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2016年11月 6日 (日)

初期BWRターンキー契約の本当の問題点~原電敦賀1号契約を中心に~(1)

最近は下火になったが、原発事故後2-3年、次のような話が出回った。

「福島原発はGEとのターンキー契約で建設された。ターンキーという言葉通り、発注者は引き渡された設備のカギを回すだけなので、東電は黙って見ていれば良いという触れ込みだった。これが原発事故の原因である。」

テレビや関連書籍で歪な演出を行うと、それを受け取った側はこのような感想を持つことがある(晒し上げが目的では無いのでリンクしないが、そういうレビューをネットに上げている複数の事例から判断した)。だが、最初に聞かされた時から思っていたが、私はこの寓話で得心出来なかった。

よく、ターンキー(EPC)契約の問題点を列挙した解説サイトなどがある(例えば「国内・海外プロジェクトにおけるEPC契約」東京青山・青木法律事務所)。が、福島事故と絡めて分かり易く・かつ的確に対比した説明は余り普及していない。

原発輸出のリスクについては、現在進行形の話題でもあり、詳しく解説する例も出てきている。しかし福島第一は被害補償関係が中心になるので、それ程でもない。他の原発を含めても、建設期の検証は冒頭に掲げた寓話を少数のインタビューでデコレーションしたものが目に付く。

そこで今回は、ターンキーの功罪について改めて考えてみることにした。なお、福島第一1号機に1年先行する形で日本原子力発電敦賀1号機がターンキー契約で建設され、設計に関わる本質的な記述も多く公開されている。従って、今回は敦賀の資料を軸に当時の資料からの引用しつつ、検証を行ってみたい。福島の契約とその経緯が全公開されていればこういう方法は思いつかなかっただろう。

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『日本原子力発電社報』1972年P13(会社設立15周年特集より)
※この鍵で原子炉を起動する訳ではない。

『それでも日本人は原発を選んだ』(朝日新聞出版)の後書きには現在の再稼働問題に役立つ取材をしてくれとの声も多く聞かれたとある。しかし、東電裁判や旧式原発の問題では、過去の検証は事業者の責任を問うていく上でも、結局は必要になるだろう。

当記事は2部構成になっており、まず当記事(1)で「よくある誤解」を数点取り上げ、後半(2)で「ターンキー契約の本当の問題は何か」を数点取り上げる。

先に結論を述べると、次のようになる。

  • ターンキーで強調された工期短縮を理由に、採用されなかった設計改善が存在する。具体的な内容が分かっているものには高圧注入系(HPCI)をガスタービン電源とする案があり、採用されていれば311での電源喪失を回避できた可能性がある。
  • ターンキー下の設計改善で最も311事故に役立ったのは、格納容器の不活性ガス注入採用である。
  • ターンキーで特定の企業に発注が集中すると、他社のより望ましい機器が排除されることが事前に予想されており、実際、関連工事でもGE系企業への発注が集中して外部電源の耐震性が脆弱となった。
  • ターンキーは無くなっても、そこで育まれた習慣は後のプラント建設に引き継がれた。

【良くある誤解】

(1)ターンキー契約は一般的な契約方式の一つ

まず、当時としてはとても珍しいことかのように描写されるが、ターンキー契約は珍しくない。エンジニアリング契約に関する本を調べると、国連ヨーロッパ経済委員会(ECE)により1957年3月、「プラントの供給および据付に関する標準約款」というターンキー契約の雛形が作成されたという(『プラント輸出契約と標準約款』IPC国際部 1975年)。

GEの原発がこの標準約款を全てなぞっているかは不明だが、同社は1960年代前半から中盤にかけてターンキー方式で世界中に売り込みを行った。そして東電福島の契約が成立した翌1967年、GEはターンキー方式の新規契約を行わないと宣言し、これは従来の個別機器受注契約方式への回帰と受け取られた。

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「社長室原子力発電課勤務を命ず」『とうでん』1993年11月号P11
※福島第一1号機引き渡しの際渡されたターンキー。原電敦賀と同じデザインである。

さて時は流れ、今でも各種プラントは無論、情報システムの契約などでも使われている。勿論ターンキー契約にした案件でトラブルが皆無という訳ではないが、契約方法の一つとして定着しているということは、それなりの実用性や信頼性を備えている証左だろう。

