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2014年4月29日 (火)

福島第一原発の審査で外された「仮想事故」-予見可能性からの検討-

前回記事にて背景の内、電源喪失について審査の面から議論した。他の多くのトラブルにも共通する要素であるため、やや大枠の論題だった。今回は非常用ガス処理系に限定した記事だが福島第一関係者に紐付け可能な文献を元に、今回の事故が想定から外される過程を描写してみたい。

【要旨】
非常用ガス処理系不作動のケースを提起した論文はあるが、実際の原発審査では想定から外されており、電力側の求めに応じた可能性が高い。各事故調はこの事実を無視しており、東電事故調には技術倫理上の疑問がある。

【本文】

1960年代当時、シビアアクシデントと言う概念は確立されておらず、日本では大規模な事故は次の2種類に区分されていた。
・重大事故:技術的見地からみて最悪の場合には起こるかもしれない事故
・仮想事故:重大事故を超えるような技術的見地からは起こるとは考えられない事故

この内、仮想事故について東芝原子力技術部は興味深い論文を残している。

3.2.2 仮想事故
事故の仮定――立地審査指針の低人口地帯ならびに大都市間距離を決めるための仮想事故としては、重大事故を想定した際には効果を期待した安全防護施設のうち、幾つかが動作しないと仮定し、それに相当する放射性物質が放散する事故を想定する必要がある。そのため、再循環系破断事故の際、例えば炉心の全燃料体が溶融するという事態を仮想する。

解析の手法――重大事故の場合の解析手法と本質的に異なることはないが、幾つかの安全防護施設が動作しないと仮定したことにより、その分だけ放射性物質に対する減衰係数を除く必要がある。例えば重大事故ではその有効性を認めた非常用ガス処理系が仮想事故では除去能力なしと仮定して災害評価を行うなど。(例えばの話で、実際にこの様な想定をするとは、限らない。)

(中略)
4. あとがき
BWR固有の安全性を概説し、安全解析の手法を述べたが、災害評価における事故想定、解析手法はさらに検討を要する問題もあり、ここではその基本的な考え方あるいは例について述べるにとめておいた。

稲葉栄治、小川修夫「大型BWR発電プラントの安全性」『電力』1966年12月

原子力黎明期なのでシナリオの決定は相当の自由度に任されていたのだろうか。起因となるイベントは別だが、「機能しないと仮定した部分」は福島事故そのものである。言い換えれば、原因となるイベントは別物でも構わない。非常用ガス処理系の能力喪失も仕様に照らすと幾つかの要素に分解できる。私なりに解釈すると

○電源喪失時は弁を「開」状態にするという制御論理上の罠
○排風機が動作していないので建屋内部を負圧に保つ機能が失われている
○フィルターは静的機器だが、デミスター、ヒーティングコイルは動的機器である
○漏洩経路が他に出現する(地震動による破壊、不十分な状況把握の元で手動による弁誤操作等。今回4号機では報告されていないがケースとしては設定し得る)

といった内容などが機能喪失を仮定出来そうなケースと考えられる。「弁の「開」状態は後知恵」と思われるかもしれないが、こういった装置の仕様書には保護動作一覧表もあるのが普通。「最悪の事態を仮定せよ」と命じられれば、そこから逆問題的に導出することはよくあるテクニックだろう。

いずれにせよ「あり得ない」と言いながらもプラントメーカーから非常用ガス処理系の機能停止を仮定するように提案していたこと、これが重要なのだ。雑誌論文で敢えて書く位だから、東電とメーカーの間でこうした仮定を議論した文書も作成されたと思われる。人間の想像力がかなり具体的なレベルで事故を予見し得ることを明確に示した一文である。

設置許可との時間差も興味深い。論文が雑誌に載ったのは1966年12月号、東電がGEと福島1号機の正式契約を結んだのが12月で、発行はその直前、受付は月単位でその前と思われる。当時東芝と日立はGEの下請として参加することも本決まりであった。

仮定出来たのなら、次は放出量の評価ばかりでなく、非常用ガス処理系停止時のフェールセーフを検討しなければならない。1号機の設置許可申請が提出されたのは1966年7月である。この申請は「勉強会的雰囲気」の元で審議されたが、その期間が極端に短く11月2日に「本原子炉の設置に係る安全性は十分確保し得るものと認める」と報告された。以前も述べたが後にこの異常な早さ自体が批判の的になり、桜井淳氏などから単なる追認に過ぎなかったと批判されている。このような状況で、非常用ガス処理系まで手が回るのだろうか。

上記リンクの通りは原子力安全委員会月報にも概要が掲載されているが、重大事故と仮想事故を見てみると次のようにまとめられる。

〇重大事故:冷却材喪失事故、主蒸気管破断事故およびガス減衰タンク破損事故
冷却材喪失事故では非常用ガス処理系が動作することが前提
〇仮想事故:冷却材喪失事故、主蒸気管破断事故
※冷却材喪失事故ではドライウェルから原子炉建家への漏洩は無限に続く点などが重大事故の場合と異なっているが、
非常用ガス処理系に関しては相違点に含まれていない

