が、同業と比較しても長期に渡って消極的であったことを示す。直流電源を論じないのは、他社とさほど差が無いからだ。

簡単な復習だが、交流電源喪失を引き起こさないためには、次の供給手段のいずれかが生きていなければならない。

  1. 発電した電力を所内に供給:スクラム時や冷温停止時には使えない。
  2. 外部電源(送電線~所内開閉所)から電力を貰う:冷温停止時は通常この方法である。
  3. 非常用電源を起動する:外部電源からトラブル等で電力が貰えない時はこの方法である。更に、非常用電源は建屋に定置している場合と、震災後原発にも配備された移動電源車の2パターンに分かれる。

以前から指摘を続けている外部電源の耐震化の先送りは2に係わる問題で、今回は3に係わる非常用電源増設(原子炉を冷温停止に導ける大容量のもの)を実施しなかった件についても述べる。

【1】外部電源

【1-1】寿命25年、安全率1倍が前提だった日本電気協会の耐震設計指針

これは前の記事「寿命25年、安全率1倍が前提だった「変電所等における電気設備の耐震設計指針」(JEAG5003)」で述べた。初期原発の外部電源および一次変電所は25年以内に耐震強化の改修・更新工事を必要としていたことが分かる。東電福島第一も、日本原電東海第二も本来はその流れを受け入れるべきだった。

【1-2】1996年に開閉所の更新に言及

『東海発電所三十年の記録』という、日本原電が社員にのみ配布した分厚い記念誌がある(自治体図書館どころか原研にも寄贈されていないようだ)。既に廃炉になった東海第一とも通称される炭酸ガス炉(GCR)を対象にしたもので、PAについて、たった1ページしか割いていない。本来あるべきだった原子力本の在り方がどういうものかよく分かる。ところで、同書は、東海第二に関連する事項についても興味深い記述が存在している。

Tokai30nenkirokup0410 「東海発電所の保守管理 1.主要電源設備(2)屋外開閉所設備」『東海発電所三十年の記録』(1997年)

154kV系は元々東海発電所用で、廃炉になった後はガス開閉装置(GIS)へ更新した上で、東海第二の予備電源として活用することが計画されていた。しかし、以前の記事「原電東海第二は開閉機器更新の実施未定」でも触れたが、実際には遮断器だけが耐震性の高いガス式に更新された。

原子力関係で1点質問させていただきます。

御社では敦賀1号、東海第二など日本の原子力開発初期に建設されたプラントがあります。これらの外部電源は建設時いずれも気中開閉式(ABB)の機器を使用しておりガス開閉装置(GIS)ではなかったようです。

http://www.nsr.go.jp/archive/nisa/shingikai/800/28/001/1-3-1.pdf

一方上記旧保安院の報告ではABB系の機器は耐震性が脆弱とのことで、GISへの更新を推奨しています。

御社の原発の開閉所、また最初に接続する一次変電所にてGISへの更新は実施していますでしょうか。

【当社発電所の開閉所設備について(現在)】

■東海第二発電所
 ・154kV‐気中(ガス遮断器)
 ・275kV‐気中(空気遮断器)
  今後、ガス絶縁開閉装置に変更予定
(中略)

なお、当社は卸電気事業者のため、送電線は所有しておりません。一次変電所については他社の設備となりますので、お答えしかねます。

(2014年11月18日:日本原子力発電回答メール)

開閉設備一式(断路器、変成器、避雷器などを含む)の耐震化には遮断器のガス化だけでは十分ではなく、GISへの更新が不可欠である。

なお、開閉設備更新計画は、記念誌に合わせたリップサービスではない。同書の座談会で30周年時点の電気補修課長小栗第一郎氏は次のようにコメントしているからだ。

小栗‐運開以降の保守の考え方としては、当初は、予防保全を設備、機器の点検周期を決めて、それに従い点検を実施していた。
10年目以降20年ぐらいまでは、設備重要度を考慮し実施した。
20年目以降は、取替計画や経済性を考慮するようになり、診断技術を導入して先取りをした点検に移っていった。
(注:昭和)60年代に入って、将来のプラントの停止を考慮しかつ劣化の状況を見て、今後の点検、取替計画を策定するように移っていった。こうして現在のような考え方に近づいてきた。

座談会
東海発電所 安全安定運転 30年の歴史 「過去、現在、未来」東海発電所を語る 」『東海発電所三十年の記録』(1997年)

これまで私は、「日本原電は東日本大震災を見てから九州電力などが外部電源の耐震強化を進めていたにも関わらず、3年半以上設備更新を放置したと」理解していた。しかしどうやら、悪質なことに震災の15年前に遡って、1996年に設備更新の必要性を認識していたということが分かる。

小栗氏の言う「経済性」は、他社と異なる判断を下す決め手となったのだろう。それは、一体どういうものだったのだろうか。本書発行の2年後、JCO事故が東海村で発生し、日本原電もINESレベル4を間近で体験することになる。シビアアクシデントの恐ろしさを想起させるには十分だったと思われるが、それにもかかわらず当初の計画が縮小された。

一つの可能性としては、日本原電単体の「経済性」ではなく、子会社化を図った東電原発の「経済性」に支障したというシナリオが考えられる。東電はある時期から日本原電の株式を25%以上保有し、子会社とした。その経緯はWeb上では北村俊郎「巨大組織は何故大事故を起こすのか(10)」(2015.9.24 日本エネルギー会議)で説明されている。

【1-3】台湾第3原子力(馬鞍山)電源喪失事故(2001年3月)の教訓化

福島事故前に教訓化出来たチャンスとして良く取り上げられるのが仏ルブレイエ原発の洪水による電源喪失危機(1999年)である。ただし、この事故の教訓は想定外の浸水を防止するという観点から指摘されているのであって、外部電源の耐震性への問題提起としては、有力な内容と考えられていない。

主要4事故調の内、民間事故調はこの他の海外原発事故事例として、2001年に発生した台湾第3原子力(馬鞍山)での電源喪失事故に触れている。この問題もまた耐震性の観点から指摘されたものではないが、外部電源を含めた全交流電源の信頼性を見直すきっかけとなり、結果として耐震性の問題に影響を与えた可能性がある。

どういう事故なのか。

台湾の馬鞍山原子力発電所で起きたSBO(注:交流電源喪失)については原子力安全委員会等において議論がなされている。

このケースではまず、塩分を含んだ海からの濃霧による絶縁劣化により2回線ある外部電源がどちらも停止した。外部電源喪失後、本来の設計上は、2系統ある非常用ディーゼル発電機が起動する筈だったが、1つは分電盤の地絡(電気装置等と大地との間の絶縁が低下し、電気的接続が生じること)により、残る一つはディーゼル発電機の起動自体に失敗し、SBOに至った。しかし、直流電源は利用可能であったため、SBOに至った直後から補助給水系等によって炉心冷却が可能であったほか、同発電所では上記2系統のほかにもう一つ非常用ディーゼル発電機を2基で共有する形で用意しており、これを系統の一つに接続することで、約2時間でSBOを解消することができた。

(中略)台湾の事例から、発電機や外部電源系そのものが正常であっても、電源母線や電源盤の損傷によってSBOに至りうるということを、教訓として学んでおくべきであった。原子力安全委員会ではこの事例について検討が行われているが、委員からの指摘に、当時の保安院の説明者は「大体BWRの場合終局で少なくとも8時間ぐらい。それから、PWRの場合はある処置を前提にすれば5時間ぐらいはその状態での維持が可能でございますので、その間の外部電源の復旧。日本の場合大体送電系統の停電というのは30分ぐらいというような実績がございます。それから、先ほども申し上げましたD/Gの補修とかそういったものを考えて十分な余裕があるというふうな認識ではございます」と回答している。それ以上の議論は行われず、結果的に本格的な教訓は得られなかった。

「第3部 歴史的・構造的要因の分析 第7章 福島原発事故にかかわる原子力安全規制の課題」『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』 2012年3月 P277-278

一部で悪名高い東大教授の岡本孝司氏も本件を取り上げたが「日本の安全性向上に反映されたか不明」とした。氏の手になる追跡調査は見つからなかった。

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岡本孝司(東京大学)「福島第一原子力発電所事故の教訓」日本機械学会HP 2011年11月28日

民間事故調、岡本氏とも触れていないが、日本と台湾は民間レベルで「日台原子力安全セミナー」を毎年開催してきた。芸能人や文化人を呼んだ一般向けの宣伝用ではなく、プロ相手の実務会合である。2002年(第16回)では馬鞍山事故を受けて電源喪失が主要なテーマとなった。そして、日本原電からも講演者が一名参加し、パネル討論にも登壇していた(武藤直人、当時日本原子力発電発電管理室プラント運営管理グループマネージャー(副部長))。

保安院の説明は当時のAM策(過酷事故対策のこと)で新味は無い。しかし、セミナーでは武藤氏とは別の講演者から興味深い事実が提示されていた。過去20年の間に国に報告された非常用ディーゼルトラブルを集計したところ、1回辺りの平均ダウン時間が100時間を超える発電所が3ヶ所存在し、日本の全原発の平均を取っても60時間だと言うのである(「中島知正(原子力発電技術機構)「日本における外部要因による計画外原子炉停止及び非常用ディーゼル発電機トラブルの統計分析について」)。

要するに、外部電源が喪失した状態でディーゼル発電機が一度故障すると、平均を取っても再起動に2.5日から4日かかり、BWRで標準となっていた8時間現状を維持する体制では、持たないという事を意味していた。

この事実を提示した講演者の中島氏は当時の通例に従って、外部電源が故障する確率と非常用電源が全て故障する確率を掛け算し、それが10^-7(/年)以下のため、「台湾の第3原子力発電所で発生したような事象は、日本では確率的に発生する恐れは殆ど無い」と結論した。

このような事実もAM策を検討した90年代初頭には情報としては上がっており、中島氏の論法もその繰り返しに過ぎない。ただ、少数の特定の委員会内部だけで読むレポートでは無く、日本原電の講演者を含む安全セミナーにおいて「電源喪失は無い」という神話の根拠が深いレベルで説明されたのは、ポイントだろう。

興味深いのはパネル討論で中島氏が台湾の事故のようなケースを考慮せずに確率計算したため、「非常に保守的な評価となってしまった」と反省の弁を述べていることだ。

また、パネル討論でコメンテーター役が設定されており、三菱重工の米沢隆氏が務めていた。恐らく、彼のコメントと思われるが、次のように教訓を述べている部分も注目される。

長時間(注:ここでは30分以上を指す)の電源喪失事故に関しては、日本では確率的安全評価(PSA)によって原子力発電所は送電系統の信頼性が高いため全電源喪失事故は炉心損傷リスクの主要寄与因子でないことが示されているが、長時間の全電源喪失事故対応も考慮したAM策が整備され、その中で、交流電源回復手段として隣接ユニットの非常用電源を利用してバックアップする方策(号機間電源融通)が準備されている。

台湾では、長時間の全電源喪失事故発生を想定しそのための十分なAM策と必要な設備対策がとられていた。従って、台湾の全電源喪失事故事象教訓に照らし、深層防護の観点から現状の日本のAM策の更なる改善要否について検討することが望ましいと考えられる。

台湾第3(馬鞍山)原子力発電所全電源喪失事故:原因と今後の課題

東電福島第一は「AM策の更なる改善」として2000年代に追加の電源喪失対策をしなかった。日本の原発全体を概観した先行文献でも、東電の右に倣えだったように説明されている。東日本大震災以前、日本のAM策は内的事象(機器の故障)のみを対象とし、外部事象(災害、テロ等)への対策は建設当時施された内容から進化していなかった。台湾は馬鞍山当時から内的事象も外部事象も想定し、塩害は外部事象に分類されたらしい。

【1-4】PWR各社は相次いで外部電源を更新

しかし、私は先行文献の「日本は行政指導の元、横並びで外部事象への対策を強化しなかった」という見方に異論がある。

電力各社の原発外部電源-関電美浜・原電東海第二は開閉機器更新の実施未定-」で外部電源の耐震性が低い原発の更新状況を各社に質問した。BWR各社については1997年に島根1号機でGIS更新の先進例があった後は、浜岡1・2号機が廃止された以外大きな動きは無く、台湾の事故後のGIS更新も無かった。一方、PWR各社を見ると、台湾の事故の後、外部電源を更新した社が存在する。

  • 関電高浜:福島事故前にGISに更新(2001年以降かは不明、経年からは可能性高)
  • 四電伊方:1号機、2号機ともGISに更新(2004~2005年)
  • 九電玄海:1号機、2号機ともGISに更新(2008~2009年)

三菱のGIS開発研究の初期に書かれた『電力機器の耐震設計方法に関する基礎的研究』(1971年)という大論文がある。引用はしないが同論文を読むと、国内外で発生した大地震と電力設備の被害を詳しく調べるなど、当初よりGISを実用化すれば地震対策へ大きな効果を見込めるものとして、重視していたことが分かる。そのような技術的思考が後輩技術者に受け継がれていたとすれば、台湾の事故を後押しにGISへの更新提案を行っていても不思議ではない。実際、2000年代後半に入ると日立、東芝、日新など変電機器メーカーも相次いで更新提案を強化し、それを社史や技報でPRしていった。

なお、GISの特徴として耐震性の高さの他、主要機器が密閉されているので塩害に強い点が挙げられる。一般論としては、台湾の事故を受けて提案する対策として最適だった。もっとも、東海第二の主要な外部電源である275kV回線の開閉所は耐震性の低い空気式(ABB)ながら塩害対策のため屋内収容されていたので、【1-2】で紹介した154kV回線(屋外設置)の更新の場合のみ、塩害対策上のメリットがある。

電源喪失対策は、後で議論するように非常用発電機の増設も指し手の一つとしてある。しかし、1990年代に東電福島第一で増設を実施した際は、設置変更許可申請を行っている。これを前例とすると、定置式の非常用電源の増設は表立った動きとならざるを得ず、地元の刺激を無意味なまでに恐れていたらしい電力各社にとって政治的に好ましい施策では無かったようだ。

なお、設置変更許可を要しない移動電源車の常置策は、何故か採用されなかった。私が直接当事者から聞いたところによると、1990年代にAM策を検討した時、メーカーサイドから電事連に提案はしたそうだが、葬られた経緯は不明だ。規制側(当時はエネ庁)の資料には一言も触れられてない。

このように見てくると、経年を理由にした外部電源の更新は、外的事象による電源喪失への対策として、絶妙な位置にあったのかも知れない。

だが東電と、(東電の子会社化が進んでいたらしい)日本原電は、そのような更新を先送りし続けた。

【2】非常用電源

【2-1】隣接原子炉から電源融通が不可能な東海第二

ここで、【1-1】~【1-4】で議論してきた外部電源から目を転じ、非常用電源について概観する。非常用電源は事故時対応の本命であり、初期の原発でも定置式が最低2台あり、1台トラブルを起こしても、もう1台で冷温停止まで導けるだけの容量を付与している。これがその後、何の強化も無かったのか、という疑問のある方もいるだろう。福島事故前の経緯をきちんと調べると分かる事だが、1990年代にAM策として非常用電源も強化された。

どういう内容だろうか。

一つのサイトに原子炉が複数ある場合、福島のように共倒れになってしまう危険がよく指摘される。しかし、上記セミナーからの引用にもあるように、非常用電源が各原子炉に設置されていることを利用すれば多重性と限定的な多様性を付与出来るため、隣接原子炉の非常用電源から電源を融通出来るようにするAM策が1990年代に実施された。

Nsc_senmon_shidai_gensi_kentou_gens 軽水型原子力発電所におけるアクシデントマネジメントの整備について 検討報告書資源エネルギー庁199410P12 (archive.orgで閲覧可能)

1998年に東海発電所が廃止されてから、東海第二は単独立地のプラントとなったため、「隣接ユニットの非常用電源を利用」することは出来なかった(上記資料に東海第二が挙がっているのは、94年の時点で、東海発電所の廃止が見えていたからだろう)。

Amhpcsdgtepcovideo_2 「IIIアクシデントマネジメント策」『アクシデントマネジメント』東京電力、東芝、東芝アドバンストシステム(リンク

 

福島事故前に製作された東電の所員向け教育ビデオにおける電源融通の様子。隣接プラントの無い東海第二では、このような模式図は成立しない。

このような「欠点」を持つサイトは当時北陸電志賀1号機(後に東北電東通1号機)などがあり、いずれもBWR-5であった。国はBWR-5が通常の非常用電源2台の他にHPCS(高圧注水系)専用の非常用電源を1台設置してあったことに目を付け、HCPS用非常用電源を通常の非常用電源としても利用出来るように結線することで、号機間融通策の代替措置とみなした。

しかし、この代替措置は矛盾している。福島第二や柏崎刈羽のBWR-5は隣接プラントを持っているが、自プラントにHPCS用の非常用電源も持っている。もし、代替措置で十分なのであれば、これらのプラントでもHPCS用に結線するだけで事は足り、経費は節減される。隣接プラントから電源融通のタイラインを引いてくる必要は無い。

逆に言えば、隣接機からの融通が第一とされたのは、このAM策を考案した人達の頭の中で、自プラントの外から引いてくることに、物理的な系統分離(セパレーション・クライテリア)という意義を見出していたからだろう。

2017/2/20追記。NUREG-1150で解析対象となったプラントを見ると隣接機からの電源融通はBWR-4に、HPCS用非常用電源からの融通はBWR-6に採用事例があった。当時は米国でもこういった融通策が水平展開されていなかったようで、日本側はこれらを真似てAM策に取り込んだのだろう。

