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2014年5月 4日 (日)

あり得た第三の選択肢-500Galの仕様も検討したのに実際は値切られた福島第一原発1号機

 【要旨】
○福島第一1号機は僅かな費用で東日本大震災に対応可能な耐震仕様に出来たことが建設時の記録から明らかとなった。
○想定地震動に対する不確実性も先行の敦賀サイトで指摘され、美浜では古いデータ集の問題点を克服しようとしていた。
○それにもかかわらず福島第一1号機はGEの都合で22億円から14億円に値切って鹿島に再発注された。
○こうした事実を東電事故調は一切無視し、他の事故調も手薄である。積極的に検証する姿勢を見せた国会事故調には「反対派」のレッテルが貼られている。
○【追記】として小林論文を元に女川、柏崎刈羽との正しい比較を行ない、推進派が用いる詭弁の問題点を指摘した。

【本文】
「福島第一、特に1号機は地震で破壊されたのか」、国会事故調はその可能性を否定せず、その他の事故調は否定している。そのため、国会事故調を批判する人達は、田中三彦氏が参加している事実を以って、反原発運動のための事故調だと難詰している。

原発再稼動を前提としている大前研一氏も批判者の一人だが、コンサルティングを生業としており、レポートを宣伝しなければならない。つまり利益相反が成立し得るためポジショントークとも取れるのだが、他号機が地震により顕著な問題を見せていないという指摘は説得力ある説明なのは事実である。

福島第一の地震動問題への対応は長期間のソリューションとして眺めた場合、次のような選択肢があり得た。

  1. 建設時の知見を全能のものとみなし180Galで設計、後に想定外の地震動が発生した場合、充分な耐震能力を持つことを班目春樹氏の「安全余裕理論」や実測データを元に「証明」する。
  2. 地震が来る前に改訂されていた基準地震動に合わせた耐震補強を完了させる(この選択肢は完遂されなかった)。

ここで、「地震動による破壊説を支持し、耐震性の難を認める」選択肢は(敢えて)ソリューション失敗と定義する。

しかし、福島第一は、第三の選択肢を取り得た。それは次のようなものだ。

  1. 建設時に耐震設計仕様を180Galより大きくし、技術の不確実性に対する余裕代とする。

実際の福島第一1号機は耐震設計仕様を決める際に180Galの地震を前提とし、これをベースに設計された。2号機以降もこれに倣って設計された。

敷地内において地中地震計による地震動観測を行った結果によれば、地表面上と基盤上の加速度比は約2.5であることが判明しており、基盤上で0.18gとすれば地表面上の加速度は約450Galとなるが、この敷地の近傍で、過去に地表で400Gal以上(震度階Ⅶ、激震)の地震動を経験したことはない。また金井式により、敷地地盤の固有周期Tを種々に変えた試算の結果によれば、正保3年の陸前地震(西暦1646年、マグニチュード7.6、震央距離68㎞)で、T=0.22secとしたときの影響が最大で、このときの基盤加速度の推定値が約180Gal。敦賀発電所の設計用最大加速度は0.25gであったが、過去の地震歴から福島地点の地震活動度(seimicity)を敦賀地点の1/1.5程度とみなし、したがって0.25g×1/1.5=0.17gが得られる。

このような考察が、福島発電所の設計用最大加速度振幅として、180Galを採用したことの根拠とされている。なお、格納容器・緊急停止系などの安全対策上特に緊要な施設については、この値の1.5倍すなわち270Galに対して、機能の保持されることを確かめることとした。

— 「第1章 原子力施設の耐震設計の歴史」『原子炉施設の耐震設計』産業技術出版 1987年

Asクラスの動解析には1.5倍とある。これは初めてまともな動解析を導入した敦賀1号機の手法のコピーで仮想地震と呼ばれ、後の設計用限界地震(S2)の原形だが、これから検討する小林健三郎氏の論文で言及は無い。小林氏の経歴から言って「知らない」ということはあり得ない。小林論文では地点により地震動の大きさが異なることに注目しているに過ぎず、比較対象の敦賀や美浜でも同種の仮想地震は別途設定してAs相当の設計に織り込んでいる。

