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2016年11月の3件の記事

2016年11月28日 (月)

【30年前から】東電老朽OFケーブル火災で勝手な広報を行ったへぼ担当氏【ほったらかし?】

東電新座地中送電線火災と老朽OFケーブルQ&A集」で、火災を起こしたケーブルが防災シート(防火シート)未施工であったことを取り上げた。高度成長期以降に大量建設された社会資本の老朽化は、1990年代頃から予告されてきた。一般向けにもNHKスペシャル「テクノパワー」で取り上げるなど、先行して問題提起を行ってきた人達がいる。

その老朽化が現実の事態となった2010年代に我々は生きている。従ってこの点を中心に再度、問題の深掘りを行うことで、検証報道の質を高め、社外・専門外の我々が事故を回避するにはどのような視点を養って行けばよいか、一つのモデルケースになれば良いと考える。

なお、東京電力パワーグリッドは11月4日、「第2回「新座洞道火災事故検証委員会」開催について」、続いて11月10日にもプレスリリースを公表している。何時も通り、立派なフォーマットに美しい写真とグラフ。大抵の人はここで追及を辞めてしまう。だが、それは問題だ。

今回は、下記の疑問について更に調査を加えたので、大幅に加筆して再掲する。

【2021年までに防火シートを巻く予定だったので無為無策では無い?】

Togetter_com_li_1039761_comment OFケーブル他備忘-Togetter 当該ツイート(その1その2)。

彼のことを取り上げるのは、大学院で原子力工学を学んだ後、原発に勤務していることを公言、自らの技術力を過信し、ネット炎上を糧にする右翼系軍事マニア達と結託して日々原発事故被害者への中傷をバックアップしているからである。そして、上記の東電対応への評価だが、私に言わせれば極めて疑わしい。防災シートを地中送電施設の要注意個所に巻く対策は2000年の、電気系資格受験雑誌に既に載っていたから。

(2)難燃性・不燃性電力ケーブルの採用
CVケーブルの採用、ケーブルシース・介在物に難燃性を付加、ピットへの砂の充填、
難燃材料(防火シート)のケーブルへの巻き付け、塗布、OFケーブルを用いる場合は密閉型防災トラフ内への収納などを実施する。

「地下式変電所の変圧器,遮断器,開閉器等の電気工作物に対する火災対策に関するキーポイント」『電気計算』2000年8月P32

なお、第一報写真では一般部が写っていたが、どうも事故が発生したのは防災トラフに覆われた一般部ではなく、新洞26というナンバリングをされた接続部のようだ。OFケーブルでも接続部は一般部と構造が異なる。

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別紙2「電気関係事故報告」の概要」東京電力パワーグリッド 2016年11月10日

送電は交流3相で行うため、OFケーブルは一般部では3本1セットで俵積みし、密閉型防災トラフで覆われている(当ブログQ&A参照)。公開された写真を見ると一般部では密閉型防災トラフを覆うように3本まとめて防災シート一巻、接続部では1相、つまりケーブル1本につき一巻の形で行われているようだ。

ただ、考えるべきはメンテナンス費の不当な削減で2021年まで伸びていたのではないか、という疑問である。

そのため、この問題を10月21日に当ブログで取り上げてからも、資料調査は続けた。目的の一つは「地中送電線に防災シートを施工することが何時から一般化したのか?」、を明らかにするためである。

その結果、次のことが分かった。

まず、東京電力パワーグリッドの公開資料によれば、防災シート対策は2002年より着手したものだという(電力用防災シートについては古河テクノマテリアルのカタログ「電線・ケーブル線路における延焼防止対策にプロテコシリーズ」を参照してほしい)。

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第2回「新座洞道火災事故検証委員会」開催について」東京電力パワーグリッド2016年11月4日

計画の完了は2021年だったから、20年の長期プランということになる。経年30年超過の設備を山のように抱える状況で、この設備投資計画は無いだろう。せめて、10ヶ年計画程度に短縮出来なかったのだろうか。

もっとも、発表資料に書かれていないだけで、元々は2016年より前に終わっている筈の計画が、何らかの事情で延期されたのかも知れない。ただ前回記事でも触れたように、設備の老朽化を放置せざるを得ない原因として全電力に共通するのは、原発事故では無く、失われた20年と呼ばれる長期不況と電力自由化なのだが。

さて、具体的な設備の問題を考えるにあたって、『東京電力北東京電力所三十年史』という資料を入手した。火災を起こした設備を含め、東電の送配電設備を扱っていた部署の記念誌である。ここから防災シートに関係する事項を拾ってみよう。

通信用ケーブルは1980年代前半までに、防災シートを覆う工事が施工済みであった。

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『東京電力北東京電力所三十年史』P226 1989年

OFケーブルは送電用なのでその放熱が問題となる。東京電力パワーグリッドの公開資料を見るとトラフごと防災シートで覆っているように見えるが、大気並に熱放散性の良い素材を開発するのに時間を要した可能性は考えられる。

なお、城北線、北武蔵野線を所管していた東京電力北東京電力所(1989年各支店に移管)によると、1978年にOFケーブルの気中布設部への防災テープ巻きについて、1985年にケーブルが集中布設されている個所への防災テープ等の巻き付ける旨、対応策を決定している。

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『東京電力北東京電力所三十年史』P187 1989年

1985年の方針については、東電が電気学会の研究会にその理由を一段詳しく報告している。

4.東京電力における電線路の難燃防火対策の現状

 ここでは、以上のような電線路に対する難燃防火対策の一般動向にあって、東京電力における現状を述べることにする。

4.1送配電線路における対策
 昭和50年代前半の対策として(中略)地中送電設備については、154kV以上のすべてと66kVで系統面から地絡電流の大きい場合には、既設および新設のOFケーブルおよびCVケーブルの洞道部、人孔内オフセット部、シャフト部ならびに気中立ち上がり部に防災テープを採用することとしていた。
 昭和59年11月の世田谷区内で発生した洞道内のケーブル火災の発生を契機に、消防法の見直しが行われることになるが、社内的にも洞道防災対策検討委員会を組織し、対策の強化について検討が進められた。それまでの設備でも、電力ケーブルの被覆材は既に難燃性のものを使用し、さらにケーブル事故電流によりケーブルが出火しないような対策を実施しており、防災レベルは比較的高いものと言えた。しかし、

  • 変電所の引出し部等ケーブルの集中箇所で万一火災が発生した場合は極めて大きな影響がでる
  • 当社ケーブルが他企業設備と同一空間に布設されている場所では、他企業設備からの類焼と他企業設備への加害の危険性がある。
  • 洞道換気口付近のケーブルは、第三者からの被害を受ける危険性がある。
  • 共同溝と当社洞道との連系部は、隔壁がないために出入りが可能であり、第三者からの被害を相互に受ける危険性がある

ことから、従来の対策に加えて、万一の失火による火災の拡大防止、第三者による被害の防止など主に人為的な火災による被害を防止するための対策がさらに必要であるとの結論を得、対策の見直し強化が実施されることになった。
具体的な見直し強化策から本稿に関する部分を抜粋すると、以下のとおりである。

