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2013年8月 6日 (火)

東電事故調への疑問(第2回)

【2】公開された原案すら無視した東電事故調報告書

【2-1】申請直前は7mとされていた整地面レベル

それでは、先述した申請前の検討設計案は全くうかがい知ることが出来ないのであろうか。違う。既に述べたようにGE、WHへの依頼から起算しても選定過程は数ヶ月に及んでいる。従って、途中で外に情報を出した場合、その中身は東電社内の決定案と相違する点が出てくる。

現にそのような記事がひとつある。『土木建設』1966年8月号に掲載された「当面する原子力開発」。電力再編時系統運用面から理論付を行い、1960年代初頭から東電で原子力開発の舵取りを担当してきた田中直治郎常務が、1966年5月20日に電力建設協力会の会員の前で話した講演録だ。原稿は東電の社内専門家が作成した、としている。

(以後、この記事で扱われている案を「原案」と称する。)

整地面レベルについては第1図で分かるように、原案は約7m(O.P.6.727m)だった。

Dobokukensetsu196608p33_fig1_propos

出典:「-講演-当面する原子力開発」『土木建設』1966年8月号 土木工業協会 32頁

講演で田中は

敷地は30メートルぐらいの台地だから切り取らなければならない。発電所建屋の部分は約23メートル、140万立方米ぐらい掘削します。すなわち海面から7メートルの高さに切取り建屋の基底面は海面下3メートルにします。
(中略)GEから見積書と設計書が出ると、配置、レベルについてはさらに多少の変更を要するので、請負業者とは打合わす必要があると思います。

と述べている。「多少の変更」の結果、7月1日の申請時、整地面レベルは3m余り嵩上げされて10mになった。なお6.727mは後に建設された防波堤の天端高と全く同じ高さである。

敷地掘削と造成を請け負ったのは熊谷組である。同社の40年史はこの工事に触れているが、敷地高経緯については何も述べていない。

『日刊建設工業新聞』(1966年5月13日)は敷地造成の発注について記事を載せている。
それによれば、工事は特命発注、現場説明を5月13日に実施、熊谷組の担当する第一工区は見積書および施工計画書の提出を5月21日までに済ますよう求めていた。
工事着手は6月を予定。掘削量は99万5000立方メートルとされた。『電気産業新聞』(1966年8月15日)によれば、工事着手は7月下旬となり、第一工区は9億7000万円とのことだ。

だが、東電事故調ならびに国会事故調が参考とした『土木技術』1967年9月号にると、造成工事の工期は6月1日から翌1967年3月までの10ヵ月、仮設備および梅雨期を考慮して実質8ヶ月半となっている。この記事は工事完了後に書かれており工期中梅雨があったのは1回(1年)だけなので、梅雨開けを待って7月末となったのであろう。こう見てくると、6月中は機材の集結と工事図面の整備位しかすることが無い。

なお、『土木技術』1967年9月号101頁によると総掘削量は約120万立方メートル、内発電所分約91万3000立方メートル、進入路分28万7000立方メートルである。掘削量は1966年5月時点より増加しており、敷地高さが嵩上げされている割には奇異に感じる。

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