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2020年6月 5日 (金)

テレビ会議全盛時代に省みる福島原発事故-何故菅内閣に進言しなかったか-

コロナ禍においてプラスの効用を認められたものに、Zoomに代表される一般社会へのテレビ会議の普及が挙げられる(厳密にはWeb会議と言うべきだが)。

実は、コロナ禍になった後も細々と福島原発事故の研究を続けているのだが、今回発掘した資料と共に触発されることがあった。

【首相が東電本店に乗り込んで知ったテレビ会議】

福島原発事故発生から数日間、震災対応を行う首相官邸は不満がくすぶっていた。東電からの情報が中々上がらず、内容も要領を得ないものだったからである。

事態が好転したのは、3月15日朝に菅首相が東電本店に乗り込んだためである。一般的には、東電に対して撤退阻止の演説を行ったことが強調されてきた。当ブログの提案を読んだのかは分からないが、公開1ヵ月でネット配信に踏み切り、人気をものにした『Fukushima50』でも「首相のドタバタ」として描かれている。

だが、この出来事のハイライトはそこには無い。

映画『太陽の蓋』を見ると明瞭に表現されているが、東電が本店に設けた自社の対策本部には、テレビ会議システムの大画面が鎮座していた(知名度が低いのでAmazonPrime版へのリンクを貼っておく)。

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原子力防災訓練(本店における訓練状況)」東京電力HP(2015年3月18日)。 室内配置が良く分かる一枚。

菅内閣は東電テレビ会議の存在を官邸に詰めていた東電の武黒フェローから知らされていなかった。乗り込んで初めて「それ」を目にし、政府としても活用することにしたのである。

テレビ会議は東電の3原発に接続されており、かの吉田所長も参加していた。最初からこれを知らされていれば、ヘリなど飛ばす必要は無かった。

ここまでは、この事故を少しでもまともに学んだ人なら、おさらいに属する話である。

【何故東電テレビ会議は政府に知らされなかったのか】

しかし一部で批判されているように、テレビ会議の存在を武黒だけが伝達し得た、と無意識の前提に考えるのはどうだろうか。これが今回のテーマである(結果だけ先に述べると、官邸スタッフには実務に疎い政治家を補佐する責任があるが、テレビ会議の件ではその役割を果たしていない。この記事は以下でそれを論証する)。

東電テレビ会議の存在を伝えるだけなら高い地位の人物は必要ない。平社員、3種国家公務員などでも十分な仕事である。

政府事故調中間報告では次のように記されている。

b 情報収集の問題点
今回のような事態が発生した場合、原災マニュアル上は、原子力事業者はまずERC(引用者注:緊急時対応センター。経産省庁舎に設置され、原災本部事務局を担う)に事故情報を報告し、しかる後ERC 経由で官邸へ情 報が伝達されることとなっている。ERCには、3月11日の地震発生直後から、東京電力本店から派遣された四、五名の社員が常駐しており、 彼らを通じて福島第一原発の情報がERCへ伝えられていた。 当初、ERCに参集していた経済産業省や保安院等のメンバーは、東京電力からの情報提供が迅速さを欠いていたことに強い不満を感じて
いた。しかし、東京電力本店や福島第一原発近くに設置されたオフサイトセンターが同社のテレビ会議システムを通じて現場の情報を得ていることを把握している者はほとんどおらず、同社のテレビ会議シス テムを ERCへも設置するということに思いが至らなかった。また、情報収集のために、保安院職員を東京電力本店へ派遣するといった積極的な行動も起こさなかった。

東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 中間報告本文P470
※下線は引用者による。

一方、政府事故調の記述が官僚・政府関係者に甘い傾向はこれまでも指摘されている。従って、今回は上記の記述の背景を検証し、テレビ会議が見かけの印象以上に普及していたことを示す。

通信技術の変化は激しいので、技術史として語る必要もあると感じて作成した。

東電テレビ会議はジャーナリストが公開を迫った経緯もあり、一方向から書かれたものが多い(典型例として、福島原発事故記録チーム 編『福島原発事故 東電テレビ会議49時間の記録』岩波書店 2013年9月(試し読み))。だが、今回は一味違うものに仕上がったと自負している。

