日露戦争の要素をオマージュした仮想戦記はこれまでにもいろいろあった。
あの戦争で日本は春日型装甲巡洋艦を急遽取得し有効活用、単一の艦型としては戦勝に大きく寄与した。
これをモチーフにした仮想戦記があったら面白く読むだろうな、と思うことがある。
何故かと言えば、太平洋戦争期の日本は、周知の通り連合国に比較し国力が絶望的に不足しているから。勿論、作り手から見れば、海外製の軍艦に自国の旗を掲げさせるような歴史改変は読者向けのファンサービス。それだけでは戦争の流れは大きく変化しない。『巡洋戦艦浅間』は知ってるが、あのシリーズ程は弄らないという前提。
仮想戦記といっても、戦争の結末変更を目的に書かれてない作品も多い。私が今回書いている改変ギミックも、単体ではそういう性格のものである。最終的には史実に準じて終戦。他の歴史改変と合わせ技にしても良いが、そういう大作物は練るべき設定が多くなり過ぎるから、ある意味誰にとっても負担だしね。
そう言えば、一時期流行した仮想戦記批判には、「改変するなら絶対戦争に勝つべき」みたいな変な意識があった。多分、そのように決め付けなければ、批判出来なかったのだろう。当時の批判本や批判サイトを思い出すと、当の仮想戦記作者や読者とずれてる物が多い。「〇〇していれば勝ったというのは誤りである」という主張は相手を見て出てきたことと言うよりは上記のようなワラ人形無しには成り立たないものだった。
仮想戦記ビジネスに関与した者が仮想戦記批判を垂れ流したり、仮想戦記批判を行う者が奇妙な歴史批判や「仮想戦記の方がまだマシ」と思われる幼稚なたらればを歴史論争として議論する、90年代から2000年代はそういう見苦しい姿も散見された時代だった。疑似科学批判者の末路と同じく、その種の人種にありがちなことに自覚と反省は全く無い。
で、外国からの軍艦購入の話に戻る。
環境の違いはある。日露戦争が局地戦争に過ぎなかったのに比べ太平洋戦争は既に発生していた世界大戦を拡大した形。従って、当時1級の艦艇を建造できる列強は全て何れかの陣営に組み込まれることになった。無条約時代なのでどこも自国の艦隊を充実するために精一杯、連合国を除くと他国に売るために建造出来る余裕のある国は殆ど無い。
自ずと出物は限られる。しかし、そんな第2次大戦期でも例外はある。第2次大戦開戦初期のドイツだ。
ドイツも、戦前はZ計画を立てて大艦隊建設に勤しんでいた。しかし、元々海軍国ではないので艦隊にそれほどの価値を見出さない。加えて指導者に権力が集中している割に、その指導者達に気分屋の気があるので、方針が数年で変わる。1940年7月には水上艦の建造を殆ど止めてしまった。その後、独ソ不可侵条約で入手した資源とバーターに、建造中の重巡1隻を中立国ソ連に売却し、空母用に準備した艤装品はイタリアに引き渡している。1940年当時進水を済ませ艤装中だった大型艦を挙げると、重巡2隻、空母1隻となる。改変する場合、『奇跡の巡洋艦』のオマージュとして「ルイトポルトと成る筈だった」と1隻紛れ込ませても良いだろう。
対して日本側。一応は必要性の論理も考えておかないといけない。欲しい出物は挙げればきりがない(それこそどっかから駆逐艦50隻譲って欲しい位)が、巡洋艦以上の大型艦もそうだった。そのサイズになると建造出来る船台・ドックが限られるため、起工~進水までの過程もボトルネックの一つであった。従って、数次に渡って建てられた軍備充実計画では、巡洋艦の充足率が他艦種に比較しても極端に低い。
作劇側としても、巡洋艦クラスは使い勝手が良い。軽空母に仕立て直すことも出来るし、工期は戦艦よりは短い。行き足が速く同種艦も多いので、何度も戦場に投入された実績があり、見せ場作りには事欠かない。
なお、このアイデアに関連して興味深い事例がもう一つある。イタリアは1920年代の旧式駆逐艦を4隻ばかりスウェーデンに売却している。1940年5月のことだから、英仏へ宣戦布告する直前の時期だ。スウェーデンの鉄道を介したノルウェーへの資源輸送問題で英国との関係は悪化していたので回航中拘束されるハプニングもあったが、最終的にはスウェーデン海軍に引き渡されている(参考:『中立国の戦い』)。
