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2013年10月 8日 (火)

【書評】松野 元『原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために』創英社/三省堂書店 2007年02月

松野 元『原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために』創英社/三省堂書店 2007年02月

著者は四国電力で原子力発電に係わり、その後NUPECに出向、2004年の退職後に本書が執筆された。敢えて肩書きに拘るならば、電験1種、炉主任を有する本物のプロと言えよう。

注目されるのは本書の成立過程である。「まえがき」より引用しよう(強調は私による)。

本書は当初、原子力発電技術機構に出向中の筆者をそこで指導鞭撻してくださった永嶋國雄氏の発案で、原子力防災の入門書を2人で作ろうということで制作が開始された。章別に2人で分担して執筆し、賛否両論を提示するという方針のもと、それぞれが順調に進行していった。ところが最終段階になって、チェルノブイリ発電所事故の取り扱いについての意見調整がつかなくなってしまった。永嶋氏の意見では、チェルノブイリ発電所事故を原子力災害として取り上げるのはかまわないが、すべての章で取り上げてはいけないということであった。例えば、想定事故についての考え方についての説明のところで、チェルノブイリ発電所事故と比較することは、日本ではチェルノブイリ発電所事故は起きないことになっており、日本の原子力防災はこれを対象としていないから、これを直接比較することは意味が無く、あえて記述すると専門レベルの内容になってしまい、一般の読者(国民)を混乱させ、原子力反対者に知恵を授けるだけのものとなってしまうので、入門書としては不適であるとした。要するに、日本ではチェルノブイリ発電所事故は起きないし、起きても災害従事者等の31人程度が死亡しただけで被害は予想よりも小さかったし、実際に事故が起きたときは住民等は何もわからないから専門家を擁する国がすべての責任を持ってあたるので、住民(国民)等はこれにすべてを任せて万事これに従えばよい、という考えである。

これに対して私は、日本の新しい原子力防災のあり方を住民(国民)保護という民主的な点からその有効性を検証しようとすれば、チェルノブイリ発電所事故発生は事実として直視する必要があり、たとえ許可条件的に事故が起きない設計となっていても、防災と言うレベルにおいては、可能性が存在する限りこれを無視することはできないので、日本の原子力防災体制が防護するべき住民(国民)すべてをカバーできているかを、チェルノブイリ発電所事故を例としてその有効性を検証することは、入門書であっても住民(国民)にとって必要なことであり、むしろ原子力を受け入れてくれなければならない人々に知恵を授けて理解を求めることが今日的な課題であると思うので、入門書とはいえチェルノブイリ発電所事故を無視することはできないとした。この意見の違いにより、2人による共著の夢は断たれた。

福島事故を経た今、本書のコンセプトを見直した時、その発想の正しさが最悪の形で証明されていることが分かる。

著者はオブラートに包んでいるが、永嶋氏が意図していたのはPA的な「折伏・説得型の防災本」だったのだろう。結局のところ、永嶋氏は住民を対等な存在として眺めることが、プライドと教育が許さなかったのではないか。「原子力反対者に知恵を授けるだけ」というたわけた表現がこれをよく表している。実際には、本書で随所に示されているように一般の読者に対しても疑問を持たれたくないという考えが原子力を推進してきた者達の常識的な思考であるため、「知恵を授けたくない」は一般読者に対しても同様であったと思われる。この言葉は永嶋氏のような普通の専門家の傲慢な態度を良く表しているものなので、記憶にとどめておきたい。或いは、永嶋氏は事故前にそのことを理解していたのかも知れない。彼が事故前に同種の防災書を出したという話を聞かない。競合他書と比較の目に晒される中、出す自信があったのかは疑問である。

余談だが、事故後永嶋氏は烏賀陽弘道氏の取材を受けている(写しリンク)。技術的には非常に興味深く有益な指摘であり、「身内(業界)への批判」を敢行したことは大変に評価されるべきである。だが、メディアに対する姿勢は一方的で納得出来ない。彼はマスコミ=原発反対というレッテルを貼りたいと考えているのかも知れないが、そのような(左翼)マスコミが嫌なら保守系マスコミに交渉すれば良かっただけのことではないのか。技術的に詳細な話がしたいのなら「内輪向きのメディア」である電力、原子力業界紙に交渉すれば良かっただけのことではないのかエネルギー問題に発言する会のように、自分のHPを持てば良かったのではないのか。或いは松野氏との共同出版に乗るだけでも良かった筈であるインタビュー中、自らの進言も「おれの顔を潰すのか」と学者に握りつぶされたと主張しているが、それは明らかに言霊と面子に狂った業界内の問題である。90年代に各原発がシビアアクシデント対策工事を導入した実績から見ても、キャスティングボードは外野では無く電力をはじめとするインナーサークルにあった。マスコミや反対派がそんなに大きな障壁なら、建設当時のまま、何ら追加の工事は出来なかった筈である。一括りに「マスコミ」の責任に被せる彼の論理は破綻している。

