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2014年5月の8件の記事

2014年5月12日 (月)

【美味しんぼ】井戸川氏を喜々として反原発の見本扱いする反反原発達の間抜けさ【鼻血】

※今回の記事は後半に面白いものも載せているので是非読んで欲しい。

『美味しんぼ』騒動が喧しい。石井孝明氏が「リンチ」待望発言をしてJ-cast記事になり、そのコメント欄はTwitterと異なり批判一色である。以前、私は「高木仁三郎が生きていたら推進派はやっぱりボコボコにしたと思うよ」という記事にて、この世にいない高木仁三郎氏にのみ敬意を払う石井氏の姿勢を疑問視したが、当の石井氏自身が「文化大革命の軽い奴」を煽動することになった。

今回の騒動は10数年前の『国が燃える』連載中止を思い起こさせる。結局南京事件はあり、無かったと言い張るのはbuberyのような「メルトダウンじゃないだす」に同調した右派位のもので(証拠、ちなみに彼のナチに対する姿勢も疑問な材料もある)、議論の対象は大分前から犠牲者数に移行している筈である。東中野修道は訴訟で改ざんを指摘され、日本南京学会は私的団体の域を超えられず瓦解した。それが現実である。

さて『美味しんぼ』騒動である。ネットユーザーには騒ぎを起こす体質は以前からあった。主にTwitterでブームとなっている反反原発派が良い見本である。まとめには相手をすぐに「獲物」呼ばわりし、面白けりゃそれでいいという態度が垣間見える。数名のTLを追うと一日中そういう行為に明け暮れている。軍事クラスタとかな。

私は、連載の続きがあることが分かっている時点で雁屋氏を難詰したり、擁護するのは時期尚早だと思った。批判が時期尚早だと思ったのは、最初に騒ぎになった回では医者が鼻血の効果を否定しているシーンがあるからである。また、擁護に関しては、雁屋氏の過去の言行を見る限り、放射能原因説を支持する可能性も予測出来たので、「雁屋氏は放射能の原因ではないと思ってるかも知れない」といった、余りに都合の良い忖度はどうかと考えていた。だから、「まぁ次の回次第だな」程度が私には妥当な線だったのだ。

ちなみに、私も震災後福島には何度も行っており、飯館村で舞い上がった埃を浴びたりしてるのだが、鼻血は出ていない。だが、井戸川氏は発災時から現地で避難を指揮していた。受けた放射線量は桁のレベルで異なるだろうし、ストレスも一般の避難民以上であると推測出来る。

しかし、最近の井戸川元町長への批判は度を越しているように思う。例えば、事故後体調がおかしくなったといった話はアーニーガンダーセン『福島原発事故 真相と展望』(2012年)にも書かれている(ガンダーセン氏の本には鼻血の件は出てこないが)。同書は新書だが、内閣のお偉方まで参戦する程のバッシングは受けていない。偶々別の理由で再読していたのでこの本を例示したが、多分、そういう話を書いているのはガンダーセン氏だけではないだろう。

また、その手の批判Tweetは後日時間があれば代表例をアップするが、電波電波と連呼する割に、井戸川氏がどのような人物であったかは全く知らないようだ。

井戸川氏は、震災前原発増設を歓迎していた。その証拠が下記の記事である。

Energyforum200904_2_3

「福島原発増設を信じた「双葉町」が陥った落とし穴」『エネルギーフォーラム』2009年4月号

さて、この件は何を教えてくれるだろうか。次の可能性が考えられる

  1. 反反原発派は双葉町が抗議した事実に便乗したいので、津波対策等々に無関心なまま増設話に傾斜していたかつての町の姿や大熊町議会が安定ヨウ素剤の戸別保管を議論したのに不採用のままにした事実など無かったことにしたい
  2. 反反原発派は基本的に原発推進=科学的と思っているので、彼等から見て「放射脳」である井戸川氏が「科学の粋を集めた安全性の高いABWR」推進派であった事実を無かったことにしたい
  3. 反反原発派はそもそもネットで面白おかしく騒げれば満足なので原発が無ければ食べていけない事実上消滅した町に興味が無い。どうせゴミ置き場にする予定だし爽快感さえ得られれば大満足

3辺りは「死の町」と述べた反対派を吊し上げにしていることからも伺い知れよう。放射線の影響を軽く見積もったとしても、無人で荒れるがままに放置されたゴーストタウンは「死の町」以外の何物でもなく、経済的な価値も全て毀損されている。下らない揚げ足取りで吐き気がする。私も反対派にしばしば過剰な放射線リスクを煽る風潮があるのは知っているが、「死の町でないならお前が双葉町の高線量地帯に住んでみろ」という反感を覚えた。

そもそも、記事中にあるように、為政者としての井戸川氏は極めてまともで優秀だったのだ。増設は歓迎していたが、井戸川氏の前の代の町長、岩本忠夫氏時代に見られた増設目当ての大型事業などは次々に見直しし、赤字自治体からの脱却を図っていたのである。電源三法交付金さえ貰えれば安泰であるかのような景気の良い発言を良く聞くが、与えられた財源と機会に対してどのように対峙していくかは、その町村の政策も大きく影響する。要は、岩本時代はお金を使い過ぎたのだ。また、インタビューにあるように、仮に増設が実現しても過去のパターンの繰り返しを避けようと原発依存脱却への努力も重ねていた。そういった努力については『世界』2011年1月号の葉上太郎の記事に詳しい。なお、事実関係の描写において、業界誌の『エネルギーフォーラム』と『世界』の記事で差異は殆ど無かった。双葉町の赤字から震災前の両派が何を読み取っていたかを考える上でこの相似性は興味深い。

以前も書いたことだが、増設話の挫折に関してTwitterの反反原発派は徹底して避ける傾向にある。そもそも知ろうともしていないのかも知れないが。これは浪江小高原発の建設中止に至る経緯と並んで非常に都合の悪いエピソードなのだ。元々は、岩本時代の1991年に「誘致」決議をしたことから始まる。

なお、岩本氏も元々は社会党系の反対運動家として名を売っていたが、1985年の町長選では原発容認派に転じて初当選を果たした。反対派時代には真偽のはっきりしない噂話を信じ込み、県議を辞任する騒ぎも起こしている。いわば「放射脳」的なエピソードにも事欠かない。少し調べればこんなことはすぐに分かる。田原総一朗が70年代に出版した『原子力戦争』にも描かれるくらい、原発と社会の歴史では有名な話なのだ。その調べ物を徹底してしないのが反反原発。情報弱者振りを露呈しているとも言える。

岩本氏については震災前の『政経東北』バックナンバーほぼ全てや新聞各紙記事をELDBで調査、DBに登録の無い福島民報は縮刷版で調べもしたが、擁立するに当たって、双葉町民が彼の「放射脳振り」を「科学的に転向」させたという話はついぞ聞いたことが無い。当選後は地元マスコミ・業界誌にしばしば登場するようになった岩本氏は、過去の姿勢について

「あのころの第一原発一号機はトラブルが多かった。立地町民そして県民の生命、財産を守る立場から数多く質問したのは事実だが、それを反原発とみるか安全重視とみるかは勝手ですが…。十年以上の歳月が流れ、原発立地町も増え、安全性もグンと高まっていると思う

記者の目「「反原発」返上した岩本・双葉町長」『エネルギーフォーラム』1986年9月

と述べるにとどまっている。残念ながらこの言葉は科学的とは言えない。彼は津波について質問したという話を聞かないし、放射線の位取りを間違えた質問も行っている。安全性向上は改造を繰り返した事実を見れば確かにあったろうが、本来必要なレベル、方向性(防災対策)で抜けがあったのは明らかだ。大体彼が元々居た団体名は「双葉郡原発反対同盟」なのだから「安全重視」は、反対運動の存在が結果として電力にそのような軌道修正を選択させることはあっても、字義通り読めば一種の詭弁である。

そういう過去を現実政治としてなあなあで容認したのが双葉町民である。結局は科学ではないのだが、反反原発の頭の中にはそういう黒歴史はこれっぽっちも無い。これっぽっちも無いということは、反反原発の建前論やしたり顔で反対派に投げつける「もっと勉強しろ」といった発言の数々が、実は表面的なものでしかないことを示している。

井戸川氏は『政経東北』2008年3月号で中越沖地震に関して次のように答えている。
Seikeitouhoku200803 当時は手を差し伸べる側であり全体として余裕も感じられるが、特にこの部分に注目したい。

原発を稼働していくうえで、最も優先すべきなのは『安全・安心』のはずです。安全より経済性を優先するというのは、決してあってはならないと思います。電力会社と信頼関係を築いていくためには、まず電力会社が原発を安全に運営できるという実績をつくる必要があり、その実績を見て、われわれも信頼できる会社だと判断することが出来ます。

鼻血の件を鬼の首を取ったように暴れている面々の中には東電の責任をひたすら免責しようと論陣を張っていた者がいたのを思い出す。しかし「経済性」のために僅かな対策費を理屈をつけてケチるという、正にマンガ的な行動が白日に晒されてしまったのが現実だろう。今はただ、ため息しか出ない。

※5/12夜追記
【福島県が自信を持って地元町村に薦めた「科学マンガ」】他

朝にブログ記事をアップした後、遂に福島県も過剰反応し『美味しんぼ』批判を始めたようだ。よろしい。そういうことなら、福島県があの描写にそのような非難をする資格があるかどうか、次の3つのエピソードを踏まえて読者の方にも考えていただきたい。

まずは、かつて地元住民向けの広報誌に掲載していたマンガを見てみよう。

Atom_fukusima_199011p10

Atom_fukusima_199011p11

※出典:「原子力発電所はなぜ海岸にあるの?」『アトムふくしま』1990年11月号P10-11

これが福島県の望む公平で科学的なマンガであった。福島県はこうしたマンガやポンチ絵を数多く配布したが、そのことについて検証したという話を寡聞にして聞かない。

2番目に取り上げたいのは、事故発生時に起こった、ある醜悪な事件である。県立医大が医療従事者に認められている安定ヨウ素剤服用の権利を濫用し、こっそり学生と近親者にまで配って庇いたてた上、長期間沈黙していたのだ。地元住民には服用を指示せず、与えられたのは安全だと信じさせるための情報ばかりだった。本当に健康に問題ないレベルだったとしても、シビアアクシデントでは事態がどう進展するかは予断を許さない。予防服用が常識である。

あれ以来私は、県の関係者を軽蔑している。石井孝明氏のような反反原発派は『プロメテウスの罠』を単なる電波本だと中傷しているが、プロメテウスの罠はこの問題をきちんと報じ、当時招聘された山下氏がいい加減な予想を立てて外した姿を含め、その欺瞞も衆目に晒している。マスメディアとして一応すべきことはやっていると言えるだろう。

最後に取り上げたいのは『原子力と冷戦』に載っていた話で、県の職員が内部メールであっさりバイアスに沿った答弁を準備しようとしていた件である。

筆者はビキニ米核実験等の調査研究でストロンチウム90が、とりわけ成長の激しい子どもたちに蓄積されやすいことを分析した報告を見ており、証拠を残すために(中略)福島県議会議員が県議会にて乳歯の保存を訴えた。ところが、『毎日新聞』2012年12月19日付の報道によると、福島県庁の「県民健康管理調査」検討委員会担当者が、筆者のことをさして「反原発命の方の主張だからこの質問には乗る気にならない」という以下のメールを「県民健康管理調査」検討委員会あてに送って情報収集していた。

各委員様 健康管理調査室〇〇

明日から開会の9月議会の質問で、自民党柳沼淳子議員から「将来的な、ストロンチウム90の内部被ばくの分析のため、乳歯の保存を県民に呼びかけてはどうか?」という質問があがってきています。このままだと、「専門家の意見も聞きながら検討してまいりたい。」といった答弁になりそうですが、現在の状況を踏まえると、あまり意味はないといった知見・情報はないでしょうか?質問議員ではないですが、反原発命の方の主張でもあるようで、あまり乗る気になれない質問です。情報があれば至急お願いいたします。

高橋博子「封印されたビキニ水爆被災」『原子力と冷戦』P138-139

著者の論文はビキニ実験の被害者を追った内容であるが、こういったあらかじめ結論を決めてからその結論に沿った権威を探す方法は半世紀前にも見られたとのことだ。科学を扱う者には不向きな態度であると言える。というか、呆れて物が言えない。その福島県がどの口で両論併記を行った漫画家を非難できるのだろうか。

5/14夜追記:沢山アクセス頂き「過去の井戸川氏がどうあろうと」他反論も幾つかあった。私としては、
①(不当な)言論封殺の問題の他に
②町民を含めて科学ではなく党派性で判断をしている人が沢山いる
③批判する側の「科学」もデタラメが混じっており、県の責任は重い
といったことも言いたかった。

また、原発立地町は昔から放射線の「科学的教育」も盛んである。井戸川氏もそうしたパンフレットは見て来ただろう。しかし過去チェルノブイリ甲状腺がんの歴史と教訓(当初の被害予測が過小だった)や「汚染水はコントロール」みたいな話もあり、現時点でエビデンスが揃って無くても10年オーダーの目で見ないと結果は分からないということだ。

「熱が下がらないのでインフル」「鼻血だから放射能」の類が極端になるとEM菌やらに行きつく問題を知らない訳ではない。だが、水俣などを引き合いに出す人はある種の歴史パターンから判定しているのであり、そうした見方を封殺するのは流石に間違いだが、「放射脳」レッテルは「法敵」全般に乱発される。参考として、東電が事故調報告を出した際どれだけ不都合な情報を黙っていたかは東京電力福島第一原子力発電所事故の各記事を参照して欲しい。放射能絡みの話は少ないが、権威を盲信することの問題はここからも理解出来ると思う。

あの県は広いので県内での人口移動も多く、県外への転出で人口も減っている。南相馬の道の駅で入手した観光案内には子供だけ避難させている親が出ていた。一見危機感を感じてるようだが自分自身までは移動しない中間的なタイプでもあるということだ。月並みだが脱原発志向が強い他は、県民の考えもばらつきがあるとしか言いようがない。

2014年5月 7日 (水)

小林健三郎が選んだ「原子力適地」-中部電力浜岡原発などは除外-

前回記事で小林論文第4章では適地性の研究を行なっており、立地点を73ヶ所選定していることを述べた。

沢山ある市町村の中から小林氏はどのようにして73ヶ所に絞込みを行なったのだろうか。

(2)原子力適地と市町村数
わが国の沿岸は古来から農・漁業を中心とした集落が数多く点在し、かつ道路鉄道などもおおむね海岸線に沿って布設されているため、海岸線に広大な面積を求めることは容易ではない。

まず海岸線を有する市町村の数633からその市町村全体が人口密度、国立公園、地質、海岸形状、鉄道敷設状況などにより原子力適地として条件を満たさない市町村を漸次除くと表4.6.1のとおり141市町村となる。

この内訳をみると、海岸線を持つ市町村数633のうち人口密度の制約により半数以上の60%近い市町村が、さらに市町村全体が国立公園に位置するものを含めると約70%の市町村が不適となり、このほか地質条件、海岸形状、鉄道敷設状況などの制約を入れると、原子力適地として条件を満たす市町村数はわずか20%程度(141市町村)が残されることとなり、わが国沿岸の原子力適地の選定範囲がかなり制限されることが判明した。

