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2015年7月30日 (木)

【貞観再現】先行研究を取り入れ明治三陸津波を南に移設した宮城県の津波想定調査(1986~88年)【東電動かず】

※15/8/2:記事タイトル修正。拡散願います。

以前、損害保険料率算定会の津波研究(1983年)を紹介したが(前編後編)、今回はこの研究を実際の場に応用した例を紹介し、1980年代の東電が無想定のままであったことについて、問題提起したい。

添田孝史氏は『原発と大津波』冒頭で次のように述べている。

「津波についての新発見」→「原発の安全性検討」→「必要な対策を進める」→「安全が確保できたか第三者がチェック」という安全確保の基本となる手順は、事故の四〇年前に原発が建設されて以降、一度も回されていなかった。

結論から述べると、1980年代に想定への取り込みを行っていれば、2002年に実施された津波対策(第3者に値する者よるチェックは無かったが)は10年以上前倒しで実施することが出来、一度ならず二度以上このサイクルを回すことが可能だった。失敗学的見地からも、「時期遅れと不徹底」の視点は重要であり、ある意味「時期遅れ」だから「不徹底」をカバーすることが出来なかったと言える。以下、詳細について述べていく。

実は、津波シミュレーションをいち早く実際の施策に取り入れた例が東北地方にある。1986年から1988年にかけて津波想定調査を実施した宮城県である。監修はあの東北大の首藤信夫、算定会の研究を参考にしたものだった。

しかも、そのモデルの決め方は2000年代の中央防災会議などに比較して、的確な予防原則に立っていたと言える。貞観津波、慶長津波を前提に県南の被害を考慮し、モデルそのものは記録がより多く残っている明治三陸津波の波源を宮城~福島北部沖に配置したらどうなるか、としたものである。

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『宮城県津波被害想定調査に関する報告書』(1988)P33

これは、算定会モデルで取り上げたMYモデルそのものだ。

Mymiyagi1988hikaku_2

なお、文中で出てくる相田(1977)のモデルとは、相田勇「三陸の古い津波のシミュレーション」(1977)を指す。日本で最も早期に計算された津波シミュレーションだが、そこで明治三陸津波の規模はMw8.4とされていた。つまり、宮城県の波源モデルはそれと同等の規模ということだ。

もちろん、宮城県はこの計算結果を元に、各地域において津波防災のためどのような対応が必要なのかを想定調査報告書の後半で書いている。ハード的には避難先になり得る建築物の整備や石油タンクなどの防護、ソフト的には地域ごとの浸水高を示し、ハザードマップの原形として活用を促している。

宮城県民にとって災難だったのは、2004年に更新された新しい津波想定(宮城県第三次地震被害想定報告書 第五章)ではこの波源モデルが削除されてしまい、県南の津波想定が甘くなってしまったことだ。これには下記ツイートの事情にも関連している可能性が高いが、本記事では参考として提示するにとどめる。意欲のあるジャーナリスト諸氏に、一般防災における不作為もどんどん追及していただきたい。

本題に戻ると、電力業界が表立って津波シミュレーションに関心を示し始めたのも1980年代である(1990年代の七省庁手引きからではない)。宮城県が津波想定調査を始めたのとほぼ同時期、関西電力と電力中央研究所は日本海側の津波評価を目的にシミュレーションを導入、その概要を専門誌『電力土木』1986年1月号に発表していた。報告記事は特定の港湾に焦点を当てて解析するスタイルを取り、「十分な再現性を持つ」(P83,85)「十分に実績値を再現している」(P85)といった強気のコメントが並ぶ。当時、彼等がシミュレーションをどのような目線で見ていたかがありありと伝わってくる。

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「数値解析による津波予測手法の開発」『電力土木』1986年1月号

ここまで状況が揃っていて、東電が手を付けない合理的理由は無かったと考えるのが自然だろう。予見可能性の点から言えば、宮城県と同じことをすればよいだけの話だったのだ。