ちなみに、立地自治体の反対派が2000年代に取った戦術には防災策の拡充申し入れもある。浜通りに関して言えば、当地の共産党が取ったのは「増設とプルサーマルの阻止」に過ぎない。こんなことは新聞の地方版や当時の書物を調べればすぐに分かる話である。また、主要5大紙と地元地方紙は殆どが原発容認であった。だが、彼はこの事実を無視していることに注意する必要がある。残念ながら事故後も自覚が無いようだが永嶋氏自身に業界人特有の傲慢さを体現している面がある。

これに関連し著者の主張について一つ誤りを指摘しておく。まえがきには「極論すれば、チェルノブイリ発電所事故を原子力防災ではどう考えるかという視点に立った解説書はまだ存在していない」という記述があるが、これは間違いだろう。それは、あくまで原発推進派というインナーサークルが出した書籍の中では、と限定的な意味しか持ちえない。

例えば消防関係者。本書の出版前から『近代消防』は積極的に原子力防災に注目した記事が出されていたし、本書と同時期に出版された森本宏『チェルノブイリ原発事故20年、日本の消防は何を学んだのか?』(近代消防社、2007年3月)は本書のテーマと重複する部分が多い。反対派については論じるまでも無い。山本定明『原発防災を考える』(桂ブックレット、1993年2月)において既にチェルノブイリ事故を参照事例としつつ、古典としてWASH740(1400ではない)や「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算」、そして近年の事例としてNUREG-1150を参考にして本書と同じようなアイデアが見られる。加えて政府・行政のガバナンスの欠陥を意識し、自治体の防災訓練をレビュー(監視)する試みも紹介されている(勿論カラーの強い表現もあるが、慣れてしまえば除去できる程度のもの)。何のことは無い。後の言葉で言う「残余のリスク」に重点を置いた、原子力防災の本を世に問うという著者等の試みは、反対派が少なくとも15年近くは先行していたのである(本書以外に同コンセプトの防災解説書が推進派から出ていなければ、だが)。

勿論、反対派には研究を精緻化させるだけの資金は無かったが、反対派に学び根本の発想を転換し、細部について推進派ならではの豊富な資金・技術的アレンジを加えていれば、著者等の試みももっと早期に実現することが出来ただろう。著者をなじるつもりはないが、一般的な推進派が自己に不都合なものを全て「反対派」と一括りにしてステロタイプに理解し、彼等の書いたものの欠点だけをあげつらい、碌に読みもしてこなかったことがよく分かる。このような経緯の元に自分をパイオニアのように主張する姿勢は、背景を知った者にとって表面的な罵声を浴びせる以上に不快なものである。

今回の福島事故は放射性物質の放出量こそチェルノブイリの7分の1で済んだとも聞くが、所管官庁が設置許可に当たり、電力会社に事前に仮想させた事故の規模を大幅に上回るものであり、膨大な災害関連死を生み出した。また、放出量は破壊された原子炉の間でも差があり、浜通り沿岸でも津波高に差があったことが分かっている。従って、事故の進展、津波規模如何によっては、事故の規模がよりチェルノブイリに近づく可能性があったのであり、今後の防災対策は(福島は勿論)チェルノブイリも参考としなければならない。観光地化の前に、残された原子力サイトではまだやることがある。

さて、従来の業界の考え方から転換を試みた本書は、中味も一般的なイメージから想像される防災本とは異なっている。まえがきではむしろ、そうしたパンフレット的な組織や体制の羅列に終わることを避ける旨の説明がなされている。そして本文では、現状の体制を説明しつつ、随所に著者のレビューが書き込まれ、行政などと一体化するのではなく、客観視に徹しようとする努力が見てとれる。

