今更バスに乗り込もうとするRADWIMPSが露わにした国粋主義
RADWIMPSがサッカー興行のタイアップでHINOMARUなる新曲を発表し、その内容が素朴な極右である件について。
既に話題になっており、今更私が付け加えることなど無いが、『君の名は。』を過去に持ち上げた以上、書いておく。
「無知と素朴を言っておけば何をどこまでやっても許される」というような、無様な右旋回でしかないというのが感想だ。右翼思想自体もそうだが、別に最初から信念があった訳でもなく、元々金には困って無さそうなバンドにも関わらず、どう見てもビジネス目的(歌詞の擬古文もそう見られてるよね)なのが節操のない感じで最悪。後「右でも左でもない」という言い訳な。ポップ系で遊んでる連中ではまだ流行ってるみたいなので遠慮なくしばいていくべきだろう。
RADWIMPSさんといえば、反原発デモが空前の高まりを見せていた2012年夏にこの曲を出し、また実際に国会周辺で反原発デモにも参加して、PVではその時の映像も使われていました。そういう人たちなので、当アカウントでも実はフロントマンの方を長らくフォローしておりました。https://t.co/u268D7fftu
— TOKYO DEMOCRACY CREW (@TOKYO_DEMOCRACY) 2018年6月8日
映画公開後に調べて知ったことだが、エコ活動っぽいことをしていたり、対外的にも受けの良さそうな発言をしてきたり、傍目にはリベラルに見えるバンドだったので、今回のことには驚いた。
アーチストがはっきりした政治的態度表明をする時、過去に何も言ってこなかったのに、勝手にポジションを決め付けて消費を続けた挙句「裏切られた。作品捨てます」などという人がいるが、今回については事前にどういう側なのか示すだけのことはしてきたバンドではあるので、ファンの中でも極右的世情に嫌悪を持ってる人達は可哀想だったろう。
まぁ、あの映画については、RADWIMPS以外の出演者も、何か政治的な態度表明を改めてしている人はいなかったので(市原悦子氏が反原発の表明をした過去がある位)、趣旨の決定権がある監督以外は、単なる雇われ人として見ている。よって、C4DBiggneerのように、アーチストの信条に過剰に入れ込むかのような評価はしてこなかった。私が評価したのは企画書なり台本を渡された時にその人なりに設計したことを上手に出来てるかと言う、テクニカルな点だけ。演劇の技法で何を採るかとか、ロックにするか歌謡調にするかのスタイル選択とか、内心を見るって点からは本質的じゃないでしょ。どの方法であれ芸として成立してるならそれで良い。「明らかに台本読んできてないでしょこの人」みたいのの方が不誠実だ。
別にいい年したおっさんになって「〇〇さん尊いです」みたいなのも無かった。
胸のサイズであるとか、キン肉マン振りを評価基準にして意識の高いことに手を出すと必ず失敗する。だって胸のサイズや筋肉は思想信条と無関係だもの。自陣営にも何人もいるが、敢えて声高に指弾してないだけのことだ。
言い忘れたが、「歌が口やかましいから極右」という瀬川深氏の指摘も間違いだ。そのやかましいスタイルを左派のバンドが採用し、安倍批判に向かったら黙る癖にこれだからルッキズムは。デモや反権力系フェスが右派から批判される時の典型は正に「やかましい」だろうが。彼はあのグループが国会前で演奏する時、同じことを言えたのか。
普段からそう思ってるので、神木隆之介が百田原作の映画に出たり、RADWIMPSの公認カバーアルバム出している主演の女の子役の女優が、オールナイトニッポンで獅子文六『海軍』読んでると明かしたりする程度の想定は当然していた。ハリウッドに比べて日本のスター級芸能人は余り政治を語らないとも言われるが、それは裏を返せば、そういう人達は一般論として、金目か無関心、そう思われるリスクを背負ったということでもある。
『君の名は。』自体は下記の点では商業とポリコレのバランスを評価出来る映画だった。
- 宣伝の委託を広告大手3社ではなく被災地を沿線に持つJR東日本企画に発注。
東北で舞台挨拶のなかった『シン・ゴジラ』と違って複数回舞台挨拶し た(私には決定的な違い)。 - 韓国で舞台挨拶/ニュース出演を卒なく成功させた。
- 本編の数ヶ月後発売された外伝小説で後付した設定が、神社本庁を回
避するものであった(日本会議騒動対策と推定)。 -
公式グッズが「宮水神社の
菓子」に至るまで東宝に還流するルートだった。 - 公式コメントでは震災への言及を最小限に止め、イタコ、
被災地幽霊等に付け込んだスピリチュアル商売を煽らぬよう苦慮し た形跡があった。
※便乗出来ないと悟ったからこそ、幸福の科学は『君のまなざし』を内製せざるを得なかった。勿論駄作。 - 神社とのコラボ無し(取材と私的参拝のみ)。
※なお、須賀神社側も、恒例大祭の奉納者一覧に勝俣恒久(好ましからざる住民)の掲載無し。 - 鎮守森プロジェクト(露骨な政治案件)とのコラボ無し
。 - 「社会に無知なオタクが行っても良い聖地」をセットし、閖上には誘導しなかった。
- バックに東北電力のついた女川での野外上映会招待を監督が辞退。
上記と対比的な事例としては、ナウシカがオウム系ビジネスで勝手に利用されまくった例(マハーポーシャのデモ動画は大抵これだった)、ガルパン詣でに適応進化した大洗磯前神社の事例、国と密接な協力関係を築いてシナリオから国家批判が一切消えた『シン・ゴジラ』の事例がある。『シン・ゴジラ』について社虫太郎氏は皮肉だと主張しているが、本物の震災や戦災があった場所を舞台に、中央集権の政権が勝利するという神話を創作した時点で私はNGと思っている。首都消失のように中央以外が活躍する余地すら無い。
まぁ、上記の時は何とかうまく切り抜けたものの、新海監督にせよ他の著名なスタッフにせよ、何時あからさまに右旋回するかは分かった物じゃないな、とは思っている。それは『君の名は。』の今後の売られ方も同じ。ああいう立場の人達、傍目には十分な名声と経済力があるようにも見えるが、それ以上の物を求めたいと思う物なのかも知れない。
そういった作り手に、ポリコレを通り越して思想信条PRの旗手になるよう強要する、意識の高い者達の一部もバカだなとは思う。だが、自分のやってる事の意味も、過去の同業者の無惨な歴史も知らないRADWIMPSのようなバンドは、確かに批判され続けるべきだろう。
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