そういうことだ。

単独立地プラントの場合、本来は別棟に残留熱除去系(RHR、駆動に大電力を要し、最終ヒートシンク~崩壊熱を海に逃がすこと~に不可欠な系統)を動かせる大容量非常用発電機(最低でも5000kW程度は必要)の増設が必要だった筈である。この方法は複数立地の福島第一だけが採用し、5・6号機を破局から救うことにも役立った。しかし、単独立地プラントでの採用例は皆無だった。

それでも、他の単独立地プラントは、外部電源が新しいGISなので耐震性は高い。そのため、上記セミナーの掛け算の理で考えれば、発電所全体で見た所内電源の信頼性は高くなる。しかし、東海第二はそうではなく、【1】で述べたように外部電源の信頼性も低い。

日本原子力発電との質疑」でも書いたことだが、原電に施策の根拠を問いかけると、国の規制に従った技術的説明は回答するが、どういう議論をしたかについては「社内の意思決定に関する情報等については、回答を差し控えさせていただきます。」と拒否される。日本原電は、2016年秋に地元で20回程説明会を繰り返したが、そういう会社である。

前掲の『東海発電所三十年の記録 運転管理資料編』によると、東海発電所の場合、保安運営委員会を2週間に1回程度の割で開催しており、AM策は「東海発電所アクシデントマネジメント検討結果について」(第234回、1995年8月7日)で討議された。事情は東海第二でも同様だったと思われるが、BWRの場合、資源エネルギー庁の資料は1994年に作成されているので、保安運営委員会の開催はもっと前だったのかも知れない。基本方針は日本原電本社で決めたのかも知れないが、こういった議事録の開示は必要である。

なお、配電盤、非常用電源、HPCS用非常用電源は原子炉建屋の外周に並んで配置されている。

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「第1.2-2図 建屋内平面配置図(地階部分)」『東海第二発電所設備概要』1972年

日台セミナーの台湾側事故報告(日本語訳で配布)によると、非常用電源を現場に行って手動で再起動した際、スイッチギヤ室(配電盤室)で焼損した遮断器から発したものなのか、「現場は煙が充満しており操作がかなり困難であった」と記載されている。このことは、発端となるトラブルを内的事象に限定しても、火災や内部溢水を想定し?、煙に巻かれにくい隣接機からの融通を考えたAM策考案者の正しさを証明している。

したがって、日本原電はこのセミナーの後、別棟に大容量非常用電源を新設するべきだった。しかし、実際にはチャンスを全く生かしていない。

結局、別棟に新たな大容量非常用電源が設置されることとなったのは、福島事故の後であった。

【3】そして、東海第二の電源喪失対策は次々先送りされた

【1-1】~【1-4】、【2-1】と福島第一で取られた対策を踏まえて東海第二を観察すると、非常に奇妙な特徴がある。福島事故前20年ほどの日本原電は他社に比較して、東海第二での電源喪失対策に消極的なのである。

最初は、人と環境の条件は有利だった。【1-2】で見たように意欲はあり、【1-3】で見たように当事者を交えて生の知見を得る幸運に恵まれていたからである。

しかし、外部電源の更新は154kVの遮断器のガス化に留まり、【2-1】で見たように東電のような非常用電源の増設も行わなかった。

2007年の中越沖地震後に東電が免震重要棟の設置を決めると、日本原電も親会社に倣って同様の設備を建設し、小容量(500kW)のガスタービン発電機が屋上に設置されることとなった。このガスタービン発電機は震災に間に合い、仮設ケーブルを原子炉建屋に引いて補助的に運用された(「地震・津波被災を乗り越えた東海第二発電所」『エネルギーレビュー』2013年1月)。

仮設ケーブルということは、本来そう言う使い方を織り込んで設置した物ではないのだろうが、土壇場になって最小限の交流電源喪失対策が奏功したとは言える。例の津波対策同様に評価すべきことではある。しかし長期的な観察結果からは、電源喪失対策に対する日本原電の態度は、ある意味東電以上に原発を運転する事業者としての資質を疑わせる行動が散見される。

なお、日本原電はプラントの安全投資をサボる反面、PR施設東海テラパークを拠点に女性や子供への蔑視思想を根底に置いた啓蒙活動を、他社同様熱心に推進した。「げんでんスマイルフェア」や小中学生をターゲットにした「げんでんe学びクラブ」などが該当する。無駄な活動に費やす余力は持ち合わせていた。

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「日本原子力発電が開催した「げんでんスマイルフェア」」『電気情報』2006年1月(冒頭リンク

一般的に日本の原発は安全とリスクのバランスに欠けているが、日本原電は追加の電源喪失対策を外部電源は20年以上、非常用電源も台湾の事故から10年近くも放置した。無能な原発推進者や司法関係者によくある思考として、結果オーライという発想があるが、このような適切な設備投資の感覚を喪失している事業者に、老朽原発の運転を任せて良いとはとても思えない。

2017年2月12日 (日)

寿命25年、安全率1倍が前提だった「変電所等における電気設備の耐震設計指針」(JEAG5003)

【前書き】

地震で壊れた福島原発の外部電源-各事故調は国内原発の事前予防策を取上げず」から3本外部電源の問題を書いてから2年以上経過してしまった。それらの記事では、他社が福島事故前から外部電源を更新して耐震強化を図る中、日本原電東海第二、東京電力福島第二については福島事故を経ても脆弱なまま放置されていたことを批判した。

これら2つのサイトは炉形だけを見ても、固有安全性で劣るBWR‐5である。それにも関わらず、再稼働を期待する勢力によって未だに廃炉に至っていないこと、また、東電については司直の場で法的責任を否定し続けている問題がある。そこで今回は、この2年で解明した事実について、外部電源や新福島変電所のような一次変電所に適用される設計指針「変電所等における電気設備の耐震設計指針」(JEAG5003)を対象に、その問題を論じる。

東日本大震災で被災した変電設備を巡っては、「N-1基準」-送変電設備は1ヶ所の故障に対してバックアップが取れていれば良いという考え方(ただし影響が大きな場合はN-2も考慮)-を盾に「今回の震災はN-10であった」などと東電を擁護する向きがある(石川和男「「電力システム改革」を改革すべし!(その2)」『アゴラ』2013年07月18日)。しかし、N-1基準を肯定したとしても、なお問題提起するべき内容があることを知ってほしいと思っている。

【本文】

以前にも述べたことだが、1978年の宮城県沖地震では、仙台変電所(275kV回線あり)のように大きく損傷を受けた所があり、事故後電中研を交えて原因を調査し、1980年に変電設備の耐震設計指針(JEAG5003-1980)を日本電気協会から発行した。

地震動で倒壊した福島第一の外部電源設備はJAEG5003制定前の設置だったが、指針の内容は一応クリアしていた。倒壊した原因の一つは空気式(ABB)は概してガス式(GCB,GIS)より耐震性能が劣るからだと旧原子力安全・保安院は説明した。私見だが、開閉所を設置している高台などは、原子炉建屋に比べて地震動が大きかったことも理由だろう。

(参考)原子力発電所 開閉所遮断器の型式及び設置年
○今般の震災において、原子力発電所施設内の開閉所において設備の損壊等が発生した福島第一原子力発電所の大熊線1号線及び2号線はいずれも1978年に設置されたABB形式(気中遮断器(空気))であった(※1)。

※これらの開閉所は、JEAG5003-1980制定(1980年)より前に製造しているものの、福島第一1号機及び2号機の耐震性能については、開発段階から先行して動的評価を取り入れており、JEAGの要求性能を有している。

○(社)電気協同研究会による遮断器の耐震性能調査によると、タンク型遮断器(ガス絶縁開閉装置 (GIS)等)は、がいし型遮断器(気中遮断器(ABB等)等)に比べて耐震性能が高いとの結果が得られている。

○そのため、福島第一原子力発電所の遮断器が損傷した原因は、相対的に耐震性能が低いと考えられるABB形式の遮断器にあった可能性があり、今後、遮断器をABB形式からGIS形式に交換していくことが望ましい。一方、同発電所の大熊線4号は1973年設置のABB形式であっても損壊していないこと等(スライド22、23)から、今回損壊した遮断器等の解析による詳細評価の結果を踏まえ、更に検討していくことが必要。

原子力発電所の外部電源に係る状況について」原子力安全・保安院 2011年10月24日(WARPリンク

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私も、JEAG5003の2010年改訂版を参照した。256ページもある、本と言って良い厚さである。最初精読した時は特に不審な内容は見当らなかった。ところが最近、制定当時の技術的根拠を電中研の地盤耐震部が解説した専門誌の記事などを読み比べて、驚いたことが3つあった。

(1)開閉装置の寿命は25年を前提にした指針

一点目は、指針の対象となる開閉装置の設備寿命は25年と考えられていたことである。JEAG5003は確かに参考資料として河角マップの75年地震期待値を載せているのだが、その根拠として、設備寿命25年の3倍の期間を想定すれば十分であるとの考えに拠って定められたことまでは書かれていなかった。

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塩見哲(電力中央研究所土木技術研究所地盤耐震部)「新しい動的設計を図解する」『電気計算』1981年6月P40

通常、設備の寿命を見込むには、その部材の劣化特性やフィールドに設置された設備の実態調査を踏まえて決められる。開閉設備の場合は、基板やリレーと言った電気電子部品から、筐体の板金や碍子に至る部材の劣化状況や、メーカーの納入仕様書を見ることになるだろう。しかし、当指針を読むと部材の劣化状況とは別に、指針が想定した耐震性能によって自動的に25年という上限が定められることが分かる。中国電力を皮切りに、東電、日本原電以外の各社が続々と外部電源を耐震性の高いGISに置き換えていったのは、単なる劣化判定や保守部品の入手難ばかりでなく、この指針の根拠に自ら気づいたか、メーカーに提示されていたからだろう。

原発の基準地震動に比べればJEAG5003の考え方は遥かに緩い内容と思われるが、そのことを横においても、次のような問題点を指摘できる。

●河角マップが古すぎて役に立たない
福島原発1号機建設期に指摘された地震想定の問題点」でも指摘したが、河角マップは1950年代初頭に作られた地震期待値図であり、各地の期待震度が低すぎる。1960年代末にはより期待震度を厳しくした後藤マップが出現し、その後も幾つかの研究機関が類似の震度期待地図を発表、現在では地震調査推進研究本部(推本)のデータを元にした地震動予測図が最新の期待地図となっている。ロバート・ゲラー氏は東日本大震災や熊本地震を例に、推本データによる地震動予測図も「外れマップ」として批判しているが、河角マップに比較すれば厳しい内容のため、予防的には河角マップよりはマシと言える。なお、河角マップは一般建築物の耐震基準にも参照されてきたため、その問題点は2016年熊本地震でも批判された。

●25年規定を明文化していない指針を制定する行為は、モラルハザード
25年を経過したら更新するか、25年以上使用する設備は、75年期待値図を使用してはならないように、JEAG5003に明文化するべきであった。

河角マップは75年期待値図の他、100年期待値図と200年期待値図が存在し、それらの震度期待値は75年期待値図より大きい。このことは最低でも経年25年~33年の設備は100年期待値図、経年33年~66年の設備は200年期待値図を使用すべきであったことを教えている。考え方としてはそのような方向で解釈すべき指針であり、実態を反映せず明記を怠り続けた指針制定の委員会には、大きな責任が生じる。

なお、1978年に設置された福島第一1・2号機用の外部電源は、2011年時点で経年33年であり、GISに更新工事中だった3号機用以外は34年目以降の使用を前提としていた。従って、例えCクラス扱いであっても、事実上河角マップの200年期待値図を最低でも前提にする必要があり、地震学の発展を考慮すれば、更に厳しい内容が要求されるのが筋だった、ということである。

JEAG5003の問題だから、新福島変電所にも、東海第二の開閉所にも、東海第二と接続する東電側の一次変電所にも上記の問題は当てはまる。しかし、1990年代に寿命40年超を迎える原発の高経年(老朽)運用が可能であるか研究された際、主に原子炉周りの機器の寿命評価ばかりに視点が集中し(意図的に寿命評価をパスし易い機器のみフォーカスされた可能性もあると思うが)、外部電源の設計指針の問題は、公開の報告書では全く取り上げられなかった。

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徳光岩夫「原子力発電所は何年くらい安全運転が可能か」『電気計算』1999年7月P35
※幾つかのステップを経て高経年化対策が検討されたことが分かる。しかし、当時の文献を見てもJEAG5003の中味を議論した形跡は見当たらない。

(2)JEAG5003が前提とする地震動は震度6

先ほどの『電気計算』1981年6月号記事を読めばわかるように、JEAG5003が想定した震度は当時の階級で6に過ぎない。加速度で言えば250~400Galに相当するとされるが、後年震度が体感から地震計のデータを利用した算出法に改められ、震度6であっても400Gal以上の揺れを与えることは珍しくなくなった。なお、リアルタイムで震度7が計測されたのは1995年の阪神大震災が初めてで、2007年には新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発でも記録された。上述のようにJEAG5003は2010年に改訂されているが、このような事実を取り入れて、指針を改めることが無かったのは、到底許されることではない。

(3)想定地震力に対する安全率は東電社内規定に合わせて1倍

JEAG5003では、がいし形機器への設計地震力を「0.3G共振正弦3波」(Gは重力加速度で約300Gal相当)と規定している。

しかし、この値はJEAG5003制定以前に東京電力が社内規定で定めていた内容を色々な計算で肉付けしオーソライズしたものと考えられる。東電が社内向けに編纂した『変電技術史』には次のような経緯が書かれている。

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「第11章第1節変電所設計5.防災・安全及び環境対策」『変電技術史』東京電力1995年P557

上記のとおり、東電の社内規定では、この設計地震力は安全率との掛け算で表現されており、その安全率は1倍であった。JEAG5003の何処を見ても、地震波の入力位置(高い位置の方が振れが大きい等)による増幅率は明示されているが、安全率1を掛けた値であることは明示されていない。これが、旧原子力安全・保安院が東電の説明を受けて書いた文言「開発段階から先行して動的評価を取り入れており、JEAGの要求性能を有している」の実態だった。

加えて、1977年度に大学の研究者が東芝と共同で研究した空気式遮断器(ABB)の耐震性に関する博士論文を読むと、安全率を2倍に取っている電力会社も存在していたことが分かる。

Daidenryokuabbjisinoutou1977p12

藤本滋(慶應義塾大大学院工学研究科)「第1章 序論」『大電力用空気しゃ断器の地震応答解析』1978年3月P1-2

電力業界は変電機器の耐震設計について社内でどのような考え方を取っているのか(JAEG5003準拠で済ませるのか、更に厳しい値を設けるか)、分かり易く纏めてネットに公開していないが、上記藤本氏の論文によると注釈(4)の「電力会社の耐震設計について(アンケート調査結果)」(中部電力社内資料1968年8月)が存在している。新しい資料ではないが、経緯解明には役立つだろう。

また、宮城県沖地震の調査でも、電気事業連合会は『変電設備耐震特別委員会報告書』(1979年)をまとめてJAEG5003制定の際に、影響力を行使していた。従って、『原発と大津波』に示されたように、津波評価技術において土木学会をオーソライズの舞台として使ったのと同様、いや先んじて、変電機器の耐震指針制定でも、実際の作者は日本電気協会ではなく、東電であった。

以上の3点から、初期原発の外部電源および一次変電所は25年以内に耐震強化の改修・更新工事を必要としていたことが分かる。東電福島第一も、日本原電東海第二も本来はその流れを受け入れるべきだった。

なお、今回取り上げた文献の内、『電気計算』1981年6月号は変電機器の耐震設計特集となっており、塩見氏の他にも投稿記事がある。その中には、非常に少ない可能性とは言え、JEAGで想定した以上の地震が起こる可能性はあると認めた上で、耐震向上、復旧対策に「各電力会社は万全を図っている」と豪語しているものがある(百足武雄(東北電力工務部)「地震におけるがいし形機器の被害」『電気計算』1981年6月P52)。細かいことだが「万全」とは、ゼロリスク論に容易に繋がる言葉でもあり、注意が必要だ。

また、藤本論文は第5章、第6章(まとめ)にて、共振正弦3波を用いることの妥当性も検証し、特定の条件下においては実際の地震動に対して十分安全側ではなく、実際の地震波を用いた解析の必要性を結論している。

更に、『変電技術史』では水害対策として、1989年以降毎年変電所周辺環境の変化(河川改修や冠水状況など)をチェックすることとした(P564)、「重要変電所における重大事故時の処置」を制定した(P686)などと、これまでの事故報告で未踏の事実が書かれている。

しかし、今回の記事ではそれらの詳細については不明な部分もあり、省略した。勿論、偉そうな態度で電力会社への愛の言葉を垂れ流すインターネット上の自称関係者達は誰一人、こういった具体的な内容に言及していない。

2017年2月10日 (金)

「社員だけが非公開の内部情報にアクセス」と自慢するあさくらトンコツ氏の見栄

前に福島第一排気筒問題で一部作業員、偽科学関係者が振りまいた安全神話を書いた時にもこの方観察して思ったのだが、11人の部下を率いて1F廃炉現場にいると称しているあさくらとんこつ氏って、身内でもバカにされてるんじゃないだろうか。

あんまり使いたくない表現だけど、地頭が絶望的に悪い。

【1】論文で勉強しろ。でも本当に重要な情報は教えないよ。
相手の皮肉は勿論、連ツイの矛盾にすら気づかない愚かさ。分からないなら、勉強する意味は無いだろう(新発見狙いの研究者やクレムノロジーとかは除く)。

この話を聞いて思い出したのは、私も勉強しようと思って電力会社や電力中央研究所の図書室に問い合わせしたところ、外部からの閲覧は受け付けていないと冷淡に回答された経験だった。あさくらトンコツ氏が居た研究所というのは、大方そういう所だろう。彼の主張は見せないと断言している図書室に来いと言ってるのと同義だが、一体何を考えているのか。

【2】ネットの喧嘩如きで守秘義務のある話を持ち出す
一般産業界を含めてほぼマナーだと思われるが、守秘義務の直接当事者なら、黙るのが普通である。内部告発や批判的研究が例外扱いされているのは、密室でのインモラルな行為を晒す事に公益があるからだ。意味も無く社内で研究中の開発品についてペラペラ喋ったり、図面の存在などを誇示するのはアホのやることだ。

勿論、分野によっては日本の情報公開のレベルが低くて、中国などの方がしっかり開示していることや、以前は詳しく説明していたが、今は表面的な発表に留まると言った時期による差もあるだろう。

規制の厳しい業界だと契約によっては、その仕事をしてることも話すなという文言もあるようだ。かつて、シャープ亀山ディスプレイに市場価値が認められていた時にも、そんな話を聞いた。

ていうか、私もサラリーマン(非原子力業界)の端くれだけど、職場にこんなのいたら…だなぁ。研究所で重要なデータへのアクセス権を持っていた人が廃炉の現場に回ってるという事は、懲罰人事を想起。口が軽いので外されたのでは?