この結果を図4.6.1に示す。

(3)原子力適地の選定
これら141の市町村内に立地し得る地点数のうち人家が敷地内に10戸以内の地点数は291ヶ所あり、これらの地点のうち

  • 国立公園内に位置するもの11ヶ所
  • 地質が適さないもの9ヶ所
  • 湾奥に位置しているもの39ヶ所
  • 鉄道が用地内を通過しているもの14ヶ所
  • 基盤最大加速度が350galを越えるもの20ヶ所

など原子力地点として適さないものを除くと表4.6.2のとおり最終的には73ヶ所の原子力地点が選定される。

この他、人工島地点4ヶ所を含め、計77ヶ所の原子力適地の分布を図4.6.2に(中略)示す。

Kobayasi_kenzaburo1971_tab4_6_12

「第4章 原子力発電所の適地性の評価に関する研究」『わが国における原子力発電所の立地に関する土木工学的研究』1971年

とりあえず、今回の記事で必要な部分を引用してみた。

ここから分かることは、南東北から九州北部までの全ての海岸沿いを対象としていたことである。上記に政治的影響は一切加味されていない。ここでは省略するが、対象外となった北東北以北などは系統連系や当該地区での電力需要などを検討した結果である。また、沖縄は返還直前である。

さて、本文中で触れている図4.6.1を示す。

Kobayasi_kenzaburo1971_fig4_6_1 続いて図4.6.2を示す。

Kobayasi_kenzaburo1971_fig4_6_2
地点番号も書き下してみよう(※内は実際に建設済或いは計画のあった発電所)。

1宮城県歌津町一ツ森
2宮城県雄勝町峠岬
3宮城県女川町・牝鹿町小屋取※東北電力女川原子力発電所
4宮城県牝鹿町小淵
5福島県新地村大戸浜※相馬共同火力新地発電所
6福島県相馬市蒲庭
7福島県双葉郡浪江町小高町棚塩※東北電力浪江小高原子力発電所(計画中止)
8福島県双葉郡双葉町大熊町長者ヶ原※東京電力福島第一原子力発電所
9福島県双葉郡富岡町楢葉町毛萱※東京電力福島第二原子力発電所
10福島県いわき市八崎
11茨城県北茨城市平潟
12茨城県十王町貝浜
13三重県南島町丸山
14三重県南島町紀勢町芦浜※中部電力芦浜原子力発電所(計画中止)
15和歌山県日高町阿尾※関西電力御坊火力発電所
16兵庫県南淡町白崎
17徳島県阿南市黒神※四国電力阿南発電所あるいは橘湾発電所あるいは電源開発橘湾火力発電所
18徳島県由岐町日和佐町木岐
19徳島県牟岐町灘
20高知県東洋町河内
21高知県室戸市鹿岡鼻
22高知県須崎市大崎
23高知県須崎市小島
24高知県窪川町興津郷
25高知県大方町坂本
26高知県土佐清水市狩津
27高知県土佐清水市千尋岬
28高知県大月町朴崎
29高知県大月町浅倉崎
30愛媛県城辺町黒崎鼻
31愛媛県内海村津島町由良岬
32愛媛県津島町尻貝
33愛媛県三崎町瀬戸町釜木※四国電力伊方発電所
34愛媛県長浜町沖浦
35愛媛県土居町仏崎
36大分県国見町住吉崎
37大分県臼杵市小縞代
38大分県米水津町汐吹鼻
39大分県浦江町高山
40熊本県水俣市茂道
41熊本県津奈木町帆住崎
42熊本県本渡市戸崎
43熊本県有明町美ノ越
44佐賀県太良町道越
45長崎県西海町釜敷山
46長崎県平戸市立石
47長崎県平戸市田浦
48佐賀県玄海町値賀崎※九州電力玄海原子力発電所
49福岡県志摩町小金丸
50福岡県岡垣町湯川
51山口県豊浦町観音崎
52山口県豊北町矢玉
53山口県日置村今岬
54山口県長門市柴津浦
55山口県須佐町高山
56島根県益田市魚待の鼻
57島根県温泉津町温泉津
58島根県平田市十六島鼻
59京都府丹後町犬ヶ岬
60京都府伊根町本庄浜
61京都府宮津市長江
62京都府舞鶴市金ヶ崎※対岸の松ヶ崎に関西電力舞鶴発電所
63福井県高浜町高浜※関西電力高浜発電所
64福井県大飯町鋸崎※関西電力大飯発電所
65福井県小浜市西小川※1960年代、原子力発電所誘致運動が存在、以後断念
66福井県三方町常神
67福井県越廼村
68石川県富来町赤住※北陸電力志賀原子力発電所
69石川県富来町海土岬
70石川県輪島市三子浜
71石川県穴水町鹿波
72新潟県柏崎市大湊※東京電力柏崎刈羽原子力発電所
73新潟県岩室村獅子ヶ鼻※近傍に東北電力巻原子力発電所(計画中止)

I福島県いわき市小浜沖
II千葉県飯岡町上永井沖
III千葉県岬町下沖沖
IV千葉県大原町岩船沖

上記では発電所は併記したが、火力発電所の歴史を紐解くとコンビナートなどと競合しているものが見受けられる。従って、現在発電所ではないが、大規模工場やコンビナートの敷地に使われているものがあるかも知れない。

政治的観点が除去されていることは既に公害問題が表面化していた水俣市が候補となっていることからも分かる。住民感情を考慮すれば、当時としてもあり得ない選択肢である。

また、東京電力管内から遠すぎる(人口の疎な)地域を外したにもかかわらず、経済的観点から見ても四国島内に過剰なほどの「適地」が選定されている。

現在とは大字等が異なる「適地」もあるが、地名と災害研究の観点からも、原発黎明期の工学レベルを推し量るのに有力な材料を残している。「ご当地の適地」を見つけて省察してみるのも良いだろう。

火山学的視点からも色々見えるものがあるだろう。例えば雲仙周辺地域に「適地」を求めてもいる。当時の専門誌にはしばしば第四紀層や埋立地、人工島への立地を検討したものがあるが、それを現実に応用することを視野に入れるとこういった網羅性の高い調査に「適地」として上がってくる。小林健三郎は使用した情報源を明らかにしているが、国土地理院の地図や理科年表を基礎資料としている。当時の知見で「休火山」「死火山」と判断していたがその後活火山に格上げされたものがあれば、「適地」に含まれている可能性が高い。性急に開発を進めた場合、何が起こるかを考えると薄ら寒いものがある。

当然、ここに出てこない立地点を挙げていくと興味深い。

例えば計画に終わったものとしては関電日置川などが挙げられる。小林氏は不適と判断していたことになる。現状で計画段階に留まっている例としては上関があるが、やはり不適と判断されている。

現実に所在する原子力発電所では島根原子力発電所は地点番号58に近いが、図4.6.1と照らし合わせると人口密度問題から外されている。以前から県庁所在地に近すぎることが問題視されてきたことを想起させる。同じ問題は東海第二にも当てはまる。

そして、最も問題なのが浜岡原子力発電所である。図4.6.1には地質不適の黒線が御前崎に走っている。人口密度も高い。ここでいう地質不適は基盤加速度350gal以上を指し、活断層の認定で決めているわけでは無いとは言え、東電の立地担当者が浜岡地点を不適にし、芦浜地点を残しているのが何とも興味深い。芦浜が当時の知見ではベストな選択だったことを如実に示している。しかし、反対運動に遭って1968年、浜岡への立地が公表されることになった。

人口密度の点からすると、島根や浜岡、東海第二は1960年代に議論された「都市接近問題」で提示された防護度の高い設備構成が必要だった筈だ。勿論、現代ではそれも殆ど否定だろうが、当時の推進派の目から見てもそうしたものは必要だったことが理解出来る。

なお、4章の概要版として「我が国における原子力発電所適地の展望」『土木学会誌』1972年2月が存在するが、上記のような選定基準も抽象化され、具体的な除外理由を書き込んだ図4.6.1や適地の具体的な住所一覧は省略された上で掲載されている。しかも当該号の特集名は「特集・原子力発電所のよりよき理解のために」となっている。

また、時系列上では博士論文が先に完成しており学位授与申請は1971年の2月に行なわれたと思われ、そこには(雑誌)掲載予定として本論文も土木学会誌1972年1月号に掲載予定であった。それにも係わらず、実際に土木学会に掲載された記事の末尾参考文献欄には(既に完成していた)博士論文の名前は無く、投稿予定とも書かれていない(きちんとした研究者は未発表論文でも予定しているものは書く)。

このことは、学会誌、専門誌に投稿される論文のバックには常に(例えば社内研究会向けの)ロングバージョンが存在している可能性を示すものである。

2014/5/24追記:小林論文の新たな読み方-原発訴訟との関係性-
上記本文は科学史的な眺め方だったが、今日、たまたま『原発と地震―柏崎刈羽「震度7」の警告』(2009年1月)を読み返してみて、上記適地性の研究に対して新たな感想を抱いた。

1970年代の建設期、福島第一に対して設置許可取消等の訴訟は起こされなかったが、第二に対しては起こされた。その時の記録が震災後『福島原発設置反対運動裁判資料』としてクロスカルチャー出版から出版された。私はこの本を図書館で調べたが、福島第一を例に様々な問題点を掘り起こそうと苦心した跡が見られる。しかし、その中に小林健三郎氏の博論や雑誌投稿論文は無い。

1970年代当時は伊方、柏崎刈羽などでも訴訟が起こされていた。もしこの時、各訴訟の原告が小林論文にアクセス出来ていたらどうなっただろうか。今になって考えてみるとこの思考実験は興味深いものだ。

小林論文が与えたのは、「閾値の選択」と「適地性」の具体的な思考過程であり、何処で割り切りを行なったかという工学的判断の根拠である。特に後者が公になっていた場合、不適とされた地点の反対派は勢いづき、訴訟でも当然参考資料として提示されていただろう。所謂リベラルな判決を下す裁判官ではなくても、電力側に対する心証は大幅に悪化し、判決文での補論や但し書きなどもかなり厳しくなったのではないだろうか。 

大分時は下るが同じことは2002年に「浜岡原発とめよう裁判の会」が提訴した浜岡原発訴訟にも言える。2007年10月に地裁判決が出され原告は敗訴したが、判決の根拠は2006年に耐震設計指針の新指針が出て、且つ2007年夏に中越沖地震が発生したにもかかわらず、旧指針を基準としたものであった。言い換えれば裁判官は古い設計思想で判断した。しかし、この時に原告が小林論文の存在を知っていたら、この論理も苦しくなっただろう。小林論文は耐震設計指針ではないが、古い思想で書かれているという点で共通性があるからだ。

上記の感想は、元々原発問題に慣れている人達に取っては直ぐに気が付くことだと思われる。思考実験を進めると、2014年5月に大飯で得られた初めての原告勝訴が、もっと以前に得られた可能性、旧式炉の廃炉や危険な地点での増設阻止が実現した可能性、訴訟対抗策としての安全対策が早期に進展した可能性などが考えられる。いずれにせよ、福島事故を思うなら問題の「好転」と捉えるべき材料だ。積極的な(自主的アナウンスを含めた)情報公開が問題解決を促進したであろうことは容易に分かる話である。

現在ではメジャーテーマに成長した活断層問題だが、『原発と地震―柏崎刈羽「震度7」の警告』P87-88によると、1970年代は添え物のような扱いだったらしい。小林論文では判断材料になっているのでこの描写は若干疑問もあるが、活断層に対する評価が厳しくなる切っ掛けとなった阪神大震災以降ほどではないのは事実だろう。

同書P76によると柏崎刈羽では1974年8月新潟日報が「1号炉真下に断層 新潟大教授が断定」と報じたのが最初である。更に同書P101,P152等の記述によると、柏崎刈羽1号機の設置許可申請が出され原子力安全委員会でも審査されたものの、政治的影響について懸念された時期に作成された1号機の議事録だけが保管されておらず、後年東電の保管庫から写しが見つかったという。同書はこうした事実の積み重ねから、東電の閉鎖的な姿勢を強く批判している。また同時期の伊方の審査資料から訴訟の行方に重大な関心が寄せられていたことも明らかとしている。特に、印象に残ったのは次の証言だ。

そもそも、審査に参加した専門家は、原発の立地点を本当に適当だと思っていたのか。垣見(俊弘。多くの原発審査を担当した地質専門家)は正面から答えず、「本音を言えば、適地を選べるなら選ばせてもらいたい」と立地候補地決定後にしか審査できない歯がゆさを滲ませた。

『原発と地震―柏崎刈羽「震度7」の警告』P97

幸か不幸か、小林論文で対象とした東電の原子力地点は全て適地と判定されている。しかし、新潟日報の記事が3年早く世に出ていたら、博士論文は申請されず、闇に葬られていたか、大幅にプアーな内容に削られていたかもしれない。例え東電に影響が無かったとしても、様々な協議会を通じて他社との付き合いは深いし、小林論文に続く電力側からの詳細な適地性研究も見かけない。私自身、相当調査してもリサーチ能力に限界は感じるが、そういった類の研究は社内の限られた部署だけで回覧され、外には出ていないのだろう。

小林論文は面白い。過去の原発問題本に書かれた問題意識や出来事を再確認することで、新たな読み方が出来る。追記冒頭で「割り切り」「工学的判断」と書いたが、それらが明示されると、問題の焦点は理系的な領域を離れ文系的な領域に移行するとも受け取れる。私は法学は素人であるが、上記のような方向で検証してみることもその一例であり、プロによるより深い考察が必要と確信する。

追記2014/6/4:本文で「ご当地の適地」と書いたが全国を調査対象としたことで、小林氏本人や東電の能力も容易に測し計ることが出来るようになった。

例えば、太平洋岸適地の敷地高を一律10mとしているが、宝永4年(1707年)の津波は高知県沿岸で最大20m、安政東海・東南海連動地震では、10mの津波高を記録しているとされる。小林論文は資料調査にかなり気を配り、小林氏当人も現地を踏査して歩いていることから、論文作成当時に知ることが出来なかったとは思えない。多分、当時の津波カタログの類にも載っていると思う。現に小林氏も以前の記事で紹介したように「高い津波の発生する熊野および土佐沖に面する沿岸では地点選定にあたって湾奥部をさけ、比較的直線海岸を選定するので、太平洋岸沿いの最大津波高は6m程度」としている。

しかし、津波に対する条件が厳しくなれば高知県沿岸の適地数は更に減るのではないだろうか。少なくとも22番や23番は津波被害を何度も受けてきた須崎市内であり、同市は宝永津波で10m以上の記録が残っているので例え外海に突き出した地点を選定したとしても非現実的であると思う。小林論文からは大分後だが、著名な津波学者、都司嘉宣氏は次のように書いている。

宝永津波が巨大であってことを示す例として、高知県須崎市の神田諏訪神社の流失記事を挙げておこう。明治の初期に、高知県の神社の調査が行われ、「高知県神社明細帳」というかなり分厚い報告書が作られた。その中の各神社の記録を見てみると、しばしば「宝永の亥年の大潮に流失」というような記載が見られる。その神社が宝永地震の津波によって流されたという記録である。須崎市の神田(こうだ)、すなわち江戸時代の神田村赤ハケの諏訪神社が流されたという記載も、そのうちのひとつであった。数年前、須崎を訪れる機会を得て、神田の諏訪神社があったという赤ハケの現地を訪ねてみた。(中略)その標高は海抜17メートル。ここで神社が流されたというのであるから宝永の津波はこの付近で標高18メートル以上の所にまで達していたことになる。宝永地震の津波の巨大さの一端を示すものであった。