2014/5/24追記:私の説明より次のブログ「地震用語 基準地震動Ss、弾性設計用地震動Sdとは」の方がまとまっている。この説明で大体は合っていると思う。

小林論文では設計用地震動(後の設計最強地震)を500Galまで変化させているが、Asクラスの部位は各々1.5倍の仮想地震も条件付で考慮しているものと見なす。条件付と書いたのは、敦賀1号機の設計では構造材の許容応力設定に関して

Asクラスの1.5倍の地震に対する機能保持については、降伏応力を超えてもよいが過大の変形を生じないことを基準とした。

秋野金次「原子力発電所の耐震設計」『火力発電』1970年4月P18

と書かれているからである。1.0倍の地震に関してはこのような条件は無く、設定した地震荷重その他の荷重を合計した荷重に対し、材料の許容応力が上回るように指示している。裏を返せば、動解析で求めた荷重が材料の許容応力を上回った場合、より大きな許容応力を持つ材質・厚さに変更しなければならない、ということが1.0倍の地震を前提にした設計では求められるが、1.5倍の地震から求めた荷重に対しては必ずしもそうではないということだ。福島でも同様と考えられる。

私が表題で500Galという数字を挙げたのは、小林氏が東京電力のしかるべき地位にある土木技術者だったことと、その数字なら東日本大震災で福島第一を襲った最大加速度を概ね包含出来、突出値に対する比率も小さい(例えば600Galの地震動が観測された場合、500Galに対しては20%足が出る程度で済むが180Galに対しては233%となる)となるからだ。それでは、本論に入ろう。

まず下記の論文を見て欲しい。土木学会誌に掲載された小林氏の論文で、建屋の建設費を比較したものである。

Doboku_gakkai197105_fig5 ※出典:「原子力発電所の立地に関する土木学的考察」『土木学会誌』1971年5月号

2つの図表には次のような説明が加えられている。

機器ならびに配管系の耐震設計には未解の点もあるので、内外の原子力発電所に適用された実績値(表-2)を勘案し、基盤の最大加速度が0.35g以内の地点を対象としたい。なお、BWR型について原子炉建屋の概念設計を図-5のようにし、基盤の最大加速度と建屋工事費との関係を表3に示す。

「概念設計なのでとりあえず実際に採用された代表的な基盤加速度を目標値にした」普通はそう考える。だが、BWR型と限定はされているものの具体的なサイトがモデルなのかは不明だし、ベースとなる建屋工事費は示されない。

次にこの論文を読んで欲しい。同じ小林氏の手になる言わば「ロングバージョン」である。

Eの値(注:基盤加速度)が低い地点は静的計算値によって設計されるため建設費は一定である。しかしEの値が増加し動的計算値が静的計算値を上回るような地点では、構築物の建設費は次第に増大する。BWR型の場合、AsおよびAに分類される構築物のうち設計震度が建設費に大きく影響するものは原子炉建屋およびコントロール建屋と考えてよい。

いま、福島地点に500MW~1,500MWの発電所を建設しEの値を0.1gより0.5gに変化させたとき、基盤加速度の増加に対する上記構造物の補強を図3.3.1(注:上記図5に同じ)に示すとおり行うと仮定し、増加建設費を試算すると図3.3.2(注:上記表3に同じ)のとおりとなる。

この結果からEの値が0.18g以下の場合では設計が静的計算値に支配され一定であるが、0.18gより増加するにしたがって建設費は増加し、たとえば0.35gでは約56%、0.5gでは約100%増加することになる。

この試算はBWR型について行なったものであり、PWR型については別途計算する必要があるが、本論文では個別地点の基盤における許容最大加速度が決まれば、上記の数値を構築物の耐震設計による建設費の補正値としてそのまま使用することとする。

