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2014年9月の1件の記事

2014年9月 5日 (金)

福島第一と台湾金山原子力は事故前から姉妹交流-奈良林直氏の海外視察レポートでは経緯に触れず、津波対策だけ宣伝

※今回のテーマはシンプルだが、検証記事なので長文

東芝の原子力部門出身で北大教授の奈良林直氏は事故後海外の津波対策先進事例の視察を行い、原子力業界へ刺激を与えている。というか、下記の発表で同じスライドを少しずつ入れ替えたりして使いまわしている。2013年秋に台湾を訪れてからは、同地の原発も加えられた。

福島第一原発の事故の教訓と世界最高水準の安全性確保への道
JSME動力エネルギーシステム部門原子力の安全規制の最適化に関する研究会シンポジウム 2012年1月30日

原子力発電所の安全は確保できるか
日本原子力学会シニアネットワーク連絡会(SNW)第13回シンポジウム 2012年8月4日(土)

福島第1原子力発電所の事故の概要と30項目の対策案
GEPR 2012年11月19日

原子力発電所の安全対策 と世界の現況
台湾原子力講演会 2013年11月21日(木)
※P42が今回のテーマ

資料9_08-1 海外における津波洪水対策
日本地震工学会 2013年12月19日
※P4が今回のテーマ

海外の原子力発電所における津波・洪水対策の現況
日本地震工学会 2014年3月20日(木)
※P19-23が今回のテーマ

奈良林氏は国会事故調に対する言いがかりとも取れる発言を行うなど、典型的な業界人の行動パターンをなぞっている人だが、上記は部分的には評価出来る。福島事故は原子力事故の中でもハード的には「当然の備えを怠る」という低レベルな事故だからである。

奈良林氏の海外事例紹介に欠けているのは歴史的な視点である。今回の記事は前回記事「非常用発電機が水没した新潟地震を無視する日本の原子力産業」の続編として、技術史的観点から問題提起をしてみたい。

【1】屋上屋を重ね、真の問題点に気づかせない

例えば、次のスライドを見て欲しい。台湾の金山原子力発電所を視察したものである。

Narabayashi_taiwan_20131219 出典:資料9_08-1 海外における津波洪水対策 日本地震工学会 2013年12月19日

携帯向けに少し分かり易い画像も。1979年にガスタービンを配備し、電源喪失対策の一助としたそうだ。

Narabayashi_taiwan_20131219_gt 出典:資料9_08-1 海外における津波洪水対策 日本地震工学会 2013年12月19日

このスライドに欠けている歴史的な視点、それは「東電や日本の原子力業界は金山原子力の安全対策を福島事故前に知っていたか」である。

言い分としては色々あるだろう。例えば、台湾の電力業界も技術者向けの紹介記事やリーフレットの類は沢山刷ってきた筈。よって「膨大な技術記事から金山原子力の安全対策を書いた記事を見つけるのは出来なくても仕方がない」といった言い訳が想定出来る。

実は私は、既に直球の回答を発見している。それが下記の記事だ。

Denkijoho_199411_taiwan_2
出典:「福島第一原子力と台湾・金山原子力との姉妹発電所交流」『電気情報』1994年11月号

金山原子力の主契約者はGE社で格納容器はマークIである。従って両発電所には共通点が多い。台湾は日本と全く同じ地震多発国であり、震害や有用な事例の情報は遺漏無く入手出来た方が良いのは誰でも分かる。上記記事から重要な記述を引用してみよう。

姉妹発電所交流の必要性

原子力発電所の安全・安定運転を行うためには、国内外の運転経験やプラントの改良・改善実績、運営管理等に関する情報の入手は不可欠である。

特に、設備の経年劣化事象やその対策方法の検討に関しては、当該プラントの運転・改良実績を詳細に調査する必要があること、また、発電所の運営管理方法等についても発電所独自の方法により運営している場合が多いことから、それらを調査・分析して参考にすることは発電所にとって重要なことである。