3.津波災害の歴史から現代を見る-南海地震の津波災害-」『消防科学と情報』No.74(2003.秋号)

南海地震津波に関する古文書の活用は1970年代の専門誌『地震』でも取り入れられていたので、小林氏や電力が集められない情報とは思えない。どうしても繰り入れするなら、高知県沿岸の敷地高想定を10m以上にして立地費用を算出しなければならない筈だ(今回の記事では載せなかったが小林論文では各適地の費用比較を試みている)。しかし実際には高知県沿岸は多数の適地が選ばれる結果となっている。精査は必要であるが、小林氏本人はもとより、協力した東電の技術者、土木コンサルタント、査読した京都大学関係者も含めて、津波に対する意識が甘かったのではないかと考えられる。

ここでは高知県須崎市の例を示したが、女川サイトも同様の評価ミスをしていることを付け加えておく。

2014年5月 6日 (火)

東電事故調が伝えない事実-津波に対する考え方を整理出来なかった小林健三郎-

当記事は「500Galの仕様も検討したのに実際は値切られた福島第一原発1号機」の続編である。なお、当記事で主に取上げる「小林論文」は既に「東京電力は非常用ガス処理をどのように考えてから福島第一原発を建設したか」でも引用している。

【要旨】
○東電事故調は僅かな費用追加で敷地高の引き上げが可能だったことを示す試算を黙殺した。
○福島第一の主要設備敷地高は10mと4mの2段階である。しかし、小林健三郎の残した論文により、敷地高と津波に関する設計思想が長年整理されていなかったことが確定した。
○にもかかわらず東電事故調は敷地高について恣意的な比較を行って正当化を試みた。
○津波以外の波浪の脅威に関しても、考え方は未整理だったと思われる。

【本文】
【『土木施工』の記事を報告書で参照したのは東電事故調だけという薄ら寒くなる現実】

小林健三郎の書いた論文を精読すると改めて気付かされる点が多い。敷地高への考え方もその一つである。

まずは、私なりの目線でこの件の情報提示をおさらいしたい。建設時の地盤高設定経緯の説明について、東電事故調はある意味では誠実だった。何故かといえば『土木施工』の投稿は専門誌記事の中では最も詳細に根拠を述べたものだからである。

②建設当時の考え(専門誌掲載)
福島第一原子力発電所建設について、専門誌「土木施工」(12巻7号;昭和46年7月1日)に当時掲載された内容から発電所敷地地盤高の決定経緯の要旨を以下に記載する。

・ 発電所敷地の地盤高は、波浪及び津波などに対する防災的な配慮とともに、原子炉及び発電機建屋(タービン建屋のこと)出入口の高さ、敷地造成費、基礎費、復水器冷却水の揚水電力量などがもっとも合理的で、しかも経済的となるように決定する必要があるとしている。
・ 当地点付近の高極潮位は小名浜港において、O.P.+3.122m(チリ地震津波)であるので、潮位差を加えても防災面からの海水ポンプ等を設置する敷地地盤高はO.P.+4.0mで十分であるとしている。
・ 一方、地質条件より原子炉建屋の基礎地盤高をO.P.-4.0m(復水器天端高O.P.+9.8m)と決めたため、原子炉建屋の出入口との関係から、主要建屋が設置される発電所敷地地盤高は1号機ではO.P.+10.0mが好ましく、2号機以降分は基礎地盤高を調整すれば、1号機の敷地地盤高に原子炉建屋出入口を揃えることができるとしている。
・ 主要建屋が設置される発電所敷地エリアの敷地造成に必要な掘削費、O.P.-4.0mの基礎地盤までの建物基礎掘削費及び進入道路の掘削費の合計額が経済的になるのは、O.P.+10.0m付近になるとしている。

同様に、専門誌「土木技術」(昭和42年9月号)の「福島原子力発電所 土木工事の概要(1)」において、敷地の地盤高は基礎の地質状況、土工費及び台風時の高波及び津波に対しても十分安全な高さなどを総合勘案してO.P.+10.0mを決定したと述べている。

「3.4 地震への備え(耐震安全性評価)」『福島原子力事故調査報告書 本編』P28-29

私が見聞したところでは、東電から資料の提出を受けた事故調は『土木施工』記事を把握していたらしいのだが、東電の協力を受けられなかった民間事故調を含め、報告で提示している事故調は東電事故調のみである。また、原子力学会事故調は東電事故調より1年半以上も後に最終報告しているため容易に知ることが出来たにも関わらず、この件に無関心であり、肝心な部分で先行調査を参照しないなど独善性を感じる。

【敷地高の試算を黙殺した東電事故調】

しかし、東電事故調の提示の仕方には2つの問題がある。

①『土木施工』記事を恣意的に引用し都合の悪い図を省略した。

この点は2013年8月末、コロラド氏がツイートしており下記のTogetterにまとめられている。

「原子力、”自分の言葉”で語ろうよ」の前に、まさに自分の足下(敷地地盤)を見極めてほしかった。

ポイントはここだ。

Dobokusekou197107_fig8 @BB45_Colorado
更に、図8にみられるように、工費が極小となる敷地地盤高さを10mと算定している。なお、敷地高さを15mとした場合の工費増は一億円強と読み取れる。女川では東北電力が伝承なども考慮して敷地高さを増し、それによって破壊を免れたことはよく知られている。
@BB45_Colorado
福島第一原子力発電所1号炉の建設費は400億円弱であり、敷地を5m嵩上げするのに要する費用は、その0,3%程度であったことは注目に値する。
@BB45_Colorado
45年程昔に1億円ちょい、今の貨幣価値では15~20億円程度のお金をケチったことで、福島第一原子力発電所は爆発したと考えることが出来る。

『土木施工』の記事はコロラド氏が指摘するように僅かな追加費用で敷地地盤を引き上げすることが可能だったことが読み取れる。事故調査に当り重要な点だが、上記の東電事故調説明文にこの図は掲載されていない。読んでから執筆したのが明白であり、恣意的な操作と言える。勿論、技術倫理上問題である。

また、地盤高は「建設当時の考え(元社員ヒアリング)」「建設当時の考え(専門誌掲載)」と2種類の方法で当時の情報を得ているが、ヒアリングに応じた元社員の証言にも上記の欠陥を補う内容は無い。社員当人が証言していないのか、東電事故調により黙殺されたのかは不明である。もっとも、黙殺されていた場合、その元社員は異議を唱えることも可能だった筈である。

※ネットと主要メディアを観察していて失望したのは、原発推進派・反対派共に『土木施工』の記事をチェックした上でのレビューが見当らなかったことだ。何冊か出版された事故調比較本でも同様である。東電側が時間稼ぎを意図していたとすれば、大成功したと言える。まぁ推進派に関しては、今頃「情報は公開されている」と叫んだところでばつが悪いだけの話である。読んでいたら、とっくに話に出している筈。例えばTwitterでは2013年夏頃に敷地地盤の話が一部で盛り上がってまとめも複数作られたのだが、コロラド氏が提示するまで『土木施工』の件は一切言及が無かった。

【小林論文から読み解く敷地高への考え方】

東電事故調の書いた物を読んでいるだけでは分からないことはまだある。

②『土木施工』記事にはロングバージョンが存在した。

2014年のGWにアップした記事から徐々に参照をはじめているが、小林氏は『土木施工』に投稿した記事の内容を含めて、一つの大きな博士論文『わが国における原子力発電所の立地に関する土木工学的研究』を1971年にまとめている。この博士論文(前回からだが、小林論文と呼ぶことにする)は、2014年に報告を出した学会事故調を含めて全事故調が提示していない。メディアや個別ライターの事故検証本も幾つか参照したが見かけたことは無かった。小林論文では4章にて一般的な地盤高決定方法を述べ、5章で福島への適用事例を説明している。

4.4.4 発電所敷地の地盤高

発電所敷地の地盤高は波浪および津波などに対する防災的な配慮とともに、原子炉および発電機建屋の出入口のの高さ、敷地造成費、基礎費、復水器冷却水損失水頭などが最も合理的でしかも経済的となるように決定すべきである。波浪による敷地への越波は護岸構造物によって防護できると考えて、防災的に安全な地盤高は、さく望平均潮位に既往最大潮位偏差を加えた計画潮位と、さく望平均潮位にその地点で発生すると想定される最大津波高を加えた数値とを比較しいずれか大きい方の値であればよい。

個別地点の計画潮位を「海岸保全施設設計便覧」および井島、川上の論文により求めると太平洋岸では1.9~3.5m、九州沿岸では3~5m(道越地点は約7m)、日本海岸では0.8~2.0mとなっていていずれも変動幅が大きい。高い津波の発生する熊野および土佐沖に面する沿岸では地点選定にあたって湾奥部をさけ、比較的直線海岸を選定するので、太平洋岸沿いの最大津波高は6m程度とし、九州沿岸および日本海沿いの地点は津波高はそれぞれ2m、1mと考えれば十分である。これらの値にさく望平均潮位を加えた値は、太平洋岸で7.4~8.9m、九州沿岸で3.4~5.6m、日本海岸で1.3~2.2mとなる。したがって津波高よりの計算値が計画潮位より大きいので津波高から求めた値に余裕高を加え太平洋岸および九州沿岸の個別地点の地盤高は一率に+10m、日本海沿いでは+3mとする。

しかし個別地点の地盤を決定するためには上記のほか、
① 発電所建屋の出入口の高さと基礎の根入深さ
② 敷地造成費(道路掘削費を含む)と基礎掘削費
などの条件を入れて最も経済的な高さを求めるべきである。

① 原子炉および発電所建屋の出入口の高さは発電機容量および炉型によって異なる。いまBWR型発電機で容量が500MWと1,000MWの場合、発電所建屋の出入口から建屋基礎部までの根入深さはそれぞれ14mと20mとなる。したがって同容量、同型の発電機であれば地盤高と出入口との関係は問題はないが、福島発電所のように異容量の発電機の場合は余分の基礎掘削が必要となる。

② 敷地造成費および基礎費を最小ならしめるためには、それぞれの単価を用い総合工事費が最小となるような地盤高を求めればよい。この方法で福島発電所の敷地造成費と基礎費とを試算すると地盤高は+10mが最経済的となった。

復水器冷却水用ポンプの揚程を最小ならしめるためには、取水位と放水位の間にサイフォン効果をもたらせうるように復水器を据付ければよい。この条件を満足する復水器基礎高は地盤高にはあまり関係はない。

なお、敦賀発電所および美浜発電所の地盤高は+3m、東海発電所では+8mとなっている。

「第4章 原子力発電所の適地性の評価に関する研究」『わが国における原子力発電所の立地に関する土木工学的研究』1971年

なお、井島、川上の論文とは下記を指す。

井島武・川上善久「日本沿岸の海岸保全のための自然条件と海岸堤防の天端高算定について」『第9回海岸工学講演会講演集』土木学会 1962年10月

太平洋岸の津波高は一律6mとされているが、これについて小林氏は本論文を元に土木学会誌に投稿した下記の論文で次のように述べているので、あくまで「マクロ的」なものであり、直ちに個別地点に適用するための値ではない。

筆者は全国的な調査結果に余裕高を加え、マクロ的検討に用いる地盤高としては、太平洋岸および九州沿岸は一律に+10m、日本海沿いでは+3mとした。

「我が国における原子力発電所適地の展望」『土木学会誌』1972年2月号P7

今回は立入らないが、4章は全国から抽出した立地点候補地73ヶ所の立地費などを比較評価しており、太平洋岸の立地点を一律10mと設定している。福島は4章で唯一地盤高に対する説明がある個別地点で、先のマクロ的な視点で設定した値に対し、条件①②を加味して導出した個別地点の値として10mを参照している。それが上の文章の意味である。ポイントは福島地点の例を説明する際、小林氏が4mエリアではなく10mエリアの方を持ち出していることであろう。

「マクロ的にもとめた地盤高」に含まれる余裕も、後年よりマシなものだった。上記のように、最大津波高は6mと設定され、さく望平均潮位を加算した値の最大値は8.9mだが、地盤高は10mなので最も厳しい想定でも1.1mの余裕があることになる。個別地点のさく望平均潮位は明らかにされていないが、計画潮位は別途一覧化されている。通常は「計画潮位 >
さく望平均潮位」であり、一覧表を参照すると福島地点の計画潮位は1.9mであるので、余裕は10m-6m-1.9m=2.1mとなる。2000年代に東京電力は津波想定を建設当初の3.1mから5.7m→6.1mと引き上げていたが、対策工事で設けた余裕はcmオーダーで極僅かだったのと対照的だ。

続いて第5章の関係個所から引用する。「個別地点への適用例」として福島での経験を例にしている。『土木施工』記事の説明に対応するが、細部のニュアンスがより明確である。

地盤高

福島発電所の計画潮位は(中略)小名浜港のさく望平均潮位O.P.+1.411mに偏差を加えてO.P.+1.700mであり、またチリ津波によって記録された小名浜港の高極潮位はO.P.+3.122mであるので津波高に若干の余裕高を見込んだ標高を地盤高とすれば、波浪・潮位に対しても十分安全であるといえる。

一方地質条件から原子炉建屋基礎地盤高をO.P.-4mと決定したため、原子炉建屋の出入り口との関係からみると、地盤高は1号機ではO.P.+10mが好ましく2号機および次期増設分は基礎地盤高を調整すれば、この地盤高に原子炉建屋の出入口をおくことができる。

次に敷地造成費、基礎掘削費、進入道路費の関係から最も経済的な地盤高を求めた試算は図5.2.2のとおりであり、O.P.+10m付近が最低値となる。

以上の検討結果、波浪、潮位からみてもきわめて安全性の高い、しかも工事費も低廉となる地盤高をO.P.+10mときめたまた直高約20mある掘削法面を安定させるための法こう配と法面工法は、当発電所の年間降雨量・局地豪雨が少ないので、構内緑化にも役立つよう法こう配1:15の張芝(下段石垣積工)とした。

なおポンプ室地盤は高極潮位O.P.+3.122mに余裕高を加えO.P.+4.0mとし、ポンプ室間護岸天端には0.5mのようへきを取付ける設計とした。

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「第5章 福島発電所への適用」『わが国における原子力発電所の立地に関する土木工学的研究』1971年

【4mと10m、福島で設定された2つの地盤高】
これらの文章を読んでいると、福島地点は個別地点として眺めた時、4mと10mの2つの地盤高が設けられており、どちらに対しても津波への対応を考えていることに気づく。

  • 海岸沿いのポンプ室地盤:チリ地震を根拠に4m
  • 発電所本館周辺:「波浪、潮位からみてもきわめて安全性の高い地盤高」として10m
    ※ただし、発電所本館周辺は他の要素が影響している

では、敷地高10mの説明にある「波浪、潮位からみてもきわめて安全性の高い」とは一体何を意味するのだろうか。

常識的に考えればそれは「工学的安全施設」の設置条件に適用すべきものだろう。要するに「止める、冷やす、閉じ込める」に関連した機器にこの条件を提示するのであれば、それは一定の意味が与えられる。地震動対策の場合、前回記事でも触れたように黎明期から重要度に応じてクラス分けする発想が定着している。この考え方は問題点も指摘されているが、原則的にある機能を維持するのに必要な機器・部位は同じクラスに属している。もし、敷地高の設定方法に「重要度の高い施設はその他の設備よりも高さに余裕を設けて設置する」といった規定があれば、筋が通った内容となるだろう。

