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2014年4月29日 (火)

長時間の電源喪失を無視した思想的背景-福島第一を審査した内田秀雄の場合-

そもそも、4号機の非常用ガス処理系が欠陥設計となった背景についてはどの事故調も何も語っていない。これは、各事故調が歴史に興味を持っていないからではなく、津波想定や耐震設計に関しては(彼等の解明出来た範囲で)経緯が記されている。

水素発生の原因である炉心溶融の他、止めの一撃となった非常用ガス処理系弁が開状態となった件についても、その原因は電源喪失である。この電源喪失に関する規制について政府事故調は次のように経緯を説明する。

昭和52 年6 月に、原子力委員会(当時)が、これを全面的に見直して「発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計指針」として改訂を行い、電源に関する記載は以下となり、

指針9 電源喪失に対する設計上の考慮
原子力発電所は、短時間の全動力電源喪失に対して、原子炉を安全に停止し、かつ、停止後の冷却を確保できる設計であること。ただし、高度の信頼度が期待できる電源設備の機能喪失を同時に考慮する必要はない

また、その「解説」において、以下となった。

指針9 電源喪失に対する設計上の考慮
長期間にわたる電源喪失は、送電系統の復旧または非常用DG の修復が期待できるので考慮する必要はない。

「高度の信頼度が期待できる」とは、非常用電源設備を常に稼働状態にしておいて、待機設備の起動不良の問題を回避するか、または信頼度の高い多数ユニットの独立電源設備が構内で運転されている場合等を意味する。

現時点では、この「短時間」が導入された経緯や、「短時間」と限定が付された根拠は不明である

(中略)なお、当該規定に関して、当委員会による関係者のヒアリングにおいて、「我が国の停電に関するデータ及び自分の停電の経験だけでなく、当該指針を作ったのは自分の先輩たちであり、その方々は人柄以上に、実績と深い専門知識を持っており、信頼していたということもあって不審とは思わなかった。」旨の供述が得られている。

「4 シビアアクシデントに対する対策の在り方」(中間報告IV)P411-412,414

(中略)とした部分には1980年代以降に様々な見直しの機会があったが指針9の考え方をずるずると引きずったことが書かれている。また、直流電源については短時間の根拠は最終報告で更に経緯が解明された。今回注目するのはこの「先輩」である。

桜井淳「日本の初期の頃の軽水炉安全審査にかかわった研究者たち」『日本原子力ムラ行状記』(2013年12月)によれば1号機から5号機が設置許可申請された時期(1966年~1971年頃)、原子力委員会に設けられた原子炉安全専門審査会の会長職にあったのは内田秀雄という人物であったという。確認したところ1号機の認可時点では向坊隆氏だが、3号機4号機の頃には確かに内田氏に代わっており、指針9を策定した1977年、偶々別件で福島第一の変更申請が出されたが、その時も内田氏は同職にあった。

なお原子炉安全専門審査会とは「勉強会気分」かつ半年未満の短期間で認可を出した審査会で、当時から『電力公害』などで問題点を指摘されていた。その後、内田氏は1978年より数年間原子力安全委員会委員にも就任する。時期的には指針9が書かれた頃である。

まずは、安全審査会時代の言動について引用してみよう。内田氏が火力発電技術協会にて電力会社、メーカー技術者相手に講演した時の記録である。

こういった事故がもしあったとしたとき事故経過の拡大と波及を防ぐ装置、いわば火災に対する消火器に相当するような装置、すなわち冷却装置とか、格納容器とか、あるいはフィルタなどを安全防御装置といっておりますけれども、それがどのような効果を及ぼすかということと、fpがどのような経過をたどって燃料から放出され、どう変化していくかというfp放出の挙動についての化学的検討等が加わりまして最後の災害評価となるわけです。

ですから後備安全防御装置の性能というものが十分確かめられますと、安全評価に技術的な効果を加えることになりますし、また不十分ですと事故規模の大きさというものが非常に大きく出て来る可能性があるわけであります。またこれが期待しているよりも実際に性能が悪ければ、想定事故に対しての安全評価が小さく出てくる心配があるわけです。

また別の問題として事故想定が適切か否かということがあります。重大事故と言うものは、ともかく技術的には起こるかも知れないという最大の事故とされていますが、これをでは誰が想定するのか、さっき申しましたように安全評価というものは、私達がする前に電力会社さんがメーカーさんに対してなさる問題ですから、もち論わたし達も研究しなければならない問題ではありますが、やはり皆さんがまず考えていただく問題です。

ということは、技術の進歩と同時に、技術的にはあるかも知れないという事故というものは、だんだん小さくなるだろうと期待してよいだろうと思うからであります。

注:fpとはfission product、事故の際放出される放射性物質全体を指す。

内田秀雄「発電用原子炉の安全性」『火力発電』1967年7月

私は批判的な文言を赤字で強調しているが、上記の言は一面の事実である。黎明期の内田氏はかなり将来の技術進歩に期待し楽観的であった。指針9が書かれたのは上記講演の10年後だったが、長時間の電源喪失は既に外された形で制度化された。そこに、進歩の形跡は見られない。当時の技術でも、比較的低コストで対応することが出来たであろうにも関わらず、である。電力会社の想定の考え方にも問題があるのだろう。別の面からこれは次回取上げる。ところで、大前研一氏はこれを次のように述べている。

原子力安全委員会の指針集からの抜粋を見てもらいたい。ここに「長期間にわたる全交流電源喪失は、送電の復旧又は非常用電源設備の修復が期待できるので考慮する必要は無い」と書いてある。これは原子炉の設計・運用指針であるから、原子炉メーカーと東電はこれに基づいて原子炉を建設・運用してきたわけである。