そのため、お互いの発電所の運営管理方法、運転経験、改良実績等を実務レベルで親密な情報交換、人的交流を継続的に行い、原子力発電所の運営管理に係わる共通な課題を解決していくことは、両発電所にとって大変有効な手段であると言える。

姉妹発電所交流の提携

台湾電力と東京電力の間には、従来から会社間の交流に関する覚書に基づいた交流が実施されているが、原子力部門においては活発な交流は実施されていなかった。

しかしながら、原子力発電所の抱える課題を継続して解決していく必要があることを両社共に希望していたことから、発電所間の姉妹交流を追加して実施していくことにしたものである。

(中略)両者共、発電所の運営管理方法の改善、設備の改良等に対する豊富な経験を持っていること、さらに、両発電所が発電所の安全向上策や信頼性向上策など、今後も種々の調査・検討を実施していかなければならないと考えていることなど、発電所の運営管理面で同じ環境の下にある発電所が同じ目的を持っていることも、姉妹交流を始めた背景である。

姉妹交流を行う分野は、
・発電所の組織・運営管理
・運転管理
・保守管理
・訓練
・放射線管理
・廃棄物管理
・地域への理解活動
など、9分野に亘っている。

また、交流形態は、情報交換、情報及び資料の提供を基本に、原則として交互に毎年1回相互に交換訪問を実施する他、両者の合意により特定技術の専門家会合も出来るようになっている。

交流内容について

第1回目の交流は、福島第一原子力において93年12月6日~10日(5日間)に亘って実施された。

金山原子力発電所からは、所長をはじめ計6名が来訪し、
・設備改善計画
・保守
・運転
・放射線管理
などの技術情報の交換、発電所および関連施設等の見学等を実施した。(後略)

「福島第一原子力と台湾・金山原子力との姉妹発電所交流」『電気情報』1994年11月号

情報交換の対象には設備管理も含まれる。ちなみに、吉田所長が本店時代津波対策を却下した部署も「設備管理」部である。言葉の重みが分かろうと言うものだ。

福島第一原子力発電所は事故の数年前『共進と共生』という45年史を発行しておりそこには年表がある。「ふくいちふれあい感謝デー」などといった細々としたイベントが網羅されているが、金山原子力との交流事業は記述が無い。だが、技術者同士の交流である以上、互いの状況について文書を交換し、事故対策に関しても詳しい説明を受けている筈である。上記記事によると福島第一から金山への最初の出張は5日間である。これは、原子力安全技術協会(NSネット)が2000年から始めたピアレビューでやってきたプラントツアーと(例外もあるが)同程度だ。しかし、ピアレビューは特定のサイトに対しては数年に一度だけである。交流事業の方がピアレビューよりも詳しく見て回っていたことが推測される。

参考としてNSネットが行ったピアレビューを示す。報告書が一般向け公開資料であること、スケジュールに注意。金山との交流実務を推測する上で参考となると思う。

東京電力(株)福島第一原子力発電所に対する相互評価(ピアレビュー)について
2000年10月17日~20日

2006年1月16日(月)から1月27日(金)

2007年5月22日(火)から5月25日(金)

こうした状況から推測する限り、金山原子力の電源喪失対策を福島第一の東電技術者が誰も知らなかったことはまずあり得ない。交流事業の紹介は所内報には絶好のネタだから存在自体は所員なら知っていただろうし、現場の技術者で交流事業を担当したり、報告書を回付される立場にあった者は、金山に比べて福島第一の劣っている点が分かっていたと思われる。

Denkijoho_199411_taiwan_kaigi 上記と同じく『電気情報』1994年11月号より情報交換会議風景。この日の出席者はぱっと見で20名程いるようだ。

交流の成果として改善を指摘する文書を挙げたのか、それとも問題を感じなかったのかは不明だが、無責任な安全神話の信奉は現場でもあり得ること。居れば、それは東電の下した「先送り」という決断に繋がったのだろう。