  • 重要箇所の変電所引出洞道、ケーブル処理室、オープンピット、配電用地下孔等ケーブルが集中する個所については、敷設されている全てのケーブルに防災テープ等の難燃材の巻付け又は消火装置の設置を行なう。
  • 洞道内多条垂直布設部分については、全てのケーブルに防災テープ等難燃材の巻き付けを行なう。
  • 他企業設備と同一空間にケーブルが布設されている場所については、耐火壁の設置又はケーブルに防災テープ等の難燃材の巻き付けを行なう。
  • 洞道換気口付近の全てのケーブルに防災テープ等の難燃材の巻き付けを行なう。
  • 洞道内に布設されているケーブルの給油管に防災テープ等難燃材の巻き付けを行なう。


また、この時の対策として、地中線部門が洞道内に新設するケーブルは、密閉型防災トラフを使用するものを除き、防災シースケーブル(酸素指数35程度)を使用することとした(後略)

藤本孝(東京電力)「電力設備(主として電線路)の難燃防火対策及び動向」『電気学会研究会資料 電線・ケーブル研究会』1991年3月P5-6

この説明を今読見直すと、次のことが分かる。

  • 1985年当時は、他社の設備に類焼しないことを優先し、自社設備しかない新洞26は対象外だったように読み取れる。しかし、ケーブルの集中する処理室に新洞26は該当すると考えられる。
  • 消火装置を設置することとなっているが、実際の記録を読むと消防の到着まで消火装置は作動していない(設備もされていない?)
  • 密閉型防災トラフを採用した城北線一般部は1985年の方針に照らすと防災テープ・シートの対象外であり、2002年以降の設備投資計画で対象となったと考えられる。

下記に東京電力パワーグリッドが発表した時系列を示す。

 

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別紙2「電気関係事故報告」の概要」東京電力パワーグリッド 2016年11月10日

電気技術者が法規制(省令)として思い浮かべるのものに「電気設備の技術基準の解釈」というものがある。最新の版と2006年の版でチェックしてみた所、120条に防火措置の方法が規定されており、「地中電線に耐燃措置を施す」「自動消火設備を施設する」のいずれかの方法によれば良いとなっていた。

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第120条の3『電気設備の技術基準の解釈

恐らく、この規定が現在の形になったのが1985年なのではないだろうか。

だが、275kVの送電線まで一律にこの規定で済ますことには疑問がある。より油量の多いPOFケーブルで事故が起きていたら爆導索のようになり、地上への延焼なども深刻化していたのではないだろうか。防災シートばかりでなく、消火装置が30年前に設置の必要性を謳っておきながら、今回記録に無いというのは本当に驚きだった。勿論、事故前からウェブ上にもメーカーの資料は存在している(「自動消火装置システム」株式会社エステック。PDFは2014年に作成)。規制の緩さに驚いたのだ。

先ほど紹介した東京電力パワーグリッドが公表した対策には、自動消火設備の設置を2019年までに完了させるとあるので、恐らく新洞26には無かったのだろう。ただ、それが30年越しの宿題であることは事故後のリリースを見ているだけでは、絶対に分からない。これが、調べることの意味と言える。

さて、へぼ担当のツイートについて、「極めて疑わしい」と書いたが、上記を鑑みると完全な虚偽広報と言えるだろう。30年かかって完了しない防災シート計画など、何もやってないに等しい。そもそも、彼はこの事故に高い関心を示しながら、防災シートについてはわざわざ事故から12日も経過してから追記した。そして、柏崎刈羽を始めとする原発にOFケーブルが採用されてきたこと、そのリスクについて何も語っていない。また、彼がツイートしていたケーブル火災消火に関する蘊蓄も、城北・北武蔵野線に関しては虚偽である。身内弁護の垂れ流しは毎度のことだが、全く呆れてしまう。

【余談】検証委員会に委託先の東京電設サービスが出てこない

『東京電力北東京電力所三十年史』は1980年頃より、変電、地中送電設備共に子会社の東京電設サービス(1979年設立)への社外委託を進めたとしている。同時期に東電全体で進められていた子会社化による経営スリム化の一環であろう。この時点では設備の良否判定は東電社員が実施となっている。今回も東京電力パワーグリッドが検証委の取りまとめをしており、2000年代以降も事情は同様であろう。

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『東京電力北東京電力所三十年史』P154,196-197 1989年

ところで、検証委員会名簿には東京電設サービスの技術者が一人もいない。同社が2015年に投稿した記事では同社による保守サービスの完結性と劣化診断技術を誇示し

今後もCVケーブルだけでなくOFケーブルも含めた電力ケーブルの異常診断技術の研究開発に努め、その成果で電力安定供給確保に貢献していきたいと考えている。

研究グループ紹介:東京電設サービス(株) ES本部 分析・診断リサーチセンター」『電気学会論文誌B(電力・エネルギー部門誌)』Vol. 135 (2015) No. 1 P NL1_8

と述べていた。東京電力パワーグリッドというフィルターを通し、現場との距離感ができていないか、本当に有用な声(例えば、新しい診断ツールの導入提案を東電本体に潰された、など)が届かなくなっていないか心配である。

2016年11月11日 (金)

初期BWRターンキー契約の本当の問題点~原電敦賀1号契約を中心に~(2)

前回記事ではターンキー契約について、良くある誤解について述べた。後半ではターンキーがもたらした本当の問題点について考えていく。

【ターンキー契約の本当の問題は何か】

興味深いことに、東電・関電などが商業原発の発注に手を付ける頃、ターンキー契約の具体的問題点を共有する動きがあった。業界団体の海外電力調査会がまとめた「米国における電力設備の建設工事」という報告書である。当ブログ以上に長い内容だが、要点を抜粋し、建設記録や回顧談などと比較してみよう。

(1)「工期が短い」を強調した結果、設計改善の足かせになる

検討に値する批判のひとつに「標準から外れた仕様追加は大幅に費用(工期)の増加を招くので、困難」というものがある。仕様追加は不可能と言ってしまうのは虚偽だが、ある程度は事実と考える。

「米国における電力設備の建設工事」はターンキーの利点の一つとして次のように説明していた。

一 ターンキー契約を有利とする主張の論点
建設工事が複雑化し大規模化することによって、在来の契約方式による場合における種々の問題、すなわち、適正な計画を立て、精密な作業工程を作成することが困難となっていることは、技術建設会社(注:GEのようなターンキーを最上流で受注する元請を指す)を参画せしめるべきであるとの結論に達する。(中略)

(ロ)竣工予定日の確実性
適切な計画と短い建設期間からもたらされるものは、間接費における節約と相関的に、竣工予定期日までに実際に竣工することがより確実となるということである。技術建設会社は労働者の入手難、ストライキ、資材の到達遅延および天候等自然現象によってもたらされる遅延に対して保証することができるものではないが、よい工事計画が予定どおり竣工する可能性を高めることは確かである。また、そのことは不慮のできごとが発生した場合に、それに応じた工事計画の調整を容易にするものである。