コラム
なお、東北電力は宮城県が津波想定を進めていた同時期に、女川2号機の設置許可申請のため、独自に津波想定を行っていた。この想定は「女川原子力発電所における津波評価・対策の経緯について」という東北電力の資料で確認出来る。こちらも元は相田勇「三陸の古い津波のシミュレーション」(1977)を参考にしている。私の質問に対して東北電力は相田氏の研究をそのまま引用するのではなく、地形データを用意して自前でシミュレーションした旨を回答している。

宮城県の想定では女川原発は4.8mの津波高となっている。計算では算定会研究同様に海面変動のみ考慮し潮位を無視しているから、朔望平均潮位 を加算すると6.2mになるが、東北電が行った自社のシミュレーションでの値、9.1m(海面変動7.7m)には及ばない。差が生じたのは、東北電は女川原発に最も厳しくなるような波源モデルとしてKC-3と呼ばれる慶長津波のモデルを採用しており、場所はMYや宮城県のモデルより北に位置しているからである。一方で東電は、福島第二の設置許可申請でも小名浜のチリ津波想定を踏襲している。日本原電は東海第二の防潮壁を新設したが、設置許可はおろかプレスリリース一つしていないことは2014年4月の記事で書いた通り。やはり、知見の取り込みという点で、東北電力の対応は全く異なっている。

ただし、宮城県が80年代に実施した津波想定には問題がひとつある。計算結果のバラつきを考慮していないことである。

少し調べれば分かるが、津波シミュレーションは大まかな傾向は掴めるものの、その精度はあまり高いものではない。添田孝史氏が首藤・今村等津波研究者達の共通的見解として述べている「余裕倍半分」もそこから来ている。下記は首藤氏が1990年代に書いたものだが、参考に紹介する。途中の計算が分からない人は最後の2行だけ読んでほしい。結論が書かれている。

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出典:「量的津波予報検討会の開催について」資料5

相田のK、χは、既往津波を模擬した際の「実績値/計算値」を比較する際に使われる。過去に発生したことが無いが海底の断層などから発生が予想される計算も、方法自体は既往津波と変わらないから、似たような確かさになることが予想されるというわけだ。

首藤氏は目的により使い方を考えろということも述べている。一般防災なら不確かさを見込まず、計算結果をそのままそのまま使っても良いかも知れない。しかし、より保守性を重く見る原発防災の場合は、余裕掛けを行わなけれならない。地震動では「建築基準法3倍」規定などでこうした考え方が活かされてるが現象面からは津波の方が必要性が高い。

何故ならば、津波の場合、構造的な限界値を超えた場合の機能維持の余裕はほぼゼロだから。水が入ってはいけない部位に水が入ったらどうなるか、誰でもわかる話である。地震は想定より多少大きくても壊れないかも知れないが、被水は違う。

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出典:もっかい事故調オープンセミナー「原発と大津波 警告を葬った人々」発表資料P62(リンク

ネットの一部ではこうした事情を全く理解すること無く当方の算定会記事を批判しているひまわりのような者がいる(ちなみに彼は東北電力が潮位を考慮していることすら理解していない。前回取り上げた中央防災会議も同様なのだが)。だが、「津波高4.56m以上は来ないから4.6mで万全だ」「4.56mに満潮位を加えたら事足りる」といった考え方は極めて危険なのだ。

実は、宮城県想定調査の冒頭には次のような一文が掲げられている。既往最大論への警鐘は算定会研究の考え方を引き継いだものであり、首藤氏の本来の考え方とも一致している。

Miyai1988maegaki_3

また、政府事故調が作成した首藤調書に出てくる「『電力土木』での警鐘」は1988年11月号での話で宮城県での想定調査と同時期である。宮城県ですら備えていた津波防災に、東電が鈍いままであったことへの、焦りがあったのではないか。

