地震で壊れた福島原発の外部電源-各事故調は国内原発の事前予防策を取上げず
※今回の記事は長文。
※※なるべくリンクを貼って原文を確認出来るようにしたので学習の参考にどうぞ。パソコン利用者向けですが絵はクリックすると判読可能なサイズに拡大します。
【疑問:外部電源はそんなに簡単に壊れても良いのか?】
福島第一原発は地震で破壊されたことは疑いの余地が無い。と言っても、原子炉建屋の話ではなく、その周辺設備のことである。原発の耐震性は各部分の重要性に応じてS,B,Cの3つ(かつてはAS,A,B,Cの4つ)のクラス分けがなされている。その中で最も重要性が低いとされる設備はCクラスとされ、一般の建築物と同レベルの耐震性を有している。
地震による破壊で特に致命的だったのが、外部電源を受電する開閉所の設備が損傷してしまったことだ。これもまた、Cクラスであった。
外部電源の喪失は他原発でも相次いだ。また、非常用発電機は外部電源の喪失を見越して設置されていること、開閉所と各機器の間に存在する配電盤が水没していることから、外部電源そのものについては各事故調でも何故喪失に至ったかの調査・検討は殆どなされていない状況だ。
だが、外部電源から電力の供給が受けられれば事故の展開が大幅に変わり、助かる可能性が増したのは明白であり、それを可能にするには配電盤だけではなく外部電源を受ける開閉所が健全なことが必要である。今回の記事は外部電源に着目し、東電が同業他社に比べても問題ある選択と管理を繰り返したことを示す。
※なお、配電盤だが「高所に置くべきだった」という指摘について厳密には揺れが大きくなる問題にどう対処したか検証の必要があるが、それは電源盤を2階に配置して建設された日本原電敦賀1号機(2017年3月)で書いた。
【基礎知識】
まず、福島第一の外部電源の構成を再確認しよう。大きく分けると1-4号機用、5,6号機用に分かれ、1-4号機用は更に1,2号機用が35mの高台に、3,4号機用の開閉所が高台を切り崩して設けられている。つまり主要な開閉所は3ヶ所ある。なお、3,4号開閉所は津波で被水している(政府事故調中間報告本文P33)。その他に66KVの東電原子力線、夜ノ森線とも接続している。3,4号機用の開閉所が何故前例を踏襲せず低い高さに設けられたのか、事故前の各種文献を含めて調べたものの私は見つけられなかった。開閉所の発/受注は下記までは明らかにできた。
・1号機開閉所:1968年4月関電工受注,1970年3月完成(『関電工50年史』P322,483)
・3号機開閉所:1972年東電設計受注(『東電設計十五年史』P104)
・5-6号機開閉所:1972年東電設計受注(『東電設計十五年史』P104)
現状2号機,4号機の業者は不明だが、今後明らかにしなければならない。
次に、原発の外部電源の模式図を下記に示す。保安院の資料に少し手を入れた。赤い丸で囲った部分が1-4号機用で特に損壊の激しかった箇所である。
原発が送電線で外部と繋がっているのは誰でも知っていると思うが、送電線の電圧は非常に高く、大容量の電力に対応した導体を使っているので、所内での取り扱いには向いていない。そこで、変圧器で電圧を落としてやる必要がある。また、送電線での落雷事故や電力系統から発電所を切り離しするため、断路器、遮断器と言ったスイッチの役割を果たす機器が設けられている。大電力を扱っているため、機器サイズも非常に大きい。
【根本的な問題点に気づけない専門職の例】
ところで、「電気屋的、福島第一」という詳しく解説した個人サイトがある。だが、次の説明は頂けない。
反論その1。
まず、夜の森線は5・6号機の起動用電源専用線であって、そもそも1~4号エリア(1・2号開閉所および3・4号開閉所)とは接続されていない。
つまり、夜の森線が健全であっても爆発を起こした1~4号へは電力供給は不可能である。
1~4と5・6は運用上は一括りされているが、設備上は完全に別の原発である。
「好きなこと言わせろコーナー」『電気屋的、写真で見る福島第1原発復旧』(魚拓)
安倍首相から電源喪失発言などを引き出した共産党の吉井英勝議員が気に入らないらしく、「反論」している。しかし、内容は頂けない。何故なら
- 双葉線が発電所からの送電のみ可能だったという、仕様の問題点に触れていない。保安院資料で「外部電源」と言っているのは発電所への送電が可能な送電線を指す。このため後述の資料でも双葉線は出てこない。
- 使用可能だった外部電源は地震で全て破壊され、その意味で福島第一原発は地震によっても致命傷を受けている。
- 5号機が助かったのは、6号機の冷却にDG1台分の電力を要さずに済んだからである。通例に倣い、DGの容量は冷却に使用する設備を合計した負荷に供給するように決めているが、1台で対応しているのは原子炉1基分である。
といった事情のためである。