【テレビ会議の実用化と電力会社への導入】

事故当日の話はここで一旦止めにして、テレビ会議の歴史を紐解いてみよう。

1960年代後半には、将来実現すべき技術目標として通信事業、放送関係者には認識されていたようだ。日本で商業化されたのは1984年のNTT(旧電電公社)が嚆矢。電力会社では、NTTと同時期に東電が本店とシステム研究所間で実用化した。こぞって導入し始めたのは1990年代前半からである。電力会社の場合、平時の使用の他、最初から災害時の使用を前提に考えていたことが当時の技術記事から伺える(参考文献一覧参照)。

ただし、東電は以下の記事から1992年の段階でもマイクロ波無線通信網と山間地対策の衛星通信を主としており、テレビ会議の使用を前提に入れてないことがうかがえる。

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「東京電力における防災対策」『電気情報』1992年3月P20より。

一方で1979年3月のスリーマイル島原子力発電所事故後、日本では、原子力安全委員会が52項目の対策事項を発表し、その38項目目で「緊急時連絡」として電話回線、それ以外の連絡方法を整備するように求めていた。52項目の対策の元になったのは『米国原子力発電所事故調査報告書,第2次』という文書で、私も青焼きを1回だけ読んだが、連絡方法の一例にテレビ会議を明記していたような記憶がある。

そのためか、東北電力が1988年に導入した第一世代のテレビ会議システムは小規模なものだったが、女川原発には当時から接続されていた。

【阪神大震災での使用】

テレビ会議が災害時に活用された初期の事例で記録に残っているものは、阪神大震災(1995年1月)である。

関電は震災に関して「阪神・淡路大震災における電力ライフラインの復旧について」、他数本の技術記事を投稿している。J-stage等で読めるこれらの記事は自社の通信網が使用できたので、神戸支店、本店との間の情報連絡を密にしたことは述べているものの、その伝達手段は特に言及していない。だが『153時間 阪神・淡路大震災応急送電の記録』というビデオを見ると、機能を維持していた社内電話の他、テレビ会議を開いている姿が映されていた。

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『153時間 阪神・淡路大震災応急送電の記録』(関西電力)より。本店と神戸支店(右側CRT)を接続。

なお、行政側でもNTTからの供与により、兵庫県と被災6市との間でテレビ会議システムを構築・運用したと記録にはある。

当時のテレビ会議システムは伝送にISDNを採用していれば「進んでる」と見なされた時代。画像は(当然)NTSC。東北電力の場合、CIFというビデオデータ向け映像フォーマットで、解像度は低かった(352X288)。

これはアナログテレビ放送(640x480)と比較しても3分の1の情報量だ。一般のテレビが株式市況の数値をずらりと並べて放送していたことから類推すれば用は足りたのだろうが、図表を映す場合に情報量の制約はある。2Kに満たない地上波デジタル報道(1440X1080)でも、細かいフリップを大画面に映し出せる現代では考えられないことである。技報や論文は未達成の課題をあまり語らないが、このことは宿題として残った。

【阪神大震災の教訓を取り入れた東電】

関電神戸支店は元々5階に対策本部を設けていたが、建物が損傷したため、急遽地下1階の食堂にテレビ会議他の指揮機能を移転した。

この教訓を取り入れ、東電は震災後、新橋の本店2階に常設の非常災害対策本部室を設け、テレビ会議用のスクリーンを設置した。高い場所は一般的に揺れが大きいということだろう。後年、福島事故でハイライトを浴びた舞台は、同業他社の被災経験に学んで生まれたのである。

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『とうでん』2002年3月号より。

上述の経緯から、少なくとも阪神大震災後は、テレビ会議を通信連絡手段に加えたものと思われるが、支店や発電所関係者でも、定期の防災訓練で連絡班等に割り振られたことのある社員は、テレビ会議システムを触ることになる。

【社内テレビの普及(参考)】

一方、社員への周知について忘れてはならないのが紙に残らない手段。1990年代は社内テレビシステム/テレビ会議システムの普及が年毎に伸びていた時期で、1986年10月に導入した東電もこれらを活用し、社内外に情報発信を恒常的に行っていた。こちらも参考に取り上げておく。

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上に引用したのは『とうでん』1994年10月号。社内テレビ設置台数は社員10人に1台の割で、管内くまなく配備されていた。テレビ会議に縁の無い社員でもこちらは確実に記憶にあった筈である。ネット隆盛以降なら社内HPに掲載するようなお知らせも、当時はテレビで行っていたと思われる。