しかし、2段構えとなっている敷地高はそのような機能本位の設計思想が徹底されていなかった。例えば非常用ディーゼル発電機は工学的安全施設の動作に不可欠な機器である。本体は敷地高10mのエリアに地下室を設けている。一方、ディーゼル機関の冷却水をヒートシンクするためのD/G海水ポンプは敷地高4mのエリアに剥き出しで設けられている。

ここに4m以上10m以下の津波が来襲した場合、本体は被水しないが、ポンプは被水するため、建設時に設けられた水冷式のディーゼル機関は停止する。つまり、たとえ10m以上の津波を想定していなかったとしても、非常電源の機能保持を考えた場合には、ディーゼル機関用海水ポンプは10mエリアに設置するか、水密建屋、空気取込口のシュノケール化といった手段を講じて対10m仕様にしなければならなかった、ということである。10mと4mでは差が6mあるが、工学的安全施設に対しては「想定外に対する余裕」として位置付けすることが必要だった。

「実際には10m以上の津波が来たのに10m以下の話をしても意味が無い」と思われるかもしれないが、機能による割切りが不十分だったこともまた、問題なのだ。これは30年以上尾を引いている。例えば、建設時に原子炉建屋周辺の敷地高に15mを採用していたとしても、海水ポンプが4mエリアに剥き出しならそこに配置された重要機器は機能を失うということだ。敷地高に関して防災上一貫した設計思想が無いということは、そういうことだ。

小林健三郎氏は機能本位の設計哲学を津波に対して持つことは無く、考え方を整理出来ていなかったと言える。私は『土木施工』の記事だけでは判断することが出来ず、『土木技術』でも10mに対してのみ断片的に触れているだけだったので特に意識はしていなかったが、複数のテーマを一本に取りまとめた小林論文を読んで、この矛盾に気付くことが出来た。今思えば私は「10mの敷地高を津波が越えたことが想定外かどうか」に拘り過ぎていたし、敷地高を巡る議論では全体的にその傾向がある。

東電社内の膨大な設計図書類に何が書かれているかは知る由も無いが、これまでの社員・元社員達の証言からして、小林論文以降も設計思想としては大した進歩は無かったようだ。2002年に「原子力発電所の津波評価基準」が策定されて海水ポンプの嵩上げが実施され、想定津波5.7mに対応したが、機能本位に徹するならこの時、工学的安全施設やディーゼル発電機本体が満たしている10mで対策すべきだっただろう。2002年に至っても、東電の後輩達が小林氏と同レベルの設計思想に無意識に支配されていたことが分かる。

なお、非常用発電機は1990年代末に空冷式の発電機が10mエリアに設置された。このため、福島第一の非常用電源は一部が10m対応となったが、工学的安全施設からの最終ヒートシンクに必要な復水器の循環水ポンプRHR海水ポンプ等はそのままの状態だったし、既存の水冷式ディーゼル発電機も根本的な改造は無かった。これもまた、同様の思想を引きずった例である。

Pamp197202ura_ehara(『ポンプ工学』1972年2月号裏面広告より。剥き出しの循環水ポンプ。他の海水ポンプも津波に対しては大同小異の状況だったようだ。)

2014/9/30訂正
上記では当初、工学的安全施設(ATOMICAも参照)からの最終ヒートシンクに「循環水ポンプ」と書いたが誤記だった。今回のような地震・事故時は原子炉は主蒸気隔離弁でタービンから切り離されてスクラムする。福島事故では主蒸気管の大破断は無かったので、最大でも定格出力の1%以下の崩壊熱を除去することが課題となる。この場合海水ポンプに頼って機能している系として注意すべきなのは、残留熱除去系(RHR)であろう。残留熱除去系は低圧注水時や原子炉冷温停止時に作動し、原子炉から除去した熱をRHR海水ポンプを通じて海に捨てる。これを最終ヒートシンクと呼ぶ。福島事故ではこれが水没して機能を喪失し、その他D/G海水ポンプ(ディーゼル発電機の熱を除去)や補機冷却系海水ポンプ(原子炉建屋内各補機の熱を除去)も機能喪失したのである。

これらポンプの代表的な仕様は小倉志郎「原子力発電所用ポンプ設備の計画と問題点」(『流体工学』1973年10月)にて確認することが出来る。模式図だけなら「我が国の動力炉開発5_東京電力」(『原子力学会誌』1969年5月号)にも掲載されている。単純比較すればRHR海水ポンプの流量は循環水ポンプの約50分の1である。

新しい問題意識は2000年代中盤社内に設けられた溢水研究会まで待たなければならなかった。腐敗・硬直化した大組織では溢水研究会の警鐘が受け入れられるまでに長期間を要し、同じような課題を抱えていた日本原電とは対照的な結果となった。

【東電事故調が作った敷地高比較表】

ところで、『福島原子力事故調査報告書 本編』P30には次のような「比較表」が掲載されている。
Toden_jikocho_saishu_honbun_p30
報告書の文脈を加味すると「15mの津波は想定外だったが、10mの敷地高は他社と比べて問題は無かった」と主張したいのであろう。しかし、仮に「15mの津波は想定外である」という主張を認めたとしても、この表には意味がない。私がこれまで説明してきたポイントを踏まえると次のような問題があるからだ。

  • 工学的安全施設の機能維持に関わる機器の一部(各海水ポンプ)の設置位置を考慮すれば、本来の比較対象は4mのエリアで実施した津波対策である。このエリアに配置した機器は国会事故調が指摘するように余裕を殆ど設けていない。比較表が行なっているような余裕度の演出は4mエリアでは不可能である。
  • 東北電力は建屋敷地高(14.8m)に海水ポンプを設置したが東京電力は4mエリアに設置した。
  • 日本原電は東電と同様に海水ポンプは建屋敷地高に無かったが、「原子力発電所の津波評価技術」に安住せず、茨城県の要請に従って対策を実施した

元の表スタイルを尊重したとしても備考欄を設けて補足するべきである。これは、機能本位の考え方ではなかったことを悪用した比較である。社内外の推進派に自信をつけさせるために、小林氏以来の間違いを更に引きずっているとも言える。

Toden_jikocho_saishu_honbun_p329 (『福島原子力事故調査報告書 本編』P329より)

敷地高だけに依存するのは問題だが、東北電力が選んだ「高さを取る」という対策は、それ以下の津波に対しては絶対的な本質安全性を持つ。防潮堤や水密扉はそこまでの本質安全性は無い。津波対策と一口に言っても、複数の選択肢が提示される場面もあるだろう。その時、「安易に」低い位置での遡上対策に逃げることがないように、設計思想に向き合っておくことは大切なことである。

また、東北電力、日本原電共に他社の事故で自社管内に大被害を受けたり、自社の原発を停止させられたりしている。両社共に問題無しとは言わないけれども、その努力を無視するような比較は余りにも身勝手過ぎないだろうか。

【甘い見通しが目に付く建設時の波浪対策】
敷地高の考え方を整理できなかった影響は、波浪に対しても認められる。

防波堤の設計波高は6.5mとされた。しかし、これは1/3有義波で、最大波高を示すものではない。原子力施設の場合は、低確率事象(つまり年に1回、10年に1回程度の大波)であっても、対応力が必要の筈である。しかも港湾工事に着手する前の観測結果から、田中直治郎は「波が東海村よりも荒く、10メートルぐらいはみなければならない」と述べていて、設計波高より大きな波が来ることもあるのは知られていた(「当面する原子力発電開発」『土木建設』1966年8月P33)。しかし、防波堤の機能はあくまで、6.5mの設計波に対しての減衰効果を考え、岸壁の前面で0.5mとなるようにしている。

建設時には仕方なかったかも知れないが、その後、温暖化と異常気象について数多くの報告がなされたにも関わらず、長らく放置されたようだ。東電事故調は『福島原子力事故調査報告書 本編』P37にて1999年の仏ルブレイエ発電所での洪水時に「津波、高潮等について予想される自然条件のうち、最も苛酷と考えられる条件を考慮していることを確認」したと記載しているが、具体的な数値は無い。高潮に関する経緯説明はこれだけである。事故調査で背景を掘り起こした際、溢水事象として津波にしか興味が無かったことがよく分かる。

しかし、2013年秋にレイテ島を壊滅させた巨大台風の高潮の例など、高潮に対する注意も今後は津波に準じて配慮するべきだろう。太平洋に直接面した発電所では津波が高潮より常に大きく想定されているとは思うが、それ以外の原発では必ずしもそのようにならない可能性がある。規制庁がその点をどのように詳細化していくかも、注意が必要なのだろう。

貰い事故で原子炉を1基失ったのに「安全性を損なうものではない」と匿名で意見する電力会社の「信用」

今回は下記の続きである。とは言え、全て参照の必要はない。特に「4号機の対策に無関心な東電事故調」と「こぼれ話⑥」の続報である。

水素が逆流して爆発した4号機の対策に無関心な東電事故調と推進派専門家達

長時間の電源喪失を無視した思想的背景-福島第一を審査した内田秀雄の場合-

福島第一原発の審査で外された「仮想事故」-予見可能性からの検討-

東京電力は非常用ガス処理をどのように考えてから福島第一原発を建設したか

福島第一3・4号機水素爆発にまつわるこぼれ話①②③

福島第一3・4号機水素爆発にまつわるこぼれ話④⑤⑥-舶来技術はどれほど信用できるのか-

原子力規制庁の新安全基準骨子案には「設計基準 2.(7)共用に関する設計」で原則禁止の規定が盛り込まれた。

1年数ヶ月前の話になるが、新安全基準骨子に対して2013年1月18日、電気事業連合会は各事業者の意見を取りまとめて(匿名化して)申し入れした

その中に4号機で問題になった非常用ガス処理系からの配管共用の件も意見が付けられているので「新安全基準 骨子(たたき台)に関する事業者意見」から引用してみよう。

骨子案においては、原子炉の安全性を損なうことのないことを示せない場合は、原則として共用を禁止する規定となっている。
現行指針では、指針7 共用に関する設計上の考慮において「安全機能を有する構築物、系統及び機器が2 基以上の原子炉施設間で共用される場合には、原子炉の安全性を損なうことのない設計であること」とあり、共用を禁止するものとはなっていない。

現状、国内プラントで共用している主な系統・機器・構築物の例として、以下がある。
排気筒(MS-1)、海水取水設備(MS-1)、使用済燃料ピット(PS-2)、放射性気体廃棄物処理系(PS-2)、送電線(PS-3)、起動用変圧器(PS-3)、原子力発電所緊急時対策所(MS-3) 等
これらの系統・機器・構築物の共用を禁止することは必ずしも安全性の向上につながるものではない。例えば、放射性気体廃棄物処理系をユニット毎に設置した場合、系統の機能としての信頼性は、動的機器であるポンプ等が多重化されることにより増加するものの、一方で、物量(配管、弁等)が増加し、リークパス増加の要因となる可能性がある(※1)。また、限られたスペースに設備を設置することになるため、当該系統ならびに他設備のメンテナンスに影響をあたえる可能性がある。

以上をまとめると、現状、共用する機器について原子炉の安全性を損なうものではない。

呆れて物が言えない、とは正にこのことである。指摘された設備の中には確かに共用しても影響度が低そうなもの(及び独立化の意義が見出しにくい)施設も書き込まれているが、何故わざわざ排気筒を含めてくるのかが分からない。勿論、「我が社のプラントは逆流防止ダンパを全て設置している」と言った反論はあり得るが、この意見には4号機の事故を踏まえた対応状況の説明すら無いのである。

また、ガスの扱いに係わる気体廃棄物処理系が指摘事項になるのは当然である。信頼性評価を議論するのであれば、増設配管の信頼性とその性質(本質安全設計の程度等)だけではなく、弁などによってインターロックを形成した際の信頼性との比較を行なうものでないと意味がないだろう。

もう一点注目するべきは、電気事業連合会を通す形で匿名化していることだ。この意見を書いた事業者がどこなのか、是非問い詰めたいものである。

なお、ネット上では規制庁の入札公告しか見つけることが出来なかったが、「平成24年度原子力安全業務委託(東京電力株式会社福島第一原子力発電所事故を踏まえた諸外国における規制制度改善に係る動向調査・分析)」が日本エヌ・ユー・エスに発注され報告書も完成している。

報告書中では海外の規制状況がかなり詳細に調査されている。別の記事にも追記したが、米仏の安全基準では共用禁止規定は無いようだ(※)。

『東京電力株式会社福島第一原子力発電所事故を踏まえた諸外国における規制制度改善に係る動向調査・分析 報告書』は事業者の動向をレビューする上でもかなり良い参考となる。興味ある向きは是非公共図書館、立地自治体の行政資料室などで一読されることをお勧めする。

※2014/5/6追記:事業者意見では米GDCに同様の規定があるが実運用は異なる旨が書かれている。日本エヌ・ユー・エスの担当者はその点を意識し何も記載しなかったのかも知れない。

2014年5月 4日 (日)

あり得た第三の選択肢-500Galの仕様も検討したのに実際は値切られた福島第一原発1号機

 【要旨】
○福島第一1号機は僅かな費用で東日本大震災に対応可能な耐震仕様に出来たことが建設時の記録から明らかとなった。
○想定地震動に対する不確実性も先行の敦賀サイトで指摘され、美浜では古いデータ集の問題点を克服しようとしていた。
○それにもかかわらず福島第一1号機はGEの都合で22億円から14億円に値切って鹿島に再発注された。
○こうした事実を東電事故調は一切無視し、他の事故調も手薄である。積極的に検証する姿勢を見せた国会事故調には「反対派」のレッテルが貼られている。
○【追記】として小林論文を元に女川、柏崎刈羽との正しい比較を行ない、推進派が用いる詭弁の問題点を指摘した。

【本文】
「福島第一、特に1号機は地震で破壊されたのか」、国会事故調はその可能性を否定せず、その他の事故調は否定している。そのため、国会事故調を批判する人達は、田中三彦氏が参加している事実を以って、反原発運動のための事故調だと難詰している。

原発再稼動を前提としている大前研一氏も批判者の一人だが、コンサルティングを生業としており、レポートを宣伝しなければならない。つまり利益相反が成立し得るためポジショントークとも取れるのだが、他号機が地震により顕著な問題を見せていないという指摘は説得力ある説明なのは事実である。

福島第一の地震動問題への対応は長期間のソリューションとして眺めた場合、次のような選択肢があり得た。

  1. 建設時の知見を全能のものとみなし180Galで設計、後に想定外の地震動が発生した場合、充分な耐震能力を持つことを班目春樹氏の「安全余裕理論」や実測データを元に「証明」する。
  2. 地震が来る前に改訂されていた基準地震動に合わせた耐震補強を完了させる(この選択肢は完遂されなかった)。

ここで、「地震動による破壊説を支持し、耐震性の難を認める」選択肢は(敢えて)ソリューション失敗と定義する。

しかし、福島第一は、第三の選択肢を取り得た。それは次のようなものだ。

  1. 建設時に耐震設計仕様を180Galより大きくし、技術の不確実性に対する余裕代とする。

実際の福島第一1号機は耐震設計仕様を決める際に180Galの地震を前提とし、これをベースに設計された。2号機以降もこれに倣って設計された。

敷地内において地中地震計による地震動観測を行った結果によれば、地表面上と基盤上の加速度比は約2.5であることが判明しており、基盤上で0.18gとすれば地表面上の加速度は約450Galとなるが、この敷地の近傍で、過去に地表で400Gal以上(震度階Ⅶ、激震)の地震動を経験したことはない。また金井式により、敷地地盤の固有周期Tを種々に変えた試算の結果によれば、正保3年の陸前地震(西暦1646年、マグニチュード7.6、震央距離68㎞)で、T=0.22secとしたときの影響が最大で、このときの基盤加速度の推定値が約180Gal。敦賀発電所の設計用最大加速度は0.25gであったが、過去の地震歴から福島地点の地震活動度(seimicity)を敦賀地点の1/1.5程度とみなし、したがって0.25g×1/1.5=0.17gが得られる。