また、夜ノ森線の破壊で5,6号機への外部からの給電が不可能になり、同線が1-4号機に融通出来なかったことは問題である。だから事故調にも報告され、他の原発が外部電源多重化の参考情報にしている。確かに敷地の大きな原発だが5,6号機の開閉所から1,2号機の開閉所までは1㎞もなく、中継鉄塔を敷設する余裕もあった。この方が「事実上別サイトだから問題ない」という技術判断を何故下したのか理解に苦しむ。
この方は、現場での体験的な技能には優れているが、全体的な視野で穴が目立つ。視点が偏っているなと感じたのが次のコメント
一覧を見ていると、碍子関係の損傷が特に目立ちます。揺れや移動にあまり追従できないのでどうしても被害が出がちです。トランスのブッシング損傷は代表例です。以前、柏崎刈羽原子力発電所でも地震によりブッシング周りの破損被害が出ています。また、のっぽな形状の機器、例をあげると避雷器・断路器・ブッシングの長い機器の被害が多いですね。重心が高いと揺れに弱いですから。
「震災による電気設備の被害状況編」『電気屋的、写真で見る福島第1原発復旧』(魚拓)
上記は内容的には正しい。だが、何故、福島第一の開閉所は重心が高い機器が多いのか、疑問に思っていないことが伺える。それが当記事の本題でもある。
【保安院による外部電源損壊の説明】
さて、原子力安全・保安院が公開した、外部電源被害の一覧表を見てみよう。
出典:「原子力発電所の外部電源に係る状況について」原子力安全・保安院 2011年10月24日
送電線で送られてきた電力は開閉所を経て所内の配電盤に至り、装置によっては更なる降圧等を経て各設備に供給される。開閉設備は一般に避雷器、断路器、遮断器などより構成される。この時、高圧の電力を切る際に巨大な火花(アーク)が飛ぶので「消弧」という絶縁を強める操作を行う。その媒体に油、空気、ガスなどが用いられる。
上記を一瞥して分かるのは、変電所や開閉所の被害が初期に建設された福島第一、東海第二関係に集中していること。その背景を保安院は事故調より詳しく説明する。
(参考)原子力発電所 開閉所遮断器の型式及び設置年
○今般の震災において、原子力発電所施設内の開閉所において設備の損壊等が発生した福島第一原子力発電所の大熊線1号線及び2号線はいずれも1978年に設置されたABB形式(気中遮断器(空気))であった(※1)。
※これらの開閉所は、JEAG5003-1980制定(1980年)より前に製造しているものの、福島第一1号機及び2号機の耐震性能については、開発段階から先行して動的評価を取り入れており、JEAGの要求性能を有している。
○(社)電気協同研究会による遮断器の耐震性能調査によると、タンク型遮断器(ガス絶縁開閉装置 (GIS)等)は、がいし型遮断器(気中遮断器(ABB等)等)に比べて耐震性能が高いとの結果が得られている。
○そのため、福島第一原子力発電所の遮断器が損傷した原因は、相対的に耐震性能が低いと考えられるABB形式の遮断器にあった可能性があり、今後、遮断器をABB形式からGIS形式に交換していくことが望ましい。一方、同発電所の大熊線4号は1973年設置のABB形式であっても損壊していないこと等(スライド22、23)から、今回損壊した遮断器等の解析による詳細評価の結果を踏まえ、更に検討していくことが必要。
「原子力発電所の外部電源に係る状況について」原子力安全・保安院 2011年10月24日
保安院資料より。見れば分かるようにABBは上部の重量物を一つの支点でささえており、がいしが目立ちバランスが悪い。また、絶縁距離を稼ぐ必要があるため機器は大型である。一方でSF6ガスを使用するGISは 寸法をABBの10分の1以下に縮小可能で筒状のタンクに機器一式を封入するため形状のバランスも良い。従って、しばしば耐震性に優れることがアピールされる。これは年数万人が受験する電気主任技術者試験の「電力」科目参考書に書かれる程度には、一般性のある知識である。
また、電圧が高いと送電ロスが減り、送電線の容量も増えるが、デメリットとして絶縁距離が大きくなり、構造物が大型化する。がいしなどは材質的には磁器の近縁のため、金属のように粘りはない。従って規格などで最低限クリアすべき強度を定めたとしても、相対的には余裕の少ない設計になる。275kV、500kVといった設備ではそうした特徴が顕著である。
上記資料は福島第一を中心に言及しているが、福島第一、第二を束ねる東電の新福島変電所や東海第二の開閉所も軒並みABB(空気式)である。流石に茨城ともなると揺れは弱くなり、東海第二の開閉所には被害が無かったが。
【福島第一建設期はGIS化への過渡期だった】
さて、ここから先は保安院発表や各事故調などで触れなかった話となる。1970年頃から時系列順に追っていこう。福島第一が様々なチャンスを教訓として取り込み損ねていることが分かる。
特高電圧用の開閉設備の主流はABBからGISへ変わっていったのだが、それは1960年代後半から70年代にかけてのことであり、福島第一建設時は過渡期だった。だから「機器の製造元」も検証作業の上で必要な情報なのだが、(他の大半のテーマと同じく)政府・東電発表資料からは見事に抜け落ちている。