また、社内テレビとテレビ会議のシステムを共通の技術基盤で構築する導入事例が論文に取り上げられていた。推測だが、東電もそうだったのではないだろうか。端末を共通化すれば、会議室に社内テレビを配置することで1画面限定の1:1の通信主体とは言え、テレビ会議が開けるからだ。本店の訓示などは社内テレビとして流し、A支店とB支店間で会議を行う場合は、テレビ会議システムとして使える。

以上より、電力会社にとって、テレビ会議システムは相当前から普及していた仕組みだったということだ。官邸・ERCに詰めていた東電社員にとっても、同じである。にもかかわらず、彼等は本店の社員とも異なる認識で動いていた。このことは後で触れる。

【通産省のテレビ会議導入】

なお、原子力推進官庁である通産省は本省と地方機関とを結ぶテレビ会議システムを1996年に導入し、災害時の運用を視野に入れていた。

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『電気と工事』1996年10月号より記事冒頭部。

上記記事に技術仕様の詳細解説が載っているが、会議室に50インチのCRTを3台も並べるなど、大掛かりなシステムだった。既に、H.320をはじめとする規格の標準化も進んでいたが、他省庁や民間との接続については特に書かれていない。

【中央防災無線網のIP化】

インターネットの商用化から数年するとテレビ会議にも90年代後半にはIP化技術が持ち込まれ、H.323という規格も整備され変わっていった。

主に日本無線の技報に基づき2000年代の政府関係の防災システム導入状況を概括すると、まず、内閣府防災担当の所管で、元々中央防災無線網というものがあり、基幹ネットワークと位置付けられていた。そして、2004年度からIP化を開始し、Webアプリやテレビ会議システムの利用も順次可能となっていった。また、中央防災無線網は官邸から各省庁、指定公共機関を接続するものとなっており、東京電力も含まれていた

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5.アナログ放送終了後の電波利用 5-2.自営通信の取組み」『映像情報メディア学会誌』2008年No.5
※ネットワーク構成図のみ引用。東電は中央防災無線網に直結。なお、自治体の防災無線は事実上動画伝送能力が無かった。

他省庁もこの流れに乗った。防災の主役となる国交省を例にとると、同省の東北地方整備局が発行していた『月報とうほく』にも、2005年度より情報通信技術課を設けて通信インフラ整備を進めるとある。

これは、全国に光ファイバ網を張り巡らし(一部他省と共用)、河川・道路の監視映像を本省に流したり、テレビ会議を行うことが目的だった。2006年の技術記事では「映像情報収集システム」と呼ばれ、既に実用に供されていたことが分かる。当時IP化されたカメラだけで全国に5000台。テレビ会議と併せて、それらを自由に取捨選択できる優れものだった。

更に「映像情報提供システム」を整備して地方機関からテレビ局に伝送回線の整備も行われていたという。このような努力があったので、テレビ局や官邸の危機管理センターに情報を配信することも可能だった。

ライフライン関係機関との接続も多岐にわたり、縦割りの超克が意識されている。

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関係機関との接続概念図「国土交通省の防災情報システム」『電気設備学会誌』2006年4月P22
※先ほどと同じネットワークを国土交通省から見た姿。IP化で動画伝送能力を整備していた。

上述の事情なら、官邸との間でテレビ会議を開けるように準備しておくことも造作もないことだったと思われる。

総務省が2000年代後半に設けていた「安心・安全な社会の実現に向けた情報通信技術のあり方に関する調査研究会」の「最終報告書(案)」によると、「旧式のネットワークは、音声、FAX、データ、映像等の伝送用途毎に独立して運用。複数映像伝送など災害対策のニーズに応じた柔軟な伝送に課題。」とされていた。しかし仮に容量上の問題があったとしても、国土交通省とテレビ局間に引かれたものと同様の専用線を、中央防災無線網と指定公共機関の間に引けば良かっただけである。

菅直人氏は回顧の中で、官邸と東電本店の距離の近さに改めて驚いた旨を述べているが、このことは延線工事の容易さを示してもいる。JR,NTT,電力など相手なら都心の本社・東京支社との接続になるからだ。

