差別吉本芸人への怒り
ダウンタウン浜田のエディ・マーフィ芸だが、まぁ元々先輩の横山やすしにすら「チンピラの芸」だと言われた位だし、そこから30年何の進歩も無かったのだから当然の結果と思うしかない。有名かも知れないが、ゴミ糞に過ぎない。相方もあの程度で映画の海外進出図ってたとはね。
馬鹿なのが幸いしてか、悪気に関しては、当人には無かったのだろう。他の日本人がやっている黒人差別までネットで掘られているが、それをダウンタウンの責任にされては堪らないだろうとは思う。何と言っても、80年代に巨人で活躍したクロマティの暴露本『さらばサムライ野球』にもミスをした彼に「ニガー・サナバビッチ」と連呼するファンが出て来るそうだから(ややうろ覚えだが)。
しかし、継続的にそう言われてしまうのは、日頃の発言、特に松本人志のあからさまに政権に媚びた発言が面白く無いからでは。
松本は本当に典型的だが、吉本の漫才やNSCで這い上がってきたひな壇芸人は、社会批評という点では全く面白く無いからね。予備知識も無いし、勉強もしないし、殆ど全てリアクション芸で、自分の目線だけ。そしてすぐに強い物に媚びる。で、差別を肯定するから見ていて気持ち悪い。迷惑料を貰いたくなる位だ。あれを芸だと思ってる吉本芸人がツイッターで暴れてるらしいが、無価値で有害なだけ。お笑いをやっているのに、面白くない。致命的だな。
人種差別への飛び火は頻度が低いが、差別の温床になり得る芸人の虐め体質は、今の何でもお笑いにしてしまう、「オレたちひょうきん族」や「漫才ブーム」世代が台頭した80年代からずっと言われてきた。「電波少年」も「めちゃイケ」もその後輩達も根本の行動原理が全員同じで、どこにもかしこにも吉本の顔。そういう風潮を作っているのは事実じゃないか。
無能な癖に地上波を占拠して為政者に代わって偉そうな説教を視聴者に押し付ける。何で日常でいい加減ストレス溜めてる時に同じようなストレスを加えられなければいけないのか。そんな差別芸人達の異常さを晒し者にする検証番組でも放送してくれた方が遥かに面白い。
ただ、吉本の芸人でも、同和のような身近な差別に関しては比較的今でもナーバスなようだ(もちろん例外はあるだろうが)。恐らくそれは、肌感覚の体験と義務教育での成果だろう。結局は訓練次第なのかもしれない。しかし、今から吉本NSC辺りがそのような啓蒙活動に時間を割くようになったとしても、何の社会的制裁も無いままでは、松本のような先輩芸人が幅を利かせる状況は変わらないだろう。
まぁ、米英のメディアが偉そうに言うのもどうかな、とは思ってはいる。「黒人差別に無知な日本」を嘲笑うことが目的のようだが、少なくとも黒人差別にナーバスになる一番の、桁外れな原因を作ったのは奴隷として使役してきた歴史を持つ、アングロサクソンだからだ。
「何千万も殺し、差別して豊かになったおかげで今は公民権も認めて綺麗な映画も量産するほど意識が高くなりました」「ユダヤ人に平等に接するには600万人殺す必要がある」。言葉にこそならないものの、「日本も欧米のような市民社会の確立を。」論者はしばしば、そういう歴史過程を「社会経験」として買おうとしている様に聞こえる。差別的で好戦的な安倍支持の極右を批判して居た筈がそういう倒錯に至る。でも、そうではないでしょう。(もっとも、対する安倍支持者は過去の自民党ハト派とも異なり、結果として平和主義に至る様な倒錯の兆候は無い。)。
表面的な上から目線でものを言いだけが、リベサヨ知識層が嫌われる理由じゃない気がする。
勿論、日本が黒人を大量に奴隷として使役し、虐殺しなかったのは、版図にアフリカが無かったという、ただそれだけの結果論に過ぎない。専ら差別の対象は、肌の色では区別のつかない朝鮮人、中国人、台湾人、沖縄、アイヌなどであった。戦前戦中はポリネシア系に対して、米英と似たような差別を行っていた。現在ODAなどで海外出張する愚かな一部サラリーマン達もそうだ(この層も少なからず右側の名誉白人化するというおまけ付きでだ)。
そういう問題はあるのだが、最終的には被害規模が重視される。「日本にも黒人差別の源流がある」論は正しいが、基本的には欧米が解決すべき問題。
だからリベラルという大枠では共通していても、名誉白人のことは疑ってみることにしている。増してその価値観が、身近な上司や家族への反感と、自らに内面化した無自覚なジェンダー意識と、ハリウッド映画とドラマへの羨望で形成されていると思しき人物なら尚更だろう。
吉本が問題になったのと同時期に、欧米ではH&Mも黒人広告で炎上した。吉本の浜田よりあからさまな差別案件だと思うが、本邦のリベラルは感度が鈍い。以前白人至上主義を掲げていたファッションブランドが批判された時にもダンマリだったので予想通りと言う気はするが。
勿論、海外で差別が野放しだから吉本を目こぼしして良いということにはならない。そういう認知の歪みは日本社会の至るところに見られるが、これに対して欧米の美化だけを押し付けても、人権保護の法令整備など比較が容易なものはともかく、単なる不都合情報の無視では右翼層に突っ込む余地を与えるだけではないかということである。海外に学ぶのは好事例を採り入れるためにそうしているのであって、低くきに合わせる趣旨では無いということだ。