筋の悪い運動論-くたびれはてこが正しくC4Dbeginnerは誤りである
以前、「筋の悪い運動論」という記事を書いた。
今回は、女性専用車両を巡ってより反響の大きかったフェミニストくたびれはてこ氏とアイドル・映画・時事評論を呟くC4Dbeginner氏(以下CDB氏)の論争を取り上げる。
先方は当方のような零細ブログなど知らないだろうと思うが、311を機に自民党的なものと袂を分かってから、御二人の言論は是々非々のスタンスから、以前より注目していた。
「痴漢は犯罪ですし、女性専用車両には賛成ですが」から始まる兼松一味擁護の数々。
— くたびれはてこ (@kutabirehateko) 2018年2月26日
【顛末】
「何のことだろう?」といぶかしむ向きに説明すると、2月25日の日曜日、ドクター差別こと兼松信之率いる女性専用車反対運動家達が、渋谷の駅前で演説をしようとしたところ、カウンター数十人に囲まれ、最後は仲裁に当たった警察官の説諭「私は(女性専用車賛成派の方が)正しいと思う」という言葉に反論出来ずに、退散したという出来事があった。これを巡っての論争である。
まず、兼松一味だが、2月25日に先立つ平日朝、「運動」と称して朝ラッシュ時の千代田線を15分止める騒動を起こした。既に過去の行状から、チャンネル桜の支援を受けてシンポジウムに参加していたり、中韓への差別発言を行うネット右翼であることも判明している。なお、彼等の賛同者には、性的な欲望を満たすために女性専用車に乗車すると宣言した者もいる。
彼は非常に論争が好きなようだが、単なる時間稼ぎの消耗戦狙いである。社虫太郎氏が言うように、ネット上で論争を仕掛けてきても、聞く耳を持たない方が良いだろう。
【論争】
さて、CDB氏は上記のような警官の行為を許すべきではないとの主張をした。
最初に書いたことをあえてもう一度書きますが、僕は女性専用車両の存在に賛成します。ただそれと「女性専用車両に反対する意見表明」に制服警官が解散を命じることは全然別の問題で、「今回たまたま自分たちの主張に警察が味方した」という理由でその権力行使を歓迎していいのかという話です
— cdb (@C4Dbeginner) 2018年2月25日
制服警官が「僕は(女性専用車両が)正しいと思う」「法被を脱いで解散しなさい」と団体に命じたことが「お巡りさんが叱ってくれた」と歓迎されてるわけですが、警官がヘイトスピーチ条例すら無関係に、個人の正義判断でデモの解散を命じることに問題がないと思ってる学者、日本に一人でもいるんですか
— cdb (@C4Dbeginner) 2018年2月25日
極右デモの警官や辺野古の警官は悪い警官で、今日、女性専用車両反対デモに解散を命じた警官はたまたま人間的に良い警官だったと本気で思ってるんですか。警察は常に「日本世論の多数」に立ってるだけですよ。女性専用車両反対なんて気持ち悪いやつらだな、みんな嫌いだよなという空気に従っただけだよ
— cdb (@C4Dbeginner) 2018年2月25日
こういうことを「右か左か」「男かフェミか」「敵か味方か」でグダグダにして、今回お巡りさんが味方になった!警察やっぱ強いなー!みたいになっていくのが一番ヤバいわけですよ。なのでフォローを外されようがブロックされようがつまはじきにされようがこれだけは言います。本当にヤバいです。
— cdb (@C4Dbeginner) 2018年2月25日
「隣の家に火をつけろ」デモやるとするじゃん?「このあと意思表明として火をつけるぞ」って前科のあるやつが宣言するじゃん?警察止めるじゃん?それが言論の弾圧になるかね。女性専用車両乗り込み強行撮影そのものがテロなんだけど。 https://t.co/9IWbbxjgMx
— くたびれはてこ (@kutabirehateko) 2018年2月25日