「第3章 原子力発電所の安全性と立地条件に関する研究」『わが国における原子力発電所の立地に関する土木工学的研究』1971年

なお、この論文は添付資料がある。

原子力発電所の建築構造物としては、主要機器を収容する発電所本館のほかに、超高圧開閉所、水処理建屋、事務建屋、展示館、固体廃棄物貯蔵建屋、諸倉庫などの付属建物および排気筒がある。

発電所本館は原子炉建屋、タービン建屋、中央制御室、廃棄物処理室からなり、その建築工事費は福島発電所の場合(2号機、784MW)で32億円、4100円/kWである。

建築費は主として地点固有の設計震度により変動するが、(中略)建築構造物のうち原子炉建屋および中央制御室を除いては、静的な耐震設計によるため立地点による差はほとんどない。また中央制御室も2基ごとに1室を造るため、建築費の中にしめる比重は小さい。

したがって本論文においては立地費のうちの建築費として、原子炉建屋のみを対象とし、設計震度の変化による増分工事費(基準は福島原子力)を用いることとした。

なお増分工事費の標準値を定めるため下記の考え方によった。
(1)
(a)福島発電所1号機の設計概念をそのまま用いた。
(b)基礎地盤についても福島地点と同様とした。
(c)設計震度は0.18、0.25、0.3、0.4および0.5とした。
(d)原子炉建屋の水平せん断力は外壁のみで負担するものと仮定し、そのせん断応力を許容値以内になるように壁厚を増加した。
(e)原子炉建屋の地震時転倒モーメントが増すに伴って、地盤反力が許容支持力を超えないように基礎板を外部に拡張した。なおこの拡張基礎板は必要に応じてリブを設けた。(図4.4)

Ritti_1971_siryo4_fig4_4_2
(f)設計の変化は鉄筋コンクリート工事のみに影響を与えると考えた。なお鉄筋コンクリート費は原子炉建屋費のうちで70%を占めているとした。

(2)増分工事費
設計震度の変化による原子炉建屋費の検討結果を増分比率で示すと表4.7および図4.5のとおりである。

Ritti_1971_siryo4_tab4_7 またこれからkW当りの増分工事費を求めると図4.6のようになる。

Ritti_1971_siryo4_fig4_5_4_6 出典:「資料4 立地関連費と標準単価」『わが国における原子力発電所の立地に関する土木工学的研究』1971年

※:1g=981Galだが、多くの文献では簡便さのため1000Galとみなしているようだ。

土木学会誌で「概念設計」とされていた原子炉建屋は、福島第一1号機だったのである。このように学会誌に対してさえ、不必要な匿名化が行われた。土木学会一般会員も、東京電力に舐められていたということだ。知らなかったのであれば、学会事務局であっても同様である。学術権威の盲信など止めて批判力を養うことをお勧めする。原発推進派すら電力会社の技術系社員にとっては肉屋の豚であることを理解しよう。「情報は積極的に公開」「電力会社は誠実である」などと宣伝する産経新聞、アゴラに代表される面々はその良い例だ。また、東電事故調は土木学会誌記事すら黙殺した。東電事故調が黙殺している不都合な資料は幾つもあるが、また一つ増えた。勿論技術倫理上問題である。

なお、毎度のことだがその他の事故調も土木学会記事を「確認」していない。私は「土木学会の主張をそのまま反映しろ」と主張したいのではない。背景を調査した上でレビューをした方が説得力が増すということである。特に、東電に情報提供を迫った政府・国会の両事故調が何を提示されたか。報告書の本文、脚注、添付資料に使われたもの以外にもある筈だがリストが示されていないので詳細は不明である。だが、資料を消化不足のまま最終報告をしていたとしたら、それは不幸なことだ。「学術的権威」と言うカードを切って東電に要求出来た原子力学会も同様である。