【新潟県中越沖地震(2007年7月)】

2007年7月に発生した中越沖地震では柏崎刈羽原発が被災した。この時、地震発生直後に発電所の緊急時対策室ドアが歪んでしまい、屋外に対策本部を仮設せざるを得ず、新潟県からの要望もあって免振重要棟の建設に繋がったことはよく知られている。だが、ドアをこじ開けて3時間後には緊急時対策室で執務可能となったことはあまり知られていない。朝日新聞『生かされなかった教訓』には9月のプレス公開写真が載っており、室内にモニタらしきものはある。

また、本店2階の非常対策本部には多数の社員が詰めていたが、新聞社が出版した書籍2冊を読んでもテレビ会議システムの描写は無い。当時朝日新聞で原発取材を担当していた添田孝史氏にもメールで尋ねたが、記憶にないとのことだった。

どうも後述の『とうでん』を読むと、テレビ会議は有効に機能しなかったようである。

一方、新潟日報の取材によれば、原子力安全・保安院の現地事務所は職員2名を発電所に派遣したが、渋滞で到着に2時間40分を要した。つまり、到着後間もなく緊急時対策室が使用可能となった。推測だが、検査官は室内を目にしており、本店との連絡方法について所員と会話したと思われる。

だが、原子力安全・保安院は中越沖地震の教訓化が出来ず、後述するオフサイトセンターのように電力会社のテレビ電話・テレビ会議回線を現地事務所や東京に接続することは無かったようである。もし、接続していれば、政府事故調は上記のような記述とはならなかっただろう。

言い換えると、政府事故調もまた、中越沖地震がテレビ会議システム拡大の機会だったとは見なしていないのである(何も触れてない)。

更に問題なのは、武黒がこの地震で得た教訓を社員にどのように伝えたのか、である。

武黒は中越沖地震対応で柏崎に駐在するなど、防災対策の中核におり、その考えは『とうでん』を通じて全社に広報された。

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『とうでん』2007年10月より冒頭引用。社内に顔が知られていたことを示す一枚。

既に忘れている方が多いと思うが、中越沖地震では屋外の変圧器火災が発生し、テレビ放送で強烈な印象を与えていた。武黒は上記インタビュー記事の後半で課題と教訓として次のように述べた。

社会のみなさまが原子力発電所で火災が発生したと聞けば、大きな事故が発生したのではないか、大きな事故に発展するのではないか、と不安に思われるのは当然のことだと思います、そういった不安を解消するためにも、円滑かつ適切な情報提供ができるような仕組みを構築していきたいと思います。

(中略)メディアでは、どうしても目に見える被害が発生した箇所の映像を中心に報道されますが、発電所全体としては、そのような部分は一部であって、重要な部分は健全性を確保しているということをご覧いただけるようにしていただければと思います。

今回の記事では武黒の心理を掘るのは主目的ではないが、彼と少なからぬ東電社員達が黙り始めたのはこのような「教訓化」が真相だと思う。3月12日15時半に原子炉建屋が爆発してからは、それまで黙っていた手前、伝える機会を逸したのだろう。

そのような認識は、後述するように、実は、東電本店と比べても異質な物だったのである。

【原子力防災訓練(2007年10月)】

さて、福島第一・第二周辺での原子力防災訓練が初めて開催されたのは1983年のこと。1991年以降は毎年開催された。予定調和と揶揄されることの多いイベントだが、実務者に仕事を覚えさせるという観点からは、それなりの意味はあったものと考える。

2007年の防災訓練は『とうでん』の12月号で特集されていた(下記。クリックで拡大)。

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訓練ではオフサイトセンター、発電所の緊急時対策室、本店を結ぶテレビ会議を構築した。中越沖地震の教訓を取り入れることに重点が置かれ、本店を交えた接続はこの年からとのことである。また、初期対応支援チームのヘリを本店から飛ばすことも行っている。

福島事故の日、菅首相に先んじて武藤栄副社長が福島にヘリで急行したのだが、それはこのシナリオに沿ったもので、発電所がヘリを受け入れる体制は想定内だったのだ。それが政府のヘリに代わったところでどうということは無いだろう。