このような考察が、福島発電所の設計用最大加速度振幅として、180Galを採用したことの根拠とされている。なお、格納容器・緊急停止系などの安全対策上特に緊要な施設については、この値の1.5倍すなわち270Galに対して、機能の保持されることを確かめることとした。

— 「第1章 原子力施設の耐震設計の歴史」『原子炉施設の耐震設計』産業技術出版 1987年

Asクラスの動解析には1.5倍とある。これは初めてまともな動解析を導入した敦賀1号機の手法のコピーで仮想地震と呼ばれ、後の設計用限界地震(S2)の原形だが、これから検討する小林健三郎氏の論文で言及は無い。小林氏の経歴から言って「知らない」ということはあり得ない。小林論文では地点により地震動の大きさが異なることに注目しているに過ぎず、比較対象の敦賀や美浜でも同種の仮想地震は別途設定してAs相当の設計に織り込んでいる。

2014/5/24追記:私の説明より次のブログ「地震用語 基準地震動Ss、弾性設計用地震動Sdとは」の方がまとまっている。この説明で大体は合っていると思う。

小林論文では設計用地震動(後の設計最強地震)を500Galまで変化させているが、Asクラスの部位は各々1.5倍の仮想地震も条件付で考慮しているものと見なす。条件付と書いたのは、敦賀1号機の設計では構造材の許容応力設定に関して

Asクラスの1.5倍の地震に対する機能保持については、降伏応力を超えてもよいが過大の変形を生じないことを基準とした。

秋野金次「原子力発電所の耐震設計」『火力発電』1970年4月P18

と書かれているからである。1.0倍の地震に関してはこのような条件は無く、設定した地震荷重その他の荷重を合計した荷重に対し、材料の許容応力が上回るように指示している。裏を返せば、動解析で求めた荷重が材料の許容応力を上回った場合、より大きな許容応力を持つ材質・厚さに変更しなければならない、ということが1.0倍の地震を前提にした設計では求められるが、1.5倍の地震から求めた荷重に対しては必ずしもそうではないということだ。福島でも同様と考えられる。

私が表題で500Galという数字を挙げたのは、小林氏が東京電力のしかるべき地位にある土木技術者だったことと、その数字なら東日本大震災で福島第一を襲った最大加速度を概ね包含出来、突出値に対する比率も小さい(例えば600Galの地震動が観測された場合、500Galに対しては20%足が出る程度で済むが180Galに対しては233%となる)となるからだ。それでは、本論に入ろう。

まず下記の論文を見て欲しい。土木学会誌に掲載された小林氏の論文で、建屋の建設費を比較したものである。

Doboku_gakkai197105_fig5 ※出典:「原子力発電所の立地に関する土木学的考察」『土木学会誌』1971年5月号

2つの図表には次のような説明が加えられている。

機器ならびに配管系の耐震設計には未解の点もあるので、内外の原子力発電所に適用された実績値(表-2)を勘案し、基盤の最大加速度が0.35g以内の地点を対象としたい。なお、BWR型について原子炉建屋の概念設計を図-5のようにし、基盤の最大加速度と建屋工事費との関係を表3に示す。

「概念設計なのでとりあえず実際に採用された代表的な基盤加速度を目標値にした」普通はそう考える。だが、BWR型と限定はされているものの具体的なサイトがモデルなのかは不明だし、ベースとなる建屋工事費は示されない。

次にこの論文を読んで欲しい。同じ小林氏の手になる言わば「ロングバージョン」である。

Eの値(注:基盤加速度)が低い地点は静的計算値によって設計されるため建設費は一定である。しかしEの値が増加し動的計算値が静的計算値を上回るような地点では、構築物の建設費は次第に増大する。BWR型の場合、AsおよびAに分類される構築物のうち設計震度が建設費に大きく影響するものは原子炉建屋およびコントロール建屋と考えてよい。

いま、福島地点に500MW~1,500MWの発電所を建設しEの値を0.1gより0.5gに変化させたとき、基盤加速度の増加に対する上記構造物の補強を図3.3.1(注:上記図5に同じ)に示すとおり行うと仮定し、増加建設費を試算すると図3.3.2(注:上記表3に同じ)のとおりとなる。

この結果からEの値が0.18g以下の場合では設計が静的計算値に支配され一定であるが、0.18gより増加するにしたがって建設費は増加し、たとえば0.35gでは約56%、0.5gでは約100%増加することになる。

この試算はBWR型について行なったものであり、PWR型については別途計算する必要があるが、本論文では個別地点の基盤における許容最大加速度が決まれば、上記の数値を構築物の耐震設計による建設費の補正値としてそのまま使用することとする。

「第3章 原子力発電所の安全性と立地条件に関する研究」『わが国における原子力発電所の立地に関する土木工学的研究』1971年

なお、この論文は添付資料がある。

原子力発電所の建築構造物としては、主要機器を収容する発電所本館のほかに、超高圧開閉所、水処理建屋、事務建屋、展示館、固体廃棄物貯蔵建屋、諸倉庫などの付属建物および排気筒がある。

発電所本館は原子炉建屋、タービン建屋、中央制御室、廃棄物処理室からなり、その建築工事費は福島発電所の場合(2号機、784MW)で32億円、4100円/kWである。

建築費は主として地点固有の設計震度により変動するが、(中略)建築構造物のうち原子炉建屋および中央制御室を除いては、静的な耐震設計によるため立地点による差はほとんどない。また中央制御室も2基ごとに1室を造るため、建築費の中にしめる比重は小さい。

したがって本論文においては立地費のうちの建築費として、原子炉建屋のみを対象とし、設計震度の変化による増分工事費(基準は福島原子力)を用いることとした。

なお増分工事費の標準値を定めるため下記の考え方によった。
(1)
(a)福島発電所1号機の設計概念をそのまま用いた。
(b)基礎地盤についても福島地点と同様とした。
(c)設計震度は0.18、0.25、0.3、0.4および0.5とした。
(d)原子炉建屋の水平せん断力は外壁のみで負担するものと仮定し、そのせん断応力を許容値以内になるように壁厚を増加した。
(e)原子炉建屋の地震時転倒モーメントが増すに伴って、地盤反力が許容支持力を超えないように基礎板を外部に拡張した。なおこの拡張基礎板は必要に応じてリブを設けた。(図4.4)

Ritti_1971_siryo4_fig4_4_2
(f)設計の変化は鉄筋コンクリート工事のみに影響を与えると考えた。なお鉄筋コンクリート費は原子炉建屋費のうちで70%を占めているとした。

(2)増分工事費
設計震度の変化による原子炉建屋費の検討結果を増分比率で示すと表4.7および図4.5のとおりである。

Ritti_1971_siryo4_tab4_7 またこれからkW当りの増分工事費を求めると図4.6のようになる。

Ritti_1971_siryo4_fig4_5_4_6 出典:「資料4 立地関連費と標準単価」『わが国における原子力発電所の立地に関する土木工学的研究』1971年

※:1g=981Galだが、多くの文献では簡便さのため1000Galとみなしているようだ。

土木学会誌で「概念設計」とされていた原子炉建屋は、福島第一1号機だったのである。このように学会誌に対してさえ、不必要な匿名化が行われた。土木学会一般会員も、東京電力に舐められていたということだ。知らなかったのであれば、学会事務局であっても同様である。学術権威の盲信など止めて批判力を養うことをお勧めする。原発推進派すら電力会社の技術系社員にとっては肉屋の豚であることを理解しよう。「情報は積極的に公開」「電力会社は誠実である」などと宣伝する産経新聞、アゴラに代表される面々はその良い例だ。また、東電事故調は土木学会誌記事すら黙殺した。東電事故調が黙殺している不都合な資料は幾つもあるが、また一つ増えた。勿論技術倫理上問題である。

なお、毎度のことだがその他の事故調も土木学会記事を「確認」していない。私は「土木学会の主張をそのまま反映しろ」と主張したいのではない。背景を調査した上でレビューをした方が説得力が増すということである。特に、東電に情報提供を迫った政府・国会の両事故調が何を提示されたか。報告書の本文、脚注、添付資料に使われたもの以外にもある筈だがリストが示されていないので詳細は不明である。だが、資料を消化不足のまま最終報告をしていたとしたら、それは不幸なことだ。「学術的権威」と言うカードを切って東電に要求出来た原子力学会も同様である。

設計には当初から自由度があったことが分かったので、冒頭に掲げた福島の耐震設計の論理的欠陥に触れておこう。問題は、地震の「頻度」に応じて敦賀の3分の2とする、という考え方にある。地震研究が持つ不確実性への評価が甘いからだ。国会事故調は「当時としてはやむを得ない面があったとはいえ」と述べるが不確実性に関しては、当時既に指摘があった。

それらの研究結果を河角広博士が整理して、(日本列島における)震央の位置の分布を示した(中略)太平洋側にはM=8級の大地震が点々と発生しており、日本海側にはM=7級の局地的大地震が点在している。そして内陸にはM=6~7級の地震が散らばっている。日本では(中略)当分海沿いに建設されるものと推察するならば、将来においても太平洋側にはM=8級の地震が(全体に亘ってではないにしても)発生するものと推定しなければならないであろうし、日本海側ではM=7級を覚悟しなければならないであろう。

秋野金次「原子力発電所の耐震設計について」『コンストラクション』1969年3月P37

秋野氏は地震学者ではなく日本原電の工学者で割切りが仕事である。その秋野氏は不確実性を上記のように捉えた。私は、その点は評価する。地震空白地帯と言う仮説を無視していたならば、250Galをそのまま持ってきただろうし、例え空白説を採用していても、氏が日本海側で想定したM7級レベルの新発見程度には備えておくべきだった。これは無理な期待ではなく、同時代にそういう経験が既にあった。

原子炉建屋の設計では静的震度による設計値と動解析が行なわれ、いずれかの値の内厳しい方を採用する。小林論文で「Eの値が0.18g以下の場合では設計が静的計算値に支配され一定である」ということは静的震度を0.6g(建築基準法の3倍)に取った際に導出される値を採用したからである。要するに1号機は(固有値を意識した以外は)静的震度だけで設計したようなものということだ。これは、動解析による値が設計の支配的要素だった敦賀、美浜とは異なる。

特に美浜は、河角マップなどの古いデータ集の限界を見越し、不確実性を加味した例でもあった。『原子炉施設の耐震設計』によると、関電は1963年の越前岬沖地震を5地点の強震計で観測しており、当地で歴史上最大であることを明らかにして想定地震を引き上げた。この決定が無ければ美浜の基盤加速度は僅か33Galとして評価されるところだった。実際は300Galを想定したため余裕は実に260Gal以上。なおAs相当の仮想地震は400Galで、かなり今回の地震動に近づくので、福島第一で美浜相当の設計を採用していればAsクラス部位はかなりまともな対応が出来たことになる。東電は何故越前岬沖地震と同じ様なことが福島で起きないと断言出来たのだろうか。180Galに美浜での余裕値260Galを加えると440Galとなり今回の1号機の観測値(NS:460Gal、EW:447Gal)に相当するのは真に皮肉である。

河角マップの問題は、リスクを示すための研究を経済性の指標として読み替えたところに誤りがあると思われる。国会事故調に参加した添田孝史氏が指摘する、津波想定に対する余裕の値切りと同質のものだ(なお国会事故調は「単純にいうと、敦賀のほうが福島の1.4倍くらい強い」と敦賀を意識している)。言うまでも無く、反対派に遠慮した末の失敗でも無い。なお秋野氏はM8級までしか表現していないが、1969年当時モーメントマグニチュードは使われていなかった(これが無いと東日本題大震災をM9.0と計算することは出来ない)。

しかし、論文自体が内包する欠陥は別にしても、この論文は極めて興味深い。以下、私の目に付いた点をコメントする。

(c)で他社のサイトで採用した基盤加速度を採用しているのは、他社やゼネコンに対する知見上の便宜を図ったのだろう。例えば関電は美浜サイトの実績値と照らすことで容易に炉型比較の材料を入手出来る。小林氏はこの論文で博士号を取得したので公知となったが、通常、大企業では表に出ない場でこの手の詳細研究をまとめているものだ。

(d)の仮定も興味深い。

2006年に耐震設計技術指針が改訂され、設計最強地震の基準地震動(上記基盤加速度に対応)も軒並み引き上げられた。そのため全国の各原発は補強工事に追われることとなった。工事の内容は、配管系の支持(サポート等)の強化や据付した機械類の固定方法見直しが大半を占めている。それに対して、上記では壁厚そのものを増加させている。本来は配管や機械類を固定する壁にも相応の耐震能力が求められていたことが分かる。確かに、2000年代ともなると複雑な応力解析が一般化し、壁の強化は不要と判断されたのかも知れない。しかし、工事の手間を要し、外壁以外は事実上増厚が不可能であったため、解析や法規定に対する実際の強度の余裕(いわゆる安全余裕)を逃げ道としたとも考えられる。

2000年代の話になるが『原発と地震-柏崎刈羽「震度7の警告」-』P36によると、中越沖地震で柏崎刈羽が想定外の揺れに見舞われたのを見た中国電力は、建設中だった島根3号機の基礎版内鉄筋を増量すると決めたという。竣工後の耐震補強を行った例では建屋躯体にそのような施策は見られない。中国電力の判断は小林健三郎氏と同志向と言えよう。

(e)の仮定も興味深い。原子炉建屋の周囲に基礎板が張り出し、0.5gの場合はその幅は13mになる。実際には1970年代に入り、複合建屋という設計概念が導入された。原子炉建屋の周囲に他の小規模な建屋を連結して一つの大きな建屋としたものである。東京電力は福島第一6号機以降で採用したが、初号機の着工が遅れた中部電力では東海地震対策もあり、浜岡1号機から採用している。この張り出した基礎板は複合建屋の原形的な発想と言える。浜岡1号機の運開は1976年。福島第一1号機から僅か5年での急激な進化である。福島第一1号機は「実証炉」である筈の原電敦賀1号機の僅か1年後に計画されているので、東京電力がどれだけ実用化を急いで失敗に至ったのかも理解出来る。

東京電力の性急な実用化では、古くは内橋克人氏のルポが存命関係者代表として豊田正敏氏にインタビューした例である。烏賀陽弘道氏、NHK、東京新聞なども震災後同じことをした。しかし、豊田氏は土木が専門ではなく、上記のような背景は殆ど語らない。氏が語るのは決まってSCC(応力腐食割れ)など初期故障の件だがそれは劣化対策に属する内容で今回の事故にはほぼ関係が無い。批判的に検証する側も聞くべきことを考えてからインタビューを行ったほうが良い。