昔の電気新聞に掲載された各社の動向記事を読んでみよう。
しゃ断器もこのような動きの中にあって、新たなる技術革新が進みつつある。それはSF6ガスを触媒としたSF6ガスしゃ断器がそれである。しゃ断には触媒により油入、空気、SF6ガスの三つに大きく分類できる。
油入しゃ断器は経済的であり、長年の実績があるものの大容量のしゃ断には不向きである。それにかわった空気しゃ断器は十五気圧から五十気圧程度の圧縮空気をアークに吹きつけ消弧するもので、千九百三〇年西独のAEG社が開発して以来、急速に発展した。(中略)この結果、現在空気しゃ断器はわが国はもちろんアメリカでその採用数は最大となっている。
しゃ断器が新たに注目されてきたのは電力流通の面のほかに、長年の主座である空気とは別にSF6ガスを消弧媒体にするSF6ガスが技術革新の結実として登場したことを意味する。これは一九五〇年代に米国のWH社で初めて負荷開閉器で行われてから実用化が進んだ。WH社は空気しゃ断器でGE社に市場を押さえられたこともあって懸命な開発を進めたが、その普及は著しく欧州で多く採用されていった。
SF6ガスしゃ断器が普及の勢いを示してきた理由には
①SF6ガスのしゃ断能力がすぐれていること
②あらゆる条件のしゃ断が可能で大容量に適している
③コンタクトの損耗が極少で、点検間隔が長くできる
④コンパクトである
⑤騒音の公害がない
-などがある。
(中略)経済的に空気しゃ断器より、現在高い欠点もある。
(中略)年度別生産高実績の機種別の推移をみると、電力系統の大容量化を逆から判断できるとともに、新しい需要開拓機運も浮かび上がってくる。(中略)ここでは空気とガスの両触媒しゃ断器が競合する形になっているが、経済性、実証性の空気、小型で公害の少ないガスの特性から将来超々高圧および寒冷地のしゃ断触媒にはガスが有利とみる論者が多くなっている。このしゃ断器の主なメーカーには東芝、日立製作所、三菱電機、富士電機の総合電機メーカーのほかに安川電気、日新電機、明電舎、高岳製作所、井上電機などがある。
東芝は空気しゃ断器で業界シェアを圧倒し、真空でも強みを発揮。コンパクト・セミでは東電、関電と共同研究を行ない、提携先のBBCのSF6ガスの技術開発を進めているが、SF6ガスしゃ断器は商品化していない。
日立製作所は国産技術での開発という意味では貴重な技術を持ち空気、真空しゃ断器で強いシェアを占めている。SF6ガスもWH社の基本特許が切れた一昨年以前から独自の技術開発を進めておりバッファ式の商品化に成功、今秋には二気圧式も国分工場で量産化にはいる見通しにある。この国産技術は輸出では何の制限も受けないことから、この一月には米国のTVAから五十万V用の空気しゃ断器の輸出をはじめ三十四万五千など実績を重ねている。SF6しゃ断器は四十二年八月から実験にはいっており六万V、十万V、十五万Vのシリーズ化をはかりつつある。
三菱電機は油入、空気、SF6しゃ断器とそろえている。だが空気しゃ断器はその市場進出が遅れ、現在東芝、日立に大きく水をあけられている。それにかわりWH社との提携関係にあることから基本特許の期間に関係なくSF6ガスしゃ断器の開発を進め業界で最初に商品化し、このしゃ断器ではトップの位置にある。
すでに出荷台数も六百台を突破し同社重電機の花形商品となった。WH社から導入した技術に日本の風土特有の湿気対策技術をとり入れ、安全性を高めたことからその技術評価を広めWH社への逆技術輸出が商社間で交渉されている。(後略)
「しゃ断器 業界動向と技術革新」『電気新聞』1970年5月21日6面
上記記事はしゃ断器のみを取り上げているが、SF6ガスの利用は開閉装置に組み込まれる他の機器-断路器、避雷器、母線などにも広まり、ハイブリッド的に従来方式を併用した開閉装置からパッケージとして全ての機器にSF6ガスを用いた開閉装置へ数年で発展を遂げていった。
ちなみに、先の保安院資料だが、厳密に言うと画像の比較がおかしい。GISは普通、遮断器、断路器、避雷器などを一括でまとめた装置で、遮断器単体をガス絶縁化した物はGCBと言う。断路器や避雷器でも壊れたものがあるが、これらもGIS化により耐震性は上がる。
遮断器だけだとこういう比較になる(GCB画像は日立製作所HPより)
WH-三菱陣営はGISで先行しており、日立、東芝が後を追う、これは原子力産業にも相似する別れ方で、三菱の技術者が各専門誌に投稿した記事を読むと関電を中心に納入しているのに対して、東芝などは東電との結びつきが強いようだ。福島第一にABBが多数設置されているのはこのような事情を反映したものと 思われる。
【関電はGIS化で先行、東電は大容量化を重視】
東電もGISに関心が無かった訳ではなく、数の上では相当数の導入を進めつつあった。1977年の電気学会雑誌には導入状況が掲載されているが、500kVに関して関電との差は歴然としている。