また、この訓練には当時の副社長だった武黒も参加し、模擬記者会見を行っていた。

【原子力防災訓練(2008年10月)】

2008年10月の防災訓練では首相官邸とのテレビ会議が行われた。県庁かオフサイトセンターに接続したと思われる。

当時は自公政権の麻生内閣、経産大臣は二階俊博。状況から考えて大臣達は顔見せに過ぎなかっただろう。二階は、共産党の吉井英勝議員の津波質疑を受けて立った経産大臣でもあるが、小泉政権以降特に目に付くようになった自民党閣僚の例に漏れず、社会に対する見方がぬるいのではないかとも思っている。

それは、2020年春のコロナ禍において世界中がロックダウンする中、「人との接触を8割削減」という目標を示され、つまらなさそうに「出来る訳ない」と答えた姿に端的に表れている。

【原子力防災訓練(2010年10月)】

2010年の原子力防災訓練は10月に福島第一で行われた。テレビ会議は県庁、オフサイトセンター、各市町村役場、原子力安全保安院と接続している。オフサイトセンターには事業者ブースにテレビ電話を設置して、発電所と本店との連絡調整に使用したとある。

訓練は第三者機関として、JNES(原子力安全基盤機構)が評価を行った。JNESは保安院から業務移管を受けて成立した独立行政法人であり、過去の経緯から電力会社からの出身者も多かった。つまり、電力社員としての経験から、テレビ会議システムの存在を知っているJNES職員はおり、彼等と密接に仕事をしている保安院へも伝わっていたと思われる。

技術的トピックとしては、東電のテレビ会議システムが6月に更新され、社外接続を視野に入れていた。また、ハイビジョン画質の端末を使用することで表情やホワイトボードの文字読み取りがし易くなったという(『とうでん』2010年7・8月号)。H.323に準拠するのは最低限の条件として、それ以外にも公衆回線で使用出来ることなど、システム的に整えておくべき要件があったらしい。

なお、国会事故調本文の「東電の社内テレビ会議システム」という節を読むと、端末の移動を容易に行い、福島県庁や官邸に持ち込んだことが記されており、更新の目的である現場からの映像伝送能力を活用していたことが分かる(官邸への持ち込みは、菅首相の東電本店乗り込み後)。

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『とうでん』2010年7・8月号より。クリックで拡大。

ただし、この頃の東電は以前と異なり、導入一番手ではなくなっていた。

ハイビジョン画質(HDTV,解像度1280X720)で、異なる会社のテレビ会議システムに接続可能なパッケージは、中国電力がノルウェーTANDBERG社(当時。2010年、Ciscoに買収)のシステムを2007年までに導入していた。

2009年になると、東北電力が1994年から運用していたISDN回線による第二世代のシステムを、やはりTANDBERGのフルハイビジョン(2K,解像度1920X1080)の第三世代に更新し、メディアにも露出していた。同社のシステムは災害運用を前提に、インターネット、携帯電話回線等との接続を謳い、現場からの映像配信も視野に入れていた(もっとも、こうした機能は当時としては一般的なソリューションである。テレビ会議関連技術論文・記事を検索すると汎用PCを用いたコスト削減に関するものや、日経BP社によるサービス多様化等の取材記事などが散見される)。

東電が更新したシステムはハイビジョン。システム構成などの見えにくい部分は別としても、対外発表する程の技術的新規性は無かったのだろう。オノデキタ氏が語る「技術に輝く東電」は、彼が在職していた1980年代の姿に影響された見方なのである。

日経コンピュータの取材に対し東北電力は「災害時の情報共有では、現場の緊迫感や切迫感を伝えることも重要だ。社員の目つきを見れば、彼らに余裕があるのか、事態がどれほどの緊急性を帯びているかが伝わる。テレビ会議システムを高画質化することで、現場の臨場感も伝わるようになる」と述べている。「表情の分かりやすさ」は東電も意識していたのは上述の通り。この頃は電子メールも行き渡り、何年か過ぎているので、動画に付加価値を付けるための流行りだったのだろう。

だが、公開された映像は専ら室内の俯瞰で撮られている。もしフルハイビジョンだったら本店に正しくニュアンスが伝わったのかは、考察を深める余地がありそうだ。

【行政側のテレビ会議導入状況(2009~2010年)】

ここまで読むと、菅内閣(政治側)だけが、知らずにいたということになる。副大臣クラス以上となると、仕事のやり方に古さが残るのは仕方がない。海外でもIT導入期に似たような話はあった。上述の通り、官民のスタッフが補佐する話である。