余談だけど全体が見えない人って、細かいことでは器用って結構あるんだよね。国の言うことには何でもヒラメな一部のマニア向きの表現だけど、『レッドサンブラッククロス』にスターシステムで出演した真田中将もそういう台詞を与えられてるよ。

ある意味現場向きの楽天家。絶望の職場と思ってないのだから、雇う側からすれば使い易いのだろう。

【3】お手製企業広報の罠
「自分で語ろう」と煽っていた東電のような例外(コロラド氏のtogetter参照)はともかくとして、推進陣営の構成員をやっているなら、企業プロパガンダは広報に任せておくのが筋。意味の無い愛社精神の発露は内輪でもドン引きである。

もっと言えば、広報の外注先にしても企業の担当が決めているので、わざわざ井上リサとか、アゴラ御一行様の垂らす釣り針に食いつくのはアホだろう。原発プロパガンダにもピンキリがあり、公式系は嘘を入れたり、不都合な情報を教えないことはあっても、普通は他者への直接的な悪口は入れない。東電が嫌われる理由の一つが「慇懃丁寧だが、内容は冷淡」という態度だが、そのことを良く表している。勿論、公式系が問題無いという事では無く、彼等も原発事故の戦犯であることは、「テロ対策を言い訳に反対派を追い出して爆発した福島第一原発」で論じた。

ネットで営業してるPA業者は公式系より更に悪い。感情に任せた悪口が山盛りで、紙にも残し、広報請負人としてクオリティは最低と言って良い。在特会や日本会議のような反社と同レベルである。

【4】本質的に詐欺師の話法
「詳細は知っている。教えないけど、大したことは無いんだ」

あの事故の後、初めて会った人間にこんなこと言われて信じる人いるのだろうか(笑)。

そんな話を聞かされても「本当に見れないか試してやるから文書名教えろ。開示請求するから」で終わりである。特に原発のコストの話など、機密に指定しやすい技術の話では無く、お金がメインの話である。経済産業省お得意のモデルプラントなどという空想は止めて、各社の収支見通しをあさくら氏が見たというレベルまで細かく開示するのが筋だろう。それが出来なければ消費者や株主に対する背信である。

彼を見ていて救い難く馬鹿だなと思うのは、社員として一定のアクセス権を付与されたり、学会誌を購入していれば事足れりと思っている能天気さ。私の経験から言うと、学会誌は学会員を肉屋の豚として扱う事もあり、思ったほど有益な情報が得られない。クロニクルに並べたブログ記事を見直して思ったが、津波想定にせよ、地震想定にせよ、本当に重要な話は学会誌以外から発掘したし、他人の学会誌論文を鸚鵡返しするだけでは無理だった。

大きな本屋の科学コーナーに何冊か置いてある企業研究者向け論文の指南本を読めば分かるけど、経営判断に係わったり現状の方針を否定するような研究は社内の審査で跳ねられる。企業技報の論文がバイアスかかっていたり、深みに欠けているのは機密だから、と言うだけではない。そういうことを見越して社会への問題提起はブログなどで私的に行なえとアドバイスする本もある(例:石田秀人『はじめての「技術報告書」』工学社 2008年)。

もっとも、業界の現状を肯定するだけのあさくらトンコツ氏や、勤め人系の原発推進オタクには縁の無い話だろう。彼等が会社の方針に合わせた話を企業を通じて発表出来ないのは、憎たらしい外部の連中に自慢話が出来ないからである。企業技報は私的な自慢も禁止だから。

【追記:いい年して「ジオン軍の階級章だぞ!」】

ユーキムさんとあさくらトンコツさんの原発のコストについての議論 - Togetter

一連の流れを推進派自らがまとめている。どう読んでもあさくらトンコツ氏は「ジオン軍の階級章だぞ!図が高い」以上のことを言えてないのだが、いい年して小学生のように信じ込む奴輩が集まっている。

ま、後ろから指差されてても外向けなら「俺はエースパイロットだ。階級章大事にしろよw」位の法螺は吹けるからね。揃いも揃ってアニメ大好きな割に肝心なことが何も学べてない様で何よりだ。

2016年12月 4日 (日)

過去のブログ記事を一覧化して原発クロニクルを作りました

当ブログを立ち上げてから、原発問題の検証を中心に様々な試論を展開してきた。

立場はどうであれ、原発に関心を持つ方に読んでもらえればとの考えで始めたことだが、大分数が増えてきたので、一覧記事を作ることにした。プロフィールにも当記事のリンクを貼っている。

津波想定・地震想定の問題はおおむね時系列順としている。市販の広く流通している解説本や幾つか立てられた事故調の説明をなぞるだけという記事作りに陥らないよう、心掛けた。そのため、殆ど知られることのなかった原発の新たな姿を明らかにすることが出来たと自負している。

【敦賀原発】

【ターンキー契約】
初期BWRターンキー契約の本当の問題点~原電敦賀1号契約を中心に~(1)2016.11.6

初期BWRターンキー契約の本当の問題点~原電敦賀1号契約を中心に~(2)2016.11.11

【福島第一原発】

【津波想定】

東電事故調への疑問 2013.08.06

東電事故調への疑問(第2回) 2013.08.06

東電事故調への疑問(第3回) 2013.08.06

東電事故調への疑問(第4回) 2013.08.06

東電事故調が伝えない事実-津波に対する考え方を整理出来なかった小林健三郎- 2014.05.06

津波記録が容易に入手出来ても敷地高に反映する気の無かった東電原子力開発本部副本部長小林健三郎 2014.06.23

【事故検証は】東電資料より10年も早かった1983年の福島沖津波シミュレーション(前編)【やり直せ】 2015.03.03

【文献は】東電資料より10年も早かった1983年の福島沖津波シミュレーション(後編)【公開せよ】 2015.03.03

【貞観再現】先行研究を取り入れ明治三陸津波を南に移設した宮城県の津波想定調査(1986~88年)【東電動かず】 2015.7.30

中央防災会議の想定は社会にどのような影響を与えるのか-津波対策を強化していった火力発電所の例- 2015.4.11

福島原発沖日本海溝での地震津波を前提​にGPS波浪計を設置していた国土交通省 2015.02.22

日本原子力技術協会が2007年に提起した想定外津波対策-社外からの予見可能性は具体的でなくても良い- 2015.3.14

アメリカにあったMw9.3の津波シミュレーション-「Mw9.0を想定出来なかった」という言葉の背景- 2015.8.26

【地震想定】

福島原発1号機建設期に指摘された地震想定の問題点-原研大弾圧を横目に- 2014.10.06

あり得た第三の選択肢-500Galの仕様も検討したのに実際は値切られた福島第一原発1号機 2014.05.04

【設計指針】
小林健三郎が選んだ「原子力適地」-中部電力浜岡原発などは除外- 2014.05.07

福島第一原発の審査で外された「仮想事故」-予見可能性からの検討- 2014.04.29

長時間の電源喪失を無視した思想的背景-福島第一を審査した内田秀雄の場合- 2014.04.29

寿命25年、安全率1倍が前提だった「変電所等における電気設備の耐震設計指針」(JEAG5003) 2017.2.12

【非常用電源】
非常用発電機が水没した新潟地震を無視する日本の原子力産業 2014.08.30

福島第一と台湾金山原子力は事故前から姉妹交流-奈良林直氏の海外視察レポートでは経緯に触れず、津波対策だけ宣伝 2014.09.05

【外部電源】
地震で壊れた福島原発の外部電源-各事故調は国内原発の事前予防策を取上げず 2014.11.15

電力各社の原発外部電源-関電美浜・原電東海第二は開閉機器更新の実施未定- 2014.12.28

開閉機器メーカーの活動実態-各事故調が食い込まなかった津波対応、更新提案、カルテル- 2014.12.28

【配電盤】

【東電には】電源盤を2階に配置して建設された日本原電敦賀1号機【都合の悪い話】 2017.3.20

【原発プロパガンダと情報公開】
テロ対策を言い訳に反対派を追い出して爆発した福島第一原発 2016.5.8

チェック機能を放棄していた福島県の外郭団体が発行元である、「原子力かべ新聞」の問題点 2014.01.02

「”自分の言葉”で語ろうよ」の掛け声からは程遠かった電力マン向け「原子力一口解答集」による受答えのマニュアル化 2014.01.04

【美味しんぼ】井戸川氏を喜々として反原発の見本扱いする反反原発達の間抜けさ【鼻血】 2014.05.12

震災当日、原発について暴言を吐いていたのはJSFだけだったのか-f_zebra氏編-2013.8.14

吉田調書をスクープした朝日新聞を叩いてるオタク共は『海上護衛戦』に墨でも引いて読んでろ 2014.06.02

吉田調書をスクープした朝日新聞を叩く門田隆将氏の問題点 2014.06.09

門田隆将氏が描く東電撤退問題での歴史修正主義的態度 2014.06.23

津波対策を切り捨てた吉田所長が菅直人に「発言する権利があるんですか」-産経報道で判明、佐藤賢了を髣髴- 2014.08.19

【4号機水素爆発】
東京電力は非常用ガス処理をどのように考えてから福島第一原発を建設したか 2014.05.01

福島第一3・4号機水素爆発にまつわるこぼれ話①②③ 2014.05.04

福島第一3・4号機水素爆発にまつわるこぼれ話④⑤⑥-舶来技術はどれほど信用できるのか- 2014.05.04

水素が逆流して爆発した4号機の対策に無関心な東電事故調と推進派専門家達 2014.04.28

貰い事故で原子炉を1基失ったのに「安全性を損なうものではない」と匿名で意見する電力会社の「信用」 2014.05.06

【7・8号機増設】
福島第一原発7・8号増設に関し数百件リツイートされている「反対派のせいで建替え出来なかった」というデマ 2013.11.20

「反対派のせいで建替え出来なかった」「対策出来なかった」というデマ 第2回 2013.12.04

【付録】「事故は反対派のせい」を信じて「正義」の側に立とうとした反・反原発な人達 2013.12.24

【下請問題】
【竜田一人に】下請多重構造の解消策は東電社員が直接作業すること【惑わされるな】2016.3.3

【社会的影響】
311の寓話としては『シン・ゴジラ』より『君の名は。』が上 2016.9.19

【平日の3.11を】『君の名は。』ティーチイン(仙台)に行ってきた【祭日に投影】 2017.3.6

【東海第二原発】
茨城県の「要請」は明記せず日本原電の対応を「自主」「独自」と喧伝する危うさ(追記あり) 2014.3.31

東海第二発電所の津波対応をめぐる日本原子力発電との質疑 2014.4.23

日本原電が一般向けには説明しない東海第二電源喪失対策先送りの過去 2017.2.15

【女川原発】
-東北電力の企業文化は特別か-日本海中部地震津波では能代火力造成地で多数の犠牲者 2014.08.11

【大飯発電所】
古書店で入手した三菱の週報を読み解く-原発事故対策を中心に- 2014.12.09

【OFケーブル】
東電新座地中送電線火災と老朽OFケーブルQ&A集 2016.10.19

【柏崎刈羽に】原発とOFケーブル火災リスク【大量敷設の実績】(追記あり) 2016.10.23

【30年前から】東電老朽OFケーブル火災で勝手な広報を行ったへぼ担当氏【ほったらかし?】 2016.11.28

【関係者のモラル】

「社員だけが非公開の内部情報にアクセス」と自慢するあさくらトンコツ氏の見栄 2017.02.10

【デマ拡散】
「日本の原発は高度経済成長を支えた」という誇大宣伝が1000件以上RTされる

「日本で原発が動き出したのはオイルショック後」と放言するPolaris_sky氏

福島第一排気筒問題で一部作業員、偽科学関係者が振りまいた安全神話 2016.2.24

【マスメディア論】
報道ヘリは爆音の主役だったのか~阪神大震災の自衛隊員証言(ソース:ryoko174さん)への疑問(追記あり) 2015.01.22

烏賀陽炎上事件を再検証する~原発被災地住民がよそ者を取り囲んだ事例~ 2016.4.30

烏賀陽炎上事件を再検証する2~謝礼を要求する守銭奴を炙り出した事例~ 2016.5.5

2016年11月11日 (金)

初期BWRターンキー契約の本当の問題点~原電敦賀1号契約を中心に~(2)

前回記事ではターンキー契約について、良くある誤解について述べた。後半ではターンキーがもたらした本当の問題点について考えていく。

【ターンキー契約の本当の問題は何か】

興味深いことに、東電・関電などが商業原発の発注に手を付ける頃、ターンキー契約の具体的問題点を共有する動きがあった。業界団体の海外電力調査会がまとめた「米国における電力設備の建設工事」という報告書である。当ブログ以上に長い内容だが、要点を抜粋し、建設記録や回顧談などと比較してみよう。

(1)「工期が短い」を強調した結果、設計改善の足かせになる

検討に値する批判のひとつに「標準から外れた仕様追加は大幅に費用(工期)の増加を招くので、困難」というものがある。仕様追加は不可能と言ってしまうのは虚偽だが、ある程度は事実と考える。

「米国における電力設備の建設工事」はターンキーの利点の一つとして次のように説明していた。

一 ターンキー契約を有利とする主張の論点
建設工事が複雑化し大規模化することによって、在来の契約方式による場合における種々の問題、すなわち、適正な計画を立て、精密な作業工程を作成することが困難となっていることは、技術建設会社(注:GEのようなターンキーを最上流で受注する元請を指す)を参画せしめるべきであるとの結論に達する。(中略)

(ロ)竣工予定日の確実性
適切な計画と短い建設期間からもたらされるものは、間接費における節約と相関的に、竣工予定期日までに実際に竣工することがより確実となるということである。技術建設会社は労働者の入手難、ストライキ、資材の到達遅延および天候等自然現象によってもたらされる遅延に対して保証することができるものではないが、よい工事計画が予定どおり竣工する可能性を高めることは確かである。また、そのことは不慮のできごとが発生した場合に、それに応じた工事計画の調整を容易にするものである。

予定期日に間に合わなくなることは伝統的なやり方の下においてより多くなりがちである。したがって、余分の費用として未完成部分のための効率の低い発電設備の運転または買電のための費用がかかり、さらにまた全月率の0.8333%の間接費を追加しなければならないことは前述のとおりである。2000万ドルおよび5000万ドルのプロジェクトの不必要な一ヵ月の建設期間の延長によって間接費における17万5000ドルおよび42万ドルと未知の諸種の損失を加えた物が増加する結果になる。

「米国における電力設備の建設工事-5-」『電気産業新聞』1967年7月31日2面

「米国における電力設備の建設工事」はターンキー批判論の紹介にも頁を割いているが、工期に対する批判は長くて分かりにくいので引用しない。要約すると、設計や部材製作の段取りが無くなる訳では無いので実際の工期は理屈通りには短くならず、むしろターンキーを止め、別にコンサルタントを雇ってチェックした方が全体的なメリットは大きいと論じている。なお原電の場合、ターンキー契約を結ぶ前の炉形選定段階ではコンサルタントを活用して仕様の詰めに活かしていた。

さて、工期完遂の敵は仕様の変更と追加である。だが、それが安全対策に係る場合、無視することは困難。敦賀1号・福島1でもこの問題は生じ、建設中に下記の変更を求められた。

  • 非常用ディーゼル発電機の二重化
  • 高圧注水系(HPCI)の追加
  • 逃がし弁の増設(2→4個)と自動逃がし安全弁(SR弁)化

今回注目するのはHPCIだが、その機能は説明しない(適当な文献で勉強して欲しい)。ただ、ここは当記事のキモなので、契約面の前提条件について説明しておこう。契約書には発注者が仕様を変更した場合の規定が置かれているが、それに関連してUS Licensable条項というものが存在する。

