2018年3月11日 (日)

海からの原発テロを煽った青山繁晴氏は津波問題を隠した東電の加担者である

311からちょうど7年の歳月が過ぎた。

このブログを立ち上げてから、私も色々な問題点を明らかにしてきた。

東電福島第一の津波想定問題については特にブログ記事を多く書いてきた。40年運転した末の事故だから、それだけ問題を回避するチャンスも多くあったということを示してきたつもりだ。

これらの回避できるチャンスは大きく二つに分けることが出来る。一つは防災対策としての面。いわゆる津波想定を厳しくする機会が幾らでもあったという類の議論である。現在東電や国を相手取って行われている各種の裁判でも主流の問題である。

もう一つは、2016年から当ブログでも扱っている「テロ対策が防災対策の阻害要因になった」という事実関係からの追及である。下記がそれだ。

テロ対策を言い訳に反対派を追い出して爆発した福島第一原発

共謀罪の根底にある差別思想は必ず福島事故のような惨事を誘発する

2本の記事を書いて残った宿題は、「テロ対策」を助長したキーマンを殆ど掘り出せていないことである。防災対策の先送りをした戦犯達については、個人の責任特定が進んでいるのと対照的だ。

そのような中、事実上推進派のジャーナリスト石井孝明氏がテロ対策の貢献者として、ある人物を明記しているのを偶々目にした。

原発にミサイル? テロ? 対策は行われている」石井孝明(経済・環境ジャーナリスト) 2017.9.21(日本エネルギー会議HP)

その人物の名は青山繁晴。青山氏は元共同通信の記者で、1997年に同社を退職。911テロの少し前からセキュリティ関連の言論活動を始めた。一般にはチャンネル桜やDHC提供のTV番組や関西の報道番組に出演している右翼的なおじさんとして知られている。

以下、青山氏の言行を再検証してみたが、控えめに見ても防災情報隠しの機運をつくった加担者と言わざるを得ない。

【共同通信時代、安全神話に加担する】

青山氏は共同通信時代にチェルノブイリ安全神話を垂れ流し、福島事故後も正当化していた。

わたしは、かつて共同通信の政治部記者となる前に、大阪支社の経済部にいた時期があり、エネルギー担当記者としてチェルノブイリ原発事故に遭遇した。その際に「日本の原子炉は、チェルノブイリのようなひどいヒューマン・エラーがあっても自動停止するから、安全性は高い」という記事を書いた。この記事は今、再検証してみても誤報ではない。

「テロ標的の筆頭となる日本」『VOICE』2011年7月P172-173

誤報ではないが、解説記事なら説明は不十分だ。「チェルノブイリとは違う」という点を強調し、遂には原発事故について考えてはならないという下らない信念を抱く「専門家」を多数養成したのが日本の原子力業界である(当ブログ記事「【書評】松野 元『原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために』」参照)。過酷事故=チェルノブイリ限定、という奇妙なPRの片棒を担いだ数多の報道の一つにすぎず、この書きぶりは如何にも甘い。

なお、青山氏より踏み込んだ報道記事の実例として「原発過酷事故対策は安全か」(『朝日新聞』1994年2月17日朝刊4面)を挙げておく。タイトルからも推察できる通り、軽水炉の基本的な問題点を政治面も含めて要領よくまとめたものである。

【セキュリティ関連の経歴】

ただし、彼のセキュリティ関連の経歴は、論壇誌に寄稿するだけの評論家とは違って「本物」である。ここでいう「本物」とは彼の能力のことではなく、結果責任を問われるという意味だ。有識者委員だけで下記の通り(さらに詳細な経歴はリンク先など)。

    総合資源エネルギー調査会専門委員(経済産業省)
    海上保安庁政策アドバイザー
    原子力委員会原子力防護専門部会(技術検討ワーキング・グループ 核セキュリティ)専門委員(内閣府)
    国家安全保障会議の創設に関する有識者会議メンバー(内閣官房)
    日本原子力研究開発機構改革本部メンバー(文部科学省)
    消防庁第27次消防審議会委員(総務省)
    NHK海外情報発信強化に関する検討会会員(総務省)
    北近畿エネルギーセキュリティ・インフラ整備研究会 委員(京都府・兵庫県)

他に、旧防衛庁・自衛隊・警察等の上級職員や幹部を対象とした各教育研究機関で講義を受け持っている。また、共同通信を1997年に退職した後、数年間三菱総研に在職してノウハウを身に付け、2000年代よりシンクタンク「独立総合研究所」を旗揚げ、代議士になるまで10数年社長職にあった。

2001年の911テロ直後にはテリー伊藤との対談形式で『お笑い日本の防衛戦略【テロ対策機密情報】』という一般書を出している。巻末の帯に、防衛庁内の若手にかなりの心酔者を得ていると書かれている。彼は虚言も多く指摘されるが、近年の階層を問わない社会の右傾化を眺める限り、事実だったのだろう。

【テロリスクの例示に「海からの侵入者」を選択する】

テロ対策を言い訳に反対派を追い出して爆発した福島第一原発」でも2000年代のテロ対策強化については書いたが、中でも青山氏の提言・推進したテロ対策は重大な失敗だった。それは、海からのテロリスクを強調したからである。

テリー 日本の原発の現実を、本当は何よりも早く聞きたいな。

青山 「秘」に属するところは、いっさい言えません。しかし(中略)基本的なコンセプト(防護思想)の問題から考えてみましょう。

原発には冷却のために取水口と放水口があるわけです。原発は、海水で冷やして、温排水を流してということを永遠に繰り返しているわけです。(中略)平均的な原発で言うと、取水口、水を取り入れるほうはちゃんとカメラもあって、警備員もそれなりに配置していることが多い。なぜかというと、流れにのってサーっと来ちゃうかもしれない、という発想ですね。ところが、放水口のほうは、激流が流れ出ているから入ってこられるはずがないということで、カメラもなければ、監視員もいないのが普通です。ところが、さっきの(注:漂着してニュースになった)工作船とと一緒に水中スクーターが発見されてるんですよ。放水口の水流ぐらいは十分突破できる水中スクーターを現に日本の警察が捕獲しているのに、「ここは安全だ」と誰もいないし、何も防ぐものがなにのです。私があるところでそれを指摘して、せめてカメラぐらい置かなきゃいけない、と言ったら、「いや、たとえこの放水口をさかのぼっていっても、トンネルの向こうにあるのは巨大な壁で人間が登れるはずがない」と言うんですよ。私は、「そこまで言うなら、その壁も警察の方は見てますよね」って聞いたら、「見てる」って言うから、それ以上は言いませんでした。

ここで日本人が希望がもてると思ったのは、途中で保安主任が「ちょっと待ってくれ。やっぱり私、ひっかかるので、見てもらいます」って言ったんです。結構煩雑な手続きをして、私を中に入れたわけです。で、見たら、彼が絶対登れない壁というのは、トンネルから出てきたところに10メートルのコンクリートの壁があるだけなんです。これはそれこそお笑いの話で、あのコンクリートよりもはるかに硬い岩にアイゼンが食い込むでしょう。どこの登山用品店でも売ってる。しかもオーバーハングになってるところを行くんですから。こんな、ただの真っ直ぐのコンクリート壁ですから、北朝鮮特殊部隊だったら大体1分30秒ぐらいで上がってくるんじゃないかと言いました。

「第1章 いまそこにある日本の危機」『お笑い日本の防衛戦略【テロ対策機密情報】』P59-60(2001年)

ここで注目して欲しいのは、見学に至るまでの手続きだ。部外者が見るとすれば、誰であっても、同じ手続きになる。また、電力の言う「絶対」が相場通り、とてもいい加減な根拠しかないことも分かる。青山氏の描写は、一定の評価には値する。

だが、青山氏は最終的には電力と当局の本質的な欠陥を後押しすることになった。

テロリストに機密を知られたくないのなら、そのようなテロの脅威を煽ることは自殺行為である。しかも、警備する側も青山氏の余計な啓蒙のために、他の設備以上に気を使うことになってしまう。

しかし、海からの侵入者という想定は便利な公開情報として定着し、下記のように別の媒体にも連鎖している。後に検証する原子力委員会防護専門部会でも例示に使われている。

日本の原発は海水を高温蒸気の復水など冷却用に使うため、すべて臨海に設置されている。効率がいい反面、海からの侵入には弱いと言う弱点がある。とりわけ日本海側の原発にとって、そのリスクは大きい。最近ではこうした面への配慮も始まり、巡視艇による周辺海上の警備や潜水による進入探知のための監視も始まっているが、想定される北朝鮮などの訓練された工作員に対してどこまで有効かは疑問である。海上からの侵入阻止は、日本の原発にとって緊急の課題だ。

「しのび寄る「原発テロ」への備えは万全か」『THEMIS』2004年11月P91

もっとも、青山氏の想定には独創性が殆ど無い。

かわぐちかいじ『メドゥーサ』が1994年完結、小林源文『第2次朝鮮戦争―ユギオII』が1996年、麻生幾『宣戦布告』が1998年。青山氏の論はこれらの延長にあり、多少のディティールを追加しただけである。

【2000年代前半の原発テロ対策の法制化】

勿論、テロ対策の責任すべてを青山氏が負っているわけではない。制度的な流れも見ておこう。

法制的には2004年の国民保護法制定に際して海外からの原発テロに対し、行政が計画を定めるように求められ、青山氏も同法の制定に際して内閣府などが主催した「国民保護フォーラム」で講演している。

原子力の法規制にテロが位置付けられたのは2005年の原子炉等規制法の改正で、設計基礎脅威(デザイン・ベース・スレット,DBT。この位のテロリストまでは守れるようにしよう、という目安)の設定や必要な防護措置、具体的には防護区域などを設定することが定められた。

このような流れの中で、原子力安全・保安院は「核物質防護強化に関する原子力事業者への指導強化」「「核物質防護対策室」の新設」を実施した。警察庁はDBTの設定に際して脅威の情報を収集し、それを基に、関係省庁が集まって連携をして決めている(以上、原子力委員会防護専門部会準備会合議事、資料より)。

テロ対策強化は一見すれば良いことに思える。何故これが失敗だったのか。それは次の節を見ていくと理解出来る。

【右翼にとっても都合が悪すぎた市民団体からの指摘】

さて、福島県の共産党元県議伊東達也氏が中心となっていた市民団体は、2005年に次のような申し入れを行っていた。

原発の安全性を求める福島県連絡会の早川篤雄代表、伊東達也代表委員は5月10日、東京電力の福島第二原発を訪れ、つぎの「申し入れ」を行いました。

(1) チリ津波級の引き潮のとき、第一原発の全機で、炉内の崩壊熱を除去するための機器冷却用海水設備が機能しないこと、及び冷却材喪失事故用施設の多くが機能しないことが判明しました。(中略)

これまで住民運動の苛酷事故未然防止の要求を受けて、浜岡原発1号・2号機では3号機増設時に海水を別途取水するバイパス管(岩盤中に連携トンネル)を取り付け、女川原発の1~3号機では、取水口のある湾内を十メートル掘り下げて、機器冷却用水確保の対策を実施しています。
東電はこうした例にも謙虚に学び、早急に抜本的な対策をとるよう、強く求めるものです。

(2) 高潮のときに、第二原発の44台の海水ポンプが水没することも判明しています。
  想定される最大の高潮のときに、第一原発6号機の海水ポンプ14台が20㌢水没し、第二原発は1号機と2号機(各々11台ずつの22台の海水ポンプ)が90㌢水没し、3号機と4号機(同じく22台)が、100㌢水没することになります。
そこで東電は第一原発の6号機については土木学会が発表した直後の定期検査にあわせて密かに20㌢のかさ上げ工事をしました。
  しかし、第二原発の海水ポンプは「水密性を有する建物内に設置されているので安全性に問題はない」として、今日まで何の手も打っていません。
  
これに対し私たちは再三、海水ポンプ建屋を見せてもらいたいと申し入れをしましたが、テロ対策上見せられないという態度をとり続けています。
  これは、テロ対策を理由にした「悪乗り」としか言いようがないものであり、黙過することのできないことです。

  2002年に発覚したあまりにもひどい事故隠し、改ざん事件を経て、二度とこうしたことを繰り返さない、
今後は包み隠さず情報公開に努めると県民に約束したのは、いったいなんだったのかといわざるを得ません。わたしたちは強く抗議し、また、海水ポンプ建屋を公開するとともに、抜本的な対策をとるよう求めるものです。

チリ津波級の引き潮、高潮時に耐えられない 東電福島原発の抜本的対策を求める申し入れ」原発の安全性を求める福島県連絡会代表 早川篤雄 2005年5月10日(PDF

海水ポンプは原子炉で発生した熱を海に逃がすために重要な施設である。また、非常用ディーゼル発電機の多くは船舶用エンジンの転用なので、海水ポンプを介して冷却している。そして、テロ対策は防災対策のための見学申し入れともろにバッティングしていた。

青山氏が描いた見学手続きと比較すると、市民団体から申し入れがあった時、応対した東電原発の保安主任は希望の持てない人材であり、福島県警も同様の失敗をしたことが分かる。

なお、福島第二の海水ポンプが置かれていた建屋(海水熱交換器建屋)は原子炉建屋より低い位置にあったので、311の際には結局浸水し、多数の海水ポンプが機能を失った。水密対策をしているという説明は方便だったのだ。

福島第一の海水ポンプに至っては、以前紹介した空撮の通り、剥き出しだ。

Toudensekkei30nenp88

『東電設計三十年の歩み』1991年7月P88。赤で囲った場所に海水ポンプが密集配置されている。

【内部を見せるのは反対運動のせいと主張しながら、細部を説明する】

しかも、青山氏の問題認識は決定的に内向き志向だった。

青山 原発テロ対策のもう一つの問題点は、日本の原発は世界の原発の中でも一番内部を見せる原発なんです。

テリー それはなぜですか。

青山 
反対運動を気にしているからです。テリーさんもテレビで見たことあると思いますが、どこの原発でも、原子炉の上にまで人を入らせるでしょう。原子炉の上に立って、「この下が原子炉です。この下で原子力がいま燃えています。これぐらい安全です。」って解説までしてくれる。そのまわりのコンクリートは、確かにある評論家がテレビで言ってたように、飛行機が当たっても簡単には貫通しません。ジャンボ機が来たらほんとはだめだろうけども、普通の戦闘機ぐらいなら大丈夫だと私も思います。ところが、実際に現場で上を見上げたら、天井は普通の天井だとわかります。そうでないと重たくて構造が持たないんです。日本は地震国ですから、危なくて天井を厚く、重くはできません。これはすべての原発でそうですし、公開している現場でも誰でも見ることができますから、私も話ができます。そうすると、天井に人が取りついて、そこを開けるのは、小さな爆薬でいい。しかも、その下には使用済み燃料を入れてるプールの水が露出してる。だから、天井に取りついて、小さい穴をあけて、そこから爆弾を落とすだけで、落としたやつは死ぬけれども、そこから出た死の灰が日本中をかけめぐるわけです。評論家は自分の目で上を見上げて、この天井はどういう構造かとチェックしてない。しかし、工作員やテロリストは、見学者としてやってきて、それを見ます。

テリー 
ということは、別に北朝鮮の特殊部隊やアルカイダである必要はないよね。俺たちでも小さな爆薬を持っていけば、穴があいちゃうわけだ。

「第2章 いまそこにある原発の危機」『お笑い日本の防衛戦略【テロ対策機密情報】』P102-103(2001年)

確かに911テロが起きるまで、日本の原発見学は普通の工場見学と大差のない、開かれたものだった。青山氏が活動を本格化させる前から、東電はこの種の運動に対し、屈折した感情を持っていたが、もし、伊東達也氏等が2000年に見学を希望していれば許可したかも知れない。

青山氏が見学した原発だが、条件に当て嵌まるものはBWRだろう。即ち、下の階に使用済み燃料プールと原子炉(圧力容器)がある構造で、且つ、「ただの普通の天井」があるというとBWRのオペフロである。PWRの格納容器の天井は厚いので、彼の説明とは矛盾するし、使用済み燃料プールを収めた建屋は格納容器の外だからだ。東電の原発だったのかも知れない。青山氏は事故直後に福島第一の吉田所長を尋ねているが、東電とどのような関係にあったか懇切丁寧に説明すべきだろう。

独立総研は、同書のような問題意識でもって大量のレポートを納入したのだろうが、それは海水ポンプ津波対策の欠陥を隠す結果にしかつながらなかったのである。

市民団体に海水ポンプを見せていれば、正面から批判を受け、津波対策を迫られたのは明らかだ。だが、青山氏には「質問する人は工作員だから見学させてはいけない」との思い込みがあったのではないか。

一方で、テリー伊藤氏は早速「俺たちでも」と指摘している。このことは、本質的に思想が無関係なものとして、警備方法を考えなければならないことを示していた(ネットによくいる、気の振れた自己中心的で破滅主義のミリタリーマニアを見ればすぐわかることでもある)。

なお、「津波対策は学者や技術者達がしっかりしていれば、彼等に任せておけばよいこと」などと反論したい方がいるかも知れない。しかし、彼等がちっとも自分達のなすべきことをしなかったことは、添田孝史『原発と大津波』『東電原発裁判』や当ブログの様々な記事で論証済みである。

【電力会社を庇い、情報公開を否定する】

青山氏の原発テロの警鐘に関する主張を読んで気が付いたことがある。よく見ると政府(警察・自衛隊・経済産業省)は批判することもあるが、電力会社には基本的に文句を付けないのだ。

青山 原子力や放射能を扱う限りは警備については別枠で考えなければいけません。

 これはむしろお願いのようなものですけれども、テリーさんにこの機会によく記憶して頂きたいのは、ある政府高官、いまはもうOBになりましたが、この人が私に言った言葉は、橋本内閣のときに電力会社側と原発テロについても話し合ったと。ところが実は政府のほうの印象として残ったのは、その元高官の言葉をそのまま引用すれば、「電力会社は本当のことを言わない。電力会社の言うことを聞いていたら、原発というのは無限に安全であって、槍が降ろうが空爆されようが、もう絶対に放射能は漏れないのだと言うから、もう勝手にせいとなった」ということでした。

テリー ははぁ。そのとき青山さんはどういう反応をしたんですか。

青山 私は、「この責任を電力会社に負わせて”嘘つきだ”というのは間違いでしょう」と言いました。だって政府に本当のことを言って何かしてくれるでしょうか?橋本内閣が動いたでしょうか?むしろ変な形でマスメディアにリークされるのがオチでしょう。

テリー なるほど。たしかにそういう見方はできますよね。それでは青山さんはどうしろと?