リプライありがとうございます。それをテロと規定するなら法律の改正を国民に問うのが民主主義であり法治国家で、警察官が個人の正義感で判断することではないと思います。
— cdb (@C4Dbeginner) 2018年2月25日
これから痴漢行為を働くと宣言する人に警察が介入するのは不当ですか。痴漢行為はダメだが強行乗車と盗撮動画の無断拡散は言論の自由として甘受されるべきだというなら性暴力被害者の苦痛を軽視しておられるのではと思わざるを得ません。
— くたびれはてこ (@kutabirehateko) 2018年2月25日
強硬乗車と盗撮動画の拡散が不法行為に当たるのであれば法的な手続きの上で逮捕状を取り、弁護士をつけて裁判で法律的に決着すべきと思います。あるいはそのための法改正を論じるべきです。警察官がなんの法的根拠もなく個人で判断することではないですし、実際にそれらの問題は何一つ解決していません
— cdb (@C4Dbeginner) 2018年2月25日
彼らは逮捕されていません。デモには女性たちが参加しており、これ以上強行乗車は止めてくれと声を上げていました。女性はしばしば駅のホームなどで不審者に絡まれることがありますが、助けを訴える声に応じてそうした人物に警察官が声をかけ、仲裁に入ることは不当ですか。
— くたびれはてこ (@kutabirehateko) 2018年2月25日
警察官の仲裁は法的な根拠なく、あるいは威圧をもって何かを命じてはならないのは当然で、反対団体の男性たちが理性的に納得して自主的に帰ったのであれば問題はないと思います。
— cdb (@C4Dbeginner) 2018年2月25日
「強い警察」の矛先がどこへ向かうかわからないという懸念はわかります。一方でその場で介入して貰えたら未遂ですむような暴力は日常的にあり、頼れる男性や身内がいない女性にとって警察の介入は暫定的な救済策として貴重なものであることもご理解いただきたい。もちろん市井の男性の援助も。
— くたびれはてこ (@kutabirehateko) 2018年2月25日
以下、くたびれはてこ氏の指摘から抜粋する。
なんでああいう人ってあそこまで男性に弱いのか不思議なくらい。とにかく男が対応すると態度がガラッと変わる。男性はどのくらいあの激変ぶりを知っているのだろうか。男性から言われることや内容が違うから変わるんじゃないよ。ただ相手が男性になった途端に、まるで動物みたいに態度を変える。
— くたびれはてこ (@kutabirehateko) 2018年2月25日
こいつらが女性専用車両に乗り込み無断撮影で一般人を撮影し、嫌がらせの様子を公開する公然セクハラYouTuberとして金稼いで来たことはもっと知られるべき。 / “渋谷駅前で「女性専用車両」反対派とカウンターが衝突、「帰れ」コール…” https://t.co/Yr3ow5FVbi
— くたびれはてこ (@kutabirehateko) 2018年2月24日
車内暴力を繰り返す団体が大手を振るっているのは表現の自由、被害者が警察に仲裁を頼むのは暴力装置の不当な措置、被害に遭ったら訴えるのが自己責任。いったいこれでどうやって性暴力がなくなると思っているのか。
— くたびれはてこ (@kutabirehateko) 2018年2月26日
性暴力被害者に気安く訴えろというのは無責任です。電車に男性が乗り込んできただけでパニックになる女性に、自分を乱暴した男を訴えるだけの気力と体力があると思いますか。声を上げられない子供や外国人、障害を持つ被害者はどうなりますか。それこそ被害者自己責任論ですよ。 https://t.co/QNxxcAbz7p
— くたびれはてこ (@kutabirehateko) 2018年2月26日