契約の運営にあたって常に念頭に置いていたのは、GEと原電の間の権利義務が不当に偏らないようにする、ということです。契約の時にはGEと原電との権利義務が50%ずつ、できるだけ平等になるように気を配って作ったのですが、4年間の間にバランスが傾くという状態が起こりました。

例えばGEとの契約の中に「US Licensable」という条項があります。米国原子力委員会(USAEC)がGE製の原子炉に対して安全上追加を要求した設備については、GEは敦賀にも無料で設置するという条項です。当然、原電から要求して入れた条項です。

契約交渉の後、GEのスタッフは「GEの原因ではなく、USAECの要求で追加するものを無料で敦賀に設置するという条項は、GEの歴史が始まって以来の屈辱的契約である」と盛んに言っていましたが、我々としては、アメリカで不安全だと判定されたようなものを敦賀に納めるつもりなのか、GEとはそういう会社なのかと応じて、合意したものです。

そして、実際、USAECがECCSに高圧注入系を付けろと言ってきたので、この条項が一気に脚光を浴びることになりました。しかし、GEは黙って敦賀に設置し、費用請求は一切してきませんでした。敦賀の場合は幸いなことに、このECCSのように、原電に有利な側にバランスが傾きました。

近藤耕三「敦賀発電所1号機プロジェクトの成功に向けて」
『日本原子力発電五十年史別冊』P132

現在の視点による評価で忘れてはならないのは、US Licensable条項に抵触しないが311のような原発事故を防止するには必要となった対策も存在するということだ。それだけ当時の規制は未熟だったとも言える。なお、『日本原子力発電50年史』を読むと、仕様変更を先取りして取り込むことを意図し、原電が追加費用を払ってでも実施するつもりだったことが明記されている。 東電が費用分担をどのようにするつもりだったのか、当時の経過を記した記録を目にしたことは無いが、上記の設計変更が行われたことについては、福島第一1号機も同様であった。

311において上記追加対策は事故の進展を遅らせ・影響緩和には寄与したが、過酷事故の防止という観点からはあまり役に立ったとは言えない。SR弁は各号機、HPCIは3号機で機能したが、その操作が適切ではなかったため、炉心溶融・水素爆発を防ぐことは出来なかった。だが、事故時の操作までターンキーの責に帰すことは出来ない。

この様に振り返ると、ターンキー契約による制約は無かったように思われる。実際にそのように結論した文献も存在する。

しかし「311を回避出来る技術提案で、工期等の制約で不採用になったもの」が既存の記録に全く載っていないかといえば、それは違う。HPCI採用の経緯を今度は建設記録から抜き出してみよう。

4.3 HPCISの設置に関する経緯

USAECがOyster Creekに要求した安全設計変更点のうち、原電が採用するに当って最大の懸案となったHPCIS(高圧注水系)は、その設計の段階から最終決定に至る迄の経緯は以下の通りである。
原電としてはHPCISが必要であると判断し、その詳細設計を開始するようGEに対し通告したことにもとづき、42年11月、GE担当者が来社し、GEが敦賀用として考慮しているHCPISの案として下記の4種を提示した。

  1. ディーゼル・エンジン駆動の高圧ポンプを新設し、これにより復水貯蔵タンクの保有水を給水ラインを介して原子炉圧力容器内に注水する案
  2. 現設計の復水、給水系をそのまま使用し、その駆動電源としては、現在設置予定の2台のディーゼル発電機を用いる案
  3. 基本的には上記(2)と同一であるが、非常用電源の多重性を図るために、現在考慮しているディーゼル発電機と同一容量のもの1基を追加する案
  4. 現設計の復水、給水系をそのまま使用し、その駆動電源としてガス・タービン発電機を新設する案。


上記4案のうち(1)は既にGEより提案されていたもので、当社に於いて検討した結果、基本的に適当と判断されるものであったが、(2)(3)(4)案は耐震設計の面などに問題点が予想されるため、GEに再検討を依頼した。

なお42年前半の時点ではOyster Creek発電所にHPCIS相当設備を設ける必要はないとの立場をGEおよびJersey Central社はとっていたが、その後USAECの意向を入れて、HPCIS相当設備を設けるようにした。その際、採用しようと考えられていた設備は上記(2)案に相当するものであったが、これの妥当性に関するUSAECの最終的な結論はこの時点では未だ出されていなかった。

HPCIS案として前述のように数種の方法が考えられたが、
43年6月に至りその段階での建設工程から見て、工期の遅延を来たさぬことを第1の基本方針とし、別置のディーゼル・エンジン駆動ポンプによるHPCISを採用することにした。また、結果として、HPCIS機器の耐震設計をクラスAで実施することが容易となった。

第2の方針として、HPCIS機器は1系列分のみを設備することにした。これは、HPCISと同様に、事故後の炉容器内減圧機能を持つものとして自動逃し弁(4個設備、内3個で100%容量)を設備することとし、これがHPCISのバックアップとなり得ると判断したためである。

敦賀発電所の建設 第III編 敦賀発電所の設計第1章P184

結局敦賀は(1)案に落ち着き、福島ではディーゼルエンジン駆動を止め、蒸気タービン駆動に変更された。蒸気タービン駆動なら交流電源は不要との触れ込みだったが、制御用の電源は必要だった。ただ当時は敦賀、福島いずれの方式もUS Licensable条項はパスした。また、「現設計の給水系」だが、後のBWR-5の場合蒸気・電動の両用で駆動可能となっている。

一方、(3)(4)案は自ら電源を持っておく点が、BWR-5以降で採用された高圧炉心スプレイ系(HCPS)の考え方に近い。加えて(4)のガスタービン案は発電機の高所設置が容易である。もし、福島で(4)案のようなガスタービン電源方式を採用していれば、今回の事故は防止出来ただろう。当ブログ記事「非常用発電機が水没した新潟地震」に書いた通り、地下に配置した非常電源の脆弱性は既に認識済みだったからだ。

敦賀発電所1号機が、契約工期45ヶ月に対し、47ヶ月弱という、ほぼ計画通りの工期で完成させることができたのは、原電とGEの相互協力の賜物といえる。

ターンキー契約だからと、単に仕上がりを待っていたら、敦賀発電所1号機の当時世界最短での建設実績を達成することは、とてもできなかったと思う。

契約内容を踏まえた上で、また、相手の会社の考え方、実力を知った上で、こちらも汗をかき、共通の目標に向かって相互協力の体制を作ることが、いかに大事であるかということを学んだプロジェクトであった。

藤江孝夫「世界最短工期の達成(GEとの相互協力体制の構築)」『日本原子力発電五十年史別冊』P156-P157

先の藤江氏がに寄稿した回顧録の結びである。工期への関心の強さは東電も同様で、同社の榎本聰明は「原子力発電所の起動試験におけるクリティカル・パス」(『OHM』1972年4月)という海外サイトとの比較記事まで投稿している。ターンキー契約が使われなくなって以降も、このような工期短縮への執着は福島第一、東海第二、福島第二などの後継プラントに受け継がれていった。

なお、敦賀の予備検討時の見積条件には不活性ガス系の採用は入っていなかったが、原電の意向で本契約には取り込まれた。以前の記事で触れたがGEは東海第二の時点でも不活性ガス系の採用には消極的だったから、契約絡みで311の事態悪化防止に最も貢献したのは、不活性ガス系の件かもしれない。

(2)工事への関与が弱くなると、電力社員の意欲が低下する

「米国における電力設備の建設工事」によると、当時の火力・原子力・各種工業プラントで問題だったのは、建設規模が巨大・複雑化し一つのサイト建設に発注者の技術者が長期間拘束されることだった。したがってターンキーの売りの一つは、メーカー任せにすることで、発注者が現場監督を減らすことが出来るというものだった。この主張に対する批判は、次のようなものだ。

二 ターンキー契約を不利とする主張点
(ホ)電気事業従業員のモラルの問題
会計士、技師、線路工、購買ならびに倉庫係等の専門家または特殊技能者は馴染みのうすい監督者に支配されることに反発を感ずるものであり、建設工事の場合、特に建設部門の従業員はそれまで関係のなかった部外者が自分達で十分やれると思っている仕事に導入されるといやがるものである。電気事業者がその契約方法を変更した場合に、重大な労働上の不安が生ずることがあり、ある種の仕事を実施する権利に関し、請負者と電気事業従業員との間に論争が生じたことがある。

「米国における電力設備の建設工事-7-」『電気産業新聞』1967年8月14日2面

実際、敦賀の記録には次のようなボヤキも見られる。敦賀の1年遅れで全く同じ状況に置かれた福島の東電社員達は、この座談会を読むことが出来たのだろうか(現在なら原電は東電の子会社となっているのでさほど難しい話ではないだろうが)。

☆ターン・キー契約について☆
司会 一応皆さんの印象を聞いたところで、少しテーマを上げてみましょうか?敦賀発電所建設の場合には、ターン・キー契約によって工事が進められたわけですが、このターン・キー契約方式による建設の進め方については、いろいろな意見を持っていると思うのですが。

幡谷(注:機械担当) そうですね。
とにかく仕事はGEがやっていて、うちは見ることはかまわないけど、口出しは直接やれないわけですね。だから、うちの直営のプラントだったら、我々の意見が直接現場に通じて、いまトラブルを起こしている機器なんか、そうとう少なくできたと思うんです。

須藤 僕も
GEに現場で指示することができないで、はがゆく思ったことがたびたびありました。

内山 僕はちょっと感じが違うんですけどね。
ターン・キーの解釈によって、なんとでもできるということなんです。僕自身は、ある意味では非常にやりやすかったという感じがしています。こっちから進んで入って行けば十分やっていけましたし、そういう意味でそれほどターン・キーなるもので苦痛を感じたことは無かったです。弊害も、全般的にはなかったような感じがするんですけどね。

菅谷 僕の分野でも、1つ1つに関してはいろいろありますが、だいたいのことはできたつもりです。
ただ、ターン・キーの解釈の仕方が違うので、実際には、やりにくい点が多かったことは事実ですし、それとターン・キーから生じたことだと思うのですが、要するにお客である当社が弱すぎましたね。

嶺 ざっくばらんに言いまして、僕は放射線管理の前に短期間ですが、工務班にいましたが、その時の印象として、やはり皆さんが言われたように
ターン・キー方式というのは、非常に当社の発言力を弱めますね。例えば、GEの下請けに対して強いことが言えないし、それを見透かされているような時は口惜しかったですね。

岩崎 建設の現場にいた人は、ターン・キー方式が頭にきているようですが、起動試験を担当したものとしては、試験は常にGEと打合せて進めましたし、我々の希望も、よほど大きい変更でない限り、その場で言えばやってくれるし、というわけでターン・キーだからどうのという印象は持っていません。

内山 ぼくは、ターン・キー契約による建設の進め方については、こう思っているんですけどね。

つまり、ターン・キーにおける当社の立場には、監督者としての立場と、協力者としての立場と、2つあるわけですね。

あらゆるものが、契約上の仕様書に合っているかどうかをチェックし、仕様書に合致しないものに対しては、改良を要求できる監督者としての立場。そして、敦賀発電所というプラントを早く、
より良いものにするため、設計・施工のあらゆる段階で、当社側のコメントを与えていくという協力者としての立場。この2つのものがあると思うんですよ。

これらのことは、当然そうあらねばならないことではあるんですが、そこで重要なことは、この2つの立場を各人とも明確に使い分けるということでしょうね。

司会 いわゆる狭い意味の建設段階、終盤に入ってからは割り合いに少なかったと思うんだけど、
初期の段階でターン・キーが、その解釈をめぐって、みんなの行動を拘束する、あるいはちゅうちょさせる原因になったことは事実ですね。いずれにしても、ターン・キーに関する基本的な態度というものが十分浸透しなかった。頭の中ではあっても、それが現場の第一線で働いている人達に溶け込むような形では伝わらなかった。そういう批判とか反省とかが残されたようですね。

「敦賀発電所・建設を終えて」『日本原子力発電社報』1970年9月
リンク

先に挙げた『日本原子力発電五十年史』などには、ターンキーであっても電力社員の現場参加を進めるため、一本松社長の掛け声で3M精神(Mutual Good Will,Mutual Understanding,Mutual Co-operation)と称する意識改革を推進し、GEの現場技術者に対する融和策を図ったことも記されている。

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GE社パンフレット。工期最短記録を受けて世界中にPRのため配布された。

GE村に囲ってしまった話ばかり伝えられる福島とは一味違うと感じるのは事実だが、社史の問題は、より教訓として有用な、当時の課題を語り継いでいないことだろう。

(3)発電所の設備一式が全て1つの企業(企業集団)に集中する

福島1号機が着工した頃、ターンキーは先進技術の採り入れにプラスとなるという見方があった。

一 ターンキー契約を有利とする主張の論点
(ト)電気事業のPRその他
ターンキー契約によってあるアイデアまたはやり方がサービスの改善またはコストの低減になれば宣伝やPRを通じて一般社会に対しても、その電気事業自体が先導的なイメージを与え、ひいては企業イメージの高揚に寄与することになる。

ターンキー契約によって新規の開発が行われると、電気事業の技術面に刺激を与えまた電気事業の技術部門がより進歩した技術や機器を受入れるようになるであろう。

「米国における電力設備の建設工事-6-」『電気産業新聞』1967年7月31日2面

しかし、PRはターンキー契約によってのみ輝くものでは無い。その後PAという名のプロパガンダとなり、原子力がレガシーな分野へ凋落を始めたバブル期以降、利権の規模は益々膨れ上がった(『原発プロパガンダ』他、本間龍氏の著書に詳しい)。また、東電が原発に望んでいたものは実証性であって、「スペインで採用済み」との実績が決め手の一つになった話がこれを裏付ける。買い手がそのような姿勢である以上、技術進歩の採り入れは優先事項とはならない。

むしろ批判者からは送電設備を例示する形で、技術の採り入れに障害となる可能性が指摘されていた。

二 ターンキー契約を不利とする主張点
(へ)建設工事の一貫性の問題
最後に、建設工事の一貫性が必ずしも最良の結果をもたらすとは限らないということである。
このことは原子力発電所および超高圧送電(EHV)に関するターンキー契約にもあてはまることである。電気事業者が製造者とターンキー契約をする場合、すべての構成部品材料等は製造者の管理下におかれるということが協定上の一つの条件となることがあるであろう。このような場合、ある少ない例ではあるが、他の製造者からの構成部品がターンキー契約によって製造され、購買されたものよりも望ましいことがある。

「米国における電力設備の建設工事-7-」『電気産業新聞』1967年8月14日2面

各メーカーの技術力が拮抗している時はターンキーでも問題ない。問題は特定の分野で技術力に差がある時だ。そして不幸なことに、GEおよびGE系技術を採用した企業(日立、東芝)に足りていない技術力に、外部電源の耐震性が含まれていた。GE系企業は耐震性の低い空気遮断方式で超高圧変電設備のシェアを握っており、新技術への対応が遅れていた。一方、WH系企業は高い耐震性の見込めるSF6ガス遮断方式を引っ提げて市場拡大を狙っていた。

そのような端境期に初期の原発が建設された。詳細は当ブログ記事「地震で壊れた福島原発の外部電源」で述べた通りである。敦賀・福島共、開閉所の設計・工事はGEのターンキーを介さず電力から直接発注しているが、上記の傾向が覆ることは無かった。

日本の地震環境を考えれば、当時の外部電源はWH系(三菱)の採用しか選択は無かったように思える。それが出来ないのは、「米国における電力設備の建設工事」が指摘するように、比較的自由に発言できるコンサルタントを入れてなかった(或いはそのようなコンサルが育っていなかった)からだろう。超高圧のガス遮断方式の開発では東電は東芝と組んでいたので、それも影響しているかも知れない(ただし、電圧階級がやや下がるミニクラッドでは、東電は三菱と共同開発をしていた)。

(4)ターンキー契約での経験が前例踏襲化される

最後にターンキー契約が初期の商業原発に集中した結果生じた弊害として、私から一つ加える。それは、これらの契約が「踏襲されるべき前例」とみなされ、機器単体購入契約に移行してからも部分的に参照され続けたことである。下記を見てみよう。

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当社が見積依頼書で要求して敦賀契約を踏襲したものとすることについては、GEが敦賀のあと東京電力と福島1号機、2号機の契約をしており、一番最近の福島2号機契約に近いものになった。しかし、福島1号機、2号機契約も敦賀契約をモデルとしているので、契約には敦賀契約に使用した文言が多く残っている。

「第2章 工事契約」『東海第二発電所の建設』 P11

東海第二は福島第一6号機とペアでの契約だったが、デザインターンキー方式とも呼ばれた。『日本原子力発電社報』1972年7月号 によると「デザインターンキー方式とは、GEは発電所の設計に関して、すべての責任を持つが、機器の供給、試運転などに関してはGEの責任範囲を局限し、それ以外の責任はすべて発注者である当社が持つという方式であり、当社としては他の請負業者との関係をうまく調整せねばならない」と説明した。

回顧録の多くは号機による契約内容の違いには殆ど拘りを見せていない。従って、(1)工期短縮を優先し、それを誇ること、(2)電力社員の現場離れ、(3)GE系企業によるあらゆる関連機器での寡占化、などの弊害も残ったと考えられる。短期間で完成したプラントをよく観察すると、設計時に回避可能だった不備があることも少なくない。