設計には当初から自由度があったことが分かったので、冒頭に掲げた福島の耐震設計の論理的欠陥に触れておこう。問題は、地震の「頻度」に応じて敦賀の3分の2とする、という考え方にある。地震研究が持つ不確実性への評価が甘いからだ。国会事故調は「当時としてはやむを得ない面があったとはいえ」と述べるが不確実性に関しては、当時既に指摘があった。

それらの研究結果を河角広博士が整理して、(日本列島における)震央の位置の分布を示した(中略)太平洋側にはM=8級の大地震が点々と発生しており、日本海側にはM=7級の局地的大地震が点在している。そして内陸にはM=6~7級の地震が散らばっている。日本では(中略)当分海沿いに建設されるものと推察するならば、将来においても太平洋側にはM=8級の地震が(全体に亘ってではないにしても)発生するものと推定しなければならないであろうし、日本海側ではM=7級を覚悟しなければならないであろう。

秋野金次「原子力発電所の耐震設計について」『コンストラクション』1969年3月P37

秋野氏は地震学者ではなく日本原電の工学者で割切りが仕事である。その秋野氏は不確実性を上記のように捉えた。私は、その点は評価する。地震空白地帯と言う仮説を無視していたならば、250Galをそのまま持ってきただろうし、例え空白説を採用していても、氏が日本海側で想定したM7級レベルの新発見程度には備えておくべきだった。これは無理な期待ではなく、同時代にそういう経験が既にあった。

原子炉建屋の設計では静的震度による設計値と動解析が行なわれ、いずれかの値の内厳しい方を採用する。小林論文で「Eの値が0.18g以下の場合では設計が静的計算値に支配され一定である」ということは静的震度を0.6g(建築基準法の3倍)に取った際に導出される値を採用したからである。要するに1号機は(固有値を意識した以外は)静的震度だけで設計したようなものということだ。これは、動解析による値が設計の支配的要素だった敦賀、美浜とは異なる。

特に美浜は、河角マップなどの古いデータ集の限界を見越し、不確実性を加味した例でもあった。『原子炉施設の耐震設計』によると、関電は1963年の越前岬沖地震を5地点の強震計で観測しており、当地で歴史上最大であることを明らかにして想定地震を引き上げた。この決定が無ければ美浜の基盤加速度は僅か33Galとして評価されるところだった。実際は300Galを想定したため余裕は実に260Gal以上。なおAs相当の仮想地震は400Galで、かなり今回の地震動に近づくので、福島第一で美浜相当の設計を採用していればAsクラス部位はかなりまともな対応が出来たことになる。東電は何故越前岬沖地震と同じ様なことが福島で起きないと断言出来たのだろうか。180Galに美浜での余裕値260Galを加えると440Galとなり今回の1号機の観測値(NS:460Gal、EW:447Gal)に相当するのは真に皮肉である。

河角マップの問題は、リスクを示すための研究を経済性の指標として読み替えたところに誤りがあると思われる。国会事故調に参加した添田孝史氏が指摘する、津波想定に対する余裕の値切りと同質のものだ(なお国会事故調は「単純にいうと、敦賀のほうが福島の1.4倍くらい強い」と敦賀を意識している)。言うまでも無く、反対派に遠慮した末の失敗でも無い。なお秋野氏はM8級までしか表現していないが、1969年当時モーメントマグニチュードは使われていなかった(これが無いと東日本題大震災をM9.0と計算することは出来ない)。

しかし、論文自体が内包する欠陥は別にしても、この論文は極めて興味深い。以下、私の目に付いた点をコメントする。

(c)で他社のサイトで採用した基盤加速度を採用しているのは、他社やゼネコンに対する知見上の便宜を図ったのだろう。例えば関電は美浜サイトの実績値と照らすことで容易に炉型比較の材料を入手出来る。小林氏はこの論文で博士号を取得したので公知となったが、通常、大企業では表に出ない場でこの手の詳細研究をまとめているものだ。