出典:「IV. SF6ガス絶縁開閉装置」『電氣學會雜誌』1977年5月
ところで当時は空気・ガスの方式を問わず、電圧階級が高い機器はもっぱら内陸の変電所や開閉所に設けられおり、臨海部の発電所では、採用は一歩遅れていた。高電圧の送変電機器は塩害の影響を受けやすく、絶縁の維持が課題だったからだ。
特に、500kV送電は1971年に東電で始められたばかりの新しい技術で、1970年代の火力原子力発電所は、2段階昇圧方式を採用していた。塩害の影響の少ない内陸部までは実績のある275kV以下の送電線を使い、中継用の変電所を設けて500kVに昇圧し、長距離送電する方式である。
従って、開閉装置の方式の変化の他に、500kVで臨海部から送電するための実用技術も電力業界は求めていた。GISは密閉性が高いが、当初は内陸部で実証を兼ねて使われることが多く、福島第一でも5,6号機用の双葉線だけが臨海直接昇圧を採用して500kVとなっている。
500kV送電を日本で最初に開始したのは東電の房総線で、その背景には首都圏への人口集中があったから、GIS指向の関電に比べると、東電は高電圧化による大容量にウェイトを置いていたと思われる。
「大容量送電に取り組む東電 社内外の総力を結集」『電気新聞』1971年12月18日1面
GIS化への言及は無い。量をさばくだけで精一杯といったところか。社会情勢から要求されたことなのは理解出来るが、企業間で技術力に差が生じている点と付き合いの兼ね合いをどう考えていたのだろうか。
そのような中、三菱系のPWRを採用していた関西電力は大飯1,2号機開閉所にGISの採用を決断した。1975年秋の電気新聞には次のような記事が載っている。
関西電力は、昭和五十二年十二月および五十三年六月営業運転を目指して建設を進めている大飯原子力(出力百十七万五千KW二基)の五十万V特高開閉所に世界初の全面的なガス絶縁開閉装置(GIS)を採用することになった。同装置は三菱電機との共同研究によって開発した(中略)
(中略)臨海地域の開閉所の場合塩害対策上屋内設備とする必要があるため、主母線も含めてすべての機器をGIS化することになったものである。これによって充電部に露出部がなくなり、所要敷地は、従来の約八分の一に縮小され、経済性の点からも極めて有利であるほか、信頼性の向上、耐震性能の向上、建設・保守の省力化、環境調和など大きな利点がある。(中略)
このGIS母線については、従来のGIS技術を延長したものであり、特に技術的な問題はない(中略)五十一年二月ごろから現地据え付けを予定しており、開閉所が完成し五十万V運転は五十一年末ごろになる予定である。
「関電大飯原発50万V特高開閉所 世界初の全面GIS化」『電気新聞』1975年11月19日2面
「電気新聞なんて村の広報誌だろ」と思って軽んじる者が多いが、それは使い方を間違っているとしか思えない。
商用原発の開閉所に採用されたということは、電力会社が完全に実証性を認めたのと同義である。同発電所は1979年に運開しており、建設時期は福島第一4~6号機とほぼ同じ。東電の決心さえあれば同じことは出来た訳である。スペースに余裕が生じることから、送電専用となった双葉線開閉所より小さな敷地面積で、受電用設備も設けることが可能だったろう。
なお大飯発電所のGIS、当時はPRの目玉の一つだった。関係技術者以外にもある程度知られていた、ということになる。
ここの見学は、あらかじめ申込みのあった者のみとしていることから、PR館の見学や説明だけでなく、構内の取水口、放水口などもバスで案内することにしており、ここでも当発電所の特色である「海水淡水化装置」や「GIS開閉所」などが見られ、美しい風景と相まって見学者に満足を得てもらえることと確信している。
「関西電力(株)大飯発電所PR館」『日本原子力学会誌』1983年1月号P37
広報施設の記事を学会誌に掲載するということは、少なくとも社会的には最新技術の意義を一般会員に感じてもらう所にある筈だ。それは見学自体も同じこと。ただ珍奇な施設を眺めて好奇心を満たしただけでは、その技術者にどれだけの価値があるだろうか。業界人は反省する所であり、私も含め異業種の技術者は他山の石とすべき点だろう。
【東電が喧伝した外部電源の『安全神話』】
一方、当時の東電は外部電源について考え違いをしていたようだ。
一ヵ所にまとまって建っていれば、港湾や道路の他に共同で使えるものはたくさんある。(中略)送電ももちろん、発電所の中に変電所をつくり、まとめて一気に送っている。ただ、この送電線が事故や地震などでいっぺんにやられないかという心配があると 思うが、今の技術から言って、変電所や送電線は一寸した地震には十分耐えられるし、故障しても直ちに保護装置でその波及を防ぐといった設計になっている。 これは原発に限らず電源が集中的に固まっているところの送電設備や変電設備は、「保護システム」が非常に高度に出来ているので、いっぺんに全部やられると いうことはほとんどありえない。