ここで、興味深いもう一つの事実を紹介しよう。福島第一1号機の落札経緯である。

東電の福島原子力発電所の一号機建設はGEが全面的に請負うことで、昨年十二月八日に東電-GEの間で正式調印が行なわれた。これにもとづいてGEは(中略)基礎、土木工事部門の建設には鹿島建設を指名することを早くから内定していた。(中略)鹿島建設が決まるまでは、見積価格の面からGEとの間にかなりの開きがあり、一時は競争相手の間組に受注が決まるのではないかとも見られた。GEははじめから十四億円の線を打出し、鹿島建設の最低見積り価格二十二億円をはねつけ、さらにこれ以上下げられないぎりぎりの十八億円まで鹿島建設はおりたが、これも聞入れられなかった。この間に、間組が十四億円で引受けるという態度に出てきたため、鹿島建設としては最後の手段として、赤字覚悟の受注にふみきらざるを得なくなったものと見られる。

福島原子力発電所の一号機はことし一月から一部着工を開始しており、鹿島建設としてもこのときにGEからのレター・オブ・インテント(文書による事前了解)を承認していることから、価格は度外視した受注に向いていたものである。四割値引による工事の安全性について同社はいまの土木技術でぜんぶ解決するし、自信は絶対にあると断言しているが、問題は資金面で、この赤字はどこか他の部門にシワ寄せとなることは必至とされている。

「鹿島建設 GEの値引き攻勢に屈す? 14億円で受注 東電福島原子力の工事 見積りの四割安」『日刊工業新聞』1967年4月22日8面

GEから見るとゼネコンが22億とした建屋を14億で建設しようとしたのだから、「シワ寄せ」は当然仕様に行くだろう。東電との関係を言えば、GEは日本側が垂涎の的にしている原子炉技術一式を持っている点では強く出られるが、本来は只の売り手に過ぎない。一方、後に続く国産化を考えると東電も強くは出られないだろう。東電関係者の書いた物でも「GE村」に象徴される特別扱い振りが目に付く。

インフレの激しい時代でもあるので提示額と論文での金額が合わない面もある。小林論文追記によると1969年までの数字を使ったという。そこで、比率を取って単純に計算してみる。22億円は14億円の57%増しである。基盤加速度を300Galとした場合工事費は41%増し、400Galとした場合は70%増しであるからほぼこの間に位置する。この記事では引用しなかったが小林論文が配管に仮定した最大基盤加速度と同じ350Gal程度が該当すると見てよいだろう。一方、14億円の原子炉建屋を500Gal仕様に変更すると100%増で建設費は28億円となる。この差分14億円は論文の表にある500MWでの増加(7億円)と比較してかなり保守的な値と判断出来る。1号機の総建設費を400億円とすると、比率は3.5%。あの災禍を思えば僅かな投資に過ぎない。

一方鹿島の判断は大当りし、日本国内のBWR原子炉建屋の大半を受注するに至った。ちなみに間組は当て馬だったようだ。本格的な原子炉建屋の経験も事前研究も脆弱だったことは同社が百年史にて認めている。また、鹿島社史によれば当初はJV方式を取りたかったが足並みが乱れGE側にその点を利用された旨の記述がある。JVにより日本のゼネコン各社に技術流出することを警戒したのだろう。GEは本来電機メーカーであり、あのマークIの検証実験もPG&E社と共同で行なっているし(「最近の沸騰水型原子炉」『電力』1965年11月増刊P190)、建屋建設は米本国でもべクテル・MKといった建設企業が担っている。GEも建設企業との契約関係や意見も加味して動いている、と考えておくのが無難だろう。

なお、GE社は1960年代後半に大量受注するまで、原子力部門は赤字だった。過去の赤字解消のためにも、安く建設出来る原子力プラントの実績を早急に手にしたかったし、海外ビジネスとして日本の潜在需要そのものにも期待していた。赤字の理由が追加工事を求められたという契約上の問題もあったようで、新規のプロジェクトでは最初に強い態度に出たものと推測される。それがこの厳しいコスト削減要求に現れている。

ところで、鹿島建設の書いた記録を読んでいると自社の耐震設計の優秀性を誇る場面がある。鹿島社内に自らの名を冠した研究室を持つ武藤清はBWR耐震設計を高剛性に導いたキーマンだが、その出張報告から引用してみよう。

ニューヨークではEBASCO社を訪問し、J.T.Hodges外国担当マネージャー、Frank Kovac土木技師、Bernard Spitzコンピュータ技師等に会う機会を得ました。そして当社よりの出向社員4名と共に歓待され、昼食を一緒に致しました。

食後EBASCO社のコンピュータ室に案内されましたが電子計算機(バロース)施設、計算機容量(24K)および耐震関係の保有プログラム等は当社の方が、はるかに優れていることが分かりました。耐震解析にさいしては、その現象解析を実際の建物に対して忠実に行なうということをわれわれは常々考慮しております。その結果、原子炉建物等の振動系は非常に複雑なモデルとなりますが、EBASCO社では現在のところこの種の解析は不可能と考えられます。

日本で建設される原子炉建物耐震解析のEBASCO社から武藤研究室への依頼の問題については特に触れずに、武藤研究室の電子計算機開発プログラムのリーフレットについて広く一般的に説明することにとどめ、訪問を終えました。

武藤清他「米国出張報告」『鹿島建設月報』1968年7月P12

(注:当時武藤研究室ではそうした専門家向けのリーフレットをしばしば作成したものらしい。注意深く調査を進めていくとリーフレットは他の文献にも登場する)

だが、これは今読み返してみるとエバスコ社の地震対策への無知というよりは、大量の受注残を抱えて手をつくす余裕が無かった表れなのではないだろうか。

なお一部で「地震国の日本にアメリカの原発を導入したから今回の震災で失敗した」と言われるが、私はこの考えには反対である。上の表からも分かるように福島は米本国の一部サイトより低い想定値である。また、GE社の原子力事業の拠点はカリフォルニア州サンフランシスコ近郊のサンノゼであり、地震多発地帯の西海岸である。想定地震動のモデルもアメリカの地震波。「アメリカは地震国ではない」というのはGEに責任を求めたいという願望の無意識な裏返しである。地震を津波に置き換えた主張も見かけたが、同様に間違いだ。

小林氏は東電の社員であってGEや鹿島の社員ではない。従って上記の経緯には触れていない。しかし、GEの立場から見ると安価な原子力プラントを売り込むことは至上命題だろう。WH社という強敵が存在していたし、何時でも福島第一1号機のように上手く行くとは限らない。1号機を東電から受注した年に英国では、一般に3番手扱いだったGECに競り負けていた(ただしこの件は英側の政治判断と当時から指摘されている)。また、GEとは異なるが早急な軽水炉の国産化に拘りを見せていた電力会社にとっても、経済性を実証した(という触れ込みの)原子炉は手にしておきたかったようだ。東電が1号機の計画を固める前後の1~2年に絞って業界紙を調査すると軽水炉導入への熱意と執念に駆られていることが見て取れる。

福島第一1号機の発注から2年もしない内に、オイスタークリーク等米国で先行していたBWRは80%という触れ込みの稼働率を達成出来なくなりつつあった。だが、国内電力各社は実際に自分達で原子炉を動かしてSCC問題その他が露見する1970年代中盤まで開発ペースを緩めず、当時の公開情報を見てもそれほど気にかけていない。やはり田原総一朗が『生存への契約』で示したような、国策介入を避けるための既成事実積み上げだったのだろうか。私はこれまで技術者の動きを中心に追ってきたが、それだけでは見えないものもあるだろう。例えば木川田一隆のような経営者が民営維持のため無理押しを図った結果、安物をでっちあげに繋がったとしたら、その責任は重い。

誰が決め手になったかはともかく、上記のような経済的背景から原子炉建屋に余裕を持たせて資金を投じる道は封じられたのだろう。問題は運転開始後数年で顕在化していた。1970年代中盤にはラスムッセン報告の登場と共に、目標とすべき炉心損傷確率が示された。この時点で基盤加速度の根拠となった「400年に一度」という頻度はもっと長期間の頻度に改めねばならなかった筈だ。しかし実際は内部の機器更新に手を取られたのか30年以上放置され、バックチェックの必要性を唱えられながら、2000年代に至っても禄に補強もされぬまま震災を迎えたのである。僅かな資金をケチって建屋を危険に晒したという意味で、コロラド氏が紹介した敷地高の件と全く同じ構図が横たわる。

そんな建設時の仕様の問題点に向き合う姿勢を見せていたのは国会事故調だけである。もちろん、この記事で提示した事実までは踏み込んでいない。しかし、国会事故調を批判する推進派の論者がこうした検証姿勢を見せた例を私は目にしたことが無い。「パラメータには異常は無い。結果オーライ。原発技術者は真摯」毎回これだけ。私は地震破壊説を主要因とは考えていないが、木村俊雄氏のように未公開のパラメータを指摘する批判者もおり、可能性の一つとして留保しておく程度は許容範囲内ではないかと考える。

以上、小林論文を中心に議論したが、①機器・配管系の耐震設計について省略したこと②原子力発電所耐震設計理論の発達史とその問題点に関する議論も大幅に省略したことを付言しておく。特に②の問題点は秋野金次という人物の存在抜きに語ることは不可能なのだが、学術DBのみでの発掘は不可能であった(例えば上記『コンストラクション』)こともあってか、各事故調は経緯に関する検討が不足している。この記事執筆時点で敦賀1号は廃炉になっておらず、その意味でもいずれ検証は必要である。

2014/5/24追記:【都合の良い観点をつまみ食いする推進派の「反論」

福島第一原発事故 津波原因で地震は大丈夫だったという断定は非科学的である。といったまとめを作ったりコメントしたりする中で、次のような反論が見られる。

八代泰太    @clockrock4193
中越沖地震における柏崎刈羽原発や東日本大震災における女川原発など、「地震の被害は受けたけど、安全に停止した原発」の例があるのに、どうして「原発は地震で壊滅的な被害を受けていたはずだ」と言うのかねえ?そんなに地震が原因じゃないと困るのかな? 2014-03-20 04:17:05

彼等のような推進派が日頃使用する論理に照らしてみると、これは矛盾を含んだ、歪んだ説明なので補足しておこう。

上記でも説明したように小林論文では後の基準地震動S1、2006年改訂基準でのSdに相当する基盤加速度を評価の対象にしている。この基準に従うと、柏崎刈羽、女川は建設時のS1で比較しなければならない(勿論、福島第一の設計用地震動、S1、Sdの相互でスペクトル、継続時間、詳細な定義は微妙に異なる)。

そこで、これらサイトの建設時の値を調べ、小林論文に掲載された図表と比較参照すると、次のようになる。

  • 福島第一:S1相当=180Gal(S2相当=270Gal)
  • 柏崎刈羽:S1=300Gal(S2=450Gal)、鉄筋コンクリート容積58%増、原子炉建屋工事費41%増
  • 女川:S1=250Gal(S2=375Gal)、鉄筋コンクリート容積38%増、原子炉建屋工事費27%増

もし福島第一がこれらの基準で建設されていた場合どうなるか。柏崎刈羽相当のS2はほぼ今回の1号機で観測された地震動を包含する。従って、Sdで留意されている弾性領域は超過しているとは言え、仕様上から損傷は考えられない。一応想定内と言える。女川の場合は柏崎刈羽よりは見劣りするが、それでも敦賀と同レベルなので、国会事故調の言葉をもじれば「女川の方が福島第一より1.4倍強い」ということになり、実際の地震波とのかい離は少なくなる。

更に、実際に東日本大震災に遭遇した女川と福島第一の相違として、女川が2006年の新指針に対応し、補強工事を終えていたことが挙げられる。この指針で設定されたSdは基準地震動Ss=580Galに0.67を乗じた値とされているので、390Gal程度となる。福島第一の地震動は号機によっては女川Ssを100Gal以上も下回る。2006年指針に対応した女川が福島第一で観測された地震動を食らっても、設計・施工ミスでもない限り、損傷するとは思えない。これに対し、福島第一はバックチェックによる評価(シミュレーション)は済ませていたものの、新指針に対応した補強工事は完了していなかったとされる。

推進派は原発を擁護する際はサイト固有の地質的相違点を強調するのに、何故原子炉建屋の設計条件がサイト間で等価であるなどという、小林健三郎氏も(その後輩たちや規制側も)採用しなかったような論理を用いるのだろうか。逆に、福島第一並の耐震性で女川や中越沖時の柏崎刈羽の地震動が襲っていたら、今回の地震動と同レベルの結果で終わったのだろうか。彼等は、そうした疑問は頭にすら浮かばないらしい。

MSIVから水漏れがあった、ICが損傷していたなどという主張もあるが、それらが間違っていて、建屋・機器が健全ならそれは「結果論として」神様が与えてくれたチャンスなのである。他のサイト後の世代の建屋まで持ち出してスペック面での誤りを弁護する姿勢は異常と言える。

福島第一3・4号機水素爆発にまつわるこぼれ話④⑤⑥-舶来技術はどれほど信用できるのか-

当記事は前回の続きである。

【こぼれ話④ プラントメーカーのアフターサービスは機能していたか】


『福島第一原子力発電所事故 その全貌と明日に向けた提言―学会事故調 最終報告書』P158によると、GE社は運転開始後も、自社で問題点を発見した場合はユーザーに提案を行うシステムを取っており、随時改善提案を東電にも行っていたとのことである。しかし、2011年6月11日の産経新聞に載った元IAEAのブルーノ・ペロードへのインタビューによると、東電に非常電源の多重化について進言した際、GEからの提案が無いことを理由に断ったと回顧している。このことから、4号機の逆流防止ダンパや3・4号機の非常用ガス処理系排気筒共用については日立(或いは東芝、ノウハウ元のGE)から提案が無かったというストーリーが考えられる(勿論確認しておくことが必要)。

『日立工場七十五年史』P386によるとGEとのシステムライセンス契約(1966年6月最初の契約に調印)が1981年技術協力契約に更新された時、保守用機器の大半が外されたとある。このような動きが非常用ガス処理系でもあった場合、問題点を指摘する義務は全く無くなっていたのかも知れない。これらはいずれも断片情報に過ぎないが、ヒントにはなるだろう。

もっとも、4号機に関してGE社は主契約者ではない。ノウハウを提供しただけである。非常用ガス処理系関連機器や排気筒の系統設計がそのノウハウに当らない場合、GE社に責任は無いとも解することが出来る。

【こぼれ話⑤ 不活性ガス処理系の設置に難色を示していたGE社】

『東海第二発電所設備概要』(1972年10月)という冊子がある。内容は当時の設置許可申請書をほぼなぞったもので、P163で不活性ガス処理系(運転中格納容器内を窒素で満たし、可燃性ガスである水素、酸素を排除するシステム)の説明を行ってる。

ここで注目したいのは、GE社が不活性ガス処理系の設置に難色を示しているとの記述があることだ。理由は、窒素封入中は入室出来なくなるのでメンテナンスに支障が生じるからだと説明されている。東海第二、福島第一6号機はいずれもGE社が主契約者で炉型も同一(BWR-5)だが、設計不良、機器不良が初期に多発したことでも知られている。恐らく、GE社は技術力の低下を目前に、自信を失っていたのだろう。しかし、不活性ガス処理系は敦賀1号機の時点から既に導入済みであった。同書には、日米の安全審査会でその意見は受け入れられていないとのコメントも付いており、以後もBWRから不活性ガス処理系が除去されたと言う事実は無い。

東電事故調は次のように述べている。

炉心損傷に至ったプラントは、主に原子炉内で水-ジルコニウム反応によって大量発生した水素が格納容器内に滞留した。この水素が何らかの経路で原子炉建屋へ漏えいし、建屋の爆発が発生したと考えられる。格納容器内は不活性ガスである窒素が満たされており、格納容器で爆発が生じていないことから、格納容器への窒素封入は機能したものと考えられる。