従って、単純に考えればドイツの出物を入手する改変が良い。昭和期の日本海軍は全体としてはドイツに冷淡な者が主流で、1936年の日独防共協定も陸軍主導だったが、技術を目当てにした親独派も結構いたことが知られている(参考:『海軍の選択―再考 真珠湾への道』など)。改変のポイントはこの辺だろう。親独派の影響を強めるような操作を行い、ドイツ側はヒトラー、カナリス、リッベントロップなど相対的な意味での親日派の影響を強め、中独合作の残滓は早期に排除し、下地を作る。大戦勃発前は軍艦入手の見込みなど無いからそれほど前から改変する必要はない。購入打診はどちらから出したことにしても良いが、1939年末~1940年以外はあり得ない(なお史実では39年末は独ソ不可侵条約締結の為日本側のドイツ熱は一時的に冷却化している。再熱するのはファニーウォーの終焉後、3国同盟締結は40年の9月である)。
問題は、回航ルートにある。1940年当時の日本は枢軸寄りではあるが英国に対しては中立であった。日露の際はロシアの妨害から英国が守ってくれたが、第2次大戦期は逆の状況。浅間丸の事例などを引くまでも無く、開戦後英国はドイツに向う中立国船舶を臨検・拿捕し、ドイツ向け軍需物資を抑えにかかっていた。ソ連への重巡売却の場合は、スペインに対して行ったのと同じく、中立国への武器売却なので状況は逆であるというのは一つのポイントで、この点は日本を相手にした場合でも同様である。また、ソ連へ重巡を売却したケースは北海・バルト海の移動なので英国は手出しが出来なかった。が、日本への売却の場合にはどのルートを取っても本国や植民地をかすめていくことになるため検討を加えておかなければならない。この他に燃料の手当の問題(ドイツの状況から言えば自弁を求められる)もあるので、スペイン辺りまで油槽船+利根型1隻、或いは剣崎などを出迎えに出す必要があるだろう。運行に必要な最低限の人員はシベリア経由で送り、現地で日本の軍艦籍に入れてしまうのは当然の処置だが、必要ならその程度の配慮はしなければならない。
もっとも、1940年当時の英国は5月にチャーチルに交代するまでは腰が引けており、その後も40年一杯は日本に強い態度を取る気が無かった(参考:『イギリスの情報外交』)。空母の場合、例えドンガラでも無視は出来ないので更なるストーリー上の工夫(改変)が必要かも知れないが、未成重巡程度なら黙認せざるを得ないだろう。どうせ英国も援蒋やら自由フランスやら似たようなスネは一杯あるしな。
完成品でなければならないか、という点もポイントだが、日本は十分な艤装能力がある。ざっくり言って進水と機関据付が終わって巡航さえ出来れば回航には十分である。むしろ、兵装を下手に完備していると英国を刺激し過ぎるし、補給整備にも問題が多いので、ドンガラの方が良い。仮に重巡として艤装するにしても、日本製の五十口径三年式等々で十分だ(元々数合わせのコンセプトなので)。機関整備は神鷹で苦慮した事実があるので同様の問題があるが、購入自体が技術導入の一環て流れなら別に構わんだろう。鹵獲と異なり正規の契約なので、必要な文書や技術員も手配出来る。
後の活躍?波及効果?まぁそこは色々想像出来て興味深い部分。
他に「ニコニコ超会議に参加した某有名政治家が手違いから戦車の操縦席に座ることに。間違ってアクセルペダルを踏んだ結果、集まった右翼系の軍事オタク達を轢死してしまった。この事故で新戦車は如何無く本土決戦における避難民排除のポテンシャルを証明。与党におもねったマスメディアの印象操作で事件は闇に葬られた。この事故対応の過程を通じて現代日本の歪みを描く。」なんて仮想戦記も思いついたが、前述のアイデアの方がロマンがある。
※13/10/24追記。記事名改題。一部修正。
【追記】16/12/10
この発想、模型マニア的目線で気に入っているので、上記の発想をベースにディティールを付けたらどうなるか考えてみた。見れば分かるように、奇をてらった未成兵器は排除してある。軍艦購入というウソをついているところに新兵器と来ると、大分リアリティが薄れるから。
ソ連からの物資提供用だった件との兼ね合いは、仕方ないので日本がソ連を介して物資提供する形しかないだろう。その辺の改変辻褄合わせはまだ詰めていないが。
下記に示す「計画」を見たマニアの多くはこのような反応を示すと思う。
- カッコいい原設計のまま完成品になるまで待って取得すべき
- 大幅にデザインを変更して武装や装甲を増やせ
- 日本海軍の未成兵器を搭載しろ
- スペックの低下は認めない
- 軽空母にすべき
これら要素、全てリアリティと工期を損なうので採用しなかった(軽空母案だけはそれを補うメリットがあるが、私の好みで捨てた。ソロモンならいざ知らず、大戦中盤以降、海戦の帰趨を歪めるのに軽空母にしたところで力不足なのは変わらない。他の改変と合わせ技で単発のゲストキャラとして使うならともかく、目立つ出番が作れない。)