コロナ禍で台湾のIT大臣が注目を浴びているが、安易に真似ても原発事故が提起したもう一つの問題、「専門バカ」を頭に据えただけの結果に終わると思う。ネット黎明期からそうだが、Twiiterを見ていても、老若男女・思想の左右を問わず、IT関係者には知識の優位を無闇に誇示したがる浅はかな人物が非常に目に付く。それも最近は「メールを使える」「エクセルを編集できる」「SNSをやっている」、なのに老害は使えないなど、下らない話ばかり。

とは言え、政治家が本当にテレビ会議を利用した事が無いかと言うと、違ったのである。儀式的な利用機会は増えていた。

以下、Twitter上より報道発表とそのRTを示すが、存在感は急速に高まっていた。

 鳩山、続いて菅首相も度々使用していた

『Fukushima50』の小説版で言及されている浜岡での防災訓練でもテレビ会議を儀式的に行っている。

産経新聞に掲載されたと思しき首相動静を見ると、やはりこの年も、首相は15分だけ出席の儀式的なものだったようだ。なお、9月1日(防災の日)に行われる総合防災訓練では会場の伊東市を往復していた。官僚組織も歴史的経験に基づきスケジュールを組んでいるようだ。

有用性は各方面で認知され、2010年11月には全国の自治体で導入することとなった。

東電事故調は最終報告書で次のように述べた。

報道では、官邸のTV会議システムは使用されていなかったとされているが、それが事実でシステムが活用されていれば、当社は原子力安全・保安院へ要員も派遣して情報を提供しており、より早い段階で官邸の政府首脳は情報を入手でき、より的確な対応ができたものと考える。

政府と距離を置く立場の国会事故調もこの点は東電事故調と一致している。中央防災無線網を通じて接続はしていたのだから、事実だろう。

このことは東電テレビ会議でも確認できる。3号機が爆発した3月14日11時の映像には「官邸もリアルタイムでつないでおいて」と要請する声が収録されている。菅首相来店の前の日の話だ。本店の社員達の意識は切り替わっていたのである。

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「音声はわずか30分・・・初公開も「まだ隠ぺい」」(FNNニュース 2012年8月6日頃)より。(録画よりキャプチャー

※東電は「本37-1」という番号を振って公開(URL)。FNNは短縮編集しており、「官邸も」の後に別の人物の発言が10数秒挟まるが一文としてはこれで成立している。発話者は小森常務と思われる。OurplanetTVによる編集版ではカット。オノデキタ氏の解説(2014年10月21日。20分30秒付近から)でも触れていない。

澤昭裕氏は、指示の名宛て人を明示せずに「○○という作業、誰かやってくれ」と発話する場面が多いことなど、技術以前の基本的な進行の不味さを挙げていたが、この発言も正にそれで、しかも他者の発言に被されて伝わらなかったのである。

私がこの件で官邸スタッフに厳しく、政治家に同情的なのは、実務家とは一線を画す職能上の問題からだ。機材をセッティングする訳でもなければ、会議の開催準備をするでもない。それは彼等の仕事ではない。事故後にこういった防災訓練での振る舞いに触れて、菅内閣を難詰する自民党議員も現れたが、二階氏を見ればわかる通り、同じ穴の狢なのである。

しかもその後、政権に返り咲いた安倍自民党内閣が災禍の度に見せる堕落振りは、菅内閣の比ではない。かつての自民党内閣に比べても劣っていると感じる。

【官邸に詰めていたスタッフ達の責任】

一連の記録を読むと、官邸に詰めていたスタッフとその周辺者は次のようにまとめられる。

  • 原子力安全・保安院:職員達は電力会社がテレビ会議を使ってるとよく知っていた。
  • JNES:電力会社出身者はテレビ会議の存在を知っていた。
  • 官邸地下危機管理センター:自らが中央防災無線網とテレビ会議を運用する立場にあり、思い至って当然だった。
  • 他省から内閣府への出向者:自省のシステムから、存在を類推可能だった。

「思いが至らなかった」という政府事故調の言葉から受けるよりずっと蓋然性が高い。ルーチンワークを崩したくないとか、「サヨク政権」への政治的な反感から意図的に黙っていたのではないだろうか。