青山 ですから発想の転換をしてほしいのは、警備に関してはすべてを国民に公開する必要はありません。むしろしてはいけない。これは機密事項です。私はマスメディアにいたからこそ、それをきちんとお話しできると思います。でも日本では一部のマスメディアをはじめとして、原子力発電に対しては、先入観に凝り固まった攻撃がなされるわけですから、どんどん情報公開しなければいけないということばかりが先行していて、もう新聞を読むだけでも相当なマル秘の情報を中国や北朝鮮は入手できます。しかもその公開情報に基づいてさらに非合法のスパイ活動も行っているわけですから、彼らの持っている情報は非常に細かくてディティールに踏み込んでいて、しかも正確であると考えなければならない。

「第2章 いまそこにある原発の危機」『お笑い日本の防衛戦略【テロ対策機密情報】』P108-109(2001年)

詳述は別の記事等に譲るが、安全神話を垂れ流したは事実である。青山氏の凄いのは、嘘をついていることを知った上で庇う所で、もう徹底している。また、情報公開まで否定している。同書の出版された2001年は旧原子力安全・保安院が発足した年で、情報公開が進んだ筈だったが、大津波の想定を軒並み葬った経緯は福島事故まで隠され続けた。そのため、国会事故調でも「規制の虜」論として批判された。

青山氏の電力会社擁護の矛盾を更に一つ指摘すると、東電や関電は1980年代に世界最高水準の航空機衝突耐性を持つ西ドイツの原発建屋の設計を取り入れようとして、結局諦めたことがある。そのため日本の原発建屋の壁厚はドイツの3分の2しかない(当ブログ関係記事)。青山氏は戦闘機の突入程度なら大丈夫だと主張しているが、それは比較的軽量な退役済みの機体に対しての話である。2000年代の主張として見ても適切ではない。

【「IAEAの基準」以下だった福島第一の海水ポンプ】

青山氏は『VOICE』2005年10月号にも2ページの記事を投稿しており、MP5短機関銃を装備した武装警官を各原発に常駐させたことで、物的なセキュリティ能力は世界最先端になったと書いている。

しかし、この寄稿にも彼の間違いを見つけることが出来る。

原子炉とその建屋は、IAEAの基準により分厚いコンクリートによって覆われているから、特殊部隊の火力でも破壊するには時間を要する。その時間は原発によって異なる。これをシミュレーションなどによってきちんと計っておき、破壊されない時間内に、軍の部隊が原発に到着できる態勢をとっておくことが現実には有効だからだ。

「日本の原発は無防備か」『VOICE』2005年10月号

建屋で覆われている場合、メリットは防災上もあり、窓を無くし、換気口を上部に誘導したり、出入り口を防水扉に替えてしまえばかなり強固な津波対策が簡単に取れる。原子炉建屋をそのように作っている事例は福島事故の前からあり、浜岡原発などは広報記事で自慢していた。敷地を超えて津波がやってきても最低限のことはしていますよ、という訳だ。

しかし、海水ポンプは原子炉建屋から数十m離れて海岸沿いにある。建屋で覆わず剥き出しで置いてある原発も多い。その典型が福島第一で、以前は見学で簡単に確認出来た。青山氏の言うようなIAEAの基準が作られ始めたのは1970年代後半からだが、この原発は、その前に建設され、そのままの状態で放置されていた。

こんなことは20人余りのスタッフを擁する独立総合研究所で受託した各種調査報告を見直すだけでも確認出来た筈だし(出来ないようなセキュリティレポートなら、価値は無い)、彼が視察した時点でも分かる話だったのではないだろうか。

【原子力委員会専門委員に就任し、それまでの成果を自讃する】

独立総合研究所のウェブページの説明(リンク)によると政府が警備を強化したのは2004年12月であるという。市民団体の申し入れより前である。わざわざ明記すると言うことは、彼の心酔者が取り入れたという側面があるのだろう。

もっと明白な証拠もある。彼は、2006年12月には原子力委員会(原子力防護専門部会)専門委員に就任した。専門部会の議事(一部は議事要旨)は公開されている(リンク)。その準備会合の時に、武装警官の常駐を決めた時のいきさつを自讃している。

青山 9・11同時多発テロがあってから、日本は世界で唯一全サイトに24時間武装機動隊が常駐している国になっているわけです。世界で日本だけです。最初それを決めるときに、私ども独立総合研究所も政府機関といろいろ協議をしたのです。その協議のなかで、機動隊が武装して、しかも拳銃ではなくて、MP5という機関銃まで持って守らねばいけないような危ない施設なのかという声が地元から出ないか、それが心配だという議論が、事業者はもちろんのこと、政府機関からも多数出たわけです。ところが、実際に行ってみると、反対運動が高まるどころか、むしろ地域にきちっと説明がなされて地域の理解が深まった面がある。

原子力防護専門部会準備会合 議事 2006年12月27日

だが、彼の弁とは異なりテロ対策を悪乗りとして異議は唱えられていた。彼は市民団体が見学できなかったことについて結果責任がある(なお、この議事で青山氏以外に反対運動に言及した者はいない)。

更に呆れるのは、安全規制とシナジー効果があると当局共々思っていたことだ。

青山 資料第2号の3ページに「安全規制と防護とのシナジー効果」とありますね。それはそのとおり、僕もシナジー効果が必ずあると思っているし、それから川上委員のおっしゃった「今まで日本は安全に随分努力してきたのだから、それに例えばテロ対策のようなものも加えていく」という考え方で賛成です。

原子力防護専門部会準備会合 議事 2006年12月27日

実際にはこの時点で既に真逆の事態が進行中だった。

なお、専門委員の任命は内閣総理大臣安倍晋三だった。なお、共同通信では政治部記者だったため、青山氏は安倍晋三とは安倍晋太郎の秘書時代からの付き合いだと言う。2009年のTV番組によると、食事する仲のようだ(リンク)。その後を見ても安倍友、飯友の類と言って過言ではないだろう。

安倍晋三といえば、第一次安倍内閣時の共産党吉井秀勝氏との答弁で述べた「全電源喪失否定発言」が知られるが、テロ対策を強調して市民団体を軽んじた経緯にも安倍が責任者として背景にいることが分かる。むしろ、彼の思想による弊害としては、こちらが本質的と言えるだろう。

また、青山氏は専門委員としてメルトダウンの脅威に対策するように説いて回ったと、原発事故の後になって何度も言っている。はだしのゲンの鮫島某とは違って恐らく事実の一端は示していると思われるが、任命者が電源喪失しないと国会で見栄を切ったことについては今回の資料収集では何も出てこなかった。

【事故直後、脱原発デモより先に『立ち上がれ日本』で菅政権を誹謗する】

青山氏は事故直後の2011年3月20日に、政党『立ち上がれ日本』の集会で「菅政権は恥を知れ!最低・最悪の震災・原子力対応」などと積極的に政争の具として講演を行った。

これはよく右派が批判する最初の大規模脱原発デモ(素人の乱主催。2011年4月10日)より早く、また、電力関係者が参加していると述べていた。また、この講演で菅直人の福島第一訪問を批判しているが、翌月に自らが訪問するなど、ある種の模倣的行動に出た。

【事故直後、津波が原因ではないと主張し目を逸らそうとする】

青山氏は2011年4月に吉田所長を訪ねた。5月13日には、その経験を元に参議院予算委員会に呼ばれてこんなことを言っている。

原子炉建屋は実は津波の直撃を受けた段階ではまだしっかりしていた。

勿論、これは後の事故調査報告で否定され、3ヶ月後に2008年の15.7m社内想定が報じられた。

彼は何でこんなことを言ったのか。

情報が無ければ色々な仮説は立てるものだが、当時から推進派も「原因は津波」が主流の意見であった。だから彼も「実は」と切り出した。

市民から「大津波の想定」について、文句が出ていることを電力を通じて聞いており、警備上の理由から情報公開すべきではないとコメントしたのだろうか。正直、その程度の会話なら私的なメールや会食でも伝えられる。

そこまで直接的ではなくても、懇意にしている電力の思考を忖度して先回りした可能性もある。

【メルトダウンの脅威が非公開情報だったと主張する】

青山氏は次のような奇妙な主張を行っている。ネットに残っている彼が出演したTV番組の書き起こしも大同小異である。

今までは「開示できない非公開情報」であり、今となっては非公開の意味が全く失われた情報がある。

それはこの情報だ。(中略)「原子炉が自動停止しても、その後に冷却が止まれば、原子炉の中の核生成物が出す崩壊熱によって、数時間でメルトダウンが始まる。テロリストがその弱点を知ったうえで冷却を止めてしまえば、極めて重大な事態となる」

「テロ標的の筆頭となる日本」『VOICE』2011年7月P172

まず、非公開という主張がそもそも嘘と言って良い。

崩壊熱のリスクは、福島事故前でもネット、或いはその辺の図書館や大型書店の原発棚で手に入る程度の情報に過ぎなかった。何冊も出ていた原発震災警鐘本も基本的なメルトダウンに至る原理に大差はない。これは、事故前から原発反対派が様々な警鐘を行っていたことや、3月11日の晩に、各方面からメルトダウンの可能性がコメントされたことからも明らかである。

しかし、青山氏と同レベル以下の思い込みの激しい人物が集まると、メルトダウンに対しての理解がデタラメとなっていった経緯について納得は行く。いわゆる右派軍事ブロガーJSFによる「馬鹿は黙ってろ」事件や、大阪大学教授菊池誠による「メルトダウンではないだす」発言などである。

電力業界の安全神話の他に戦犯がいるとすれば、青山氏のようなセキュリティを売り物にする人物による中途半端な情報の垂れ流しが原因だろう。JSFのような軍事オタクは後者の情報を又聞きで記憶していた可能性が高い。

勿論、セキュリティ方面で出回っていたデタラメは、彼だけが原因では無い。次に示す読売新聞社の月刊誌『テーミス』の記事は、より「馬鹿はだまってろ理論」で知られるJSFの主張に酷似している。

原発自爆テロは、一見容易にみえて、実は核物質奪取以上に実行可能性は低いといわれる。原発の大半は核分裂の暴走が起きないよう三重四重の防護措置が組まれており、しかも「すべての反応が安全サイドに動くよう設計されている」(原発関係者)からだ。運転員自身が意図的に暴走を図っても、原子炉はいうことを効かない仕組みになっている。(中略)現在、世界の主流となっている加圧水型(PWR)や沸騰水型(BWR)では、核分裂の暴走は理論的にも起きないようになっている。

原子炉そのものを破壊しようとするのも無理な話だ。圧力容器、格納容器は数十センチメートルの更迭、1メートル以上のコンクリート壁などで出来ており、テロリストが入手可能な爆弾、ミサイルでは到底、破壊は不可能だからだ。日本の原発は9.11テロやジェット戦闘機の衝突に対しても原子炉に致命的な損傷が起きないような強度設計がされている。

「しのび寄る「原発テロ」への備えは万全か」『THEMIS』2004年11月P90

JSFや菊池誠等が撒いたデマの検証作業は岩波に投稿するような階層の物書きからは「下らない事」と思われていたようで、『科学者に委ねてはいけないこと』に収録された影浦峡氏の表現に典型的に表れている(私もある市民団体の幹部に「捨て置けばいい」と言われたことがある)。勿論、彼等の典型的な甘さであり、2015年頃以降から、原発以外の分野でも様々な右派のフェイクニュース叩き本を出さざるを得なくなった。少しずつでもいいから、こういう作業は進めるべきである。

【青山氏の主張は何が間違っているのか】

大体以下にまとめられる。

  • 勉強すれば分かる程度の事実は書名タイトルにあるような「機密」ではない。
  • 機密ではない以上、彼の本は売名のためのビジネス目的である。
  • ビジネス以外に目的があるとすれば、純粋なテロ対策の警鐘ではなく政治活動である。実際、安倍晋三等と親しく、再三の自民党からの打診をOKして政治家となった。
  • 反対派の指摘は真摯に受け入れ、TV番組や雑誌記事で積極的に紹介するべきだった。
  • 当然のことながら、テロ対策・防災対策の不備は原発反対運動のせいではない。何故なら所有と運営の主体が電力だから、理屈としても実務としても成立しない。過去に当ブログで論じた通りである。
  • 情報公開を狭めれば社会からの批判に目を背け、原子力政策を誤り、防災対策も疎かになると理解していない。その根本は日頃からのリベラル・左翼批判に見られる「反対派の主張は誤ってなければならない」という偏見にある。
  • 「テロ対策を警鐘したが、電力がそれを受け入れなかった」から福島事故が起き、責任を感じているそうだが、理屈としては通らない。青山氏の負うべき責任は左翼批判とテロ対策を煽った結果、東電がそれを方便とし、反対派に津波に無防備な海水ポンプを見せなかったことにある。またそのような電力の態度に気付きながら庇ったのは青山氏である。

【本当に取るべきだった解決策とは】

このように書いてくると、テロ対策と防災対策は両立しないかのようにも思えてくるが、もちろんそんなことは無い。

なお、私も原発が核物質の巨大貯蔵庫でありセキュリティリスクが高いことは了解しているので、現状に準じた警備は必要と考える。311後は、陸自幹部OBによる問題提起があることも知っている(矢野義昭「今の自衛隊、警察では原発を守れない」2011年6月10日)。一般的にネット右翼は藁人形論法や「無防備主義」などのレッテルを貼ってくるので、予め書いておく。

似た事情は立地自治体の市民団体にもあり、防災訓練や対策の強化の申し入れは以前から新聞の地方面でも報じられていた。例えば『朝日新聞』2002年2月9日朝刊島根1面等)。

海水ポンプや取水路・放水路がテロに脆弱ならば、土木工事を伴なう改造を施せばよかっただけのことだ。例えば、福島第一の場合は、建屋を作って覆うとか、非常用海水ポンプとその建屋を増設するべきだった。きちんと水密化すれば防災上の耐久性は見違えるほど向上しただろうし、建屋の壁を厚くしたり、装甲を仕込むことによって、携帯火器で抜けないものにすれば物理的な防護度は格段に向上する。

もし、そのような工事が不可能ならば、テロ対策と防災対策は両立出来ないことになる。つまり、テロ対策上も、装甲された建屋で覆わないのであれば、武装警官達が防衛に失敗すれば簡単に破壊されてしまう。その状態で永遠に放置される。

そんな施設には存在価値が全くない。出来ないと分かった時点で運転を中止すべきだっただろう。

以上の2方策のいずれかしか、事故前に推進者が選ぶ道は無かったと思う。

事故後、原子力委員会防護専門部会はサブテーマとして「福島第一原子力発電所事故を踏まえた核セキュリティ上の課題と対応」を議論したが、公開された議事録を読む限り、市民団体の見学拒否に関する反省は一切していない。津波や避難の問題では法的責任こそ認めないものの、何らかの反省の意思は責任者達から示されているが、こいつ等にはそれすらも無い。

なお青山氏もやるべきことがある。「森友学園頑張ってくださいねー♪」動画など、原発以外の案件でも様々な味噌を付けていることを批判されているが、当ブログとしては過去の歪んだテロ対策に加担した責任を取って、代議士を辞め、言論・講演活動の内容を大幅に見直すべきだと結んでおく。

※文中、評判の確認と訓話的な意味でツイートを引用した。

2018.3.18:原子力委員会防護専門部会議事、資料の検証結果を追記、反映。

2018年2月28日 (水)

筋の悪い運動論-くたびれはてこが正しくC4Dbeginnerは誤りである

以前、「筋の悪い運動論」という記事を書いた。

今回は、女性専用車両を巡ってより反響の大きかったフェミニストくたびれはてこ氏とアイドル・映画・時事評論を呟くC4Dbeginner氏(以下CDB氏)の論争を取り上げる。

先方は当方のような零細ブログなど知らないだろうと思うが、311を機に自民党的なものと袂を分かってから、御二人の言論は是々非々のスタンスから、以前より注目していた。

【顛末】

「何のことだろう?」といぶかしむ向きに説明すると、2月25日の日曜日、ドクター差別こと兼松信之率いる女性専用車反対運動家達が、渋谷の駅前で演説をしようとしたところ、カウンター数十人に囲まれ、最後は仲裁に当たった警察官の説諭「私は(女性専用車賛成派の方が)正しいと思う」という言葉に反論出来ずに、退散したという出来事があった。これを巡っての論争である。

まず、兼松一味だが、2月25日に先立つ平日朝、「運動」と称して朝ラッシュ時の千代田線を15分止める騒動を起こした。既に過去の行状から、チャンネル桜の支援を受けてシンポジウムに参加していたり、中韓への差別発言を行うネット右翼であることも判明している。なお、彼等の賛同者には、性的な欲望を満たすために女性専用車に乗車すると宣言した者もいる。

彼は非常に論争が好きなようだが、単なる時間稼ぎの消耗戦狙いである。社虫太郎氏が言うように、ネット上で論争を仕掛けてきても、聞く耳を持たない方が良いだろう。

【論争】

さて、CDB氏は上記のような警官の行為を許すべきではないとの主張をした。

以下、くたびれはてこ氏の指摘から抜粋する。

多少長くなったが主要な部分を引用した。

【CDBは間違っており、くたびれはてこが正しい】

ところで、私は男性なのだが、過去、性犯罪トラブルに遭遇したことが何回かある。その経験から言うと、これは彼女が正しいと思う(既に北守氏なども指摘しているが)。くたびれはてこ氏は以前別の話題では批判したこともあるが、是々非々ということである。

まず、「極右デモの警官や辺野古の警官は悪い警官で、今日、女性専用車両反対デモに解散を命じた警官はたまたま人間的に良い警官だったと本気で思ってるんですか。」だが、これは論理のすり替えとして処理しなければならない。

警察という組織にも期待されるべき役割がある。リベラル左翼の場合、警察に期待するのは一言で言えば社会的強者の手先ではなく、弱者の味方である。だから、権力者の私兵として振る舞っている辺野古や公式に口にしたくない国家主義を代弁する極右デモの積極的護衛は(それが裁量の範囲内であっても)批判する。兼松一味は男性差別なる概念を濫用して自己を弱者だと偽っているが、実際の弱者は圧倒的に痴漢の被害に遭う頻度が高い女性であり、冤罪を差し引いてもなお膨大な数が残る。だから警察の説諭が支持される。それだけの話だ。

ついでに言えば、CDB氏は兼松と同じ立場で物を眺めてしまっていることに気付いていない。記事冒頭のツイートはそれを喝破しているのである。

勿論警官個人にもある種の職業倫理は当然要求されるし、警官によって判断にばらつきが出る事例は幾らでもある。今回の事例が「運良く当たりの警官だった」ことも紛れも無い事実だろう。

【政治運動ではなく不良が暴れてるだけ】

もう一つ指摘したいことがある。CDB氏等は政治的トロッコ問題と捉えようとしているが、これはそもそも、そういう事案と当の警官も含めて認識しているのか、ということだ。万引きとか、不良が暴れているとか、生活安全課の事案というか、精々ヘイトスピーチ対策法・条例の範疇じゃないのと。理論付けて「世の中何でも繋がっている」とドミノ理論で正当化する姿はどの政治勢力にも見られることだが、そこまで言う程の案件であるか疑問。

説諭は、兼松等が無視してきた駅員がやってきたものと同様「お願い」スタイルに過ぎなかったと思われる。もちろん拒否すれば、公権力の行使に移行することは容易に予想できるが、よく言われる「民主的で進歩的な」欧米の警察でも同じような結果になったのではないだろうか。

【ヒトより動物に近い】

くたびれはてこ氏は「なんでああいう人ってあそこまで男性に弱いのか不思議なくらい。とにかく男が対応すると態度がガラッと変わる。男性はどのくらいあの激変ぶりを知っているのだろうか。」という。

彼等が動物的本能で生きている証拠である。卑屈な下等生物と言って良い。人間界にいたければ檻の中が似合いという事だ。

【「普通の日本人」は躊躇なく警察を利用する】

ところで、何故この問題は右傾化した日本のネット社会でも兼松への批判の声がおおきいのだろうか。

それは、性差別につながる問題は、原発・辺野古・薬害などと違って、地域的・社会集団の偏在性が皆無に近いからである。ありふれているので、本邦のうすのろ呼ばわりされても仕方のない「臣民」「普通の日本人」にとっても、身近な問題として考えざるを得ない。

また、この手の問題は日常あまり目立たない「右派だがフェミニズム的な思考も持つ女性」にとっては実にバカバカしいことだろうとも思う。

性犯罪の危険に遭った時、「怖くてパニックになる」「通報は出来るが時間を取られたくない」といった理由は思想の左右の別なくあるので、それをなじって「通報しないお前が悪い」という批判は確かに不当だろう。だが、いわゆる右寄りだったり無自覚な「普通の日本人」に類する女性の場合、「警察は国家権力だから」という理由はまずありえない。そういう意味では、彼女等は警察の利用に躊躇が無い。

