【お理工軍クラは】ドイツの3分の2の壁厚しかない日本のPWR原発に「戦闘機が当たっても大丈夫」と断言する人達【黙ってろ】
あの晩「馬鹿は黙ってろ」という暴言を吐いて自爆したお騒がせ軍事ブロガーJSFがまた、原発のことでいい加減なツイートをしている。
もう大分話は進んでしまっているので今更だが、発端となった下記の発言はあやふやな認識が行き渡っているので、はっきりさせておきたい。その方が、原発の安全性について建設的な議論が出来るからである。
?「敷地」に着弾した程度では破壊出来ませんよ、この施設は爆装した戦闘機が墜落しても耐えられる(実験も行なっている)のですから。
— JSF (@obiekt_JP) 2017年8月21日
なお、その他の観点からの反論・分析については下記のコロラド氏のツイートを参照されたい(情報提供では私も協力した)。
日本の原発の航空機突入対策とミサイル攻撃について - Togetter
「原発の建屋は戦闘機を突入させても大丈夫」、3.11以降推進派を中心として広まったこの認識は、下記の米サンディア国立研究所で撮影された実験動画が元となっている。
「原子力発電所の壁にF4戦闘機が突撃するムービー」2006年10月04日 14時37分16秒
しかし、どのような原発でもこの実験結果が適用できるわけではない。というより、全く適用出来る原発は無い。
後日、コロラド氏と議論していて気付いたが、この実験は衝撃力のデータをとるために壁厚を実際のサイトではありえない厚さ(3.66m)にした上でダンパーを付けているので、原発の安全性に対する安全性の証明には全くなっていないし、当該の機体は爆装もしていない(実験の背景については次の論文でおさらいされている。坪田張二「3)航空機衝突に対する原子力発電所施設の耐衝撃設計」日本原子力学会 2016年秋の大会)。
まず、コロラド氏が指摘しているように、日本の原子力発電所は航空機が衝突した場合の耐性を仕様化せず3.11を迎えた(社内的に規定しているかも知れないが公表されることは無かった)。従って、戦闘機を突入させても大丈夫かどうかは分からない、というのが正確な回答である。
また、後で見ていくが、建設された年代と国の考え方によって壁厚は異なっている。
にもかかわらず、何故漠然とした安心感が広まっているかと言えば、原発建屋(格納容器)の壁厚は1m以上という宣伝が意識の底にあったからだろう。「日本では実験していないとしても、壁厚が1mもあれば戦闘機がぶつかった位で壊れる訳ないだろ」、という素人的直感である。
業界人は安全神話を広めるために噂を放置し、或いは自らも信じ込んだ。なお、日本の場合も1970年代の時点でタービンミサイル対策仕様書は準備している(「BWR原子炉系配管の安全設計実務」『配管技術』1979年2月号)ので、外部からの飛来物と一くくりに考えて安心感を抱いていた業界人もいるだろう。なお、タービンミサイルとは、蒸気タービンが高速回転中に破損した場合、高速で飛び散った破片を指すテクニカルタームで、兵器としてのミサイルを指す言葉ではない。
この直感は半分正しく、半分間違っている。物体の衝突で最も重要と目されるのは質量と速度だが、セスナや練習機のような小型機が低速で衝突する場合から、300tを超える重いワイドボディ機がフルスピードで衝突する場合まで、様々なケースが想定出来るからだ。
前置きはこの位にして、日本では公開されなかった航空機の突入仕様も、海外では公開している事例がある。中でも注目されるのは旧西ドイツだ。統一後、東ドイツの原発は危険性を理由に軒並み廃止され西ドイツの原発だけが残ったが、2001年(恐らく9.11の後)グリーンピースが同国全サイトの航空機衝突について検討した際、その壁厚を一覧化している(下記論文P4~P5)。
Dr. Helmut Hirsch“Danger to German nuclear power plants from crashes by passenger aircraft“Greenpeace e.V. 22745 Hamburg(2001)pp4
グリーンピースだからと頭から否定するネット右翼もいるだろうが、この部分はドイツの規制内容を説明しているにすぎず、内容はドイツ原発について推進派が書いたものや学術文献とも整合している(文中に掲示するのは煩雑なのでリンクに留めるが例えば:TOUR OF SELECTED SPENT FUEL STORAGE-RELATED INSTALLATIONS IN GERMANY(2006)(リンク) )。