【東北電力とのシステム接続も無し】

残された疑問は他にもある。

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【参考資料】当社テレビ会議システムの構成イメージ」(東京電力HP、2012年8月9日)

福島事故時の東電テレビ会議システム構成を示す。良くできている図で、繋がってないものを考える役にも立つ。政府の他にあるべきものは何か。

同業他社、殊に福島を管内とする東北電力である。

東北電力も東日本大震災発生時には上記の新鋭テレビ会議システムを縦横に活用したが、東電とは接続していなかった(直ちに接続したという情報を持っていないので、そのように判断している)。

その弊害はあった。福島第一に一番乗りした電源車は東北電力が福島県内の営業所に配置していた4台で、3月11日22時の到着だった。東電の電源車より2時間以上早かった。だが、東北電力の電源車は活用されなかった。瓦礫に邪魔されたことが理由とされているが、その瓦礫は下請の重機により急ピッチで撤去が進められていたので、本当の原因は事前の擦り合わせ不足だろう。

東北電力福島支店と福島第一間でシステム接続をしていればそのようなことは無く、建屋内の給電がより早期に復活したかも知れない。電気が来ると、電動弁(MO弁)やポンプの制御が回復し、計器の読み取りも可能となり、照明が灯る。ベント作業一つとっても、空気作動弁(AO弁)は人の操作に頼るままだとしても、MO弁の突入部隊が不要となり、明かりも取れて作業負荷は大幅に軽減される。

事前準備で事無きを得たから良かったものの、日本原電東海第二原発ともテレビ会議システムの接続をした記録はない。もし何かあったら、通信連絡上も福島を上回る問題を生じていた可能性がある。

事故前に、業界団体の電気事業連合会や原子力安全・保安院が音頭を取ろうとしていたのかは、そういう観点から調査をした人がいないようなので、分からない。事故後、反反原発活動に勤しむITオタク達をネット上でよく見かけたが、彼らは別に何か調査をしてくれる訳でもないので、役に立たなかった。

だが、東北電力がシステム更新をした際、エネルギーフォーラムの取材に対して「災害時に他電力同士がテレビ会議に参加することで復旧への迅速な対応化が図られるのではと期待しており、そうしたシステムの連携に向けた検討を進めていきたい」とコメントしていた。その後、水面下では隣接会社の東電と技術仕様を擦り合わせたと考えられ、要は宝の持ち腐れに終わっていたのではないかと思われる。

2013年に原子力規制庁が導入したテレビ会議システムが、多数の電気事業者と接続するように作られたのは、このような背景に基づいている。

【もし、東電テレビ会議が最初から菅内閣に知られていたら】

官邸が初動から東電テレビ会議を知っていたとしても、できることと、できないことがある。例えば、電源車。3月11日深夜にプラグが電源盤と合わないという話があったが、これはテレビ会議があっても解決できない。震災の前に繋がるかどうかチェックしておくことが必要である。

また、電源車を遠方から呼び寄せるとタイムラグが生じ、メルトダウンには間に合わない。あらかじめ発電所に配置して、移動時間を省く必要がある。これも、テレビ会議では解決できないことだ。

しかし、避難誘導や注水資機材提供の面で、より迅速で的確な連携が望めたことは疑いない。条件が良ければ上述のようにベント作業にも好影響を与える。

主要4事故調の報告書が出揃って8年、どうして今日に至るまで、テレビ会議での会話にばかり注目が集まり、「使われ方」について技術面を含めての再検証が無かったのだろうか(私も全ての文献に目を通せたわけではないが。例えばテレビ関係者ならむしろ得意分野だろうと考える)。その結果責任を「東電の武黒」のみに押し付けることは、高級官僚に留まらず、官吏の言い分を鵜呑みにすることと同義である。彼等の不作為を考えていくうえで、重要な視点だろう。

武黒も悪いがスタッフも同罪。それで初動が遅れ、事故調相手には言い分と情報の小出しに終始した。対して、無知だった官邸の政治家は本店に乗り込んだことで速やかに事態を改善し、情報インフラのポテンシャルを引き出すことに成功した。結論として、「イラ菅」は役に立ったのである。