仮にCDB氏が我慢を要求している脇で、女性が警察を呼んだらどうなるか。筋の悪い運動家や評論家達が最初に危惧していたよりもっと悪い結末-兼松撃退という美味しい成果が警察のものとなり、彼等は「リベラル左翼のミソジニスト」として無能扱いされる結末が待っている。

【有用な社会資産を一つでも残す方が良い】

今回の件で次のようなことも感じている。自分の中ではそれほど重要な位置を占めてはいないのだが、反安倍支持層の今後を考えても、さほどのデメリットにはならないだろうということ。

反安倍勢力が再び政権を奪回する可能性はあるし、野党支持層はそれを実現するように様々な努力もするとは思う。だが、一部のリベラル左翼人士が予想するように、今後延々と右翼政治が続き、日本の凋落・貧困化・格差社会化が進むだけという未来も当然考えておかなければならない。

そういう状況では、100点満点の理想論だけに拘りを持っても、今回のようなトロッコ問題を生むだけだろう。そうであるならば、兼松一味のようなミソジニーの権化を警察に放逐させた方がまだましである。

そもそも、警察不信論の欠陥の一つは、それが如何に正当な事実であっても、批判派が国家が独占する暴力に代わる手段を提供できないことにある。各地で自警団を組織したとしても、その能力は殆ど期待できない。勿論、一部の国家のように民兵を一般化するような形で国家以外が暴力を万遍なく持つ状況が出来したら、その害悪は大変なものになるだろう。警察力の問題は、止めることが出来る原発と違って根深いとも言える。

まぁ、渋谷駅は元々鉄道警察が痴漢対応の拠点にしているから、当該警官のジェンダー教育も行き届いていたのかも知れないが、個別の警官のジェンダー差別理解度に係わらず、組織としての警察は、「性犯罪撲滅」をPR出来るチャンスは逃がさない。政治も同様で、かつての治安維持法と普通選挙権のセットの時のように、市民の自由を縛る法案と対になる形で「より男女同権的な」性犯罪処罰法案、女性専用車の法的根拠等を付与する政策も行われるかも知れない。実際、2017年に成立した強姦罪の非親告化はそういった飴のひとつだったと思う。

それでも、乗らざるを得ない飴はある。意固地に筋の悪い原理論を主張して、無自覚なミソジニーを晒すのは避けなければならない。だから、他山の石としてCDB氏の主張は否定する。

【おまけ 鉄道業界は何故兼松と痴漢を放置するのか】

女性専用車両問題で前から不思議に思っていることがある。痴漢被害の大きさゆえに、推進者は男性を含めて大衆レベルではかなりの層厚がある。それにも関わらず、何故、鉄道業界は法制化運動や専用車設定以上の対応策に消極的だったのか。この点はもう少し鉄道経営や社会学的知見を混ぜて分析した方が良いと思う。彼等の消極性も、ユーチューバーとして兼松の仲間が金儲けするところまで問題を悪化させた原因だと思われるからだ。

有力な理由は、彼等の政治的出自が所詮は「普通の日本人」たる保守系右翼であることだ。

JR各社はその歴史的経緯から、社会党の系譜に繋がる勢力が弱体化した。特にJR連合は、元を辿れば鉄労に行きつく。鉄労とは兼松が働いていた民社党の支持母体だ。メンタリティ的なルーツからは、お里が知れると言うことである。

各地の大手私鉄は地場資本による小規模財閥と考えて差し支えない。精力絶倫の噂が絶えなかった西武の堤を始め、伝統的な経営層は雲の上の金持ちである。本当の庶民感覚など持ちえる筈も無い。

各社の総合職の社員も経営層と似たようなものだ。個別事例だが、JR東日本の総合職社員で田嶋陽子の思想を憎悪している者を1人知っている。現業員たちも、ネット上の書き込みを観察する限り、内心でミソジニーを拗らせている者は昔から散見する。甚だしい事例の場合、鉄道会社だけが被害者であるような態度を示し、被害女性やカウンター(的な人士)を目の敵にする者さえいる。勿論、好ましい状況ではない。

シンクタンクも碌な研究をしていない。

例えば運輸政策研究機構。混雑問題は昔から扱い、優れた分析力を持つ。過去実績として防災・バリアフリー・ICT関連もあり、最も近いテーマとして2002年に「公共交通における犯罪等緊急時の対応方策に関する調査」を行っている。それにもかかわらず、日本財団をバックにし、過去の国鉄労使対決の名残もあって、過去、「アカ」とみなされる要素を持つ人士は採用の場から排除されていたと聞く。そういうことをしていると右翼的な人間と運輸業各社から転籍した学歴エリートだけが残る。昔の話だが、私がこの団体のある研究を見つけ、引用しても良いか照会した時、応対したベテラン職員は「内輪でやっていたいから」と「拒否のお願い」をしてきた。専用車や痴漢を巡る統計調査・および調査結果の開示が不十分な理由の一つは、彼等の内向きでミソジニー的性根ではないか?、と思わざるを得ない。

鉄道総研も同罪である。ここ数年鉄道各社が通勤電車に導入を検討しているような、客室内監視カメラは研究していない。調査しても見つかるのは民間企業の自主的な研究(製品PR)に留まる。カメラ以外に痴漢を抑止する効果のある研究も見ない。そんな人達が時の新車落成時に車内のアメニティ向上を幾らPRしても、長年観察している私の目から見ると空しさを感じることがある。

一般財団法人交通経済研究所(旧運輸調査局)は、上記2団体よりはマシで、産業労働者、平たく言えば現業員としての女性職員については『運輸と経済』で度々取り上げている。しかし、その他の女性に対する視点は消費者行動の分析であり、車内犯罪の蔓延に対して経済や労働からの分析も碌に見かけない。

公開された有用な調査は大抵が大学・学術団体か運輸系以外のシンクタンク・大手メディアの物が多い。この手の議論は「男性専用車を作れ」「監視カメラとDNA鑑定で全て解決」「輸送力増強の複々線化をせよ」などの10年一日の一過性のたわごとで済まされることが多く、そういう木で鼻をくくったような「提言」を好んで行うのは一般男性層に目立つ。しかし、彼等が本来するべきことは、まともな調査研究資料を集めて、分かっていること、分かっていないこと、簡単にできること、出来ないことの区分けから始めることだろう。なお、そういった他者の地道な営為を憎むのも、兼松賛同者の特徴である。

以上、鉄道業界を構成する幾つかの要素に内在する問題点を挙げた。近年は私自身が原発研究に傾斜しているので見逃している成果もあるかも知れないが、基本的には余り変わっていないように思える。

そうであっても、一つ一つ解決はしていかなければならないのは事実だろう。今思いつく一つの参考例になるのは名鉄の労使が対決した「特定旅客」と呼ばれる迷惑カメラマンへの対抗措置だろう。兼松一味はその適用対象としてよいと考える。

2018年2月16日 (金)

三浦瑠麗が煽動するスリーパーセルへの反感と『原発ホワイトアウト』賞賛の矛盾

三浦瑠麗のスリーパーセル発言が批判されている。今回はそのことに触発されて書いた。

【スリーパーセルが膾炙した背景】

実は、私は別名のアカウントで書評もやっているのだが、小説『原発ホワイトアウト』は最初から低評価にしていた。この小説、日本の原発を外国のテロリストが攻撃するのだが、官僚周りの事象以外は安易な設定、著者の思い込みが目に付くのである。同様に「テロを実行するのは外国人に違いない」という前提を著者から感じる。

Amazonや読書メーターのレビューを読んでも、そのような理由による低評価は以前からあった。彼等のバックストーリーはさほど書き込まれていないが、スリーパーセルとみなし得たと記憶している。また、そもそも、日本人はテロなどしないに違いないという思い込みを誘発する設定でもある。

無自覚にスリーパーセルを仮定するのは、以前から日本で見られた社会妄想?である。90年代の『日本朝鮮戦争』、『ユギオ2』辺りはそのものだし、正規軍によるゲリラコマンドが主体とは言え、『宣戦布告』や『半島を出でよ』も影響を受けているようにも思われる。

「若杉の小説はそんなことより社会風刺が核心なのだ」と、反安倍で脱原発を選択し、『原発ホワイトアウト』を称賛した人達は言いたいのだろうが、無自覚は否定出来ない。

【原発警備は「政治的正しさ」(PC)を考慮した方が良い】

元々、三浦も昨年までは大阪のテロではなく、原発攻撃の脅威をPRしていたという。では、原発のような本当の重要施設警備にも政治的正しさ(PC)は考慮されるべきだろうか。

私は、一定の配慮は必要だと考える。ただし、そもそもの話として、警備の必要性を認めた上でのことである。対象が運転中か廃炉かは、当分は関係ない。「スリーパーセルなどいない。故に原発は丸腰で良い」という主張があるとしたら、流石にそれは間違いである。韓国では北の武装兵士が潜水艦で上陸してくた事例もある。スリーパーセルが居なかったとしても、テロ攻撃の脅威が無くなる訳では無いという事である。

とはいっても、毎回朝鮮総連に影響を受けた北のテロリストだけを想定したシナリオで訓練をしているとしたら、実際のテロ防備は却って穴があり、警備要員に差別思想を植え付け、危うくなる。この辺の事情は以前に書いた「共謀罪の根底にある差別思想は必ず福島事故のような惨事を誘発する」、「テロ対策を言い訳に反対派を追い出して爆発した福島第一原発」(注:長文)の通りだ。

では、どうすれば良いのだろうか。

解決策として、テロ実行者のモデル化する際、従業員による内部サボタージュや、日本人による協力者を設定すればよい。外国を絡めるとしても、武器のバイヤーとしての関与に留め、実行犯は日本人とするのが、常識的な配慮だろう。また、軍服を着ていないとしても、元々は本国で訓練された正規兵であり、最近日本に上陸してきたと設定するのも良いだろう。そういった想定は、在日の一般市民が急に目覚めるといった「スリーパーセル」とは言い難く、恐らく脅威度もスリーパーセルより高い。なお、外国の正規兵の話を書いたが、国内の人口比からも「在日の中で軍事知識に詳しく、武器の取り扱い経験がある者」より、自衛官、警察官の数の方が圧倒的に多い。よって、自衛官や警察官をテロの温床として想定するのはそう的外れでもない。

また、こういったバックストーリーをセットする際の配慮は、スパイアクションもののハリウッド映画などから、政治的正しさと向き合って成功した事例を参考にすれば良いのではないか。

【ネオナチおばさん三浦瑠麗】

なお、「実際にスリーパーセルがテロ攻撃を行った場合、お前は責任を取れるのか」という批判もあるので、まだ、誰も死んでいない内に、予め答えておこう。政府レベルで、在日全般への憎悪を煽るべきではなく、一部の例外として扱い(いわゆる周辺化)、融和の重要性などを強調すべきだ。率直な憎悪煽動は却って、第二のスリーパーセルや、国内対立の先鋭化をもたらすからだ。これは犯人の拘束・射殺とは別次元の問題である。

まぁ、教科書的回答ということになる。

そのような観点から見て、三浦の発言は只の虐殺煽動であり、二度とTV出演を許すべきではない。何故なら、仮にスリーパーセルが存在したとしても、その性格から一般人が事前に摘発することはまず不可能だからである。三浦の煽動を警鐘と称して有難がったところで、ネット右翼に出来ることは気に入らない者を在日認定し密告することだけだろう。要するに全てが無駄だ、ということである。

2018年2月 1日 (木)

福島第一の敷地高を決めた東電小林健三郎とはどのような人物だったのか

東電の、今で言う総合職で、最後は取締役待遇クラスまで上り詰めた小林健三郎と言う技術系幹部が、福島第一の敷地高決定の中核にいたことは下記のブログ記事で明らかにしてきた。

東電事故調が伝えない事実-津波に対する考え方を整理出来なかった小林健三郎- 2014.05.06

津波記録が容易に入手出来ても敷地高に反映する気の無かった東電原子力開発本部副本部長小林健三郎 2014.06.23

その小林健三郎は、実態の良く見えない人物だったが、実は311の10年前に亡くなっており、この度同氏の追悼文集を入手した。

私が公共性の高い事項としてつまびらかにしたいのは原子力発電に係った観点からの彼の人間性と技術観である。それ以外のことは特に明らかにする意味も無い。

なお、追悼文集について史料批判的見地から予め述べておくと、故人のプラス面を結晶化するために書かれたものであるというバイアスがかかってはいるが、私的な場での見解は本音で語られていることが多いと考えられる。

【1】高知に生まれ、旧制高校卒業まで生活する。

小林健三郎は、1912年(大正元年)12月8日、高知県で生まれた。以降市内旧制城東中学、旧制高知高校(現:高知大学)を卒業するまで地元で生活した。ナンバースクールには行かなかったということになるが、普通の旧制高校でも勉強が出来る者は帝大に合格するだろう。

実は、一番驚いたのがこの件だった。何故かと言えば、彼は後年博士論文「わが国における原子力発電所の立地に関する土木工学的研究」(1971)で、全国の原発適地を調査した時、高知県の沿岸部も含め、太平洋岸に原発を建てるなら、湾奥を避ければ敷地高(海抜)10mもあれば十分だという趣旨のことを書いていたからである。

これは、高知で生まれ育ったなら、あり得ない記述である。

実は、私の親族にも戦後、1960年代に高知高校(旧制とは別の私立高校)を卒業するまで高知で暮らしていた人がいる。その人に小林論文の話をしたところ、同じ反応であり、特に須崎の辺りは特に津波が高くなる場所なのは地元では常識、そもそも文献だけでなく古老が言い伝えてきた筈だとの答えを貰った。その後、311以前の地震・津波に関する文献を色々調べてみたが、やはり湾奥でなくても宝永津波のような10mを超す記録が残っており、元地元民だった親族の相場観を裏付けるものだった。

高知は三陸に次ぐ津波常襲地帯であり、歴史津波の記録は理科年表にさえ一部が載っている。それらを読めば、上代まで遡るまでも無く、記録は幾らでもあるのだ。神社仏閣に津波碑も残っている。

それどころか、1920年代位までは、古老自身が津波の体験者であった可能性もある。当時、高知に大津波をもたらした最も新しい記録は安政南海地震(1854年)だからだ。旧制高校に通えるような良家の子供であったと思われる小林少年は、古老から生の体験談を聞かなかったのだろうか。

和歌山では安政の津波を元に例の「稲村の火」で祭事化まで図って伝承していることと比較すると、この差は余りに大きい。

よって、小林健三郎は自らの博士論文で意識的に虚偽の記載をしたと言えるのである。

【2】京都帝国大学土木工学科を卒業する。

1935年3月、小林健三郎は京都帝国大学土木工学科を卒業した。後年、博士論文を提出したのも京都大学であり、親族を京都に連れて行っては当時の思い出話をしたのだと言う。

この時、同窓だったのが黒井俊治という土木技術者で、彼も電力土木、特にダム関係に進んだものらしく、ciniiでは関係論文がヒットする。

後輩だったのが小林料と言う人物で、東電でも原子力立地や送電線建設において小林健三郎と一緒に仕事をした。そのため『京大土木百年人物誌』という記念誌にて簡単な経歴紹介をしている。また、小林健三郎の死後に『「生真面目」でいいじゃないか』という自身の半生を振り返った著書を出している。

【3】神戸市役所での勤務を経て海軍施設部に徴用される。

最初の就職は神戸市役所だったのだが、6年経った1941年5月、国民徴用令に基づき、海軍に徴用された。施設部時代は、宮崎に飛行場を建設し、後に特攻隊の出撃基地として使われたとのことで、年を取ってから旅行している。1945年3月技術少佐に任官する。

また、1945年8月6日には江田島におり、原爆投下直後の広島に部隊を率いて救援活動に向かったと書かれている。

戦後の小林は、当時一般的だった陸軍悪玉、海軍善玉論を引用し、総括していたようだ。「陸軍は、まっすぐしか物事を見る事しかできないが、海軍は世界の情勢を常に知る事を訓練されていたので柔軟性があった」などと言っていた。まぁ、自分がいた組織への贔屓目と論壇での総括の受け売りだろう。特に平成期以降、ネット右翼に媚を売ってるパフォーマー以外は、陸軍も海軍も悪玉だったというのが常識的な相場観である。

【4】東電に入社してからの経歴

戦後は、運輸省に短期間在職した後、建設会社小林組、次いで協同建設を立ち上げ取締役社長となるが、事業は軌道に乗らず解散に追い込まれる。だが、この時広島に本社を置く発光建設の創業者と知己(元々京大土木→徴用令で海軍施設という経歴も一緒だった)になり、その息子宮内輝司が追悼文を寄せている。発光建設は海洋土木が専門で原発港湾の防波堤なども整備してきた実績のある企業だ。

その後、石原藤次郎京大教授(防災工学、水理学)の推薦で中途入社したのが東電で、1953年2月のことだった。日本発送電が九分割されたのが1951年5月だから、1年9ヶ月しか経っていない。

東電に入社した後は、基本的には千葉県市川の自宅から通った。なお、晩年までこの地で過ごしている。

1950年代の仕事の一つには横須賀火力の立地調査があり、リタイア後に再訪している。

1959年7月には早川水力建設所長となる。

1960年2月には本店に呼び戻され建設部土木課長となる。この頃、小林より6年早く大学を卒業し(東大)、日本発送電より更に前の東邦電力時代から生え抜きである田中直治郎は、工務部長としてTAP(東電社内の原発研究プロジェクト)に参加していた。小林健三郎がどうだったかは分からない。だが、田原総一郎『ドキュメント東京電力』の第一部によると、建設部長代理時代、原子力発電準備委員会のメンバーになっていた。原子力発電準備委員会は本店に設けられた組織で、1964年12月に発足している。少なくともこの頃には原発との付き合いが始まったことになる。

1965年12月には原子力部長代理となる。

なお、後に原子力開発の生き証人としてよく引き合いに出される豊田正敏は1945年に東大卒、福島第一所長や副社長の経歴がある池亀亮はその更に数年後に大学を卒業しており、小林健三郎とは10年以上の世代の違いがある。

さて、1967年1月には原子力開発本部副本部長福島原子力建設所(駐在)となる。しかし、福島第一1号機の設置許可申請は1966年7月、敷地高が正式に決まったのはその時だ。今まで敷地高決定の中心にいた、という書き方をしてきたが、この時期に社内でどのような動きがあり、小林健三郎がその中で何を何時決めていったのかは明らかではない。

1970年5月、取締役就任。電源立地と公害問題を総括する環境総合本部副本部長となる。福島第一の後も、広野町への火力立地(後年の広野火力発電所)を提案するなどの功績がある。

1971年7月には取締役公害総本部副本部長となる。また、同年2月に提出していた博士論文が認められ、工学博士となる。

1977年6月には常務取締役送変電建設本部長となる。下郷線などのルート選定のため、自ら各地を視察して回った。

1980年3月には日本原燃サービス(現、日本原燃)設立に伴い、同社副社長となる。

1984年6月には日本原燃サービス社長となり、六ヶ所村再処理施設の基本計画に係わる。

1987年6月には日本原燃サービス顧問となる。

1989年7月には東電の顧問となる。

1997年4月には、脳梗塞で倒れ東電病院に搬送される。倒れる少し前までは、東電の土木OB会にも積極的に顔を出していた。

2001年7月14日、東電病院にて召天。

飛行場建設と聞いてピンときたことがある。福島第一の敷地は陸軍の飛行場跡地を利用しているという事実だ。

『原子力発電所と地域社会』(日本原子力産業会議)、『東京電力三十年史』他、専門誌記事等を読み返しても、元々飛行場だったことに触発されたという記述は無く、この種の重要施設に相応の事前調査の末に決定した旨が書かれている。しかし、小林の個人的経験として、飛行場建設は身体感覚で染みついていた筈である。そして、土木から見た飛行場適地とは、平坦で広大な用地が確保出来る地形となる。この特徴は原子力発電所の適地に求められる条件の一部と共通する。