予定期日に間に合わなくなることは伝統的なやり方の下においてより多くなりがちである。したがって、余分の費用として未完成部分のための効率の低い発電設備の運転または買電のための費用がかかり、さらにまた全月率の0.8333%の間接費を追加しなければならないことは前述のとおりである。2000万ドルおよび5000万ドルのプロジェクトの不必要な一ヵ月の建設期間の延長によって間接費における17万5000ドルおよび42万ドルと未知の諸種の損失を加えた物が増加する結果になる。

「米国における電力設備の建設工事-5-」『電気産業新聞』1967年7月31日2面

「米国における電力設備の建設工事」はターンキー批判論の紹介にも頁を割いているが、工期に対する批判は長くて分かりにくいので引用しない。要約すると、設計や部材製作の段取りが無くなる訳では無いので実際の工期は理屈通りには短くならず、むしろターンキーを止め、別にコンサルタントを雇ってチェックした方が全体的なメリットは大きいと論じている。なお原電の場合、ターンキー契約を結ぶ前の炉形選定段階ではコンサルタントを活用して仕様の詰めに活かしていた。

さて、工期完遂の敵は仕様の変更と追加である。だが、それが安全対策に係る場合、無視することは困難。敦賀1号・福島1でもこの問題は生じ、建設中に下記の変更を求められた。

  • 非常用ディーゼル発電機の二重化
  • 高圧注水系(HPCI)の追加
  • 逃がし弁の増設(2→4個)と自動逃がし安全弁(SR弁)化

今回注目するのはHPCIだが、その機能は説明しない(適当な文献で勉強して欲しい)。ただ、ここは当記事のキモなので、契約面の前提条件について説明しておこう。契約書には発注者が仕様を変更した場合の規定が置かれているが、それに関連してUS Licensable条項というものが存在する。

契約の運営にあたって常に念頭に置いていたのは、GEと原電の間の権利義務が不当に偏らないようにする、ということです。契約の時にはGEと原電との権利義務が50%ずつ、できるだけ平等になるように気を配って作ったのですが、4年間の間にバランスが傾くという状態が起こりました。

例えばGEとの契約の中に「US Licensable」という条項があります。米国原子力委員会(USAEC)がGE製の原子炉に対して安全上追加を要求した設備については、GEは敦賀にも無料で設置するという条項です。当然、原電から要求して入れた条項です。

契約交渉の後、GEのスタッフは「GEの原因ではなく、USAECの要求で追加するものを無料で敦賀に設置するという条項は、GEの歴史が始まって以来の屈辱的契約である」と盛んに言っていましたが、我々としては、アメリカで不安全だと判定されたようなものを敦賀に納めるつもりなのか、GEとはそういう会社なのかと応じて、合意したものです。

そして、実際、USAECがECCSに高圧注入系を付けろと言ってきたので、この条項が一気に脚光を浴びることになりました。しかし、GEは黙って敦賀に設置し、費用請求は一切してきませんでした。敦賀の場合は幸いなことに、このECCSのように、原電に有利な側にバランスが傾きました。

近藤耕三「敦賀発電所1号機プロジェクトの成功に向けて」
『日本原子力発電五十年史別冊』P132

現在の視点による評価で忘れてはならないのは、US Licensable条項に抵触しないが311のような原発事故を防止するには必要となった対策も存在するということだ。それだけ当時の規制は未熟だったとも言える。なお、『日本原子力発電50年史』を読むと、仕様変更を先取りして取り込むことを意図し、原電が追加費用を払ってでも実施するつもりだったことが明記されている。 東電が費用分担をどのようにするつもりだったのか、当時の経過を記した記録を目にしたことは無いが、上記の設計変更が行われたことについては、福島第一1号機も同様であった。

311において上記追加対策は事故の進展を遅らせ・影響緩和には寄与したが、過酷事故の防止という観点からはあまり役に立ったとは言えない。SR弁は各号機、HPCIは3号機で機能したが、その操作が適切ではなかったため、炉心溶融・水素爆発を防ぐことは出来なかった。だが、事故時の操作までターンキーの責に帰すことは出来ない。

この様に振り返ると、ターンキー契約による制約は無かったように思われる。実際にそのように結論した文献も存在する。

しかし「311を回避出来る技術提案で、工期等の制約で不採用になったもの」が既存の記録に全く載っていないかといえば、それは違う。HPCI採用の経緯を今度は建設記録から抜き出してみよう。

4.3 HPCISの設置に関する経緯

USAECがOyster Creekに要求した安全設計変更点のうち、原電が採用するに当って最大の懸案となったHPCIS(高圧注水系)は、その設計の段階から最終決定に至る迄の経緯は以下の通りである。
原電としてはHPCISが必要であると判断し、その詳細設計を開始するようGEに対し通告したことにもとづき、42年11月、GE担当者が来社し、GEが敦賀用として考慮しているHCPISの案として下記の4種を提示した。

  1. ディーゼル・エンジン駆動の高圧ポンプを新設し、これにより復水貯蔵タンクの保有水を給水ラインを介して原子炉圧力容器内に注水する案
  2. 現設計の復水、給水系をそのまま使用し、その駆動電源としては、現在設置予定の2台のディーゼル発電機を用いる案
  3. 基本的には上記(2)と同一であるが、非常用電源の多重性を図るために、現在考慮しているディーゼル発電機と同一容量のもの1基を追加する案
  4. 現設計の復水、給水系をそのまま使用し、その駆動電源としてガス・タービン発電機を新設する案。


上記4案のうち(1)は既にGEより提案されていたもので、当社に於いて検討した結果、基本的に適当と判断されるものであったが、(2)(3)(4)案は耐震設計の面などに問題点が予想されるため、GEに再検討を依頼した。

なお42年前半の時点ではOyster Creek発電所にHPCIS相当設備を設ける必要はないとの立場をGEおよびJersey Central社はとっていたが、その後USAECの意向を入れて、HPCIS相当設備を設けるようにした。その際、採用しようと考えられていた設備は上記(2)案に相当するものであったが、これの妥当性に関するUSAECの最終的な結論はこの時点では未だ出されていなかった。

HPCIS案として前述のように数種の方法が考えられたが、
43年6月に至りその段階での建設工程から見て、工期の遅延を来たさぬことを第1の基本方針とし、別置のディーゼル・エンジン駆動ポンプによるHPCISを採用することにした。また、結果として、HPCIS機器の耐震設計をクラスAで実施することが容易となった。

第2の方針として、HPCIS機器は1系列分のみを設備することにした。これは、HPCISと同様に、事故後の炉容器内減圧機能を持つものとして自動逃し弁(4個設備、内3個で100%容量)を設備することとし、これがHPCISのバックアップとなり得ると判断したためである。

敦賀発電所の建設 第III編 敦賀発電所の設計第1章P184

結局敦賀は(1)案に落ち着き、福島ではディーゼルエンジン駆動を止め、蒸気タービン駆動に変更された。蒸気タービン駆動なら交流電源は不要との触れ込みだったが、制御用の電源は必要だった。ただ当時は敦賀、福島いずれの方式もUS Licensable条項はパスした。また、「現設計の給水系」だが、後のBWR-5の場合蒸気・電動の両用で駆動可能となっている。