なお、「写真で見る台湾の原子力施設 第一(金山)原子力発電所」を読むと福島事故前から金山にあって福島第一には無かった設備は下記である。
・津波ゲート
・生水池(raw water pool)
・ガスタービン発電機(高所設置)

この他、奈良林氏は海水EWSポンプを水密室に入れているとしているが、時期は示していない(スライドのニュアンスから事故前の措置と思われるが。全てに時期を入れていない奈良林氏はPA屋としてもどうかと)。

福島第一に空冷式の非常用ディーゼルの増設が決まり、設置変更許可申請されたのは1993年4月のことである(竣工は約5年後)。この時増設したディーゼルが5,6号機を救ったのだが、1~4号機用は既設と同じく水没した。交流開始は申請後のことなので、金山の情報を直接入手した時点では、増設計画を修正出来なくなっていたのだろう。逆に、金山側に対しては「最近の設備改良」としてこの件が紹介されたと思われ、技術者の評価を知る上で有力な材料になる可能性がある。

また、福島第一の歴代所長が口をつぐむ中、唯一福島事故を踏まえた技術書『原子力発電所の事故・トラブル ~分析と教訓~』を出版した二見常夫氏は1997年6月27日から2000年6月28日まで所長職にあった。1994年にスタートした交流事業が継続されていれば、何か知っている筈である。

少し弁護をしておくと、脱原発派に転換した元社員からこの一件が出てこないが、大体の説明はつく。蓮池透氏は著書『私が愛した東京電力』で福島での勤務時期を公表しているが、交流事業とは被らない。小野俊一氏の場合はどうだろうか。「東電を辞めた理由(1)」で「私が、本店原子力技術課安全グループに配属されたのは、1993年4月(平成5年)のこと。」とし、その2年ほど後に退職している。本店時代の仕事は武藤(栄?)氏の元でシビアアクシデント対策だったらしいが、金山の電源喪失対策に関する知見は本店には上がっていなかったと思われる。

もし、この交流事業についてツイート、コメント頂けたらお願いします。

【2】対策の厳しさだけを示し、その背景は紹介しない

奈良林氏に欠けていると感じるもう一つの視点は、その海外先進事例は何故出てきたのかを調べようとしないことだ。これには姿勢の問題があると思う。

以前、日本技術者連盟なる団体がプラントツアーを企画した(「原子力発電所の Accident Management 訪米調査団」)。8日間の日程でNRCや代表的なサイトを巡るという内容で、参加費は一人96万円だった。実際に参加したのはプラントメーカー各社の技師長クラス以上と思われる人達である。プラントメーカーの給与は大銀行や有名マスコミなどに比べるとそれ程上位には来ないが、技師長クラスだと年収1000万のボーダーは超えており、そもそも出張扱いで参加費は会社持ちではないかと思う。

だが、彼等の訪問先には反対派はもちろんの事、地元関係者も含まれていない。これまでの歴史的事例は肌で知っているであろうにもかかわらず、これは不可解なことである。例えば、安全対策の先進事例として挙げられるスウェーデンやドイツ、スイスの場合、いずれも70年代から80年代に反原子力運動が日本以上に高まり、体制側がガス抜きの為に監視と規制を厳しくした事情がある。

このことは今回の原発事故でも同じである。見た目に分かり易いのは浜岡の防潮堤。震災前は砂丘で阻止すると主張していたが、震災後早々と防潮堤を設けると発表、その高さも2011年の春には海抜12mとしていたのが梅雨を過ぎる頃には15mとなり、7月の末には18mとなった。その後、21mだかにさらに嵩上げされて現在に至っている。中部電力は都度、それらしい想定結果などを示してはいるが、これが科学ではなく政治の結果であるのは誰の目にも明らかだろう。

そんな浜岡をどこかの海外視察団が見に来たとして、中部電力の言い分だけを聞いて本国に持ち帰るのは客観的と言えるだろうか。どう考えても只の間抜けである。海外視察組のやっていることは、大抵そういう類の行為である。その場合、せめて地元自治体の関係者にも話を聞いておくことが必要である。

奈良林氏も多額の渡航費を投じて現地の関係者と接触しているのだろうが、そういう質問をした形跡がパワポやPDFから読み取れない。ページによっては、観光旅行の写真集ではないかと思えてくる。

【3】安全対策のスライドとしても事前調査が不十分では?