ドイツの原発は構造上3世代に分かれる。
第1世代は壁厚2フィート(約0.6m)。10トンのスポーツ機(軽飛行機)が時速185マイル(296㎞)で衝突する条件としている。
第3世代は1981年に新しく強化された規制に従い、F-4戦闘機を想定し20トンの機体が時速48

出典:NUCLEAR ENGINIEERING AND DESIGN 1987 VOL103 No.1 pp23
なお、2001年時点でドイツには18基の原発があったが、その内第3世代は9基に過ぎない(内、konvoiは3基)。西ドイツは第3次大戦の想定戦場であり、また、西ドイツ空軍は900機以上のF-104を導入したが、300機近くを事故で喪失し、不慮の墜落の頻度が高かったという事情がある。このことが「落ちても滅多に当たらない」という確率論に頼ることを止め、原発に落ちた場合を想定する決定論に基づいた対策にシフトした理由だと思われる。しかし、その西ドイツと言えども、大型戦闘機の範疇に属するF-4の衝突に耐えられる原発は限られた割合しかなかったのだ。
世界を見渡しても、壁厚1.8mの格納容器に原子炉システムの主要機能を入れた原発はKonvoiのような一部しか見当たらない。
WikipediaのF-4記事の仕様欄は比較的しっかりしているようなので、そこから引用するが、空虚重量が約13t、運用時重量が約18t、最大離陸重量が約28tであるという。従って、20tという仕様はフルに爆装、燃料満載の状態には当てはまらないが、何も積んでいない空の状態という訳でもなさそうではある。どの重量を用いるのが適切かは、ブースカ氏のような航空専門家のコメントも参考にした方が良いだろう。
なお、JSFが論争を仕掛けた渡辺輝人弁護士は大飯原発訴訟の原告側弁護士を務めているそうだが、日本のPWRの完成形と言って良い大飯原発3・4号機の壁厚は過去に技術論文で紹介されており、胴部が1.3m、ドーム部が1.1~1.3mである。従って、西ドイツの第2世代と同レベル。壁厚はF-104戦闘機対応「相当」に過ぎない。

出典:「大飯原子力発電所3・4号機PCCVにおけるコンクリート工事」『コンクリート工学』1991年2月号
冒頭でも述べたように日本の原発の航空機衝突仕様は公開されていないが、壁厚は判明しているので推定は容易である。一方、1980年代以降の航空自衛隊はF-4やF-15といった大型戦闘機を主力としており、1980年代以降に建設された原発にF-104の機体規模(最大離陸重量13t)を想定することは適切とは言えない。航空自衛隊でもF-104は導入されたが1986年に実戦部隊からは退役している。航空自衛隊には同レベルの規模の戦闘機として三菱F-1が80機弱あったが、これも2006年に退役済み。現在F-4以外で日本の上空を飛行する主な戦闘機は次のようになる(暫定的に最大離陸重量で比較)。
- F15-J:最大離陸重量30t
- F-2:最大離陸重量22t
- F-35A:最大離陸重量32t(導入中)
- F/A-18E/F:最大離陸重量30t(米海軍)
種明かしをしてしまえば簡単な話である。それなのに本当の話が何故広まっていないかというと、日本の原発宣伝では、壁厚は曖昧に表現されることが殆どだったからである。試みにATOMICAの軽水炉の解説を読んでみても、正確な数値は出てこない。こういう姿勢が、日本の原発リテラシーを貧困なものとし、原発事故の遠因に繋がっている。
(以下はおまけ。)
【補論1】圧縮強度
konvoiと大飯3・4に関してはコンクリート強度の値も入手している。konvoiについては技術者による視察報告のため「強度」としか書かれていないが、通常、強度とのみ述べる場合は圧縮強度を指すそうだ(コンクリートの強度 白鳥生コン株式会社)。
大飯3・4の圧縮強度は450kgf/cm^2(『コンクリート工学』1991年2月号)に対しkonvoiの一つGKN-2号機は350kgf/cm^2である(「第9回電力土木技術調査団報告」『第29回電力土木講習会テキスト』1987年2月)P71)。大飯3・4の方が3割ほど圧縮強度が高い。
さて、1960年代末より米独では、軍事上或いは原子力安全の観点から、飛来物に対する建築の耐久性の研究が早くから進展した。これらの研究成果は国内外の文献で公開されているため、日本の建設業界関係者なども知ることは可能であり、実用する機会も存在した。例えば、自衛隊・在日米軍の発注する土木施設や、原子炉建屋設計をべクテルのような海外のゼネコンと共同で実施する場合などである。
