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2014年5月 4日 (日)

福島第一3・4号機水素爆発にまつわるこぼれ話①②③

1960年代から70年代のGE社、引いては海外プラントメーカーの設計品質は、業界内外の一部で信じられている・語り継がれている程レベルの高いものだったのだろうか。また、国内メーカーに関するその種の神話の実相はどうだろうか。

勿論、運転開始数年後に生じたSCC(応力腐食割れ)問題を知っている向きはある程度の猜疑心は持たれていると思うが、巷間言われる話以外にもそうした疑問を抱かせる出来事はあるものだ。

4号機の水素爆発に関し、黎明期を中心に様々な角度から検証してきたが、最終回は、上記の疑問に対する更なる解明を目指し、その材料として幾つかのこぼれ話を示して終わることにしたい。いずれの話も、他の記事のように4号機水素爆発との強い因果関係を示すものではないが、今後の新証言、新資料出現次第ではその価値を高めるものと思われるからである。

【こぼれ話① 中々見当たらない非常用ガス処理系の仕様】
(原子力開発初期において)換気空調に関する専門誌記事は実は余り多くは無い(5/17追記:個別サイトの空調システム仕様の記事は少ないが、共通する機器単体を取上げた記事はそれなりの数があると分かったので訂正)のだが、幸いにも福島の場合、工事に従事した者による解説記事や同世代の記事が存在している。まず、原子炉建屋の空調系統図を紹介しよう。旧保安院や東京電力は様々な図面を提供しているが、これに類するものは見当たらず、問題を起こした個所に限定して公開する傾向が見受けられる。

Kukichowa197010_fig4 『空気調和と冷凍』1970年10月号より引用。

文中には敦賀、福島のBWR型とあるが上記はFL10.2mとあるので福島1号機であろう。ちなみに1号機の配管系統図は下記のようになっている。配管系統図も総合的なものは余り見かけなかった印象がある(あくまで印象だが)。

Karyoku196704_fig6 「福島原子力発電所の計画」『火力発電』1967年4月より

建設から40年経過しこれらの系統図は細部が変更されていると思われる。水素関係で目に付くのは窒素封入装置。ドライウェルの直上とトーラス室の右横にあるが通常用空気供給設備にのみ配管されており非常用ガス処理系には接続されていない。後年のフィルターベント設備では水素対策で窒素封入を併用している物がある。日本だと浜岡での設置計画には明記されている。

非常用ガス処理系は建設時より設けられているが、その仕様については『建築設備と配管工事』1969年4月号によるとエバスコが仕様を決めている。 本論で問題となる、制御・配管系統に関わる記述は殆ど無いが、各事故調等で仕様を提示していないので参考に引用する。温度・圧力・確認試験の内容に注目して 欲しい。 文章がややこなれていない感もあるがそのまま引用した。

このように非常用ガス処理系統は原子炉安全審査の対象ともなり、重要な役割をなすものであるから次に述べるようにフィルターは勿論のこと製作には種々の規制が設けられる。(中略)予備系統ともで2台の別個のガス処理用トレーンが一般に設置される。ケーシングはステンレス製でデミスター 電気ヒーティングコイル プレフィルター 高性能フィルター チャコールフィルター 高性能フィルターの順に設置される。

Kukichowa197010_fig5_sgts (注:上図のみ『空気調和と冷凍』1970年10月号P82から引用)

次に述べるのは米国のエバスコ・サービス会社の設計仕様書の概略である。

a)ケーシングは#12ゲージのステンレススチールの全溶接とする。テストは水柱300mmの負圧に耐え2psiGの圧力で4時間設置し漏水のないこと。

b)デミスターは1~5μ径の水滴に対し、99%の効率を持つこと。OTTO H YORK Co.型式321SRまたはAAFのT型を使用すること。

c)電気ヒーティングコイルは入口温度57℃ 出口温度65.6℃の容量のものである。

d)プレフィルター NBS変色法で最低45%の効率をもったケンブリッジ製エアロゾルブ43A-45と同等のこと。

e)高性能フィルター ケンブリッジ製IFT-1000と同等品にて工場にて次の検査に合格したものであること。すなわちU.S.ARMY EDGEWOOOD ARSENEL,136-300-175A 15JAN 1965のDOP Q-107の規格によるDOP SMOKE TESTで0.3μで99.97%以上の効率をもつものであること。