一方、(3)(4)案は自ら電源を持っておく点が、BWR-5以降で採用された高圧炉心スプレイ系(HCPS)の考え方に近い。加えて(4)のガスタービン案は発電機の高所設置が容易である。もし、福島で(4)案のようなガスタービン電源方式を採用していれば、今回の事故は防止出来ただろう。当ブログ記事「非常用発電機が水没した新潟地震」に書いた通り、地下に配置した非常電源の脆弱性は既に認識済みだったからだ。

敦賀発電所1号機が、契約工期45ヶ月に対し、47ヶ月弱という、ほぼ計画通りの工期で完成させることができたのは、原電とGEの相互協力の賜物といえる。

ターンキー契約だからと、単に仕上がりを待っていたら、敦賀発電所1号機の当時世界最短での建設実績を達成することは、とてもできなかったと思う。

契約内容を踏まえた上で、また、相手の会社の考え方、実力を知った上で、こちらも汗をかき、共通の目標に向かって相互協力の体制を作ることが、いかに大事であるかということを学んだプロジェクトであった。

藤江孝夫「世界最短工期の達成(GEとの相互協力体制の構築)」『日本原子力発電五十年史別冊』P156-P157

先の藤江氏がに寄稿した回顧録の結びである。工期への関心の強さは東電も同様で、同社の榎本聰明は「原子力発電所の起動試験におけるクリティカル・パス」(『OHM』1972年4月)という海外サイトとの比較記事まで投稿している。ターンキー契約が使われなくなって以降も、このような工期短縮への執着は福島第一、東海第二、福島第二などの後継プラントに受け継がれていった。

なお、敦賀の予備検討時の見積条件には不活性ガス系の採用は入っていなかったが、原電の意向で本契約には取り込まれた。以前の記事で触れたがGEは東海第二の時点でも不活性ガス系の採用には消極的だったから、契約絡みで311の事態悪化防止に最も貢献したのは、不活性ガス系の件かもしれない。

(2)工事への関与が弱くなると、電力社員の意欲が低下する

「米国における電力設備の建設工事」によると、当時の火力・原子力・各種工業プラントで問題だったのは、建設規模が巨大・複雑化し一つのサイト建設に発注者の技術者が長期間拘束されることだった。したがってターンキーの売りの一つは、メーカー任せにすることで、発注者が現場監督を減らすことが出来るというものだった。この主張に対する批判は、次のようなものだ。

二 ターンキー契約を不利とする主張点
(ホ)電気事業従業員のモラルの問題
会計士、技師、線路工、購買ならびに倉庫係等の専門家または特殊技能者は馴染みのうすい監督者に支配されることに反発を感ずるものであり、建設工事の場合、特に建設部門の従業員はそれまで関係のなかった部外者が自分達で十分やれると思っている仕事に導入されるといやがるものである。電気事業者がその契約方法を変更した場合に、重大な労働上の不安が生ずることがあり、ある種の仕事を実施する権利に関し、請負者と電気事業従業員との間に論争が生じたことがある。

「米国における電力設備の建設工事-7-」『電気産業新聞』1967年8月14日2面

実際、敦賀の記録には次のようなボヤキも見られる。敦賀の1年遅れで全く同じ状況に置かれた福島の東電社員達は、この座談会を読むことが出来たのだろうか(現在なら原電は東電の子会社となっているのでさほど難しい話ではないだろうが)。

☆ターン・キー契約について☆
司会 一応皆さんの印象を聞いたところで、少しテーマを上げてみましょうか?敦賀発電所建設の場合には、ターン・キー契約によって工事が進められたわけですが、このターン・キー契約方式による建設の進め方については、いろいろな意見を持っていると思うのですが。

幡谷(注:機械担当) そうですね。
とにかく仕事はGEがやっていて、うちは見ることはかまわないけど、口出しは直接やれないわけですね。だから、うちの直営のプラントだったら、我々の意見が直接現場に通じて、いまトラブルを起こしている機器なんか、そうとう少なくできたと思うんです。

須藤 僕も
GEに現場で指示することができないで、はがゆく思ったことがたびたびありました。

内山 僕はちょっと感じが違うんですけどね。
ターン・キーの解釈によって、なんとでもできるということなんです。僕自身は、ある意味では非常にやりやすかったという感じがしています。こっちから進んで入って行けば十分やっていけましたし、そういう意味でそれほどターン・キーなるもので苦痛を感じたことは無かったです。弊害も、全般的にはなかったような感じがするんですけどね。

菅谷 僕の分野でも、1つ1つに関してはいろいろありますが、だいたいのことはできたつもりです。
ただ、ターン・キーの解釈の仕方が違うので、実際には、やりにくい点が多かったことは事実ですし、それとターン・キーから生じたことだと思うのですが、要するにお客である当社が弱すぎましたね。

嶺 ざっくばらんに言いまして、僕は放射線管理の前に短期間ですが、工務班にいましたが、その時の印象として、やはり皆さんが言われたように
ターン・キー方式というのは、非常に当社の発言力を弱めますね。例えば、GEの下請けに対して強いことが言えないし、それを見透かされているような時は口惜しかったですね。

岩崎 建設の現場にいた人は、ターン・キー方式が頭にきているようですが、起動試験を担当したものとしては、試験は常にGEと打合せて進めましたし、我々の希望も、よほど大きい変更でない限り、その場で言えばやってくれるし、というわけでターン・キーだからどうのという印象は持っていません。

内山 ぼくは、ターン・キー契約による建設の進め方については、こう思っているんですけどね。

つまり、ターン・キーにおける当社の立場には、監督者としての立場と、協力者としての立場と、2つあるわけですね。

あらゆるものが、契約上の仕様書に合っているかどうかをチェックし、仕様書に合致しないものに対しては、改良を要求できる監督者としての立場。そして、敦賀発電所というプラントを早く、
より良いものにするため、設計・施工のあらゆる段階で、当社側のコメントを与えていくという協力者としての立場。この2つのものがあると思うんですよ。

これらのことは、当然そうあらねばならないことではあるんですが、そこで重要なことは、この2つの立場を各人とも明確に使い分けるということでしょうね。

司会 いわゆる狭い意味の建設段階、終盤に入ってからは割り合いに少なかったと思うんだけど、
初期の段階でターン・キーが、その解釈をめぐって、みんなの行動を拘束する、あるいはちゅうちょさせる原因になったことは事実ですね。いずれにしても、ターン・キーに関する基本的な態度というものが十分浸透しなかった。頭の中ではあっても、それが現場の第一線で働いている人達に溶け込むような形では伝わらなかった。そういう批判とか反省とかが残されたようですね。

「敦賀発電所・建設を終えて」『日本原子力発電社報』1970年9月
リンク

先に挙げた『日本原子力発電五十年史』などには、ターンキーであっても電力社員の現場参加を進めるため、一本松社長の掛け声で3M精神(Mutual Good Will,Mutual Understanding,Mutual Co-operation)と称する意識改革を推進し、GEの現場技術者に対する融和策を図ったことも記されている。