日本の原発メーカーはGEやWHがそうであるように電機メーカーでもあるが、日立は福島第一1号機がターンキー契約されて間もなく、海外で変電所のターンキー契約を落札している(日立製作所『変電ターンキープロジェクトのあゆみ』1995年2月)。

日本の原発でターンキーが初めて試されたのが福島であるかのような錯覚に陥ることがあるが、これも間違いである。福島の前に原電東海1号機(英GEC-GCR)、原研JPDR(GE-BWR)、原電敦賀1号機(GE-BWR)と3回ターンキー契約の実績があった。GEが下請けとして使った日本メーカーもターンキー工事を経験済みだった。原電は電力が原発を導入するためのパイロット機関であって、東電からの出向者を多数受け入れていた。勿論、こうした経験だけで福島の建設・運転に必要な人材を全て養成することは難しかったが、初物尽くしという印象は相当割り引いて考える必要がある。

(2)海抜の設定はターンキーに関係が無い

「敷地を海抜10mに削ったから15mの津波に対応出来なくなった」という話がある。この話だけ見ていると、GEは海抜10mまでしか設計対応出来ないかのように思えてくるが、東電の小林健三郎が残した論文によれば、海抜15mまでは選択の範囲にあり、敷地造成コストが最も安くなるのがたまたま海抜10mだったことを当ブログ「東電事故調が伝えない事実」で明らかにした。これは、斜面を造成して住宅を分譲する際に行う「土量バランス」の計算を原発へ応用しただけである。

また、敷地の造成はターンキーの契約範囲外だった。GEと東電は事前に打ち合わせをした上、東電が海抜10mの敷地を準備してから1号機の契約を結んだ。

なお、敦賀の場合、見積時の要求事項にて

(7)将来の増設に支障をきたさないよう主要建物および構築物の位置を当社で指定する。

「第I編 第3章 敦賀発電所工事の契約」『敦賀発電所の建設』P12

と記載されているのは注目に値する。東電も同様の条件をGE,WHに提示したと考えられる。参考に、初期に提案された福島1号機の配置(PLOT PAN)を示す。敦賀と同様の契約だったとすると、このような極基本的な場所の取り合いは、東電主導で決められた可能性が大きい。

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「-講演-当面する原子力開発」『土木建設』1966年8月号P34(関連記事

本当に必要だったのは、どのような契約方式であれ、津波に対する制約条件を厳しく取ることだった。「敷地高は最低でも15m以上とする」と示していれば、その制約条件の元に、土量バランスを考えただろう。契約ではなくジオリスク(立地・地質リスク)の問題である。なお、虹屋弦巻氏も「ターンキー方式で建設された福島第一原発の問題」で同様の指摘をしている。

エンジニアリング契約におけるジオリスクは近年日本でも研究されるようになった。ターンキーからは脱線するが、敦賀契約交渉では次のように結論された。

(10)地下条件

基礎岩盤条件が原電の見積条件として与えた資料と著しく相違することが掘削により判明した場合は、増加費用を原電が補償することとした。

「第I編 第3章 敦賀発電所工事の契約」『敦賀発電所の建設』P14

このような条項が設けられたのは当時から下記のような事情があったからである。

4-3 破砕帯

敦賀サイトは浦底湾の明神岬に沿う線が断層地形であるといわれ、安全審査の前の計画当時、米国のボデガベイ発電所が断層問題から建設中止になったいきさつもあって、この点が最も懸念された。従って気象を始め各種の調査項目のうちこのサイトでは、やはり地質問題が最大の焦点であったと言える。

(中略)G.E社との契約に際し地下条件の予想との相違時の見積価格補正については契約折衝時の論点であったが、入念な調査の結果実際の基礎掘削完了時の状態は予測のとおりで問題となるものはなかった。

現在ふり返ってみると、地質調査の手段として敦賀サイトの場合、もっとも有効かつ不可欠のものはトレンチ調査であったと考えられるが、トレンチと横坑調査は
見積・設計などの提示に合せ、ぎりぎりの時点で必要最小限の範囲にしぼって実施したため、無駄のない調査を実施し得たものの、その推進には苦労があった。

真鍋恭平(日本原子力発電敦賀建設所土木建築課長)「敦賀発電所の土木建築工事について」『コンストラクション』1969年3月 P69 重化学工業通信社
リンク

敦賀2号機が浦底断層の件で大揉めに揉め、311後廃炉の瀬戸際に立っていることを考えると、実に味わい深い。原子炉近傍の活断層断層を過小評価することはメーカーに対する支払を抑える上でも有用であるのだろう。