法治国家の警察官は加害宣言してるやつに任意同行や仲裁すら認められないとは恐れ入る。加害するまで放置するを徹底したことでこれまでどれほどの女性や子供たちが取り返しのつかない被害を受けてきたことか。
— くたびれはてこ (@kutabirehateko) 2018年2月26日
警察は暴力装置だと主張する男は自分自身も暴力装置だという自覚をもっと持つべきだよ。どれだけのマジョリティ特権を行使できる立場にいることか。親であれ教師であれ強者の立場につくものは誰でもそれを自覚する必要がある。でもそこは何としても認めないじゃん。警戒することすら悪だと騒ぐよね。
— くたびれはてこ (@kutabirehateko) 2018年2月26日
女性を加害する目的で集まった男が仲裁に入られた様子を見て警察は暴力装置だと騒ぐ人って日頃警察官が来てくれて助かったって経験がないのだと思う。警察が見回りをしているというだけであっさり引き下がる男がどれだけいるか。男の後ろ盾がないと確信した男だって十分暴力装置だよ。
— くたびれはてこ (@kutabirehateko) 2018年2月26日
多少長くなったが主要な部分を引用した。
【CDBは間違っており、くたびれはてこが正しい】
ところで、私は男性なのだが、過去、性犯罪トラブルに遭遇したことが何回かある。その経験から言うと、これは彼女が正しいと思う(既に北守氏なども指摘しているが)。くたびれはてこ氏は以前別の話題では批判したこともあるが、是々非々ということである。
まず、「極右デモの警官や辺野古の警官は悪い警官で、今日、女性専用車両反対デモに解散を命じた警官はたまたま人間的に良い警官だったと本気で思ってるんですか。」だが、これは論理のすり替えとして処理しなければならない。
警察という組織にも期待されるべき役割がある。リベラル左翼の場合、警察に期待するのは一言で言えば社会的強者の手先ではなく、弱者の味方である。だから、権力者の私兵として振る舞っている辺野古や公式に口にしたくない国家主義を代弁する極右デモの積極的護衛は(それが裁量の範囲内であっても)批判する。兼松一味は男性差別なる概念を濫用して自己を弱者だと偽っているが、実際の弱者は圧倒的に痴漢の被害に遭う頻度が高い女性であり、冤罪を差し引いてもなお膨大な数が残る。だから警察の説諭が支持される。それだけの話だ。
ついでに言えば、CDB氏は兼松と同じ立場で物を眺めてしまっていることに気付いていない。記事冒頭のツイートはそれを喝破しているのである。
勿論警官個人にもある種の職業倫理は当然要求されるし、警官によって判断にばらつきが出る事例は幾らでもある。今回の事例が「運良く当たりの警官だった」ことも紛れも無い事実だろう。
【政治運動ではなく不良が暴れてるだけ】
もう一つ指摘したいことがある。CDB氏等は政治的トロッコ問題と捉えようとしているが、これはそもそも、そういう事案と当の警官も含めて認識しているのか、ということだ。万引きとか、不良が暴れているとか、生活安全課の事案というか、精々ヘイトスピーチ対策法・条例の範疇じゃないのと。理論付けて「世の中何でも繋がっている」とドミノ理論で正当化する姿はどの政治勢力にも見られることだが、そこまで言う程の案件であるか疑問。
説諭は、兼松等が無視してきた駅員がやってきたものと同様「お願い」スタイルに過ぎなかったと思われる。もちろん拒否すれば、公権力の行使に移行することは容易に予想できるが、よく言われる「民主的で進歩的な」欧米の警察でも同じような結果になったのではないだろうか。
【ヒトより動物に近い】
くたびれはてこ氏は「なんでああいう人ってあそこまで男性に弱いのか不思議なくらい。とにかく男が対応すると態度がガラッと変わる。男性はどのくらいあの激変ぶりを知っているのだろうか。」という。
彼等が動物的本能で生きている証拠である。卑屈な下等生物と言って良い。人間界にいたければ檻の中が似合いという事だ。