出典:「東電・原子力発電の現況-卓越した実績を元に着々計画進行」『政経人』1982年10月号P84
コメントしているのは東電企画部副部長宅間正夫。2000年代には原産協会の理事か何かを勤めている。原子力資料情報室などは多数基立地・共通要因故障の危険を言ってきた筈だが、それを逆手に利点と喧伝するのは問題外。安全神話にも程度があり、これは凡庸な原発広告が霞むほどの問題発言なのだが、きちんと取り上げたメディアを知らないので改めて提示しておく。「1~4と5・6は運用上は一括りされているが、設備上は完全に別の原発」などと胸を張っていたどこかの電気屋さん、東電は嘘付いてたのだから胸を張る事ではないのですよ。
【女川の外部電源が生きていた理由】
女川原発の外部電源は311の際にも機能を維持することが出来た。そのことを以って、街頭に立つ反対運動家の揚足を取る人達がいる。
反原発団体に質問してみたら:「一本繋がってただけで」-togetter
しかし、これまで説明してきたような技術史的な経緯から結論を言うと、維持出来たのは単に設備に世代の差があったからなのである。
まず、東北電力は1978年宮城県沖地震の直接の被害者だった。
宮城県沖地震では、275kV変電所でも仙台変電所のように大きく損傷を受けた所があり、事故後電中研を交えて原因を調査し、1980年には変電設備の耐震設計指針(保安院資料に出てきたJEAG5003-1980)を電気協会から発行した。
一方、女川1号機の運転開始は1984年(GIS設置は1982年)である。事故の教訓を踏まえて設計に織り込む時間的余裕は十二分にあった。1984年に運開したのは、着工前に地元で反対運動が続き、「合意」を得るのに10年の時を要したからでもある。1号機の設置許可申請は1970年には提出されており、当時の審査期間は最短半年以下、多くのサイトでは長くても1年を超えなかった。
宮城県沖地震が1978年に起こったことは偶然だが、経験工学的観点から眺めれば、10年の時間を稼いだことは外部電源に決定的な影響をもたらした。着工遅延は予防措置とほぼ等価的な効果を与えており、東北電力と反対派が共同で外部電源を守ったと言える。ただし、東北電力は偶々発生した地震の経験をインフラ業の通例に従って取り込むことはしたが、「宮城県沖地震以前に主体的に事前措置を取った」という広報を聞かない(あれば敷地高のように宣伝するだろう)。むしろ上記設置年の一覧表を見ると、女川の僅か2年前、宮城県沖地震の後になって福島第二にABBを設置した東電に、鈍感な体質を見て取ることが出来る。規格さえ通せば余裕のある方法に変更の必要は無い、ということだろうか。
なお、先のちょっかいを出していた推進派だが、次のツイートは間違いである。
ちなみに「繋がってたもの」ってのは非常用電源のことじゃなかったのかと思ったのだが、女川はあの時一時的に全電源喪失していて外部ディーゼル電源車を使ってるし、もしかしたらその後の最大余震の際の「生きてた電源が1系統だけ」って話なのかもしれないが、よくわからぬ。
— かっしー@日本おっぱい党総裁候補 (@kAssy0121) 2014, 7月 18
原発の非常電源は建屋に据付が基本であり、それが壊れた時の予備として311後に大容量の電源車が配備された。また、非常電源を代替出来るような大容量電源車はディーゼルではなくガスタービンを使用する。要するにちょっかいを出すことが目的なのだろう。
【311前にGISに更新していた原子力発電所】
さて、ここまで取り上げた東電、関電、東北電の事例はいずれも新設時の対応であることに注意しなければならない。一度建設した設備がそのままかどうかは、場合による。一度は企業間競争で置き去りにされた安全性も、何十年も運転していれば挽回する機会はあった。
例えば、電力機器も老朽化・陳腐化が進めば更新の機会が到来する。実際、福島第一1号機と同世代の原発で、それを活用した例が存在した。中国電力の島根原発1号機である。同社は1974年の運転開始から20年を節目に、数年かけて大規模な予防保全・更新を行っているが、開閉機器はABBからGISに変更して置き換えたのである。
(2)220kV開閉所機器
220kV開閉所機器は空気遮断器(ABB)というコンベンショナルなものであったが、信頼性、保守性および耐震性の向上をはかるために、ガス絶縁開閉装置(GIS)へ一式取り替えた。取替に当たっては、停電期間の短縮をはかるため、新たに基礎を最初から作り直すのではなく、既設の機器単体のベースを再利用し、これにH鋼を連接し、組み上げて一体型のGIS機器ベースに作り直すことによって、必要強度を確保するとともに、現地工事期間の短縮および工事量の削減を図った。
「島根原子力発電所1号機電気計装品の予防保全対策」『火力原子力発電』1997年9月P65-66
更に詳しく知るため、中国電力に質問した。