(d)の仮定も興味深い。

2006年に耐震設計技術指針が改訂され、設計最強地震の基準地震動(上記基盤加速度に対応)も軒並み引き上げられた。そのため全国の各原発は補強工事に追われることとなった。工事の内容は、配管系の支持(サポート等)の強化や据付した機械類の固定方法見直しが大半を占めている。それに対して、上記では壁厚そのものを増加させている。本来は配管や機械類を固定する壁にも相応の耐震能力が求められていたことが分かる。確かに、2000年代ともなると複雑な応力解析が一般化し、壁の強化は不要と判断されたのかも知れない。しかし、工事の手間を要し、外壁以外は事実上増厚が不可能であったため、解析や法規定に対する実際の強度の余裕(いわゆる安全余裕)を逃げ道としたとも考えられる。

2000年代の話になるが『原発と地震-柏崎刈羽「震度7の警告」-』P36によると、中越沖地震で柏崎刈羽が想定外の揺れに見舞われたのを見た中国電力は、建設中だった島根3号機の基礎版内鉄筋を増量すると決めたという。竣工後の耐震補強を行った例では建屋躯体にそのような施策は見られない。中国電力の判断は小林健三郎氏と同志向と言えよう。

(e)の仮定も興味深い。原子炉建屋の周囲に基礎板が張り出し、0.5gの場合はその幅は13mになる。実際には1970年代に入り、複合建屋という設計概念が導入された。原子炉建屋の周囲に他の小規模な建屋を連結して一つの大きな建屋としたものである。東京電力は福島第一6号機以降で採用したが、初号機の着工が遅れた中部電力では東海地震対策もあり、浜岡1号機から採用している。この張り出した基礎板は複合建屋の原形的な発想と言える。浜岡1号機の運開は1976年。福島第一1号機から僅か5年での急激な進化である。福島第一1号機は「実証炉」である筈の原電敦賀1号機の僅か1年後に計画されているので、東京電力がどれだけ実用化を急いで失敗に至ったのかも理解出来る。

東京電力の性急な実用化では、古くは内橋克人氏のルポが存命関係者代表として豊田正敏氏にインタビューした例である。烏賀陽弘道氏、NHK、東京新聞なども震災後同じことをした。しかし、豊田氏は土木が専門ではなく、上記のような背景は殆ど語らない。氏が語るのは決まってSCC(応力腐食割れ)など初期故障の件だがそれは劣化対策に属する内容で今回の事故にはほぼ関係が無い。批判的に検証する側も聞くべきことを考えてからインタビューを行ったほうが良い。

ここで、興味深いもう一つの事実を紹介しよう。福島第一1号機の落札経緯である。

東電の福島原子力発電所の一号機建設はGEが全面的に請負うことで、昨年十二月八日に東電-GEの間で正式調印が行なわれた。これにもとづいてGEは(中略)基礎、土木工事部門の建設には鹿島建設を指名することを早くから内定していた。(中略)鹿島建設が決まるまでは、見積価格の面からGEとの間にかなりの開きがあり、一時は競争相手の間組に受注が決まるのではないかとも見られた。GEははじめから十四億円の線を打出し、鹿島建設の最低見積り価格二十二億円をはねつけ、さらにこれ以上下げられないぎりぎりの十八億円まで鹿島建設はおりたが、これも聞入れられなかった。この間に、間組が十四億円で引受けるという態度に出てきたため、鹿島建設としては最後の手段として、赤字覚悟の受注にふみきらざるを得なくなったものと見られる。

福島原子力発電所の一号機はことし一月から一部着工を開始しており、鹿島建設としてもこのときにGEからのレター・オブ・インテント(文書による事前了解)を承認していることから、価格は度外視した受注に向いていたものである。四割値引による工事の安全性について同社はいまの土木技術でぜんぶ解決するし、自信は絶対にあると断言しているが、問題は資金面で、この赤字はどこか他の部門にシワ寄せとなることは必至とされている。