上記に津波の文言は無いが、考え方の応用は簡単である。仮に、福島の建設時に堆積物や伝承確認で津波想定を引き上げる必要を明かした場合、やはり東電が相応の追加負担をして対策を打つことになったと考える。

(3)電力は鍵を回すまで何もしなかったのか

GEに丸投げすることで東電(や原電)が本当に鍵を回すまで何もしていないとする史観があるが、実際の姿とかけ離れている。

敦賀契約の場合、契約交渉ではGEにどこまで任せるかも問題となったが、結局意見を述べても良いとなった。

(8)設計および工事に対する要求
GEの設計と工事施行に対し検討し意見を述べる権利を要求したが、GEは全面的にはこれを受入れることに難色を示したが、対象をしぼることで合意に達し、その詳細は契約時に書簡を交換して記録した。

「第I編 第3章 敦賀発電所工事の契約」『
敦賀発電所の建設』P14

当記事後半で示すが、福島でのGE契約は敦賀契約を元に作られているので、この合意も継承されたと考えられる。

人材育成でも、他部門から配置転換した人には会社が金を負担して再教育を受けた旨の記述が回顧録によく見られる。各機器に対する理解も、初期に係わった人達の回顧録を読むと、後の世代より熱心だったことが解る。

さて、着工後から中盤の主役は土木建築工事である。当記事後半への予習も兼ね、ジオリスクで登場した原電の真鍋建築課長が、現場管理職の経験から語っている部分を引用しよう。

総工期45ヵ月を確保するためには、これらがそれぞれ予定の時点で終了することが必要であり、現在まで現場工事上の最大の問題はこの工程の確保であった。

(中略)以下に筆者の狭い視野の中から、企業者側の個人主義的な立場で感じた事項を羅列し、敦賀建設の特色の全般的な紹介に代えたい。

4-1 ターンキー契約と工事管理
ターンキー契約は本質的には設計から施工、試運転までの責任を受注者に負わせるものであるから、発注者としての立場は、予定の工期に予定の性能のものがスムースに建設されることをチェックし監視することと、受注者の範囲外の別工事を含めた、全体工事の総合管理である。しかしターンキーの工事をどの程度にどのような方法でみて、プッシュして行くかは相当に幅があり、土建のみならず、すべての分野で計画発注段階から工事終盤までの問題点であった。(中略)臨機に時機を失せず協調してプロジェクトの推進を図り、契約上のトラブルも生じないようにするためには、放置しても口を出しすぎてもよい結果は生まれない。

工事管理にあっては、G,E社がその傘下に日本の下請業者を統括するのであるから、企業者の監督上のコメントのやり方についてはいくつかのやりとりがあったし、施工方法についても慣習の相違からくる問題は多かった。原子力の場合、特に多岐の専門分野にわたり各種の工事が同時に円滑に進行されねばならず、総合工事調整は契約のいかんを問わず重要であるが、これらの問題もたがいに馴染むにしたがって意志の疎通も良好となり協調して管理に当たることができた。総工期4年のうち前半の2年~2年半は土建工事が中心でリードすべきであり、後半は機械・電気工事が中心となる。したがってそれに応じた体制と適切な人を得ることが重要である。

(中略)土建関係についても契約時はできるだけ設計上の基本条件、品質の程度等原則的なもののみを示し詳細設計の段階でReview&Commentすることとした。ターンキー契約の場合、設計細部の何れでも不可ではないがこのようにした方がよいといった好みに類する要求は反映しがたい。しかし次項で述べる図面の遅延の問題を除いては、特に不都合であったということはなく、かなり当社の意向は反映されたものと考えている。

土建関係の設計はG.E社の下でEBASCO社が行ない、ニューヨークで作られた設計図が約400枚、サイトで作成された細部の図面が約500枚程度あり、機器との関連が複雑で変更も多く、実際問題としてこれらの設計には相当のMan Powerを要することは事実である。

4.2 工程の確保
計画の総工期45ヵ月は厳しいものであり、特にCritical Pathの工事はいずれも苦しいものであった。(後略)