なお『歴史群像』で太平洋戦争期の研究記事を多数投稿している古峰文三氏は次のように述べている。

 

もっとも、福島第一は、圧力容器を始めとする長尺重量物の輸送、及び冷却水取水の都合から敷地高10mとなり、その造成工事には膨大な機械力が投入された。規模は戦時中の飛行場建設とは比較にならない。

ただ、1964年の用地買収後に公表された最初期の構想では、出力は一回り小振りの35万kW級だった。なお、東電による現地の詳細調査は用地買収後で、小林が準備委員会委員となった時期と重なる。この調査で、初めて造成規模の巨大さを数値化したのだろう。

よって、用地買収前に構想していた出力、そして造成規模は更に小さかったと思われる。傍証として、中部電力が1959年に検討した『186MW沸騰水型原子力発電所の検討』という資料のモデルプラントは、海抜25m前後の海岸丘陵地帯への建設を想定しているが、掘削土量は『土木技術』1967年9月号に報告された福島の120万立方メートルに比べ、僅か17万立方メートルに過ぎない。

恐らく1960年代前半の東電は、現実の福島第一ほど広範囲の掘削造成は考えずに買収を決断したのではないか。そして、その判断に小林の体験が反映されていたのではないだろうか。勿論、この推測の当否は今後の資料発掘次第なのだが。

東電時代は土木が専門だったこともあり、鹿島、飛島、間、熊谷、奥村などの各社トップとの付き合いも多かった。プライベートに仕事は持ち込まなかったが、「特定の人の派閥には属さない方がいいよ」と漏らすこともあった。

なお、原子力を専門とする職位についてから僅か7年で博士論文を提出した動機は書かれていなかった。元常務取締役の野澤清志、元東電常勤顧問の小林料といった当時の同僚、部下もその辺の事情は明らかにしていない。原子力部長代理になる前から火力立地での経験に加えて原発の勉強をしていたのかも知れないが、それにしても、上級管理職相当の仕事をしながら6年で博士論文は尋常ではないという印象を、私は持つ。そのこと自体は、「凄い」の一言である。

また、大学研究者的な目線で、博士論文を書くと言う行為の意味を考えると、自分の仕事に最終的な責任を引き受けたということでもある。生前、他者の助言で書けた旨常々言っていたそうだが、それは誠実さの表れであって、敷地高決定や適地選定の責任を誰かのせいにはしていない。

小林論文の査読者は主査が高橋幹二、他に彼に東電を紹介した石原藤次郎と、海岸工学が専門の岩垣雄一であった(京大リポジトリ)。通常、原発の設計に責任を持つのは電力会社/メーカー、および規制側だが、福島第一(および同じ思想で建設された福島第二)の場合、その敷地高の根拠が論文になったという特性上、この3名も歴史的評価に晒されねばならない。

特に、藤原藤次郎は逸話の多い人物である。『科学研究費の基礎知識: 文部省の制度・運営・審查を複眼でみる』などを読むと、伊勢湾台風を契機に特定研究(災害科学)研究の予算を継続的に確保し、京都大学防災研究所の発展に尽力した一面を持つ。この時代の文部省科学研究費特定研究(災害科学)研究報告集録には津波研究に触れたものがあり、丁度藤原が防災研究所の所長だった頃である(同1963年版目次参照)。

その反面、小林論文執筆の頃、土木学会会長を努めたり(1968~1969年)、 天皇と呼ばれて多数の門徒を育成した(日本リスク研究学会 2007 Newsletter No.2 [Volume.20] October)。防災のため学閥拡充が必要になると教え子を就職先から何人も大学に呼び戻した(ダムインタビュー(60)中川博次先生に聞く。 藤原より5年後輩の小林に声がかかったかは不明だが、若手には多かった)。他、学長選挙に立候補して落選するなどした。石原のリスク観については十分解明できていないが、土木学会会長、或いは業界の天皇と呼ばれる人物の弊害を考えると、余り明るい見通しは抱けないと思う。

【5】地質学への造詣

孫の1人には小学校の頃鉱石図鑑を買い与え、大学生でも持っていないような重厚な出来栄えのため、その孫が成人してからも難解で読めない程の水準だったとされている。

彼の地質学に対する拘りが良く分かる。また、60歳近くになって書いた先の博士論文は相当思い入れがあったものらしく、その様子は各人の追悼文からも伝わってくる。

【6】木川田一隆を礼賛する。

個人としてキリスト教を信仰するに至ったこと(後述)以外では、俗世の人士として木川田一隆を尊敬し、影響を受けていた。年の離れた親族にプライベートで何度も語っており、木川田が亡くなってからも墓が近かったので度々お参りしていたというから、事実だろう。

原子力の技術者達の技術観や人生観を知るために、後の我々が参照する資料は何と言っても社外の専門誌に投稿した論文が多く、それらは経営者に対する所感を語る場ではない。取締役クラスの技術者になると業界誌での対談機会も出てくるが、そこで語られる言葉は「よそ行き」の言葉であることは留意しておかなければならない。特に、木川田が現役の際は、部下がそのような場で反旗を公然と示すことはまずない。従って、この証言にはとても価値があるのだ。

電力業界や財界での「木川田信仰」は彼が死んだ後ではなく、生きている頃から存在していたようで、電気新聞などの業界誌では通常よりワンランク上の持ち上げ方をされていることが多い。その批判として代表的な物は斎藤貴男『「東京電力」研究 排除の系譜』である。要旨としては、結局は社の事業に忠実なロボットを量産するための方便でしかなかったというものと理解している。

私が入手した資料の中に、東電学園高校が2000年代に閉校した時に発行した記念誌がある。そこに書かれているカリキュラムが、平日は1~8限まで詰め込む徹底振りで、しかも寮制が基本だった。また、半世紀の歴史の中で卒業生は数万人いるが、女子は最後の数年に採用した100名に満たない。確かにロボット製造の場で(しかもミソジニーとも親和性あり)だったのではないか?と言う疑問が沸いてくる。

その木川田を尊敬する小林健三郎が、ある親族が新社会人となる際に教え諭したことの中には、「社命には私情を挟まず従いなさい」という一文があった。他のことは誰でも納得出来るような訓戒だったので、違和感を感じた。

確かに、東電や原子力業界を批判する文脈でも「利益相反」への批判は「私情を挟まず」に通じる物がある。しかし、ここでいう私情には「異論」も含まれるのではないか。社命が社会正義に反していた時にどうすればよいか、という視点がすっぽり抜け落ちているのは、木川田礼賛のマイナス面ではないかと感じるのである。

【7】20年以上教会に通った後に、受洗する。

私がこの点について注目するのは、キリスト教への関心が丁度博士論文を書いた頃に起こったからである。先に、ある親族が入信し、小林健三郎当人もその後、20年以上日曜日の礼拝を始めとして、背広姿で教会に通い続けたものの、入信は1987年まで躊躇い「私は仮免だから」と周囲に謙遜していたのだと言う。

従って、葬儀はキリスト教式に執り行われた。

さて、大規模な不祥事や事件、戦争などが終わった後の感慨としてよく次のようなことが言われる。

一神教には戒律があり、神と契約している者は嘘に対して疑問を持つことが多い。よって彼等は周囲の態度で物事を決めるのではなく、自主的に(或いは神に照らして)その行いに間違いが無いかを考えようとする。

牧師が出てくることから小林が入信したのはプロテスタント系なのだが、カトリックだとよく罪の告白を教会で行うなどの場面を(創作とは言え)ドラマなどで見かける。

では、小林健三郎は自らが誇りにしていた博士論文兼会社として行った原発適地の選定レポートにおいて犯した間違いを、告白しただろうか。

明らかに公にしていない。追悼文集にもそのような話は出てこない。

実社会とは基本的に嘘がつきものなのは、洋の東西を問わないが、原子力は特に問題のある嘘が多いことで知られる産業である。小林は原発建設の他にも、日本原燃サービス社長として、再処理施設の基本構想を取りまとめる仕事に参加したが、身を引いた後、積極的に真相を語ることはしなかった。

一口にキリスト教信者と言っても信仰のあり様は人それぞれである。だからこそ、他宗教(無宗教)を含めた優劣を問うことはしない。ただし、彼の場合、信仰は東電や日本の原子力発電が幾つも重ねた虚飾を剥ぐ力にはならなかったのである。

なお、追悼挨拶の代表は同じ教会で知り合った元千葉県知事、川上紀一であった。彼もまた、知事時代の末期に5000万円の政治献金を受ける代わりに便宜を図るとの念書を書いたスキャンダルを起こして辞任した人物である。もっとも、彼は自分が念書を書いたことは認めて知事を辞職したのではあるが。

追悼文集であるから、教会関係者の彼に対する態度は生前の善行・勤行に対する礼賛に満ちている。中には町の開発に係る問題が起こった時、知己を辿って某鉄道会社の元重役を相談相手に紹介したこともあるのだと言う。だが、それらは東電社員としての生き様とは切れた世界での話だ。本当に善行だったとしても、東電での活動とはリンクしない。

はっきり言ってしまえば、彼等のような経済的上流階級のキリスト教信仰は、得てして、自らの悪行を誤魔化すための手段でしか無かったのではないだろうか。吉田昌郎氏の般若信教信仰が、東電本店時代、津波対策を先送りした不作為に、何の役にも立たなかったように。

原発事故に宗教観を持ち出して説明する言説には元々疑問を持っていたが、この件ではっきりしたような気がする。事故を防止するハードとして五重の壁やECCSがある一方で、特定の宗教観や思想にそれが求められることもある。しかし、どのような宗教・思想をもってしても、何時も「作動」するとは限らないということである。

【8】晩年、原子力発電を推進したことが正しかったのか、悩む。

往時は京大土木工学科の同窓生を福島第一原発に招いて案内するなど、彼は自分が敷地高を決めた原発に自信を持っていたようだ。

しかし親族によると、晩年は原子力を推進したことが日本や人類にとって正しかったのか疑問を持っていたのだと言う。そしてメモ帳に次の日経社説を切り抜いて取っていた。

環境の世紀を迎えるにあたって私たちはさまざまな観点から環境問題を取り上げ、対策を提案してきた。(中略)環境問題の原点は、人類が自然界の一員であることを自覚し、自然を征服することで作り上げた文明のあり方を問い直し、見直すことから始まる。言い換えれば自然の破壊・開発を持って文明としてきた人類の歴史を、自然との共生・調和の方向に作り変えていくことに他ならない。人間中心主義とも言える自然観、文明観を転換し、宇宙船地球号の一員として自らを律し、その知恵と能力を自然との共存共栄のために使うことでなければならない。(中略)自然の本質を理解し自然界の法則を探る科学は、その思考構造において、宇宙の創造主である唯一絶対の神の存在を信じるキリスト教のそれと似ている。唯一存在である神のへの帰依は、真理の探究を使命とする科学の誕生を用意したと言える。(後略)

「自然との共生、新しい文明を-環境の世紀への提案-」『日本経済新聞』1995年5月29日

なお、1980年代に東電会長を務めた平岩外四は小林健三郎が亡くなったことについて話に上った際、「あの時代の原子力は良かったですね」との言葉を残したと言う。

電力業界で自分のした仕事を博士論文にまとめる取締役クラスの幹部は非常に珍しい。その意味では小林健三郎は今で言う情報公開性についてフェアな視点を持っていたのだろうが、逆に言えば、小林健三郎自身に不安があったからこそ、敢えて世に問うたのではないだろうか。原発適地の選定のレポートなど、自分の築き上げた地位にしがみ付く「普通の電力幹部」は絶対に博士論文になどしないからである(柴野徹『原発のある風景』参照のこと)。それが1980年代とか1990年代になってから、不安が確信に変わってきたのではないだろうか。

もしそうであるならば、日本原燃の社長を引いたのちに、何の発言もしなかったのは、失敗である。最低でも、後輩の、例えば1990年代当時50代から60代初頭位だった現役幹部達を相手に「あの研究は古い知見だから」などと警鐘を鳴らす位の事は、するべきだった。そうすれば、ボールは東電や電事連或いは官庁に投げられ、後輩も「実績ある諸先輩への忖度」の縛りから解放される。

実例もある。東北電の技術者平井弥之助氏が女川原発の敷地高を15mにするように強行に進言したのは今では調べれば分かる話だが、氏は1961年に東北電力を退職し、OBの立場で設計検討に助言している。また、平井氏は中部電力浜岡原発建設に際しても設計の研究会委員に参加している(『浜岡原子力発電所1号機建設工事誌』1976年5月)。このためか、浜岡原発は海水ポンプこそ福島第一のように剥き出しだが、原子炉建屋は1号機から防水扉を有していた(中部電力問い合わせメールへの回答)。

小林健三郎は「青臭い若造の正論」に耳を傾けることもあったという。しかしその位の事は、社会的に高位を得た年配者にはよくある話。私の個人的な経験でも、東電原子力部門の幹部級のOBは、リタイア後、業界団体で工学部の学生と討論をしたり、秘密裏に反対派と議論を交わすなどの行為にふけっていたが、彼自身が原子力に対する考え方を翻して反対派に加わったという話は、ついぞ聞いたことが無い。故に、こうした挿話も歴史的観点からは批判的に見なければならない。

【9】残された未解明の課題

色々あるとは思うが、敷地高に際して一つ宿題を残しておく。小林健三郎は自己の研究で女川地点の敷地高もまた10mとしているが、彼が福島第一の敷地高を決めた数年後、平井弥之助がOBの立場から女川に関与している。これが時系列である。お互いの判断や技術観が、どのように映っていたのかは実に興味深い。

2018年1月16日 (火)

2月26日に受験行ったら浪人確定したの、国家権力の陰謀だった説

【どうーなってるの?!♪(どうなってるの?)

今年最初に書いたブログで北条すずのすっとぼけたキャラ作りのリアリティを語った。その続きじゃないけど、高校3年生のあの日、おかしいとは思ったんだよね。

自習のため登校したら人が妙に少なかったし、当時の物理の先生から、「あれ?今日前期試験じゃなかったっけ???」と言われたにも拘らず、何事も無く直前対策の講習受けて帰宅した。

高校~残念生♪

で、翌日会場に行ってみたら終わってやんの。何だよー。センターの直前にインフルでぶっ倒れるだけでなく、受験日違ってるじゃねーか。国家権力の陰謀かよ~、と(で、結局現役は後期も落ちた)。佐藤大輔ですら「大学に通うと称して」神保町に出現したとものの本には書いてあるのに、入る前から神保町「だけ」デビューとかあり得んだろ。

(こうして試験試験試験試験試験試験・・・「チーン」という伝説が生まれた。)

【その後も・・・浪人生大爆破(チャッチャ~♪、チャッチャ~♪、チャッチャ~♪)

受験日のアクシデントとしては、まだ二股になっている駅で電車を取り違える方が救いようがある気がするね(浪人の時実践した)。

あ、言っときますけどね。浪人の時は、ネーミングだけで専攻選ぶの止めて利口学を選択したらちゃんと合格しましたからね。この一粒で二度美味しい風味をかもしながら、他の学部学科に比べて上辺だけ~な感じの、ワンランク低い偏差値が決定したポイント。最初からクライマックスの滑り止め的な(なお就職率も留年率も本学最底辺であった)。しかも、今ネットで流行の学部学科名を見てたら、早稲田では先進利口学が出来てるらしい。先進でしかもお利口。率直に言ってFOOL JAPAN!て感じ。

若しくは、研修中に自分が参加する班を勘違いして見学先の支社とは別の支社に定刻40分前の朝一に到着して悠々とコーヒーを啜りながら待機するとか(結局そのまま別の班で参加)。

まぁ別に、退勤直前に自分が予約した飲み会の店を同僚と確認した30分後、東口店と南口店を間違えてその居酒屋の予約パァにしても、何とか取り繕って生きていけてるから良いけどね。

こう書き出してみると、自分の文章に主語も無ければ脈絡も無かったりするの、「確かに、言えるな、納得」って感じ。自分スゴイ(笑)。

2018年1月14日 (日)

【所詮】差別吉本芸人は鉛の弾で自分の脳漿を吹っ飛ばす芸でもやってろ(笑)【チンピラ】

ダウンタウン浜田のエディ・マーフィ芸だが、まぁ元々先輩の横山やすしにすら「チンピラの芸」だと言われた位だし、そこから30年何の進歩も無かったのだから当然の結果と思うしかない。有名かも知れないが、ゴミ糞に過ぎない。相方もあの程度で映画の海外進出図ってたとはね。

馬鹿なのが幸いしてか、悪気に関しては、当人には無かったのだろう。他の日本人がやっている黒人差別までネットで掘られているが、それをダウンタウンの責任にされては堪らないだろうとは思う。何と言っても、80年代に巨人で活躍したクロマティの暴露本『さらばサムライ野球』にもミスをした彼に「ニガー・サナバビッチ」と連呼するファンが出て来るそうだから(如何にも正力原発の巨人らしいエピソードだ)。

しかし、継続的にそう言われてしまうのは、日頃の発言、特に松本人志のあからさまに政権に媚びた発言が面白く無いからでは。

松本は本当に典型的だが、吉本の漫才やNSCで這い上がってきたひな壇芸人は、社会批評という点では全く面白く無いからね。予備知識も無いし、勉強もしないし、殆ど全てリアクション芸で、自分の目線だけ。そしてすぐに強い物に媚びる。で、差別を肯定するから見ていて気持ち悪い。迷惑料を貰いたくなる位だ。あれを芸だと思ってる吉本芸人がツイッターで暴れてるらしいが、無価値で有害なだけ。正にお前たちのことだ。お笑いをやっているのに、面白くない。致命的だな。

人種差別への飛び火は頻度が低いが、差別の温床になり得る芸人の虐め体質は、今の何でもお笑いにしてしまう、「オレたちひょうきん族」や「漫才ブーム」世代が台頭した80年代からずっと言われてきた。「電波少年」も「めちゃイケ」もその後輩達も根本の行動原理が全員同じで、どこにもかしこにも吉本の顔。そういう風潮を作っているのは事実じゃないか。

無能な癖に地上波を占拠して為政者に代わって偉そうな説教を視聴者に押し付ける。何で日常でいい加減ストレス溜めてる時に同じようなストレス加算せなあかんのよ。そんなクソ芸人、見ている側としては頭を銃弾で吹っ飛ばし、それを見世物ショーとして放送してくれた方が遥かに面白い。

ただ、吉本の芸人でも、同和のような身近な差別に関しては比較的今でもナーバスなようだ(もちろん例外はあるだろうが)。恐らくそれは、肌感覚の体験と義務教育での成果だろう。結局は訓練次第なのかもしれない。しかし、今から吉本NSC辺りがそのような啓蒙活動に時間を割くようになったとしても、何の社会的制裁も無いままでは、松本のような先輩芸人が幅を利かせる状況は変わらないだろう。

まぁ、米英のメディアが偉そうに言うのもどうかな、とは思ってはいる。「黒人差別に無知な日本」を嘲笑うことが目的のようだが、少なくとも黒人差別にナーバスになる一番の、桁外れな原因を作ったのは奴隷として使役してきた歴史を持つ、お前等アングロサクソンだろ(笑)。