「14. 事故対応に関する設備(ハード)面の課題の抽出」『福島原子力事故調査報告書 本編』P314

仮に1970年代初頭に不活性ガス処理系の運用が停止され、今回の事故で明らかになった他の瑕疵と同じように惰性で追認され続けたらどうなっただろうか。交流電源喪失発生時点で格納容器内は標準大気と同じ組成となので、21%の酸素を含み、溶融の進展と共に水素が加わることになる。PWRと異なり容積が小さいのがBWR格納容器の弱点であるから、格納容器破壊のリスクを遥かに高めていただろう。

実際の事故進展を見ると交流電源喪失時に非常用ガス処理系は停止し、不活性ガス処理系も電動で動く制御装置などはその時点で停止した筈だ。つまり、東京電力は既に封入済みの窒素だけで持たせたと考えていることになる。

原子力技術が化学に対する稚拙さで失敗を重ねているという指摘は高木仁三郎その他しばしばなされるところである。この件もまた、本来エンジニアリング会社でもあるGE社の化学的稚拙さを示すエピソードであるように思われる。

【こぼれ話⑥ 海外のベントシステムにみるユニット間の配管共用】

下記の模式図を見て欲しい。スウェーデンが独自開発したフィルターベントシステムFILTRAである。

Filtragaiyou FILTRAの概要(「諸外国の格納容器ベントシステムの設備概要」資源エネルギー庁 1989年6月8日より引用)

1980年代末、日本でもフィルターベントの必要性を検討した際、資源エネルギー庁が作成した資料に掲載されたものである。日本語の解説になっているが、元は海外専門誌に載った絵を転載したものなので、作成元はアセア・アトムかスウェーデンの当局者と推定される。

問題は、2基の原子炉の間にFILTRAが設けられ、共用されていることだ。資料によれば、Barsebeckの2プラントにて共用しているとのこと。原子炉からの排気系配管はFILTRAの手前で合流している。配管は物理的に福島第一と全く同じ設計思想にあり、本質安全設計とは言えない。また、隔離弁に頼っているためか、福島第一にあった逆流防止ダンパは描かれていない。

ただし、福島第一の非常用ガス処理系より配慮されている点は、水素燃焼対策で窒素による不活性化を実施していることである。また、「諸外国の格納容器ベント設備の設計及び運用」(資源エネルギー庁 1990年10月)によると、FILTRAの設計基準事象には全交流電源喪失が含まれ、システム動作に電源は不要となっている点も異なっている。

しかし、安全の担保は弁の制御ロジック+ガスと、やや間接的な安全設計に依存しているとも言える。例え弁が「閉」状態でも水素ガスの逆流を考慮した仕様になっていないと弁を透過するリスクも考えられるし、手動操作が可能なのでヒューマンエラーに弱い。本来が原子炉内から水素交じりのガスを取り込むようなシステムなので、窒素による不活性化も実際にどこまで担保されるのかは不明な部分がある。福島第一の格納容器も窒素による不活性化が行われているが、容器外部への漏洩を考えなかったため、建屋爆発によりシステム全体に大きなダメージを受けた。FILTRAだけ守っても、建屋や他のシステムに水素を追い出す結果となったらどうしようもない。福島事故の前に、ガスの挙動に関してどのように検討していたのか、とても興味がある。まぁ、安全を考えればFILTRAへの流入経路は共用にすべきでは無いだろう。

似たような話は他にもある。先述の「諸外国の格納容器ベント設備の設計及び運用」によれば、フランスのサンドフィルタ方式について、プラント2基につきフィルタ1台の使用を想定していること、問題点として水素爆発の可能性があることを資源エネルギー庁が認識していたのが読み取れる。

これらの配管共用が本質安全に反していることから分かるように、日本に比べれば先進的な思想だった海外の安全技術がすべて有用とは限らない。日本の当局や東京電力はIAEAやWANOに働きかけて、世界中の原発で排気系配管の共用を行っていないかチェックするべきだろう(実施済みなら何よりである)。特にIAEAは日本が多額の予算を支出している。もし未実施でしかも日本以外にそのような共用例が無いという結果が出たとしたら、それはそれで日本の原子力安全技術の水準を検証する良い指標となる。もし産業としての再生を本気で考えているなら、そういうレベルから見直すべきだと考える。

※2014/5/5追記
ネット上では規制庁の入札公告しか見つけることが出来なかったが、「平成24年度原子力安全業務委託(東京電力株式会社福島第一原子力発電所事故を踏まえた諸外国における規制制度改善に係る動向調査・分析)」が日本エヌ・ユー・エスに発注され報告書も完成している。

報告書中で「表2.6-1 日本の新安全基準案と米仏の対策との比較(6/7)」(同P 2.6-8)で当該項目に係わる規制が比較されている。日本の新安全基準(案)には「他の系統・機器(例えばSGTS)や他号機の格納容器ベントと共用しない」と明記されたが、米仏には今回の事故を見据えた該当規定の運用は無いらしく、何も記載が無かった。

もっとも、安全基準(案)に対する事業者意見では「共用を禁止する規定としては、米国も同様の記載(※)となっているものの、上記の例にある主な系統・機器・構築物は、日本と同じく共用されている。」と該当規定の存在についてコメントされている。

『東京電力株式会社福島第一原子力発電所事故を踏まえた諸外国における規制制度改善に係る動向調査・分析 報告書』は事業者の動向をレビューする上でかなり良い参考となる。

福島第一3・4号機水素爆発にまつわるこぼれ話①②③

1960年代から70年代のGE社、引いては海外プラントメーカーの設計品質は、業界内外の一部で信じられている・語り継がれている程レベルの高いものだったのだろうか。また、国内メーカーに関するその種の神話の実相はどうだろうか。

勿論、運転開始数年後に生じたSCC(応力腐食割れ)問題を知っている向きはある程度の猜疑心は持たれていると思うが、巷間言われる話以外にもそうした疑問を抱かせる出来事はあるものだ。

4号機の水素爆発に関し、黎明期を中心に様々な角度から検証してきたが、最終回は、上記の疑問に対する更なる解明を目指し、その材料として幾つかのこぼれ話を示して終わることにしたい。いずれの話も、他の記事のように4号機水素爆発との強い因果関係を示すものではないが、今後の新証言、新資料出現次第ではその価値を高めるものと思われるからである。

【こぼれ話① 中々見当たらない非常用ガス処理系の仕様】
(原子力開発初期において)換気空調に関する専門誌記事は実は余り多くは無い(5/17追記:個別サイトの空調システム仕様の記事は少ないが、共通する機器単体を取上げた記事はそれなりの数があると分かったので訂正)のだが、幸いにも福島の場合、工事に従事した者による解説記事や同世代の記事が存在している。まず、原子炉建屋の空調系統図を紹介しよう。旧保安院や東京電力は様々な図面を提供しているが、これに類するものは見当たらず、問題を起こした個所に限定して公開する傾向が見受けられる。

Kukichowa197010_fig4 『空気調和と冷凍』1970年10月号より引用。

文中には敦賀、福島のBWR型とあるが上記はFL10.2mとあるので福島1号機であろう。ちなみに1号機の配管系統図は下記のようになっている。配管系統図も総合的なものは余り見かけなかった印象がある(あくまで印象だが)。

Karyoku196704_fig6 「福島原子力発電所の計画」『火力発電』1967年4月より

建設から40年経過しこれらの系統図は細部が変更されていると思われる。水素関係で目に付くのは窒素封入装置。ドライウェルの直上とトーラス室の右横にあるが通常用空気供給設備にのみ配管されており非常用ガス処理系には接続されていない。後年のフィルターベント設備では水素対策で窒素封入を併用している物がある。日本だと浜岡での設置計画には明記されている。

非常用ガス処理系は建設時より設けられているが、その仕様については『建築設備と配管工事』1969年4月号によるとエバスコが仕様を決めている。 本論で問題となる、制御・配管系統に関わる記述は殆ど無いが、各事故調等で仕様を提示していないので参考に引用する。温度・圧力・確認試験の内容に注目して 欲しい。 文章がややこなれていない感もあるがそのまま引用した。

このように非常用ガス処理系統は原子炉安全審査の対象ともなり、重要な役割をなすものであるから次に述べるようにフィルターは勿論のこと製作には種々の規制が設けられる。(中略)予備系統ともで2台の別個のガス処理用トレーンが一般に設置される。ケーシングはステンレス製でデミスター 電気ヒーティングコイル プレフィルター 高性能フィルター チャコールフィルター 高性能フィルターの順に設置される。

Kukichowa197010_fig5_sgts (注:上図のみ『空気調和と冷凍』1970年10月号P82から引用)

次に述べるのは米国のエバスコ・サービス会社の設計仕様書の概略である。

a)ケーシングは#12ゲージのステンレススチールの全溶接とする。テストは水柱300mmの負圧に耐え2psiGの圧力で4時間設置し漏水のないこと。

b)デミスターは1~5μ径の水滴に対し、99%の効率を持つこと。OTTO H YORK Co.型式321SRまたはAAFのT型を使用すること。

c)電気ヒーティングコイルは入口温度57℃ 出口温度65.6℃の容量のものである。

d)プレフィルター NBS変色法で最低45%の効率をもったケンブリッジ製エアロゾルブ43A-45と同等のこと。

e)高性能フィルター ケンブリッジ製IFT-1000と同等品にて工場にて次の検査に合格したものであること。すなわちU.S.ARMY EDGEWOOOD ARSENEL,136-300-175A 15JAN 1965のDOP Q-107の規格によるDOP SMOKE TESTで0.3μで99.97%以上の効率をもつものであること。

f)チャコールフィルター BARNABY-CHENEY製のTYPEFCと同等品で沃度を含浸させ相湿度70%に於てメチルアイオダインの形態で10%の沃度が最低99.9%除去できるものでなければならない。特にフレームおよびシール材はDUPONT REPORT DP-788およびDP-1028に於て推薦されているものを使うこと。チャコールフィルターは304L型のステンレススチール製で活性炭は763型すなわち1523型であること。

g)現場試験 インプレーステストは設置後ケーシングならびに高性能フィルター チャコールフィルターに対し実施される。高性能フィルターに関しては前述のDOPテストを行なう。チャコールフィルターのテストはAEC-RD(DU PONT)DP-870,DP-910およびDP-950に記載されたR-112によるガスリークテストを行ない上流側でR-112の濃度が500PPMのとき下流側で0.01~1.00PPMまで検知できるガスクロマトグラフで行なう。

h)排風機 この系統の排風機はシャフトシールが完全でリークがなく連続運転に耐えるようベルトのサービスファクターは200%のものであり温度130℃で適当なものであること。

「原子力発電所の換気設備」『建築設備と配管工事』1969年4月号P79-80

ポイントは温度仕様と材質。どの時点で仕様範囲外となったかなどを検証しておくべきだろう。エバスコでカタログを出していたとすれば、一読してみたいものである。なお「高性能フィルター」という言葉が出てくる。英語略称をHEPAと言い、1960年代頃から原子力のような特殊用途で使われ始めたが、その後はクリーンルームや病院、オフィスなどの空調にも使われる汎用的なフィルターとなった。

緊急遮断用バタフライダンパーについても下記のように説明されている。逆流防止ダンパーと同様のものかは不明。

原子炉建屋の換気ダクト中に設けられ緊急遮断するためのダンパーとして空調用のダンパーでは密封を保つことができない。またゲート弁では適当でないので(中略)バタフライダンパーが使われる。

従来原子炉建屋の換気設備に緊急遮断用としてウォーターダンパーといって水封式のものが使われていたが最近はこのバタフライ型のものが採用される。空気式のものが多く遮断時間は10秒以内としシートリングはステンレス製でありシート材料は130℃に耐えるためバイトンやシリコンラバー製が使われている。

「原子力発電所の換気設備」『建築設備と配管工事』1969年4月号P80

これも温度仕様と材質がポイントだろう。なお、非常用ガス処理系の活性炭フィルタは従来輸入品だったが、東電環境エンジニアリングは2000年代にツルミコールと共同で国産化している(「原子力発電所の非常用ガス処理系活性炭フィルタ国産化によるコストダウン」『電気現場技術』2004年8月号)。

【こぼれ話②-GE社は福島第一以前、どのようなユニットを建設したか】

2次下請として福島第一において4号機以外の換気空調設備工事を受注することになる、新日本空調の石母田崇氏は1号機建設時に次のように述べており、実に象徴的なコメントと言える。

BWR型原子力発電所の暖房換気設備の概略についてその一端を紹介してきたが、当社が原研の動力試験炉敦賀、福島1号炉を施工して多くの貴重な経験をした。しかしこれらは米国GE社の設計に依存したものであり、設計条件の問題、機器の仕様、ダクト、配管の材料、施工上の問題について検討を加える点が沢山あると思われる。現在運転中の敦賀原子力発電所の運転実績を調査中であるが、これらを参考にして、今後国産化されてゆく原子力発電所の換気設備に対し、技術的に経済的に研究を重ねてゆきたいものと念願するものである。

「原子力発電所の換気設備」『空気調和と冷凍』1970年10月 P86

全体的に問題意識を持とうとしていたのがよく分かる。にも拘らず、①どうして配管を合流させるような設計を採用し、②4号機は逆流防止ダンパを取り去られたのだろうか。一つ考えられる要素は、GEが抱えていた先行プラントが単独設置ばかりで、複数ユニットを1セットとしたプラント工事の経験が少なかったことである。

例えば、発注側の東電は原子力への進出に当たり、調査そのものは抜かりなく行っていた。1967年4月に発行された『図説電気工学大辞典 原子力編』ではP225より沸騰水炉の項目があり、当時世界で運転開始・又は建設中であったBWRが網羅されている。同書は東電原子力発電課の手になるものであるが、事故検証という文脈で眺めるのでなければ、只の古い参考書に過ぎない。だが、今この本を読み返すと調査を抜かりなく行ってもそれだけでは見落としてしまう点があるのがよく分かる。ここに挙げられているBWRは26基あるが、2ユニットで1セットとなっているものは福島と同時期に建設されたドレスデン2・3とブラウンズフェリーだけからである(インドのタラプール発電所は2基だが、原子炉建屋が一体化しているため、空調上はひとつの巨大な原子炉として見做せると思われる)。これでは、先行炉から得る物が無かったのは仕方がない。

日本関係に限定しても1960年代初頭に東電原子力発電課が参考にしていたドレスデン1号機、実証炉の触れ込みで原研がターン キー契約で導入したJPDR、原電敦賀1号機の全てが単独設置である。GE社の原子炉についても1960年代後半の専門文献では必ず参考にされているオイスタークリーク、福島1号機導入に当たり直接参考とした サンタマリア・デ・ガローナ等、単独設置ばかりである。

排気筒を共用しているドレスデン2・3号機の運開は1970年から1971年にかけてであり、福島よりはやや先行しているが、知見の蓄積が殆ど無い。プラントレイアウトは基本計画の初期に決定するが、共用設備の設計はGE-エバスコも 経験不足であり、ノウハウの蓄積は無かったと言える。GE社でこの状況なのだから、3・4号機で主契約者となった国内メーカーにそうした経験を求めることは無理だったのだろう。