真鍋恭平(日本原子力発電敦賀建設所土木建築課長)「敦賀発電所の土木建築工事について」『コンストラクション』1969年3月 P67-68 重化学工業通信社(リンク

現場仕事以外にも、座学やマニュアル類の読解・翻訳は引き渡し前から必要だった。敦賀の場合、運転開始の1年前に運転課を発足させて着手している(「マニュアルの整備」『日本原子力発電五十年史別冊』)。東電福島の場合は同形炉の後追いなので、敦賀を参照して楽が出来る場面もあったと思われる(それが出来なければ、敦賀の存在意義は無い)。

また現場により濃淡はあるようだが、建設中から電力社員による現場での機器確認などは普通に行われていた。敦賀を例に、大体の工事が完了した起動試験直前の工程での様子から例示してみよう。

プレオペレーションテスト(起動前試験)は、中央制御室の盤の据え付けが終わった昭和44年6月以降に集中して行われた。各系統ごとに試運転の形式で行われるが、試験の前にその系統の計測機器の校正とループチェックが必要となる。この作業のため、GEは方々から20人程度の人をかき集めたが、経験者が少なく、質的には必ずしも十分ではなく、正確かつ迅速に作業を完遂するには心もとない感があった。一方、原電側は東海の経験者に加え、北海道電力、中部電力、北陸電力、中国電力、四国電力、九州電力から来た人達もいて、GEが集めたクルーよりもクオリティーが高かった。

ターンキーだからGEがやっていればいいという考えもあったが、ある日突然引き渡されても、中味が分からないのでは困るし、実際に体で覚えることができるという我々としてのメリットもあるとの考えから、GEに混合チームでやろうと提案した。提案の際に、”GEがやっても幾らかは計器を壊すこともあろうから、校正作業で我々が計器を壊すことがあっても、それは容認すること”という条件を一つ付けたが、この条件を含めてGEは混合チームでの実施を了解した。

こうして、原電の担当者10数名にGEのクルーを加え、系統毎のグループを作って、GE担当者の依頼によって校正、チェック、調整を的確に行ないプレオペを実施して行った。

(中略)この
プレオペ期間を通して、原電の担当者の誰もが、各系統の進捗状況を手に取るように把握できたし、自らの手で計器を扱うことで、自分の担当設備のことを諳んじるくらい詳しくなっていった。起動試験で計器のトラブルが発生した際、夜中でも連絡を受けた原電担当者が急行し、直ぐに修理するなど当たり前になり、その点でも起動試験工程が滞ることはなかった。

藤江孝夫「世界最短工期の達成(GEとの相互協力体制の構築)」『日本原子力発電五十年史別冊』P156-P157

一時期初期トラブルの列挙で話題になった『福島第一原子力発電所1号機運転開始30周年記念文集』や『共進と共生』に記載されている福島の様子も、原電敦賀と似たり寄ったりというのが実際である。

私を含めて批判や反省の弁の中に「小学生レベルの稚拙さ」などといった表現を使うことはあるが、これは尊大な態度への比喩なのであって、実際に小学生が発電所に勤務している訳では無い。

ただし、藤江氏の語る現場は最も成功した部署(工程)であり、ターンキー契約の字面に囚われてトラブル解決の障害になったという証言は存在する。それは後で紹介する。

(4)経験不足は契約方式の問題ではない

さて、上のような回想に対して「社史に載るのは綺麗事だけ」という批判はあり得る。『日本原子力発電五十年史』は社外にも多く寄贈されたので、外向けの記念誌である。確かに内輪向けの社報を見てみると、次のような座談会も載っている。

☆アメリカ人と一緒に仕事をして☆

司会 それでは、GEという外国のメーカーを相手にした場合は、やっぱりもっと考えたほうがいいんじゃないかとか、もっとほかの仕事の進め方があるんじゃないかとか、それぞれの分野で多々とあると思うんだけど。

須藤 (注:電気担当)だいたい現場のGEには、相当あとになるまで、簡単な図面の変更もできずに、サン・ノゼ(注:GEの原子力部門拠点)にテレックスを打って承認を求めていた。

嶺 (注:放管担当)それと、GEの各担当者は、自分の範囲外の仕事には、たとえ悪いことが解っていても口を出さないとか。

内山 (注:機械担当)たしかに、各自の分担は、はっきりしているんですが、それはそういうものだと思って、それ以上を彼等に要求せずに、それをこちらでやってやらないと、仕方ないだろうと考えたら、非常にスムースにやっていけたと感じています。