「何千万も殺し、差別して豊かになったおかげで今は公民権も認めて綺麗な映画も量産するほど意識が高くなりました」か?「ユダヤ人に平等に接するには600万人殺す必要がある」か?悪いけど「日本も欧米のような市民社会の確立を。」論者はしばしば、そういう歴史過程を「社会経験」として買おうとしている様に聞こえるんだよね。差別的で好戦的な安倍支持の極右を批判して居た筈がそういう倒錯に至る。でも、そうではないでしょう。(もっとも、対する安倍支持者は過去の自民党ハト派とも異なり、結果として平和主義に至る様な倒錯の兆候は無い。)。

表面的な上から目線でものを言いだけが、リベサヨ知識層が嫌われる理由じゃない気がする。

勿論、日本が黒人を大量に奴隷として使役し、虐殺しなかったのは、版図にアフリカが無かったという、ただそれだけの結果論に過ぎない。専ら差別の対象は、肌の色では区別のつかない朝鮮人、中国人、台湾人、沖縄、アイヌなどであった。戦前戦中はポリネシア系に対して、米英と似たような差別を行っていた。現在ODAなどで海外出張する馬鹿なサラリーマン達もそうだ(この層も少なからず右側の名誉白人化するというおまけ付きでだ)。

だがねぇ、最終的に物を言うのは規模の問題だから。それが「日本にも黒人差別の源流がある」論にイマイチ同調しない理由。率直に芸人叩けばいい。

エンターティメントにしてもそうだ。日本の国内都合である同和に配慮し、ディズニー等が指の数を調整することはない。(もっとも、日本産でもゴジラは配慮していないが。)もっとも、名誉白人は一生懸命考えて「四本指がグローバルスタンダードのままでいい理由」でも捻り出すのかも知れないが、多分辻褄なんぞ全然通ってないだろう。

だからリベラル左翼に加担してても向いてる方向が常に違う、名誉白人のことは疑ってみることにしているの、俺は。増してその価値観が、身近な上司や家族への反感と、自らに内面化した無自覚なジェンダー意識と、ハリウッド映画とドラマへの羨望だけで形成されていると思しき奴なら尚更。

正直、同時期に発覚した、H&Mの黒人広告の方があからさまな差別案件だと思う。本邦のリベラルは感度が鈍いが。以前白人至上主義を掲げていたファッションブランドが批判された時にもダンマリだったので予想通りと言う気はするけど。まぁ、日本だって同和はともかく在日に対しては今でもそうだという切り返しだったら、これはその通りだが、そこまで来ると黒人は関係無くなる。いずれにせよ、何か言い返すにしても、そういう観察も捻りも無いから、やっぱり吉本芸人は無能だなとは思うけど。

2018年1月 8日 (月)

2018年をどう過ごすか(および閑話休題)

もう1週間以上経過したが、2018年になった。コロラド氏をはじめとする当ブログ読者の皆様、本年もよろしくお願いします。

昨年末に実態に合わせてタイトルを変更したが、今年は何をしていこうか、少し考えてみた。

自分の生活を区分けすると、仕事、余暇、原発事故研究となる。311以来、徐々に余暇時間が減ってきていたが、今年は少し増やしたいなと。偶々TVを買い替えたこともあるので、やはり、流行っている映画やドラマは見たい。

記事の作成ペースは、月平均1本が目標。JSFのような高頻度化は行わない(週刊化もしない)。自分で書いた文章の初稿を読み直すと、粗も多く、同じ話題に二度触れていたり、簡単な文を変に修飾して、長ったらしいものに変えてしまっていたりするが、その校正が結構時間を要するからだ。

【原発問題】

プラントの安全性を中心としてもう数年は記事を書き続けられると思っている。勿論、これまでやってきたように、なるべく独自性を出した内容となる。勿論、先行する普遍的な主張に配慮はするが、それだけではカバー出来ない課題は幾らでもある。原発のように至る所でポジショントーク・神学論争・マニュアルトーク化が跋扈している分野は特にそうだ。勿論、単純に埋没・灰色文献を有効活用したいという願望もある。

実は、2015年にAPASTイベント後の懇親飲み会で雑談したことだが、原発訴訟の進展過程から考えて、事故に至る不作為に関する資料収集は、最初の5年が決め手なので、この期間に集中すると述べた記憶がある。実際2016年以降、資料収集のペースは以前より落とした。特に、津波問題については集められるネタは殆ど集めてしまったし、記事化出来ていないネタを消化した方が良い状態なのである。

その後、2017年に書いたブログ記事を見直して思うのは、数年に渡る資料ストックの効果が漸く出てきたなということ。あの記事群は、いずれも問題意識としては数年前からあったのだが、ミッシングリンクを繋ぐ新資料発掘やより深い考察は、2017年になって達成出来たのだ。

一方で、2018年から着手したい新テーマもある。それらを考慮の上、今年書こうと計画している記事は、次のようになる(時系列順)。

  1. 電力会社が原発導入前に実施した初期研究の検証(新規)
  2. 改良標準化・炉形戦略の検証(新規)
  3. 東電によるPAの検証(継続)
  4. 福島事故前のAM策の再検証(継続)
  5. 東海第二再稼働問題(継続)
  6. 時事問題(随時)

また、書いてきた内容を本(自費出版)にしてみたいとも思っているが、ネットのツイートに対する批判文とか、時事性の強過ぎる部分を手直ししたりする必要もあるので、とてもそこまでは出来そうに無い。ノウハウは皆無だしね。

それ以外は正直、議論の潮流を見て決めている。

例えば、原発避難や放射能汚染の問題では、私は独自に取材して見解を発表する程のリソースは使ってこなかったし、これからも、そうした問題を発信している人達の著作をフォローするのが精一杯だと思う。

なお、現状の立場だが、避難の問題は各告訴団や子供被災者支援法の側を支持。放射能汚染も御用PA屋のデタラメ安全論に与するのは論外だが、極端な反被曝やECRRをそのまま支持するには躊躇いがある。ただし、それらを強く主張する根拠は持っていないので、安易な分断的コメントは避け、比較的明瞭な御用PA達の発言や行動について批判側を支持している。ここで言う御用PA屋とは、福島県立医大、中西準子、長谷川三千子、中川恵一、竜田一人、GEPR等のことだ。恐らくこれは、普段私のブログに興味を持ってくれている人達とそう変わるものではないだろう。

【政治・社会問題】

原発事故には関係のない、安倍政治の暴走であるとか、男尊女卑等の問題なども同様。他山の石として教訓化するため、フォローしていく位かな。私自身の経験談や、書評と言う形での紹介などはあるかも知れない。

【記事にはしない閑話休題】

私自身はそれほど意識高い系という訳でもない。自宅のテレビのチャンネルが民放のバラエティやワイドショーになっている時間も多い。勿論それらを鵜呑みにしている訳でもないが、余りRTされていないコメントでも、意識高い系が事実でないことを根拠に社会批判をしているのを見かけると、それは違うだろと思うことは結構ある。

(以下、敢えて匿名化)

正直、反原発であっても、やり過ぎだと思う時はある。ネット右翼がまとめるTogetterは大抵汚物扱いされるものであり、そう思われて当然なのだが、関電の原発だかが再稼動された時、「事故が起きればいい」と呟いた反原発アカウントを集めたまとめは中々の眺めだった。「軽微な」と逃げを打つ知識人もいたが、まぁ、ある種の要注意リストとしてはデマリンVSオノデキタ氏以来の役に立つ内容であった。誰が我欲石原なのか、よく分かったし、そんな奴はいないという類のコメントは全く根拠の無いものだ。

原発以外だと例えば、年末年始にやっていたヒットドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の再放送に対して、森山みくりに個室を与えようとしていないのは日本の男尊女卑起因の因習に由来するから平匡は趣味の模型を捨てられてもしょうがないというような批判。原作2,9巻を読めば分かる通り、本当の婚姻関係に進展する過程で平匡は個室を確保するために2LDKへの引っ越しを計画しており、間違いである(ドラマも同じ)。その計画は色々な出来事が進展する中で中断されていただけであり、加えて1LDK時代も、みくりの私服は共用スペースのクローゼットに収納されていた。後平匡って物欲的には趣味らしい趣味無いよね。

この様な問題は2016年の映画『この世界の片隅に』でも散見された。例えば、原作にはあった太極旗が削除されているから不当だとか(実際は削除されていない)。他には、主人公のすずが知的に劣っているのが慈しむだとか、反対に差別で不快だとか何とか。残念だが、あの程度のうっかりミスは健常者でも見られるものである。『フォレストガンプ』と違って作品の本質的問題点には繋がらない。そもそもすずが知的に劣った人間としてデザインされてるとも思われない(演者も)。そんな前提を導き出せる人はどういう立場であれちょっとおかしいんじゃないの。大体責任能力無かったらあの映画をネタにした「臣民」「普通の日本人」の戦争責任に関する是非の議論が根底から成立しないだろう。

誰だか忘れたが、彼女が作中行なっていた和服の仕立て直しが劣った人間のすることであるかのようにうそぶく者がいたが(その作業を女性にのみ押し付ける社会は問題だろうが)相応の服飾家政学的技術を要する。そんなことをネタにしちゃった一部リベサヨははっきり言ってバカだよね。過去に森喜朗など保守政治家の語学力をあげつらって盛大なしっぺ返しを食らったのに、相変わらず意識が高いだけの名誉白人は同じことを繰り返す。なお、私は技術的側面やクラウドファンディングを除き、あの映画をさほど評価はしていない(言及はしてこなかったが、過去記事を読めば大体分かりますよね)。

よくある、Wikipedia日本語版の思想的粗を探してくる「風習」も同じである。確かに当該の記述は右傾的な偏見に満ちているのかも知れない。その手の加筆、今より遥かに右翼だった頃を含めてほぼ100%関わってないから、まぁそうだろうなと私も思う。ただし、「そこに挙がっている文献名を確認する位ですね~」というスタンスすらすっ飛ばして「信じません」と言った口が、別の場面でWikipediaで情報を引いてくるのは何なんだろう。彼等が一様に口をつぐむのは、例えば、自分の無知や異論を突き付けられるからあのサイトが嫌いだという原初的な嫌悪感だろう。誰しも多少は持つ物だ。それに、古参の書き手側は、まぁ、GAやFA判定を受けていたり、情報の出所が遺漏なく記載されている記事を良記述だと持ち上げると、荒らしが壊しに来ると思っているのかも知れないが。

なお、私自身ここ数年は編集に参加していないが、よく当ブログで引用する添田孝史氏の著作を出典に追記しようとは考えてこなかった。それは筋をばらさない方が商業上プラスだったからだ(公正性の観点からは、書かれるべきだろうとは思う)。

学者や公的組織が積極的に関与しているから英語版は凄いという評価も眉唾だと思っている。日本でそれを愚直に実行しているのが土木学会だという事実を示すだけで当ブログの常連には十分だろう。アメリカでも役所系が協力する例はあるようで、利益相反面からはリスクがある。そもそも意識の高い人から透けて見える「何も考えずにそのまま貼り付けていいサイトがあれば躊躇なく利用するという姿勢」自体が問題の根本にあり、彼等の批判対象である右傾化した知識人と同じく、棍棒としての用途だという事が垣間見える(面白いけど本質が科学奴隷な人に多し)。

そういう人物は通常、目的外利用者と呼ぶ。特に右派リベラル。菅野完の記事から正当な出典ごと暴行事件の話が消えても完黙してるのは何故だろう。あの規模の意図的削除は日本語版でも珍しいのだがねぇ。まぁフェミニストの中にも「自分の好きな白人の芸能人ならDVやってても作品消費OK」という内容をツイートした人がいる位だから、原理的矛盾を平然とやってのける輩には今更驚きもしないが。それまでの「クソオスは社会から抹殺」な主張を根本から覆すほどの破壊力だったが、周囲のお仲間は黙ってRT。菅野氏も英番組『TOPGEAR』でジェレミーが語ったように、ジョージ・クルーニーと改名すれば良かったのかも知れない。数ヶ月経たず、彼女等が敬愛するハリウッドで告発運動が始まったが、追放されたプロデューサ等に対して何人が同じことを語れるかは大変見ものである(私は、日本でも山本圭一のような人間をある種の盾に使う吉本クソオス芸人は追放されるべきと思っているのだが。ま、吉本なんて定義に従って追放し続けたらあっと言う間におしどりさんの個人事務所になっちゃうだろうけど)。

まぁ、事をあまり荒立てない方がいいので、これ以上の言及は控えるが、彼等以上にアホだなと思ったのはかつてWikipediaにネタを取られると愚痴をこぼしていた石本某氏がYahooで一次資料汚染を主張し始めた時位であるとは言っておきたい。

余暇時間に費やす純粋な趣味についても書いてみたいが、中々難しいだろう。精々本や映画の感想位だろうか。本当は無難な?趣味として鉄道や国道探訪もあるのだがねぇ。

2017年12月11日 (月)

【今こそ皆で】東京電力が隠蔽した津波安全神話のパンフレット【宣伝しまくろう】

原発の分野では宣伝・広告のことをPA(パブリックアクセプタンス)と称し、多額の予算を費やして多くの奇妙な広報が行われてきた。

この問題については既に本間龍『電通と原発報道』『原発プロパガンダ』、早川タダノリ『原発ユートピア日本』、或いは朝日新聞が出版した幾つかの福島原発事故本で様々な検証が進められている。

だが、多くの読者、そして各種訴訟当事者にとって本質的な疑問であるのは、直球の原発安全神話、中でも津波や電源喪失に対する安全神話を断言したものである。

原発宣伝の作り手は巧妙であるため、パンフレットのような紙に残るものでは、間接的なアプローチによる安全神話の浸透が多用されてきた。

  • 有利な点のみを語り、不利な点を伝えない
  • テクノロジー、空撮、女優、ポンチ絵などをバックにイメージを前面に押し出す

などの方法である。意外にも「事故は絶対に起きません」「津波が来ても大丈夫」と断言したものは余り数が多くない(それでも放射能、地震に関しては福島事故前から関心が高かったので、直接的な断言も多く見られる)。

今回、東京電力が行った津波安全神話の広告が発掘されたので、ここに紹介する(下記画像は敢えて3MBで掲載)。

Tepcogenshiryokuhatsuden198905p1920

『げんしりょくはつでん』P19-20東京電力営業部サービス課 1989年5月

ただし、上記ページだけでは東電とは分からないので表紙も載せる。恐らく小学生用だったのだろう。

よく見ると、文章と絵がちぐはぐである。敷地を高くしているのに津波がそれを超えようとしている。とてもまともな監修者がチェックしたとは思えない代物だ。こんなデタラメ説明をしていたのなら、福島第一が敷地を超える津波で水没したのも納得である。

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次に目次を示す。

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我々の受け止め方、使い方だが、まずは、東電による津波安全神話の存在を広く知ってもらうため、ツイッターなどで拡散して頂ければと思う。元が宣伝用の冊子なので、ある意味向いている。特に、未だに原発推進を説く業界人のツイートにリプを返す形でぶら下げるのはとても効果的だろう。目障りなツイートの減少も期待出来る。

【補論:東電の津波PAに何故そこまで拘るのか】

以下は、過去の経緯や訴訟に関心を持っている方向けに書いたものである。パンフレットの醜悪さは見れば分かるだろうから、運動家が特に無理して読む必要はない。ただし、これまで原発問題について書かれた書籍では扱いの薄い、津波とPAについて主軸にしていることだけ予め述べておく。一言で言えば、菊池健、宅間正夫、竹内均といった80年代以前に東電が用意したPA師達によって、今日の地獄に至る道は「丁寧な説明」によって舗装されたのである。

宣伝用パンフレットによる、原発の津波安全神話は、次のものが知られていた。

文部科学省:「わくわく原子力ランド」(2010年、関連togetter

福島県:アトムふくしま1990年11月号他

したがって、国や県に対しては原発広告の面からも直球の批判を加えることが出来た。だが、意外にも東京電力については、自社のHPに記載されていた簡単な案内以外に、津波に言及した宣伝は発見されていなかった。

何故発見されなかったかと言うと、福島事故後、業界をあげて消して回ったからである。

その後事故の深刻さが明らかになると共に、原発プロパガンダに手を染めていた企業や団体は脱兎のごとく証拠隠滅に走った。原子力ムラ関連団体はそれまでHPに所狭しと掲載していた原発CMや新聞広告、ポスターの類を一斉削除したのだ。

事故以前、東電のHP上には様々な原発推進広告が掲載されていたが一斉に消去され、二〇〇六年から新聞や雑誌広告と連動させてHP上でも展開していた漫画によるエネルギー啓蒙企画「東田研に聞け エネルギーと向き合おう(弘兼憲史)」もいち早く三月末には削除した(中略)。

さらに原発プロパガンダの総本山である電事連さえ、原発に批判的な記事をあげつらって反論していた「でんきの情報広場」の過去記事を全て削除した。NUMOも、過去の新聞広告やCMの記録をHPから全部削除した。そして、資源エネルギー庁も、HPに掲載していた子ども向けアニメ「すすめ!原子力時代」などを削除した。また、二〇一〇年から大量の原発広告を出稿した東芝も、自社HPの広告ライブラリーから原発に関連する広告画像をすべて削除した。

(中略)カネに魂を売って安易に作り続けてきた作品群は、カネの切れ目が縁の切れ目とばかり、あっさり闇に葬られた。

本間龍「証拠隠滅に躍起になったプロパガンディスト」『原発プロパガンダ』第4章 岩波新書 2016年4月

本間氏が書いている通り、東電や電事連は、宣伝を消して回った。用心深く事に当たっていたから、津波安全神話を作らなかったのではない。これは推測だが、むしろイメージ広告が主体の紙メディア掲載済みのものは囮として活用し、より問題ある上記のようなタイプの宣伝を最優先で削除していたことさえ私は疑っている。特に東電の場合、東京レコードマネジメントという自社グループ専門の文書管理子会社を持っていることは、注目されても良いと思う。

最近、ネットの質問サイトでも事故前の宣伝の酷さを知らない人が「安全神話なんて本当にあったのですか」などと書き込んでいるのを何回か見かけたが、困ったことだと感じている。添田孝史氏の最新刊『東電原発裁判』でも、福島県の計画している原発事故の展示施設が、いずれも過去の安全神話に切り込む姿勢に消極的という報告がある。

そこで、民間の収集家の出番となるが、こういったパンフレット類は一過性のものであり、「史料」として認知されにくい。大量に消費されていてもほぼ100%近くは捨てられる。ことに原発反対派の場合、有害図書としてすぐに捨ててしまう向きも多かったのではないだろうか。時が経つと、こういった証拠の品は有用なのだが(だから原子力「情報資料」室は推進派以外にも嫌っている人がいたのだろう)。

なお、存在自体がそのまま訴訟に繋がり得る広報は、私が収集した中でも、黎明期から次のようなものがある。

【事例1:菊池健(福島民報、1976年)】

この時は、新聞社が女性向けセミナーを主催し、サービス・ホール(第一原発併設の展示施設)に連れて行った。サービスホールで案内したのは館長の菊地健氏。その様子を1面使って報告した、今で言うPR記事が載った。そこで決定的な一言が記録された。

地震にも大丈夫

発電所などの施設は、太平洋に面した標高三十五メートルの台地を標高十メートルまで掘削し、主要な建物はすべて耐震設計。わが国は地震が多いだけに不測の天災が気になるところだが、菊池さんは「施設は丈夫な岩盤の上に鉄筋を縦横に組んでいるから、関東大地震の三倍の地震が起きてもビクともしませんよ。」と胸を張る。また、津波にしても延長二千八百メートルの防波堤が大抵の大波をシャットアウトしてしまうという。