しかしながら、プロとは言え一個人の視点から書かれた解説書であるため、欠点をも内包している。特に目につくのは、チェルノブイリ事故をキーに従来の一般的な原子力防災論への反論を試みたため、格納容器が反応度事故に対応していないといった、同事故を意識した主張に視点が引きずられていることだ。ブラウンズフェリー事故やNUREG-1150をベースに、ステーションブラックアウトの脅威を強調した桜井淳の議論や活断層・津波の脅威を示唆した地震学者達の論の方が、残余のリスクや事故シナリオの多様化を考える上では、より役立っていると思う。また、福島事故では崩壊熱だけで格納容器の内圧は設計での想定の2倍程まで上昇しており、偶々破裂は無かったものの、それは設計面で保障された結果では無かった。今出版するならば、冷却材喪失事故に対しても格納容器の対応能力に上限があり、それはどの程度なのかといった内容を書き加えなければならないだろう。

もっとも、目に付いた欠点はこの位で、本書は多くの点で著者ならではの着眼点がある。それらを全て羅列する気は無いけれども、一例として良く引用される佐藤一男『原子力安全の論理』に対しては、「3.2.4 実際の原子力災害から見たEPZへの考察」で次のような批判が行われている。

EPZは、防災が目的であって立地審査が目的ではない(中略)。現行の立地の許認可は防災の整備(EPZの確定等)を条件としていないので、常識として、EPZの範囲は立地審査の許可範囲を超える十分な範囲を持っていなければならない。EPZは、立地審査と違って、原子炉の型式に依存せず原子炉の出力(リスクポテンシャル)で決まるから、出力が同じであればチェルノブイリ型の発電所もスリーマイルアイランド型の発電所も日本の軽水炉型発電所も、そして高速増殖炉についても共通のEPZを持つべきことになる。(中略)

許認可と原子力防災の関係について、日本を代表する原子力の専門家でさえ「そもそも防災対策の助けを借りなければ、公衆のリスが受け入れ可能なほどに低くできないような施設では、社会がその存在を許すわけにはいかないことになります。したがって、原子炉の設置許可などは、防災対策を前提とすることなく、十分安全が確保し得るかどうかを審査した上で、与えられるのです。日本でも、原子力施設周辺の防災対策を用意することになっていますが、このことと施設の設置許可とは、直接の関係はないとされている」(※『原子力安全の論理』からの著者引用部分)としている。

原子力安全委員会の考え方を代表して、EPZは安全審査と関係がないので、チェルノブイリ発電所事故が現行のEPZを超えても、これを無視してよいといっているようなものである。この専門家は、原子力安全とは原子炉の設計マターであると考えているらしく、防災指針を住民(国民)を守るものではなく、防災指針を守る原子炉の設計を行うことしか念頭にないように見える。現実にEPZは、チェルノブイリ発電所事故によって見なおしを受けていない。教育委員会ではないが、原子力安全委員会は、原子力防災を安全審査にあたっての必修科目と認めていないため、日本の原子力安全は、チェルノブイリ発電所事故やプルサーマル炉の事故に正しく対応していない状況にある。

Twitterなどで原発推進派が弄する言説の中に「事故前にこれほどの災害規模の警告を行えた人間はいない」もしくは「警告を行ったのに反対派が邪魔をした」という風説がある。しかし、上述のように本書とその成立経緯は、そうした風説が無根拠であることを如実に示すものであると言えよう。

本書に対する原発推進派の態度も容易に予想がつく。事故前、著者はきっと変人奇人扱いを受けていたのではないだろうか。

なお、本書は参考文献を本文中に注記する形を取り、各章末に更に勉強するための文献を挙げている。著者が何を参照しながら本書のような考察に至ったかを考えてみるのも、意味のあることではないだろうか。

※10/9追記松野元著「原子力防災」(2)に転記された松野氏のインタビューによると、予想通り、四国電力内でも閉職、周囲の専門家は誰も省みず、最後は自宅でハンガーに向って呟けとまで言われる始末だったそうだ。上記で松野氏(および永嶋氏にも)厳しいことも書いたが、彼等に加えられた心理的な圧迫には深く同情する。初見の時点では私も多くを望み過ぎだったのかも知れない。なお、伊方発電所は再稼働の先陣とも聞くが、同社の意識は事故で変わったのだろうか。

※10/18追記。松野氏は「原子炉を助けることしか考えなかった原子力防災」(『科学』2013年5月号岩波書店)を寄稿している。推進派には査読システム等々を因縁に同誌に食わず嫌いの印象を振りまいている者もいるが(『WILL』や軍事誌に対しては何故かあまりなされないが)、福島事故を踏まえた所見、出版の舞台裏について視点を変えて触れられている。同号自体が原子力防災や新規制を取り扱っており、非常に興味深い。

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