それと図面の変更といったことでは、デザイン・レビュ(当社とGEとの設計の段階での打合せ)というのが大きな比重を占めていたと思います。
建設の段階になってしまうと枝葉末節の部分は多少変更出来ても、いわゆる幹のところは設計がそうなっているから変えることが出来ないということで、その点非常に残念でした。

司会 たしかにデザイン・レビューがいろんな面で不足であったという点はあるように思えますね。時間的にも、能力的にも、踏み込みが足りなかったという気が、いま振り返って見ると。

河端 (注:運転担当)実際に、現場の段階になれば、ピッピッとはね返ってくるんだけど。

内山 だいたい、設計の段階ではイメージがわかなかったですね。

菅谷 僕の分野(注:計測担当)では、東海の苦い経験とか苦労とかを大いに役立てることができたと思っています。

司会 そういう点では、敦賀が始めてという人が多かったから、目が届かないとか、設計段階でイメージがわかなかったために気が付かなかったとか、そういう点は多々あるでしょうね。

「敦賀発電所・建設を終えて」『日本原子力発電社報』1970年9月(リンク

デザインレビューとは設計審査と訳される通り、基本的には製作・建設に先行して行う設計会議を指している(工事のためのデザインレビューなども後工程では実施されるようだ)。

それはともかく、不慣は問題であっても、ターンキーが原因ではないだろう。仮にターンキーを止めても、ただ個別機器購入契約の集合体としただけではよく言われる米国技術への依存は変わらない(例としては台湾)。また、電力による直営工事の比率を上げれば、メーカー並みの技術力が必要となる。それを獲得するには10年単位の期間と原研が持つような研究炉を保有するための資金が必要である。原発メーカーや研究機関にとっては西ドイツのような手厚い政府支援の元で自主開発に活路を見出すことはあろうが、電力会社はユーザーである。そこまでして独自性に拘るメリットは見い出せない。

メーカーに依存しつつ電力が自社に技術を残したいのであれば、トレーニングや保守などの追加契約を別途結べばよい話である。福島ではBTC(BWR運転訓練センター)の設立などが相当する。後は2000年代に原電が試行したように、過度の下請け依存を止めること。これらは、やはりターンキー契約とは関係が無く、それぞれの施策をどこまで充実させるべきか、ということが本当の問題点である。

ただし、上記座談会で指摘されている工事段階での変更がやりにくかったという問題は、工期のきつさ、工期延長が認められるかという問題と係わってくる。実はこれはターンキーの問題でもあり、後で再び議論する。

(5)初期故障の多発は311に繋がらない

「1号機は初期故障が多かった」という話を311に結び付けようとする論もある。確かに当時GEは「実証されている技術」との触れ込みでセールストークを行っていた。にも拘らず運転開始後数年で不具合が多発した。

だが、それらは通常の運転を行っていく上での問題であり、「放射能で劣化して水漏れする配管を劣化しにくい素材の配管に変える」といったような話だ。1000年に一度の災害にどう耐えるのかといった問題とは方向性が異なる。配管の材質を変えても大津波に備えることにはならない。大津波に耐えるのであれば、配管の通っている部屋に津波が浸水しないようにするとか、堤防を作るといった対策となる。

なお、初期の発電所員達は、機械の仕組みには詳しくなっても、自然の脅威は通り一遍の教科書的知見以上ではなかった。学者やコンサルタントではない所員が、日常それほど接しない分野の見識を深めるのは困難だ(勿論、小林健三郎のような立ち位置の社員は別である。ここで述べているのは、一般の発電所員のこと)。ただ、これをターンキーの問題と捉えるのは無理があるだろう。

(6)ターンキーより普遍的な問題はターンキーに責を求めるべきではない

例えば「幾ら工夫を重ねても原子力は人の手に負えない」「モラルの無い技術者は嘘をつく」「下請の多層化と構造的差別」など。どれも重要な問題だが、ターンキーに原因や解決を求めるべきではなく、もっと広汎で普遍的なテーマなことも明らかである。原子力の是非は政治で決めることであり(もちろん、権力者の密室談合を指すものではない)、嘘は倫理問題、多層下請は労働の問題である。当記事では対象にしない。

初期BWRターンキー契約の本当の問題点~原電敦賀1号契約を中心に~(2)」に続く。

16/11/11:長くなったので記事分割。途中の説明を修文。『コンストラクション』1969年3月追加、SR弁について追記。

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