「鹿島建設 GEの値引き攻勢に屈す? 14億円で受注 東電福島原子力の工事 見積りの四割安」『日刊工業新聞』1967年4月22日8面

GEから見るとゼネコンが22億とした建屋を14億で建設しようとしたのだから、「シワ寄せ」は当然仕様に行くだろう。東電との関係を言えば、GEは日本側が垂涎の的にしている原子炉技術一式を持っている点では強く出られるが、本来は只の売り手に過ぎない。一方、後に続く国産化を考えると東電も強くは出られないだろう。東電関係者の書いた物でも「GE村」に象徴される特別扱い振りが目に付く。

インフレの激しい時代でもあるので提示額と論文での金額が合わない面もある。小林論文追記によると1969年までの数字を使ったという。そこで、比率を取って単純に計算してみる。22億円は14億円の57%増しである。基盤加速度を300Galとした場合工事費は41%増し、400Galとした場合は70%増しであるからほぼこの間に位置する。この記事では引用しなかったが小林論文が配管に仮定した最大基盤加速度と同じ350Gal程度が該当すると見てよいだろう。一方、14億円の原子炉建屋を500Gal仕様に変更すると100%増で建設費は28億円となる。この差分14億円は論文の表にある500MWでの増加(7億円)と比較してかなり保守的な値と判断出来る。1号機の総建設費を400億円とすると、比率は3.5%。あの災禍を思えば僅かな投資に過ぎない。

一方鹿島の判断は大当りし、日本国内のBWR原子炉建屋の大半を受注するに至った。ちなみに間組は当て馬だったようだ。本格的な原子炉建屋の経験も事前研究も脆弱だったことは同社が百年史にて認めている。また、鹿島社史によれば当初はJV方式を取りたかったが足並みが乱れGE側にその点を利用された旨の記述がある。JVにより日本のゼネコン各社に技術流出することを警戒したのだろう。GEは本来電機メーカーであり、あのマークIの検証実験もPG&E社と共同で行なっているし(「最近の沸騰水型原子炉」『電力』1965年11月増刊P190)、建屋建設は米本国でもべクテル・MKといった建設企業が担っている。GEも建設企業との契約関係や意見も加味して動いている、と考えておくのが無難だろう。

なお、GE社は1960年代後半に大量受注するまで、原子力部門は赤字だった。過去の赤字解消のためにも、安く建設出来る原子力プラントの実績を早急に手にしたかったし、海外ビジネスとして日本の潜在需要そのものにも期待していた。赤字の理由が追加工事を求められたという契約上の問題もあったようで、新規のプロジェクトでは最初に強い態度に出たものと推測される。それがこの厳しいコスト削減要求に現れている。

ところで、鹿島建設の書いた記録を読んでいると自社の耐震設計の優秀性を誇る場面がある。鹿島社内に自らの名を冠した研究室を持つ武藤清はBWR耐震設計を高剛性に導いたキーマンだが、その出張報告から引用してみよう。

ニューヨークではEBASCO社を訪問し、J.T.Hodges外国担当マネージャー、Frank Kovac土木技師、Bernard Spitzコンピュータ技師等に会う機会を得ました。そして当社よりの出向社員4名と共に歓待され、昼食を一緒に致しました。

食後EBASCO社のコンピュータ室に案内されましたが電子計算機(バロース)施設、計算機容量(24K)および耐震関係の保有プログラム等は当社の方が、はるかに優れていることが分かりました。耐震解析にさいしては、その現象解析を実際の建物に対して忠実に行なうということをわれわれは常々考慮しております。その結果、原子炉建物等の振動系は非常に複雑なモデルとなりますが、EBASCO社では現在のところこの種の解析は不可能と考えられます。

日本で建設される原子炉建物耐震解析のEBASCO社から武藤研究室への依頼の問題については特に触れずに、武藤研究室の電子計算機開発プログラムのリーフレットについて広く一般的に説明することにとどめ、訪問を終えました。