こういった研究の過程で、飛来物によるコンクリート板の貫通深さ評価式、貫通限界板厚評価式が種々提案された。その一覧を読むと、圧縮強度はファクターに入っているものの、平方根の形を取っていたり(修正NDRC式)、そもそもファクターに入っていないなど、余り大きな影響は与えないような印象を受ける(例:「衝撃荷重を受ける鉄筋コンクリート板の局所挙動に関する実験的研究」『FAPIG』1990年3月号)。
よって、圧縮強度については簡単のため無視している。
【補論2】航空機突入仕様を明示出来なくなった背景は、JK-PWRの挫折か
国内外の原子力プラントの壁厚を比較したがらないのは、幾つかの理由が考えられる。K-PWRについては、1981年秋から東電がJK-PWRとして導入を正式検討しフィジビリティスタディまで実施したものの、導入を中止したからだと思われる。
東電が非公式の形でK-PWRに関心を示すようになったのは1970年代後半のことで、日経や業界紙がその動向をストレートニュースやKWU社の日本駐在員へのインタビューで報じていた。
一方1970年代から80年代初頭にかけて、日本の原子力業界は航空機衝突問題に対しても取り組みを始めていた。最初期の成果として1975年に原子力安全研究協会が『原子力発電所に関する航空機事故の確率評価について』をまとめていた。その後、より直接的なテーマを与えられた文献として、学者やコンサルタントなどに依頼された『原子力構造物への航空機及び飛来物衝突問題の研究』『原子力施設並びにコンクリート壁に対する航空機ミサイル衝撃の解析』が1979年頃に相次いで刊行された。その他、航空業界では航空振興財団がICAO文書『航空機事故技術調査マニュアル』を刊行していたが、1980年代に入ると原子力業界でも参考のため買い入れる動きがあった。
この時点での遅れは欧米に比べてまだ数年程度だったと思われる。NUREG/CR-5042(1987年)の元となったと思われる論文が1972年に出ているためだ(“PROBABILISTIC ASSESSMENT OF AIRCRAFT HAZARD FOR NUCLEAR POWER PLANTS”, NUCLEAR ENGINEERING & DESIGN 1972 No2: 333-364)。
1981年になると、先述のように西ドイツが航空機衝突の規制を強化し、その背景には冷戦があった。欧州はその最も重要な正面だったが、極東も(一応)ホットスポットと見なされていたので、日本の原子力業界が関心を持つのは当たり前だった。
従って、1980年代初頭時点で、資金のメドさえクリアすれば西ドイツ並みの対応で仕様を策定するだけの素地は持っていた。もし実施されていれば、3.11前から設置許可申請書にも記載済みだっただろう。
少し、後についてのことも述べておく。
電力中央研究所で「飛来物の衝突に対するコンクリート構造物の耐衝撃設計手法」の研究が始められたのは1982年のことで、その終了・報告は1991年である。また、冒頭に掲げた、用途廃棄となったF-4戦闘機を用いて衝突実験が行われたのは1980年代末のことで、日本の武藤研究室の提案で米サンディア国立研究所で行われた。なお、武藤研究室とは、福島第一1号機建設時、BWR建屋の耐震解析などで活動していた鹿島建設の研究室であり、同社の社報や記念誌、1970年代のNUCLEAR ENGINEERING & DESIGN誌にその名を見出すことが出来る(これらの他、警察・自衛隊なども何か研究はしていたのだろうが、先行研究を当たっても触れた物は無かった)。
朝日新聞が2011年に報じた、外務省による同趣旨の研究はオシラクの影響を受けてか航空機衝突は含まれていないが、1984年のことだ(「原発への攻撃、極秘に被害予測」『朝日新聞』2011年7月31日)。
しかし、ホットスポットと自認する者が多かった割に、
同じ極東に位置し、本当のホットスポットであった台湾、韓国が航空機衝突についてどのように検討していたのかは分からない。両国との原子力交流は原産を通じて活発だったこともあり(業界外のネット右翼は受け入れたくないだろうが、紛れも無い事実)、電事連などが情報を手に入れようと思えば容易に入手できた筈である。
一方、そもそも何故JK-PWRの導入検討が浮上したのかと言うと、当時は1970年代中盤の初期プラント低稼働率問題の影響を引きずり、「本当に米国軽水炉で良かったのか」という炉形論議が再燃していた一方、更なる建設コストの削減も求められていたからである。
そのような状況で、F-4の衝突に耐えるJK-PWRを導入したらどうなるだろうか。
