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2013年7月31日 (水)

高木仁三郎が生きていたら推進派はやっぱりボコボコにしたと思うよ

久々に更新。

以前、石井孝明氏が高木仁三郎を取り上げているブログ記事を読んだ。

石井氏の記事は勉強になるが、あれは正直、違和感がある。

何故かというと、高木氏は運動と研究、どちらもやりたがる人だったから。いわゆる金槌と時計の話。

反対派に強い拒否反応を示しているところからすると、死人に口なしとして、徹底的に利用しているだけなんじゃないかな。

高木氏が生前に書いた自伝『市民科学者として生きる』を読むと
氏を含む反対派は推進派から徹底的に侮蔑と無視に晒されていたのがよく分かる。
推進派にとって、生死はそれほど関係は無い。自分の役に立つか、立たないか、それだけのことである。
第一、生前の講義『脱原発出前します』などを読んでみても、次から次へと否定的な見解を述べていく
高木氏の説法の前に、彼等の神経が耐えられるとは思えない。

さっき紹介した生前ぶつけられた蔑視感だって、福島事故の後に推進派が示した反応と大して変りないしね。

資料室は維持できないと言った怪文書の他、いたずら電話、自宅のポスト漁り、
挙句の果てには共産党の名義で身に覚えのない花輪を送られたりしたそうだ。
そんなことやっても却ってマイナスにしかならないと思うがねぇ。
ネトウヨや在特会みたいな性根の持ち主はこの10年でぽっと出てきた訳では無くて、昔からいたということか。

最近の石井孝明氏のツイートで知ったが、もしも高木仁三郎氏が生きていたら、
反原発イベントに精を出さず、福島で黙々と線量を計測していただろうという話が流れているようだ。

これも違和感がある。

石井孝明氏の書いたものを見直すと、東北地方太平洋沖地震発生時、さほどの根拠も無しに
「〇〇氏は活動家だから」と炉心溶融を否定しているようだ。

要するに、JSFやその周辺の目立ちたがりな安いオタク達と同じ失敗をしているのだ。
一方、原子力資料情報室は普段から悲観的な物の見方をしていたから、そのような安全神話に
加担することは無かった。

このことは、自己顕示欲の強い原発推進派に取り、大きな禍根となった。彼等は3月下旬頃から常に冷笑を浴びるようになった。
(推進派ではないが、菊池誠教授の場合は、若干同情する。あれより押し付けがましく、反省皆無の例は幾つもある)

私は、推進派全般が声を大にし「デマを叩く」と政治活動に打ち込むようになった理由の一つは、
あの失敗を糊塗するためだと考えている。

それは、あの件を持ち出すときの彼等の反応に良く表れている。皆さんも試してみると良い。

元々エネルギー政策云々についても単に公式資料を鵜呑みに連呼してる輩ばかりだし、
地震前にそんなに興味を示していた訳でもない。石炭が放射能だらけだ!などと嘯き始めたのも事故の後。
ネトウヨ上がりも多い虫けら揃いの彼等のことだから、冴えない実生活の憂さ晴らしにネットやくざとして
暴れまくるのが生きがい、功徳を続けて3年で10万ツイート超えている者もいる位だしなぁ。

最終的には理屈はどうでもよくて面子だろうな。
何より、あのネットの政治活動、彼等が「大事だ」「大事だ」と言い張ってる電力の増加や
原発事故の後始末に貢献しているとはとても思えない。反対派と同類項だろう。

恐らく、高木氏が存命だったら彼等は毎日のように揚げ足を取ると思うね。

「高木仁三郎氏、今度は〇〇を称賛する - Togetter」
「高木仁三郎氏が発表した〇〇町の線量への疑問 - Togetter」
「高木仁三郎氏の提唱するエネルギー政策の問題点 - Togetter」
「ライト・ライブリフッド賞の不都合な真実 - Togetter」

みたいなまとめが作られ、山のようにPVが付いてコメント欄は大フィーバーの阿鼻叫喚だろう。

それに、高木氏は三里塚で過激派の集会に出席していたのは過去を知る人なら誰でも知ってることだし、
「熊さんのハ短調」というサイトによれば、高木氏は酒席で広瀬氏について「非科学的で困る」とぼやいていたそうだ。
しかし、ヒロセタカシ騒動の際は「本質的な問題があるわけだから、そこをきちんとおさえてあれば、
広瀬さんの発想はすごくいいとぼくはおもうんです」と庇う姿勢を見せていた。運動家として妥協したのだろう。

そのような人物で三里塚上がりならば、

「高木仁三郎、遂に山本太郎を激励 - Togetter」

こうなっていた可能性はかなりあるだろう。
また、口汚く罵る推進派が、高木氏を更に強硬な側に追いやる構造も出来上がって(誘導されて)
いっただろう。そして推進派はPCの前で般若のような形相になっていたのではなかろうか。
それがリアリズムである。

かつて、真珠湾攻撃の直後ハルゼー提督は「良い日本人は死んだ日本人だけ」と語ったそうな。
この言葉に倣えば、高木仁三郎氏が推進派から見ても、良識ある反対派足りえるのは当然である。
ま、トイレが無いと忠告受けてるのに、不動産屋の口車にまんまと乗せられてるような輩なら、
トイレに行かないアイドルを妄想するのは理に適ってるのかも知れないが、
それは胴元と言うかミイラ取りが一緒になってやる事じゃないなぁと、素朴に思うのだが。

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コメント

高木仁三郎氏が亡くなって、もうすぐ丸15年経ちますね。
今でもなるほどと思うところで「氏を含む反対派は推進派から徹底的に侮蔑と無視に晒されていたのがよく分かる」という点があります。

311以降の雨後の筍のごとく現れた、(たぶん情報弱者向けの)ビジネス書or新書ライターの方で、脱原発関連にもかかわらず
高木仁三郎氏の先行研究に一切触れずに、『不都合な真実』系の本を出されていました。
尤も、売れやすそうな内容で出して売りをかけているだけで、内容は二の次なのかもしれません。
その方は物理学研究者を名乗っていらっしゃいますが、物理学や核化学や敷衍する核医学のリスクの何を知って書いているのか理解に苦しみます。

いっぽう、速読勉強法の本を出されている宇都出さん(氏の著作は、一般書/ビジネス書には珍しく良心的だと感じます)は、高木仁三郎氏の本を「読むべきもの」「尊敬する人」として挙げていらしたのが非常に印象的です。

The Great Booksのように読み継がれるべきなんですよね。
亡くなられたのが本当に悔やまれます。

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