【こぼれ話③ 3・4号機建設時の契約関係は調査されているか】

どの段階で失敗したのかを知るには設計会議の議事録や図面の変更記録を読むのがベストではあるが、行政・立法・司法の圧力でもなければ第3者がチェックするのは難しいし、常に全てが記されているとは限らない。それを埋めるのが、契約と商流の検証である。勿論、キングファイル、 或いは書類棚幾つになるかも分からない契約書一式の開示可能性も図面と大同小異なのだが、それらを欠いていても公知情報の丹念な集積はヒントを与える。

一方、各事故調の文献調査能力は疑問符が付く。まともなアーキビストやデータマンを使ったのだろうか。事故調に限った話ではないが、毎度 「ターンキー」の一言だけを連呼する者達も酷い。当事者の中にもそれを繰り返す者がいるが、単なる目くらましと思っておいた方が良い。契約条件は毎回異なり、サイト固有の リスクもその差異から生じる。

例えば、次のような話がある。

東芝は、米国GE社とBWRに関する技術提携をバックに原子力発電プラントの売込みを展開しているが、東電の福島3号機につづいて、東北電力の女川1号機、 中部電力の浜岡1号機を主契約者として受注内示をえて、BWRプラントでは日立を押えている。しかし、GEから導入する技術はGEの設計サイズごとに内容 がかなりかわっていると言われ、GE側の技術供与に対する態度は厳しくなってきている。東芝では現在のところ、福島2号機(主契約GE)で出力78万4千KWの技術を消化し、福島3号機では主契約者となっている。福島3号機の契約では、制御棒および駆動装置、再循環ポンプ、主蒸気隔離弁、逃し弁および安全 弁、タービン系制御装置、混合分離器、オフガス・コンプレッサー、オフガス・フィルターエレメント、タービン監視計器、核計装などが輸入となっている。しかし、機器の据付け、配置等に関するシビル・エンジニアリングについては、東芝はこのほど米国のエバスコ社から福島2号機用の設計資料を購入すると同時に、福島3号機の設計についてチェック&レビュウしてもらうことになった。この 契約内容は出力70万~80万KWの範囲で、契約期間5年といわれているが、安全の信頼をうることを目標としている。技術導入料金は公表されていない。

「東芝、米国エバスコ社から技術導入-福島2号機のシビルエンジニアリングで-」『原子力通信』1970年12月9日

当時、GE社はBWR-4を出力別に3タイプ準備していた。2号機と3号機は同型だが、プラントレイアウトは相違しており、少なくとも各種配管の取り回しは新規に検討の必要があった。この例ばかりでなく、一般に同型とされるプラントでもそのレイアウトは1基1基相違点があるのが普通である。プラントは一品物なのだ。だからこそこのレビューには意味がある。

ただ、原子力プラントの経験値はGE-エバスコの方が東芝よりずっと先行していたと言われるものの、チェックして貰ってあのような本質安全とは言い難い設計が残るのだろうかという疑問が沸く。

なお、4号機の換気空調設備は、同機が日立の一式受注であったため、唯一日立プラント建設が受注している。非常用ガス処理系は換気空調でも特別なポジションにあるとは言え、4号機のみ逆流防止ダンパが設置されていなかったのは、このことも起因するように思われる。日立は4号機のレビューをエバスコから受けているのだろうか。民間事故調やマスコミなどでも可能な範囲で、かつ確実性の高い方法は、エバスコの社報や社史を探すことだろう。

豊田正敏氏は3-5号機の建設の際「1及び2号機はプラント設計にコンサルタント会社としてエバスコ社を使っていたが、より技術力の高いと考えられたべクテル社に変えるようGE社に要請した」と述べている(『原子力発電の歴史と展望』P31-32)。東芝がエバスコにレビューを依頼したのは東電とは異なる判断の結果とも考えられる。また、プラント設計のコンサルティングを変更したことで、ノウハウの一部が継承されなかった可能性もある。

原子炉建屋全ての建設を受注した鹿島建設は従来モリソン・アンド・クヌードセン(MK)社との関係が深く、福島サイトにおいても同様であった。MK社からエンジニアを顧問に迎えていたため3号機以降の計画が動き始めた時点でも「進出してきてもわが社は手を結ぶことは無い」(「べクテル進出か わが国含めて市場調査」『日刊工業新聞』1969年2月7日)などと冷淡な態度を取っていた。MK社の顧問にとっても、余り面白くは無いだろう。

鹿島建設月報の福島関連記事にべクテルの文字は出てこない。

当原子力発電所の設計開始に当り、施主東電殿より「福島1,2,3,5号機に続く4号機はマークI型原子力発電所の最後のプラントとなることからその総集編ともいうべき最良のプラントを設計せよ」という強い要望がありました。

その趣旨にもとづき、共同設計者である東電設計と昭和46年8月より、基本設計に1年、実施設計に2年半、そしてアフターケアを含む諸検討を、今日、工事竣工までの長い歳月設計を担当させていただきました。

原子力発電所の設計は、毎日が技術開発の連続と考えられる位、一般建物の設計と異なり、厳しい耐震設計を含む安全設計、特殊建物であるための設計法の開発、膨大な情報の収集、処理等の連続でした。が、施主東電殿、機器メーカーである日立の理解と東電設計の強力、および鹿島の総合力を発揮して設計を行ない、当所の目標を達成することが出来ました。

早いもので原子力発電所の業務に関連して約10年になりますが、今までの経験を、今後、福島第二原子力発電所1号機を初めとする原子力発電所の設計に大いに役立てて行きたいと思います。

「設計に従事して 建築設計本部 佐藤拓朗」『鹿島建設月報』1978年2月号P5

4号機竣工に当っての文章だが今となっては掛け声の部分は空しく響く。逆に、社報での挨拶と言う短文ながら、「設計を誰と何時始めたのか」「佐藤氏はどんな人物で何を気にして仕事をしてきたか」といった観点で眺めると興味深い。この道10年のベテランでも「膨大な情報の収集」で泣かされてたとすると、それはウィークポイントとして見えてくる。

(次回に続く)

2014年5月 1日 (木)

東京電力は非常用ガス処理をどのように考えてから福島第一原発を建設したか

前回記事前々回記事は他の多くのトラブルにも共通する要素であるため、やや大枠の論題だったが、今回は非常用ガス処理系が欠陥設計となった過程について東京電力を中心に論じてみたい。

【要旨】
○プロ向け原発専門書でも、4号機の事故防止に繋がる排気系配管の共用に関する注記は無かった
○非常用ガス処理系や原型となった処理系の研究において号機間共用を前提としたことを文書で確認した。
○ザル審査の責任者がありがたいお説教を述べている。

【プロ向け原発専門書も4号機のトラブル防止の役には立たない】

そもそも、何故排気筒が共用されたのかを説明する文献は圧倒的に少ない。実は、原子力の専門書をひも解いてみても、排気筒の設計に ついてはプラントレイアウトで僅かに触れられるだけか、下手をするとそれもないのが良くあるパターンである。非常用ガス処理系は原子炉主要機器の一つとして、換気空調系は補助設備の一つとして多少詳しくは取り上げられるが、このような罠に対する注意喚起は殆ど見かけない。中国電力出身の徳光岩夫氏は1970年代末、他と一線を画す説明を行っている。

換気空調設備の計画設計に当たって、基本的な設計方針を決定する。
(中略)
(v)安全上重要な換気空調設備は冗長性を有する構成とし、動的機器は多重化する(予備機を設ける)ものとする。

(vii)設備費、運転費などについての経済性の考慮
(後略)

「6・4 換気空調系の計画設計」『原子力発電所の計画設計・建設工事』 1979年8月 P313

(e)排気筒 排気筒基礎はAクラスとする必要があり、地盤条件のよい位置、原子炉建屋からのSGTダクトの連絡などから考えて、R/Bに接近させることが望ましいが一方敷地境界線から、できるだけ遠ざける意味から海側に設置し、敷地境界との距離は目安として500~700m程度以上離れた場所を選ぶ。また各ユニット専用とするか、2ユニット共用支持構造とするかについて配置が異なってくる。

「6・5 原子力発電所全体配置計画」『原子力発電所の計画設計・建設工事』1979年8月 P313

一見詳細に書かれているように思えるが、どのような根拠を以って設備を共用するかという根拠は示されない。本書を読んでいると徳光氏は皮肉でなしに一流の技術者と分かるのだが、「当時の」限界を垣間見ることが出来る。ちなみに、他の教科書・参考書は徳光氏のレベルにすら達していないものばかりである。あっても非常用ガス処理系の機能を概説する程度。この記事を読んでいる業界人の方、気をつけた方がいいですよ。

【東電は非常用ガス処理をどのように検討したか】

東京電力が東芝、日立と東電原子力発電研究会(TAP)を組織し共同研究を行っていたことは事故後、再度取上げられつつある。TAPの存在自体は吉岡斉『原子力の社会史』でも僅かに触れられており、震災前に非公表の情報だったわけではない。松浦晋也氏は事故後、日経PCオンラインの連載にてTAPに触れているが、内容は電気新聞の2000年頃の連載をまとめた『青の群像』をなぞった程度のものである。

そのTAPは研究を数段階に区切っていたが、1959年より第4期共同研究として大規模実用軽水炉4基を持つ発電所を取上げ、原子炉動特性、プラントの最良配置等様々な研究を行った。その中に廃棄物処理もあった。この時想定した軽水炉の電気出力は1基25万KWとし、気体廃棄物は希釈の上煙突より放出する方針としたが、1959年の研究成果によるとそのままでは水素が爆発限界に入ってしまうため再結合器の設置とその系統の配管を水素爆発に耐えるように設計する必要性を認めた。そして翌1960年には次のように研究を進展させた。

(ロ)気体廃棄物処理
フローシートを作成した。その回路の特徴は、常時は気体廃棄物をホールドアップ・パイプで崩壊させて煙突より放出しているが、事故時には回路を切り換えてホールドアップ・タンクを使用して気体廃棄物を貯蔵し崩壊をまって放出する。従って大きい事故時は勿論原子炉を停止させ気体廃棄物の発生をなくす必要があるが、小さい事故例えば燃料棒のピンホール程度のときにはその程度によりホールドアップ・タンクを使用し運転を続けることができる。
事故時の回路は余り使用することはないと思われるので、原子炉4基について1系統として共用することにした。

昨年の技術的成果 東京電力

このように研究段階から煙突、つまり排気筒のみならず処理系自体を共用する発想があったこと、遡るほど気体廃棄物処理がシンプルなシステムとなることが分かる。なお、初期の気体廃棄物処理がホールドアップに依存しているのは、使い物になるフィルタが無かったからであるようだ。後述の内田秀雄論文にもそれが垣間見える記述がある。

ところで、1961年4月11日には「原子力発電所安全基準」第一次報告書が通産大臣に答申されている。これは委員会を1958年に立ち上げて火力発電の規定類などを参考に内容を検討していたもので、委員会会長は当時の東京電力社長、高井亮太郎だった。現在の目で眺めると、規制の虜を地で行くような委員会だが、当時の常識では特に問題とはならなかったようだ。この基準は未入手だが、原子力発電所の建設運転基準」(『OHM』1961年5月号)によると

重要な部屋のドアや窓で有害な気体もしくは液体の侵入の恐れのあるものは、予想されるガス圧、水圧などに充分耐えうる密閉性と耐圧性をもつものでなければならない(第1503条)

という条項が設けられている。既に水素は「有害な気体」であったろうから、逆流防止は上記条文に照らしても意識するのが本来あるべき姿だ。なおガス配管の系統分離・独立に関する条文があったかどうかは未確認である。

時は流れ、原電敦賀に続いて東電も福島で原発の建設に着手した。福島での排気筒の扱いは、土木計画に参加した人物により明確な根拠が明らかになっている。

複数基の発電機を併設する発電 所の配置には、分離および連続の2つの方式がある。分離方式は、①建設が容易である、②事故時に隣接発電所の停止を必要としないなどの長所があり、原子力 発電所の初期建設時代に用いられた方式でフランスのEDF No1.2.3.はその例である。連続方式は、①敷地面積の節約、②整地費の節減、③煙突集合化の可能、④復水器冷却水系施設費の低廉などの長所があり、最近運転時の安全性も向上したので大規模開発の発電所に採用されようとしており、東京電力(株)の福島発電所および関西電力(株)の美浜発電所はこの例である。

小林健三郎「4.4.2 配置」『わが国における原子力発電所の立地に関する土木工学的研究』1971年

結局、集中立地のメリットを高めるために、僅かな敷地面積を合理化しようとしたことに発端がある。勿論、この程度のことは空撮写真を見ているだけでも気づく人は気づ くだろうが、文章において明記があるということはそれなりの重みをもつ。非常用ガス処理系の配管は主排気系配管に比べて細いので、集合煙突化する設計も可能だった筈だが、配管自体が「集合化」(地上で合流させて共用)してしまったこの結果、逆流防止ダンパの有無に依存する設計となった。東電事故調報告書を読めば分かるように、逆流防止ダンパが設置されていた1,3号機も、水素の逆流を完全には阻止出来ていない可能性を残している。

なお、3号機の主契約者は東芝、4号機は日立だが、『東電設計十五年史』P104によると排気筒を1971年に受注している。1,2号機用は既に完成済みで、5号機用は後年別途受注しているのでこれは当時着工間もない3,4号機用だろう。同社は東電の子会社として火力発電所の煙突設計に携わり、この1~2年前から原子力への進出を図っていた。3,4号機の工事に際しては東電は直接発注せず、主契約者を通したそうである。同社はプラントメーカーではなく土木系コンサルに近い立場だが、東電が子会社を通じ問題となった排気筒へ設計上も深く関与していたことは記憶されるべきである。

本件に限らないが、上記の事実を東電事故調は一切記そうとしなかった。特に小林論文の黙殺は技術者倫理上重要な問題である

【おまけ・・・金言】
最後に、この審査委員長に締めて頂く事にしよう。

関門トンネルは上下線別々に二本のトンネルで構成されているが、青函海底トンネルは上下線共通の一本のトンネルで構成されている。青函海底トンネル貫通の技術は世界的にも絶賛を浴びている。この日本の海底鉄道トンネルの技術も参考にされた英仏海底トンネルは上下線別々の二本トンネルであるが、既に火災の発生が報道されている。原子力施設では、こういう問題には系統分離の原則が適用され、一方の事故が他方に影響を与えないようにする。その原則からは海底トンネルは当然二本トンネルで構成されるであろう。高速道路で中央分離帯を飛び越えて車が反対車線に突っ込む様な事故は防止しなければならず、鉄道の上下線の間隔もこういう面からの考察が必要であろう。青函海底トンネルの場合、一本か二本かについては慎重な土木工学上の検討が行われ、火災等に対しての安全技術によって十分と判断された、と持田豊氏の著書にある。事故の発生を防ぐprevention方策の方が、事故により生ずる結果を低減するMitigation対策より重視されている。これを予防保全の重視といっている。

内田秀雄「工学的思考 不確実性の評価」『機械工学者の回想』P11

いやぁ流石日本最大の空母を艤装した審査委員長。立派な思想をお持ちで仕事熱心。万感極まる。感動した!
(※意味が分からない方はこの記事を参照のこと。)

【未検証の課題】

なお、内田氏は1967年7月10日改訂されたUSAECのGeneral Design Criteria(GDC)に関して論評記事も載せている(「米国の原子力発電所設計基準」『火力発電』1968年10月)。このGDCには空気浄化系についてバイパス性に関する規定があるそうだが(Crit.64)、英語力の限界の為調べ切れていないので非常用ガス処理系に関係するかは未確認である。

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