新しいエネルギー原子力 民報女性社会科教室」『福島民報』1976年11月9日6面

津波シミュレーション、堆積物調査の技術が無かったとは言え、開口部のある防波堤でシャットアウトとは随分といい加減なPR振りである。あの防波堤は外海の一発大波や暴風時の高潮には効果があるが、津波防波堤としての機能は(公開された仕様には)規定されていない。しかも津波警報が発令された際は昔から4m盤は無論のこと、10m盤からも退避するのが習わしであり、緊急時のマニュアルにも取り込まれていた。

【事例2:宅間正夫(政経人、1982年)】

これは外部電源喪失の問題なので津波とは異なるが、PAとしては殆ど存在していないので、挙げておく。それは『政経人』という、『電気新聞』のような業界誌にしか広告を出さない、電力業界向け月刊経済誌に載っていた。インターネット普及前の日本には、こういう一見怪しい提灯雑誌だが、妙に業界の内情にも詳しい定期刊行物が結構存在したのである。そこに、1970年代原子力部門で設計・建設を担当したある東電技術系幹部社員の言葉が載った。

一ヵ所にまとまって建っていれば、港湾や道路の他に共同で使えるものはたくさんある。(中略)送電ももちろん、発電所の中に変電所をつくり、まとめて一気に送っている。ただ、この送電線が事故や地震などでいっぺんにやられないかという心配があると 思うが、今の技術から言って、変電所や送電線は一寸した地震には十分耐えられるし、故障しても直ちに保護装置でその波及を防ぐといった設計になっている。 これは原発に限らず電源が集中的に固まっているところの送電設備や変電設備は、「保護システム」が非常に高度に出来ているので、いっぺんに全部やられると いうことはほとんどありえない。

東電・原子力発電の現況-卓越した実績を元に着々計画進行」『政経人』1982年10月号P84

彼については2014年の記事で取り上げているが、その後、2017年に書いた記事で、1982年当時でさえそのような考え方が誤りであったことを示した。しかし宅間は、東電OBとして、2000年代に原子力産業協会の副会長、原子力学会会長まで上り詰めた。

【事例3:日米規制当局の警告を無視(1989年、福島民報)】

1980年代、深刻な原発事故が相次いだことを受けて、シビアアクシデント対策が議論されるようになった。この時に東電が示した消極性は事故の遠因としてこれまでも色々な文献で言及されているが、事後証言と文章表現的には巧妙に書かれている公式文書に頼った、曖昧な表現に終始している。しかし、米NRC(原子力規制委員会)がベントが確実に出来るように改造するよう勧告を出した時、東電は次のようにコメントしていた。

現時点で対策不要 東京電力の話
今回の米国の動向については十分承知していた。日本の原子力発電所では事故発生防止を最優先に安全性が高められており、現実に炉心溶融など起こるとは考えられない。現時点では、そのような事故の影響を緩和する対策を講じる必要はないと考えている。

予め断っておくが、ベントすべきかどうか自体は無条件で賛成すべき見解ではない。ベントにより地元は汚染されるためである。したがって、この記事にある資源エネルギー庁のコメントは当時の回答としてはまずまずである。同じ東電のコメントを載せた、福島民友ではエネ庁の見解が「基礎的な勉強中の段階」と完全な否定ではないことも伝えている。東電がおかしいのは、理由としてリスクではなく完璧な安全神話を持ってきていることである。インターネット時代以前のPAはそれなりに巧妙に書かれているものだが、このコメントはそうした巧妙さとは無縁で、東電技術陣の傲岸な態度がありありと刻印されているので、価値があるのだ。

その後、1990年代になって日本の原発は確実にベントすることを目的とした改造を実施し、福島事故の際はベントすることが目標となった。

このように、傲岸不遜な態度については、ストレートニュースなどの形でメディアにも記録されてきた。今回の発見で欠けていた重要なピースが嵌ったと言える。

【第二次行動計画(1989年)で強化された原発PA】

このパンフレットが作られた1989年とはどういう年だったのか。

当時電力業界の営業・広報関係者および記者クラブ関係者、代議士事務所をターゲットにして書かれたと思われる『開く見える動くいま東京電力』(マスコミ研究会、国会通信社刊 1990年)という1冊の本がある。何故か国会図書館には納本されていないのだが、当時の東電の経営戦略の概要が解説されていて非常に興味深い。

その内容をそのまま引用するとブログ記事がさらに長くなってしまうので、簡単にまとめるが、私にとって意外だったのは、当時東電原発広報が何故、前のめりになったに関しては、どうも2つの理由がある事だった。

(1)チェルノブイリ/福島第二3号機事故/地震予知対策

既報の幾つかの研究に触れられているように、事故、取分けチェルノブイリ事故(1986年)による反原子力運動の高まった時、業界内では巻き返しが必要と説かれた。こういう事故が起こるとまともな感覚ならその技術を使うことを躊躇ったり、他の危険性などが無いか用心深く点検するようになるものだが、欠陥を矮小化する動きが必ず現れる。

同書に先立って1989年に出版された『21世紀の主役宣言 いま東京電力がおもしろい』第7章によると、通産省は省内に「原子力広報本部」を設け、電事連(当時の会長は東電社長だった那須翔)も組織替えで1988年4月より「原子力PA企画本部」を設置した上、各社の広報担当常務会でこれをバックアップすることとした。

また、『開く見える動くいま東京電力』第9章などによると、1989年7月、東京電力は全社的な経営戦略として「第二次行動計画」を策定していた。平岩外四を会長に据え、那須の下で、原子力PA活動は重点課題の一つと目された。それまで企画部の中の広報課に過ぎなかったPA担当の部署は第二次行動計画を機に、広報部として独立し、スタッフも拡充された。

危機を背景に「弁の立つ」人間が太鼓を叩いて予算取り、と言う訳だ。

特に東電の場合、1989年1月に福島第二3号機で再循環ポンプ事故を起こしており、この対応にもナーバスとなっていた。このため第二次行動計画に先立つ1989年4月の人事で、福島駐在のPA担当を設置し、菊地健・送変電建設部長が就いた。同書では福島に原発を続々建設していた時期に「地元対策で奔走した」と紹介されている(実際、手元の1981年の人事記録には立地総合推進本部 第二立地部(原発などの電力設備の用地取得などを担当)に就いているのが確認出来る)。だが、ここでは上述の通り、1976年にサービスホールの館長として語った津波PAが新聞に掲載された「実績」に注目したい。東電では、津波安全神話を騙る人物が昇進したのである。

なお、上記【事例3】で取り上げたベントの記事は、菊池健の異動後の出来事である。記事を読むと、共同田崎特派員と署名されている。つまり、米国駐在の共同通信田崎記者が書いた記事の配信を載せている。しかし、過去記事データベースで検索すると、福島の2紙だけがこのコメントを掲載しており、通産/エネ庁のコメントは各紙各様の表現となっている。よって、コメントは東電本店ではなく、後述する福島PA担当の「作品」の可能性がある。

もっとも、1980年代末時点では地方紙で過去記事データベースを導入していないところも多かったので、河北新報、新潟日報、茨城新聞、静岡新聞、北國新聞、西日本新聞など他のBWR型原発のある地元紙が導入済だったのかを原紙や縮刷版を含めて確認しないと、確実なことは言えない。福島民報はデータベース導入前だったようで、縮刷版で確認した。また、「田崎記者が東電ワシントン事務所に確認したが、配信記事では福島2紙以外が削った」という可能性もある。

チェルノブイリ事故や福島第二再循環ポンプ事故は今でも文献を紐解けば載っている「鉄板ネタ」である(特に前者は)。だが、当時の東電にとっては、面倒な事態に成長し得る種がもう一つあった。

福島県内の総合月刊誌『政経東北』1989年2月号に「福島県沖に”地震の巣が・・・県の震災応急対策は万全か”」という8頁に渡る特集記事が載ったのである。記事によると、1987年春にM6クラスの地震が5回続いたことを受け、1987年5月、地震予知連が「極端に大きなものは発生しないであろうが、M6-7クラスはあり得る。津波が発生することもあり得る」と見解を発表していた。それから2年後に、『政経東北』はこの件を蒸し返して福島県を歴史的には大地震のあった場所などと危機を煽った。

『政経東北』記事では原発震災への言及はされていない。以前、反原発運動に長年従事している東井怜氏から伺ったことだが、昔は、反原発陣営の中でも地震や津波を軽く見る人がかなりいたらしい。なお、地震学者の石橋克彦氏が阪神大震災からの想像で「原発震災」を提唱したのは1997年のことだから、89年時点ではまだ提唱は無かった。

地震の危機を煽った3ヶ月後、『政経東北』1989年5月号に再循環ポンプ事故を起こしていない福島第一所長の石井敬二へのインタビュー記事が掲載された。彼はそこで、安全対策の定番トークに加えて津波に言及した。

津波対策ですが、過去の記録から想定される最大水位上昇を考慮して、敷地の高さは十分高くしてあります。

安全優先の発電所運営を推進 石井敬二・東京電力福島第一原子力発電所所長に聞く 」『政経東北』1989年5月号

丁度、今回紹介した小学生向けのパンフレットが製作された時期と被っている。今見なおすと、部門を超えての連動企画を立て、年代とメディア別にPAしていたのだろう。

東電が建設時に、重要な海水ポンプを配置している4m盤と原子炉建屋のある10m盤の位置付け整理出来なかったことは以前のブログ記事で指摘した。後述のように、89年時点では既に4m盤の安全は保証出来ない状態だったのだが、社内でどう整理していたかは未だに良く分かっていない。東電が技報などの開示を拒否しているからである。

さて、1989年6月には(この分野に関心のある向きには有名な)加納時男原子力本部副本部長が取締役に選任された。この人事で、当時すでに社内でも専門性を盾に、他部門から隔絶し始めていた原子力本部から加納氏を取り立て、タテ割りの弊害に意識革命をもたらすというのが名目だった(今の目線で見ると、原子力本部の方に意識革命が必要なら、何故その中から取り立てるのかは理解に苦しむが)。そして『原発プロパガンダ』でも指摘されているように、バブル期以降、広報予算は更に潤沢となったのである。

加納が業界誌に応じたインタビューでは「成功例」も述べられている。『電気情報』1989年3月号によると、彼が「朝まで生テレビ」に出演する度に電話での反響があり、名前を名乗ってかけてきた人とは話をするようにしていた。話を交わしたある女性は、加納が出演を繰り返す度にスタンスに揺らぎが生じ、3回目の出演後に遂に「転向」を表明したという。これは恐らく事実だろう。そのような「成果」が無ければPAに自信は持てないからだ。今でこそバカバカしく見えるのは確かだが、彼等の宣撫能力まで過小評価をしてはいけない。

(2)電力需要の過大見積もり

バブル時代の好景気は電力需要を想定以上に伸ばし、1987年に総合エネルギー調査会が出した長期エネルギー需給見通しを上回った。この結果、需給見通しは修正を迫られ、1990年に修正した新しい見通しでは、2010年までに原発40基を新規に稼動し、電力需要の4割以上を原発で賄う計画だった。一方で、電力会社は装置産業のため膨大な設備投資を迫られ、財務体質は悪化していた。正に、総括原価制様様だった。

しかしこのような姿勢は安全のための、直ぐには儲けに繋がらない投資を尻込みさせる動機を生むものでもあったと考える。そこで、津波のような原発建設後に厳しく評価されるようになったリスクには、広告で乗り切った方が安く上がるというマインドが働いたのだろう。

(3)1989年当時の福島第一は2011年当時より更に脆弱

勿論、津波対策が只の宣伝紙切れとはとんだお笑い草だ。

過去に色々書いたが(関連記事)、1980年代時点で福島沖の津波シミュレーションは公表されたものがあり、潮位を考慮すると最低でも6m程度の高さに備えなければならないことは明白であった。東電はその問題に対して最初のネグレクトを行い、後に電力業界と癒着する津波工学者、首藤信夫は『電力土木』1988年11月号で関係者に問題提起(リンク)を行っている状況であった。

また、宮城県は防災計画の参考のため県南でこれまで起きたことの無い津波を想定した(関連記事)。続いて東北電力が仙台平野で貞観津波の痕跡を探すため、堆積物調査に着手、当時建設中だった女川2号機では、津波シミュレーションを採り入れ、1号機の時採用した3mという津波想定を9mに引き上げた。福島第一1号機(1971年運転開始)で採用した小名浜港でのチリ津波実績値3mを、15年以上後の福島第二4号機(1987年運転開始)まで10基に渡って踏襲した東京電力とは雲泥の差であった。

なお、1989年当時、福島第一には空冷の非常用発電機は無く、既存の非常用発電機は全て海水冷却に頼っていた(空冷の非常用発電機は1990年代末に増設完了)。津波が4m盤を超えてディーゼル冷却海水系ポンプが水没すれば、非常用の交流電源は全滅である。3.11後の訴訟で10m盤を超える津波が焦点になっている理由の一つは、空冷の非常用発電機なら10m以下の津波に対しては安全性を確保できる、という前提があるからだろう。

また、1987年の福島県沖地震では新福島変電所で一部機器の破損があった。それ以上の規模の地震が来れば変電設備の全滅(=外部電源喪失)は容易に想定出来た。東電は1983年の神奈川県西部地震の時には変電設備全体の更新を進めたが、1987年の福島沖地震の時は、原子力が重要だと認識していたにもかかわらず、碍子を取り換える程度の対応に留まった(『変電技術史』11章P558-559、1995年)。誰がこの決定に関わっているかはまだ解明していないが、菊池の前職は送変電建設部長である。

よって、1980年代末に算定会が考えていたようなM8.2程度の地震が起きれば、碌に追加対策もしていない福島第一は、全交流電源喪失により2011年の事故と同様の事態に至ったと考えられる。1980年代に想定された10m以下の津波を、今再検討する意義はここにある。

【地震予知批判者が安全神話を説いていた皮肉】

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このパンフレットの監修者として竹内均の名がクレジットされている。まぁ、今後は原発安全神話の戦犯として記憶されることになろう。

彼は、プレートテクトニクス理論を提唱したことで知られ、過去に起きた記録が碌に見つからなかった頃から、福島沖で海溝型津波地震が予想されていたのも、この理論が大元にある。そう言う意味では、彼の存在抜きに津波想定が発展することは無かった。

それが一体何故こんな結果を招いたのか。一つ言えるのは、竹内は、地震予知批判者達が語ってこなかった、矛盾を象徴する存在だったからである。

さて、1990年代より東京大学の地球物理学者ロバート・ゲラー氏は地震予知利権を度々批判してきた。311の後その頻度は更に高まり、予知批判者と言えばまず彼の名が上がるようになった。

実は、竹内は予知批判の先輩格に当たる人物である。

この間、むろん批判者がいなかったわけではない。例えば、故・竹内均・東京大学理学部教授は、痛烈に予知研究を批判したが、その批判は特に世論に影響を与えることはなかった。竹内氏は、政府の方針を建議する測地審議会の委員ではなかったため、政策決定プロセスへの影響も皆無だった。

ロバート・ゲラー『日本人は知らない「地震予知」の正体』双葉社 2011年8月 P152

ロバート・ゲラー氏が同書で竹内に触れた個所はここだけだが、説明としては片手落ちである。何故なら、竹内は原発論争を長年ウォッチしてきた人にとっては有名な推進派の学者であり、1981年に東大を退官して以降は科学啓蒙雑誌『ニュートン』編集長として論陣を張ったからだ。テレビなど他のマスメディアへの露出も積極的にこなしていた。彼に心酔する「専門家」が書いたと思われるWikipediaの紀伝体風の記事によれば、テレビ出演回数は2000回を超えると言う。「世論に影響を与えることは無かった」とは到底思えない。

竹内均の投稿実績をciniiで確認してみる。1978年に成立した大震法と相前後して、1970年代末に『月刊自由民主』(自民党の機関誌。現在は完全な広報誌だが、当時は同時代の論壇誌と同程度の内容的なボリュームがあった)で毎月連載を持っていたことが確認出来る。一線の研究者として専ら研究誌に投稿していたのは1970年代前半頃までであり、『月刊自由民主』での連載開始の頃から、あからさまに政治に近付いて行ったようだ。

彼が地震予知利権に批判的でいられたのは、自民党と建設業界・海洋資源開発などの別の利権で繋がりを持っていたからだと考えられる。

幸か不幸か、損害保険算定会などを舞台に1980年代から表立って行われるようになった、福島沖の津波シミュレーションは、どちらかと言うと「予知利権」がもたらした「成果」でもあった。竹内にとって、全く面白くなかっただろう。

東電営業部はそこに目を付けて起用したのだと思われる。たかだかM7クラスとは言え、福島での地震を警戒するよう発表したのも予知連だったから、その点でも竹内は適任だった。更に言えば、歴史地震的な見地に立っていた『政経東北』の方が、予知連より更にまともだったのだが、名義貸し同然であっても、学者の名前さえ出しておけば、素人マスメディアの扇動記事など簡単に「論破」出来た。

しかし、出来上がったのは、傍から見れば単なる津波安全神話を刷り込むパンフレットに過ぎなかった。

竹内個人の問題は、どうも津波の脅威をあまり理解していなかった節がある所だ。「大地震は起こるか」(『コンクリート工学』1980年3月号)で彼は、大地震の揺れに東京のような大都市が襲われた場合の損害に比べれば、東海地震による被害など取るに足らないと述べた上、当時のコンクリート建築の水準を称賛していたからである。前者の主張は、原子力関係者にとってはとても都合の良いものではあった。原発は大都市から離れた地点に立地していたからである。

後者の主張も、現状肯定を意味する上で、ゼネコンを筆頭とする建設業界関係者には都合の良いものであった。そもそも、建築関係者には有名な宮城県沖地震による耐震基準の引き上げが行われたのが1981年であり、当時の目線で見ても、強引な現状肯定論と言わざるを得ない。そのメッキが完全に剥がれたのは、阪神大震災であった。要するに彼は、地震の揺れにおいても、過小評価に迎合した戦犯の1人であったのだろう。

なお、『コンクリート工学』は建設業界の技術専門誌で一般人向けの啓蒙誌ではない。竹内はそういう場になると、臆面も無く愚民観を披露しているのが分かる。その根拠が都市住民が日照権を望むからと言うのも、よく分からない理屈である。日照権が確保されている都市とは、密集建築が無く防火帯が確保されていることを意味するのだから、竹内は地頭が悪い。単に再開発と称したペンシルビルを乱立させたいデベロッパーの代弁をしているのが透けて見える。実際、80年代に東京で行われたのは、そういうミニ開発だからである。左右中道を問わず、啓蒙に熱心な人物にありがちなことだが、こういった二面性を含め、全く同情の余地は無いだろう。

無能評論家、これが竹内に相応しい肩書である。

17/12/13:89年の政経東北記事2本の件を追記。

2017年11月20日 (月)

日本学術会議で関村直人等が行った津波検証の問題点-特に福島県2007年津波想定について-

当記事は「福島原発沖日本海溝での地震津波を前提​にGPS波浪計を設置していた国土交通省」の続編と捉えて欲しい。国土交通省と福島県が一体どのような津波対策を取ったのかについて、日本学術会議の検証に反論する形で分かったことをまとめたものである。

携帯よりはPCでの閲覧を薦めるが、読めない訳では無い。

全体は【1】~【4】に分かれるが、中でも【2】は日本学術会議批判に留まらず、福島県が2007年に公表した津波想定について再考を行い、東電はもとより、福島県(そして省庁と閣僚)の過ちについて論じている。原発事故を主眼としてはいるが、2万名近くの死者、行方不明者を出した津波災害を検証する上でも、参考になれば幸いである。

【1】『原発と大津波』を無視する日本学術会議の「検証」

最近、日本の国立アカデミーで内閣府の機関でもある日本学術会議の中で、次のような検証作業が行われたことを知った。

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福島第一原子力発電所事故以前の津波高さに関する検討経緯-想定津波高さと東電の対応の推移-(日本学術会議、2017年8月1日)

