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2017年6月15日 (木)

自らの公共的役割を語った後に縦笛発言をしていた新海誠監督

ニュースの政治面から目が離せない状況でこんな駄文を書いていていいのかという自問はあるのだが、これまでの自分のスタンスと整合は取っておきたい。

2017年6月13日「新海誠監督が不倫」というニュースが日刊スポーツに掲載され、それから数時間もしない内に監督が否定するという一幕があった。

私は、極限られた情報を以って、当事者、日刊スポーツの意図を議論しても意味は無いと思う。多くの観客は作品を見に来ており、監督の個人生活に興味がある訳ではないからだ。

そのことより今回初めて知って不味いなと感じたのは、次の件である。

『君の名は。』公開後、新海監督は次のように発言している。

自分としては、この先、もう1本か2本はサービスに徹した作品を作りたい。映画の世界で、自分の居場所や役割、もっというと日本社会の中で、自分の公共的役割を見付けていかないといけない年齢になった気がするんです。

【君の名は。動画付き】新海誠監督が大ヒットアニメの舞台裏を語った…「1分たりとも退屈させない作品を」(1/5ページ) - 産経ニュース 2016年9月19日

結構な志である。新海監督はティーチインその他で、「万人に向けて作品作りをしたい」という考えも表明しており、そういった意図も含めて『君の名は。』を評価している人は多いだろう。

私もその口で、新海監督のことは『ほしのこえ』以来知っていたが、『君の名は。』には恋愛映画とは別のメッセージで触発されるところもあり、以前「【平日の3.11を】『君の名は。』ティーチイン(仙台)に行ってきた【祭日に投影】」という記事を書いた。

だが、産経インタビュー記事の3ヶ月後、新海監督は次のような発言をしていた。

コラ画像では無く、『ゴロウ・デラックス』という番組の2016年12月16日放送分である。

新海監督のこだわり 唾液から作る口噛み酒

小説と映画で2016年ナンバーワンヒット「君の名は。」を特集。新海監督のこだわりは唾液から作る口噛み酒だった。ラブシーンを表現する手段だとし、男子は好きな子の縦笛をなめるようなフェチ要素があるのではないかと話した。稲垣吾郎は自分のフェチは喋ってるときの口だと話した。

ゴロウ・デラックス 本邦初公開!「君の名は。」制作日誌 TVでた蔵

少し調べると分かるが、幾つか挿入されている性的シーンの中でも、口噛み酒は製作中にスタッフ達から特に「気持ち悪い」と指摘されていた。そういった批判を考慮して、設定やキャラクター達の受け取り方を工夫するような修正が加えられた、と巷では言われている。だからこそ、性的な物目当てで見に来ていない多くの観客も、「設定」としてスルーしてきた(設定、というか入れ替わりを経験していることを考えれば、口噛み酒にまつわる行為は、問題ではないとも見做せる。「見た目は幼女だけど年は成人のキャラクター」のような、やたらに使い古された「設定」と同質の逃げではあるが)。

私は男でフェミニストでもないし、そう言う人達を批判したこともあるが、十代の頃から女生徒の縦笛やら唾液を舐めようと思ったことは無いなぁ。経験上、男子生徒の多数派がそう望んでいたようにも思われない(勿論そう言う人は一定数いるだろう)。現実で人の物を勝手に舐めるのは単なる迷惑行為だろ。よくある姿格好や行動に魅了されるのとはそこが違う。ついでに言うと私の場合、小学生~女子高生に執着も無いんだよね。

『君の名は。』は何回も見ているし(見ないで批判ではない)、BDの予約を解除する気も無いし、上映の機会があればまた見に行きたいとも思っている。公式設定からは排除されており、縦笛的解釈をしなくても観賞は可能だから、この件だけで全否定はしない。しかし、一言忠告はしても良いだろう。TV局から「何か面白いこと言ってください」と煽られたのかも知れないが、今後、こういう失言はしないでほしいね。内輪ネタを人にばらされたという事情なら、同情の余地もあるが。製作スタッフに対しても失礼だろうよ。

ガンダムの富野監督にせよ、ジブリの宮崎駿監督にせよ、過去のインタビューなどを見ると公共的役割は意識して作品作りをしてきた。観客もそれは了解していて、彼等の性的嗜好(はっきり言って縦笛発言並に痛い)も既に明らかになっているが、それを最終目的にして見ている人はさほど多くは無いだろう。新海監督も諸先輩のそういう部分の真似はしないことである。

こういうことを書くと、「PCを守っていると作品がつまらなくなる」「TVで面白いことがやれないとぼやいてる芸人の問題と同じ」という指摘が必ず出てくるが、まぁそれを守って空前のヒットを遂げた作品もあるし、「お前の番組を見ていると弱者叩きを生きがいにしてるようで気分が悪くなってくる」的なコメントばかりしている芸人も多いのが実態である。万人に向けて公共的役割を意識した作品を作りたいとしているなら、このようなメッセージは発しないことである。

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