むしろ、ノベライズの暁には、この手の欲張りを悪役として登場させ、邪魔物として排除する過程を活写した方が面白い。一見もっともらしい理屈を並べるが追い込まれると逆切れして意味不明なことを絶叫して貰うとかね。「巡洋艦なんか、日本で簡単に作ってしまえばいいではないか」などとさも不思議そうに間抜け面を晒す高官を登場させるのもいいだろう。勿論、劇中の味方役の人物にはっきり「この間抜け」と罵倒させて。
ついでに言っておくと、政戦略レベルで三羽烏が使った言葉「独伊の海軍は問題外」を鸚鵡返す奴輩も、このような場合は有望な間抜け面候補だ。ここは三国同盟を回避する仮想戦記じゃないんでね。単なるナチオタのネトウヨもお断わりだが、逆方向に向かった教科書的説教を繰り返さずにはいられないキッショい自称リベラル君や場末の一個人の箱庭を土足で荒らしに来る倫理君。チミらが御所望のそういうのは鮭先生とか村上龍とか他所あたってくれと。
日常のサラリーマン生活でよくあるシチュエーションからネタを拝借するのは当然である。そういう部分で話を作っていくのが、仮想戦記の一つの在り方だと思うが。
【艦名】
伊吹(元サイドリッツ)
筑波(元リュッツオウ)
※RSBCより命名順を頂戴した。
購入に当たっての基本的な考え方は、船体と機関は原設計を流用するが、武装と艤装は日本式とすることにより、早期に就役させるものとされた。
【船体】
全長:210.0m
全幅:21.8m
吃水:7.9m
後述のように主砲塔が日本式となったことで軽量となっているが、燃料搭載量を調整するなどして排水量は殆ど変っていない。
購入時工程上の問題および、契約内容に武装が含まれていないため、上部構造物の大半は存在していない状態で回航された。武装が含まれなかったのは、日本側の都合としては整備補給の難があったこと、独側としては大西洋防壁への資材転用に充当したい都合があった。
【艤装】
日本軍艦籍への編入に当たり、上構が未整備だったことに加え、ビスマルク級に酷似した外見を採用する意味が無くなったため、艦橋構造物は大淀の設計に類似したものが設置されている。これは、戦隊司令部機能を求められた結果でもある。
艦橋周辺は最も変化のあった部分であり、設計対応の工数も多く消費した。勿論、艦橋ばかりでなく、各種艤装品を日本製に変更したことによる各部重量・復原性の計算、電気配線等、手間を要する作業は他にもあった。
また、開戦後の戦訓を採り入れて順次舷窓を閉塞している。
居住性は日本重巡より排水量が大きく艦内容積が余裕があり良好だった。また、原設計が北海やバルト海での行動を前提としていたため、寒冷地での作戦に向いていると評された。
【武装】
主砲塔の増加といった大幅なレイアウト変更は早々に放棄された。また、ミッドウェイ海戦後空母への改装が求められたが、既に大幅に工程が進捗していたことから取り止められている。
主砲の日本式への換装に当たって3案が検討された。
- 50口径3年式20.3㎝砲8門
- 60口径3年式15.5㎝砲12門
- 55口径3号3年式20.3㎝砲8門
結局最も無難な1案に落ち着いた。2案は砲塔数が減少する状況下で威力の低い15.5㎝砲を新規製造する意義が無かったことから避けられた。なお、購入打診時点では、最上型から降ろしたものは大和型4隻及び大淀型2隻への流用が決定済みで、これらを当てには出来ない。1案であっても主砲は新造する必要があるが、製造設備は最上改装用の砲塔製造まで使用した設備・各種治具等がそのまま使えるメリットがあった。
3案はロンドン条約時に既存重巡の主砲換装用に試作された砲を再び採用するものであった。原設計の60口径と近く推進の期待は大きかったが、流用設計とは言え砲塔・射撃装置の設計を修正する手間が新規開発と余り変わらないと見込まれたため、却下された。結局1案の方針の元、E3型をベースに原設計のローラーパスを修正したE5型となった(この時、最上型の20.3㎝砲塔にE4型の呼称が付与された)。
砲塔測距儀は原設計に準じ、第2、第3砲塔上に8mのものが搭載されている。なお、竣工後に装備した電探や逆探もドイツ式では無く、日本式の13号・21号・E27等だった。
経空脅威が増大する時期に計画されたため、高角砲は98式65口径10㎝砲の採用がすんなり決まった。本砲は大淀用に砲架式の設計が完成しており、原設計の高角砲とも口径がほぼ同じで、耐爆風上の配慮も殆ど流用可能だったからである。