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GE社パンフレット。工期最短記録を受けて世界中にPRのため配布された。

GE村に囲ってしまった話ばかり伝えられる福島とは一味違うと感じるのは事実だが、社史の問題は、より教訓として有用な、当時の課題を語り継いでいないことだろう。

(3)発電所の設備一式が全て1つの企業(企業集団)に集中する

福島1号機が着工した頃、ターンキーは先進技術の採り入れにプラスとなるという見方があった。

一 ターンキー契約を有利とする主張の論点
(ト)電気事業のPRその他
ターンキー契約によってあるアイデアまたはやり方がサービスの改善またはコストの低減になれば宣伝やPRを通じて一般社会に対しても、その電気事業自体が先導的なイメージを与え、ひいては企業イメージの高揚に寄与することになる。

ターンキー契約によって新規の開発が行われると、電気事業の技術面に刺激を与えまた電気事業の技術部門がより進歩した技術や機器を受入れるようになるであろう。

「米国における電力設備の建設工事-6-」『電気産業新聞』1967年7月31日2面

しかし、PRはターンキー契約によってのみ輝くものでは無い。その後PAという名のプロパガンダとなり、原子力がレガシーな分野へ凋落を始めたバブル期以降、利権の規模は益々膨れ上がった(『原発プロパガンダ』他、本間龍氏の著書に詳しい)。また、東電が原発に望んでいたものは実証性であって、「スペインで採用済み」との実績が決め手の一つになった話がこれを裏付ける。買い手がそのような姿勢である以上、技術進歩の採り入れは優先事項とはならない。

むしろ批判者からは送電設備を例示する形で、技術の採り入れに障害となる可能性が指摘されていた。

二 ターンキー契約を不利とする主張点
(へ)建設工事の一貫性の問題
最後に、建設工事の一貫性が必ずしも最良の結果をもたらすとは限らないということである。
このことは原子力発電所および超高圧送電(EHV)に関するターンキー契約にもあてはまることである。電気事業者が製造者とターンキー契約をする場合、すべての構成部品材料等は製造者の管理下におかれるということが協定上の一つの条件となることがあるであろう。このような場合、ある少ない例ではあるが、他の製造者からの構成部品がターンキー契約によって製造され、購買されたものよりも望ましいことがある。

「米国における電力設備の建設工事-7-」『電気産業新聞』1967年8月14日2面

各メーカーの技術力が拮抗している時はターンキーでも問題ない。問題は特定の分野で技術力に差がある時だ。そして不幸なことに、GEおよびGE系技術を採用した企業(日立、東芝)に足りていない技術力に、外部電源の耐震性が含まれていた。GE系企業は耐震性の低い空気遮断方式で超高圧変電設備のシェアを握っており、新技術への対応が遅れていた。一方、WH系企業は高い耐震性の見込めるSF6ガス遮断方式を引っ提げて市場拡大を狙っていた。

そのような端境期に初期の原発が建設された。詳細は当ブログ記事「地震で壊れた福島原発の外部電源」で述べた通りである。敦賀・福島共、開閉所の設計・工事はGEのターンキーを介さず電力から直接発注しているが、上記の傾向が覆ることは無かった。

日本の地震環境を考えれば、当時の外部電源はWH系(三菱)の採用しか選択は無かったように思える。それが出来ないのは、「米国における電力設備の建設工事」が指摘するように、比較的自由に発言できるコンサルタントを入れてなかった(或いはそのようなコンサルが育っていなかった)からだろう。超高圧のガス遮断方式の開発では東電は東芝と組んでいたので、それも影響しているかも知れない(ただし、電圧階級がやや下がるミニクラッドでは、東電は三菱と共同開発をしていた)。

(4)ターンキー契約での経験が前例踏襲化される

最後にターンキー契約が初期の商業原発に集中した結果生じた弊害として、私から一つ加える。それは、これらの契約が「踏襲されるべき前例」とみなされ、機器単体購入契約に移行してからも部分的に参照され続けたことである。下記を見てみよう。

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当社が見積依頼書で要求して敦賀契約を踏襲したものとすることについては、GEが敦賀のあと東京電力と福島1号機、2号機の契約をしており、一番最近の福島2号機契約に近いものになった。しかし、福島1号機、2号機契約も敦賀契約をモデルとしているので、契約には敦賀契約に使用した文言が多く残っている。

「第2章 工事契約」『東海第二発電所の建設』 P11

東海第二は福島第一6号機とペアでの契約だったが、デザインターンキー方式とも呼ばれた。『日本原子力発電社報』1972年7月号 によると「デザインターンキー方式とは、GEは発電所の設計に関して、すべての責任を持つが、機器の供給、試運転などに関してはGEの責任範囲を局限し、それ以外の責任はすべて発注者である当社が持つという方式であり、当社としては他の請負業者との関係をうまく調整せねばならない」と説明した。

回顧録の多くは号機による契約内容の違いには殆ど拘りを見せていない。従って、(1)工期短縮を優先し、それを誇ること、(2)電力社員の現場離れ、(3)GE系企業によるあらゆる関連機器での寡占化、などの弊害も残ったと考えられる。短期間で完成したプラントをよく観察すると、設計時に回避可能だった不備があることも少なくない。

逆に、契約時に想定していない外部環境の変化によって工期が延長された場合、関係者の記録も設計改善に取り組んだという記述が見られる。

②工期の延長
需給の落ち込みにより、電源建設工事は軒並み工期を繰り延べる事になりました。忘れもしませんが正月15日(昭和50年1月15日)突然電源計画課長から呼び出しがあり5、4および6号を1年ないし1.5年工期を延長してもらいたいという事を通告され、その理由をるる説明されました。工程表を明日までに提出せよということになりその晩は徹夜で工程表を作る羽目になりました。その時決めた運開日がその後実際に運開した日であります。

3号機はすでに試運転に入っておりそのままいくことになりました。さて、これからが大変でして5、4号機は据付がだいぶ進んでおりましたので、長期の保管体制に入らなければなりませんでした。まず保管体制の検討、建設工事人員の再配置などの検討が必要になりました(中略)。

工期延長はいろいろな事態を起こしましたが、一方、この頃から発生したSCCに対する対策、改造を実施することができた事など、良い面も多々ありました。また6号機は設計の遅れを取り戻すことができ、給水系のFCVをMG controlに変更することが出来たことなど、その後の安定運転に寄与することが出来たとおもっております。

中村良市「原子力発電開発の道程(2)」『東電自分史』

以前刹那的な人士を批判した時も紹介したが、工期が伸びればそれだけ欠陥がフォローされるのは自明の理である。

16/11/11:記事を分割。途中の説明を修文。SR弁について追記。

2016年11月 6日 (日)

初期BWRターンキー契約の本当の問題点~原電敦賀1号契約を中心に~(1)

最近は下火になったが、原発事故後2-3年、次のような話が出回った。

「福島原発はGEとのターンキー契約で建設された。ターンキーという言葉通り、発注者は引き渡された設備のカギを回すだけなので、東電は黙って見ていれば良いという触れ込みだった。これが原発事故の原因である。」