f)チャコールフィルター BARNABY-CHENEY製のTYPEFCと同等品で沃度を含浸させ相湿度70%に於てメチルアイオダインの形態で10%の沃度が最低99.9%除去できるものでなければならない。特にフレームおよびシール材はDUPONT REPORT DP-788およびDP-1028に於て推薦されているものを使うこと。チャコールフィルターは304L型のステンレススチール製で活性炭は763型すなわち1523型であること。

g)現場試験 インプレーステストは設置後ケーシングならびに高性能フィルター チャコールフィルターに対し実施される。高性能フィルターに関しては前述のDOPテストを行なう。チャコールフィルターのテストはAEC-RD(DU PONT)DP-870,DP-910およびDP-950に記載されたR-112によるガスリークテストを行ない上流側でR-112の濃度が500PPMのとき下流側で0.01~1.00PPMまで検知できるガスクロマトグラフで行なう。

h)排風機 この系統の排風機はシャフトシールが完全でリークがなく連続運転に耐えるようベルトのサービスファクターは200%のものであり温度130℃で適当なものであること。

「原子力発電所の換気設備」『建築設備と配管工事』1969年4月号P79-80

ポイントは温度仕様と材質。どの時点で仕様範囲外となったかなどを検証しておくべきだろう。エバスコでカタログを出していたとすれば、一読してみたいものである。なお「高性能フィルター」という言葉が出てくる。英語略称をHEPAと言い、1960年代頃から原子力のような特殊用途で使われ始めたが、その後はクリーンルームや病院、オフィスなどの空調にも使われる汎用的なフィルターとなった。

緊急遮断用バタフライダンパーについても下記のように説明されている。逆流防止ダンパーと同様のものかは不明。

原子炉建屋の換気ダクト中に設けられ緊急遮断するためのダンパーとして空調用のダンパーでは密封を保つことができない。またゲート弁では適当でないので(中略)バタフライダンパーが使われる。

従来原子炉建屋の換気設備に緊急遮断用としてウォーターダンパーといって水封式のものが使われていたが最近はこのバタフライ型のものが採用される。空気式のものが多く遮断時間は10秒以内としシートリングはステンレス製でありシート材料は130℃に耐えるためバイトンやシリコンラバー製が使われている。

「原子力発電所の換気設備」『建築設備と配管工事』1969年4月号P80

これも温度仕様と材質がポイントだろう。なお、非常用ガス処理系の活性炭フィルタは従来輸入品だったが、東電環境エンジニアリングは2000年代にツルミコールと共同で国産化している(「原子力発電所の非常用ガス処理系活性炭フィルタ国産化によるコストダウン」『電気現場技術』2004年8月号)。

【こぼれ話②-GE社は福島第一以前、どのようなユニットを建設したか】

2次下請として福島第一において4号機以外の換気空調設備工事を受注することになる、新日本空調の石母田崇氏は1号機建設時に次のように述べており、実に象徴的なコメントと言える。

BWR型原子力発電所の暖房換気設備の概略についてその一端を紹介してきたが、当社が原研の動力試験炉敦賀、福島1号炉を施工して多くの貴重な経験をした。しかしこれらは米国GE社の設計に依存したものであり、設計条件の問題、機器の仕様、ダクト、配管の材料、施工上の問題について検討を加える点が沢山あると思われる。現在運転中の敦賀原子力発電所の運転実績を調査中であるが、これらを参考にして、今後国産化されてゆく原子力発電所の換気設備に対し、技術的に経済的に研究を重ねてゆきたいものと念願するものである。

「原子力発電所の換気設備」『空気調和と冷凍』1970年10月 P86

全体的に問題意識を持とうとしていたのがよく分かる。にも拘らず、①どうして配管を合流させるような設計を採用し、②4号機は逆流防止ダンパを取り去られたのだろうか。一つ考えられる要素は、GEが抱えていた先行プラントが単独設置ばかりで、複数ユニットを1セットとしたプラント工事の経験が少なかったことである。