搭載数は原設計の舷側各3基を踏襲したほか、37mm機関砲の採用が無くなったため、前後部の中心線上(第2主砲塔直後、第3主砲塔直前)に各1基を追加した上、後述のように舷側クレーンを撤去した跡にも各1基を追加し、10基搭載している。これは、元来導入の要望があった防空巡洋艦構想に設計流用を行いながら可能な限り応えたものであった。高速力に劣るため、水雷戦に余り期待をかけられていないことも影響している。
なお、開戦前に本砲の大量発注を行ったため、構造が複雑な割には早期に生産体制(関連メーカーの設備投資などを含む)を整えることが出来、戦時の計画改訂で本砲を採用した艦(主に秋月型)の計画数が増加しても、ある程度その準備を整えることに寄与した。ただし、艦船用の需要に対応する必要から、98式の陸上型は終戦まで生産されることは無かった。
高射装置は94式を原設計とほぼ同じ位置に4基搭載している。一般に高角砲は命中精度が期待出来ないため、高射装置1基あたり3基を指揮することで、有効な弾幕を張る意図だった。
魚雷発射管は原設計の533㎜3連装発射管の配置スペースをそのまま活用しているが、最上型と同じ61㎝3連装発射管はスポンソンの拡張が無ければ搭載不可能であり、結局他の重巡が改装で降ろした61㎝連装魚雷発射管を流用して4基搭載とした。元々、計画速力が32ノットである点を忍んで購入した経緯から、それ程雷撃力を求められない向きもあり、工程短縮を意図しての結果となった。
機銃は日本海軍標準の25㎜3連装を採用、37mm機関砲に相当する大口径機銃は前述の通り採用していない。単装機銃の追加も他艦と似たり寄ったりである。なお原設計にあった機雷布設能力は早々に破棄し、爆雷・機銃弾庫とした。
航空艤装は、日本式に3機の零式水上偵察機を搭載、大幅なリレイアウトを避ける方針から妙高型・高雄型・最上型の基本スタイルである後部砲塔直前への配置は行っていない。そのため、後部主砲からの距離はやや離れ、既製重巡群よりは爆風対策上やや有利である。ただし、絶対の安全を保障するものでは無い。特に機体のある側に砲身が指向した際は、爆風の懸念があったのは、他艦と同じである。なお、揚収クレーンは日本式のレイアウトに倣い、後部マストをわずかにずらしてクレーンを1基搭載し、阿賀野型にやや似た形となっている。
【装甲】
早期に戦力増加を図る意味もあり、船体部分は原設計のままである。艦橋構造物が日本流とされた際、司令塔の位置が変わっている。
砲塔部分に装甲を施す原設計の思想は日本式とは大きく異なるところだったが重量バランスと排水量の余裕を生かし、原設計の考え方を取り入れた。E5型では側面と天蓋は25㎜装甲を貼り足してそれぞれ50mmとなり、前盾は150㎜とされた(このため旋回装置は出力が大きくなっている)。
【機関】
ボイラー:ラ・モント式9基
タービン:デシマーク式ギヤード・タービン
出力:132,000馬力(竣工時目標120,000馬力)
※原設計はアドミラルヒッパー級後期グループに属する。前期型での失敗から、原設計の時点で蒸気圧力は落とされ、信頼性の向上が図られていた。この点も日本が強く購入打診した根拠の一つとなっている。ただし、蒸気温度は450℃であり、当時国庫助成を前提に計画中だった橿原丸型客船より更にタイトな条件だった。
この問題をクリアするため、竣工時より当面は450℃での運用を諦め戦艦での対応を参考に、蒸気温度を落として10%減の12万馬力(31ノット)で忍ぶこととし、日本側の技術水準が追いついた時点で450℃で運用する構想とした。契約内容には機関図面一式と技術サポートを包含し、回航時にドキュメント類も細部まで搬送された。
加えて諸管装置予備部品類・ドイツ側技術員を派遣した。
また回航後、仏ブレスト工廠で同型艦が受けたサポート内容に関する情報も日本へ回送された(独ソ戦開戦、続く日英米開戦後はこのようなサポート情報の授受は柳船と潜水艦に限定された)。
これらの措置により、1943年に入る頃には運用上の技術的問題も粗方解決し、後に改装したシャルンホルストのような、機関丸ごとの換装を回避することに成功した。一般論として日本の技術力はドイツに劣るが、平時と遜色のない技術移転の環境を用意出来たことが鹵獲艦や急な転籍を迫られた艦との差を生んだと言える。
なお、契約交渉に当たってドイツ側は本級の本当の航続実績値も提示(19ノットで6,500海里)したが、この数字は高雄型、最上型と比較してもむしろ良好と判定され、問題にはなっていない。
【再現】
WLシリーズが妥当。プリンツオイゲンの船体に日本重巡の武装。艦橋は利根型か大淀のものを流用しレイアウトする。