武藤清他「米国出張報告」『鹿島建設月報』1968年7月P12

(注:当時武藤研究室ではそうした専門家向けのリーフレットをしばしば作成したものらしい。注意深く調査を進めていくとリーフレットは他の文献にも登場する)

だが、これは今読み返してみるとエバスコ社の地震対策への無知というよりは、大量の受注残を抱えて手をつくす余裕が無かった表れなのではないだろうか。

なお一部で「地震国の日本にアメリカの原発を導入したから今回の震災で失敗した」と言われるが、私はこの考えには反対である。上の表からも分かるように福島は米本国の一部サイトより低い想定値である。また、GE社の原子力事業の拠点はカリフォルニア州サンフランシスコ近郊のサンノゼであり、地震多発地帯の西海岸である。想定地震動のモデルもアメリカの地震波。「アメリカは地震国ではない」というのはGEに責任を求めたいという願望の無意識な裏返しである。地震を津波に置き換えた主張も見かけたが、同様に間違いだ。

小林氏は東電の社員であってGEや鹿島の社員ではない。従って上記の経緯には触れていない。しかし、GEの立場から見ると安価な原子力プラントを売り込むことは至上命題だろう。WH社という強敵が存在していたし、何時でも福島第一1号機のように上手く行くとは限らない。1号機を東電から受注した年に英国では、一般に3番手扱いだったGECに競り負けていた(ただしこの件は英側の政治判断と当時から指摘されている)。また、GEとは異なるが早急な軽水炉の国産化に拘りを見せていた電力会社にとっても、経済性を実証した(という触れ込みの)原子炉は手にしておきたかったようだ。東電が1号機の計画を固める前後の1~2年に絞って業界紙を調査すると軽水炉導入への熱意と執念に駆られていることが見て取れる。

福島第一1号機の発注から2年もしない内に、オイスタークリーク等米国で先行していたBWRは80%という触れ込みの稼働率を達成出来なくなりつつあった。だが、国内電力各社は実際に自分達で原子炉を動かしてSCC問題その他が露見する1970年代中盤まで開発ペースを緩めず、当時の公開情報を見てもそれほど気にかけていない。やはり田原総一朗が『生存への契約』で示したような、国策介入を避けるための既成事実積み上げだったのだろうか。私はこれまで技術者の動きを中心に追ってきたが、それだけでは見えないものもあるだろう。例えば木川田一隆のような経営者が民営維持のため無理押しを図った結果、安物をでっちあげに繋がったとしたら、その責任は重い。

誰が決め手になったかはともかく、上記のような経済的背景から原子炉建屋に余裕を持たせて資金を投じる道は封じられたのだろう。問題は運転開始後数年で顕在化していた。1970年代中盤にはラスムッセン報告の登場と共に、目標とすべき炉心損傷確率が示された。この時点で基盤加速度の根拠となった「400年に一度」という頻度はもっと長期間の頻度に改めねばならなかった筈だ。しかし実際は内部の機器更新に手を取られたのか30年以上放置され、バックチェックの必要性を唱えられながら、2000年代に至っても禄に補強もされぬまま震災を迎えたのである。僅かな資金をケチって建屋を危険に晒したという意味で、コロラド氏が紹介した敷地高の件と全く同じ構図が横たわる。

そんな建設時の仕様の問題点に向き合う姿勢を見せていたのは国会事故調だけである。もちろん、この記事で提示した事実までは踏み込んでいない。しかし、国会事故調を批判する推進派の論者がこうした検証姿勢を見せた例を私は目にしたことが無い。「パラメータには異常は無い。結果オーライ。原発技術者は真摯」毎回これだけ。私は地震破壊説を主要因とは考えていないが、木村俊雄氏のように未公開のパラメータを指摘する批判者もおり、可能性の一つとして留保しておく程度は許容範囲内ではないかと考える。