逆に、契約時に想定していない外部環境の変化によって工期が延長された場合、関係者の記録も設計改善に取り組んだという記述が見られる。

②工期の延長
需給の落ち込みにより、電源建設工事は軒並み工期を繰り延べる事になりました。忘れもしませんが正月15日(昭和50年1月15日)突然電源計画課長から呼び出しがあり5、4および6号を1年ないし1.5年工期を延長してもらいたいという事を通告され、その理由をるる説明されました。工程表を明日までに提出せよということになりその晩は徹夜で工程表を作る羽目になりました。その時決めた運開日がその後実際に運開した日であります。

3号機はすでに試運転に入っておりそのままいくことになりました。さて、これからが大変でして5、4号機は据付がだいぶ進んでおりましたので、長期の保管体制に入らなければなりませんでした。まず保管体制の検討、建設工事人員の再配置などの検討が必要になりました(中略)。

工期延長はいろいろな事態を起こしましたが、一方、この頃から発生したSCCに対する対策、改造を実施することができた事など、良い面も多々ありました。また6号機は設計の遅れを取り戻すことができ、給水系のFCVをMG controlに変更することが出来たことなど、その後の安定運転に寄与することが出来たとおもっております。

中村良市「原子力発電開発の道程(2)」『東電自分史』

以前刹那的な人士を批判した時も紹介したが、工期が伸びればそれだけ欠陥がフォローされるのは自明の理である。

16/11/11:記事を分割。途中の説明を修文。SR弁について追記。

2016年11月 6日 (日)

初期BWRターンキー契約の本当の問題点~原電敦賀1号契約を中心に~(1)

最近は下火になったが、原発事故後2-3年、次のような話が出回った。

「福島原発はGEとのターンキー契約で建設された。ターンキーという言葉通り、発注者は引き渡された設備のカギを回すだけなので、東電は黙って見ていれば良いという触れ込みだった。これが原発事故の原因である。」

テレビや関連書籍で歪な演出を行うと、それを受け取った側はこのような感想を持つことがある(晒し上げが目的では無いのでリンクしないが、そういうレビューをネットに上げている複数の事例から判断した)。だが、最初に聞かされた時から思っていたが、私はこの寓話で得心出来なかった。

よく、ターンキー(EPC)契約の問題点を列挙した解説サイトなどがある(例えば「国内・海外プロジェクトにおけるEPC契約」東京青山・青木法律事務所)。が、福島事故と絡めて分かり易く・かつ的確に対比した説明は余り普及していない。

原発輸出のリスクについては、現在進行形の話題でもあり、詳しく解説する例も出てきている。しかし福島第一は被害補償関係が中心になるので、それ程でもない。他の原発を含めても、建設期の検証は冒頭に掲げた寓話を少数のインタビューでデコレーションしたものが目に付く。

そこで今回は、ターンキーの功罪について改めて考えてみることにした。なお、福島第一1号機に1年先行する形で日本原子力発電敦賀1号機がターンキー契約で建設され、設計に関わる本質的な記述も多く公開されている。従って、今回は敦賀の資料を軸に当時の資料からの引用しつつ、検証を行ってみたい。福島の契約とその経緯が全公開されていればこういう方法は思いつかなかっただろう。

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『日本原子力発電社報』1972年P13(会社設立15周年特集より)
※この鍵で原子炉を起動する訳ではない。

『それでも日本人は原発を選んだ』(朝日新聞出版)の後書きには現在の再稼働問題に役立つ取材をしてくれとの声も多く聞かれたとある。しかし、東電裁判や旧式原発の問題では、過去の検証は事業者の責任を問うていく上でも、結局は必要になるだろう。

当記事は2部構成になっており、まず当記事(1)で「よくある誤解」を数点取り上げ、後半(2)で「ターンキー契約の本当の問題は何か」を数点取り上げる。

先に結論を述べると、次のようになる。

  • ターンキーで強調された工期短縮を理由に、採用されなかった設計改善が存在する。具体的な内容が分かっているものには高圧注入系(HPCI)をガスタービン電源とする案があり、採用されていれば311での電源喪失を回避できた可能性がある。
  • ターンキー下の設計改善で最も311事故に役立ったのは、格納容器の不活性ガス注入採用である。
  • ターンキーで特定の企業に発注が集中すると、他社のより望ましい機器が排除されることが事前に予想されており、実際、関連工事でもGE系企業への発注が集中して外部電源の耐震性が脆弱となった。
  • ターンキーは無くなっても、そこで育まれた習慣は後のプラント建設に引き継がれた。

【良くある誤解】

(1)ターンキー契約は一般的な契約方式の一つ

まず、当時としてはとても珍しいことかのように描写されるが、ターンキー契約は珍しくない。エンジニアリング契約に関する本を調べると、国連ヨーロッパ経済委員会(ECE)により1957年3月、「プラントの供給および据付に関する標準約款」というターンキー契約の雛形が作成されたという(『プラント輸出契約と標準約款』IPC国際部 1975年)。

GEの原発がこの標準約款を全てなぞっているかは不明だが、同社は1960年代前半から中盤にかけてターンキー方式で世界中に売り込みを行った。そして東電福島の契約が成立した翌1967年、GEはターンキー方式の新規契約を行わないと宣言し、これは従来の個別機器受注契約方式への回帰と受け取られた。

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「社長室原子力発電課勤務を命ず」『とうでん』1993年11月号P11
※福島第一1号機引き渡しの際渡されたターンキー。原電敦賀と同じデザインである。

さて時は流れ、今でも各種プラントは無論、情報システムの契約などでも使われている。勿論ターンキー契約にした案件でトラブルが皆無という訳ではないが、契約方法の一つとして定着しているということは、それなりの実用性や信頼性を備えている証左だろう。

日本の原発メーカーはGEやWHがそうであるように電機メーカーでもあるが、日立は福島第一1号機がターンキー契約されて間もなく、海外で変電所のターンキー契約を落札している(日立製作所『変電ターンキープロジェクトのあゆみ』1995年2月)。

日本の原発でターンキーが初めて試されたのが福島であるかのような錯覚に陥ることがあるが、これも間違いである。福島の前に原電東海1号機(英GEC-GCR)、原研JPDR(GE-BWR)、原電敦賀1号機(GE-BWR)と3回ターンキー契約の実績があった。GEが下請けとして使った日本メーカーもターンキー工事を経験済みだった。原電は電力が原発を導入するためのパイロット機関であって、東電からの出向者を多数受け入れていた。勿論、こうした経験だけで福島の建設・運転に必要な人材を全て養成することは難しかったが、初物尽くしという印象は相当割り引いて考える必要がある。

(2)海抜の設定はターンキーに関係が無い

「敷地を海抜10mに削ったから15mの津波に対応出来なくなった」という話がある。この話だけ見ていると、GEは海抜10mまでしか設計対応出来ないかのように思えてくるが、東電の小林健三郎が残した論文によれば、海抜15mまでは選択の範囲にあり、敷地造成コストが最も安くなるのがたまたま海抜10mだったことを当ブログ「東電事故調が伝えない事実」で明らかにした。これは、斜面を造成して住宅を分譲する際に行う「土量バランス」の計算を原発へ応用しただけである。

また、敷地の造成はターンキーの契約範囲外だった。GEと東電は事前に打ち合わせをした上、東電が海抜10mの敷地を準備してから1号機の契約を結んだ。

なお、敦賀の場合、見積時の要求事項にて

(7)将来の増設に支障をきたさないよう主要建物および構築物の位置を当社で指定する。

「第I編 第3章 敦賀発電所工事の契約」『敦賀発電所の建設』P12

と記載されているのは注目に値する。東電も同様の条件をGE,WHに提示したと考えられる。参考に、初期に提案された福島1号機の配置(PLOT PAN)を示す。敦賀と同様の契約だったとすると、このような極基本的な場所の取り合いは、東電主導で決められた可能性が大きい。

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「-講演-当面する原子力開発」『土木建設』1966年8月号P34(関連記事

本当に必要だったのは、どのような契約方式であれ、津波に対する制約条件を厳しく取ることだった。「敷地高は最低でも15m以上とする」と示していれば、その制約条件の元に、土量バランスを考えただろう。契約ではなくジオリスク(立地・地質リスク)の問題である。なお、虹屋弦巻氏も「ターンキー方式で建設された福島第一原発の問題」で同様の指摘をしている。

エンジニアリング契約におけるジオリスクは近年日本でも研究されるようになった。ターンキーからは脱線するが、敦賀契約交渉では次のように結論された。

(10)地下条件

基礎岩盤条件が原電の見積条件として与えた資料と著しく相違することが掘削により判明した場合は、増加費用を原電が補償することとした。

「第I編 第3章 敦賀発電所工事の契約」『敦賀発電所の建設』P14

このような条項が設けられたのは当時から下記のような事情があったからである。

4-3 破砕帯

敦賀サイトは浦底湾の明神岬に沿う線が断層地形であるといわれ、安全審査の前の計画当時、米国のボデガベイ発電所が断層問題から建設中止になったいきさつもあって、この点が最も懸念された。従って気象を始め各種の調査項目のうちこのサイトでは、やはり地質問題が最大の焦点であったと言える。

(中略)G.E社との契約に際し地下条件の予想との相違時の見積価格補正については契約折衝時の論点であったが、入念な調査の結果実際の基礎掘削完了時の状態は予測のとおりで問題となるものはなかった。

現在ふり返ってみると、地質調査の手段として敦賀サイトの場合、もっとも有効かつ不可欠のものはトレンチ調査であったと考えられるが、トレンチと横坑調査は
見積・設計などの提示に合せ、ぎりぎりの時点で必要最小限の範囲にしぼって実施したため、無駄のない調査を実施し得たものの、その推進には苦労があった。

真鍋恭平(日本原子力発電敦賀建設所土木建築課長)「敦賀発電所の土木建築工事について」『コンストラクション』1969年3月 P69 重化学工業通信社
リンク

敦賀2号機が浦底断層の件で大揉めに揉め、311後廃炉の瀬戸際に立っていることを考えると、実に味わい深い。原子炉近傍の活断層断層を過小評価することはメーカーに対する支払を抑える上でも有用であるのだろう。

上記に津波の文言は無いが、考え方の応用は簡単である。仮に、福島の建設時に堆積物や伝承確認で津波想定を引き上げる必要を明かした場合、やはり東電が相応の追加負担をして対策を打つことになったと考える。

(3)電力は鍵を回すまで何もしなかったのか

GEに丸投げすることで東電(や原電)が本当に鍵を回すまで何もしていないとする史観があるが、実際の姿とかけ離れている。

敦賀契約の場合、契約交渉ではGEにどこまで任せるかも問題となったが、結局意見を述べても良いとなった。

(8)設計および工事に対する要求
GEの設計と工事施行に対し検討し意見を述べる権利を要求したが、GEは全面的にはこれを受入れることに難色を示したが、対象をしぼることで合意に達し、その詳細は契約時に書簡を交換して記録した。

「第I編 第3章 敦賀発電所工事の契約」『
敦賀発電所の建設』P14

当記事後半で示すが、福島でのGE契約は敦賀契約を元に作られているので、この合意も継承されたと考えられる。

人材育成でも、他部門から配置転換した人には会社が金を負担して再教育を受けた旨の記述が回顧録によく見られる。各機器に対する理解も、初期に係わった人達の回顧録を読むと、後の世代より熱心だったことが解る。

さて、着工後から中盤の主役は土木建築工事である。当記事後半への予習も兼ね、ジオリスクで登場した原電の真鍋建築課長が、現場管理職の経験から語っている部分を引用しよう。

総工期45ヵ月を確保するためには、これらがそれぞれ予定の時点で終了することが必要であり、現在まで現場工事上の最大の問題はこの工程の確保であった。

(中略)以下に筆者の狭い視野の中から、企業者側の個人主義的な立場で感じた事項を羅列し、敦賀建設の特色の全般的な紹介に代えたい。

4-1 ターンキー契約と工事管理
ターンキー契約は本質的には設計から施工、試運転までの責任を受注者に負わせるものであるから、発注者としての立場は、予定の工期に予定の性能のものがスムースに建設されることをチェックし監視することと、受注者の範囲外の別工事を含めた、全体工事の総合管理である。しかしターンキーの工事をどの程度にどのような方法でみて、プッシュして行くかは相当に幅があり、土建のみならず、すべての分野で計画発注段階から工事終盤までの問題点であった。(中略)臨機に時機を失せず協調してプロジェクトの推進を図り、契約上のトラブルも生じないようにするためには、放置しても口を出しすぎてもよい結果は生まれない。

工事管理にあっては、G,E社がその傘下に日本の下請業者を統括するのであるから、企業者の監督上のコメントのやり方についてはいくつかのやりとりがあったし、施工方法についても慣習の相違からくる問題は多かった。原子力の場合、特に多岐の専門分野にわたり各種の工事が同時に円滑に進行されねばならず、総合工事調整は契約のいかんを問わず重要であるが、これらの問題もたがいに馴染むにしたがって意志の疎通も良好となり協調して管理に当たることができた。総工期4年のうち前半の2年~2年半は土建工事が中心でリードすべきであり、後半は機械・電気工事が中心となる。したがってそれに応じた体制と適切な人を得ることが重要である。

(中略)土建関係についても契約時はできるだけ設計上の基本条件、品質の程度等原則的なもののみを示し詳細設計の段階でReview&Commentすることとした。ターンキー契約の場合、設計細部の何れでも不可ではないがこのようにした方がよいといった好みに類する要求は反映しがたい。しかし次項で述べる図面の遅延の問題を除いては、特に不都合であったということはなく、かなり当社の意向は反映されたものと考えている。

土建関係の設計はG.E社の下でEBASCO社が行ない、ニューヨークで作られた設計図が約400枚、サイトで作成された細部の図面が約500枚程度あり、機器との関連が複雑で変更も多く、実際問題としてこれらの設計には相当のMan Powerを要することは事実である。

4.2 工程の確保
計画の総工期45ヵ月は厳しいものであり、特にCritical Pathの工事はいずれも苦しいものであった。(後略)

真鍋恭平(日本原子力発電敦賀建設所土木建築課長)「敦賀発電所の土木建築工事について」『コンストラクション』1969年3月 P67-68 重化学工業通信社(リンク

現場仕事以外にも、座学やマニュアル類の読解・翻訳は引き渡し前から必要だった。敦賀の場合、運転開始の1年前に運転課を発足させて着手している(「マニュアルの整備」『日本原子力発電五十年史別冊』)。東電福島の場合は同形炉の後追いなので、敦賀を参照して楽が出来る場面もあったと思われる(それが出来なければ、敦賀の存在意義は無い)。

また現場により濃淡はあるようだが、建設中から電力社員による現場での機器確認などは普通に行われていた。敦賀を例に、大体の工事が完了した起動試験直前の工程での様子から例示してみよう。

プレオペレーションテスト(起動前試験)は、中央制御室の盤の据え付けが終わった昭和44年6月以降に集中して行われた。各系統ごとに試運転の形式で行われるが、試験の前にその系統の計測機器の校正とループチェックが必要となる。この作業のため、GEは方々から20人程度の人をかき集めたが、経験者が少なく、質的には必ずしも十分ではなく、正確かつ迅速に作業を完遂するには心もとない感があった。一方、原電側は東海の経験者に加え、北海道電力、中部電力、北陸電力、中国電力、四国電力、九州電力から来た人達もいて、GEが集めたクルーよりもクオリティーが高かった。

ターンキーだからGEがやっていればいいという考えもあったが、ある日突然引き渡されても、中味が分からないのでは困るし、実際に体で覚えることができるという我々としてのメリットもあるとの考えから、GEに混合チームでやろうと提案した。提案の際に、”GEがやっても幾らかは計器を壊すこともあろうから、校正作業で我々が計器を壊すことがあっても、それは容認すること”という条件を一つ付けたが、この条件を含めてGEは混合チームでの実施を了解した。

こうして、原電の担当者10数名にGEのクルーを加え、系統毎のグループを作って、GE担当者の依頼によって校正、チェック、調整を的確に行ないプレオペを実施して行った。

(中略)この
プレオペ期間を通して、原電の担当者の誰もが、各系統の進捗状況を手に取るように把握できたし、自らの手で計器を扱うことで、自分の担当設備のことを諳んじるくらい詳しくなっていった。起動試験で計器のトラブルが発生した際、夜中でも連絡を受けた原電担当者が急行し、直ぐに修理するなど当たり前になり、その点でも起動試験工程が滞ることはなかった。

藤江孝夫「世界最短工期の達成(GEとの相互協力体制の構築)」『日本原子力発電五十年史別冊』P156-P157

一時期初期トラブルの列挙で話題になった『福島第一原子力発電所1号機運転開始30周年記念文集』や『共進と共生』に記載されている福島の様子も、原電敦賀と似たり寄ったりというのが実際である。

私を含めて批判や反省の弁の中に「小学生レベルの稚拙さ」などといった表現を使うことはあるが、これは尊大な態度への比喩なのであって、実際に小学生が発電所に勤務している訳では無い。

ただし、藤江氏の語る現場は最も成功した部署(工程)であり、ターンキー契約の字面に囚われてトラブル解決の障害になったという証言は存在する。それは後で紹介する。

(4)経験不足は契約方式の問題ではない

さて、上のような回想に対して「社史に載るのは綺麗事だけ」という批判はあり得る。『日本原子力発電五十年史』は社外にも多く寄贈されたので、外向けの記念誌である。確かに内輪向けの社報を見てみると、次のような座談会も載っている。