【参考文献】

情報検索の際は「テレビ会議」の他、「TV会議」や「ビデオ会議」を併用すると良い。

・斉藤良博「東京電力におけるテレビ会議システムの検証実験について」『テレビジョン学会技術報告』1987年11月

・「社内テレビシステムが店所へも拡大」『とうでん』1988年4月P17

・鹿志村修, 矢原義彦(北海道電力)「ISDNテレビ会議システム」『テレビジョン学会技術報告』1992年16巻54号

・山口昇「中部電力における画像伝送システムの導入と活用」『テレビジョン学会技術報告』1994年18巻48号

・「特集 東響電力の?を探る」『とうでん』1994年10月

・山本益生「電力会社における設備監視システムの現状と今後の画像利用」『テレビジョン学会誌』1995年3月

・臼田修「阪神・淡路大震災における電力ライフラインの復旧について」『電気学会誌』1995年9月

・「特設記事1 官庁のテレビ会議システムを見る ①通商産業省の設置導入事例」『電気と工事』1996年10月

・「2-05.都市基盤・サービスの復旧 【05】電話の復旧」『阪神・淡路大震災教訓情報資料集』(PDF)内閣府防災情報

・「特集”ライフラインを守る”という使命を果たすために PART1 当社の防災対策を知る」『とうでん』2002年3月

導入事例詳細 CASE STUDY 中国電力株式会社 様(株式会社 メディアプラスHP)

・「国土交通省の防災情報システム」『電気設備学会誌』2006年4月

・「タンバーグが対面会議と同等の臨場感を得られるテレビ会議製品」『日経コミュニケーション』2007年2月20日

・「特集 新潟県中越沖地震に負けない PART3 この難局を乗り越えるために何をすべきかを明確にして業務に取り組んでほしい」『とうでん』2007年10月

東北電力がフルHDのテレビ会議システムを導入、122拠点に配備(日経コンピュータ 2009年3月2日配信)

・新潟日報社 特別取材班「第1章 止まった原子炉」『原発と地震―柏崎刈羽「震度7」の警告』講談社 2009年1月

・「東北電力 テレビ会議システム革命!社内コミュニケーションの高度化へ」『エネルギーフォーラム』2009年5月

・「東北電力、タンバーグのHD対応ビデオ会議シ ステム導入」『CNA Report Japan』Vol.11 No.21 2009年11月15日

・『平成22年度 福島県原子力防災訓練の記録』福島県

・「第1章 柏崎刈羽原発が揺れた」『生かされなかった教訓 巨大地震が原発を襲った』朝日文庫 2011年6月文庫化

・「防災行政無線システムの変遷」『日本無線技報』2011年

・「15.2 事故対応態勢」『福島原子力事故調査報告書 本文』(東京電力 2012年6月20日)

・「3.2.4 情報共有におけるツールの活用状況」『国会事故調 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 報告書』2012年7月5日

・菅直人「第一章 回想 東電本店へ乗り込む」『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』幻冬舎新書 2012年10月

・「原子力発電所事故時の組織力とは —「検証 東電テレビ会議」(朝日新聞出版)と公開画像—」澤昭裕Blog 2013年1月8日

・町田徹「第二章 創業」『電力と震災 東北「復興」電力物語』2014年2月
 ※東北電力のテレビ会議対応、電源車派遣について参照。

・共同通信社原発事故取材班「第二章 爪痕」『全電源喪失の記憶』(2015年3月単行本の文庫化。2018年3月)
 ※3月11日夜の瓦礫撤去について参照。

テレビ会議システムの歴史をわかりやすく解説!(ITトレンド、2020年3月4日)

CIF(Common Intermediate Format) とは(Web会議・テレビ会議システムのLiveOn > 用語集,ジャパンメディアシステム株式会社)

・鈴木康人「ISDN(INS)とは|ISDNの歴史と終了の背景を解説」(トラムシステムHP)

学識者、原告団等で参照資料必要な方にはPDFを提供する。

直接の参考にしたのは上記だが、この他にも情報通信関連の文献を色々読み返したり調べたりした。私事ながら、日本データ通信協会が推奨する資格スキル維持の役にも立った。

※2020年6月6日:FNNニュースより本店の認識を追記。

※2020年6月11日:エネルギーフォーラム記事および澤昭裕Blogの内容を反映。

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