福島原発事故に何を学び、何を生かすべきか (3/12)(2011年11月15日)

それは、違うだろう。昭和52年、すなわち1977年と言えば、相当数の原発が稼動を始めている。実質は業界内部の合意事項を形にしただけだと思われる。前回も書いたが「人や組織はそれを防げなかった追加的な原因」ではなく、規制を決めるのは人や組織(先輩、後輩を含む)である。実は、安全設計指針に限らず、耐震設計指針なども後の時代になってから業界内の自主規制が制度化される道を辿っている。国の制度を追う事は必要だが、その周辺にも目配りは必要である。

その後、内田氏は1997年に次のような回顧録を出している。収載された文章が何時書かれたのかは定かではない。

TMI事故を契機として注目された、いわゆる静的機器を重視した受動的安全特性を持つ中小型原子炉に関しても、静的機器は信頼性が高いものであるという前提が必要である。破断を仮定する配管は静的機器の一部ではあるが、それ以外の他の静的機器の健全性喪失を無条件に拡張・仮定することは妥当ではないという合意がある筈である。原子炉の究極の安全を達成するためには、冷却系の確保が絶対に必要である。冷却材系統・機器と冷却材流動を確保するためには電源と最終熱の捨て場(ヒートシンク)が確保されなければならない。しかし無制限に長期間の電源喪失(非常用電源の喪失をも含めた全電源喪失)を仮想することは適切ではない。電源の信頼性は本来の原子炉施設とは独立のものであり、外的事象である。(中略)理学で扱う事象は連続であるが、それを現実の物にする場合は、限界・枠組みを設定する必要がある。無際限に想定事象を拡大することは無意味であり避けなければならない。

内田秀雄「工学的思考 不確実性の評価」『機械工学者の回想』P29

「工学的思考 不確実性の評価」には原子力黎明期からそのような認識が底流にあったこと、原研の菊地正士氏が1973年、原子力学会での口頭発表用に準備した未発表原稿にも同様の論説が明記されており、当初は内田氏もそのような見解を表明することに賛成ではなかった旨が記されている。菊地氏の論題が「原子力発電の安全性とパブリック・アクセプタンス」であったことも実に示唆的である。内田氏は雑誌投稿実績が多くある人だが、上記文言は高木仁三郎「核施設と非常事態 : 地震対策の検証を中心に」(『日本物理學會誌』1995年10月号)での問題提起を意識した文章とも取れる。当時既に高木氏は反原発で筆頭に挙げられる論客・大御所(当人にその意識は無かったと思うが)だった。つまり「有名人」なので推進派でもその言動は注目する人が多かったからである。

しかし、1980年代から1990年代にシビアアクシデント対策のため電源喪失問題に取り組んでいた「関係者」達は、最終的に原子力安全委員会委員長に上り詰めた内田氏、或いは原研の菊池氏のような「先輩」を師と仰いで模倣したのだろう。その結果、彼等も電源喪失を短時間しか考えなくなった。

内田氏は2006年に逝去したため現在改めて設置許可時の証言を取ることは出来ない。しかし、「工学的思考 不確実性の評価」で示した考え方は、結局一般産業の延長で低確率事象を決め付け、裾切りを行うための議論だ。桜井淳氏が何故裾切りの部分否定という問題意識を持つに至ったかも、内田氏のような認識を読むと理解出来る。

内田氏もファンやディーゼル発電機が静的機器ではないことは理解していたが、「電源の信頼性は本来の原子炉施設とは独立のものであり、外的事象である」というのは巨大システム論・事故論回避のためのセクショナリズムに過ぎなかったと言える。ついでに述べるならば「理学」は純粋数学と同義ではない。物理現象と言う現実を説明するための手段と解するのがここでは妥当であろう。

もう一点指摘したいのは安易に将来の技術進歩に期待する危うさである。実際には「先輩」の真似を繰り返して進歩が停滞したり、見かけの故障確率低減に幻惑されて誤ったモデルをイメージしてしまう可能性があるということだ。福島事故で起こったことは正にそれである。「技術の進歩と共に」といった言葉は時として問題の先送りに繋がることを認識しておかなければならない。安易な唯物論に走った東電や大前氏は論外として、政府事故調は安全文化での失敗、国会事故調は規制の虜といった所を論旨の売りにしているが、それが何故発生するかを私なりに見ていくとこの問題意識に行き着く。説明としてはコインの裏表のようなものだが、頭には入れておきたい。

本記事最後に、情報への接し方も意見を述べてみたい。

政府事故調には上記のように一部当事者を匿名化する悪癖がある。「畑村の方法でやった」マイナス面だが、内田氏のように、思考過程についてある程度公知となっている人物については名前を明記した上で参考とするべきである。

また、内田氏のような言動はジャーナリスト等が事故後に聴き取り調査したり、別の文献で示しているかも知れないが、毎回述べているように、福島事故バイアスの無い古い文献で確認することの重要性、および福島第一に審査と言う形で関与した当事者性の高さから、内田氏を取上げたものである。例えば原子力史を批判的に分析している著名サイトと言えば「東京の「現在」から「歴史」=「過去」を読み解くーPast and Present」があり、私も良く勉強させていただいているが、本記事執筆時点で内田氏を取り上げた記事は見当たらない(ブログ内検索もやってみたが)。NHKのETV特集「原発事故への道程 後編」(2011年9月25日放送)は早期に内田氏を取上げているが、他サイト(伊方)裁判での国側証言者という間接的な形だったようだ。従って当記事が本質的な部分での史観形成をフォローするのに役立てば幸いである。

(次回に続く)

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