テレビや関連書籍で歪な演出を行うと、それを受け取った側はこのような感想を持つことがある(晒し上げが目的では無いのでリンクしないが、そういうレビューをネットに上げている複数の事例から判断した)。だが、最初に聞かされた時から思っていたが、私はこの寓話で得心出来なかった。

よく、ターンキー(EPC)契約の問題点を列挙した解説サイトなどがある(例えば「国内・海外プロジェクトにおけるEPC契約」東京青山・青木法律事務所)。が、福島事故と絡めて分かり易く・かつ的確に対比した説明は余り普及していない。

原発輸出のリスクについては、現在進行形の話題でもあり、詳しく解説する例も出てきている。しかし福島第一は被害補償関係が中心になるので、それ程でもない。他の原発を含めても、建設期の検証は冒頭に掲げた寓話を少数のインタビューでデコレーションしたものが目に付く。

そこで今回は、ターンキーの功罪について改めて考えてみることにした。なお、福島第一1号機に1年先行する形で日本原子力発電敦賀1号機がターンキー契約で建設され、設計に関わる本質的な記述も多く公開されている。従って、今回は敦賀の資料を軸に当時の資料からの引用しつつ、検証を行ってみたい。福島の契約とその経緯が全公開されていればこういう方法は思いつかなかっただろう。

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『日本原子力発電社報』1972年P13(会社設立15周年特集より)
※この鍵で原子炉を起動する訳ではない。

『それでも日本人は原発を選んだ』(朝日新聞出版)の後書きには現在の再稼働問題に役立つ取材をしてくれとの声も多く聞かれたとある。しかし、東電裁判や旧式原発の問題では、過去の検証は事業者の責任を問うていく上でも、結局は必要になるだろう。

当記事は2部構成になっており、まず当記事(1)で「よくある誤解」を数点取り上げ、後半(2)で「ターンキー契約の本当の問題は何か」を数点取り上げる。

先に結論を述べると、次のようになる。

  • ターンキーで強調された工期短縮を理由に、採用されなかった設計改善が存在する。具体的な内容が分かっているものには高圧注入系(HPCI)をガスタービン電源とする案があり、採用されていれば311での電源喪失を回避できた可能性がある。
  • ターンキー下の設計改善で最も311事故に役立ったのは、格納容器の不活性ガス注入採用である。
  • ターンキーで特定の企業に発注が集中すると、他社のより望ましい機器が排除されることが事前に予想されており、実際、関連工事でもGE系企業への発注が集中して外部電源の耐震性が脆弱となった。
  • ターンキーは無くなっても、そこで育まれた習慣は後のプラント建設に引き継がれた。

【良くある誤解】

(1)ターンキー契約は一般的な契約方式の一つ

まず、当時としてはとても珍しいことかのように描写されるが、ターンキー契約は珍しくない。エンジニアリング契約に関する本を調べると、国連ヨーロッパ経済委員会(ECE)により1957年3月、「プラントの供給および据付に関する標準約款」というターンキー契約の雛形が作成されたという(『プラント輸出契約と標準約款』IPC国際部 1975年)。

GEの原発がこの標準約款を全てなぞっているかは不明だが、同社は1960年代前半から中盤にかけてターンキー方式で世界中に売り込みを行った。そして東電福島の契約が成立した翌1967年、GEはターンキー方式の新規契約を行わないと宣言し、これは従来の個別機器受注契約方式への回帰と受け取られた。

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「社長室原子力発電課勤務を命ず」『とうでん』1993年11月号P11
※福島第一1号機引き渡しの際渡されたターンキー。原電敦賀と同じデザインである。

さて時は流れ、今でも各種プラントは無論、情報システムの契約などでも使われている。勿論ターンキー契約にした案件でトラブルが皆無という訳ではないが、契約方法の一つとして定着しているということは、それなりの実用性や信頼性を備えている証左だろう。

日本の原発メーカーはGEやWHがそうであるように電機メーカーでもあるが、日立は福島第一1号機がターンキー契約されて間もなく、海外で変電所のターンキー契約を落札している(日立製作所『変電ターンキープロジェクトのあゆみ』1995年2月)。

日本の原発でターンキーが初めて試されたのが福島であるかのような錯覚に陥ることがあるが、これも間違いである。福島の前に原電東海1号機(英GEC-GCR)、原研JPDR(GE-BWR)、原電敦賀1号機(GE-BWR)と3回ターンキー契約の実績があった。GEが下請けとして使った日本メーカーもターンキー工事を経験済みだった。原電は電力が原発を導入するためのパイロット機関であって、東電からの出向者を多数受け入れていた。勿論、こうした経験だけで福島の建設・運転に必要な人材を全て養成することは難しかったが、初物尽くしという印象は相当割り引いて考える必要がある。

(2)海抜の設定はターンキーに関係が無い

「敷地を海抜10mに削ったから15mの津波に対応出来なくなった」という話がある。この話だけ見ていると、GEは海抜10mまでしか設計対応出来ないかのように思えてくるが、東電の小林健三郎が残した論文によれば、海抜15mまでは選択の範囲にあり、敷地造成コストが最も安くなるのがたまたま海抜10mだったことを当ブログ「東電事故調が伝えない事実」で明らかにした。これは、斜面を造成して住宅を分譲する際に行う「土量バランス」の計算を原発へ応用しただけである。

また、敷地の造成はターンキーの契約範囲外だった。GEと東電は事前に打ち合わせをした上、東電が海抜10mの敷地を準備してから1号機の契約を結んだ。

なお、敦賀の場合、見積時の要求事項にて

(7)将来の増設に支障をきたさないよう主要建物および構築物の位置を当社で指定する。

「第I編 第3章 敦賀発電所工事の契約」『敦賀発電所の建設』P12

と記載されているのは注目に値する。東電も同様の条件をGE,WHに提示したと考えられる。参考に、初期に提案された福島1号機の配置(PLOT PAN)を示す。敦賀と同様の契約だったとすると、このような極基本的な場所の取り合いは、東電主導で決められた可能性が大きい。

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「-講演-当面する原子力開発」『土木建設』1966年8月号P34(関連記事

本当に必要だったのは、どのような契約方式であれ、津波に対する制約条件を厳しく取ることだった。「敷地高は最低でも15m以上とする」と示していれば、その制約条件の元に、土量バランスを考えただろう。契約ではなくジオリスク(立地・地質リスク)の問題である。なお、虹屋弦巻氏も「ターンキー方式で建設された福島第一原発の問題」で同様の指摘をしている。

エンジニアリング契約におけるジオリスクは近年日本でも研究されるようになった。ターンキーからは脱線するが、敦賀契約交渉では次のように結論された。

(10)地下条件

基礎岩盤条件が原電の見積条件として与えた資料と著しく相違することが掘削により判明した場合は、増加費用を原電が補償することとした。

「第I編 第3章 敦賀発電所工事の契約」『敦賀発電所の建設』P14

このような条項が設けられたのは当時から下記のような事情があったからである。

4-3 破砕帯

敦賀サイトは浦底湾の明神岬に沿う線が断層地形であるといわれ、安全審査の前の計画当時、米国のボデガベイ発電所が断層問題から建設中止になったいきさつもあって、この点が最も懸念された。従って気象を始め各種の調査項目のうちこのサイトでは、やはり地質問題が最大の焦点であったと言える。