☆アメリカ人と一緒に仕事をして☆

司会 それでは、GEという外国のメーカーを相手にした場合は、やっぱりもっと考えたほうがいいんじゃないかとか、もっとほかの仕事の進め方があるんじゃないかとか、それぞれの分野で多々とあると思うんだけど。

須藤 (注:電気担当)だいたい現場のGEには、相当あとになるまで、簡単な図面の変更もできずに、サン・ノゼ(注:GEの原子力部門拠点)にテレックスを打って承認を求めていた。

嶺 (注:放管担当)それと、GEの各担当者は、自分の範囲外の仕事には、たとえ悪いことが解っていても口を出さないとか。

内山 (注:機械担当)たしかに、各自の分担は、はっきりしているんですが、それはそういうものだと思って、それ以上を彼等に要求せずに、それをこちらでやってやらないと、仕方ないだろうと考えたら、非常にスムースにやっていけたと感じています。

それと図面の変更といったことでは、デザイン・レビュ(当社とGEとの設計の段階での打合せ)というのが大きな比重を占めていたと思います。
建設の段階になってしまうと枝葉末節の部分は多少変更出来ても、いわゆる幹のところは設計がそうなっているから変えることが出来ないということで、その点非常に残念でした。

司会 たしかにデザイン・レビューがいろんな面で不足であったという点はあるように思えますね。時間的にも、能力的にも、踏み込みが足りなかったという気が、いま振り返って見ると。

河端 (注:運転担当)実際に、現場の段階になれば、ピッピッとはね返ってくるんだけど。

内山 だいたい、設計の段階ではイメージがわかなかったですね。

菅谷 僕の分野(注:計測担当)では、東海の苦い経験とか苦労とかを大いに役立てることができたと思っています。

司会 そういう点では、敦賀が始めてという人が多かったから、目が届かないとか、設計段階でイメージがわかなかったために気が付かなかったとか、そういう点は多々あるでしょうね。

「敦賀発電所・建設を終えて」『日本原子力発電社報』1970年9月(リンク

デザインレビューとは設計審査と訳される通り、基本的には製作・建設に先行して行う設計会議を指している(工事のためのデザインレビューなども後工程では実施されるようだ)。

それはともかく、不慣は問題であっても、ターンキーが原因ではないだろう。仮にターンキーを止めても、ただ個別機器購入契約の集合体としただけではよく言われる米国技術への依存は変わらない(例としては台湾)。また、電力による直営工事の比率を上げれば、メーカー並みの技術力が必要となる。それを獲得するには10年単位の期間と原研が持つような研究炉を保有するための資金が必要である。原発メーカーや研究機関にとっては西ドイツのような手厚い政府支援の元で自主開発に活路を見出すことはあろうが、電力会社はユーザーである。そこまでして独自性に拘るメリットは見い出せない。

メーカーに依存しつつ電力が自社に技術を残したいのであれば、トレーニングや保守などの追加契約を別途結べばよい話である。福島ではBTC(BWR運転訓練センター)の設立などが相当する。後は2000年代に原電が試行したように、過度の下請け依存を止めること。これらは、やはりターンキー契約とは関係が無く、それぞれの施策をどこまで充実させるべきか、ということが本当の問題点である。

ただし、上記座談会で指摘されている工事段階での変更がやりにくかったという問題は、工期のきつさ、工期延長が認められるかという問題と係わってくる。実はこれはターンキーの問題でもあり、後で再び議論する。

(5)初期故障の多発は311に繋がらない

「1号機は初期故障が多かった」という話を311に結び付けようとする論もある。確かに当時GEは「実証されている技術」との触れ込みでセールストークを行っていた。にも拘らず運転開始後数年で不具合が多発した。

だが、それらは通常の運転を行っていく上での問題であり、「放射能で劣化して水漏れする配管を劣化しにくい素材の配管に変える」といったような話だ。1000年に一度の災害にどう耐えるのかといった問題とは方向性が異なる。配管の材質を変えても大津波に備えることにはならない。大津波に耐えるのであれば、配管の通っている部屋に津波が浸水しないようにするとか、堤防を作るといった対策となる。

なお、初期の発電所員達は、機械の仕組みには詳しくなっても、自然の脅威は通り一遍の教科書的知見以上ではなかった。学者やコンサルタントではない所員が、日常それほど接しない分野の見識を深めるのは困難だ(勿論、小林健三郎のような立ち位置の社員は別である。ここで述べているのは、一般の発電所員のこと)。ただ、これをターンキーの問題と捉えるのは無理があるだろう。

(6)ターンキーより普遍的な問題はターンキーに責を求めるべきではない

例えば「幾ら工夫を重ねても原子力は人の手に負えない」「モラルの無い技術者は嘘をつく」「下請の多層化と構造的差別」など。どれも重要な問題だが、ターンキーに原因や解決を求めるべきではなく、もっと広汎で普遍的なテーマなことも明らかである。原子力の是非は政治で決めることであり(もちろん、権力者の密室談合を指すものではない)、嘘は倫理問題、多層下請は労働の問題である。当記事では対象にしない。

初期BWRターンキー契約の本当の問題点~原電敦賀1号契約を中心に~(2)」に続く。

16/11/11:長くなったので記事分割。途中の説明を修文。『コンストラクション』1969年3月追加、SR弁について追記。

2016年5月 8日 (日)

テロ対策を言い訳に反対派を追い出して爆発した福島第一原発

添田孝史著『原発と大津波 警告を葬った人々』は情報の密度も高い本である。2000年代の中盤にあった次の出来事も前から気になる内容だった。

同じころ(注:2005年頃)、市民団体、「原発の安全性を求める市民連絡会」は、東電に対して「海水ポンプを見せてほしい」と再三申し入れしていたが、テロ対策上見せられない」と東電 は拒否し続けた(伊東達也「無視され続けた警告 福島原発でなにが起こったか」『議会と自治体』二〇一一年五月)。

もし見せれば、福島第一原発では重要な ポンプ類が建屋で守られておらずむき出しになっていることや、余裕がないために津波想定をわずか三センチ超えるだけでモーターが水に浸かって動かなくなることが露見する。それを恐れたのだろう。
『原発と大津波』P108-109

なお、『市民が明らかにした福島原発事故の真実』によると、東電はいったん決定した福島第一の津波対策を2007年に白紙に戻し、その経緯を機密扱いにしてきたことが裁判を通じた情報公開で明らかになった。なお、この申入れは記事後半でもう一度取り上げる。

今回は海水ポンプと構内見学について掘り下げて調べた結果を報告する。再確認したこと、分かったことは次のようなことだ。

  • 海水ポンプは取水口とタービン建屋の間、海抜4.5mに設置されている。
  • 東電は1970年代には見学コースに原発構内を含めており、防波堤やサービス道路から取水口を見せていた。
  • 東電は1979年6月から構内見学を制限したが、他の電力会社の原発で構内見学は続いており、東電とは逆に重視するPR担当者もいた。
  • 海水ポンプのメーカーは広告や技報で福島第一の海水ポンプを宣伝しており、海抜も記載していたが、東電がそのような事実を反対派に教えることは無かった。
  • 同一人物でも公職についているとまともに対応するが、付いてない時には展示施設(サービスホール)から追い出した。
  • 福島第一の広報部課長は反対派軽蔑を公言していた。
  • 1979年6月以降も2001年に至るまで、東電は自社にとって利益になる来客には構内見学をさせていた。
  • 1980年代以降もメーカーや工事業者の出版物には福島第一の海水ポンプが写っていた。
  • 1990年代になっても、原発施設の広報担当者達の中では、都合の悪い質問は笑って誤魔化すことを堂々と推奨していた。
  • 2001年の同時多発テロ直前まで構内の写真撮影は可能だった。
  • 同時多発テロ後に警備体制が厳しくなったが、地元民およびVIP待遇者は以前と同様構内見学を許されていた。
  • 冒頭に紹介した市民団体は地元の関係者で構成されており、他社の津波対策に学ぶ様にも東電に要求していたが、東電はその要求も無視した。

上記の結果、東電は福島第一原発を爆発させた。

これは、社長のような「偉い人」を告訴すれば済む話だろうか(勿論それも必要だが)。新聞の原発広告を批判すれば済む話だろうか。絶対に違う。東電の広報部門は解体が必要で、歴代の広報関係者はPAの戦犯として告発する必要がある。

今回の記事は長い。「それだけの話を細かくやる必要があるのか?」と思われる反対派の方も多いかも知れない。勿論、ある。この点を聞き書き任せにしたり、字数制限や多忙を理由に流し、今更原理的な話や抽象的な話にリソースを割く記事ばかり作るのは大きな問題と考える。説得力が無い。既存の事故調に加え、本間龍氏や早川タダノリ氏を含めても掘り下げた事例は未見である。5年の風化で解明のマンパワーが足りないのだろうが、ケリは付けなければならない。本ブログがいくばくかでも貢献出来れば良いと思う。

【海水ポンプの役割】

まず、海水ポンプはどうして大切なのか、簡単に復習しよう。原発を止めても核燃料からは崩壊熱が出続ける。炉心の水を入れ替え続けることでこの熱を取って温度を100℃以下の「冷温」に保つ。福島事故のように炉心が入っている圧力容器の底が抜けてしまった場合はともかく、普通は炉心の水は純水を使う。しかし、純水の量は限りがあるので、今度は核燃料から熱を受け取った純水を冷やし、循環して使う必要がある。このために純水の入った配管を海水に浸けて、海に熱を逃がしてやる(これを最終ヒートシンクと呼ぶ)。この海水を引いてくるために海水ポンプが必要となる。なお海水ポンプはモーターで動くので、電源を必要とする。発電所の外との送電線が切れてしまったら、非常用電源で動かす。

なお海水ポンプには次のような役割分担がある。

  • 循環水ポンプ:原子炉運転中は沸騰した蒸気をタービンに送り込んで電気を起こすが、残った熱は海に捨てるため、蒸気の配管を海水に浸す。その海水を引き込むポンプ。最も大きな熱量を冷やすために大量の海水が必要なので、ポンプも極めて大型である。
  • 残留熱除去系海水ポンプ(RHRS):原子炉を停止した際の崩壊熱を海に逃がすための海水ポンプ。福島事故を考える上で最も重要な海水ポンプ。
  • ディーゼル冷却海水系ポンプ:非常用発電機もディーゼルエンジンなので車のエンジンと同じく冷やしてやる必要がある。そのための海水ポンプ。これが壊れてしまうと非常用発電機本体が生き残っていても動かすことは出来なくなる。津波への備えを考える上で重要な海水ポンプで、壊れてしまうのは問題だが、それだけでは致命傷にはならない。何故なら、福島第一は空冷のディーゼル発電機が3台、高台の免震重要棟に空冷のガスタービン発電機を1台備えており、これらは海水ポンプが不要だからである。それにも関わらず全電源喪失と呼ばれたのは、各原子炉用の配電盤が海水に浸かって壊れてしまい、発電機だけ生き残っていても電気が供給出来なかったからだ。

福島第一の場合、取水口とタービン建屋の間に建屋に収めることなく、露出して設置されている。分かり易く写真で示した文書として「福島第一原子力発電所における東北地方太平洋沖地震に伴う原子炉施設への影響に係る経済産業省原子力安全・保安院への報告について」がある。PDFのP118以降を参照してほしい。

Tepco110909m_p1181

P118の発電所上空から見た写真の内、5、6号機を示す。配置例を図示すると次の写真のようになる。

Tepco110909m_p1182 地上から見ると円筒の物体である。

Tepco110909m_p120

緑色のポンプに挟まれた灰色の非常用ディーゼル発電機(DG)用海水ポンプはかなり小さい。全ての海水ポンプに名称が掲示されている。

注目してほしいのは、どの海水ポンプも同じエリアにあるので、海抜の高さも同じということだ。

次に検討するのは、海水ポンプを見学中に目にすることが出来るのか?である。公表された地図、写真を見る限り、次のような状況になっている。

  • パンフレット:撮影場所、被写体との距離を管理出来るので、隠すのは容易である。
  • 展示施設見学:施設は敷地の端にあるので丘などに邪魔され、海抜を実感することは無い。
  • 構内見学:高台から海水ポンプを臨むことは出来ない。津波の来た海抜10m以下のエリアに降りると、1~4号機の海側と高台側にそ れぞれサービス道路がある。各建屋は大きいので、高台側から海水ポンプを見ることは出来ない。海側からは臨むことが可能である。また、防波堤からも双眼鏡 を使えば大体の姿、海抜を確認できる。なお、建屋内の見学の場合、窓が無いので外の様子を確認することは困難である。

【原発広告の対象だった海水ポンプ】

実は、福島第一原発を建設していた時代、海水ポンプは技術雑誌で宣伝の対象だった。

Pamp197202ura_ehara(『ポンプ工学』1972年2月号裏面広告より。中央に3台鎮座するのが循環水ポンプ。左側手前で半分切れているのが残留熱除去系海水ポンプである。)

よくある原発広告だと発電所の空撮だったり、原子炉や中央操作室の中の写真が多い。これは、他の工場やマンションの宣伝でやっていることをそのまま真似ただけのもので、広告の発注者が殆どの場合電力会社だからだ。隠すというよりは、電力会社的には「原発」というイメージに最も思い浮かべやすい写真を使っているだけである。これが原発の各機器を納入するメーカー辺りになると、原発そのものより機器の姿が映える写真を使った方が都合が良い。ただ、そのようなメーカーは電力会社に比べれば経営規模は小さいので、主要新聞に大きな広告は出さず、自社に関わりのある技術雑誌などに広告を出す。後述の事情から、1990年代位までは、機器メーカーや工事業者の広告写真に制約は無かったと言って良い。

【技報では海抜まで明記】

それどころか、循環水ポンプについては製造元の荏原製作所は公開技報で海抜まで図示しているのだ。

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「東京電力株式会社福島原子力発電所2号機(出力784MW)向け2600㎜循環水ポンプ」『荏原時報』No81 1972年

元が画像なのでやや不鮮明だが上図の赤で囲った部分、左が「O.P.+4500mm」、右上が「電動機」と書いてある。他のポンプの海抜も同じ高さ、海抜4.5mである。だから東電のしていたことは、既に公開されている情報を必死になって隠すという、壮大な無駄であり、素朴な疑問を持った科学少年/少女上がりも多かった反対派への嫌がらせであった。実は推進派にとっても話は同じである。荏原製作所がプラント向けポンプの専業メーカーで技報を出していること、どれだけの人が知っていただろうか。

【1970年代の構内見学】

それでは、現場広報の実際を1970年代から追っていこう。この時期の見学を書き残した例は幾つかあるが、ここでは日本原子力発電の新入社員が受けた案内から引用してみよう。2名の記録が同社の社報に載っている。

一ヶ月間の新入社員研修もあと一日を残すばかりとなった4月26日、私たちは福島県双葉郡大熊町の東電福島原子力発電所を訪れた。(中略)まず敷地の入口にあるサービスホールで係の方から説明を受け、ホール内を見学させていただいた。(中略)私たちはサービスホールからバスで原子炉建屋の方へ向った。(中略)建屋の周りをまわってバスは海岸に出、防波堤の上を走ってその突端まで行きついた。この防波堤の先端が発電所全体を見渡すのに一番良い場所とのことで、バスを降りしばらくの間発電所とそのまわりの景観を楽しんだ。

「新入社員研修 福島第一原子力発電所を訪ねて」『日本原子力発電社報』1978年5月P22(原文

もう一人の記事からも抜粋してみよう。

新入社員研修のフィナーレとして、東海発電所総務課派遣の技術系男子22名は福島県双葉郡大熊町にある東電福島第一原子力発電所の見学を行った。片道5時間、遠足気分でバスに揺られ午後1時頃目的地に着いた。まずサービスホールに通され福島第一原子力発電所の次長さんの説明を聞いた(中略)循環系の模型も実物大の模型と連動して実際に制御棒が上下する凝ったものだった。建設記録映画が終わるといよいよサイトの見学、高速道路や駐車場の料金所を思わせる守衛所を通って中に入った(中略)敷地全体を見渡せる防波堤の突端に立って見る、原子炉が6基並んでいる様は壮観であった。説明を聞いて再びバスに乗り、敷地内をぐるりと回って見学を終えた。

全体を振り返ってみると、見学時間が2時間と短かったことが非常に残念である。したがって、サービスホールでの説明や映画に時間を取られて実際の発電所は外側を眺めるだけに終わってしまった。研修で原子力についての話は聞いているのだから、サービスホールは抜きにしていきなりサイトに入っても良かったのではないだろうか。特に、6号機は完成してからでは立入れないような所も見学できたのではないかと、貴重なチャンスを逸した無念さが残る。

「新入社員研修 福島第一原子力発電所を訪ねて」『日本原子力発電社報』1978年5月P23(原文

発電所の何を見学したのかが良く分かる。同様の見学は福島民報にも掲載されているので、一般向けの見学コースとほぼ同様の内容だったと思われる。彼等は事前に学習済みなので展示と内容重複が生じ、不満につながったのだろう。

なお、文中に出てくる「サービスホール」とは原発に併設された展示施設のことである。だが福島第一は敷地が広いのでサービスホールは西端に位置し、海沿いの取水路や海水ポンプを見ることは出来ないだろう。

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サービスホール(1970年代の東京電力ハガキより)