例えば、発注側の東電は原子力への進出に当たり、調査そのものは抜かりなく行っていた。1967年4月に発行された『図説電気工学大辞典 原子力編』ではP225より沸騰水炉の項目があり、当時世界で運転開始・又は建設中であったBWRが網羅されている。同書は東電原子力発電課の手になるものであるが、事故検証という文脈で眺めるのでなければ、只の古い参考書に過ぎない。だが、今この本を読み返すと調査を抜かりなく行ってもそれだけでは見落としてしまう点があるのがよく分かる。ここに挙げられているBWRは26基あるが、2ユニットで1セットとなっているものは福島と同時期に建設されたドレスデン2・3とブラウンズフェリーだけからである(インドのタラプール発電所は2基だが、原子炉建屋が一体化しているため、空調上はひとつの巨大な原子炉として見做せると思われる)。これでは、先行炉から得る物が無かったのは仕方がない。

日本関係に限定しても1960年代初頭に東電原子力発電課が参考にしていたドレスデン1号機、実証炉の触れ込みで原研がターン キー契約で導入したJPDR、原電敦賀1号機の全てが単独設置である。GE社の原子炉についても1960年代後半の専門文献では必ず参考にされているオイスタークリーク、福島1号機導入に当たり直接参考とした サンタマリア・デ・ガローナ等、単独設置ばかりである。

排気筒を共用しているドレスデン2・3号機の運開は1970年から1971年にかけてであり、福島よりはやや先行しているが、知見の蓄積が殆ど無い。プラントレイアウトは基本計画の初期に決定するが、共用設備の設計はGE-エバスコも 経験不足であり、ノウハウの蓄積は無かったと言える。GE社でこの状況なのだから、3・4号機で主契約者となった国内メーカーにそうした経験を求めることは無理だったのだろう。

【こぼれ話③ 3・4号機建設時の契約関係は調査されているか】

どの段階で失敗したのかを知るには設計会議の議事録や図面の変更記録を読むのがベストではあるが、行政・立法・司法の圧力でもなければ第3者がチェックするのは難しいし、常に全てが記されているとは限らない。それを埋めるのが、契約と商流の検証である。勿論、キングファイル、 或いは書類棚幾つになるかも分からない契約書一式の開示可能性も図面と大同小異なのだが、それらを欠いていても公知情報の丹念な集積はヒントを与える。

一方、各事故調の文献調査能力は疑問符が付く。まともなアーキビストやデータマンを使ったのだろうか。事故調に限った話ではないが、毎度 「ターンキー」の一言だけを連呼する者達も酷い。当事者の中にもそれを繰り返す者がいるが、単なる目くらましと思っておいた方が良い。契約条件は毎回異なり、サイト固有の リスクもその差異から生じる。

例えば、次のような話がある。

東芝は、米国GE社とBWRに関する技術提携をバックに原子力発電プラントの売込みを展開しているが、東電の福島3号機につづいて、東北電力の女川1号機、 中部電力の浜岡1号機を主契約者として受注内示をえて、BWRプラントでは日立を押えている。しかし、GEから導入する技術はGEの設計サイズごとに内容 がかなりかわっていると言われ、GE側の技術供与に対する態度は厳しくなってきている。東芝では現在のところ、福島2号機(主契約GE)で出力78万4千KWの技術を消化し、福島3号機では主契約者となっている。福島3号機の契約では、制御棒および駆動装置、再循環ポンプ、主蒸気隔離弁、逃し弁および安全 弁、タービン系制御装置、混合分離器、オフガス・コンプレッサー、オフガス・フィルターエレメント、タービン監視計器、核計装などが輸入となっている。しかし、機器の据付け、配置等に関するシビル・エンジニアリングについては、東芝はこのほど米国のエバスコ社から福島2号機用の設計資料を購入すると同時に、福島3号機の設計についてチェック&レビュウしてもらうことになった。この 契約内容は出力70万~80万KWの範囲で、契約期間5年といわれているが、安全の信頼をうることを目標としている。技術導入料金は公表されていない。

