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2018年5月 3日 (木)

主張に一貫性が求められるのは当たり前

掲題のようなことはダブルスタンダード批判の文脈でよく指摘されることである。もし、一貫性が無いと受け取られたくなければ、周囲の条件であるとかをきちんと説明しておくべきだろう。もし、意見を変えたのなら、そのきっかけとなった出来事を引くとか、知りませんでしたなどの形で明記するのがマナーかなと。

2018年4月末、TOKIOの山口が自宅に招いた女性に猥褻行為を働き、他のメンバーが謝罪したり、雇用主であるジャニーズの対応の問題点が指摘されるなどの騒動になっている。普段はTVが見れないのだが、GW休暇中なので結構目にした。

例によって直接リプライをしたことはないが、奇妙な主張をしている方を見た。まずは2017年のツイートから。

要するに性犯罪者の作品であっても価値を認めているので消費したいということである。何名かのネットフェミニストがRTしていたのを覚えている。

ところが、今回の山口の件では次のような主張をしている。

2017年の主張に照らすとおかしな話だ。この方が挙げたミュージシャンや俳優は「責任を果たした」とは言えない人ばかりである。2018年になっても新たな告発がなされているウッディ・アレンなどはその筆頭だろう。にも拘わらず、消費者が自らの卑しさを覚えていれば消費しても良いし、メディアもその場(テレビなど)を提供して良いという理屈だったのだから、復帰を熱望するファンを止めるのはおかしな話である。被害者の権利が消費者の権利より優先すると考えているのであれば、2017年の言は撤回すればよい。

なお消費者にとっては、山口が復帰しなくてもこの葛藤は付いて回る。過去のライブの再放送・再販の可否などの時に、である。

私はジャニーズ事務所も吉本同様に傲慢と思っているが(如何なる回避策を用いても今回の件はダメージだろう)、TOKIOに思い入れは無い。見聞する限り、山口が反省する(或いは矯正プログラム等を受けさせる)べきとは考えるが、現時点での山口は社会的制裁と直接謝罪の点で、極楽とんぼの山本圭一にも劣る(私は極楽とんぼにも思い入れを持たないが、山本がゴールデンタイムの番組で行った謝罪には被害者に対する弁も含まれていた)。

とは言え、長年のファンは心理的葛藤にさいなまれ、中には過剰に彼を甘やかしたり、記者会見での長瀬の謹言を無視して倒錯した被害者叩きに走る分子も出てくると思う。

アメリカのような訴訟社会なら打算は日本より徹底せざるを得ないだろう。ダメージコントロールのためにだ。また、4人だけでも生き残った方がマシという観点からは、ファンにもある程度受け入れられやすい主張でもある。だが、そもそも、山口の酒癖や性癖は急に始まったものではないとの報道がある。残りの4人が黙認加担者ではないと何故断言出来るのだろうか。

この件に限らず、(性)犯罪者の償いと社会的活動の是非という議論は昔からなされている。政治・思想に関心ある界隈では菅野完やTBS山口記者の事件が近年の代表例だろう。

無罪論は論外として、無条件NG論から条件付き活動再開論まで色々あるが、どの立場であれ、少なくとも自分が選択した立場の一貫性を保持せず、無自覚に捻じ曲げる人物は信用されない(まぁ、私自身も、今回の件が自分の贔屓にしている芸能人では無いから、冷静でいられるのではあるが)。