まず、WH製PWRを導入済みの他社と仕様の整合が取れなくなる(横並びが崩れる)。また、コストアップの要因にもなるので、経営面からは航空機衝突仕様の明記は積極的になれなかった筈だ。
一方で、WH製PWR並に壁厚を薄くすると「反対派を刺激し」説明に苦慮することが容易に想定出来る(勿論、苦慮する方が悪いのであって、そのような倒錯思考自体が批判されなければならないのだが)。1970年代後半、航空自衛隊の主力戦闘機は西ドイツ同様にF-4であり、更に重量の大きなF-15の導入も1976年に決定していた。このような状況下、K-PWRの衝突仕様をスペックダウンして導入することはあり得ない。社会的合意が得られない。
田原総一朗が推進派的ポジションに鞍替えして『生存への契約』を著したのは1981年のことで、その中で業界関係者にインタビューしている。内容は、国費による強力な助成で成功した西ドイツの賞賛。しかし、裏を返せば「金は出さずに規制だけを強化することは認めないよ」というメッセージが込められていたのかも知れない。
K-PWRのフィジビリティスタディは商業機密による縛りもあるため、公開された技術論文は未見である。しかし公開されない理由として、衝突仕様の問題も一因として働いたのでは無いだろうか。一旦日本語論文として社外にPRしてしまうと、当時計画中だった他のサイトまで問題が波及するからである。しかも、柴野徹夫『原発のある風景』や四電窪川原発反対運動の顛末を見れば分かるように、各社では70年代以前とは比較にならない立地難にも直面しており、これ以上面倒の種を抱える余裕は無かった。
勿論、航空機衝突に正面から取り組んだ原発を建設した方が、安全の面ではプラスである。しかし、JK-PWRを、安価がセールスポイントだったABWRの当て馬として使い捨てた時に、日本の原子力産業が航空機衝突への考え方を実機に反映する機会は決定的に失われたのである。
1983年に羽田沖で人為的な墜落事故が発生し、1985年には航路を大幅に外れた形で日航機墜落事故が発生した。これらを受けてのものか、通産省は1986年春に政務次官名で、航空機衝突の際の安全確保について電力に問い合わせている。電力の回答は「安全は確保出来る」という空疎なものだった。「安全を確保出来る」程度の規模で事故を想定していることが伺える。
こういった空理空論のツケは、結局311後に支払うこととなり、原子力規制委員会は各原発の再稼動を審査に当たって、議事録非公開の形で「故意による大型航空機の衝突その他のテロリズムへの対応について」審議することとなった。しかし、具体的に壁厚を増す補強工事が行われた例は皆無である。高浜原発1,2号機はコンクリートの建屋で周囲を取り囲む工事を行っているが、あくまでも事故時の放射線を遮蔽するためのもので、航空機突入の補強が目的では無く、壁厚も元々の厚さが0.9mの所に、0.3mプラスされて1.2mにしかならない(高浜発電所1号炉及び2号炉外部しゃへい建屋の変更について)。
もし、政治環境の変化等によって、大型航空機の突入に耐える強度が求められた場合は更なる壁厚の増加工事が必要となり、その工事費用は二度手間であるがゆえに、最初から航空機突入を意識して外部しゃへい建屋を建設していた場合より遥かに高くつくと考えられる。こういった泥縄的状況は最早電力にすら旨味が無く、喜ぶのはゼネコンだけ、電力や元請が不当に価格を下げるように圧力をかけた場合、どこの組織も得をしない事態すらあり得ることも見通しておかなければならない。最近、『新装版 怒る富士 (上)』をレビューだけ見たが、江戸時代の愚行をなぞる未来しかないということである。
関西電力は航空機突入を意図して新規に1m以上の壁厚の建屋を建設すると、他電力の原発にも同様の措置を行わなければならないので避けたのだろう。このような忌避的態度も、当補論2を補強している。
17/10/9:補論2にソース、高浜外部しゃへい建屋の件を追記。
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私のコメを取り上げている記事にコメ欄が(なぜか)無いのでこっちに書きますね。
誰も"韓国の技術者"について書いてはいないのですが・・・?
まあ、岩見氏がそのような話題逸らしの誤魔化しに終始してしまうのは、
「軍事板常見問題&良レス回収機構」サイトにある
〔岩見浩造〕項目と付随項目で予習していたので意外ではありませんでした(藁)
ところで、私がコメに貼ったリンク先ページをお読みになられましたか?