この事故想定はパターン化され、2号機以降もさして変化が無かった(リンク先に3号機4号機の例を示す)。それどころか福島事故直前に審査されていた東電東通1号機まで同様である。フィルターの信頼性向上に伴い除去効率を1桁上げるなどの変更はあるが、本質的に何の変化も認められない。

実際の審査との比較から、『電力』の記事は原子炉安全専門審査会の審議結果への異論とも受け取れる。ここで前回記事にて取上げた内田秀雄氏の講演をもう一度引用してみよう。

また別の問題として事故想定が適切か否かということがあります。重大事故と言うものは、ともかく技術的には起こるかも知れないという最大の事故とされていますが、これをでは誰が想定するのか、さっき申しましたように安全評価というものは、私達がする前に電力会社さんがメーカーさんに対してなさる問題ですから、もち論わたし達も研究しなければならない問題ではありますが、やはり皆さんがまず考えていただく問題です。

内田秀雄「発電用原子炉の安全性」『火力発電』1967年7月

『電力』の論文が東京電力の手に成る物ではないことは内田氏の講演からも納得がいく。「電力会社さんがメーカーさんに対して」したことは上記の考え方に沿って非常用ガス処理系の不動作自体を仮想事故から外すように求めることだったのだろう。関東の電力会社なのに、大した「勉強」(値切り)振りである。

なお、3号機の場合、冷却材喪失事故(仮想事故)の影響は次のように評価された。

解析の結果大気中に放出される放射能は、内部被ばくに関するものとして全沃素が約94Ci外部被ばくに関するものとしてハロゲン約1,200Ci希ガスは約1,500Ciである。
敷地外において線量が最大となる原子炉から約800mの地点における線量は甲状腺(成人)に対して約78rem全身に対して約1.2remである。また、全身被ばく線量の積算値は約12万人remである。
(中略)
上記各仮想事故時の被ばく線量は立地指針にめやす線量として示されている甲状腺(成人)300remおよび全身25remより十分小さい。
また、全身被ばく線量の積算値は、国民遺伝線量の見地から定めためやす線量の200万人remより十分小さい。

非常用ガス処理系のヨウ素除去効率は90%を仮定している。これが不動作の場合全ヨウ素は約940Ciとなる。希ガスはKrなど一部を除き概して半減期が短いそうだが、この仮定の下で被ばく線量がどのように変化するか、多少放射線に明るい人なら計算は出来るだろう。この仮定を認めた場合、「十分小さい」とは言えなくなり(例えば1桁以上の余裕が確保できなくなり)、非常用ガス処理系の不動作を仮定することは許容出来なかったとも考えられる。

また、元東芝の渡辺敦雄氏は事故直後から「事故を深刻にした多重トラブルは設計当時、想定されていたものの、確率論から遠ざけられていた」と証言している
(『中日新聞』2011年5月22日)。氏は当時63歳、入社は大卒後で証言の丁度40年前というから1971年となり、福島第一各号機の設置許可申請には関与し得なかっただろう。しかし、1号機設置の段階でその文化が形成されていたことが、公開文献の突合せだけで裏付け出来た非常用ガス処理系が不動作となるケースはその気になれば想定に繰り入れることが出来、予見可能だったのである。本件も津波や電源喪失の想定外しと同類だったと言うことだ。

そこまでして安物原子炉を早急に求めた理由は、ETV特集では代理店(商社)からの攻勢などが挙げられているが、私にとっては謎が残る理由付けだ。例えば正力松太郎の場合は威信財と判断出来る材料に満ちているが、木川田一隆、田中直治郎等にそういった動機は乏しい。また、審査側の内田氏は戦時中、一造船士官として 空母信濃の最終艤装に関わった経験があるが、結果を眺めれば、急造計画の問題を自身で体感している筈である。

論文が公知だった以上、原子力安全審査会は、設置不許可とするか、不動作とならないような安全措置を厳格に規定するように勧告し、それを公表するのが筋だった筈である。そうすれば、あのような惨めな失敗を避けることが出来たのかも知れない。勿論、東芝も「例え話」で終わらせてしまったのは問題だ。きちんとした論文に仕立て上げ、根拠を示したのだろうか?個人的な経験からすると、そういう文献を調査して出てくる期待は望み薄だ。私は他にこの手の論文を読んだ事が無い。

そして、この点を明示出来なかった各事故調の調査・分析能力には一部識者が指摘するように、重大な瑕疵がある。加えて東電事故調には技術倫理上の問題がある。大前研一氏は著書で仮想事故の問題に触れているが、文献踏査によるものではない。読者の皆様には、改めて関係者の恣意性を実感して欲しい。大前さん、想定はこうやって外され、調査報告でも隠されるのですよ。

2014/4/30夜:途中分かりにくい部分の表現を修正

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