Q:開閉所変更のきっかけは阪神大震災でしょうか。また、社外(官庁・メーカー・自治体)からの指導や要望によるものか、自主的判断によるものかも合わせてご回答ください。
A:予防保全の観点(つまり自主的)からより性能の良いGISに変更しています。耐震性をメインという訳ではなく,よりコンパクトで性能のよいものに変更したものです。
(2014年11月7日メール回答より)
東電を庇ってのことか同社は謙遜しているけれども、島根原発も以前から活断層の過小評価を指摘されていたおり、本音では同社も何らかの手を打ちたかったのではあるまいか。東電もこの姿勢に倣っていれば、破局を避けられた可能性がある。その程度の更新投資すら不可能だったのだろうか。
上記保安院資料をもう一度見てみるとこのことが良く分かる。大熊3号線はGIS更新工事の最中で発災前から送受電を停止していた。ハードウェアこそ変われど、典型的な福知山問題と言える。JR西日本福知山線事故では事故発生前から、当該路線に事故を防ぎ得る設備の計画があり「ATS-P整備の意思決定は2003年9月に行われたが、使用開始は2005年6月の予定だった。」という(「JR福知山線脱線事故」山口大学 大学院 技術経営研究科・企業倫理資料P8)。事故は4月25日に起きているので2ヶ月弱の時間差で間に合わなかった。外部電源の問題も同じで20年目で更新した中国電と、福知山事故を他山の石とせず、40年目で更新した東電の差であった。
このように、今回のテーマで学べることは単に外部電源の知識に限らない。
また、島根の例は畑村洋太郎などの一部識者やネット上で拡散された「反対派のために安全化改造が出来なくなった」という単純なデマを完全に否定するものでもある。実際には、宅間正夫のような安全神話の伝道師が次々と現れて疑問を封じてしまったのだ。
【2007年中越沖地震の『成功』を理解せず、福島で「退化」した東電】
女川1号機より更に後には東電柏崎刈羽1号機が建設された。同所の開閉機器は東電とは言え流石にGISを採用し、「主な設備改善」として社員(労働組合員)向けにも示された。
柏崎・刈羽原子力1号機について、福島第二原子力2号機に比較し、実施した設備改善の主なものは次のとおりである。
(中略)
(8) ガス絶縁開閉装置の採用『東電労組史 第4巻』1987年1月P829
2007年の中越沖地震では、同所が被災。当時3号機の変圧器が火災を起こしたのは大きく取上げられたが、外部電源そのものは維持された。
○外部電源を供給する設備の耐震クラスは、一般産業と同レベルのCクラスであるが、今回のような設計基準地震動を超える地震が発生したにもかかわらず、地震直後に3系列(後に2系列)の外部電源が確保されていた。
東京電力柏崎刈羽原子力発電所における新潟県中越沖地震発生時の運営管理に係る評価結果 2007年12月19日 3枚目
所員は自分等の商売道具を日々巡視しており、開閉所もその一つである。裁判に関する議論では見過ごされがちなポイントだが、すぐに意識できなくても、毎日眺めていれば、鈍い奴でも強みや弱みに気が回るのではないだろうか。何故外部電源の維持に成功したのか、きちんと理解できていたのだろうか。下記は典型的提灯記事だが、注目するべきは新聞の意図したことではなく、外部電源の担当社員も発電所間で異動していることだろう。
第二保全部電気機器グループマネジャーだった古田島智裕さん(54)(現・同原発第一保全部長)は、出勤途中に突然大きな揺れに見舞われた。
起動中や運転中だった2~4号機と7号機は、原子炉を冷やすため変圧器を使って外部電源を供給する必要がありました。異常がなかった変圧器を切り替えながら使って、順番に冷却していきました。
(中略)私は柏崎刈羽原発に来るまで17年間、福島第一原発にいました。会社人生がそれぞれの原発で半々くらいです。2011年の原発事故の後、何回も応援に行きました。柏崎刈羽原発をああいう状況にしてはならない、という思いは強い。中越沖地震の教訓も生かしつつ、地元の皆さんに安心してもらえるような原発にし ていかなければならないと思っています。
「〈中越沖地震7年〉安心できる原発目指す」『読売新聞』2014年07月16日
柏崎の設備を見てから福島に異動した者はいないのか。表に出すのは不都合なのか。
民間事故調は「第3部 歴史的・構造的要因の分析」にて当記事と近い問題意識がある。
②海外事例等からの「教訓」
(前略)中越沖地震も、外部事象によるSBOが起こりうると認識する機会になりえた。(中略)3号機で変圧器火災が発生したことから、耐震重要度クラスの異なる設備の間に脆弱なポイントがあること、(中略)重要度の低い受電設備等の損傷によって原子炉の安全が脅かされる可能性があることが認識されてもよかったはずである。しかし実際には耐震指針や耐震重要度分類の見直しは行われず、耐震バックチェックの徹底化にとどまった。『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』2012年3月P278