反論に全力を傾けていて、読まれていないようなので、ここにも貼ります。
http://blogs.bizmakoto.jp/kaimai_mizuhiro/entry/4790.html
ページ名「開米のリアリスト思考室 原子力論考 一覧ページ」
この記事124個を読まないなんてことはまさか、無いですよね?
それとも常見で何度も指摘されているように、『文意を理解できないので読めない』のですか?
有効な代案無き反対論は無意味。原発でも何でもです。話逸らしても駄目ですね(一笑一笑)
ああそうだ。書いておきますね。
岩見氏は私のコメを利用してオウム返しや改変で対抗して来ようとするでしょう。
あるいは荒らしレッテルを貼って来る(こんなところですかねWWWW)
投稿: 韓国人と仕事して困った事スマホver. | 2017年11月 4日 (土) 21時14分
あ、カビの生えた話法は時間の無駄なんで時間割きたくないんですよ。
相手してもこの後起こる話の展開が全て読める定形手順だから。
特に人に120本アクセス稼ぎ要求して自らは何も読まないような輩だとね。
開米って只原発PA用パンフレットからコピペしてるだけのような内容で、後は旅行行った程度でしょ。
面白く無さすぎるので取り上げたことないんですよね、あの人。
しかも、太陽光がどうのこうのとか俺の言ってない主張が入ってるし。
後、その書き込みでわかったのは、
俺を2ちゃんで叩いている批判者が、ハン板出身者だと言うこと。
あんなクズの集まりみたいな差別公言板に住み着いてるのを宣言するなど、恥ずかしいったらありゃしない。
それが反論出来ないのを内心分かっているから、原発の必要性の話題で勝負しようとするのですよ。
文献云々も同じで、やっぱり何一つ提示出来ない辺り、無学のハッタリだったな。
本の名前挙げられないなら情報収集botとしても何ら役に立たないんで、ハイさよなら。
投稿: 岩見浩造 | 2017年11月 5日 (日) 00時46分
http://thehomegunsmith.com/
↑
後これ、どうみてもお前さんのサイトに見えないんだけど、URLに入れてんの何なの。
投稿: 岩見浩造 | 2017年11月 5日 (日) 00時48分
改めて管理モードで記事一覧を見直してみたが、見事なまでに「原発の必要性を議論する記事」が存在していない。
つまり、お前のコメント欄での言動に論理的な違和感があったのはそこに原因がある。
恐らく、「誤魔化し」という単語を使いたがるのも、お前の内心にそれがあるから。
原発事故の責任の話を始めると勝てそうもないので、必要性の話に話題逸らし。
勿論、原発が必要なものだったとしても、事故が起こるまで問題を放置した者の責任は免れない。
それを誤魔化したいということだ。
ま、反対の定番的理由など、面倒なことは上手な人にやってもらう主義なんすよ。
今更こっちで付け加えることは何も無いし。
分かったら、さっさと文献情報でも書き捨てて消えろw
投稿: 岩見浩造 | 2017年11月 5日 (日) 01時13分
>この記事124個を読まないなんてことはまさか、無いですよね?
ブログ1本読むのに5分として、
120本なら5X120本=600分。休みなしに読んで10時間。
月の残業実質100時間超で久々の3連休なのに、何でPA120本読む必要あるんだろ。
お前が投稿してたその時間帯も、俺は映画館三昧だったんだが?
俺の後輩の原発信者でも「長い話は面倒だから」が口癖。そこまで非常識な要求は無い。
やっぱり開米個人の金儲けでしかないんだろうな。
その結果が、「俺は現実的妄想」「電気が無ければ江戸時代」レベルの主張でしかないとは。
「文献」ちゃんと読んだ方がまだ有益だったんじゃないのw
投稿: 岩見浩造 | 2017年11月 5日 (日) 16時22分
何で開米は原発推進に拘るのかな、と思って調べたところ、
3.11当時下記の失敗をしているのを発見。
https://twitter.com/kmic67/status/46265834271809536
そのあたりに詳しい軍事クラスタの人々はあまり心配してないようです
RT @ishtarist: 素人考えだけど、やっぱりメルトダウンの可能性が高くなってるのだろう
面白いのは、この時点では開米もメルトダウンという俗語に対して何も突っかかっていないのに、
数年経って菊池誠等がメルトダウンの定義に粘着するようになった後は、くだらないなどと同調、賛意RTし始めたこと。
成るほど、と思ったのであった。
投稿: 岩見浩造 | 2017年11月 5日 (日) 18時21分