(中略)G.E社との契約に際し地下条件の予想との相違時の見積価格補正については契約折衝時の論点であったが、入念な調査の結果実際の基礎掘削完了時の状態は予測のとおりで問題となるものはなかった。

現在ふり返ってみると、地質調査の手段として敦賀サイトの場合、もっとも有効かつ不可欠のものはトレンチ調査であったと考えられるが、トレンチと横坑調査は
見積・設計などの提示に合せ、ぎりぎりの時点で必要最小限の範囲にしぼって実施したため、無駄のない調査を実施し得たものの、その推進には苦労があった。

真鍋恭平(日本原子力発電敦賀建設所土木建築課長)「敦賀発電所の土木建築工事について」『コンストラクション』1969年3月 P69 重化学工業通信社
リンク

敦賀2号機が浦底断層の件で大揉めに揉め、311後廃炉の瀬戸際に立っていることを考えると、実に味わい深い。原子炉近傍の活断層断層を過小評価することはメーカーに対する支払を抑える上でも有用であるのだろう。

上記に津波の文言は無いが、考え方の応用は簡単である。仮に、福島の建設時に堆積物や伝承確認で津波想定を引き上げる必要を明かした場合、やはり東電が相応の追加負担をして対策を打つことになったと考える。

(3)電力は鍵を回すまで何もしなかったのか

GEに丸投げすることで東電(や原電)が本当に鍵を回すまで何もしていないとする史観があるが、実際の姿とかけ離れている。

敦賀契約の場合、契約交渉ではGEにどこまで任せるかも問題となったが、結局意見を述べても良いとなった。

(8)設計および工事に対する要求
GEの設計と工事施行に対し検討し意見を述べる権利を要求したが、GEは全面的にはこれを受入れることに難色を示したが、対象をしぼることで合意に達し、その詳細は契約時に書簡を交換して記録した。

「第I編 第3章 敦賀発電所工事の契約」『
敦賀発電所の建設』P14

当記事後半で示すが、福島でのGE契約は敦賀契約を元に作られているので、この合意も継承されたと考えられる。

人材育成でも、他部門から配置転換した人には会社が金を負担して再教育を受けた旨の記述が回顧録によく見られる。各機器に対する理解も、初期に係わった人達の回顧録を読むと、後の世代より熱心だったことが解る。

さて、着工後から中盤の主役は土木建築工事である。当記事後半への予習も兼ね、ジオリスクで登場した原電の真鍋建築課長が、現場管理職の経験から語っている部分を引用しよう。

総工期45ヵ月を確保するためには、これらがそれぞれ予定の時点で終了することが必要であり、現在まで現場工事上の最大の問題はこの工程の確保であった。

(中略)以下に筆者の狭い視野の中から、企業者側の個人主義的な立場で感じた事項を羅列し、敦賀建設の特色の全般的な紹介に代えたい。

4-1 ターンキー契約と工事管理
ターンキー契約は本質的には設計から施工、試運転までの責任を受注者に負わせるものであるから、発注者としての立場は、予定の工期に予定の性能のものがスムースに建設されることをチェックし監視することと、受注者の範囲外の別工事を含めた、全体工事の総合管理である。しかしターンキーの工事をどの程度にどのような方法でみて、プッシュして行くかは相当に幅があり、土建のみならず、すべての分野で計画発注段階から工事終盤までの問題点であった。(中略)臨機に時機を失せず協調してプロジェクトの推進を図り、契約上のトラブルも生じないようにするためには、放置しても口を出しすぎてもよい結果は生まれない。

工事管理にあっては、G,E社がその傘下に日本の下請業者を統括するのであるから、企業者の監督上のコメントのやり方についてはいくつかのやりとりがあったし、施工方法についても慣習の相違からくる問題は多かった。原子力の場合、特に多岐の専門分野にわたり各種の工事が同時に円滑に進行されねばならず、総合工事調整は契約のいかんを問わず重要であるが、これらの問題もたがいに馴染むにしたがって意志の疎通も良好となり協調して管理に当たることができた。総工期4年のうち前半の2年~2年半は土建工事が中心でリードすべきであり、後半は機械・電気工事が中心となる。したがってそれに応じた体制と適切な人を得ることが重要である。

(中略)土建関係についても契約時はできるだけ設計上の基本条件、品質の程度等原則的なもののみを示し詳細設計の段階でReview&Commentすることとした。ターンキー契約の場合、設計細部の何れでも不可ではないがこのようにした方がよいといった好みに類する要求は反映しがたい。しかし次項で述べる図面の遅延の問題を除いては、特に不都合であったということはなく、かなり当社の意向は反映されたものと考えている。

土建関係の設計はG.E社の下でEBASCO社が行ない、ニューヨークで作られた設計図が約400枚、サイトで作成された細部の図面が約500枚程度あり、機器との関連が複雑で変更も多く、実際問題としてこれらの設計には相当のMan Powerを要することは事実である。

4.2 工程の確保
計画の総工期45ヵ月は厳しいものであり、特にCritical Pathの工事はいずれも苦しいものであった。(後略)

真鍋恭平(日本原子力発電敦賀建設所土木建築課長)「敦賀発電所の土木建築工事について」『コンストラクション』1969年3月 P67-68 重化学工業通信社(リンク

現場仕事以外にも、座学やマニュアル類の読解・翻訳は引き渡し前から必要だった。敦賀の場合、運転開始の1年前に運転課を発足させて着手している(「マニュアルの整備」『日本原子力発電五十年史別冊』)。東電福島の場合は同形炉の後追いなので、敦賀を参照して楽が出来る場面もあったと思われる(それが出来なければ、敦賀の存在意義は無い)。

また現場により濃淡はあるようだが、建設中から電力社員による現場での機器確認などは普通に行われていた。敦賀を例に、大体の工事が完了した起動試験直前の工程での様子から例示してみよう。

プレオペレーションテスト(起動前試験)は、中央制御室の盤の据え付けが終わった昭和44年6月以降に集中して行われた。各系統ごとに試運転の形式で行われるが、試験の前にその系統の計測機器の校正とループチェックが必要となる。この作業のため、GEは方々から20人程度の人をかき集めたが、経験者が少なく、質的には必ずしも十分ではなく、正確かつ迅速に作業を完遂するには心もとない感があった。一方、原電側は東海の経験者に加え、北海道電力、中部電力、北陸電力、中国電力、四国電力、九州電力から来た人達もいて、GEが集めたクルーよりもクオリティーが高かった。

ターンキーだからGEがやっていればいいという考えもあったが、ある日突然引き渡されても、中味が分からないのでは困るし、実際に体で覚えることができるという我々としてのメリットもあるとの考えから、GEに混合チームでやろうと提案した。提案の際に、”GEがやっても幾らかは計器を壊すこともあろうから、校正作業で我々が計器を壊すことがあっても、それは容認すること”という条件を一つ付けたが、この条件を含めてGEは混合チームでの実施を了解した。