【「普通の日本人」は躊躇なく警察を利用する】
ところで、何故この問題は右傾化した日本のネット社会でも兼松への批判の声がおおきいのだろうか。
それは、性差別につながる問題は、原発・辺野古・薬害などと違って、地域的・社会集団の偏在性が皆無に近いからである。ありふれているので、本邦のうすのろ呼ばわりされても仕方のない「臣民」「普通の日本人」にとっても、身近な問題として考えざるを得ない。
また、この手の問題は日常あまり目立たない「右派だがフェミニズム的な思考も持つ女性」にとっては実にバカバカしいことだろうとも思う。
性犯罪の危険に遭った時、「怖くてパニックになる」「通報は出来るが時間を取られたくない」といった理由は思想の左右の別なくあるので、それをなじって「通報しないお前が悪い」という批判は確かに不当だろう。だが、いわゆる右寄りだったり無自覚な「普通の日本人」に類する女性の場合、「警察は国家権力だから」という理由はまずありえない。そういう意味では、彼女等は警察の利用に躊躇が無い。
仮にCDB氏が我慢を要求している脇で、女性が警察を呼んだらどうなるか。筋の悪い運動家や評論家達が最初に危惧していたよりもっと悪い結末-兼松撃退という美味しい成果が警察のものとなり、彼等は「リベラル左翼のミソジニスト」として無能扱いされる結末が待っている。
【有用な社会資産を一つでも残す方が良い】
今回の件で次のようなことも感じている。自分の中ではそれほど重要な位置を占めてはいないのだが、反安倍支持層の今後を考えても、さほどのデメリットにはならないだろうということ。
反安倍勢力が再び政権を奪回する可能性はあるし、野党支持層はそれを実現するように様々な努力もするとは思う。だが、一部のリベラル左翼人士が予想するように、今後延々と右翼政治が続き、日本の凋落・貧困化・格差社会化が進むだけという未来も当然考えておかなければならない。
そういう状況では、100点満点の理想論だけに拘りを持っても、今回のようなトロッコ問題を生むだけだろう。そうであるならば、兼松一味のようなミソジニーの権化を警察に放逐させた方がまだましである。
そもそも、警察不信論の欠陥の一つは、それが如何に正当な事実であっても、批判派が国家が独占する暴力に代わる手段を提供できないことにある。各地で自警団を組織したとしても、その能力は殆ど期待できない。勿論、一部の国家のように民兵を一般化するような形で国家以外が暴力を万遍なく持つ状況が出来したら、その害悪は大変なものになるだろう。警察力の問題は、止めることが出来る原発と違って根深いとも言える。
まぁ、渋谷駅は元々鉄道警察が痴漢対応の拠点にしているから、当該警官のジェンダー教育も行き届いていたのかも知れないが、個別の警官のジェンダー差別理解度に係わらず、組織としての警察は、「性犯罪撲滅」をPR出来るチャンスは逃がさない。政治も同様で、かつての治安維持法と普通選挙権のセットの時のように、市民の自由を縛る法案と対になる形で「より男女同権的な」性犯罪処罰法案、女性専用車の法的根拠等を付与する政策も行われるかも知れない。実際、2017年に成立した強姦罪の非親告化はそういった飴のひとつだったと思う。
それでも、乗らざるを得ない飴はある。意固地に筋の悪い原理論を主張して、無自覚なミソジニーを晒すのは避けなければならない。だから、他山の石としてCDB氏の主張は否定する。
【おまけ 鉄道業界は何故兼松と痴漢を放置するのか】
女性専用車両問題で前から不思議に思っていることがある。痴漢被害の大きさゆえに、推進者は男性を含めて大衆レベルではかなりの層厚がある。それにも関わらず、何故、鉄道業界は法制化運動や専用車設定以上の対応策に消極的だったのか。この点はもう少し鉄道経営や社会学的知見を混ぜて分析した方が良いと思う。彼等の消極性も、ユーチューバーとして兼松の仲間が金儲けするところまで問題を悪化させた原因だと思われるからだ。