なお、奈良林氏の記事はその目的である「安全対策の啓蒙」に絞っても調査不足の点がある。下記の写真を見て欲しい。

Nuclear_engineering__design_1985_vo

出典:Gunter K HUFFMANN.(1985) "FULL BASE ISOLATION FOR EARTHQUAKE PROTECTION BY HELICAL SPRINGS AND VISCODAMPERS"NUCLEAR ENGINEERING & DESIGN Vol84 No3 pp336

これはドイツのメーカー、ゲルブ(GERB)の研究者が防振装置について投稿した記事に載っていた写真で、掲載誌は国内でも幾つかの原子力絡みの研究機関などで購読している。下部の黒い物体が防振装置でモジュール化されている。記事によると防振装置の最初の適用事例は台湾で15年前のことだったとある。1985年の記事なので、1970年には既に実用化されていたことになる。金山は1972年着工1977年初臨界とのことなので、非常用ディーゼルではなく、離島用かも知れない。

これが何故重要かと言えば、日本の非常用ディーゼルが地下室を志向せざるを得なかった理由として、耐震問題があるからだ。福島第一でも地上置きにした最初の設計が地下に替わったことは既に述べた。ディーゼル発電ユニットは一般に重く、18V40Xの場合機関本体一式で約100tに達し、地震による荷重も大きく作用する。一方、この防振装置は一つの回答であり、時期からすれば福島第一建設期に選択肢として採り得た。

プラント建設の提案から設計・建設の流れを思い起こしてみると、常識的に、この技術を用いた高所設置の案や売り込みはあったのだろう。しかし、コスト面で却下されたのではないかと思う。なおゲルブは現在も日本に代理店を置き、この種の防振装置を売り込んでいる(発電所設備の振動対策 【原子力・火力 等】)。

【4】事故経緯の解明に必要なこと

毎回述べていることだが、今回の原発事故は長年積み重ねてきた怠惰の帰結であって、事故前の経緯解明が非常に重要である。そして、各事故調は不十分で表層的な説明に終っており、金山との技術交流についても検証されていない。東京電力に加え、GE・鹿島といった建屋建設を主導した受注業者は、次の資料を開示する社会的責任がある。

〇非常用ディーゼル発電機のプロットプラン検討結果
※上記のような防振装置を不採用とした理由。昔のカタログを保管してあればそれも。

〇金山原子力への出張報告。金山からの調査団との会議議事録。相互交流で得た技術資料一式。
※観光旅行でなければ報告書は毎年上がっている筈である。電気料金の負担者としても、絶対に開示しなければならない文書の一つと言えるだろう。

【5】奈良林氏を眺めて分かること

奈良林氏は喜々として海外事例を紹介し情報強者振りを暗に誇示したいのかも知れないが、金山との姉妹交流が今回の事故の防止に役立っていない事から、彼のプレゼン資料を読んでも私は暗澹たる印象しか持たない。そもそも、奈良林氏は金山の先進事例をどうやって知り得たのだろうか。台湾で講演した際、先方から昔の話を聞いていないのだろうか。結局、WANOや保安院の下働きをしている東電系の技術者からの入れ知恵ではないだろうか。もしそうなら、事故後の人脈作りの役にしか立たなかったのが、姉妹交流ということになる。台湾電力は東電の怠惰振りにもっと怒りの声を上げた方が良い。真相はどうであれ、不都合な背景が読み取れない資料を世に出している時点で、既に同じ失敗を繰り返す道を歩み始めていると言える。

※2014/9/5/11:00 タイトルを修正

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