 

参考資料 福島第一原子力発電所事故発生以前の津波高さに関する検討経緯(日本学術会議、2017年8月1日)

検証結果の趣旨は「東電は事前に分からなかったのだから津波想定で失敗したのは仕方がない」というもののようだ。

検証作業は18回に渡って行われたそうで、検討に当たった委員会は下記のメンバーである。

委員長 松岡 猛  (宇都宮大学)
幹事  澤田 隆  (元日本工学会事務局長)
委員 矢川 元基 (原子力安全研究協会会長)
    関村 直人 (東京大学)
    柘植 綾夫 (科学技術国際交流センター会長)
    成合 英樹 (筑波大学名誉教授)
    白鳥 正樹 (横浜国立大学名誉教授)
    宮野 廣  (法政大学)
    吉田 至孝 (福井大学、原子力安全システム研究所)
    亀田 弘行 (京都大学名誉教授)

学術団体の元締めにも拘らず、津波工学者はおろか、地震学者すら入っていない。一方で、爆破弁発言で醜態を晒した関村直人が参加している(なお、爆破弁発言の検証は無い)。また、福島原発事故の前から諸外国の過酷事故対策を知りながら、原発宣伝を優先するように策動していた原子力安全研究協会が名を連ねている(同協会の犯した罪についてはいずれ機会を見て書くことになるだろう)。

本文と参考文献一覧を見たが、添田孝史『原発と大津波 警告を葬った人々』や海渡雄一他『朝日新聞「吉田調書報道」は誤報ではない: 隠された原発情報との闘い』などの新資料を提示した文献は軒並み無視されている。

一方で、「話題」スライドが存在している。

残念だが、東日本大震災の後に津波研究を行った者達が発表した論文は震災津波の解析や今後の研究技術のあり方などに関するものが大半で、福島第一の津波想定を検証するような論文は見かけた記憶が無い。また、数少ないそうした論文があったとしても、日本学術会議が指摘するような「話題」が提起されたことも無いだろう。彼等が「話題はあくまで学術会議内でのことを指すのだ」と言い張るのでなければ、それらは、各地の訴訟や添田孝史氏、共同通信の鎮目記者等が提供したものである。

都合の悪い文献を無視すれば、東電や国に有利な結論に導くことは簡単だ。では何故、今更こんな検証を行ったのだろうか。恐らく、組織の名前を使ってオーソライズすることを狙っている。場合によっては第3者の検証事例の一環として、反論材料として訴訟で提示したかったのだろう。控訴審投入用の予備隊といったところか。

だが、重要な指摘を無視して行う反証に価値は無い。ついでに言えば、日本学術会議は初期のJEAG、小林論文、損害保険算定会から、国交省(=国家自身)が行った津波想定も軒並み無視している。大きな間違いの一つはここにある。

【2】福島県2007年想定について再考する

ただし、当記事はここで終わらない。日本学術会議が取り上げた資料の見方にも、問題のあるものが潜んでいる。例えば、福島県が行った2007年の津波想定が、東電の最新の津波想定より低いと評価した事実が証拠の一つとして書かれている。今回はこの福島県の津波想定について一度考えてみたい。

【2-1】これまで認識されてきた経緯

日本学術会議の検証結果では次のように書かれている。

Scjgojp1708011slide9 東京電力は、自治体が評価した防災上の津波計算結果を把握し、対策が不要であることを確認していた。

福島第一原子力発電所事故以前の津波高さに関する検討経緯-想定津波高さと東電の対応の推移-(日本学術会議、2017年8月1日)PDF9枚目

日本学術会議が元にしたと思しき、東電事故調の記述は次のようになっている。

Toden_jikocho_p19tsunamihyoka

福島原子力事故調査報告書』東京電力2012年6月20日P19より。赤枠(筆者)の部分が2007年福島県想定。直前の文章では

平成19年6月、福島県の防災上の津波計算結果を入手し、福島県が想定した津波高さが当社の津波評価結果を上回らないことを確認した。

と記載されている。

政府事故調も大体同じである(『政府事故調中間報告(本文編)』2011年12月P394)。

この点については、私を含めて誰も異を唱えてこなかった。異を唱える場合は、他の津波想定を隠していただろとか、そういう文句の付け方だった。

だがこれは私を含め、そもそも福島県が何故2007年に津波想定を行ったのかについて、検証してこなかったからだ。そして、福島県自身も検証したという話は聞かない(茨城、宮城、岩手では東日本大震災の対応をまとめた記録を刊行した際、曲がりなりにも事前の津波想定について検証作業が行われた)。隠蔽で有名な集団だから、無くても特に驚きはしないが。

【2-2】スマトラ沖後、国交省の提言通りに津波想定の実施を決めた福島県

話は、2004年12月のスマトラ沖地震によるインド洋大津波から始まる。この災害は日本の防災関係者に大きな影響を与えた。学者達が議論してきた地質構造の細かな相違は、防災行政上は特に議論にもならず、同じような津波が日本近海の海溝型地震で起こったらどうなるかに関心が向けられた。

国土交通省はスマトラ沖の教訓化を急ぎ「津波対策検討委員会」を発足、2005年3月に提言をまとめ、その中で「概ね5年以内に可能な施策」を盛り込んだ。当ブログで既にふれた閘門管理システムやGPS波浪計の整備もそうした施策だが、住民が避難する際に役立てることを目的としたハザードマップも、次のように決められた。

重要沿岸域のすべての市町村で津波ハザードマップが策定できるよう、津波浸水想定区域図を作成、公表。

津波対策検討委員会 提言 2005年3月

福島県沿岸は全て重要沿岸域に包含された。1999年に地方分権一括法が制定され、以後、国と自治体は対等関係と規定されたが、これは指導だ(一概に有害とは言えない)。

日本学術会議の検証は政府事故調報告を重視しているようだ。その政府事故調は中央防災会議の「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会報告」(2006年1月)を受け、福島県が調査を行ったと述べ、国土交通省の役割に言及していない(『政府事故調中間報告本文』P392)。

しかし、福島県議会の議事録を見ると、2005年3月に自民党杉山純一県議がスマトラ沖を引く形で「浸水予測図の作成率も、避難対象地域の指定率もともに約3分の1、避難場所は6割の市町村が指定しているが、そこまでのルートを決めているのは2割」などと日本の状況を問題提起した。県庁の職員は佐藤栄佐久知事(当時)に次のような答弁を用意している。

県といたしましては、昨年末のスマトラ島沖地震による津波を大きな教訓と受けとめ、沿岸市町に対して計画策定の指針を示し、地域住民自身が計画づくりに参画し、津波浸水予定地域や避難対象地域の設定などを内容とした避難計画を早急に作成するよう要請したところであり、今後とも、関係機関連携のもとに、迅速かつ適切な避難対策を実施できるよう、沿岸市町を積極的に支援してまいる考えであります。

平成17年2月 定例会-03月03日-一般質問及び質疑

津波対策検討委員会提言は2週間後の3月16日。与党が行う、典型的予定調和型答弁である。

なお、ネット上の情報としては県のHPがある。現在は削除されているが、当時次のように案内していた(この他、国土交通省東北地方整備局 東北地方水災害予報センターには今でも津波浸水想定区域図へのリンクが残っている)。

福島県では、平成18年度から平成19年度にかけて、県内の沿岸市町が作成する津波ハザードマップや津波避難計画の作成支援を目的として、津波想定調査を実施し、津波浸水想定区域図を作成するとともに、津波による被害想定を行いました。
福島県津波想定調査(福島県HP、アーカイブ

県の調査が2006年度に実施されたのは、自治体の場合、通年で4回定例の議会を開催するが、秋から冬にかけて行われる3回目の定例会(3定)までに来年度の予算案を作成するので、2005年度に間に合わなかったからである。また、「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会報告」を読んで初めて調査することを思い立ったとしたら、2006年度に予算が執行できるはずがない。参考文献以上の意味は無いのである。

従って、政府事故調の福島県の津波想定に関する説明は間違い(虚偽)である。日本学術会議の委員はそれを見抜けなかったのだろう。

なお国交省、内閣府、農林水産省は2004年3月に「津波・高潮ハザードマップマニュアル」を作成し、各自治体に送付していた(リリース)。この中で「津波想定の結果をハザードマップに反映」という流れが出来上がっており、スマトラ沖の後もその方針を踏襲したことが津波対策検討委員会の記録類から読み取れる。

以上が福島県の調査(正式名称:福島県津波浸水想定区域図等調査(2006年度))が行われた背景である。上記の事情から作業分担は次のようになった。

  • 津波浸水想定区域図:県で作成
  • ハザードマップ:各自治体で作成

コラム
なお、スマトラ沖がきっかけとなり、国土交通省の方針に従って津波想定を行ったのは茨城県も同様である(当方も2014年3月に茨城県に照会して確認済み)。一方、津波常襲地帯として知られていた宮城などは99年度の津波浸水予測図に対応して先に動いていたから、スマトラ沖の前に県レベルでの津波想定は作成していた。

【2-3】推本予測を元に想定を求められたのに何故か推本予測を捨てた福島県

【2-3-1】中央防災会議と地震調査研究推進本部

ところが、福島県はここで間違いを犯した。調査報告をまとめるにあたって、中央防災会議の資料のみを参考に想定地震を決定したのである。その結果、福島県沖での海溝地震は想定から除去されてしまった。

当時、中央防災会議の見解だけを参考にすると何故不味かったのか、改めて振り返って見よう。

東電原発訴訟を追っている人は御存知の通り、2000年の省庁再編以降、国の津波想定を扱う防災組織は大きく分けて2つあると認識されていた。

  • 中央防災会議:1960年の伊勢湾台風を契機に設立。政府の防災方針を決める。内閣府運営。
  • 地震研究推進本部(推本):1995年の阪神大震災後設立。地震の研究観測を集約して防災に反映させる。文部科学省運営。

福島第一原発の沖合を含む日本海溝沿いでマグニチュード8クラスの津波地震が30年以内に20%程度の確率で発生すると予測したのは推本で、2002年7月のことである。推本の地震でシミュレーションを作ると、東北地方太平洋沖地震津波を予告するような津波高さが得られる。推本はMw8.2とMw9に比べれば小振りな地震を想定していたから、一つの地震で大津波が発生する海岸線の範囲は狭い。しかし、推本はMw8.2が日本海溝の何処でも起き得るとしたので、東北地方太平洋岸はどこでも高い津波が起き得ると予想したに等しかったのだ。

しかし、中央防災会議は2004年2月に開いた専門調査会会合で推本予測を対象外とする旨を決定したのである。その2年後にまとめたのが先の「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会報告」であった。

Mokkaijikocho20150124soetap49_2
出典:もっかい事故調オープンセミナー「原発と大津波 警告を葬った人々」発表資料P49(リンク

福島県津波浸水想定区域図等調査に戻る。正確に述べると推本予測は、調査報告書概要版(修正版)のP5,P8で、過去の地震や最近の地殻の動きを紹介するために引用されているのだが、報告書最後の「7.参考文献一覧」からは削除され、中央防災会議の方がクレジットされているのとは対照的である。したがって、調査を発注した県と受注した国際航業が忘れていた訳では無い。明確な意図を持って想定地震から除去している。なお、私が入手した報告書の表紙にはタイトルに「概要版」とあり、右上に「修正版」と書かれているので、修正前の版や詳細版にはそのあたりの事情が書かれているのかも知れない。

【2-3-2】 使われ続けた推本予測

ところが、福島県が推本予測を無視するのは論理矛盾であった。まず、津波・高潮ハザードマップマニュアルは、後述のように現用文書として扱われ続けており、次のように推本予測も考慮するように書かれていたからである。前月の中央防災会議専門調査会との整合も取っていない。

Mlitgojpkowanhazard_shiryou2slide_2 津波・高潮ハザードマップマニュアル(案)」国土交通省津波・高潮ハザードマップ研究会事務局(2003年12月)  PDF14枚目

更に決定的材料として「津波対策検討委員会」が重要沿岸域に東北地方太平洋岸を含めたのは、推本予測を意識したからであった。そう意識させたのは次の図を作成した国土交通省河川局であった。

Mlitgojptsunamisiryo1_050206slide8説明資料1 我が国における津波被害と防災認識」津波対策検討委員会(2005年2月6日配布)PDF8枚目(綺麗なものは提言発表時の閣僚懇談会資料にある。)

「津波対策検討委員会が推本予測を捨てなかったこと」は極めて重要である。2004年に中央防災会議が推本予測を「捨てた後」の出来事であり、自治体の防災行政に直接の影響を与えたからである。言い換えるならば、中央防災会議(内閣府)が捨てた推本予測を、国土交通省はもう一度拾い、3番目のプレイヤーとして躍り出たのだ。この決断のために裏で御膳立てした官僚は激賞されて良い。原発事故と言う観点からは、それ程価値のある決断と言える。

【2-3-3】災害対策基本法制に見る運用上の矛盾

災害対策基本法によれば、中央防災会議が作成した防災基本計画に基づき、省庁(指定行政機関)は防災業務計画を作り、自治体は地域防災計画を作る。ちなみに、「七省庁手引き」は地域防災計画のための資料である。それでは、この提言は国交省の防災業務計画に反映されたのだろうか。平成18年度版(2006年)を参照してみる。

第2編「震災対策編」には「津波災害に対するハザードマップ等を作成し、危険箇所、避難地、避難路の周知を図るものとする。この場合、地方公共団体に技術的助言を行うものとする。」とある。

第14編 「その他の災害に共通する対策編」には研究成果を直ちに反映する旨記載されている。第15編「地域防災計画の作成の基準」にも提言の施策が反映されている。

一方、新旧対照表を見ると、第2編第6章「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震防災対策推進計画」が追加されたことが目を引く。中央防災会議は「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会報告」を現実の施策に反映するため、2月に大綱を制定、2006年3月には「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震防災対策推進基本計画」を作成した。それに応じて、国土交通省の防災業務計画に反映したものである。ここにも「津波災害に対するハザードマップ等を作成し、危険箇所、避難地、避難路の周知を図るものとする。この場合、地方公共団体に技術的助言を行うものとする。」との文言が登場する。第6章の方は専門調査会の想定に行き着くのだろう。

国土交通省の担当者がこの文言通りに、県に対して中央防災会議の想定のみを「技術的助言」した可能性はある。勿論、県や国際航業自らが調査開始後そう考えた可能性もある。

では、中央防災会議の想定はどこの災害対策の現場でもプライオリティが高いように整合していたのだろうか。答えは、NOである。

  • 【理由1】国交省の一連の動きに対し、中央防災会議が公式に(或いは表立って)他組織の想定を使わないように「指導」「助言」した記録は見つかっていない。(ただし、推本(文科省)に対しては別である。『原発と大津波』P68-70によると、推本の長期評価に対してはファックスを通じて「誤差があるので、使用上注意してほしい」旨の連絡を報道機関にも送っていたとされる。裏では長期予測自体に懸念を表明している)

  • 【理由2】福島県による調査後の2008年12月、中央防災会議は「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震の地震防災戦略」をまとめたが、P11、P25に登場する「津波ハザードマップの作成支援」には「七省庁手引き」と変わらず、多数の省庁が関与し、中央防災会議を所管する内閣府と国土交通省の名前が並ぶ。「津波ハザードマップ作成マニュアル」(「津波・高潮ハザードマップマニュアル」の誤記)を使って、市町村のハザードマップの作成支援をすると称しているのも同じである。自治体としては同じ問題で複数の官庁から見解が来ることになるだろうし、内閣府は自ら否定した推本予測を掲載したマニュアルで、何の支援を行うつもりだったのだろうか。福島県と同質の矛盾がここにある。

  • 【理由3】福島県の津波想定調査予算は、時系列上、中央防災会議の想定を前提にしようがなかった。中央防災会議の想定が専門調査会報告と言う形で外に出るのは2006年だからである。更に、茨城県が行ったように、中央防災会議の想定を墨守しなくても、罰則は無かった。

  • 【理由4】中央防災会議自体が結局は推本予測に依存していた例として、国土交通省のGPS波浪計の件があることだ。「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震の地震防災戦略」にはGPS波浪計も含まれ、「沖合波浪情報の分析・提供」を通じ防災体制の強化に資する旨記載されているのである。以前当ブログで書いた通り、GPS波浪計は推本予測を更に拡大する形で日本海溝での津波地震を前提に予算執行されたものである。また、この防災戦略には「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震の調査観測研究」という項目があるが、GPS波浪計や国土交通省は関係していない。GPS波浪計が研究設備では無く、実用的な設備と見做されていたことが分かる。結局は、各省庁施策の寄せ集めの感はある。

以上が、福島県が津波シミュレーションを行っても10m以上の水位が得られなかった原因の一つ目である。推本の言う通り福島沖に波源を置いてシミュレーションすると原発前面に10m以上の大津波が来ることは、東電自身がこの数年後に秘密裏に計算していた(事故後の報道で判明)。

したがって、福島県津波浸水想定区域図等調査(2006年度)は、津波対策検討委員会提言の要求を満たさない、欠陥調査であり、行政不作為である。震災による福島県内での直接的な死者・行方不明者は約1900名でほぼ全て津波によるが、推本予測を入れてハザードマップに反映していれば助かった人達も沢山いる筈である。これ程の悪影響をもたらした行政不作為が長年にわたり見落とされてきたのは極めて問題である。

災害対策基本法制の問題点は「地域防災計画にみる防災行政の課題」という2005年の論文で既に指摘されている。例えば、広域対応の防災計画を作っても、既存の計画に微修正を加えるケースが報告されている。その意味では、不整合は当然の結果である。被害想定の政治性も同様である。小さな津波しかもたらさない中央防災会議想定の方が社会的安心感には繋がるであろうことも、この論文が雄弁に予告している。想定には法的な効果が無いから議会の審議も経ないという指摘も重要だ。国と地方の序列化、市民排除にも言及がある。電力と言う組織が運用する原発はともかく、「七省庁手引き」本来の目的である、地域防災計画への寄与が中途半端に終わったのも頷ける。

ただし、起きてしまった災害に対して国家は責任を負うのも事実であり、今般の様に10万人位であれば、財政的にも賠償金の支払いは可能な範疇である。そのような矛盾の清算すら拒否するようでは、国家による防災には存在価値が無い。

【2-4】東電の福島県津波想定ミス解釈~そのまま当てはめてはいけない~

とは言え、福島県は津波想定を行い、報告書にまとめた。次に問うべきは、その結果を入手した東電の過ちである。

それを示す前に言葉の問題を述べる。役所は金と責任が絡むとき、言葉の使い方を揃える。スマトラ沖の後国交省が「津波浸水想定区域図」という単語を使いだしてから、関係する事業ではこの単語が使われた。

東日本大震災以降、これらの津波浸水想定区域図とハザードマップは順次更新されていったが、この単語で検索した結果、一部の自治体のデータはネット上に残っていた。まず、先程の福島県HPを見てみよう。

Preffukushimajpsaigaigtsunamisoutei

また、実際の津波は、これ以上の高さになることも考えられます。地震が発生したら、まず避難しましょう。
福島県津波想定調査(福島県HP、アーカイブ

次に、相馬市のハザードマップが残っていたので見てみよう。

Citysomahazard_map_a3_2_3 この地図は、福島県が平成19 年7 月に発表した、「津波浸水想定区域図等調査」の結果に基づいて作成したもので、予想浸水域を表示しています。
 
あくまで「想定の津波」によるものですので、到達しない場合、または、想定を越えて津波が押し寄せることも考えられます。
津波ハザードマップ 原釜・尾浜地区」相馬市2008年3月(魚拓