とは言え、この頃は防波堤や建屋の周囲を車で回っていたので、仮に津波想定に疑問を持った人が海水ポンプに注目しても、答えることは可能だった。また、東電や原発メーカーも研修先として福島第一を活用しただろうから、数多くの技術系社員が海水ポンプを目にしている筈である。

【他社より早く構内見学を制限した東京電力】

ところが、翌年に事情は一転する。

荻津 それから福島の展示物の話が先に出ましたが、福島ではPP上6月から構内に入れないようにしたそうです。その代わりに高さ13mもある実物大模型を作って臨場感を出していました(中略)。

司会 まず地域のPR館であり、同時に遠くから東海村という原子力のメッカに来る子供達や一般の人達を多勢気持ちよく受け入れられるPR館。だんだんイメージが出て来ましたが、そうなると開館日や人の問題が出て来るので頭が痛いんです。(中略)運営上のもう一つの問題はPPとの関連です。これが各社とも悩みの種だろうと思うんですが、福島以外はVIPばかりでなく、身元の知れた人は構内案内をしているようですね。

荻津 福島はサイト外周の見学者の案内は中止して、その代わりにエレベーター付きの高さ30メートル、工費2億5000万円の展望台を計画しているそうです。

田口 伊方のPR館長も強調していましたが、景色や展示物がいくら良くても発電所のすぐ近くまで行かないと満足しない人も多いそうです。

小島 今回びっくりしたのは浜岡も美浜も伊方も、福島を除いてはむしろ積極的に構内見学をさせていたということです。とくに、自社の営業所の関係で来る団体の人達は折角発電所に来て本物を見なかった、構内にも入れなかったというのでは、帰ってから話しようがないということらしいです。

清水 従来、東海のPR館は男女各1名で、大勢のお客さんがみえるときあ適宜総務課の方で応援する体制を取っていたし、相手によっては、所長など発電所の幹部が応援していたんですが、PR館が構外に出て遠く離れるうえ、PP上構内には入れないということになると、PR館員を質量ともによほど充実しないと運営が難しくなります。

荻津 今までもお客さんの到着が遅れて所長さんに随分お待ち願うことがありました。とにかく半分以上の件数は発電所の応援をお願いしていました。

「各社の原子力PR施設を見て」『日本原子力発電社報』1979年7月P35(原文

PPとはPhygical protection(物理的防護)の略、つまりこの時期に警備上の理由から、構内見学の制限が始まっていた。きっかけが何であったかは良く分からないが、成田空港管制塔襲撃事件などの動向からテロを警戒してのものと推測する。もう一つの可能性は、日本に先んじて警備強化を図ったことで知られるアメリカからの要求である。1978年に、再処理の是非を巡って日米原子力協定の改定交渉が荒れたのだった。当時のカーター政権は友好国にプルトニウムを持たせて核武装されることを警戒していた。日本側としては、核武装の意向が無いことを示すため、IAEAの査察等を厳格に受けたり、核物質の紛失が無いように発電所の防備を形だけでも整える必要があった。そのため、70年代末に本格導入されたのがPPだった。

【反対派への蔑視を公言していた福島第一広報】

だが、この頃取られた見学制限はVIPや身元開示を行った者は対象にしていない。つまり、当時のPPは決定的要因ではない。もっと本質的な問題として、広報担当者に反対派への蔑視があった。広報担当者とは誰か?私は一般論として述べているのではなく、具体的に1名挙げられる。福島第一原子力発電所広報課長として長年発電所の運営に関わった、志賀剛氏である。その志賀氏が「武士に二言はない」と断言し、自ら海外留学生のPR担当として構内を案内した見学記事から引用しよう。

PR担当:以前は、よく一般の方から原子炉の運転を間違えると爆発するんじゃないか、という質問が出されましたが、そのような不安を抱く原因の主なものとして、まず、私の国は世界でも唯一の原子爆弾の被爆国であることから核アレルギーの後遺症が残っており、これがもとで日本語の爆発の「発」と、原発の「発」とを混同してしまっているんです。

一同:(笑い)・・・・

PR担当:そこにもってきて、ただ単なる政治目的のために原子力に無知な一般大衆に対し、原子力は放射能を出すから怖いんだぞぉ・・・などと「根も葉もない、無責任な流言飛語をとばし、さも危険なライオンや虎を野放しにしているかのようなことだけを宣伝し、これを人間の英知で安全なように幾重にも囲って絶対に表に出ないようにしてあるという点には一言も触れないんです。これに対応し、われわれPRマンは真実を話し、責任を伴う説明をし、地域住民の方々に満足してもらうよう計画的努力をしております。

— 志賀剛 「誌上英会話ツアー 原子力発電所の見学」『電気計算』1977年4月p83(原文

志賀氏が何時東電を辞めたのかは分からないが、1992年の雑誌記事に福島第一の広報部課長として登場していたことは確認した。下記はより鮮明な『電気情報』1990年10月号の写真である(なお、プロフィールは『原子力文化』1981年5月号に掲載されている)。

Denkijouhou199010p71 彼の力もあり、見学に対する閉鎖的な姿勢は他社に比較しても一層強められたことを、日本原子力発電社報の記事は示している。

【同じ人物が公職を辞めると展示施設から追い払う東京電力】

このような方針の元、反対の立場を鮮明にした一般市民がどのような扱いを受けていたか。反対派の言い分を取材した朝日新聞いわき支局『原発の現場』にその記録が残っている。

「相手が国会議員の先生方だっただけに、やはり相当気を使いましたね」と第一補修課長の張間が話すように、社会党国会議員団が福島第一原発1号機を訪れた日は第一原発全体が緊張に包まれていた。

石野ら調査団はその朝、第一原発へ向かう前に、総評や原水禁、地元反対同盟の代表らとともに建設中の第二原発(双葉郡富岡、楢葉町)を視察した。東電側は所長の萩野昌一をはじめ幹部総出の応対であった。敷地内の見学には、総評のバスも入ることができた。反対同盟の岩本忠男が「我々だけなら常に門前払いだ。国会議員がいるといないとではこんなにも待遇が違うものなのか」と漏らした程、丁寧な応対であった。

第一原発に着いた調査団はサービスホールで所長の伏谷潔から説明を受けたが、その中で、管理区域内のカメラの持ち込みをめぐってやりとりがあった。伏谷が「まずい」といって拒否し、吉田(注:社会党議員)が「東京で本店で(持ち込みを)約束してきている」と譲らず、結局「前例としない」ことで一台だけ持ち込むことで話がついた。異例のことであった。

『原発の現場-東電福島第一原発とその周辺』朝日新聞いわき支局 1980年7月 P240-241

四七年八月に結成された「相双地方原発反対同盟」は間もなく「双葉地方原発反対同盟」に変わった。(中略)当時、岩本は双葉郡選出の社会党県議であった。「あの当時はいろんな問題を県議会で取り上げることができたけど、今は自分で出来ないのが残念。公職に誰かがついているといないとでは活動も違うし、東電の対応が違う。今なんか第一原発へ行ってもサービスホールでさえ門前払いの時があ」。五十五年二月に開かれた第二原発3,4号機の公開ヒアリングを前に、社会党国会議員団が福島第一、第二原発を視察した時の東電側の応対ぶりを見て、岩本は一層「公職」の有無による落差を感じた。

『原発の現場-東電福島第一原発とその周辺』朝日新聞いわき支局 1980年7月 P338

ここでも、当時から公職者以外の反対派には見せない、という姿勢が一貫して見て取れる。同一人物が公職にある時と無い時で態度を変えていることからも、警備上の理由では全くないことが明らかである。

【展望台設置後も暫くは構内見学を併用】

ともかく、東電は構内見学に代わる新しい見世物を準備する必要に追われ、展望台を建てると説明していた。エレベータ付きではなかったが、この展望台は建設残土で人工の丘を造成することによって(16/5/13追記:残土で造成したのか、改めて考え直してみるとちょっと自信無し)サイトの南側に設けられた。1979年初頭には供用されていたことが原子力学会誌で確認できる。

このサービスホールは,1970年8月に開館し福島県内はもちろん全国各地からの見学者を迎えている。アメリカ,イギリス,フランスを初め,ソ連や中国からの視察団も見えている。

福島第一原子力発電所の見学者は,総数で約70万人に達しようとしている。最近では月間6,000人程度。館長以下職員が見学者の説明案内に当たっている(中略)。

一般の見学者のため,発電所の見える展望台まで見学バスを定時運行している。

サービスホールには,北海道から九州まで全国各地の原子力候補地の関係者がつぎつぎと視察に訪れる。県や市町村の議員や行政関係者,漁業団体や商工業団体の役員など多種多様である。聞くと見るとでは大分感じが違うようだ。相当な流量になると思われた冷却用海水も,放水口から見た流れの範囲は予想外に小さい。取水路にむらがるスズキの群れ,ホヤ貝 ・ウニ・アワビの付着した岸壁,数えきれない稚魚の群れに飛び交う数百羽のウミネコ。視察に訪れた漁業組合の関係者は驚嘆の声を発する。

田原 重助「東京電力(株)福島第一原子力発電所」『日本原子力学会誌』Vol.21(1979) No.4 P50
※1979年2月14日原稿受理

大熊町民であれば、毎年正月の迎光をこの場で迎えるイベントを記憶している方も多いだろう。

どんな人達が来ているか詳しく挙げられている。一くくりに言えば、推進派か推進派になりかけている人達、ということだろう。意外なことに、展望台を設けてからも1979年6月までの間、見学制限はかからなかったらしい。疑問点さえ思い浮かぶなら、海水ポンプの高さを把握することはとても簡単だ。いったいどれだけの疑問を封殺してきたのだろうか。

【疑問を笑って誤魔化す広報担当者達】

さて、原発推進派ばかりの所内では、志賀氏のような態度の持ち主は特に珍しいものではなかったろう。恐らく、彼の後任者も同様の姿勢で接したことは容易に窺い知れる。このような人物が「都合の悪い質問」を投げかけられたときそのように反応するか、東電ではないが良い事例が残っているので紹介する。

武長 原子力の分野では突拍子もないことをおっしやる方もいます。例えば,「放射能によって近くの海ででっかいアワビが捕れる,といううわさですね」とか「原子力が怖くて会社を辞めた人はいませんか」「あなたはお子さんを産めないんじゃないですか」とか。私の知らないところで怖い話があるんだな,と驚きます。もし何々だったら,という質問も多いですね。例えば「ミサイルを打ち込まれたらどうなりますか」などと聞かれることがありますが,まず考えられないことですよね。そういう意地悪な質問が出たらお笑いの方にもっていくことにしています。明るい表情で「大丈夫です」って笑い飛してしまった方が,かえって安心していただけることもあるんです。

原 私どもの科学館にも原子力の展示がありまして,「原子力発電所に行くと髪の毛が薄くなるんじやないか」などと聞く人もいます。「私たちも原子力発電所に見学に行って燃料プールを上からのぞいてきましたけれど,この通りですよ」と頭を指さすとお客様も安心されます。原子力に関しては,訳も分からず怖がっているという方がほとんどですね。

注:武長三紀子(美浜原子力館)、原恵美子(中部電力でんきの科学館)

みんな気楽に遊びに来てね-科学・技術・PR館のガイドレディ座談会-」『電気学会誌』Vol. 115 (1995) No. 1 P6

「都合の悪い話は笑ってごまかす」、ネットでは有名な原発PA師、石井孝明ではないが、正真正銘の「クスクス」、これがPR担当者の実情だった。東電社員の発言ではないことは、理由にはならない。座談会に同席した東電の女性社員は、何の疑問も呈していない。型に嵌った教育を与えて「役立たず」に育てたのは電力会社だが、教育を受けた側もいい年をした大人だ。彼女等にも責任はあるだろう。また高谷知美(東芝科学館)によると「展示物が更新されたときも研究員や営業の方にきていただいて、2時間ぐらい勉強します。また当社の工場や原子力発電所、あるいは晴海で行われるショーなどに出向いて最先端の知識を仕入れています」と述べており、PR施設間で綺麗事で埋まった情報を伝染させていたようだ。

【出版物に掲載された福島第一の海水ポンプ】

さて、構内見学の規制が他社にも増して恣意的なものだったので、80年代以降も身内向けの文書にはしばしば海水ポンプの姿は写っていた。身内向けと言っても、社史であるから対外的なPRも兼ねており、図書館に収蔵されているものもある(図書館は企業広報の場では無いので、受入数に余裕が無いと早期に除籍される。それを織り込めば、寄贈数は現在残っている数より多かっただろう)。

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『東京電気工務所35年史』1982年P282-283。右側の写真に注目。後方の法面、タービン建屋外形から6号機用循環水ポンプと推定。定期検査のため予めクレーン車を進入するスペースが確保されていることが分かる。法面の上には白いガードレールが見えており、車が通れる道になっていることを示している。

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日立製作所『土浦工場十五年史』1989年P228-299。P228のCWPとは循環水ポンプの略称。両端にある小ぶりな円筒状の機器が残留熱除去系海水ポンプである。

東電も子会社になるとあっさりと鮮明な空撮写真を載せている。

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『東電設計三十年の歩み』1991年7月P88。元の写真は発電所全景だが、3、4号機付近を300dpiでスキャンし、分かり易いように写真中に追記した。赤で囲った場所が海水ポンプである。放水口も見学スポットの一つであるが反対側を向くと意外に海水ポンプに近いことが分かる。

【同時多発テロによる警備強化は恣意的な基準で運用されていた】

時は流れて、本記事の終盤は2000年代の構内見学を検証する。この時期に問題となったのは、2001年9月の米同時多発テロへの対処であった。次の電気事業連合会の資料を見ると、構内見学に制限がかけられていることが福島第二を例示して説明されている。

Denjiren20070531p14

「国民・地域社会との共生」電気事業者における取組状況について」電気事業連合会 2007年5月31日

しかし、この見学ルートには抜け穴があった。

来館者数減の大きな引き金となったのは、2001年に起きた9.11同時多発テロ事件である。この事件以降、セキュリティの問題から基本的には発電所内部の見学の自粛を各電力会社が取り決めたため、以前のように現場を見せて理解を得るという活動ができない状態となった。現状では、発電所立地地点の地元の人たちや、国会議員など一部の人たちには従来の見学ルートは残されているが、いわゆる「一般市民(来館者)」への対応はPR館内での説明のみ、あるいはそれに加えてバスでの構内一周(下車不可、発電所建屋外観のみ見学)で発電所の説明をするという形にならざるを得ない。

原子力発電所関連PR館における情報共有の実態と運営の課題」『社会経済研究』No57 2009年6月P26

なお、同記事では福島第一への訪問日は2006年12月14日、第二が15日となっている。冒頭で述べた様なサイト名を名指しして疑問を呈していたのは専ら地元の住民であった。また、この文章から、電力会社にとっては同じ構内でも建屋外より建屋内の方がセキュリティレベルが高いことも分かる。

【「他社の津波対策に学べ」と市民運動に諭されていた東京電力】

さて、本記事冒頭に示した申入れだが、実はネット上で公開されている。これは市民社会と原発の関係を考察する上で、極めて重要である。

原発の安全性を求める福島県連絡会の早川篤雄代表、伊東達也代表委員は5月10日、東京電力の福島第二原発を訪れ、つぎの「申し入れ」を行いました。

(1) チリ津波級の引き潮のとき、第一原発の全機で、炉内の崩壊熱を除去するための機器冷却用海水設備が機能しないこと、及び冷却材喪失事故用施設の多くが機能しないことが判明しました。(中略)

これまで住民運動の苛酷事故未然防止の要求を受けて、浜岡原発1号・2号機では3号機増設時に海水を別途取水するバイパス管(岩盤中に連携トンネル)を取り付け、女川原発の1~3号機では、取水口のある湾内を十メートル掘り下げて、機器冷却用水確保の対策を実施しています。
東電はこうした例にも謙虚に学び、早急に抜本的な対策をとるよう、強く求めるものです。

(2) 高潮のときに、第二原発の44台の海水ポンプが水没することも判明しています。
  想定される最大の高潮のときに、第一原発6号機の海水ポンプ14台が20㌢水没し、第二原発は1号機と2号機(各々11台ずつの22台の海水ポンプ)が90㌢水没し、3号機と4号機(同じく22台)が、100㌢水没することになります。そこで東電は第一原発の6号機については土木学会が発表した直後の定期検査にあわせて密かに20㌢のかさ上げ工事をしました。
  しかし、第二原発の海水ポンプは「水密性を有する建物内に設置されているので安全性に問題はない」として、今日まで何の手も打っていません。
  これに対し私たちは再三、海水ポンプ建屋を見せてもらいたいと申し入れをしましたが、テロ対策上見せられないという態度をとり続けています。
  これは、テロ対策を理由にした「悪乗り」としか言いようがないものであり、黙過することのできないことです。

  2002年に発覚したあまりにもひどい事故隠し、改ざん事件を経て、二度とこうしたことを繰り返さない、今後は包み隠さず情報公開に努めると県民に約束したのは、いったいなんだったのかといわざるを得ません。わたしたちは強く抗議し、また、海水ポンプ建屋を公開するとともに、抜本的な対策をとるよう求めるものです。