「東芝、米国エバスコ社から技術導入-福島2号機のシビルエンジニアリングで-」『原子力通信』1970年12月9日

当時、GE社はBWR-4を出力別に3タイプ準備していた。2号機と3号機は同型だが、プラントレイアウトは相違しており、少なくとも各種配管の取り回しは新規に検討の必要があった。この例ばかりでなく、一般に同型とされるプラントでもそのレイアウトは1基1基相違点があるのが普通である。プラントは一品物なのだ。だからこそこのレビューには意味がある。

ただ、原子力プラントの経験値はGE-エバスコの方が東芝よりずっと先行していたと言われるものの、チェックして貰ってあのような本質安全とは言い難い設計が残るのだろうかという疑問が沸く。

なお、4号機の換気空調設備は、同機が日立の一式受注であったため、唯一日立プラント建設が受注している。非常用ガス処理系は換気空調でも特別なポジションにあるとは言え、4号機のみ逆流防止ダンパが設置されていなかったのは、このことも起因するように思われる。日立は4号機のレビューをエバスコから受けているのだろうか。民間事故調やマスコミなどでも可能な範囲で、かつ確実性の高い方法は、エバスコの社報や社史を探すことだろう。

豊田正敏氏は3-5号機の建設の際「1及び2号機はプラント設計にコンサルタント会社としてエバスコ社を使っていたが、より技術力の高いと考えられたべクテル社に変えるようGE社に要請した」と述べている(『原子力発電の歴史と展望』P31-32)。東芝がエバスコにレビューを依頼したのは東電とは異なる判断の結果とも考えられる。また、プラント設計のコンサルティングを変更したことで、ノウハウの一部が継承されなかった可能性もある。

原子炉建屋全ての建設を受注した鹿島建設は従来モリソン・アンド・クヌードセン(MK)社との関係が深く、福島サイトにおいても同様であった。MK社からエンジニアを顧問に迎えていたため3号機以降の計画が動き始めた時点でも「進出してきてもわが社は手を結ぶことは無い」(「べクテル進出か わが国含めて市場調査」『日刊工業新聞』1969年2月7日)などと冷淡な態度を取っていた。MK社の顧問にとっても、余り面白くは無いだろう。

鹿島建設月報の福島関連記事にべクテルの文字は出てこない。

当原子力発電所の設計開始に当り、施主東電殿より「福島1,2,3,5号機に続く4号機はマークI型原子力発電所の最後のプラントとなることからその総集編ともいうべき最良のプラントを設計せよ」という強い要望がありました。

その趣旨にもとづき、共同設計者である東電設計と昭和46年8月より、基本設計に1年、実施設計に2年半、そしてアフターケアを含む諸検討を、今日、工事竣工までの長い歳月設計を担当させていただきました。

原子力発電所の設計は、毎日が技術開発の連続と考えられる位、一般建物の設計と異なり、厳しい耐震設計を含む安全設計、特殊建物であるための設計法の開発、膨大な情報の収集、処理等の連続でした。が、施主東電殿、機器メーカーである日立の理解と東電設計の強力、および鹿島の総合力を発揮して設計を行ない、当所の目標を達成することが出来ました。

早いもので原子力発電所の業務に関連して約10年になりますが、今までの経験を、今後、福島第二原子力発電所1号機を初めとする原子力発電所の設計に大いに役立てて行きたいと思います。

「設計に従事して 建築設計本部 佐藤拓朗」『鹿島建設月報』1978年2月号P5

4号機竣工に当っての文章だが今となっては掛け声の部分は空しく響く。逆に、社報での挨拶と言う短文ながら、「設計を誰と何時始めたのか」「佐藤氏はどんな人物で何を気にして仕事をしてきたか」といった観点で眺めると興味深い。この道10年のベテランでも「膨大な情報の収集」で泣かされてたとすると、それはウィークポイントとして見えてくる。

(次回に続く)

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