良いポイントを突いているが、福島と柏崎では重要度クラスが同じ機器でも種類が異なっていたことが遠因にある旨を明確に出来ていない。もっとも、東電は民間事故調へ協力を拒否しており、民間事故調は被害者である。
出典:「耐震性向上の取り組み」(東電HP)より。東電事故調報告とは一味違う。
また、「耐震バックチェックの徹底化」にしても、中越沖地震後に東電が公表した「耐震性向上の取り組み」には開閉設備の更新や福島第一3号機開閉所GIS化の記述が無いのだが、民間事故調もこの点を疑問視出来ていないのが残念である。
【位置付けの曖昧だった送電網の耐災害性】
「外部電源と原発の関係」には送電網も含まれる。しかし、これも今まで述べてきた流れの中で古臭い前例が踏襲された。
一例を示そう。変送電の専門家、朱牟田善治は阪神大震災などを踏まえ、1998年に次のように述べている。
JEAG5003(※注:変電機器の耐震設計指針)が制定される(中略)1980年以前に設置された設備がいまだに数多く, 既存の設備に残されている. このことは,旧基準のもとで設計された設備の改修作業の困難さを示している.(中略)今後は, 地震ハザードや地域特性を考慮して, 限られた費用の中で補強や更新を行うべき設備を合理的に選別するための戦略を検討することが必要となろう.
さらに, さきにも述べたように電力系統の設備形成基準は, 常時の供給信頼性を高く保つことを前提として設定されており, 地震などの多重事故時には運用でカバーすることを基本としている. このため, 4地震での教訓は, 各被災事業者の運用上の個別対応レベルには活かされているものの, 設備の基準設定などにどう反映させるかという視点からの検討には, ほとんど活かされていない.(中略)今後は, 電力ネットワークとしての耐震性をどう個別の設備の耐震設計基準や設備形成基準に反映させるかなどの検討を行う必要があろう,
「最近の地震による変電設備の被害の特徴と耐震対策」『土木学会論文集』1998年7月P436-437
朱牟田氏の言うような「基準」が原発の外部電源維持を最上位に置いて制定されていれば、島根のような改修を全サイトに義務付け出来たかも知れない。しかし、業界や官庁がそのような基準を制定したという話を知らない。
また、この論文の5年前に起きた北海道南西沖地震の時に電中研関係者を集めた座談会が開かれ、朱牟田氏は同様の問題提起をしているのだが、それに対して沢田義博(上席研究主幹 FBR実証炉技術推進担当)は次のように述べているのである。
電中研の耐震研究は、主として土木・建築系の専門家で研究を進めてきました。朱牟田さんがおっしゃる事も考えますと、地震以外の災害研究も含め、もっと幅広く専門家を集めて総合的に対策研究を発展させていくべきかもしれません。(中略)ただその場合に、絶対に壊れないような設備を作ろうとすると、却って重装備の設備になり、経済的に非常に高価なものになってしまいます。そして、そのつけは消費者が払わなくてはならないのです。
ですから、想定される災害レベルと対策レベルをどのあたりで適切とするのかも今後の課題でしょう。もちろん、そのレベルは都市の大きさや場所によって異なるし、社会的な合意を踏まえて設定されるべきだとも思います。
「地震災害から得た教訓と今後の対策研究」『電気情報』1993年11月P23
歴史は残酷である。原発と町工場では求められる安全の程度が違う。島根原子力の例を見る限り、受け入れ可能なコストだったとしか思えない。
【失敗学では分からない】
敢えて反対派や世間一般を含めて反省があるとすれば、政府事故調の建前に引きずられたことだろう。政府事故調は「畑村の方法でやる」すなわち畑村失敗学をベースにするということだった。直感的に受け入れやすい概念であるのは確か。しかし、失敗学では「予防措置を講じてトラブルを回避した成功事例」を拾い上げることが出来ない。
福島事故以前に洪水や津波で被災した原発があったことが注目されたが、これは炉心溶融を起こさなかったものの「小失敗」だったので記録に残った。女川や東海第二は成功事例だが同じ津波で被災したからこそ耳目を集めることが出来た。しかし、島根のように地震対策をしても大地震が来なかった例は括れないし、中越沖地震の柏崎刈羽も成功事例としての意識付けされたのは「耐震設計に余裕を持たせたこと」「変圧器火災が全所に延焼しなかったこと」などであり、外部電源の技術進歩は注目されなかった。
元々、関心が薄いのだろう。その証拠に失敗事例データベースを見ても先述した福知山線事故にはATS-Pへの更新計画に関する記述が無いし、政府事故調解散後の2014年に作成した「福島原発事故に学ぶ」(第12回AECE技術フォーラム)を見ても抜けたままである。29枚目のスライドでは学ぶ対象は「被害」だけだし、34枚目のスライドでは「重要と考えなかった所だが、実は重要でしかも想定外の状況で機能不全に陥ってない」例が漏れている。