チリ津波級の引き潮、高潮時に耐えられない 東電福島原発の抜本的対策を求める申し入れ」原発の安全性を求める福島県連絡会代表 早川篤雄 2005年5月10日(PDF

伊東達也氏は共産党の県議会議員だが、経歴を調べると3期勤め2003年に引退していた。従って、東電は岩本忠夫の時と同じパターンで伊東氏を拒絶したに過ぎなかった。当の岩本氏が推進派に鞍替えして双葉町長の椅子に収まっていた時に、この申入れ拒否は起きていたのだった(岩本氏は2005年12月に町長を退任した)。
このシンプルな事実を軽視して産総研の岡村氏など「箔」の付きそうな「警鐘」ばかりに目を引こうとしたメディア・事故調の姿勢には大きな疑問がある。

【他の見学事例との比較】

一方、2000年代にはインターネット上にも見学記録が書き残されるようになった。次の6例を検討してみよう。

【事例1】「東京電力 福島第一原子力発電所取材見学にて」2000年5月19日
同時多発テロ前の見学だが、構内の写真撮影をしている。

【事例2】「続・原子力発電所見学ツアー」2006年2月18日
同時多発テロ後だが、よりセキュリティレベルの高い福島第二の中央操作室、原子炉建屋を見学している。当時、同レベルの見学が福島第一でも可能だった証拠である。当然、海水ポンプも見学可能だっただろう。

【事例3】「福島第一原子力発電所に行ってきました」2007年1月19日

発電建屋(リアクターおよびタービン)にはセキュリティー上の理由で入れてもらえません。見させてもらえるのは,展示施設と作業員の訓練用の原寸大のリアクター,低レベル放射性廃棄物の貯蔵庫でした(中略)。

津波対策はどうなっているのだと言う質問には,10mの高台にある施設は既往最大の津波に対応だが,津波が押し寄せることよりも,引いてしまうことのほうが,冷却水空焚き状態になるので問題とのことだった。

構内見学は出来なかったが、6例の中で唯一津波対策について質問している。2007年1月時点で、(専門の技術者ではなく)広報担当レベルで「10m以下は危ない」と認識している当然海水ポンプが危ないと言うことも、認識していたと思われる。このコメントはかなり致命的である。また、質問の出現頻度が6分の1とすると、同様の質問をしていた見学者は推進派が考えているよりも多かった可能性がある。

【事例4】「東京電力・福島第一原子力発電所見学印象記」2007年9月26日

9.11事件以降、テロ対策として、監視カメラ、金属探知器、防護フェンスなどを設け、警備が強化されたとのこと(中略)

まず、中央監視室に案内されました(中略)
まず、発電機の部屋に入ります(中略)。エレベーターで5FLまで上がり、原子炉圧力容器の上まで案内してもらいました(中略)。
今回の見学は本年5月に技術懇談会で講演いただいたエネルギー・ネット代表の小川博巳氏と元東電(株)副社長の竹内哲夫氏のご尽力で大出所長以下の親切丁寧なご説明をいただけ、普段では見られない場所まで案内していただき、非常によい勉強になり、良い経験をさせてもらいました。

やはり同時多発テロの影響で警備強化を図ったことが伺えるが、社内の役職者の知己ということで、原子炉建屋・中央操作室に入っている点が特徴である。『社会経済研究』で言及された「一部の人達」にどのような人が含まれるかが理解出来る。

【事例5】「福島第一原子力発電所と広野町交流の旅(その1)」2010年6月5日

テロ防止のため稼動している原子力発電所内の見学は出来ませんが、サービスホールでは原子炉を収納する建物の最上階を再現し原子炉の真上にいるような体験ができます(中略)。

又、技能訓練棟では発電所で働く人が実際に使用されている機器を使って訓練を行い技術向上を図っています。

事例3と同じく、テロ対策のため構内見学が不可となっている。

【事例6】 「福島第一原子力発電所見学に行ってきました」2010年11月29日

敷地内での写真は禁止になっていました。理由は敷地内の道すじが解るとテロ対策に支障がでる、とのことでした。したがってGoogleで検索しても敷地内の道路は出てきません。各所のゲート、検問は米軍基地と勘違いするほどでした。

敷地内のゲートはパスしたものと推測する。訓練センターに向かうためなのか、建屋外観以上の構内見学だったのかは不明である。撮影禁止の指示が出ていることが、事例1と異なっている。「原発構内は撮影制限or禁止」は関係者には常識だが、米同時多発テロ以前は緩やかに運用されていたことが伺える。

なお、上記6事例の見学記録の中には、原発の基本的な仕組みが殆ど理解できないまま見学を終えた者も存在する。東電が気に入る人材だけを見学させるということが何をもたらすかが推測できる。原発への予備知識や問題発見力は、原発への是非ではなくて、原発に興味を持っているかどうかで決まるからだ。東電の考え方では「原発が問題だと感じて、勉強を始めた一般市民」は永久に構内見学は不可能だ。

【国の核防強化案の矛盾】

実際、米同時多発テロの影響から2004年には国でも総合エネルギー調査会にて防護対策がが審議されていたが、次のような文言が存在した。

②必要最小限の秘密の設定
 原子力基本法の基本精神(注:民主、自主、公開)を踏まえ、核物質防護秘密の対象は、当該情報が漏洩した場合に著しい危険の増大が予想される情報や核物質防護の効果的な実施に必要不可欠な情報等、最小限の範囲に留める。

③秘密の実効性の担保
 既に当該情報が公開済みであったり、当該情報に関与する者が不特定多数に及ぶ場合等は、実質的に機密の保持が困難と考えられることから、秘密の対象とはしない。

核物質防護対策の強化について(案)」総合エネルギー調査会 2004年10月P9

当ブログおよび『原発と大津波』などが再三に渡り指摘したように、2000年代には原発を津波が襲った場合の問題点は公知の情報だった。高木仁三郎も1997年に日本物理学会誌に投稿した「核施設と非常事態」で津波による非常電源の停止の可能性を予見している。当時、東電は「海水ポンプの位置と海抜」を機密と捉えて冒頭の発言をしたと思われる。しかし、上記方針案に照らしても、東電の言い分は成立の余地が全く無い。仮に、猫も杓子も入構厳禁にすれば、正しい批判に耳を塞ぐことになる。多少テロを防ぐ役に立ったところで事故を防げなければ、そのようなテロ対策の存在意義はゼロである。

【最終改訂版にも明記されていた「見学者」対応】

最後になるが、東電が福島事故の直前まで見学者が入構する可能性を考えていたことを示す文書がある。事故後公開された原子炉の事故時運転操作手順書だ。

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「津波注意報」又は「津波警報」が発令された場合は、ページング(注:構内放送)により取水口周辺及び屋外の作業者及び見学者等に避難を指示する。

1号機事故時運転操作手順書(事象ベース)2010年2月11日第22章

取水口周辺に見学者が来ることを想定していたのが分かる。この操作手順、設備改造や法規制が変更する度に、細々と改訂を続けていた。従って、最終改訂は2010年なのである。

また、事故時運転操作手順には津波に備えて海水ポンプの仕様が詳細に記述されている。事故時運転操作手順は当直の者は叩き込まれ、その改訂も現場で行うとされてきた。2000年代には改訂された津波想定の数値(最大5.7m)も盛り込まれた。従ってポンプの詳細を覚えている者が居なかったということは絶対にあり得ないと分かる。

以上が東電の原発広報施設関係者達が事故の戦犯として裁かれなければならないと考える理由である。彼等は今日も枕を高くして眠りについている。

16/5/9:2000年代の状況を加筆・全体的に修文。総合エネルギー調査会委員の件は別の機会に扱うこととし、削除した。
16/5/10:【「他社の津波対策に学べ」と市民運動に諭されていた東京電力】を追加。

2016年5月 5日 (木)

烏賀陽炎上事件を再検証する2~謝礼を要求する守銭奴を炙り出した事例~

前回記事では、烏賀陽弘道氏の2013年のネット炎上を再検証し、数十万もの野次馬を集める程の価値が無いことを示した。

さて、烏賀陽氏は2016年4月にも大規模な炎上の当事者(というか標的)となっている。

烏賀陽弘道(報道記者)「私は30年間記者をやっていますが「取材費」を払ったことはないです。(中略)そんな無知だから無職なんですよ」-Togetter

しかしこの件も、前回以上に短絡的な集団ヒステリーの一例に過ぎなかった。便乗して「取材先に謝礼を支払おう」なる記事を挙げたイケダハヤト氏は、赤っ恥をかいた。

どうして赤っ恥なのか、何が問題なのか、炎上対策をどこまで考えればよいのか、こうした点を考えてみた。

【1】謝礼を払わないと明文化するメディア

報道各社は近年、取材に関する社としての基本方針を開示している。特に、大手メディアは様々な問題点を指摘されつつも、対外的な文書作成などに割くリソースの余裕があるので、ポリシーの類も整備されている。

そのようなポリシーを参照してみると、烏賀陽氏の主張通り、謝礼を支払わないと決めている事例は確かにある。まずは、烏賀陽氏の出身元の朝日新聞の例。

Asahikisha21 朝日新聞記者行動基準 2016年3月1日改訂

Ktv_guideline 関西テレビ放送 番組制作ガイドライン 2012年改訂版

どうやら大手新聞社、テレビ局が取材費を払わないことは常識のようである。このような基準を事前に示していれば、メディア批判が簡単になる効果もあるだろう(線引きが曖昧なまま、全ての事案で全ての観点を論争するのは無駄な議論のコストであるため)。

コラム
メディア人がしばしば匿名のネット言論を軽んじる傾向にあるのは、彼等がどんな指針で行動しているかを明らかにしないこともあるのではないだろうか。この派生論議で、匿名ネット言論を正当化する理屈として、「匿名でも実名でも発言者の態度や内容は変わらない」という言い分がある。しかし、実名の場合は当人が望むと望まざるに係らず、問題が起こった際には責任を問われるのが最大の特徴という点は、匿名論者の大半が無視している。匿名の自由はあるべきとは思うが、そういった詭弁は説得力を持たない。

【2】電気学会の技術者倫理事例集

メディア側の倫理規定とは別に、電気学会は次のような想定事例をつくり、学会員をはじめとする技術者に考える機会を提供している。抜粋して紹介しよう。

2011年3月11日、5年前に会社を定年退職した田村紀夫さんが、定年後の日課となっている家庭菜園での野菜作りをしていた時、地面の奥底からゴーっといううねり音とともに、自宅の窓ガラスが突然ガタガタと鳴り出し大きな揺れを感じた。(中略)

3月13日、木島えりと名乗る太陽テレビ局の若い記者が、田村さん宅を訪ねてきた。
木島:「私は、太陽テレビ局の木島えりと申します。今日伺ったのは、昨日福島第一1号機で起きた爆発の原因について、原子力発電所の燃料に関わる多くの論文を出されている田村さんに、ご意見を伺いたくて東京から来ました」

(中略)

(2)あなたが田村さんの立場であったら、テレビ局の申し出を受け入れるか考えてみよう。
事例には書かれていませんが、出演を承諾すれば、送り迎えはテレビ局が手配のハイヤーで、出演料も1時間番組では破格の30万円の謝礼がでること。視聴者の反応がよければ、その後も出演を依頼するという条件が提示されています。
(3)田村さんは友人たちから集めた情報に基づき計算した結果、燃料溶融が起きていることを確信した。しかし、報道される内容では確定的なことが分からない。あなたが田村さんの立場にあったら、どのような行動を取るか考えてみよう。

「事例1:テレビ局記者への対応」『技術者倫理事例集(第2集)』2014年

この問いかけに「正解」は与えられていない。参考にする資料も、解答者が自分で探すのである。一つ知識を加えると、11日には「炉心溶融」を認識していた政府が5月下旬まで認めなかったことと呼応して、12日の会見で「炉心溶融」の可能性に言及した中村幸一郎審議官を会見の担当から更迭し、報道からも炉心溶融を指摘する専門家は排除された。その状況で「30万円を払う」と述べているところがポイントである。見ようによっては、太陽テレビは「お金を払うから政府の見解に従う御用学者になってくれ」と言ったも同然である。

烏賀陽氏が近年重点的に取り上げているのは正にこの原発問題であり、事例集と被る点は多い。『福島第一原発 メルトダウンまでの50年――事故調査委員会も報道も素通りした未解明問題』では、原発の防災計画を過小に見積もるようにゴリ押ししたある業界人の実名を別の関係者(その人も実名で登場)から得ている。正に「誰が」という点を解明したのだが、もしこの関係者が「金を払わなければゴリ押しした人の名前は教えない」と主張したら、それは倫理的な行為だろうか。

このことは炎上の発端となった避難区域内の住人も同じで、「金を払わないと避難区域内で不正行為があっても教えるつもりはない」と宣言したのと同じなのである。一般性のあるテーマで考えても、安倍首相に寿司を奢って非公表の情報を得るような行為があれば、その評価は上記と同じである。だからまともなメディア人からは「そんな会食は辞めろ」という批判が出てくるのである。

【3】考察-報道と広報の混同-

そもそも、批判者達は取材と講演・解説との区別がついていない。講演・解説は経験談やノウハウ提供の見返りに聴衆から代金を頂く。主催者が自主的にビジネスとして行うこともある。これに対して取材では一般的な仕組みの解説は最終目的ではなく、誰がどんな悪さをしたのかを明らかにすることが目的となる。だから謝礼を支払った場合は、取材先と癒着し、記事風の体裁をとった広報と見なすことが出来る。本間龍氏の『原発広告』等の著書で良く槍玉に上がっている、舞の海やデーモン小暮などの有名人や専門家のネームバリューを借りて、企画側の主張を展開する広告のことだ。取材対象、もとい出演者は企画側の意図に沿った発言を行い、異論は唱えないということだ。

山崎元氏は取材を受ける側として、謝礼について述べているが、この点を押さえておくと分かり易い。

取材の謝礼が気になる読者がいらっしゃるかも知れない。

 基本的には、取材を受ける立場では、「取材謝礼はゼロでもいい」と認識しておくべきだ。取材の内容によっては、謝礼を払うことと取材の目的の間にコンフリクトが生じる。取材は断る権利もあるし、だからこそ、受けるからにはそれなりに覚悟が必要だ(一応の原則論として)。

 ただ、一般的な事項解説的取材では、解説に対して謝礼を払うのは自然だろうし、謝礼には、取材源が取材に使った時間と手間への対価という意味もある。

テレビの取材を受ける場合の基礎知識 2012年3月4日

謝礼を要求したことで報道側とトラブルを起こした事例もあるので次に紹介する。

きょう、<マスコミ倫理懇談会全国協議会>の第53回全国大会が松山市で始まった。(中略)開催前日の9月30日に『サンラ・ワールド社』元顧問の佐藤博史弁護士が講演を行った。演題は「足利事件と報道の責任」。
※足利事件とは冤罪事件の一つである。

(中略)確かに、菅家利和氏が逮捕された当時の<足利事件>報道には、メディアが反省すべき点は多分にある。とはいえ、批判を受けた相手が相手だけに、不服に思った記者も少なからずいたに違いない。

佐藤弁護士は、詐欺まがいの商法で巨額の資金を集めたサンラ・ワールド社の手先となって暴走した人物だ。同社の代理人として、恫喝や虚偽に満ちたプロパガンダを繰り返し、詐欺的商法の助長や暴言・暴行などを理由に、多数の懲戒請求を所属する弁護士会に申し立てられている。

(中略)<足利事件>の弁護側広報を仕切る佐藤弁護士には、当然のように取材陣が群がる。そのなかのひとりの記者が、事件取材で謝礼の支払いを要求することについて、佐藤弁護士を鋭く批判した。

すると佐藤弁護士の顔面は、みるみるうちに赤く染まる。そして〝爆怒〟した。

協力してやっているんだから、謝礼をもらうのは当たり前だ!

(中略)<足利事件>の取材謝礼をめぐっては、以前から関係者のあいだで問題視されていた。取材対象者に謝礼を支払うことは、佐藤弁護士が主張するような「当たり前」ではない。報道倫理上、公正・公平性を維持するために、当事者や関係者などに謝礼金を支払わないことが原則とされている。

〔足利事件〕講演で佐藤博史弁護士「取材謝礼」をめぐり記者と激烈口論 2009/10/01

「取材をするなら当然の謝礼を」と主張する向きは、このような事例をどう対応するのだろうか。恐らく説明は出来ないか、世の取材対象が全員身綺麗であると強弁するしかないだろう。

【4】愚民は1%に満たない

最近刊行された『ネット炎上の研究』という研究書では、炎上参加者の定量的推定を行っている。これによれば、炎上に参加する者はネット全体の0.5%に過ぎない。これらはギャラリーも含んだ数なので、実際の仕掛け人は全体の0.00X%にまで絞られるという。

確かに、烏賀陽氏の炎上まとめを読んでも、50万人がコメントしているのではなく、煽り立てている人物はまとめ人を含めて以前から積極的に参加している者ばかりで、主要メンバーは数十人程度である。デマ発信源の規模が意外なまでに小さいのはスマイリーキクチ事件の頃から余り変わっていないように思われる。従って、数十万の炎上と言っても、それ程恐れることは無い。彼等は正真正銘の愚民としか言いようがないが、所詮全体の1%にも達しないのだ。

彼等の態度は見るに堪えないので「簀巻きにして福島の原子炉に放り込む」等、幾らでも罰し方のパターンが浮かんでくるのだが、そんなこと本気で実行しようと思っても仕方がない。ならば、笑い飛ばして相手にしないのが、最も有効な対応策であろう。烏賀陽氏のようにそれを堂々とツイートするかは議論の分かれるところだが、彼のしていることが教科書的な方法であるのもまた事実なのである。

16/5/6:【1】コラム、【3】【4】文章修正。

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