こうして、原電の担当者10数名にGEのクルーを加え、系統毎のグループを作って、GE担当者の依頼によって校正、チェック、調整を的確に行ないプレオペを実施して行った。

(中略)この
プレオペ期間を通して、原電の担当者の誰もが、各系統の進捗状況を手に取るように把握できたし、自らの手で計器を扱うことで、自分の担当設備のことを諳んじるくらい詳しくなっていった。起動試験で計器のトラブルが発生した際、夜中でも連絡を受けた原電担当者が急行し、直ぐに修理するなど当たり前になり、その点でも起動試験工程が滞ることはなかった。

藤江孝夫「世界最短工期の達成(GEとの相互協力体制の構築)」『日本原子力発電五十年史別冊』P156-P157

一時期初期トラブルの列挙で話題になった『福島第一原子力発電所1号機運転開始30周年記念文集』や『共進と共生』に記載されている福島の様子も、原電敦賀と似たり寄ったりというのが実際である。

私を含めて批判や反省の弁の中に「小学生レベルの稚拙さ」などといった表現を使うことはあるが、これは尊大な態度への比喩なのであって、実際に小学生が発電所に勤務している訳では無い。

ただし、藤江氏の語る現場は最も成功した部署(工程)であり、ターンキー契約の字面に囚われてトラブル解決の障害になったという証言は存在する。それは後で紹介する。

(4)経験不足は契約方式の問題ではない

さて、上のような回想に対して「社史に載るのは綺麗事だけ」という批判はあり得る。『日本原子力発電五十年史』は社外にも多く寄贈されたので、外向けの記念誌である。確かに内輪向けの社報を見てみると、次のような座談会も載っている。

☆アメリカ人と一緒に仕事をして☆

司会 それでは、GEという外国のメーカーを相手にした場合は、やっぱりもっと考えたほうがいいんじゃないかとか、もっとほかの仕事の進め方があるんじゃないかとか、それぞれの分野で多々とあると思うんだけど。

須藤 (注:電気担当)だいたい現場のGEには、相当あとになるまで、簡単な図面の変更もできずに、サン・ノゼ(注:GEの原子力部門拠点)にテレックスを打って承認を求めていた。

嶺 (注:放管担当)それと、GEの各担当者は、自分の範囲外の仕事には、たとえ悪いことが解っていても口を出さないとか。

内山 (注:機械担当)たしかに、各自の分担は、はっきりしているんですが、それはそういうものだと思って、それ以上を彼等に要求せずに、それをこちらでやってやらないと、仕方ないだろうと考えたら、非常にスムースにやっていけたと感じています。

それと図面の変更といったことでは、デザイン・レビュ(当社とGEとの設計の段階での打合せ)というのが大きな比重を占めていたと思います。
建設の段階になってしまうと枝葉末節の部分は多少変更出来ても、いわゆる幹のところは設計がそうなっているから変えることが出来ないということで、その点非常に残念でした。

司会 たしかにデザイン・レビューがいろんな面で不足であったという点はあるように思えますね。時間的にも、能力的にも、踏み込みが足りなかったという気が、いま振り返って見ると。

河端 (注:運転担当)実際に、現場の段階になれば、ピッピッとはね返ってくるんだけど。

内山 だいたい、設計の段階ではイメージがわかなかったですね。

菅谷 僕の分野(注:計測担当)では、東海の苦い経験とか苦労とかを大いに役立てることができたと思っています。

司会 そういう点では、敦賀が始めてという人が多かったから、目が届かないとか、設計段階でイメージがわかなかったために気が付かなかったとか、そういう点は多々あるでしょうね。

「敦賀発電所・建設を終えて」『日本原子力発電社報』1970年9月(リンク

デザインレビューとは設計審査と訳される通り、基本的には製作・建設に先行して行う設計会議を指している(工事のためのデザインレビューなども後工程では実施されるようだ)。

それはともかく、不慣は問題であっても、ターンキーが原因ではないだろう。仮にターンキーを止めても、ただ個別機器購入契約の集合体としただけではよく言われる米国技術への依存は変わらない(例としては台湾)。また、電力による直営工事の比率を上げれば、メーカー並みの技術力が必要となる。それを獲得するには10年単位の期間と原研が持つような研究炉を保有するための資金が必要である。原発メーカーや研究機関にとっては西ドイツのような手厚い政府支援の元で自主開発に活路を見出すことはあろうが、電力会社はユーザーである。そこまでして独自性に拘るメリットは見い出せない。

メーカーに依存しつつ電力が自社に技術を残したいのであれば、トレーニングや保守などの追加契約を別途結べばよい話である。福島ではBTC(BWR運転訓練センター)の設立などが相当する。後は2000年代に原電が試行したように、過度の下請け依存を止めること。これらは、やはりターンキー契約とは関係が無く、それぞれの施策をどこまで充実させるべきか、ということが本当の問題点である。

ただし、上記座談会で指摘されている工事段階での変更がやりにくかったという問題は、工期のきつさ、工期延長が認められるかという問題と係わってくる。実はこれはターンキーの問題でもあり、後で再び議論する。

(5)初期故障の多発は311に繋がらない

「1号機は初期故障が多かった」という話を311に結び付けようとする論もある。確かに当時GEは「実証されている技術」との触れ込みでセールストークを行っていた。にも拘らず運転開始後数年で不具合が多発した。

だが、それらは通常の運転を行っていく上での問題であり、「放射能で劣化して水漏れする配管を劣化しにくい素材の配管に変える」といったような話だ。1000年に一度の災害にどう耐えるのかといった問題とは方向性が異なる。配管の材質を変えても大津波に備えることにはならない。大津波に耐えるのであれば、配管の通っている部屋に津波が浸水しないようにするとか、堤防を作るといった対策となる。

なお、初期の発電所員達は、機械の仕組みには詳しくなっても、自然の脅威は通り一遍の教科書的知見以上ではなかった。学者やコンサルタントではない所員が、日常それほど接しない分野の見識を深めるのは困難だ(勿論、小林健三郎のような立ち位置の社員は別である。ここで述べているのは、一般の発電所員のこと)。ただ、これをターンキーの問題と捉えるのは無理があるだろう。

(6)ターンキーより普遍的な問題はターンキーに責を求めるべきではない

例えば「幾ら工夫を重ねても原子力は人の手に負えない」「モラルの無い技術者は嘘をつく」「下請の多層化と構造的差別」など。どれも重要な問題だが、ターンキーに原因や解決を求めるべきではなく、もっと広汎で普遍的なテーマなことも明らかである。原子力の是非は政治で決めることであり(もちろん、権力者の密室談合を指すものではない)、嘘は倫理問題、多層下請は労働の問題である。当記事では対象にしない。

初期BWRターンキー契約の本当の問題点~原電敦賀1号契約を中心に~(2)」に続く。

16/11/11:長くなったので記事分割。途中の説明を修文。『コンストラクション』1969年3月追加、SR弁について追記。

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