私は失敗学を全否定するつもりはない。ただ、成功と失敗は車の両輪のようなものでどちらからも学びが必要と言いたいだけだ。取分け、対象が「経営」「采配」のような人的要素が絡む水ものに比べて、ハード面は水平展開も楽にできる筈である。
予防更新の記録が雑誌に残されていなければ、私も島根の例を見つけることは出来なかっただろう。埋もれた回避例が他に無いのか、もう一度探してみることが必要だ。だが、事故の背景を再度洗おうとする意欲は、国会事故調関係者以外に感じられない。
【まとめ】
島根の例が各事故調で言及されていた記憶は無い。今回の記事を書くにあたり、再度事故調報告のPDFをCtrl+F検索も交えてチェックしてみたが、ヒットはしなかった。勿論、東電なら『火力原子力発電』の記事を覚えてる者がいただろうし、日立が主契約者だった島根1号機で開閉所の更新工事を受注したメーカー経由での提案等の情報ルートもあるだろう。よって業界は単なる不都合な事例の無視と判断出来る。
業界に比べると情報の感度が鈍い政府事故調の場合は何とも言えないが、知っていたとすれば、「学び」の対象は注意深く選ばれている可能性がある(公開された政府事故調の聴取録-例えば村主進氏のもの-を読む限り本当に気づいていない関係者が大半の可能性もあるが)。
ネットの推進派も「電力趣味とは?-togetter」などと騒いでいる割には、本質的な問題提起は無く、見た目の面白さをオタク的に消費しているだけである。くどいけど普段の態度が態度だからあえて書かせてもらうよ。
【予告】
今回は変電・開閉設備だけで長文化したこともあり、配電盤は検討対象外とした。だが、配電盤もまた、事故回避の可能性はあったので、それは別途取り上げることとしたい。
2014/11/16:タイトル修正、鳥取県西部地震に関して見直し、柏崎刈羽の例を追加。その他誤字脱字訂正、一部文章表現見直し。
2014/11/20:Twitterで本職経験者の方にご指摘頂いたので枕の説明に消弧だけ補足、GCBとの比較追加、柏崎の事例と失敗学の問題点にソースを追加。
2014/12/28:続編として「電力各社の原発外部電源-関電美浜・原電東海第二は開閉機器更新の実施未定-」をアップ。
2018/9/16:冗長な表現を整理。
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コメント
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管理人・岩見様
>>「成功と失敗は車の両輪のようなものでどちらからも学びが必要」と言いたいだけだ。
この文章の元となった失敗学会会長の畑村氏が2014年に作成した「福島原発事故に学ぶ」を掲載頂いていますが、その中には「事故・失敗のシナリオを学ぶだけでは不十分で、成功の道があったかを学ぶことも必要」と書かれています。
ご意見の通りのことが畑村氏も言っているので、関係者として一言、注記させて頂きました。
投稿: 失敗学会関係者 | 2015年3月23日 (月) 10時28分
失敗学会様
当方のようなブログに御指摘を頂きありがとうございます。後で、指摘があった旨は本文にも反映します。
同スライドを再度チェックし、Ctrl+Fでもチェックしてみましたが、「事故・失敗のシナリオを学ぶだけでは不十分で、成功の道があったかを学ぶことも必要」について見つけることが出来ませんでした。29枚目の「外国・他分野に学ぶ謙虚な姿勢がなかった」は似ていますし、失敗学会以外でも、事故後米国、台湾等の津波対策をした原発を見学したレポートなども良く知られていますが、GIS更新は同分野同業者自社内のことです。
ただ、発表は第12回AECE技術フォーラムでの資料であることから、口頭で述べられたのかもしれません。また、畑村先生の著作は多数に上っているため、その中で隠れた成功パスの重要性に触れている物もあるかも知れません。そういった可能性までは否定しておりません。
なお、批判ではありませんが、スライド32枚目「仙台湾以南では高い津波が来ることは誰も考えていなかった」については当ブログで記事化した以外にも1994年に国土庁が全国自治体の津波防災を調査した際、福島県鹿島町の回答にそのような安全神話が含まれていることを確認し、問題事例として抽出したことを確認しています。失敗学会とはそれますが、政府事故調では見かけた記憶はありません。
投稿: 岩見浩造 | 2015年3月23日 (月) 19時53分
大体あれだけのネタを私が集めてこれると思ってるのがおかしい。
ネタの方向性も違うし、もっとセンスのある名無しさん方が拾ってるに決まってるじゃないですか。
投稿: 岩見浩造 | 2016年1月13日 (水) 01時09分
上記は別記事へのミス投稿です。
投稿: 岩見浩造 | 2016年1月13日 (水) 01時13分