これが、福島県の津波想定の正しい受け取り方である。

このような一言が付け加えられている理由は、津波想定には不確実性が伴うので、「津波・高潮ハザードマップマニュアル」でその対応策を書いてあったからであろう(下記引用の他、同マニュアル4章で詳しく議論されているが、想定水位=最高の高さではない、という考え方は一貫している)。

津波・高潮ハザードマップに供する浸水予測区域の設定に際しては、現在の最先端の技術水準において、一般的に表 3.2.1に示す項目の条件設定が必要となる。

(中略)なお、設定以外の条件についてのマップへの記載は、紙媒体のハザードマップの限界を超えているが、最悪の場合に備えて対応できるよう、緩衝領域(バッファ)の設定や(4.4(3)参照)
想定を超える災害発生の危険性をマップ上に記載する等により対応する。

津波・高潮ハザードマップマニュアル(案)」国土交通省津波・高潮ハザードマップ研究会事務局  PDF45枚目

報告書本文、参考文献共に文書名として「津波・高潮ハザードマップマニュアル」は明記されていないが、報告書P52にハザードマップ作成担当者向けの説明として、

想定地震以外の地震による津波や条件が異なるときなど、シミュレーション結果と実際に来襲する津波が異なることを以下のように明記した。

「地震の震源が想定より陸地に近かったり、想定を超える津波が来襲するなど、条件が異なる場合には、ここで示した時間より早く津波が来襲したり、遡上高が高くなったり、浸水範囲が広がる可能性があります。」

と、上記記述に類する注意文のサンプルが例示されている。そのような報告書の書かれ方は、「津波・高潮ハザードマップマニュアル」と完全に整合する。

従って、県の想定水位が原発の津波想定より低いことを示したところで、原発の安全を保証する材料にはならない。何の意味も無い行為である。東電本体は元より、東電設計およびシーマス、ユニック等は津波想定のプロ集団であり、このようなミスは仕方無いでは済まされない。

ミス解釈の責任が、説明を行った福島県にあるのかは分からないが、少なくとも東電グループにあることは疑いない。各訴訟の準備書面を全て把握できていないが、この瑕疵もこれまで見逃されていたのではないか。

コラム
なお、東電も福島県も黙っているが、福島県津波浸水想定区域図等調査(2006年度)報告書概要版(修正版)のP13,41,53によれば中央防災会議,日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会資料提供のデータにより、
明治三陸の規模はMw8.6と設定している。時系列的にはこれまでの印象と異なる風景が見えてくる。

東電は2007年6月に上記の波源で追試を行ったが、その翌月に中越沖地震が発生して柏崎刈羽原発が被災した。その結果、社内組織改正で中越沖地震対策センターを設け、センターの土木調査グループは各原発の地震随伴事象である津波についても見直しを行い、2008年3月に、明治三陸の波源を福島沖に仮置きして海溝地震をシミュレーションし、各種報道で有名になった15.7mの津波高を得た。しかし、この社内試算では明治三陸の規模をMw8.3と半分以下に縮小した。Mw8.6の件を忘れる筈もない時期で、極めて悪質だが、何故か誰も指摘していない、ということである。

Scj_go_jp_170801_1slide4 中央防災会議においてもデータが不足する貞観津波や地震本部の見解については取り入れられなかった。

Scj_go_jp_170801_1slide7 地震本部は、中央防災会議や自治体などの防災機関に対して、どこまでその使命を発揮できたのか。

日本学術会議は推本を批判するため、中央防災会議を根拠にしているが、都合が悪ければ中央防災会議の波源モデルも無視するのが東電の態度である。むしろ、東電に加え、中央防災会議をも庇いたてる、この検証態度の裏にある思考は何か。『原発と大津波』でも中央防災会議の内情については完全には解明されていないので、実に興味深い。

なお、後述の「津波災害予測マニュアル」P44には、Mwが0.3大きくなると、津波の高さは2倍となる旨の記述がある。

一方、福島県津波浸水想定区域図等調査報告書概要版では、津波の高さは遡上高のみ示されており、明治三陸タイプが最も大きく、福島第一に近い下記の2地点で次のような結果となっている。

双葉町:前田川河口6.2m
大熊町:熊川河口6.7m

従って、東電の5mという水位(遡上高ではないと思われる)はまずまず妥当な追試と言えるだろう。数値面からも、安全率による割増は確認できない。

【2-5】省庁間連携と自治体の事後チェックを怠った国にも責任はある。

なお国交省は、着想と提言は良かったが、他省庁との連携(経産省の説得)、自治体の施策チェックと言う点では、失敗した。興味深いことに、検討委員会では素案を提示した後の意見で次のようなものがあった。

意見  38
例えば、「国土交通大臣は、すみやかに、この提言に盛り込まれた事項その他必要な事項を関係地方公共団体等に示すとともに、関係地方公共団体等で講じた措置または講じようとする措置の報告を求め、これらを集約し、分かりやすい形で国民に提供すること」といった文言を追記。

説明資料3 委員から頂いたご意見」 第3回 検討委員会(2005年3月16日)PDF6枚目

その結果、提言の最後には次のような文言が盛り込まれた。

また、地震防災対策の一環として、そのフォローが必要であるとともに、各省庁が横断的に講じるべき津波防災対策の施策で、さらに検討を要するものは、省庁連携の下に、専門的知見をもって推進すべきである。

この提言が歴史的価値を持つに至るかどうかは、行政のみならず国民及び各界各層の取組み次第である。国土交通省は、速やかに、この提言に盛り込まれた事項に関し、直接関係する事項を可能なものから実行していくことはもちろん、関連事項を関係地方公共団体等に示すと共に、関係地方公共団体等で講じた措置または講じようとする措置の報告を求め、これを集約し、分かりやすい形で国民に提供すべきである。

津波対策検討委員会 提言 2005年3月 PDF14枚目

青字の2点は明らかに未達であり、国の責任が認められる。他省庁のとの連携に関しては、歴史に残る安全神話を答弁した第一次安倍政権が、本来は経産省に連携すべしと命じるべきだったのかも知れない。それ以上の解明は、ジャーナリスト・研究者・当事者・官僚が共に取り組むべき課題である。

【2-6】割増しのヒントはあったのか

さて、それでは想定結果の何倍を提示すれば良かったのか。「津波・高潮ハザードマップマニュアル」はその答えを明示していない。下記のように浸水予測区域の外側にバッファ(緩衝空間)を設けるように指示しているが、具体的な数値は無い。割り増し比率は自治体に任されている。先の相馬市の場合は、バッファの明示は無い(避難場所の選定に当たって何らかの基準として用いられた可能性はある)。

Mlitgojpkowanhazard_shiryou2slide73 津波・高潮ハザードマップマニュアル(案)」国土交通省津波・高潮ハザードマップ研究会事務局  PDF73枚目

ただし、数値的根拠について公開文献でも参照材料はあった。以前紹介した気象庁による津波予報、および国土庁による津波浸水予測データベース作成の際、次のように述べている。このデータベースは2000年代以降のハザードマップに繋がる基礎資料として作成されたものなので、関連性は高いと言える。

「新しい津波予報」のイメージを図2に示します。一つの目安として、もしも海岸から避難する場合には、予想高さの2倍以上の高さの場所に避難すれば、危険率は1%未満にまで小さくなるはずです。

日本地震学会広報誌『なるふる』12号(1999年3月)PDF5枚目

津波予報と津波浸水予測は同じ幹「太平洋沿岸部地震津波防災計画手法調査 報告書」(いわゆる七省庁手引き)から分かれた2つの枝であり、不確実性についても首藤伸夫が七省庁手引き別冊の「津波災害予測マニュアル」で理論化している。統計的厳密性に拘るなら、「津波災害予測マニュアル」を熟読して導けばよいが、簡略化のために、上記『なるふる』を参考に2倍の数値を当て嵌めて原発防災を考えたとしても、それはそれで1つの見識となる(『原発と大津波』読者であれば、原子力発電所の津波評価技術で安全率1倍となった経緯を御存知だろうが、そこにも通じる話)。

『なるふる』の1%以下という指摘を単純に当てはめると、IAEAが推奨する10万炉年に一度の炉心損傷確率を達成するためには、最低でも想定の2倍の津波が来ても安全な必要があった。1000年に一度の大津波で防護されている水位を超える確率が1%の場合、(1/1000)X(1/100)=1/100000となるからである。実際には、東日本クラスの津波は500年程度とのしてきもあったりするので、1000年に一度との論は現在では楽観的だが。

福島県の調査で用いた波源を使った追試では、福島第一、第二共5m程度だとされているので、『なるふる』で推奨の倍率2を掛けると10m以上となる。即ち10m盤上の構築物でも、1階にあるような開口部は何らかの対策が求められる。

なお、『なるふる』が指摘する津波予報と同じデータベースを使用している国土庁津波浸水予測図の場合、福島第一の前面は8mであり、遡上は10m盤に達していることが既に知られている。ここに倍率2を掛けると、東電が行うべきだった津波対策は16mとなる。

更に、2002年の『原子力発電所の津波評価技術』で得た数値6.1mに倍率2を掛けると約12mとなる。ただし、これは既に『原発と大津波』第2章で言及済みである。

【3】「話題」スライドの情報源についての疑問

話を日本学術会議に戻す。

彼等が唯一有効性を認めた原子力技術協会の提言だが、震災後誰も省みる人が居なかったところ、身内からの警鐘だが(組織自体が業界で傍流扱いだったためか)無視されたものとして、私がブログで再評価したものである。彼等にとっては、業界人が自ら指摘したことがとても大切なのだろう。

その傍証に、原子力技術協会が『エネルギーレビュー』2006年7月号で発表した米ウォーターフロード原発3号機の事例は全く参照されていない。基本的には提言の内容に沿った記事だが、カトリーナ来襲の3日前、パッケージ型の非常電源をレンタルして据え付けたことは、日本語文献ではこの記事しか触れていない。言うまでもなく、最短で可能な電源対策の一環として、再評価すべき内容である。

もし2011年3月7日の「お打合せ」での結論(福島沖での大津波を想定する)を吉田所長が聞いており、且つ、『エネルギーレビュー』の記事を所長や彼の部下が覚えていたら、恒久的な津波対策が完了するまで、同じようなことをやれば済むからだ(社有の電源車を配置変更したり非常電源をレンタルする)。これはブログを書いた直後に見つけていたが、別の機会を見て記事で紹介することはしていなかったものだ。

【4】何も理解していないことが分かるスライド

次のスライドの説明は意味不明である。それも1枚に3ヶ所。

【4-1】場所を限定すると最も高い津波高が得られる?

Scj_go_jp_170801_1slide5_2 狭い範囲を対象として最大津波高さを予測した方がより大きな値が算出されるはず

福島第一原子力発電所事故以前の津波高さに関する検討経緯-想定津波高さと東電の対応の推移-(日本学術会議、2017年8月1日)PDF5枚目

次の東電事故調の模式図を見て欲しい。本当にそれが導けると考えたのか。

Toudenjikochoslide39福島原子力事故調査報告書』東京電力2012年6月20日P18より。

日本学術会議の書いていることは逆である。一つの地震津波をシミュレーションする時は、津波高を計算する海岸の範囲を予め設定するが、その範囲を広く(長く)した方が、狭い範囲よりも高い津波高の地点を得ることが出来る。例えば、福島沖のケースで言えば、発電所の前後1㎞だけ計算するのではなく、南北100㎞とか福島県内の海岸全域などに対象を広げれば、「西暦何年の××地震を模擬したこのシミュレーションでは福島第二の方が高い」とか「あのケースでは相馬が最も高い」となる。逆に、福島第一での高さだけを計算すれば、求められる高さは福島第一のものだけしかなく、他の地点と比較のしようが無い。東電事故調の模式図で例示するなら、右の黒矢印の近くにある想定が、図中の海岸の範囲では最も大きな水位を与えている(赤の設計津波より僅かに高い)。

添田氏がツイートしていた千葉訴訟における「震源事件」に通じるものを感じる。

このような過ちを避ける方法の一つは、『原発と大津波』の冒頭に書かれている、55㎞遠方の地点(小名浜港)の津波観測データを持ってきたという建設時のエピソードの意味を良く考え抜くことである(仮に55㎞南ではなく100㎞程北の宮城県の値を持って来れば最初から高い想定値が得られる。理論的にはあり得る方法)。

【4-2】報告書に出てこない文献を参照したと主張

ついでに言えば、先のスライド、「津波災害予測マニュアル(1999年とあるが1997年)」を福島県が参照したように書いている。だが、福島県津波浸水想定区域図等調査(2006年度)報告書概要版(修正版)の「7.参考文献一覧」には七省庁手引きを挙げているが、その別冊である「津波災害予測マニュアル」は載っていない。また、本文に文書名として直接書き込まれてもいない。七省庁手引き自体も、前半で既往津波の被害を一覧化した際に引用されているだけである。津波の水位計算法は実用レベルでは何時も大体同じ理論が使われているので、出所が「津波災害予測マニュアル」かどうかは断定できない。スライドには証言を取ったという記述も無い。

「津波災害予測マニュアル」は計算結果の信頼性の問題を厳密に論じているので、本当に参照しているなら、本文P52で「想定以上」などという曖昧な表現をするだけでは無く、正確な統計的意味が説明されていた筈である。

それは結局想定水位を鵜呑みにしてはならず、原発の場合は何らかの安全率が必要という結論に帰着する。厳しいことを言えば、数学的には発生可能性と安全率だけが異なるに過ぎず、本質的に原発と区別する意味も無い。それが理解できていればこのようなスライドになる筈がない。

【4-3】福島県の津波想定が大きくなるのは合理的?

学術会議の資料からは、何故合理的なのかがさっぱり読み取れない。上述のように福島県の津波想定に関する部分は調査不足だったし、前の文章ともつながりが見出せない。

事実関係から言えば、福島県と茨城県では想定していた地震が別のもの(茨城県は延宝地震を含む)だから、比較不能である。仮に、推本予測のことを言っているとしても、「どの領域でもM8クラス」と書いているのであって、福島県が高くなる合理的根拠は無い。

強いて言えば、東日本大震災では、茨城より福島の方が概して津波高が大きかったと言うだけのことである。しかし、プレートテクトニクス理論から言えば、茨城沖を主たる波源とする津波地震が起きても全く不思議ではない。

【4-4】恥の上塗り集団

ここまで書いてきて思ったが、日本学術会議は単なる誤植と言うより、何も理解していないのではないか。というか、ほんのりやばい感じしかない。

関村や原子力関連団体は、只、福島事故の恥を上塗りしただけである。大方、事務局に3流役人でも当てがい、現政権へ忖度した結果だろうが、只でさえ凋落傾向にある日本の学術団体の権威を一層貶めるだけの結果に終わった。唯一救いがあるかも知れないのは、こんなレベルの低い検証作業にまともな人材は回さないという、面従腹背な役人の雰囲気も僅かに感じられるところ位、だろうか。

リベラル左翼でも学術団体の声明などに依存した主張を見かけるが、何でも忖度で簡単に信用を失うのが現代の世であることは、他山の石として、覚えておきたいところである。

17/11/22:全文適宜修正し、意味の繋がりを明瞭にする。

17/11/23:中央防災会議「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会報告」を国土交通省、日本学術会議や政府事故調がどう扱ったかを追記。

17/11/28:【理由1】に追記。

2017年11月10日 (金)

筋の悪い運動論

いつから反体制運動は数ヶ月に渡って電車でスカートの中を撮影するための方便になったのだろうか。

モジモジさんがプラカードを持ったまま駅の構内を横切っただけで警察に逮捕された上、刑事から尋問で「東日本大震災の時は北朝鮮が攻めてくると思った」などと兵站のへの字も知らない馬鹿コメントを聞いてきたのは知っている。

また、前からそう言う状況は、発生すると色々噂になってきた。例えば「満員電車で痴漢冤罪を捏造する」などのケースを元朝日記者の某氏もツイートしていたのを覚えている。

しかし、今回はテレビ局の動画があるので捏造を疑うのは不可能だし、警察は宣伝に当たって完全に正当性を確保している(冤罪事件が問題化したため、確実な案件に絞っている)。性犯罪でよくあるのは、当事者以外現場を見ていないケースだが、今回はそうではない。しかも犯人は社会部や政治部では無くスポーツ記者。正直、サンゴ案件と同じだなぁ。同情しないと言う点では。このまま筋の悪い反論を重ねても、ネット右翼に合流して行った痴漢冤罪運動家などを喜ばすだけだろう。

本間龍氏の言う通り、何かのきっかけで盗撮犯を警察がマークし、良い絵を撮るためテレビを呼び寄せたこと自体はあり得る話である。一方で、政権の匙加減ひとつでTBSの山口敬之が無罪になったり、大阪では集団暴行に参加した警察官を検察が無罪放免した事件もあった。そういう権力勾配の構造があることは事実。

だからといって、このニュースを元に警察批判を語ることが、朝日を叩いているネット右翼への対抗言論になるのだろうか。

或いは、ミソジニーを嫌って反権力を応援している女性層が、積極的に応援すると思っているのだろうか(それとも、彼女等が票にならないから捨てたのだろうか)。

そして、この対抗言論の勝利条件は何なのだろうか。色々仮定してみたが、どれも筋が悪く、性犯罪を却って助長する。特にモジモジさんのツイートは「性犯罪者の皆さんも含めて、警戒してください」と映る。そう考えたから冒頭の一文を書いた。山口敬之の逮捕などに繋がる出来事なら別だが、少なくともこの事件をきっかけにすることは不可能である。

残念だが、性犯罪に政治思想は関係が無い。この記者の信条は知らないが、リベラルでもやる時はやる。人様に危害を加え、墓穴を掘って第3者に付け込まれる。それが全てだ。もし、対抗言論を張るのであれば、この件は事実を認めて議論に深入りするのを避けること。メディア人などなら、素行の悪い体制側の人士をマークし、同じことをやり返すのも一手だろう。

そもそも、馬鹿な記者の尻拭いより、ほぼ同日に情報が流れている、辺野古で逮捕された大袈裟太郎氏の拘留を心配するとか、警察官の性犯罪を批判するとか、刑事ドラマによる刷り込みの批判(所詮作り話、という視点の徹底)をした方が良いと考える。

なお、この事件、盗撮なので犯人のカメラにもデータが残っていると思われる。従ってテレビ局を呼ぼうが呼ぶまいが、彼には冤罪の可能性が無いと言える。その意味でも警察批判としては筋が悪い。

ついでに言えば、記者の質などピンキリなので、各紙の平均的クオリティ評価も変えない。阿比留記者が盗撮したと言う話は聞いたことが無いが、今でもアヒルに書かせた方がましとしか思えない駄文ばかりなのを見れば一目瞭然である。

【余談1】

この程度のリプを思いつく人士は両陣営にいるので、どうとも思わない。逆の事態を想像すれば分かる。今では転載しか残っていないが、「日テレ・炭谷宗佑アナ、盗撮行為で書類送検される」(『サンケイスポーツ』2006年5月18日)や、「産経新聞社員を痴漢で逮捕=電車内で女性触る-千葉県警」(『時事通信』2009年2月13日)がそれだ。これが今起きたならやはり格好のネタにされ、ネット右翼はコメント欄で「朝鮮朝日の性犯罪も検挙してください!!!!」と発狂していた事だろうよ。

【余談2】
そう言えば、10数年前、JR東日本の組合の専従役員か何かをしていた社員が盗撮で逮捕された時も、組合は「陰謀だ!」との声明を発表して居直り、多数の女性を含む社員一般に冷い視線を浴びるという事件があった。醜聞合戦は攻める時はともかく、証拠が固まってる時に変な弁護を始めると傷口を大きくするだけ。ダメージコントロールも必要と考える。

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