有力な理由は、彼等の政治的出自が所詮は「普通の日本人」たる保守系右翼であることだ。
JR各社はその歴史的経緯から、社会党の系譜に繋がる勢力が弱体化した。特にJR連合は、元を辿れば鉄労に行きつく。鉄労とは兼松が働いていた民社党の支持母体だ。メンタリティ的なルーツからは、お里が知れると言うことである。
各地の大手私鉄は地場資本による小規模財閥と考えて差し支えない。精力絶倫の噂が絶えなかった西武の堤を始め、伝統的な経営層は雲の上の金持ちである。本当の庶民感覚など持ちえる筈も無い。
各社の総合職の社員も経営層と似たようなものだ。個別事例だが、JR東日本の総合職社員で田嶋陽子の思想を憎悪している者を1人知っている。現業員たちも、ネット上の書き込みを観察する限り、内心でミソジニーを拗らせている者は昔から散見する。甚だしい事例の場合、鉄道会社だけが被害者であるような態度を示し、被害女性やカウンター(的な人士)を目の敵にする者さえいる。勿論、好ましい状況ではない。
シンクタンクも碌な研究をしていない。
例えば運輸政策研究機構。混雑問題は昔から扱い、優れた分析力を持つ。過去実績として防災・バリアフリー・ICT関連もあり、最も近いテーマとして2002年に「公共交通における犯罪等緊急時の対応方策に関する調査」を行っている。それにもかかわらず、日本財団をバックにし、過去の国鉄労使対決の名残もあって、過去、「アカ」とみなされる要素を持つ人士は採用の場から排除されていたと聞く。そういうことをしていると右翼的な人間と運輸業各社から転籍した学歴エリートだけが残る。昔の話だが、私がこの団体のある研究を見つけ、引用しても良いか照会した時、応対したベテラン職員は「内輪でやっていたいから」と「拒否のお願い」をしてきた。専用車や痴漢を巡る統計調査・および調査結果の開示が不十分な理由の一つは、彼等の内向きでミソジニー的性根ではないか?、と思わざるを得ない。
鉄道総研も同罪である。ここ数年鉄道各社が通勤電車に導入を検討しているような、客室内監視カメラは研究していない。調査しても見つかるのは民間企業の自主的な研究(製品PR)に留まる。カメラ以外に痴漢を抑止する効果のある研究も見ない。そんな人達が時の新車落成時に車内のアメニティ向上を幾らPRしても、長年観察している私の目から見ると空しさを感じることがある。
一般財団法人交通経済研究所(旧運輸調査局)は、上記2団体よりはマシで、産業労働者、平たく言えば現業員としての女性職員については『運輸と経済』で度々取り上げている。しかし、その他の女性に対する視点は消費者行動の分析であり、車内犯罪の蔓延に対して経済や労働からの分析も碌に見かけない。
公開された有用な調査は大抵が大学・学術団体か運輸系以外のシンクタンク・大手メディアの物が多い。この手の議論は「男性専用車を作れ」「監視カメラとDNA鑑定で全て解決」「輸送力増強の複々線化をせよ」などの10年一日の一過性のたわごとで済まされることが多く、そういう木で鼻をくくったような「提言」を好んで行うのは一般男性層に目立つ。しかし、彼等が本来するべきことは、まともな調査研究資料を集めて、分かっていること、分かっていないこと、簡単にできること、出来ないことの区分けから始めることだろう。なお、そういった他者の地道な営為を憎むのも、兼松賛同者の特徴である。
以上、鉄道業界を構成する幾つかの要素に内在する問題点を挙げた。近年は私自身が原発研究に傾斜しているので見逃している成果もあるかも知れないが、基本的には余り変わっていないように思える。
そうであっても、一つ一つ解決はしていかなければならないのは事実だろう。今思いつく一つの参考例になるのは名鉄の労使が対決した「特定旅客」と呼ばれる迷惑カメラマンへの対抗措置だろう。兼松一味はその適用対象としてよいと考える。