Denryokudoboku198811p11首藤信夫「津波」『電力土木』1988年11月号P11より

このように見てくると、シミュレーションによらないもう一つの方法、堆積物調査を併用しながら東北電力が女川原発周辺の津波研究を見直したのはごく自然な流れであり、貞観津波や慶長津波に着目し、再評価する発想は独創的ではなかったことも分かる。もちろん、そのような方向に研究を進めていく方が好ましい。

仮に東電が1980年代に津波想定を改めたとすれば、算定会研究を参照したと考えられる。前回記事で述べたように、算定会FKモデルでは大熊の波高(海面変動)は4.56m、潮位や不確かさを考慮しても8m程度の想定が現実的なラインであり、1980年代にこれ以上大きな津波を考えるには、宮城県同様に規模をMw8.4にする必要があっただろう。

ただし、津波高が10m以下でも遡上高は10m以上になり得ることは留意しなければならない。

上記画像は東京新聞等の報道でも見ることが出来るが、8mの津波が来た際の浸水を表している。1980年代に遡上高をシミュレーションすることは難しかったろうが、「遡上高」という概念は当時から存在している。

一方で東電は算定会の研究から2002年までの間、津波対策と呼べる施策を行わなかった。非常用DGは海水冷却方式で、そのポンプは4m盤にある。従って4m盤のポンプが死んだらDGは止まる。しかし、首藤調書によれば『電力土木』寄稿後「強く反発を受け、以来、1995(H7)年に通産省の原発の設置許認可をやる安全審査技術顧問になるまで電力会社からは嫌われていた。」とあり、無駄に時間を空費したのが実態だったようだ。

問題がひとまず前進したのは、設計基準を超える事態、つまりシビアアクシデント対策の一環で、1998年に空冷DGを備えた共用建屋が完成した時だが、この建屋を計画した1993年の設置変更許可申請を読んでも津波対策の文字は出てこない。従って5,6号機の空冷DGは結果として役立ったに過ぎない。

これは、対策の元になるPSA(確率論的安全評価)対象が機器の故障など、内的事象に限定されていたからである。

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資源エネルギー庁『軽水型原子力発電所におけるアクシデントマネジメントの整備について検討報告書』1994年10月P15

DGの増設については上記資源エネルギー庁レポートのP12,P36-37などでその意義が説明されているが、大津波などの外的事象をカバーすることは考慮していない。だから、蓄電池と配電盤は共用建屋でも地下室に配置されたのだろう。そして10m以上の津波で全滅した(下図参照。浸水状況を示す「福島第一原子力発電所共用プール建屋防水対策について」も参照)。

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運用補助共用建屋地下1F,1F平面図『福島第一1号炉  原子炉設置許可申請書(完本)』2002年4月より プラント技術者の会様取得資料

宮城県は一般防災を考慮していればそれで一定の責務を果たしたとも見做し得る。だから、宮城県の失敗は不確実性に関する議論を省略してしまったことと、2004年の新想定で貞観の考慮を深める方向に行かず、中央防災会議同様に考えることを辞めてしまったことである。女川町はもっとひどく、チリ津波想定から最後まで脱却できなかったらしい(「女川町を襲った大津波の証言」の各種報道より)。宮城沿岸を巡る旅に「女川歴史民俗紀行」と名付けている御仁には申し訳ないが、女川湾は明治まで殆ど見向きもされない場所だったそうだから、貞観の記録が無くても仕方ない。

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宮城県土木部港湾課「地方港湾の歴史を探る(女川港)」『港湾』1975年7月P37

一方、東電事故調報告書のP17には建設時のチリ津波想定の件について、「設置許可申請書に記載されているこの津波高さについては、現在でも変更されていない。」と記されている。女川町の失敗は、東電の失敗にも一脈通じることが分かる。これらに比較し、1980年代の宮城県想定の先進性は歴然としており、東電福島の問題のみならず、一般防災の津波想定経緯を解明する上でも、重要な意味を持っていると言える。

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