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2013年11月16日 (土)

【書評】『オーラル・ヒストリー』中公新書

御厨貴『オーラル・ヒストリー』中公新書(2002/04)

副題は「現代史のための口述記録」。

第1章から非常に興味深い議論が展開されている。

当事者から情報を引き出すという行動には色々な性格付けがあり、著者は類型化している。

○マスコミなどが好む追及、議論型
○アメリカでヒストリアンを雇って裁判の際の証言に役立てるのに用いられる予防型
○日本の年史にみられる記念型

上記のような類型があるとのこと。著者の場合は歴史家の検証に役立てるため、敢えて反論はせず、淡々と質問を積み重ね、その質問に対する相手の反応全体を保存する方式を取っている。いわば歴史法廷型と言えるだろう。

中盤ではオーラルヒストリーのやり方についても具体的に指南している。

基本的な考え方として著者は、最初から欲しい質問をダイレクトにぶつけて答えを引き出す方法を取っていない。オーラルヒストリーと言っても、思い出話を丹念に聞き取るもので、見た目は雑談に通じるところもあるようだ。このような方法を取るのは、対象者の無用な緊張をほぐし、歴史的な出来事に対する基本的な知識、共通の土俵を作るところにもあるようだ。

マスメディアの場合、限られたインタビュー時間の中で欲しい情報を取る必要があるが、話運びが下手な者も多いことは一般的にも知られている。コメントを捻じ曲げられたという憤慨も多い。特に酷いのは、最初から質問者の主張を押し付け て、糾弾の場か何かと勘違いしている輩。この場合、対象者は二度と取材を受けなくなり、或いは受けても何も有益な情報が返ってこなくなる。

勿論、相手の言うことをそのまま鵜呑みにするような聞き取りは、問題である。それはそれで、提灯記事の作者と違いが無い。そこで、著者のオーラルヒストリー では「問わず語り」の手法を取っている。相手の言い分は取りあえず聞いておき、その後、関連した話題などにも随時触れ、聞き取りにも時間を使う。そうする ことで、次の聞き取りの時には対象者が自己の記憶をたぐり寄せてより正確なニュアンスで話そうとする、という。この場合、研究者が相手に取り込まれてしまうリスクもあると思われるが、長時間話を続けて何度も会うと言う事は、隠したい秘密を持つ相手に取っては表情などのボディランゲージ、物しぐさなども晒すこととなる、というメリットも考えられる。

ただ、個人的には若干の違和感が残る点もあった。

御厨氏は『社史』を「毒にも薬にもならない話しか載らない非常につまらないもの」として切り捨てている。社史の評価としては類型的でもあるが、この意見は自分の専門を引き立たせるため偏りが感じられる。実際に様々な社史を読んでみると、各社それなりの個性もあり、文章的なボリュームのあるものについては、ある種の歴史書として、文の完成度が高い。そのような社史は、当たり障り無い表現ながら、当事者ならではの視点から見た分析、実績などがさらっと書かれていることがある。

企業がある事件などでバッシングを受けた後に社史を刊行した場合、その中には静かな反論も含まれるのではないかと考えられる。バッシングが根拠の無いものであった場合には意味があるだろう。社史に関しては、むしろまだまだ未開拓の領域だと考える方が良い。業種によっては、他の資料との突合せが少ない分野もまだまだある。

もっとも、原発事故後広く知られるようになった電力業界の裏面史などを見ていると、御厨氏の指摘した欠陥に肯かされる事も多いと思うようになった。東電の社史が良い例だが、文章としてはそれなりに完成度が高いものの、原子力に対する問題意識を掘り下げて書いているとは言えないからである。実は同じことは水力や火力、送電などにも言える。

※東電自体もこの欠点は認識していたようで、1990年代には11巻から成る『東電自分史』を刊行し、電力会社としてはかなり歴史的記述の充実に注意を払っている。在職中に死亡した田中直治郎のような物故者の回顧、重要論文の収録は無いものの、本音の吐露もそれなりに多い。

ただし、仮に東電が事故後に社史を刊行したとして、自社の失敗を誠実に書き下すとは到底思えないし、過去と同じ語調で原子力の明るい面を宣伝してきたことを省察するとも思えない。このことは、「東電事故調への疑問」にて詳述したとおりである。社内外の警鐘を全て無視し、原子力に最も貢献した地元住民を強制移住に追い込んでしまったなど、バッシングされるだけ理由も存在している。巨大な経済被害に対して、放射線科学の面で細々とした反論を書いたところで、どれだけの埋め合わせになるだろうか。利権や株式投資目当ての右派が歓喜するだけだろう。

上記のように、社史は「当事者の意思に委ねてしまう」という致命的な欠陥を持つ。それでも私が利用価値があると考える理由は、上流/下流工程或いはライバルとの企業間競争において基本的な情報を提供しているからでもある。もし解明すべき疑問があればそこから掘り下げた取材を行っていけば良い。ライターの中には反資本主義と見做されかねないレッテルを貼って事故後に聞き出した話を「新事実」であるかのように書いている者も見かけるが、接触した関係者は過去に配られた社史に書かれている話を「社内伝承」的に伝えてあしらっただけなのではないか、と思う例もあった。自分のイメージする鋳型に嵌めようとして失敗しただけでなく、うまいことすり抜けられてしまっているのではないか、ということだ。

もう一つ、疑問に感じたのは、著者の想定している資料収集の幅が狭いのではないか、ということ。著者は社史同様、昭和時代以前は記録を残すことに官僚たちが無関心で、高度経済成長の実態が分からなくなっているとも主張している。

これは、当時情報公開制度が未整備で恣意的な文書廃棄が行われたことが情報公開の流れの中で問題視されていったことに対応した記述なのだろう。基本的には内部文書が数ある記録類の中で最も詳細で事態の評価に当り重要なポジションを占めるので理解は出来る。むしろ、そのような情報公開制度の厳格な運用なくして、特定秘密保護法のような法律を成立させてはならないとすら思う。

しかし、高度経済成長時代の出来事を色々調べてきた経験上言うが、OSINTの「公開情報収集で所与の情報の8割は取得可能」という一般原則からするとちょっと極端ではないだろうか。ある出来事について調べていくと、専門雑誌や業界新聞ではその出来事の進行中に討論会なども企画されており、個別のインタビューもある。また、技術史の観点からは当時どのような意図を込めてその製品なりインフラを造ったかが、より細かい点まで触れられている。

今では当たり前になっている法律、制度やスキームも同様である。最初に作った時にはキーマンとなる官僚個人の思想や省庁間の利害が、分かり易く示されていることも多い。むしろ、後に制作される文物の方が「生みの苦しみ」を知らず、一面的な結果だけを加工して与えている感すらある。この傾向は特に、日本のテレビ番組が関与した場合に強く出ているように思われる。

近年の方が専門家のインナーサークル向け業界誌でも、すぐ世間一般に情報が流れてしまうため、かえって所属官庁のウェブサイトから抜粋しました的な「小奇麗な記事」が多く目に付くようにも感じる。

各分野の出来事に関連する学会の定期刊行物でも、そういう面白くない記事がある。あれは会員にとってはニュースとして読むべき記事なんだろうけども。

ただ、この本での話は軍事史を始め、どの歴史分野に置き換えても有用なもの。戦記、証言系の本を漁って歴史を調べている方は、物の考え方を知る意味で必読である。 インタビューという、基本的な情報取得の手法を「型」として学ぶには有用であると言えるだろう。

軍事板書籍・書評スレ40および41より全面的に再構成・加筆
※本記事は再読次第、追記する可能性あり。

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