以上、小林論文を中心に議論したが、①機器・配管系の耐震設計について省略したこと②原子力発電所耐震設計理論の発達史とその問題点に関する議論も大幅に省略したことを付言しておく。特に②の問題点は秋野金次という人物の存在抜きに語ることは不可能なのだが、学術DBのみでの発掘は不可能であった(例えば上記『コンストラクション』)こともあってか、各事故調は経緯に関する検討が不足している。この記事執筆時点で敦賀1号は廃炉になっておらず、その意味でもいずれ検証は必要である。

2014/5/24追記:【都合の良い観点をつまみ食いする推進派の「反論」

福島第一原発事故 津波原因で地震は大丈夫だったという断定は非科学的である。といったまとめを作ったりコメントしたりする中で、次のような反論が見られる。

八代泰太    @clockrock4193
中越沖地震における柏崎刈羽原発や東日本大震災における女川原発など、「地震の被害は受けたけど、安全に停止した原発」の例があるのに、どうして「原発は地震で壊滅的な被害を受けていたはずだ」と言うのかねえ?そんなに地震が原因じゃないと困るのかな? 2014-03-20 04:17:05

彼等のような推進派が日頃使用する論理に照らしてみると、これは矛盾を含んだ、歪んだ説明なので補足しておこう。

上記でも説明したように小林論文では後の基準地震動S1、2006年改訂基準でのSdに相当する基盤加速度を評価の対象にしている。この基準に従うと、柏崎刈羽、女川は建設時のS1で比較しなければならない(勿論、福島第一の設計用地震動、S1、Sdの相互でスペクトル、継続時間、詳細な定義は微妙に異なる)。

そこで、これらサイトの建設時の値を調べ、小林論文に掲載された図表と比較参照すると、次のようになる。

  • 福島第一:S1相当=180Gal(S2相当=270Gal)
  • 柏崎刈羽:S1=300Gal(S2=450Gal)、鉄筋コンクリート容積58%増、原子炉建屋工事費41%増
  • 女川:S1=250Gal(S2=375Gal)、鉄筋コンクリート容積38%増、原子炉建屋工事費27%増

もし福島第一がこれらの基準で建設されていた場合どうなるか。柏崎刈羽相当のS2はほぼ今回の1号機で観測された地震動を包含する。従って、Sdで留意されている弾性領域は超過しているとは言え、仕様上から損傷は考えられない。一応想定内と言える。女川の場合は柏崎刈羽よりは見劣りするが、それでも敦賀と同レベルなので、国会事故調の言葉をもじれば「女川の方が福島第一より1.4倍強い」ということになり、実際の地震波とのかい離は少なくなる。

更に、実際に東日本大震災に遭遇した女川と福島第一の相違として、女川が2006年の新指針に対応し、補強工事を終えていたことが挙げられる。この指針で設定されたSdは基準地震動Ss=580Galに0.67を乗じた値とされているので、390Gal程度となる。福島第一の地震動は号機によっては女川Ssを100Gal以上も下回る。2006年指針に対応した女川が福島第一で観測された地震動を食らっても、設計・施工ミスでもない限り、損傷するとは思えない。これに対し、福島第一はバックチェックによる評価(シミュレーション)は済ませていたものの、新指針に対応した補強工事は完了していなかったとされる。

推進派は原発を擁護する際はサイト固有の地質的相違点を強調するのに、何故原子炉建屋の設計条件がサイト間で等価であるなどという、小林健三郎氏も(その後輩たちや規制側も)採用しなかったような論理を用いるのだろうか。逆に、福島第一並の耐震性で女川や中越沖時の柏崎刈羽の地震動が襲っていたら、今回の地震動と同レベルの結果で終わったのだろうか。彼等は、そうした疑問は頭にすら浮かばないらしい。

MSIVから水漏れがあった、ICが損傷していたなどという主張もあるが、それらが間違っていて、建屋・機器が健全ならそれは「結果論として」神様が与えてくれたチャンスなのである。他のサイト後の世代の建屋まで持ち出してスペック面での誤りを弁護する姿勢は異常と言える。

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